いつもと違う選択を

頂き物のスミレの花。グラスに投げ入れ。

花瓶が無くても、花は飾れる。

 

コロナにウクライナで、また社会不安で世の中が停滞延長かと諦めモードに落ちかけたのですが、まてよ、と。

私は何かと時事問題が自分の事業や生活に及ぼす影響を考えがち。でもそれはそれ、要因のひとつでしかない。取引先の方達と雑談、どちら様も売上低迷、どうすればいいか不明(ラップ調

私達も消費者のはずなのに、その心をもってしても見えない。

こうなんじゃないかと語られる内容が、私にはそうも思えなかったりすると、互いに幻を見ているよう。

 

予想屋は予想すれば当たる/外れる。

当たる予想は予知。

外れるからこそ予想。

アナログに、人間ひとりが目にする耳にする情報量だけでは、計り切れない世の中になっているに違い無いのです。みんなで「分からん、見えん」とぼやき合うこの実情、それで説明がつくではありませんか。

 

ビッグデータを持つものが残るとなると、弱小個人商店はどうするべきか…出来る事しか出来ない規模なので、新しいとか、他と違ったことを探すのも違う気がします。

もうひとつ思い浮かんだのが、「私と同じ情報を見ていない人はたくさんいるんだ」という事実。

私が世の少数派の場合、その情報内容で判断はアウトではないかと。

このまま繰り返す日々では足りないが増えるだけに思え、普段自分が足を向けないものなら何でもいいから見に行こうと思い立ち、そうと決めたら行けそうな友達に連絡し、催事が不発でも友達とキャッキャウフフで損しないように手当してお出かけ。


選んだのは、単価のお高い、しかも値段の根拠が分かりにくい「古美術」の展示会。目利きではないので皆目分からないながら、目が留まるものはいくつかあり、値札を見てはギョッとし(苦笑)すっかり場違いな冷やかし客でした。

出店者の風体の怪しさと、来場者の身なりの普通さも意外で。

もっとお金持ちっぽい人が来るのかと思ったら、どっちもどっちで身なりからは趣味嗜好が見えにくい感じの方が多く、出店側にはカジュアル通り越して擦り切れ過ぎて気になる方もいて(笑)業界標準がよく分からないなというのが感想です。

誰かと連れ立って来場している人が半分は居たような。

店の人に、自分のコレクションや好きを一生懸命語り続ける女性が小一時間居座っているのを観察し、単価の高いものだから、一人に掛かる接客の手間は相当なのかもなと思ったり。買う人1人捕まえるまでに100人の冷やかしをいなす感じなんだろうかなあと思ったり(余計なお世話

喫茶店へ移動する間に見かけた人々は、穏やかな笑顔で行き交い、本日の日本も平和。不幸せな人は見たところいない感じ。コロナもウクライナもどこ行った?ぐらいなんですが、メディアでは相変わらず不安を煽る系の発信が多いのでギャップを感じてしまう。

友達の近況を聞きながら、この話は、自分とは異なる生活圏、異なる業界から見える世の中の欠片だなと思いました。友達だからこそ、隠さず話してくれる内容もあり、貴重な欠片。

 

その後店を開け、パートへ行って、ルーチン。

寝しなに、いつもと違う選択をして出かけてみたが、良かったなと感想。

変わりたいなら、コロナの2年間とは違った選択を心掛けて過ごすべしと浮かんだので、しばらくその方向で。