店主の実家は、津軽民謡を生業としております。
父は歌手「二代目 今重造」
母は津軽て踊り「神明子」
弟は津軽三味線「佐藤壽治」
私と妹は、何故か民謡を覚えることはありませんでした。
若い子に民謡なんて意味の分からない芸能にしか映らないでしょうね。私は青森・黒石市で幼少期を過ごし、人が集まるところでは民謡が流れる土地柄。
普通のおじさんやおばさんが、もう上手な人ばかりというのが弘前、黒石辺りの土地柄。
店主のソウル・ミュージックは津軽民謡。
でも、好きは好きだったのですが、三味線のさわりを教えてもらったところ、積み重ねることに耐えかねて、早々に離脱。今に至る、です。
父も、その頃は才能あふれる内弟子が何人かおりましたし、育成に一生懸命でしたから、サラッとしたものでした。後で聞いたら、いつかは嫁にいくんだし、芸事なんて水商売だから、そういう世界を覚える必要はないと思っていたそうです。
つまり、父は口に出しませんが、仕事の辛い部分をたくさん見てきたということなんでしょうね。
おかげで私は大学を出してもらい、日本を出て仕事する経験も出来ました。広い世間を見て来いと言われ、見れました。ありがとう、お父さん。
弟は、それでも跡取りと思われていたから、
小さい頃から三味線は叩き込まれておりまして、
大学に入った辺りからちょっと脱線しておりましたが、
甥が生まれた頃にまた三味線に戻り、
ブランクを抱えつつも津軽三味線の日本一を取りました。
日本一を取るまでは、数年かかりましたが、
地力のある弟が、日本一を取ったことは
家族としては、信じていたから、当たり前の感もありながら
よくやった!と誇らしくてたまりませんでした。
うちの父の凄いところは、唄だけではない才能。
三味線も凄いので、教えて日本一を取るような演奏に育てるところ。
甥っ子や姪っ子に一生懸命教えているのは父。
弟は、任せっきりです。
だから、今回の優勝を一番喜んだのは父だと思います。
デレデレと相好を崩している父が浮かびます(笑
良かった良かった。
そして、甥もがんばった。
教え方が良かろうが、本人がやるしかないのだもの、
いい時も悪い時も地味に地味に積み重ねてきたのは
甥の心と体の賜物です。
私は積み重ねることに疲れやすい。
弱さがあるから続けられずに
止めてしまったことが、人生に山ほどあります。
自分に合ってないことを無理せずとも、
という言い方もありますが、やりたいことなら上手くいかなくとも
やりたいんだからやれば良かったし、続ければ良かったのですよね。
映画「3月のライオン後編」にも、似たような場面があり、
神様は、この連休に「積み重ねる」ことを思い出させる場面を
私に繰り返し、形を変えて見せつけてくれます。
そうだな、そうだな。
全速力で駆け上がれなくても、一段ずつ登りますよ。
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