40年振りの再読。頭の中で反芻している間はあっちこっちに飛んでまとまりのない思いが千々に乱れておりましたが、徐々に文字にしてみて、ようやく胸苦しさが少し和らいできた気がします。
メモを眺めていると、あらかたは、
「唯一無二、永遠、不変が欲しい」と
30代半ばまで常に不足感があった自分を思い出して苦しんでいるのです。
今では、あれは「中二病だったな」「無駄に自分探ししてたな」と思っているし、穏やかに満ち足りた気分で暮らしているのですが、『本当にそう思っているの?苦しいから見ないふりしてただけじゃないの?お前は自分を騙す天才だもの』と黒い自分の声が聞こえてきちゃう(苦笑
わたくし、なりたい自分になるために努力するのですが、それが憧れを下敷きにした他人の姿だったりするもので、若い頃は理想と現実のギャップにやられて、常に苦しんでおりました。
満足はしていない。
だけど他にどうなるものでもない。
自分はこうしか生きられない。
納得はしている。
でも、途轍もなく苦しい。
いつまで続くのかな、これ。
いま、途轍もなく苦しい。
納得は、別に満足している訳ではない、と思い出してしまったのです。
満足は、自分にとっていい事欲しい事を成し終えた証。
納得は、悪い事を受容すること。
不満が残っても受容できたら、過去に出来る。
そして、叶わなかった思いが山と積み重なって、わたくしや人々を形成している。
今の自分は嫌いではない、むしろ好き。
だからこれでいいと分かっているのですが、明日死ぬかもしれないその時に「これで良かった」と本心から言える時間を過ごしてきたかな?生まれてきて何か成し得たかな?みたいな思いがわくと、急に自信がなくなる…
そろそろ54歳になるし、今ちょうど、次の10年はどう生きたいか、どういう自分になりたいのかを考えているところでもあったので、18歳の青春時代から50代で死ぬまでの摩利と慎吾の葛藤を読むことで、自分もそろそろ彼らの逝去した年頃だなと思ったら、今のままで進んでも大丈夫か?と思ったようです。
気持ちは若く保てても、肉体的な老いはいかんともしがたく、老眼しかり、若い頃のように何でもできるとは言い難くなってきた現実を噛み締めてしまったというか。なんというか。
読了直後は、大河ドラマを通しで見たような情報量に圧倒されておりましたが、思えば摩利と慎吾の人生は、激動の時代らしく波乱万丈で、社会情勢も不安定、自分達の心情も不安定、今の私の価値観で思うところの幸せとはかけ離れていたような気がします。なのに彼らの生き様が、羨ましく映ってしまうぐらい、物語が魅力的だったということか…
摩利は、慎吾は、死ぬ瞬間、満足なんてしていなかったと思う。
でも、ああその時が来たなと納得していたはず。
「でも、私は満足したいな~!本当は納得じゃなくて、満足したい!」「摩利と慎吾にも、大満足で命を終えて欲しかったな~!」「でも摩利の満足と慎吾の満足は絶対に重ならないから、切ないなー!!切ないよー!!!」
わたくしの本心は、人生で満足したいようです。
それを素直に言えるようになれたようです。
若い頃は、摩利と慎吾をオンタイムで読んでいた頃は、自分の思いや考えを素直に吐露できず、そのくせ全てを分かって欲しいと強く願う子でした。登場人物で言えば、篝かがりのようなところがあった。
そんなの無理ゲーだから、満足をくれない他人は傍にいても寂しい訳です。みんなの輪の中にいても、好きな人と二人きりでいても、一人で勝手に孤独になっていっためんどくさい子でした。凄く拗らせていました(恥ずかしい、、、
だいたい、他人と一緒にいて楽しい事が少なかったのもトラウマ。
原因は、私が他人を信頼できないせいだったと今なら分かります。
こちらがまず開くということが出来なかった、臆病な子でした。
私より素直な同世代は、開いた心で出来るかやりたいかを要求してくるのですが、嫌と思っていても言えないせいで、相手が満足して私が好かれるほどに、私の中に不満が溜まるシステム。
自分の思いをちゃんと伝えられないのも悪いというのに、相手ばかりに背負わせて、友達って煩わしいなと思いながらどこかにいるソウルメイトを夢想し、些細なことで「やっぱりこの人は違う」「誰も分かってくれない」といきなり疎遠になれる身勝手。
そう思えば、いま一番続いている友達は大学時代の友達で、彼女とは最初凄く仲が悪かった。お互いいけ好かないと思っていたはずが、気付いたら30年来の親友。彼女が私のように、自分の理想との違いを見つけては失望して関係を切るタイプだったら、今の関係は無かったし、私は今も孤独だったことでしょう。他にも今まで出会ったあらゆる友人知人のおかげで、私はゆっくり人を信頼できるようになれたと思います。
もうあんな馬鹿なやり方で人と関わる事は止められた。
あの頃からだいぶマシになれたな、自分。
私の人生も、多分満足よりも納得で終わる事かと思います。
これまでの人生で叶わなかったあれこれ、不満が解消されるべくもないから、満足には至らないでしょう。
今回の再読で、
『でも、「他者との関わり方」における納得感が残れば、結果は上々じゃなかろうか』と思えるところまで私を引っ張ってくれた『摩利と慎吾』
私にとって、大事な作品。
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