摩利と慎吾⑤~閑話休題

ひと頃の熱病のような没頭感から抜けましたが、いまだに摩利と慎吾ばかり考えております。

最近、いろんな方の読後感想やファンブログを読んでは、いろんな見方があるものだと感心しております。

 

ただ、やはりオンタイムの連載を見ていた方と、あとの時代に生まれ育った方とでは、前提が違っているからだと思うのですが、場面やセリフの受け取り方が「違うそうじゃない」ぐらい違う方もいて、高校の古典の授業を思い出しました。

 

当時の世相、社会のしくみ、文化風俗、人々の常識や流行に情感など、総合的な知識を得ても身のうちに落ち着かないと、意味は現代語訳できるけれども深いところで味わえない。だから、何がいいのか分からない訳です。


古典は、学生の頃の私には点数は取れるが意味が分からない授業の一つでした。あれに似ています。

 

例えば、「日本人とのハーフなら、どう見たって半端な外見だろうに誰もが見とれる美男子設定についていけない」フィクションの中のリアルの割合って、時代ごとに違うんですよね。書き手は、読者達の嗜好や知識レベルに合わせて創作していくのだし、掲載誌の色もあるし。面倒なリアルをすっ飛ばして味わえるのは、当時からのファンの役得だなと認識。

 

古典つながりで、

 

木原先生の作品には時々古典が散りばめられるのですが、オンタイム読者の頃は私が古典に興味が持てなかったせいもあり、意味が分かるぐらいで素通りしていたのに、今はストーリーと相まって、妙に胸に迫って来る…

 

「水に降る雪 白うは言わじ 消え消ゆるとも」

 

 

「恋や恋 我なか空に なすな恋」

 

まずはその歌の意味と、それを引用している登場人物の「込めた思い」「秘めた思い」を思うと、スルメのようにじわじわ来る訳です。初めて、古典の面白さや味わい深さを感じました。

 

たくさんの歌を覚え、引用することで、みなまで言わずともすべてを察して包み込むような、そんな人付き合いもいいなと思えました。

 

おや、そのためには、引用をそれと理解してくれる相手も必要か…(相手の心配をしている場合ではない。自分が成り立ってないのだから、まずは底上げしていきたいなと思いました。

 

少し、古典や歌集を読んでみたくなっております。