ひとりの自由

明日は休店日。

江古田から片道2時間ほど離れた千葉県佐倉の「国立歴史民俗博物館」へ遠足の予定。企画展示の「URUSHIふしぎ物語-人と漆の12000年史-」を見てこようと思っております。

 

 

休店日は何かしら予定があり、仕入れか打合せで潰れ続けると、パタリと何もしたくなくなります。動きたくない時は動かない。心の赴くままに過ごせばいいといいながら、「期間限定」のものに関しては、こちらが都合を合わせて行かなくちゃいけないのがこの世のルール。

 

 

でも、大好きな漆の展示です。

しかも、縄文の出土品など、普段見られない「実物」を見られる機会は私にとっては凄い事。文章を読む、画像を見るだけでは分からない存在感が、実物にはありますからね。博物館の展示は、美術品の展示以上に範囲の広い観点での解説が加えられていると思われるので、じっくり眺めて来ようと思っております。

 

 

気が乗らないと言っていても、動き出すと一人勝手にワクワクし始め、結局楽しめるのが私の性癖。

 

 

私は移動するのが好きだと思います。

乗り物に乗っている時間は、他にどうしようも無い時間という分類。

 

 

だから、普段はかまけることがないような、意味なくぼんやり外を見るなど、生産的ではない過ごし方を許されているように感じて、気楽。周りに他の乗客がいてもお構いなしで、私はひとりの世界に没頭し、ひとり勝手に楽しくなっているのです。

 

 

海外で働いていた時期に気付いたのですが、私は、寅さんのように、スーツケース1個あれば、どこへでも行って、そのまま戻らない生活も出来るんだと思います。やりたいと思えば、今このまま、自分のしがらみを全部捨てて、どこへでも行けるんだと気付いた時に、概念的な空間がとめどなく広がっていく感覚を覚えました。急速な拡大を感じるというのが、うまく表現できないのですが、あの時の感覚はちょっと恐かった、、、

 

 

怖いということは、もの凄くいいと思ってもいないんだと分かるのですが、凄くひかれる感覚で、私は安定を求めながら不安定な冒険を好むめんどくさい性質なんだろうなと分析しております。

 

 

あの感覚が、今も心のどこかにあり、私は世の中の人々がマンションを買ったり、家を持つ年頃に、自分を固定する住宅は持たないことに決めました。だからずっと借家住まいです。自由でいるために、持たない選択。もっとも、今は、儲からない個人事業主だから、金銭的に不動産を買えないから買わないのですけどね(苦笑)

 

 

そうして、ひとりでいることが孤独だけではなく、自由で楽しいと思うようになりました。どこへでも行けるし、何にでもなれるし、自由だなと思うようになりました。

 

 

それなのに、何故か始めてしまった小売店!

錨のように、私を江古田に留める存在を、自分から作っちゃったんですよねぇ。

 

 

まあ、場所はひとつですが、ここで出会う「人とモノと事」は毎日違うので、感覚的には旅をしているのと同じ。そう考えたら、私の中では、一本道がつながって今に至る感覚はあります。

 

 

ああ、それでかな。

最近遠出する気が以前より起きなくなっておりまして、今回の佐倉は久々の遠足。久々だから、若干億劫。

今日は雨で人類が滅亡しているので、早じまいして、明日に備える事にいたします。
奇跡的に、売上げゼロは免れておりますので、心置きなく(笑