堅いルールの重なり具合

仕入れで出かけた先にて。
思わず、今どきの若いもんは・・・と思ったひとコマ。

 

交差点に至るまで、前を歩いていた高校生男子。
私のノロノロ歩行と同じ速度で歩いていたんだから、

そう急いでもいなかったろうと思われます。

そして、大きな交差点での信号待ち。

歩行者信号が青になる直前に、救急車がやってきました。

イヤホン無しだから救急車の「先に通してね」放送は
きちんと聞こえているであろうし、
周りの人と自転車と車が止まって締まった状況も見えていたはず。

なのに「あれ?青だからオレは渡ってもいいんだよね?」風にキョトキョトした挙句、やってくる救急車の前を渡ろうとしたのには驚きました。

救急車も、放送はしながらの交差点進入とは言え、

車線の多いところは、見えない聞こえていないレーンもあるだろうから

速度を落としながら赤信号側から、優先走行でじわじわっと渡る訳ですよ。

それが遅く見えるので「オレ先に渡ってもいけそう」

 

という気持ちを起こさせちゃうのしら?と妄想しつつ、

思わず、襟首を後ろから掴んで止めようと手が出てしまいました。


私が実力行使に至る前に、男子は踏みとどまったのでセーフ。

 

彼は私の気配を感じ取っていたようで、振り向き、お見合い。
自分が猫の子のように首を掴まれ掛けていたと気がついたかどうかは疑問。

「ダメですよ」「・・・」

何について言われたのか、分かったとは思うので、一件落着(多分

若い人には、世の中は、大人が勝手に作ったルールが氾濫しているように見えるでしょうか。高校生なら、大人がルールを破ったり、抜け道をすり抜けたりする姿を見たこともあるだろうから、どれが本当に大事なルールなのか、よく分からなくなっているかもしれません。自分で考えて判断することが出来るようになると、どうしても、賛成しかねるルールもたくさん見えてくるのは大人の私だって同じです。

ルールを作る原因になった事柄を知る、ルールが目指す方向性を理解する。自立していない若い方には、社会ルールは特に、自分とは関係ないと感じる内容も多いでしょう。意味のない、ゴミのようなものが山ほどあって面倒な世の中だな、なんて、私も若い頃は思ったものです。皆が通って来た道です。

いろいろあって、何かよく分からん!という時には、

自分の命と他人の命の危機回避を優先です。


先を争って渡らないとどうにかなる事態でも無いなら、

あなたよりも緊急事態の救急車の中の患者さんを優先しましょうよ。

 

こうやって、自分にとっての「堅いルール」とは何かを積み重ねて、

最初はペラペラしていた若い大人が、地に足のついた「おじさん」や「おばちゃん」になるんですよ、って思った夕暮れ。そして、みんなが相身互いで黙認しあう「堅いルール」の重なりが多い程、日本は住みよい社会になるように思います。

 

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逆に、ルール違反に目くじら立てるような気持ちが強く出る時に「あれ?今、私は視野が狭くなってたかも?」と心の空間を確認するようにしております。他者との適度な距離感、受容は大事ですからね。