誰かの記憶に残る人生

先日、木彫人形の「なまず先生」を納品した方から

なまず先生が亡くなってしまったとメールが来た。


文面から、何故、どうして?と

困惑している気持ちが溢れ出ていて、

返信したくても言葉が浮かばず。


あれから数日後、本日顔を見せてくれたその方と雑談。

思い出しては涙が浮かぶようで、目が赤い。


「あなたみたいに、惜しんで泣いてくれる人がいるなんて

なまず先生はとてもいい人だったのね」と言えば

「ほんとうに支えてもらった方で、私も、

あの方のようになりたいと思っています」と

なまず先生との思い出話をしてくれました。

死んで惜しまれるだけでなく、

生きているうちだって、なまず先生は敬愛され

ひとが集まってくるような方だったはず。


私の好きな「ONE OK ROCK」の歌詞に

【誰かの記憶に残るような人生をおすすめします】

というのがあります。

 

最初聞いた時に、

「出来るものならそうなりたいと

誰もが思っているのじゃないのかな?」

と思いました。


誰かの記憶に残るほど、惜しまれるほどになるには、

どうしたらいいのか、ふたつ、確信あり。


相手のことを、自分のことのように、

大事にしてあげること。


いい人的言動ではなく、憎まれ役でもOK。

自分のことのように、というところがポイント。

そして、もうひとつの確信。


受け手である側も同じような感性だからこそ、

受信した時に共鳴して共振して感動したり、

感謝したりするのだと思うのです。

泣かないで、泣かないで。
居なくなってしまったなまず先生は、
泣いているあなたの中に居ますから。

大丈夫、大丈夫、この先何かあっても

また、なまず先生のような方に出会うと思うし、
いずれあなたが、なまず先生のようになると思います。

誰かの記憶に残る人生。
つまりは、出会いを大切にし、
出会ったひとを愛する、それだけ。

件のお客様と同じように、なまず先生の影響を受けて、

それぞれの受け取り方で、あちらこちらに、

大小様々ななまず先生がいる世界。


なまず先生が生きた証。