誕生日の贈り物

私は、自分の記念日全般に、愛着や執着がありません。だから忘れているものも多いです。覚えていても、そう言えばあったな、ぐらい。

 

誕生日が最たるもので、年に一度の特別な日のイメージが持てません。子供の頃は、母がケーキを用意したし、プレゼントも買ってもらった記憶はあるのですが、ありがとうと言いながら、そういう日のそういうお役目的な振舞いを意識していた節があります。

 

概念としての誕生日の大切さは理解できるし、他者が誕生日を大事に思う気持ちを尊重は出来るのですが、我が事になると、途端にスンっと温度が下がるのです(笑

今年の誕生日も、いつもと変わらず店に出勤し、夜はパート先へ出勤し、深夜に帰宅して夜食を食べたらお風呂に入って寝る予定でおりました。

私にとっては、この穏やかな繰り返しの中でくつろぐ事が質的にも量的にも重要なのです。お年頃かも知れません。

 

すっかり暗くなった頃、弟から「おめでとう」とメールが届き、妹からも電話があり。電話を切る頃にお馴染みさんがお裾分けをしにご来店。「誕生日だからじゃないんだけど、タイミング良かった」それと入れ替わるように、近所のお店のオーナーさんがご来店。

ニコ動の弾幕のように重ねてやって来るではありませんか(笑

 

今年2月、コロナ自粛真っ盛りの頃に開業したお店さん。
古書店の「snowdrop」さん

BOOKOFF的古本とは異なる、古書のセレクトショップ。

売るための古本屋じゃなくて、喜びや楽しみを買いにいく古書店。出会いと発見の場。


確か通りすがりの個人商店仲間から聞いて、たまたま一緒に聞いたコスモナイトさんと「江古田にいい店が増えるの最高」と喜んだ覚えがあります。お互いひとり個人商店、近所と言っても店を閉めて行き来するほど時間に余裕が無いもの同士なので、今回ゆっくり話をする機会になりました。


開業1年目は基盤構築のタイミングなので、基本が大変。
コロナと重なって大変というより、コロナが無くても大変という方が私の常識。

私も東日本大震災の年に開業して今に至りますが、今まで10年ずっと大変な世の中でした。

だから『開業したい時が開業時』だと思う派。

 


開業前の計画や予定と現実とのギャップを埋めたり、変えたり、ルーチン化して慣れていく行程。工数が一人分しかありませんから、大車輪の勢いで心を回すと、体は独楽ねずみのように休みなく動くことになり、疲れます。必死さと楽しさで気持ちが切れない間は持つので、そこをうまく越えられると「軌道に乗った」といえるかと思います。個人商店、ひとりで切り盛りするのは楽だけど、やっぱりとってもしんどいものです。

1年生の方と10年選手になった私と、そこいらへん、共感する内容は同じで、つまり「10年先も、これが続くのよね~」「お金儲けはなかなかうまくならない」「でも好きな事やってるから贅沢な時間を味わってる幸せ」辺りで盛り上がりました。

 

閉店して帰宅の道々、神様が10年前の自分を見せてくれたような気がして「よく頑張ってきたな」「今十分幸せだな」と噛み締めました。あの当時も幸せだと思っていたけれど、今は何倍も幸せだと感じられます。

 

神様の言葉は、次元が異なる存在の声だから、どんなに聞き耳を立てても聞こえないもの。

人の耳に聞こえる形を取ろうとすると、他者を使って人伝に届くものなのです(と信じています

今年の誕生日もまた神様から言葉をもらいました。
来年の誕生日もまた言葉をもらえることを楽しみに、力まず自然体で頑張ろうと思います。