一汁一菜でよいという提案/土井善晴

YouTubeで岡田斗司夫さんが「Amazonのこの本のレビューを見たら、世のお母さんや主婦の方が、涙しながらありがとうと叫んでいて、見るとびっくりしますよ(意訳」と言っていたのが読みたくなったきっかけです。

お客様と話していると、少なくない方が、三度の食事の準備を『空しい労働』と感じているのは事実かと思います。作る時間に対して、食べる時間はあっという間。美味しかった、ごちそう様のひと言もなく終わる食事が繰り返されると、報われない気持ちが降り積もる訳です。


私の若い頃は、仕事に追われて時間が無い無いと思っていたから、麺類が多かったと思います。麺類は1品で済むし、出来合いの出汁やソースがあるから自分が一から作るよりも美味しいし。

30代半ばに断食道場へ行って、玄米ご飯がこんなに美味しいのかと気付いてから、和食を麺類1品のように手軽にするために、どう時間の使い方を工夫すればいいのか、数年かけて改善していった感じです。

和食は、①ご飯を炊く②お味噌汁③おかず、最低①と②の二つは作りたい。③は種類を楽しみたければその分手間が増える。玄米を炊くとなると吸水時間が長い、出汁を取るための事前の吸水も必要。実際手を動かしている時間は短くとも、全体の監理時間は長時間化します。麺類1品なみの簡単さは物理的には無理ですが、気分的に近づけるために、手順や時間の使い方を工夫するしかありませんでした。

やってみると、なかなかに大変で、私の場合は数年かけてルーチン化できるようになりました。野菜は毎日1~2種類買い足し、野菜のおかずは1日1種類作り足す。おかずは常に2~3種作り置きがあり、1種は3~4日で食べ切る。1回分は3口程度の量。

美味しそうと思っても、安いなと思っても、その日買うのは全部ではなく、1番美味しそうなものに絞る。料理はやる気に任せてガーッと作ったりすると、食べ切れずに捨てる羽目になる上に、料理だけで自由時間が終わるのはつまらないので、料理に使う時間を加減する。

先日茄子を沢山もらった時は、茄子の味噌汁、茄子のみそ炒め、生姜を効かせた茄子の浅漬け、翌日以降の茄子の糠漬け、と茄子尽くしの献立になりました。私は自分の事情と都合で作るから、それで良かったけれど、家族持ちだったら「茄子ばっかり」と不満をこぼされたかもしれません。

 

世の主婦は、旬や鮮度、栄養バランスや品数、美味しさ、手早さ、家計費の管理と、いろいろこなした結果を食べさせているのですが、目の前のご飯にしか目がいかない人は「茄子ばっかり」と言うのでしょうよ(苦笑

家庭料理にプロの料理人が外食先で作るような何かを求め過ぎてやしませんか?和食もハレとケがあるのに、おうちご飯のケがハレとの差がなくなりすぎてるんじゃないですか?それを当たり前と思い込んだり、応えなくてはと頑張り過ぎてはいませんか?

『家庭料理ってそんな特別なものじゃないでしょ』

『毎日ごちそう食べてたら飽きる』

『家庭料理はおいしくなくていい』

『時には失敗したっていい』

生業で料理する人と違うんだから、線引きしていい。失敗したらしたで、「今日は今一つやね、この間のは美味しかったのにね」と味の違いを感じて家族でやり取りする、共有共感、感じて考えるのが、家庭の大事なところ、いいところじゃなかろうかと。

家庭料理は、美味しい事を楽しむ以外の意味合いが強い。体調管理や気遣い。心遣い。

年寄りは歯が悪いとなれば柔らかく煮たり、子供の口の大きさに合わせて食べやすいように小さく切ったり。そう言えば、小さい頃はカレーはバーモントの甘口だったのが、いつの間にかS&Bの中辛や辛口に変わっていったのを思い出します。

 

子供はちゃんと見て感じて考える存在と認めているし、子供を信頼しなさいと言っているように読めます。親の職場の姿は見せられないけれど、家の中の姿は見せられる。言動すべてを子供は糧にしており、一人立ちして暮らしていけるようには、いいところも悪いところも見せるのも必要。一緒に笑い、上手に出来ればほめるし、行儀を教え、ダメなことは叱る。

 

なるほど、Amazonレビューで湧いている主婦達は、料理の手を抜いていいと言われて喜んでいるのではなくて、『自分が見失い掛けていた望ましい家庭団らんの姿』を思い出してホッとしたと言っているような気もいたします。

 

自分が個人商店を経営しているから一番反応した文章。

 

メディアのせいでプロとはこだわりを持ち、努力し、客の期待に応えるなど、『こうあるべき/そうでなければ』という仮想を客側が信じ込み、店側が意識高いですねと客を持ち上げ、変なハードルが高くなる。金を払う側がえらいと変な権利を主張するのを受け入れる。客側の思う理想と現実との乖離の悪循環。客の無理難題に応えることが正解ではない。本来は、店と客は対等で、客と商品・サービスと調理場と経営の間に浮かぶスープが、こぼれないようにバランスが取れている状態が健全。

 

うちは小売店ですが、同じ事。
家庭では家族それぞれが欠かす事の出来ない存在で、お互いの意思疎通が出来てバランス取れた状態が大事。