映画「3月のライオン」前編

登場人物が全員孤独を抱えていて、どこかギリギリ。

このギリギリ感。

なりたい自分になりきれず、生きていることが不自由と同義語で、生きる意味とは、みたいなことをグルグルと思い悩んでいた頃を思い出すというか、切ない。

解放や変化を期待し、ここから抜けたいと努力していた自分と重なる部分があって、多分そういうのは誰しもにある経験だと思う。登場人物の誰もに、自分を感じて切なくなるストーリー。

主人公と同年代だけでなく、大人こそがしびれるストーリーかなと思って惹き込まれた原作。

神木くんの零が見たくて、としまえんのユナイテッドへ。

俳優陣がとても豪華で、どの役もイメージ通り。

私は最初の会社勤めの時に、勝どき橋の辺りに住んでいたので、
この映画に出てくる景色が、自分の過去とオーバーラップ。

人生には消去法の選択ってのがあって、消去法と聞けば
消極的な選択に思えたとしても、それしかなければ
積極的選択になる。だから、何をどう選んでも、
選択している時点で人生を積極的に生きているんじゃないかな、
と見ていて思いました。

零くんも、他の登場人物も、みんな積極的に生きている。

オンタイムで迷い、悩んでいると、俯瞰できない。
何手先を読む棋士でさえ、人生に悩むよ、というのが暗喩に感じます。
答えは無い、だから生きて進んでみるしかない、みたいな。

若い人達が悩むのと裏腹で、おじさん達は明るい~、大らか~

将棋連盟の神宮寺会長だって、昔は同じく道に迷っていたはず。

なのに、今ではあのいい加減=いい塩梅。

時が解決する問題は、
きっと、人の意識の部分が大きいかなと、改めて感じます。

悩んでいることの真ん中にいる限りは、そこから離れられませんが、
視点を変える、受け止め方を変える、つまり意識を変えると、

事態が変わるのではないでしょうか?

私の場合、深く悩んで惑っていた時は、「自分が主人公」でした。
今は、誰もが等しく主人公なのだと思うようになり、

相手に共感と愛情を感じることが激増し、世間への信頼が増え、

人間関係が楽になり、すっかり神宮寺会長レベルです(笑

一緒に映画を見に行った友人とメールで感想会。


孤独は誰しもが感じているもの。
私達はお互い独身だから物理的にも孤独よね。

だけど、1人でいいから、友達(理解者)がいたら救われる。

そして、孤独は悪い訳でもなくて、

孤独だからこそ、相手を思いやれることもあるよね。


孤独は、相手を受け入れるための人生の仕掛けかも。
しんどいけれど、これがあるから、相手を受け入れて
自分の不足感を解消できるような気がします。

映画後編で、各人の孤独が昇華され、気持ちよく終われることを期待。