一度きりの大泉の話

萩尾望都と竹宮恵子、どちらも私が熱中した漫画家でした。
数年前に、竹宮氏の自叙伝を読み、萩尾氏も自叙伝を出すと聞いて、読んでみたいなと思っていたら、読んだ方から「ちょっと意外な内容で、かなり重たい気分になった」と聞いて、恐る恐る読み始めました。


ページ数ありますが、オンタイムで作品を読んできた読者である私には、時代背景や空気感がリアルに思い出され、懐かしさもあり、引き込まれていきます。

 

「意外な内容」というのは、同時代に描いていた二人が、一時大泉で同居までしていた二人が、どうやって没交渉になったかその経緯でした。

コロナ下の時間、なろう系を読み込んでる私には、悪役令嬢の断罪ざまぁ的な「イベント」を傍観した気分もあり、前評判ほど暗さも感じず、ただこれを書いて萩尾氏がスッキリできたはずもないのは分かる。

 

文中にもありましたが、本人同士がそれ以降弁明しあうことなく、萩尾氏に至っては接点を持たないように掲載誌を選んだりもしています。没交渉のまま今に至るため、萩尾氏的は「どうしてかは分からない」でも、周りの人が感じていたことや、周りの人が竹宮氏増山氏を見ていて知り得たことが、その方の解釈を伴い萩尾氏に伝わる事もあり、多分そういうことかなと解釈つけて、自分の中では始末をつけて、分からないのは分からないままなんだけど、自分の作家人生を歩んできたよ、的な。

 

分からないながら、萩尾氏は本能で傷つき、きっと自分が悪いからなんだろうとまず自分を責めます。相手があることだし、自分だけ悪いなんてありえないと思いますが、若い心は自分を追い込みがち。ストレスからくる心身不調、自分ではどうしようもない状態、私も燃え尽き症候群や鬱の経験がありますから、辛かったろうなと思い入れてしまいました。

私は小学校の時に、自分では何も出来ない事がもどかしく、世の中に絶望感しかなくて、老成した子供だったから周りの友達が幼過ぎて馴染めず、学校がつまらない。それなのに、あと何年も学校に通うのかと思ったらまた絶望が深まり、この苦しみからいつになったら解放されるのだろうかと、永遠に続くかのような辛さを感じたことがあります。若い時間は過ぎるのが遅い。1年が10年にも相当する感覚を私は知っているので、萩尾氏が50年抱え続けた思いの重さに、辛かったろうなと思い入れてしまうのです。

ひとつ思い浮かんだのは、世代の『奥ゆかしさ』

相手が悪くとも、心の中では罵詈雑言だとしても、外には相手を責める態度は出さないことが大事だった。萩尾氏は私よりも年上世代だから、余計と第三者にその気持ちを告げることが憚られた世代かなと。だからこそ、この内容、萩尾氏は思い切ったなと思って読みました。

萩尾氏が、理不尽な爆弾に被弾し、そこから立ち直るというより、解決も出来ない内容だから抱えたままで蓋をして、時間が薬で衝撃を薄めて忘れていく訳です。重しのようにぶら下がる過去の出来事に、納得もないから昇華もないまま。自分の人生がそんなものに引きずらる事への怒りもあったと思うんですが、文中からは伺えず。でも、折々かすめて辛かったろうなと思います。

 

その気持ちは、でもどこかに出ていたはずで、当時を知る友人でありマネージャーの城章子氏の文中で、岸裕子氏が「絵柄が変わったから。登場人物の目が怒ってたの」と記憶していたとありました。私は、そこまで明確ではありませんが、違和感として「変わった」と感じていまして、あれはそういうことだったのかも!とゾクゾク・・・

ある時から萩尾先生の作品は、中に入りたくても入れない膜が張られてる感じがしておりました。光る軌道を駆けていくような速度感もあって、膜の中には入れない、でも美しいから見ていたい、でも速いから置いて行かれそう、待って、待ってと才能のほとばしりが眩しくて怖いほどになったのが、ちょうどあの頃だったなとゾクゾク。

竹宮氏の自叙伝には、増山氏の存在がいかに大きかったか書かれていましたが、そういう存在に出会えた偶然が羨ましいなと思って読みました。高め合える同志、いいなと思いましたが、その陰で萩尾氏が二人の身勝手な思いに被弾していたとはと思うと複雑。

 

あの被弾イベントがなかったら、萩尾氏の作風はどんな変化をたどったのだろうか…考えても仕方ない話。スピリチュアル脳に「あれも今のあなたには必要な出来事だったんだよ」と言われたら、私なら「邪魔な荷物なだけで要らない!欲しいなんて言ってない!」と沸騰しちゃうと思うから、もうそれは考えないことにします。

 

私は『自分が頑張っても出来ない事を軽々とこなす才能』『かなわない才能』に出会った時の憧れや嫉妬や恐怖も体験済み。自分が竹宮氏ならと妄想しちゃうのですが、没交渉を貫いて、着々と萩尾望都の世界を構築し続けるのを見ては、突き刺さるような、焼けつくような気持ちを抱え続けたのではないかなと思うのです。そういう相手にこそ、認められたいと思うはず。

でも没交渉=無視され続けてきた訳でしょう?

それも自分と増山氏の一時の激情で凸ったことがきっかけで、本人達も覚めた頃には、あれ?ちょっと間違ったかもと思った後悔がやってきても、相手の萩尾氏が言い返して来たり、ギャースカもめる方ならまだしも、静かに身を引いてしまったものだから、取り付く島を見失う。

竹宮氏の自叙伝は、きれいでした。美意識の高さに見合うように、頑張ってきた方だと思いますから、萩尾氏とのもの別れの経緯は、汚点扱いだと思うし、萩尾氏がどう反応するのかは時間が経つほどに怖くて仕方なかったろうなと思います。果たして、読んだだろうか。知り得る方法はありませんが、もし読んだとして「やっぱりな」って、思ったろうと妄想しております。

私からしたら素晴らしい才能達、出会った偶然は奇跡。

それぞれ偉業を成し遂げているけれど、傷が残っていることが運命のいたずら的皮肉に見えて、生きていくってどうしてこう棘が落ちてるものなんだろうかと思い、自分が蓋をして忘れてきた「理解できなかった人や感情」がよみがえってしまい、読後気分が落ちております。

 

まあでも、あんな凄い方でさえ何かしら抱えていたことを知り得たことは、生きることへの勇気をもらえた気にもなります。伯母から「いくつになっても悩みは生まれるし尽きないし悩む」と私をなだめたことがありまして、誰にも当てはまるもんだなと思えたら、大人だからこうあるべきという自分縛りが解け始めたのですが、またここでもその真理を垣間見た気分。人はその人が抱えられるだけの悩みを抱え、その悩みでその人を磨く。

 

もっと楽に生きられたらいいのに、そうならないようになってるみたい。とも思う。

 

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文中に木原敏江先生の名前を見た時に「摩利と慎吾」を思い出し、あの作品の終盤、私にとってはあまりに苦しい終わり方だったので、あの苦しさを思い出して叫びそうになったのに一番驚いてます(引きずってたらしい

 

あんなに一緒に育って成長してきた主人公達。いつしか摩利は慎吾に恋こがれ、慎吾は熱い友情は感じるも恋ではない。擦り合わない、すれ違い、大人になる過程で別々になり、戦争でどっちも死んじゃう。同時刻に死んだ二人の魂がそこで笑顔の再会(だったっけ?)

 

私は摩利の立場で読んでいたから、報われない恋を引きずり、好きな相手に好きな人が出来て追いかけていってしまうのを見守れるもんか!と思ったし、摩利の恋は叶っていないし、幸せな終わりに思えず、残っていたみたいです。あの当時、私も若いなりに片思いもしていたし。摩利の恋が性愛含みで余計複雑だったから、リアルの成就は難しい設定だからこそ、漫画の中ぐらいでは叶えてあげて欲しかったみたいです。

で、ひとしきり苦しい思いを思い出してみて、あのまま苦しい恋を抱えて、誰とも真実より添えず生きる時間は、摩利には地獄だったかもしれないなと思いました。死んで楽になれたのかもなと。

 

そして、死後の世界では、慎吾の魂と混じり合い一つになってしまえば、もう慎吾から選ばれなかった自分は無くなる。慎吾に愛されたいも無くなる。一つになれば自分しかいなくなるもの。だからいいんだ、なんてスピリチュアルっぽいことを考えたら、少し胸の苦しさが取れました。