摩利と慎吾①~懐かしい作品

萩尾望都氏の自叙伝を読んでから、思い出したように思春期の頃にハマっていた漫画を読み返したくなり、ポチッたひとつが、木原敏江氏の『摩利と慎吾』

 

50代になった今読むと、思春期の頃とは違った物語に読めるのが不思議。当時のわたくしは、男に生まれたかったといつもどこかで思っておりました。同い年の女子達の感性についていけず、どこにも所属できずに困っていたなと思い出します。いっそ男子だったら、気楽だったかなと思っておりました。

 

とは言え、男に生まれても、汗臭くてガキ臭いのは嫌だった。私は子供なりに美的なものが好きで、美しさに憧れがありました。絵描きに憧れた事もありましたが、自分の適性を考えて、大学はデザイン分野に進学し、サラリーマン時代はデザイナー職でした。

 

そう思ってみると、私の道はひとつの方向へと続いてきたようにも見えますね。小さい頃からの夢を叶えたと言えるのかな…なんか不思議な気分です。

 

 話し戻して、自分が男子だったら、こんな風に美しい姿で、ため息をつかれたい…今思えば、ベースには女子のお姫様願望があったなんてところがおかしい感じ。

 

だから、ちょうどその頃、世に出始めた『少年愛』ジャンルにもの凄く惹かれました。

 

どこから聞きつけたか思い出せないのだけど、JUNEは創刊号から買って読んでおりまして、友達と嬉し恥ずかしな感じで語り合ったものです。JUNEのおかげでクラスにいた同志を見つけ、どこにも所属できない私に友達が出来たのは画期的(少年愛バンザイ

 

とはいえ、当時の出版側の思う少年愛と、私が思う少年愛の間には深い溝があり、なんかこう、大方が隠し隠れて耐えるとか、悲恋、死に別れ、などなど、暗い設定が多かったのです。そのたび、自分が好きな空気感の作品を探して、記事に引用される小説や映画も頑張って探して見たものです。

今みたいに、ググればあっという間にアクセスできる世の中ではありませんでしたから、本当にコツコツと自分のお小遣いの範囲で手に入れては、何度でも読み返しながら、登場人物に感情移入したわたくし。

余談ですが、母親に「風と木の歌」を見つかった時は、随分心配されました「どうしてこういうのが好きなの?」と問い詰められた記憶があります(笑)あの当時は、どう説明したらいいのか言葉がうまく出なくて、聞かれた私も凄く困りました。

正直、風木は少年愛ジャンルの王道的扱いだったから読んだけれど、主人公ジルベール生い立ちが変。ジルベールの気持ちがどこにあるのか、通して細かいひだが見えず全然理解できませんで、その内分かるんだろうかと話の展開を見守るために買っていたようなところがありました。

 

先日読んだ萩尾望都氏の自叙伝で、竹宮氏に「何でジルベールは男の人に身を任せるの?」と聞いたら「その子はそういうのが好きなのよ、そういう設定」的な返しがありました。少年愛ジャンルの魅力が今一つ分からない萩尾氏は、頭の中が疑問符でいっぱいになったそうです。


「やっぱり、あのジルベールの唐突感はそこに意味があると思っちゃいけなかったんだな」とのめり込めなかった自分の正解を見つけた気分になって40年振りにスッキリしました(ちょいちょい、ないわーと思う場面があるので、風木は読み返す事は無いでしょう

 

 

 

摩利と慎吾は人気漫画家・木原敏江先生の作品ですから、毎月の掲載誌発売日が待ち遠しかった記憶。

 

長編だから、途中で木原氏の絵面が円熟していくのがまた魅力で、どんどん美麗になっていくまつ毛と薔薇と主人公に目を奪われ、好きなコマは切り抜いてファイルしていた記憶。

 

二人の男の子が、成長の過程で互いに惹かれ合う「学園恋愛もの」という位置づけで読んでいたのですが、最後の方はちゃんと読んでいなかったので、今回全巻通しで読んで、やっと自分の中では話がつながりました。

 

繋がったせいで、中学生高校生の頃に思っていた内容と違った物語に見えたし、当時は分からなかった機微が50代の心なら分かる部分も多く、より物語の深さや重さが自分に迫ってきました。

木原氏がこれを描いていた年齢は29~36歳頃とあり、その年齢でこの群像劇を描いた才能に圧倒されました。

 

今読むと、短いセリフやト書きの言葉が刺さる。
一コマたりとも読み飛ばせる隙間埋め的なコマが無い。


意味や気持ちが込められている密度が高くて驚きでした。

 

後になって「あのコマが!」「あのセリフが!」とつながり、まさに人生のように続いて繋がっているのです。

 

ひとしきり、いろんなことを試してスタイルを作り上げてきた世代の漫画家さんの凄さを味わえます。

 

今の方達が凄い作品を描く元は、この世代の先輩作家達の凄さを見て、影響を受けてこそだと思います。

 

ひと作品通しで読めば、木原敏江というスーパースター的漫画家の成長が見れる点も魅力だなと思いました。手足がひょろりと長い漫画の絵面なのに、ちゃんとデッサン整ってるから今見ても美しい★

明治~昭和戦後までの話ですが、連載当時の昭和の雰囲気もコマに反映されているところもあり、オンタイムの昭和世代だからこそ理解できる部分を再発見したり、未来の人達が古典として読んだ時には味わえないであろう時代感が私には分かる!ということを、自慢したくもなりました。

 

摩利と慎吾の愛の形は、何と呼べばいいのだろうか、50半ばの私になってさえ、言い表す名詞が見つかりませんで、探して探して、読み終えた後に凄く苦しくなっております。

 

胸の奥深くで分かっているのに、言葉にならないのはもどかしいものです。言葉にしてはいけないという事なのかなと、神の領域なのかもなんて、ちょっとスピリチュアルなこと思ったりするぐらい。


少しでも言語化しなければ、この苦しさが晴れそうにないので、少しでも心の整理をつけるべく、感想文を書こうかと思います。