幸せ変換装置

読みかけの本の中。

他人に夢と希望を与えるような作品を書く作家。

自分の事振り返り、自分が書く主人公と乖離している現実の自分に落ち込んでいるシーンがありました。

 

有りがち設定だと思いますが、何だか心に響きます。

 

作中の登場人物の人間性は、作家の中にもある要素なのだと思います。だけど、現実の自分は悩むし惑うし、ぐらぐらでグダグダ。

 

誰しもが感じたことがある話かと思います。

 

どうして自分はこうなんだろう、本当はこうでありたいのに…なんて葛藤は、辛く感じてしまう時もあるでしょうが、それが作品の夢や希望に変換されていく原動力になっているのではないでしょうか。そう思いました。

辛い思いはしたくないけれど、それがあるから、キラキラ美しいものが出て来る。皮肉に感じますが、因果関係としてはよく出来ている…

 

お客様と接する中で気が付いたのですが、劣等感や不足感を美しい何かに昇華する変換装置を持っていても、自分以外の誰かに知ってもらうアウトプットが出来ないと、自分の中でくすぶり続けてしまい、結局辛いままの方もいらっしゃいます。外へ出すのも大事な行為ですね。

幸せ変換装置が、ブンブン音を立てて稼働するには、自分以外の他者が必要。
 

と思うと、挨拶ごときでもいいから、そんな短くて簡単な事でもいいから、言葉を交わす相手がいるのって本当に幸せなことだと思います(自分に関わってくれる親兄弟、友人知人に感謝です

 

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もしも、そんな相手が見渡して居ないと悲しい気分になったなら、ぜひ江古田に遊びに来てくださいね。商店街の個人商店は、そういう時の受け皿になることが出来るオーナー揃いですもの。