映画「3月のライオン」後編

五月の連休、ゴールデンウィーク。
住宅街の江古田から、人々は行楽地へと旅立つのです。
つまり、お店番は居眠りするほど暇です。

毎年、5月の連休はガッツリ休もうかしらと散々悩みますが、
貧乏性がたたって、結局営業しております。


せめて、休店日は精一杯楽しもうと、親友を誘っておでかけ。

スタートは、映画「3月のライオン 後編」

2時間越えの映画なのに、あっという間に終わったような感覚。

原作よりも、救いの多いストーリーになっていたような…

初っ端からずっと涙が流れて来る映画で、
我ながら思い切り泣いてスッキリしました。
疲れてウツっぽかったかな、最近。

琴線に触れる事柄は、全て、

経験した過去と紐付いていると思います。

見たこともないような美しい景色だとしても、

全て、その方の心の中にある美しさに呼応、反応していると思うのです。

 

とすれば、始終流れた涙は、私の中の孤独感や、
努力の最中の焦燥感や、愛する人を失う喪失感や、
受け入れられる嬉しさ等々。

 

全部全部、味わてきたものと類似した

感情に反応しまくった結果かなと。

 

50年も生きてきたんだもの。

お腹いっぱい胸いっぱいに、揺さぶられた感情が積み重なってますからね。

涙しながら、「私はまだ、こんなに感情が動くほど若いところもあるんだな」

と、自分が愛おしくなりました。

 

誰がどんな立場で見ようとも、

自分と同じところを発見するような映画だと思います。

わたくしの最近の「大人の定義」は経済的な自立の先に

「誰も彼も私と同じ」と、愛ある共感の目で受け止められること、

としております。利他や自己犠牲とも違うし、表現しづらいですが、

存在を認めるゆとりというか、そういうこともあるよねと

思い至れる人が、大人だなと思います。

 

鑑賞後、友人と話したのですが、どんな選択をしても、

その結果、一時は失敗だったと感じ嘆くことがあっても、

過ぎ去れば、必ず良かったなと思えるような未来はある。

というか、そんな未来は多いのよ、多分。
だって、私もたくさん挫折を味わう人生でしたが

死んじゃいないし、結構幸せ(笑

 

そう感じるためには、最悪な状況時に、精一杯もがき苦しみ、

努力したりと行動することが必要で、苦労した分、後で笑えるかなと。
思考に埋没して、ああでもないこうでもないと考えるだけで行動しないと

迷路に入りがち。行動しながら探る未来は、必ず結果を生じるし、

受け止めるしかない訳で、はっきりする分、諦めなければ次の一手が繰り出せます。

 

だから、今苦しい場面に直面している人は、辛いだろうけれど、
絶対に最後は大丈夫だからと、安心してぶち当たっていいよねと、

救いにならないような救いのある話で盛り上がる。

 

そのまま、ノリで映画の風景を見に行こうか?と門仲~月島~勝どき散策。

深川不動堂で護摩焚きに参列し、体にまとわりついていた疲労感や不自由感を、
そこで落としてもらった気分になる。小豆島でお遍路した時も、
不動明王さまにお参りする時が一番気持ちが上がったものな、と思い出して唱える真言。

 

引いたおみくじが大吉で、明日からの気分アゲアゲです(単純

勝鬨橋あたりの遊歩道を歩きながら
「上海の外灘とか?」「どこかで見た景色にかぶって見えるね」と談笑。

「旅行へ行きたいねって言い合ってたけど、今日は旅行している気分」と言うので、気は心よね~と笑い合う。


私達は、どこへ行かずとも、一緒にいるだけで互いに楽しめる間柄なんだなと再確認。

 

不動明王さま、願わくば、私と関わる全ての人が健康で笑顔をたたえて過ごせますように。