黒グルミのからのなかに

どなたかが、子どもの時に読んでいたらどう思ったかな?と書いていたので、気になって読んだ本。

店主、妹の肺がんと、例の震災のことがきっかけで、死について、生きることについてよく考えるようになりました。死ぬ時のことは死ぬまで分からないだろうけど、生きることについては気付きが得られたらなと思って、モニョモニョといろんな物を読みあさっております。

母子家庭の男の子が主人公。
母親が自分の死を予感して息子に告げるのですが、息子はそんなの受け入れられない。母親を迎えにきた死神を捕まえ、黒グルミの殻に閉じ込め海に捨てます。

死神が居なくなった世界は死が無い世界。
死なないということは、何かの死を食べて生きている生物は食べることが出来ないし、花咲き実り朽ちるという時間の流れも無くなるということ。

愛する人が死ぬのは、認めることが難しい。
妹の肺がんの時にそれは体験済み。

 

他人事なら「変えられない事実だから認めるのが大人」と言えますが、自分事になった途端「何で私の大事な人が死ぬの!?何で!?嫌だ!許せない!」と感情は津波化するのです。

 

男の子は、死神が居なくなったことで、母親は死なず側にいてくれるのに、みんなが困り果てている状況を目にして、このままではやばいと気がつき、死神を探しに海へ出掛け…という感じ。

津波のような気持ちを抱えていても、これはまずいと気がつくというところ→生きていることは、瞬間瞬間は津波でも、連続した流れとして捉えると、自分以外の人も生きていると気がつく訳で、かつ、母親の無事だけで自分の幸せが構成されている訳ではないと気付く訳で、自分が生きるためにいろんな命を殺して食べていると気付く訳で、死なない世界は生きている満足感が無いと気付く訳で、子どもだけれども死は悪いばかりではないと分かるはず。

でも、私が子どもの頃、そんなこと分かったかは不明(苦笑)なるほど、子供の時に読んだらどう思ったかな?と気になるなと思いました。

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でもやっぱり、身内が死ぬとなると「先生!お願いですから助けて!」と延命措置を願ってしまいそうだし、死ぬことが認められずにウツになりそうだし、死んだら寂しさでもっとウツになりそうです(苦笑