梅雨の雨はどこへ行ったんでしょうか(暑い
夜のパート仕事、帰宅時間が深夜になるせいで睡眠時間と睡眠の質が今一つ不満足な日々。5月の緊急事態宣言への協力休業は、ちょうどいい休み時のはずだったんですが、パートは継続していたから、夜中働いて明け方寝付くリズムは変わらず。
好きなだけ眠り続けてもいいと思っても、明るい時間帯はすぐ目が覚めてしまい、深く長く眠れずに困りました。あれ?これはもしかして、年寄りが眠れないとボヤくあれか?と思ったりして。
眠りの質が落ちると、疲れもとれないし、気持ちが後ろ向きになりがち。5月の私は、美味しいものもよりも、娯楽よりも、趣味よりも、深く静かに眠りたい欲が強かった。コロナ前は、マズローでいうと「自己実現欲求」辺りにいたはずが、生理的欲求の満足まで落ちてしまった(笑
そんなだから、休店日に出掛ける意欲が減退。
この外へ向かない状態は、私の場合危険なかおり。
鬱っぽくなっていくと、自力で立ち直りにくくなるレベルというのがあって、間もなくそうなりそうな嫌な予感。
神様はそんな私に助け船。
新屋山神社参拝の日帰り遠足の話が舞い込み、「行くことで潮目が変わりますように」と気乗りしないまま出掛けることに。誘ってくれた方には申し訳ないが、車中でようやく「ああ、来て良かったな」と気持ちが上向きました(笑
山の木々を見たり、
葉擦れの音を聞いたり、
下界より冷たい空気を吸ったり、
鳥の鳴き声、蝶の飛ぶ姿、川の水が流れる様子、全部変哲ないけれど美しくて良かった。
戻ってきて、緊急事態宣言の条件緩和で6月から営業再開が決まり、最初の1週間は立ち仕事のリズムを取り戻せず、足腰がくたびれて大変でした。
江古田の商店街やスーパーで買い物をしている人達の様子を見ると、手指消毒せずに行って帰る人の増えたこと。緊急事態宣言の要請に乗っかっていられるかとばかりに、お酒を出す店も増えました。みんな、体感では、もう制限解除に向かって行動が変わってきている。
正直、東日本大震災の頃と比べて、何やっても誰かが反対しては停滞させる、何かといえば政府や行政を責める、ぐだぐだでまとまりのない状態に失望したりもしましたが、誰もがその不快感を感じていたはずで、問題意識は持っただろうから、喉元過ぎても熱さを忘れなければ、日本の社会システムは改善できるのではないかと思って、少し期待も出来る。
営業再開して10日経っても店頭売り上げが10万に満たない厳しさ。
単純に3倍して月商予測すると、生きていけない(苦笑
来店数の減少、客単価の減少、
シュリンクしまくっている現状、
どうしたらいいものやら。
対策を導くほどの情報も手にしていないもので、こういう時はジッと待つ。
座禅的な修行の心で日々を過ごす。それしか出来ない。
今一番心掛けていることが、コロナの理不尽や世の中の不条理に当てられて、変な人生訓を持たないようにすること。どうにもならないことだからと諦めたり思考停止する癖をつけないようにすること。変な思い癖を捨てること。捨てること。捨てること。
捨てても捨てても浮かぶしつこさ(苦笑
中々、しぶとい。
このぐらい、人は繰り返すし、新しくならないものなのかも。
前の暮らし方が好きだった人は、緩めばまた戻るだろうし、そういうこと。
やはり、待って人々の世の中の変化を見てから考えるしかないので、今は座禅、瞑想。
直近の休店日、すぐ引きこもりたがる心を叱咤激励で大泉まで「シドニアの騎士あいつむぐほし」を見に行きました。
たった3人しかいない、それも40代50代男性が2名、
その3人で思わず涙したり高揚したり、共感できたと思う。
言葉を交わさずとも、何となく場の空気でそう感じられた訳ですが、
こんなこじんまりした規模から、繋がりを楽しむことを始め直しているような気分で、
今の私と私の店は「そういうサイクル」「そういうタイミング」なんだと自己暗示。
小さい細い繋がりでも、暖かくて楽しかったじゃないか、みたいな。
もっかい、積み重ねろってことなんだろう、みたいな。
元には戻らないだろうと自分では思っている。
なら一から始めるしかないのも分かっているのだけど、10年積み重ねてきたつもりだったから、また一からってところに始める前から疲れているんだろうと思う。
映画、良かったです。
コロナのように、理不尽で不条理なガウナと戦う人間達の話ですから、そこら辺からも感情移入してしまったかな。
長道もつむぎも、設定上は不老不死体。
でも本人達は体が丈夫、修復早いぐらいのイメージで生きているようにも見える。
二人の望む幸せな生活が結構アナログなのが私には安心ネタ。
おとぎ話のように、繰り返す優しい日々だといい。
コメントをお書きください