本にだって雄と雌があります

 

いつも聴いてるラジオ番組「おはよう寺ちゃん」で、作家の小田雅久仁氏の新刊の紹介兼ねたインタビューが流れたんですが、新刊よりもこっちタイトルに惹かれてしまいました。

小田雅久二氏の本は、どれも話題作として取り上げられる事が多かったそうです。前作『残月記』では、吉川英治文学新人賞とSF大賞をW受賞。本屋大賞にもノミネートされたとラジオパーソナリティの寺ちゃんが紹介しておりました。

 

開業してから小説(フィクション)が段々と頭に入らなくなったわたくし。以前は登場人物に感情移入しては、ひと時、現実逃避と癒しを得ていたのが今は昔。

 

自分のリアルの方が刺激的過ぎて(笑

だから、小田雅久二氏の事も存じ上げなかったし、書店へ通うよりもAmazonでポチる事が増えてから、本屋に平積みされている話題作も分からなくなってしまって久しい感じ。

インタビューで、小田雅久二氏が「新刊出るまでかなり間が空いたのは、前に出した後、しばらく書けなくなって」とサラッと言っていたのですが、『書けなくなる』ことを重く受け止めてしまったわたくし。小田雅久二氏本人が、その間どんな時間を過ごしたのだろうかと気に掛かりました。

 

その方が、また書けるようになって書いた新刊「禍」も読みたいのですが、それ以前の、書きたくて書いていただろう文章を、まず読んで見たく思ったのです。

本にも雄と雌があって、持ち主の知らぬまに子供を産んで本は増える、みたいな与太話から始まるイントロが軽快。ラジオで聞いた声や語り口調が訥々として落ち着いた感じだったので、気楽な時はこのように明るい人なのかもしれないなと同時進行で妄想。

 

テンポの良い文章でスラスラ読めるのに、1文に詰め合わせられた語彙は濃密。55歳にして初めて出会った単語にいくつか出会い、味わいました。

 

漢字、熟語は概念を圧縮したファイルのよう。頭の中で展開すると2文字が表している何かがぶわっと広がる感じ。この圧縮ファイルが展開する感覚は、英語圏の人には味わえないだろうな~と楽しくなるぐらい、熟語の嵐。

 

内容は、ネタバレすると面白くなくなっちゃうので書きませんが、ファンタジーです。

 

そして、ファンタジーと思って読み進めているのに、謎展開に疑問も持たず、次はどうなるのか、最後はこうなればいいのに、と引き込まれてしまう辺りが文章力かと。

二重三重、十重二十重に練り込まれた設定が秀逸で、ちょろりと出てくる名前が後で効いてきたり、どうでもいいような枝葉の小ネタが後で回収されたり、時間軸が変わったり、人物視点が変わったりして、5分の4過ぎても話の着地点が皆目見えてこないので、焦りを感じるぐらいでしたが、ちゃんとラストで畳みかけるようにドーンと、バーンと、帰結していきます。

 

全部忘れずに読むには情報量が多いので、家系図と相関図をメモりながら読むのを推奨です。

 

広げた風呂敷を畳む過程で、物語を通して語り役をやっている「博」が、当店の立地する江古田に住んでいた時期の話が出てくるのですが、江古田の文字を見て、テンションがうなぎ登りです。荒唐無稽なこの物語が、博によって、江古田で書かれ始めたのかもしれないと思えたら、「有り得る」と信じたい気がして。

 

江古田って、そういう街なんです。

不思議な人が多い印象。

これは言葉に言い表せない街の空気感。

小田雅久二氏も江古田に住んでいたことがあるのだろうか。日芸か武蔵大の出身者かも?と期待してググるも関西大学法学部政治学、違った(笑

私には、しなやかな筋肉で跳躍するバレーダンサーのような、美しさと力強さとアクロバティックな柔軟さを感じる本でした。ここをスタートとして、次は「残月記」、次に「禍」と読み進めてみたいと思います。