環便り(ブログ)

秋分の日のゼロ

今日は、不思議な事がありました。

当店の電子機器類をつないでいるコンセントはスイッチ付き。省エネコンセント。出勤したら、エアコンをつけ、コンセントのスイッチをオンにするのがルーチン。

 

レジスターの本体電源はOFFなので、コンセントのスイッチがオンになったところで動かないはず、だったのですが、ご覧のようなジャーナルが印字されてにょろり。

 

日付と時間がリセットされ、
ゼロがたくさん並んでおります。

 

テナント大家さんがやらかして、何度か停電したことがある当店。その時に、電話機の日付がリセットされたことがありますが、今回は電話は無事なので、停電ではなさそうな…

 

何しろ、本体電源がOFFのまま、勝手に印字されて出てきたことが不思議。ゼロがたくさん並んでいるのも不思議。

神様が「ゼロから始める気持ちでやりなさい」と預言をくださったのかも、とスピっぽく解釈。分からない事は、考えるのを早々に諦める事で心の平穏を保つのです(笑

 

そういえば、本日は秋分の日。

まさに節目の日。
ここから次の季節が始まる気に満ちている日。

やっぱり神様からの言葉なのかも…なんて思っちゃう辺り、停滞感が強くてミラクルを求めているなと自覚あり。

 

気は心ですからね。

きっといい事がたくさん起こるような変化がやってくるはずと思う事にしました。

 

そして、皆様にも、お裾分け。

このゼロが、より良い変化やスタートをもたらしてくれますように。

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アンジェリク

木原敏江氏の漫画で、摩利と慎吾よりも中二心に刺さった漫画「アンジェリク」も読み返してみました。

ルイ14世時代のフランスが舞台で、宝塚の舞台にもなったアンジェリク。


時代背景も知らないままに読んだ中学の頃、華やかなドレスや縦ロールの巻き髪、羽根飾りなど華やかさにくぎ付けでした。

朝の連ドラみたいに、テンポよく事態が動き、事件が起きて、恋はすれ違う。宮廷ならではの陰謀に翻弄されたり、運命のいたずらもありで、山谷起伏が息をつかせない連続だった記憶。

 

40年振りに読み返したら、何だか当時感じたようなわくわく感が皆無で、この世界感からはとっくに卒業していた模様。神の目線で起こる悲喜を淡々と眺めている自分。ただ、その事が、自分的にはいいことに思えて、寂しくはありませんでした。

 

絵面は、褪せることなく、超絶華やかで美麗でした。

 

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摩利と慎吾①

萩尾望都氏の自叙伝を読んでから、思い出したように思春期の頃にハマっていた漫画を読み返したくなり、ポチッたひとつが、木原敏江氏の『摩利と慎吾』

 

50代になった今読むと、思春期の頃とは違った物語に読めるのが不思議。当時のわたくしは、男に生まれたかったといつもどこかで思っておりました。同い年の女子達の感性についていけず、どこにも所属できずに困っていたなと思い出します。いっそ男子だったら、気楽だったかなと思っておりました。

 

 

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一度きりの大泉の話

萩尾望都と竹宮恵子、どちらも私が熱中した漫画家でした。
数年前に、竹宮氏の自叙伝を読み、萩尾氏も自叙伝を出すと聞いて、読んでみたいなと思っていたら、読んだ方から「ちょっと意外な内容で、かなり重たい気分になった」と聞いて、恐る恐る読み始めました。


ページ数ありますが、オンタイムで作品を読んできた読者である私には、時代背景や空気感がリアルに思い出され、懐かしさもあり、引き込まれていきます。

 

「意外な内容」というのは、同時代に描いていた二人が、一時大泉で同居までしていた二人が、どうやって没交渉になったかその経緯でした。

コロナ下の時間、なろう系を読み込んでる私には、悪役令嬢の断罪ざまぁ的な「イベント」を傍観した気分もあり、前評判ほど暗さも感じず、ただこれを書いて萩尾氏がスッキリできたはずもないのは分かる。

 

文中にもありましたが、本人同士がそれ以降弁明しあうことなく、萩尾氏に至っては接点を持たないように掲載誌を選んだりもしています。没交渉のまま今に至るため、萩尾氏的は「どうしてかは分からない」でも、周りの人が感じていたことや、周りの人が竹宮氏増山氏を見ていて知り得たことが、その方の解釈を伴い萩尾氏に伝わる事もあり、多分そういうことかなと解釈つけて、自分の中では始末をつけて、分からないのは分からないままなんだけど、自分の作家人生を歩んできたよ、的な。

 

分からないながら、萩尾氏は本能で傷つき、きっと自分が悪いからなんだろうとまず自分を責めます。相手があることだし、自分だけ悪いなんてありえないと思いますが、若い心は自分を追い込みがち。ストレスからくる心身不調、自分ではどうしようもない状態、私も燃え尽き症候群や鬱の経験がありますから、辛かったろうなと思い入れてしまいました。

私は小学校の時に、自分では何も出来ない事がもどかしく、世の中に絶望感しかなくて、老成した子供だったから周りの友達が幼過ぎて馴染めず、学校がつまらない。それなのに、あと何年も学校に通うのかと思ったらまた絶望が深まり、この苦しみからいつになったら解放されるのだろうかと、永遠に続くかのような辛さを感じたことがあります。若い時間は過ぎるのが遅い。1年が10年にも相当する感覚を私は知っているので、萩尾氏が50年抱え続けた思いの重さに、辛かったろうなと思い入れてしまうのです。

ひとつ思い浮かんだのは、世代の『奥ゆかしさ』

相手が悪くとも、心の中では罵詈雑言だとしても、外には相手を責める態度は出さないことが大事だった。萩尾氏は私よりも年上世代だから、余計と第三者にその気持ちを告げることが憚られた世代かなと。だからこそ、この内容、萩尾氏は思い切ったなと思って読みました。

萩尾氏が、理不尽な爆弾に被弾し、そこから立ち直るというより、解決も出来ない内容だから抱えたままで蓋をして、時間が薬で衝撃を薄めて忘れていく訳です。重しのようにぶら下がる過去の出来事に、納得もないから昇華もないまま。自分の人生がそんなものに引きずらる事への怒りもあったと思うんですが、文中からは伺えず。でも、折々かすめて辛かったろうなと思います。

 

その気持ちは、でもどこかに出ていたはずで、当時を知る友人でありマネージャーの城章子氏の文中で、岸裕子氏が「絵柄が変わったから。登場人物の目が怒ってたの」と記憶していたとありました。私は、そこまで明確ではありませんが、違和感として「変わった」と感じていまして、あれはそういうことだったのかも!とゾクゾク・・・

ある時から萩尾先生の作品は、中に入りたくても入れない膜が張られてる感じがしておりました。光る軌道を駆けていくような速度感もあって、膜の中には入れない、でも美しいから見ていたい、でも速いから置いて行かれそう、待って、待ってと才能のほとばしりが眩しくて怖いほどになったのが、ちょうどあの頃だったなとゾクゾク。

竹宮氏の自叙伝には、増山氏の存在がいかに大きかったか書かれていましたが、そういう存在に出会えた偶然が羨ましいなと思って読みました。高め合える同志、いいなと思いましたが、その陰で萩尾氏が二人の身勝手な思いに被弾していたとはと思うと複雑。

 

あの被弾イベントがなかったら、萩尾氏の作風はどんな変化をたどったのだろうか…考えても仕方ない話。スピリチュアル脳に「あれも今のあなたには必要な出来事だったんだよ」と言われたら、私なら「邪魔な荷物なだけで要らない!欲しいなんて言ってない!」と沸騰しちゃうと思うから、もうそれは考えないことにします。

 

私は『自分が頑張っても出来ない事を軽々とこなす才能』『かなわない才能』に出会った時の憧れや嫉妬や恐怖も体験済み。自分が竹宮氏ならと妄想しちゃうのですが、没交渉を貫いて、着々と萩尾望都の世界を構築し続けるのを見ては、突き刺さるような、焼けつくような気持ちを抱え続けたのではないかなと思うのです。そういう相手にこそ、認められたいと思うはず。

でも没交渉=無視され続けてきた訳でしょう?

それも自分と増山氏の一時の激情で凸ったことがきっかけで、本人達も覚めた頃には、あれ?ちょっと間違ったかもと思った後悔がやってきても、相手の萩尾氏が言い返して来たり、ギャースカもめる方ならまだしも、静かに身を引いてしまったものだから、取り付く島を見失う。

竹宮氏の自叙伝は、きれいでした。美意識の高さに見合うように、頑張ってきた方だと思いますから、萩尾氏とのもの別れの経緯は、汚点扱いだと思うし、萩尾氏がどう反応するのかは時間が経つほどに怖くて仕方なかったろうなと思います。果たして、読んだだろうか。知り得る方法はありませんが、もし読んだとして「やっぱりな」って、思ったろうと妄想しております。

私からしたら素晴らしい才能達、出会った偶然は奇跡。

それぞれ偉業を成し遂げているけれど、傷が残っていることが運命のいたずら的皮肉に見えて、生きていくってどうしてこう棘が落ちてるものなんだろうかと思い、自分が蓋をして忘れてきた「理解できなかった人や感情」がよみがえってしまい、読後気分が落ちております。

 

まあでも、あんな凄い方でさえ何かしら抱えていたことを知り得たことは、生きることへの勇気をもらえた気にもなります。伯母から「いくつになっても悩みは生まれるし尽きないし悩む」と私をなだめたことがありまして、誰にも当てはまるもんだなと思えたら、大人だからこうあるべきという自分縛りが解け始めたのですが、またここでもその真理を垣間見た気分。人はその人が抱えられるだけの悩みを抱え、その悩みでその人を磨く。

 

もっと楽に生きられたらいいのに、そうならないようになってるみたい。とも思う。

 

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文中に木原敏江先生の名前を見た時に「摩利と慎吾」を思い出し、あの作品の終盤、私にとってはあまりに苦しい終わり方だったので、あの苦しさを思い出して叫びそうになったのに一番驚いてます(引きずってたらしい

 

あんなに一緒に育って成長してきた主人公達。いつしか摩利は慎吾に恋こがれ、慎吾は熱い友情は感じるも恋ではない。擦り合わない、すれ違い、大人になる過程で別々になり、戦争でどっちも死んじゃう。同時刻に死んだ二人の魂がそこで笑顔の再会(だったっけ?)

 

私は摩利の立場で読んでいたから、報われない恋を引きずり、好きな相手に好きな人が出来て追いかけていってしまうのを見守れるもんか!と思ったし、摩利の恋は叶っていないし、幸せな終わりに思えず、残っていたみたいです。あの当時、私も若いなりに片思いもしていたし。摩利の恋が性愛含みで余計複雑だったから、リアルの成就は難しい設定だからこそ、漫画の中ぐらいでは叶えてあげて欲しかったみたいです。

で、ひとしきり苦しい思いを思い出してみて、あのまま苦しい恋を抱えて、誰とも真実より添えず生きる時間は、摩利には地獄だったかもしれないなと思いました。死んで楽になれたのかもなと。

 

そして、死後の世界では、慎吾の魂と混じり合い一つになってしまえば、もう慎吾から選ばれなかった自分は無くなる。慎吾に愛されたいも無くなる。一つになれば自分しかいなくなるもの。だからいいんだ、なんてスピリチュアルっぽいことを考えたら、少し胸の苦しさが取れました。

 

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その言葉、誰得

私が開業した頃は、店員にあれこれと説明されるのがうざい、放っといて欲しいという風潮がありました。百貨店のような丁寧な接客が売りの店でさえ、張り付いてくる店員がストレスフルだのと評判悪かったものです。

店員を面倒な言葉を交わさずに買い物が出来る店が望まれているということで、「読ませて接客ゼロ、店と客がwin-win、POPを書け!ブログを書け!」的なビジネス本がたくさん出ていた記憶。派生で、手書きが温かみあがるとなれば、筆文字POPの書き方みたいなものまであった気がします。

(POPの書き方セミナー、筆文字メニューの書き方セミナーと、どんなことでもお金儲けの種に出来る人々に逞しさを感じたものです。あの頃、ああいったセミナーで稼いでいた方は、今もやってらっしゃるかしら…笑)

 

私もまだアラフォーで、感覚的にはそっち側だったから自分の店もそうあるべき、と思って見ておりました。

 

ところが、開業してみたら、江古田の皆さんは真逆で、よく知らないと良さも分からないとばかりに、お客様の方からあれこれと聞いてくるので会話するのが当たり前で、開業前のアレは何だったんだ、ぐらいのギャップ感。

 

「ごめんください~」→昭和な挨拶、久し振りに聞いたかも、死語かと思ってた、、、

「ちょっと見せてくださいね~」もう、嬉しくて「はいどうぞ!いらっしゃいませ!」

 

これが、中高年だけでなく20代30代もぱらぱらと使う方がいて、凄く救われたものです。

 

想像してみてください。

黙ってやってきて、黙って店内ぐるぐる歩き回り、黙って品物を触ったり、感情も見えないまま黙って帰っていく人…そんな方と空間を共有している間の私の緊張感(苦笑)そういうのを予想していたら、いい意味で裏切られ「見せてください」って笑顔でやって来られると、こちらも精一杯接客して差し上げたくなるじゃありませんか。

江古田で開業して、本当に良かったと思ったものです。

 

ところで、「見せてください」と似た言葉で「見るだけだけどいいですか?」と言いながら入ってくる方がたまにやって来ます。聞くたびに、微妙な心持ちになる嫌な言葉。

 

「買う気は無いが見たいので見せて」と私には聞こえるもので「そんなの嫌です、絶対ダメです」と言いたい(笑
だがしかし、言いたくても言える関係性ではないので「いいですよ」と肯定するしかないのです。

 

私の妄想では、「見せてください」はいい表現だなと思ったので真似してみたが、間違って本音だだもれな言葉使いとなり「見るだけ」が生まれたのではないかと思っております。残念ながら、お店側からすれば「この人と接する価値はあるのか?」と身構えさせる言葉使い。小売店はモノを売って儲けないと食べていけないお商売なのに、それを否定されるようなその言葉、呪いの言葉のようじゃないですか。

 

「見せてください」の方だって、本音では買う気が無い可能性大なんです。
買わないかもしれないという余白を残しながら、こちらへの興味を伝えているから、高度な言葉使いだと思います。

だって買うかどうか見て見ないと分からない、だから見るだけって何が悪いのと言われそうですが、

本音はいつでも、どこでも、何度でも、垂れ流していると人間関係の摩擦となります。だから大人は人を選んで本音と建て前を使い分けるのです。

 

飲食店の友達に「食べる気ない人はまず来ないから羨ましい」と言えば、

美容室や整体の友達に「予約商売ってサービス受けたい人しか来ないからいいな」と言えば、

「来て欲しい人や来て欲しい数が来る訳でもないんだから、おんなじだよ」と笑われます。


お商売に限らず、小売店にとっての「見るだけ」に相当する言葉使いでモヤッとする場面はあると思います。

みんながどこかで誰かに「言わなくてもいい言葉」を投げたり、投げられたりして、ちょっとずつ不愉快を貯めてるのはよろしくないと思います(爆発、キケンw

自分の言葉使いに少し気を付けること。

それで周りの人が気分よくひと時過ごせるなら、そこを頑張ってもいいと思います。

 

若い時は出会いも多いし、周りの人間関係が学校、仕事、趣味、などなど、チャンネル豊富なうちは、相手から刺激を受けたり、試行錯誤もするから自然と変化・改善されていく気がします。問題は、中高年。人間関係が固定化されて、新しいインプットが減ると、変化のきっかけが減りますからね。私も、50代半ばに差し掛かりましたから、気をつけないとなと思う今日この頃。

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ただ生きるだけでいいのかもな

植物展を見た後に、多肉植物が他の動植物にどんな影響を与える存在なのか、気になって調べております(まだ調べ中

植物展では、虫に蜜を与える代わりに虫を使って受粉する植物や、何かに寄生して光合成もせずに生きる植物の紹介がありました。

同じ空間、同じ環境で生きるもの同士は、本人が意識する/しないはあっても、何かしら関わり合う相手の存在が必要なのではないかと思うのです。

 

食物連鎖が存在するからには、生きとし生けるものは、誰かのためにある命。だから「自分ひとりでは生きていけないし、生かされている」という仏教的な考え方に馴染んでおります。

 

そもそも、多肉植物はどうしてこんな姿なのだろうかとググってみて、石のように見えるのは「石に擬態」しているのだと書いているサイトを見つけ、なるほどな~!とヒントをもらいました。

 

そのサイト「結晶美術館
画像がいいだけではなく、中の人の文章が楽しいので、暇な時に眺めまわして欲しい素敵サイトです。

 

この方、多肉植物をスライスして食べてみたとあり「食物としての利用」の可能性まで気付いてしまったわたくし。そっちの線も含めて、図書館のリファレンスに依頼中(他力本願

 

ところで、

リファレンスの結果が待ち遠しいなと思う間に、

「あれ?私もしかすると思い違いしているかもな」と浮かんだことがあります。

 

生き物は互いに影響し合って生きている前提でリファレンス依頼をした訳ですが、

生き物はそれぞれの種の保存、遺伝子を残すために生きているだけで、

他の植物や動物との関わりは花粉媒介などメリットがあるから関わるだけで、

自分だけがいかに命を繋いでいくか、それしかないのではなかろうかと思いついてしまったのです。

 

(私の設問設定がおかしいせいで、関連図書が見つからない可能性もありますね‥)

 

人間は、家族、友人、隣近所、同僚、社会と、自分の所属する集団との関わりの中で生きているから、誰かに好かれる、誰かの役に立つ、誰かに必要とされることが生きる必要条件のように感じていますが、十分条件でしかないのでは?と思いついてしまったのです。

 

ただ生まれるだけ、生きるだけ、生き延びるだけで、命の目的は達成なんじゃなかろうかと思いついてしまったのです。

スピリチュアル系の「ありのままでいい」は何だか欺瞞を含む言葉に思えていたわたくし。

だって、そのままで良くないから他人と衝突もする訳で、どこかしら譲ったり変えたりで社会生活を生きて来た経験から、何だか言葉足らずな表現に、現実をどうにも変えられないで困っている人が飛びついているように見えて、こういう言葉が返って人を遠回りさせるように感じていたのですが、私の解釈が間違っていたのかもなとも思いました。

 

 

生まれた意味、生きる意味。

無いものを探しても見つからない、自分探しは無いものがあると思うからいつまでも終わらない。ループから抜けた私だからこそ、ただ生きるだけいいという思い付きが、真理に思えて仕方ない。

 

最近、国としての枠が崩壊しかけているアフガニスタンのニュースを見てゾッとしています。タリバンの下では常に殺される予感と隣り合わせ。死にたくないから飛行機につかまって何とか出国したいと落下する様子を撮影した動画を見て、悲しくて涙が出ました。どんなに悲惨な環境や情勢になろうとも、その土地に居る人はそこから出られないなら、そこで生きていくしかない。

 

アメリカの撤退はアメリカの都合を思えば正しいと思います。アフガニスタンも、いつまでも自浄できずに賄賂や汚職がまかり通るような状態が続いてきたのだから、よそのうちの問題にアメリカはもう付き合いきれないと手を離した結果、自立できないアフガニスタンはあっという間にタリバンに制圧されてしまう。先日はISISの自爆テロの報道もあり、これから現地でどんな非道な事がイスラム原理主義の正義の下に行われるのか、暗澹たる気分になります。

 

多肉植物も、乾燥地帯で身動きできず進化して今に至る。

死に絶える前に、水が低きへ流れるがごとく、生き延びる方向を見つけてそちらへと進んでいけたらいいのだけれどと祈るばかり。

 

コロナが心配だろうが、日本は基本的に平和で安心して過ごせる国。

なんていい国に生まれたんだろうかと自分のラッキー具合を思います。

 

10年前、東日本大震災を契機に自分の生き方を変えたわたくし。

あれから10年目、コロナ下の世の中と多肉植物の生き方とアフガニスタンの崩壊をみながら次の生き方に思いを巡らしております。簡単に答えに行きつけずグルグルしておりますが、目的を設定せず、ただ生きるだけでもいいのかもなと、自分のこれまでの人生で培った地力を信じて生きてみるでもいいのかもなと思い始めております。

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龍とそばかすの姫

※ネタバレガンガンです。

 

散文的な感想。 

 

丸めた表現やファンタジーでミラクルな展開で、夏休みの中高生向けの映画っぽい。

 

同じ監督の作品『おおかみこどもの雨と雪』を見た時も、細かい描写というより、象徴や比喩を見つけ、推して計る感じだった。大筋は描くがディテールや解釈はぞれぞれに考えさせるような、その人の心の中にあるものが反応する、余白のある表現を心掛けている方なのかなと思う。

 

1から10まで説明して欲しい人には無理な映画かもな。

5なり8なりで、分からない部分があるとしても、相手の全部は分からないものだし、自分の全部を知って欲しくても伝えられるものでもないと分かっていれば、そんなもんかと思えるんじゃなかろうか。少し優しい目で見ないと理解が追い付かない映画かもしれない。

伝えたい内容は分かるのに、好き嫌いがはっきり分かれそうだと思った。

 

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主人公、「え~!?」「わ~!」「あ~!」って感嘆符だらけの声の演技が多い序盤、何だか必要以上にわーわーうるさい気がしてイライラしっ放し。

でも、母親を亡くしたいきさつや、父との関係性、学校での立ち位置と、現状把握が終わる頃、自分の思春期を思い出した。

 

自信はないがプライドが高い。

他者の評価が気になる。

思い込みが激しく、妄想と現実がないまぜ。

繊細で些細なことで傷つく。臆病。

自分を憐れむ。他者に厳しい。

純粋で優しい。

愛し愛される相手を夢見る。

自由になりたい、いま不自由だと苦しく思う。

誰もが凄いと思うような何者かになりたいと夢見がち。

ほんとうは○○したいのに出来ない自分に対する劣等感(明日から本気出す

 

いろいろ浮かんできて、理解不能な不安定な存在が思春期だったなと思い出す。

自分を的確に客観視する言葉を持たず、言いようのない気持ちを抱えて時々叫びたくなったり、叫ぶ代わりに泣いてみたり。支離滅裂。

ああ、そうだったなと思い出せたら、友達とのやり取りでは常に感嘆符だらけの声がすとんと来たし、声を発しない父親とのやり取りやひとりの時間との

対比も明確になってきて、演出の味を感じる。

 

「U」の世界観も面白く感じた。私の世代は、固定電話から携帯電話、携帯の小型化、スマホへと、進化の過程を短いスパンで見てきているから、いつかやってくる未来として現実味を感じる。もし実現したら、私もUに登録したい(笑

いまあるSNSの問題点がコンパクトに表現されていて、それが前提となり、多くを語らずともUで見かける出来事や主人公の身に起こる出来事が腑に落ちる一方、もう一人の主人公の竜の謎が深まる感じで、うまい作りだなと感心。

竜の正体が分かった時に、予想を外してたもので、そういうことか!とハッとした。
現実世界に対して、Uは仮想空間だからファンタジーの世界。虐待の暴力が、アバターの背中の痣模様に変換されて増える、苦しむ様子とか、ああそういう事だったのかと分かったらどこか痛む感覚を覚え、切なくなった。

 

現実世界とUという仮想空間、ファンタジーの世界との行ったり来たりで話が進むのだが、徐々に現実世界側もファンタジー的な展開になっていって、竜の正体を見つけて、竜に自分を信じてもらうために身バレして、ちょっとの映像資料から場所特定し、深夜バスで高校生の女子ひとりで東京へ行かせる大人達に、それで竜に再会して竜の虐待父と対決、帰宅し自分の父親と歩み寄る…ちょっと都合がよすぎる。

 

リアリティ崩壊な妄想過多展開に違和感。

大人の脳内補正で「きっとこういう事」と飲み込む。

だって、きっと最後は幸せに終わらせたいのは見えてるし、端折ってるんだと明らかなので、未回収で気持ち悪いと言いたいが最低限「こうなればいいのに」という方向へ持っていってくれたからヨシとする。

 

深夜バスで一人で上京というのは、変だけど、私的にはネット上の誰かに呼びかけ、誰かが動いてみんなで繋がって助けられたね、という解決だと、自分で一歩が踏み出せず変われずこもってしまっている主人公が、本当に変われないからダメな方法だと思うので、不自然だろうがあれがベストだと思った。

 

失敗を恐れず、何も得られないかもしれなくてもいいから、まず行動することでしか得られないものは多い。机上の空論は役に立たない。汚れたり、疲れたり、しんどい経験の先に見つけたものの手応えの大きさが自信になる、身につく。

 

だいたい、事実は小説より奇なりな人生は普通の人でも結構ある話で、個人商店やってて人の身の上話をたくさん聞く立場になったら、その事に驚いたし、普通の人が一番面白いと思うようになった。だから、不自然だと思ったが、私の中では、起こりうる可能性のある現実でもあり、ベストに思えた。

 

すずにフォーカスするだけではなく、竜のターン、弟君のターン、黙って見守る父親のターン、と個々にフォーカスした表現したバージョンも見てみたい。弟君がさらっとした脇役だったけど、小さい子ながら虐待父への思いや亡くなった母への思いや兄を助けたい思いや弱い自分に対する思いもあったと思う。思えば、すずも複雑だけど、竜兄弟も複雑。すずはそれでも愛されて守られているが、竜兄弟は逆、虐待生活。対比は対比としてもっと表現しても良かったなと思う。

 

ああそうか、すずは、自分が愛されて守られている事を知っているのに孤独だったんだろうな。竜に自分と同じ可哀そうな部分を見つけちゃったんだろうな。どんどん妄想膨らむ(笑

 

音楽は、歌は、凄く上手で聞き入ってしまった。

また素敵な歌手を見つけられてうれしい。

中村佳穂さんの声の色の美しさは誰かに似ていると思ったら、宇多田ヒカルさんのデビュー当時を思い出した。他にない艶感、伸びやかさ、当時同年代の誰とも似ていない、誰よりも引き込まれた色だった。あの時の引き付けられた感じと、中村佳穂さんに対する感動は似ている。

 

歌詞もストーリーの解説に凄く役立つ。

私は残念ながら音楽が流れている時は言葉も音として捉えちゃうので意味が入って来ないという特殊スキルの持ち主。歌詞はテキストとして眺めてやっと理解。「歌よ導いて、どんなことが起きてもいい」今足踏みしている自分の状態は、例え悪くなろうが違う自分違う世界が見たい、維持よりマシって思うほど今が苦しいってことか。 

 

後で、HPを見て、ヒロちゃんが幾多りらさんだったと知り、キャラそのもの、上手だったな~と納得。歌唱力の高さ、間の取り方の天才的なうまさ、それがそのまま声の演技にも出てたなと思う。ルカちゃんの玉城ティナさんも素敵だった。優しい声。安心感ある。

 

私はあの中で一番友達になりたいのはカミシン。

私は迷路のような思春期だったから、自分のやりたい事がはっきりしていて直線的に向かう明るさが羨ましかったから。

 

しのぶくんは学校のアイドルだけど、若いのに老成しすぎてるな。小学校の頃からおかんのように見守り続けてきたけど、そろそろ本気出す的なかもされると、執着心強そうな男に見えて、二次創作的なこと考えて笑った。

 

まあ、みんな幸せになる方向へ。

観客の側も、いろいろあるだろうけど、問題乗り越えて、みんなで乗り越えて、幸せの方向へ。

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植物 地球を支える仲間たち

上野・国立博物館でやっている特別展「植物 地球を支える仲間たち

何の気なしに見ているだけで4時間近く経っていて、びっくりしました。そのぐらい楽しめました。

夏休みの子供を意識したような展示紹介は分かりやすく、一方で、解説が非常に簡略的なもので、何で?どゆこと?がとめどなくわいてきたもので、後日図書館で関連図書探そうと思い、疑問メモを取りながらの見学。

知りたいという欲求、知識欲、とても心地よい刺激。

 

最近は、撮影可の展示が多いので、メモ代わりに撮影できるのはとても便利。

 

入場数を制限しているので、どの展示も人垣が薄いからじっくり見る事が出来、同行した友人と、気付いた事を話し合ったり、楽しかったもので、トイレ休憩したいと足を止めた時に時計を見て、入場から3時間過ぎているのを知り驚愕です。

 

それほど楽しくて、時を忘れていた訳です。

 

日本では見られない植物ばかりなので、産地はどこか、その立地からどんな気候かを思い出して解説を読んだり、妄想したり(笑

繁殖戦略や進化や分化の流れ辺りを知るのは大人も楽しめるはず。

食虫植物はいろんな属が進化の試行錯誤で食虫という方向性へたどり着いてるとか、近い属でもないみたいだから、どうして同じ結果を目指すに至ったのか、過程を研究している方もいるのだろうな…何しろ果てしない分野だな~と思い始めた頃、展示の終盤に研究者の紹介コーナーがあって、密かに感動して涙ぐんでしまいました。

不思議だな、知りたいなと思った事柄、着眼点がみなさん独創的。
社会的な有用性は分からないものもありますが、でも経済的に有用かどうかは学問としては意味を成さないんだと思います。生命の不思議、進化の不思議、知りたい、解き明かしたい、分からないままで生活は出来ますが、分からない事が分かった時に、そこに光が当たってその更に先が見えてくる、そんなイメージが浮かんできました。

 
学問て、専門だけ、専門バカでいられることは現実的ではないと分かります。

関連する事象の網羅性が必要で、総合的な知識がなければ、専門性の深掘りもできない。どれだけやっても終わりが見えない、学問の深い沼を感じてしまう(苦笑)

 

成果が目に見える形になるまでの時間を予測しようがないような研究も多いだろうなと思うのです。植物相手だと、1年に1回、数年に1回しか実験の結果が明らかにならないものもありそうですしね。

 

私にとっては、モチベーションを維持するのが難しい仕事に見えるのですが、こういう仕事が大好きで、こんな事が分かったら面白いし凄いよね!と続ける誰かの存在に多様性を感じ、だから人類は発展してきたんだろうなと思ったり。

 

私は大学の時に都市計画について勉強していましたが、結果が出るまでに自分の人生だけでは足りないかもしれないと思ったら、やった成果がすぐ見える仕事をしたいなと思ってメーカーに就職しインテリア関係の設計を選びました。

 

私と同じ感覚の人ばかりだと、判明しない謎がずーっと謎のままの気がします。

 

私には出来ないことをやってくれている研究職のみなさんが、とても有難い存在のように思いました。

そして、それぞれの方がいやいやでは続けきれない研究をしている辺りに、夢と希望を感じます。

研究職をもっと応援するべきじゃないかなと素直に思った次第。

 

 

地球を支える仲間たち、というタイトルが、植物と研究者の二重の意味に思えました。

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開く方へGO

きれいに晴れた夏空の日、上野・国立博物館でやっている特別展「植物 地球を支える仲間たち」を見てきました。

 

こういう青い空を見ていると、吸い込まれて空へ飛んでいけそうな気分になります。どうも、心がここではないどこかへ行きたがっている今日この頃。

 

こういう予兆は人生の中で何度かやってきたもので、箱を借りてお商売している私には結構危険な予兆。このまま自分が欲する何かがここで見当たらないと確信してしまったら最後、今まではその時の全てを力の限り切り離して、退職したり、転職したり、引っ越したりという恐ろしく労力とエネルギーを使うライフイベントを引き起こしてきたんです。

心が次の未来へ引っ張られて、古くなった場所にもういられない、居ても立っても居られない精神状態になっていくという厄介な人生の癖(へき)を抱えている自覚あり。

 

弱小個人商店を構えるに当たり、『場所に縛られることが障害にならないか』が最後まで踏ん切りつかない悩みのひとつでした。

 

これまで就いた仕事は、国内・海外とも出張が多い仕事で、長距離を移動する感覚がとても好きでした。空間的に広がっていく方向性、ミクロよりマクロな方向性が好きでした。でも結局どれも嫌になって辞めちゃった訳で、次は違うやり方で幸せになろうと決めて自営業始めたんだろう?と自問自答。今回は手元に残したまま、新しい何かを手に入れるように、人生の悪癖をひとつ減じることを頑張ってみようと思ったり。

 

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風に秋の気配

出勤したら、ご近所の「えごたの山賊」さんと店の前ですれ違い近況報告。山賊さんは介護中で、まあハードな毎日なので、労う言葉しか出ない・・・言っても仕方がないもので、丸めて、大人もいろいろあるよね~という雑談。

 

子供の頃は、「大人はいいな、学校行かなくていいし、自由に決めて、自由に出来て」と思って羨ましかったものです。

 

大人になってみたら「子供は勉強だけしてればいいし、働かなくていいから楽で羨ましいよ」と思うこともあり、なってみたら、大人も楽じゃないというのが本音。

 

両方経験してみたから、子供だろうが大人だろうが、『今が楽しく幸せじゃない事が1番の不幸』に感じます。

 

みんな100%を求めている訳ではないんですけどね。ちょっとずつ不足感が積み重なって、足して100になる頃に、グッと落ちるのかもしれないな~とふと思い浮かびました。

 

どなた様も、100になる前に、少しでもきっかけ見つけて浮上できるといいな~なんて、風に秋の気配見つけておセンチ。

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シェフレラの実

隣の西村文具の駐輪場の片隅にうち捨てられているシェフレラに実がなっておりました。花が咲くまで20年以上必要ということで、初めて実を見た気がして、思わず撮影。

プラスチックの鉢をぶち破り根があふれ、丈もどんどん伸びて小山のようになっているこの株。剪定もしていないから、やたら葉が重なり茂り、西村さんは処分したいと思っているそうなのですが、こんだけ元気がいいと植物たりとも命を奪うのがしのびなく、放置し続けている模様。

「環さん、欲しかったらあげますよ」なんて言われて、「大きすぎるから結構です」と断った記憶。西村さんて、冗談好きなんです。

 

花言葉は「真面目」「実直」

西村文具にぴったりあっているように思います。

 

風水では安らぎや幸運を招くとされる植物ですから、こんなに育っているということは、西村文具は安泰ではなかろうか(笑

 

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変化朝顔展示会@日比谷公園

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惰性とさよなら

星占いで、今年の7月中旬頃まで断捨離のタイミングとありました。

昨年は「モノの断捨離」を進めたわたくし。10年来、何か不便だけどまあいいかと過ごしてきたことを改善することが出来まして、まあまあ満足していたので、更に断捨離となると「習慣」の類しか思い浮かびませんで、休業協力中にあれこれ考えてみました。

例えば、飲酒。

味を楽しむという点で好きだし、酔っぱらうのも楽しいが、若い頃に比べると、飲んだ後に体調が悪くなることも増えました。

 

習慣なので、長らく続けてきたからには、その間にたくさんのいい記憶と紐づけがされているので、スパッと止めるところに気持ちが至らないのですが、減らしていくことは今も出来ているので、方向性として無理はなさそうだな…と、そんな感じで自分のお金と時間の使い方を振り返ってみました。

 

楽しさが勝るものは、残す。

惰性なら減らす、無くす。

必要性を感じており、実行頻度が高く、行動自体簡単なので苦痛ナッシング、相応の時間を割いているけれど、その結果が精神の充足感へあまり寄与していないものを洗い出してみたところ、『ニュースなど時事情報の検索と閲覧』が引っ掛かりました。

 

前から薄々感じていたことで、筆者の論説を体系立てて読んで考察できる読書で得られる情報と異なり、時事ネタは有象無象が氾濫しているので、1つのニュースについて10読んで全体像がつかめる時もあれば、50読んでも輪郭しか見えない時もある。


事実以外に憶測飛ばしも多いし、もうそういうのを読み漁って考察するのが楽しいと感じていた時はそれで良かったけれども、コロナ絡みの情報に触れるうちに、自分の現実との乖離を感じて、知る意味がよく分からなくなってきているなと思いました。

 

コロナが怖い病気というのは事実なのでしょう。

よく分からないうちは闇雲に恐れるのも正しいと思いましたが、周り見渡しても感染した人が居ないのが私の世界、現実。

私自身も初期の頃のように何かに触れるたびにアルコール消毒していたのが、外から帰宅したり、飲む食べるタイミングでの消毒のみになりました。マスクは誰かと対面する時以外、徒歩移動の時は外しておりますし、それで罹患せず済んでおります。

 

数が増えたろうがわたくしの現実を表すものではなく、何だかそんな情報を日々検索しては暗い気持ちになっていることが無駄に思えているのに、流通している情報数が多いから、日々目にしちゃうんですよね。それを、意識的にカットしてみました。

当たり前ですがフリータイム増加。

空いた時間は、生産性がなかろうが、やりたいことに使って満足。

最初は、いつものインターフェイス、いつもの顔、いつもの音声が無いことで、少し手持ち無沙汰も感じましたが、慣れてしまった今思うのが、

 

誰かの考えや分析、思いを一方的に聞くのは、疲れるんですよね。

会話なら、エネルギー交換できるから長時間話していてもいいのです。

楽しめますから充足感あります。

でも、文字情報、音声情報、動画、一方通行の情報は、疲れる。

 

今回の断捨離の本質は、疲れることを止める、だったのかもしれません。

自分なりの正解を得られた気がして、満足しております。

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えこだぬき、増殖中

この季節の江古田のお楽しみ『えこだぬき祭り』始まってます。

 

たぬきは、他を抜く、立身出世や商売繁盛に掛かる縁起物。

 

えこだぬきは、妖精やもののけ、付喪神のような存在だと思ってください(設定)

 

ひとつひとつ、形や大きさ、顔も違います。

 

この子がいいなとピンときたら、ぜひ連れ帰ってください。

 

この子と一緒にいるといいことがありそう、なんて気は心、望むことを引き寄せる人の習性を使って、ぜひラッキーを引き寄せて。

 

内緒ですが、えこだぬきのトップブリーダーは、近所のデザイン事務所「虎の子屋」さん。

 

たくさんの方に幸あれと、えこだぬき量産に向けて河原に小石を拾いにいったり、涙ぐましい裏方仕事…

 

近所の小学生達がえこだぬき探しで商店街を走り回るようになると、おばちゃんも楽しんで、宝探しモードでえこだぬきを物陰に隠し置くのです(笑

 

探しものが見つかると、うれしいじゃあーりませんか(決して意地悪ではない(たぶん

皆様も、ぜひ商店街のお店の軒先や店内を、気をつけて見てみてくださいね。

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雑感

梅雨の雨はどこへ行ったんでしょうか(暑い

 

夜のパート仕事、帰宅時間が深夜になるせいで睡眠時間と睡眠の質が今一つ不満足な日々。5月の緊急事態宣言への協力休業は、ちょうどいい休み時のはずだったんですが、パートは継続していたから、夜中働いて明け方寝付くリズムは変わらず。

 

好きなだけ眠り続けてもいいと思っても、明るい時間帯はすぐ目が覚めてしまい、深く長く眠れずに困りました。あれ?これはもしかして、年寄りが眠れないとボヤくあれか?と思ったりして。

 

眠りの質が落ちると、疲れもとれないし、気持ちが後ろ向きになりがち。5月の私は、美味しいものもよりも、娯楽よりも、趣味よりも、深く静かに眠りたい欲が強かった。コロナ前は、マズローでいうと「自己実現欲求」辺りにいたはずが、生理的欲求の満足まで落ちてしまった(笑

 

そんなだから、休店日に出掛ける意欲が減退。

この外へ向かない状態は、私の場合危険なかおり。
鬱っぽくなっていくと、自力で立ち直りにくくなるレベルというのがあって、間もなくそうなりそうな嫌な予感。

 

神様はそんな私に助け船。
新屋山神社参拝の日帰り遠足の話が舞い込み、「行くことで潮目が変わりますように」と気乗りしないまま出掛けることに。誘ってくれた方には申し訳ないが、車中でようやく「ああ、来て良かったな」と気持ちが上向きました(笑


山の木々を見たり、

葉擦れの音を聞いたり、

下界より冷たい空気を吸ったり、

鳥の鳴き声、蝶の飛ぶ姿、川の水が流れる様子、全部変哲ないけれど美しくて良かった。

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私はこうして世界を理解できるようになった

『FACTFULNESS』著者のハンス・ロスリング氏の自叙伝。

『FACTFULNESS』を図書館予約しようとしたら、凄い予約件数だったもので、こちらを先に読んでみました。

癌を患っていて、自分の人生の時間の都合もあって予定を早めてこれを書いたとあって、ちょっとしんみり気分で読み始めました。病気を無くしたいと頑張る方も、病に倒れる。人生の不条理…

『FACTFULNESS』は整理された内容で、ある目的を順序だてて伝えるための文章になっているだろうと予想されるのですが、

こちらは自叙伝なので、ロスリング氏の人生を時系列的に追いかけることになり、訳文ということもあるから、外国人らしい表現方法なのか、最初は冗長感があって読むのが辛かった~(笑

『FACTFULNESS』は話題図書らしい、ぐらいでロスリング氏の著作を読んでみようという動機だったもので、大人になったロスリング氏の思考について興味はあったが、ロスリング氏の生まれや育ちに興味が無かったから、最初は冗長に感じても仕方ない(笑

 

大学生の辺りから段々と、ロスリング氏の人柄が好きになってきます。
自分の興味や疑問に対して素直だし、簡単に投げ出さないし、ひとつ分かると次を知りたくなる探究心。理性的で、感情と切り分けて考えるべき時にはそうする。

モザンビークでの医療従事で直面する様々な出来事は強烈。
人々の価値観も異なるし、求められる医療とロスリング氏が提供したい医療レベルとの格差もあったろうし、困惑することも多かったろう。

 

スウェーデンでは非常識と思われるやり方でも、ここで出来る最善の方法ならやるべきという判断に至ったり、こんなに簡単に人が死んでしまう土地では、出来るだけたくさんの患者を生かすよう救う事が優先ではないかといった、相対的価値観で医療のあり方を考え始める辺りで何ともやるせない気持ちになりながら、ロスリング氏に共感しました。

ロスリング氏だってその考えを受け入れる事に葛藤したはずで、そこは事細かに描かれていないから見えにくいのだけれど、普通に考えたら違う価値観を受け入れることの難しさは想像に難くない。自分の常識が通用しない事に傷ついたろうし、そんな現実が当たり前の人々を思って切なくなったことだろう。何とかしたいと思えばこそ、自分の無力さに落ち込んだろうなと思うと、淡々とした文章に涙しました。

 

共著者のファニー・ヘルエスタム氏があとがきを書いているのですが、そこには本文ではあまり見えてこなかったロスリング氏の怒り、悲しみ、みたいな感情もちょっとうかがい知れまして、やっぱりロスリング氏は何度も何度も、恐ろしいほど打ちのめされたし、その際の彼の痛み方が激痛だったと確信が持て、「この不条理を何とかしなくては」と対決しようとする動機にもなったのだろうなと思います。

大学で教えていた頃のエピソード。

途上国、貧困国の医療はきっと○○という思い込みからスタートすると、間違ったルートで間違った答えにたどり着く。個々人の感情が勝ると、数字という事実からも目を背けるようになる。怖いことだけれど、日常茶飯事。特に、私ぐらいの年になると、社会生活の範囲や出会う人に変化が乏しくなりがちで、そうすると新しい事実を知り自分をアップデートする頻度が緩慢になるのでほんと日常茶飯事。

 

ダボス会議、エボラ出血熱のエピソード。

どんな未来を創造したいか、ビジョンの持ち方が大事だなと感じました。事実に基づいて現状把握が出来ないといけないし、そのためには不確定な情報や伝聞に触れるよりは、定量的だったり定性的な情報に触れて考える事が大事(SNS発の情報に振り回されている場合ではない…

 

エボラの現場では、大国の援助は現地が望む援助と不一致な場合もあり、現地の希望へ変更することが難しい、出来ない事も多い。大国といわず、他者が差し伸べる手は、案外そんなものなのかもしれないですね。

私だって思惑があって行動しているから、相手の思惑と対立することもあるだろうし、そういう時に譲歩したり、譲歩を勝ち取るためにも、お互いが思惑を挟む余地のない情報を元に落としどころを話し合うことから調和が始まるはず。

例えば思惑を1割捨てる、または5割捨てることで、

将来何倍ものメリットが得られると分かったら、その場の思惑を捨てられるだろうか。
(そういう視点で目先の損やリスクを取ることをあまりした事がない)

3年後、5年後、10年後、当初思っていた違った結果が好ましいものだと分かったら、思惑を捨てられるだろうか。

 

そもそも、3年後、5年後の変化の速度が加速している世界だから、情報のアップデートが劣ると予測も分析も出来やしない。今の自分は、劣化した情報を元にして思い悩んでいやしないか、そんなことを思いながら読んでいたのですが、

 

私ごときでもそこへ思い至るような世の中にはなってきているのです。

そこへ思いが至りました。

 

あとは、隠蔽、フェイク、切り取りをなくし、

公表される情報があれば、誰もがちゃんと考えて判断できると信じたい。


エピローグ、エチオピアで開催された会議の場で、現地のリーダーから「あなたの見ている未来、ビジョンはまだまだ甘い」的な事を言われて狼狽する場面が書かれていました。

ズレてるよあんた、という話ではなくて、
現地現場の困っている人々は、一番切実ゆえに変化の速度を加速させたいと願い行動しているんだと受け取れば、未来は明るいし、外からの援助に頼り切るより、自分達で考え行動して成果をあげていくことは望ましいと思えました。

ロスリング氏でさえ、完璧ではなく、それを知っていればこそ精進も出来ると、このエピソードはロスリング氏が「倦まず弛まず歩みを止めず頑張りましょう」と伝えてくれているようで、読後の余韻が心地よいエピソードでした。

『FACTFULNESS』も読んでみたいと思います。

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天手力雄命~取っ払う神様

コロナがここまで長引くとは…

専門家の意見にばらつきがあるし、政府や行政のやり方にも疑問を感じるとなって、私は何を信じていいのか、本当に分からなくなり、世の中が虚しく見えて仕方ないなと落ち込んでいた3月頃。

実家に帰るなんて、何か夢のまた夢。

それは、社会的な空気感と実家家族から感じる空気感もある。実家は実家で、関わる周囲の人達がいるから、コロナに関しては神経質。

 

そしてそれがまたわたくしには息苦しく、悲しかった。

 

一人旅なら、どこかへ息抜きに出掛けられるだろうかと思ったけれど、何も浮かばない自分。自分が思った以上に空虚になってしまっていることに気付き、これは危ないと思いました。

大体、こういう時には神社参拝するわたくし。

神前で手を合わせることは、うそ偽りのない言葉で自分と語るひと時。

 

今まで参拝したことがある神様を思い浮かべるも、ピンとこないので、呼んでくれる神様を探してググってみたところ、

 

目に飛び込んできたのが『天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)』

天岩戸神話に出て来る神様。

 

弟神の須佐之男命(すさのおのみこと)の気のままに繰り返される乱暴狼藉に頭を抱えた天照大御神(あまてらすおおみかみ)、止めても聞かぬ弟神。自分の治める国が乱れていく。惨状広がる様子を見て、天照大御神は、何だかもう、全部嫌になっちゃったんでしょうね。やってられるか!と切れて、天岩戸に引きこもりたくなる気持ちも理解できるというもの。

 

コロナという乱暴者に、抗うすべなく翻弄されて疲れ果てているわたくしと、天照大御神が重なる思いです(苦笑

さて神話では、神々が相談し、何とか岩戸からお出ましいただく作戦を決行。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)が、一節にはストリップのような舞で外野を熱狂させ、その音を聞きつけて天照大御神が外をのぞこうとした時に、岩戸に手を掛け持ち上げて、遠くの山へ投げ飛ばしたのが天手力雄命。

力持ちの神様と言われますが、あちらとこちらを隔てる障壁をとっぱらう神様とも言われます。

ああ、私はこの神様に会いに行く!と決めたのですが、戸隠神社にお祀りされていると知り、移動手段や宿泊先を決め、予約しようという段になり、「コロナだし、普段通りじゃないかもしれないな」と思い浮かび、社務所に電話。3月時点でまだ雪深く、閉鎖されている場所と知りました。

 

危うく行ってみたものの、何も出来ずにとんぼ返りするところでした。

きっと、神様が「今はまだ時期じゃないから!」と止めてくださったんだろうなと思います。

 

その後、ひょんなことから、老眼鏡を作ろうと行った先の近くにある『湯島天神』に天手力雄命がお祀りされていると知り、参拝。

この時も、神様が「ここに会いに来なさい」と流れを作ってくださったのだろうなと思い、訳もなく「大丈夫だ」と安心感をもらって帰宅。

一番心を曇らせるものは、自分の心の中で自分が生み出す闇だもの。
取っ払ってくださりまして、ありがとうございました。

 

私が天手力雄命からいただいた安心感を、皆様にもお裾分けしたく、
コロナ禍の今、不安を投げ飛ばして欲しいという願いを込めて、美彩さんに彫ってもらいました。

力持ちの神様なのでちょっといかついですが、その力強さで折れそうな心を支え、困難に立ち向かう心の強さを分けてくれるはず。

不安という壁を取っ払ってくれるはず。

明るい未来や希望の光を、届けてくれるはずです。

※お迎えしたい方は【こちら】

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数学的思考トレーニング

簡単に答えが出ない迷いごとは、悩み方が間違っているような気がして読んでみた本。私が感情過多で悩んでいる事に気付けたし、感情に振り回されると正しい選択肢さえ見出せないと思いました。

 

中学、高校と「数学を勉強するとこういう時に便利」という事例を先生が導入で話してくれましたが、こういう時にはこの数式使えば「計算が出来る」という内容だったと思います。

 

受験数学は計算のパターンを覚えるだけだったし、社会に出たら電卓使い放題で、公式だって忘れ放題です(数学の必要性薄れる

 

20代の私は「学校で習ったものは社会に出て役に立った試しが無い」とまで言い放っていました(恥 なに、偉そうに、、、

 

この本によると、数学は数を扱うけれど、数以前の『思考方法の訓練』なんだとか。

『はじめに』と『おわりに』がとても印象的な本です。

「正解探し」をやめませんか?

正解なんてそもそも存在しない。

 

日々変化する社会、価値観も変化。

新型コロナが騒がれ始めて以来、この前までの当たり前の暮らし方が変わってしまったのを目の当たりにすると、自他の環境や条件が刻々と変わるなら

 

●「自ら深く、正しく、考える力」が必要で、

「今や正解は探すものではなく、自分で作るもの」

 

「こうすると、こうなるな」的な、「多分きっとそう」的な答えを導き出せたら、人は具体的な行動イメージがわいて、次へ進めるものですよね。この時に、自分と似たことを経験した人の成功体験を参考にして、自分もそうやればうまく行くはずだと思いくなるんですが、それなら全員その問題をクリアしているはずで、その問題は問題として存在していないはず。問題が残り続けて、今回は自分の身に降りかかってきたならば、他者を真似て解決できるなら良し、それで解決できないなら、そこからは、自分なりの解決方法を模索しなければいけないということ。

 

分からない問題の答えを探すのは、しんどいものです。考えている最中はモヤモヤするし、これは自分で解ける問題かさえも分からない気分になっていると、余計としんどいです。だから、答えを導き出す過程、思考の仕方を訓練するのが数学の役割。

 

●数学的思考とは、

まず定義する、問いを立てる質問力、動機だったり自分の求める結果を明確にする。

そして分析する。分析とは物事を把握すること(分解と比較)

それを体系化する。体系化とは、○○はこんな内容だよねと概念化(構造化とモデル化)

 

ぼんやり思い悩んでいる状態→問題は絡み合っていて、答えを出しかねる状態。

悩みや迷いの元を、分解して単純化する。

仮定だから、不可分の領域と思っていることさえも、試しにいくらでも分解してみたらいい。

 

もしも、仮に、と妄想する力って大事だな~と改めて思います。

思い込んでると、分解できるものが分解できないひと塊に思えて仕方ないですからね。

問題Aには、3つの解決方法があるが、それぞれを『例えば金銭的メリットが多い』のはどれか評価してみよう。

『心情、感情的にはどれが好ましいか』で評価してみよう。

 

多分、迷いが長い人は、この時点で損得なのか、心の満足なのか、自分の価値基準の優先をつけず悩んでいる気がします。

私の場合、「愛、信頼、楽しさ」この3点に反する事は長く続かないと経験則があって、損得は心の満足より下位の価値観と線引きが済んでいるので、判断のブレが少ないです。人生経験が少ない若い方でも、自分なりの経験値で、価値観の序列はつけられるはずですから、試しに一度「価値観リスト」を作成したり、「価値観の序列」をつけてみることを私はおすすめしたいです。折々で、内容や序列が変わっていくはずですが、その内自分が確立されていくほどに、変化は減っていくはずで、そうなると迷わなくていい問題は瞬殺できるようになっていくかも(かもしれない程度ですが、、、

 

●人生を変えたければ、定義を変える

真っ最中悩んでいる人には、これが出来なくて辛いはずです。

 

事例で出ていたのが、会社に搾取されていると思うのか、会社という基盤を利用して学んだり楽をしたり会社を搾取するために働くと考えるのか。無理~と打ち消したくなっちゃうのは感情が勝っている証拠だと思います。

 

いいこともあるはずと探す行為、結婚した後でこんな人だと思ってなかったと失望しながら、でもこんなところもあるなと相手を理解していくような、共有してきた時間分は、知っている事実があるんだし、きっと見つかるはずだと思います。

 

●問題を分解し、評価分析できたら、自分が解決できる事とできない事に分ける。

解決できない事は、どうするのか「決める」あとはやるだけ!

 

決めるところまでは納得感が必要だと思うけど、その後はその通りやってもうまくいくのかは分かりません。ここから先は勇気。

 

起業する時、テナント契約した時にスイッチが入り、そこからはジェットコースター。止まらない、やるしかない、と今に至ります。走り出す直前が一番ギアが重いけど、動き出すと、見えてくる景色がいろいろ教えてくれるので、次を決めやすくなる、決断が早くなる(というか、早くするしかなくなる)ので、そのサイクルに入った人は「人生が加速する」「引き寄せ力が強くなる」なんて感じるのかもしれません。

 

●勝ちたいと思った時は、比べることから逃げないで。

比較は差をはっきりさせる行為。

 

定性的な比較で評価しにくい時は、定量的な比較に変換するといい。

→「今の気分」という定性的なものを「10点満点で今のは5点」みたいな感じで評価するのもよくやっていますよね。

事例として、華がある人の「華」とは何かを定義。

華=自信×実績=努力の量、と著者は定義していましたが、私なりに/あなたなりにでこの定義は変わってもOKということです。

世界的な普遍で不変を目指す必要はないのです。私の人生、あなたの人生上で現実味のある定義をしていくことで、生きていけばいいという事かなと思いました。 

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休業延長中

起業10年目だし、コロナ自粛も1年越えて疲れたし、未経験から始めた個人商店の経営をよく頑張りましたねと、自分へのご褒美で月はひと月休むことにいたしました。

きっかけは緊急事態宣言ですが、根のところはそんな感じ。

 

当店、営業し続ける気満々だったので、緊急事態宣言発令直後、古物商が休業協力対象と知り、慌てて都庁の窓口に電話。

 

免許登録はしているが、実態は新品仕入れ商売であり、古物商ではないということを伝え、免許を持っているが休業協力しなくてもいいと確認が取れたので、ホッとしたのですが、ある事がきっかけで転びました。

 

Youtubeで見かけた動画で、大企業の中には、『休業した方が経費が掛からない』ので休んだ方が赤字がマシという会社がある、という内容を聞いたのです。そういう考え方もあるのか、と思って心に引っ掛かりました。

赤字は致命傷としか思えなかったので、『マシな赤字』という発想が今までありませんでしたから。

 

そこへ振り込まれた一時支援金、30万円。

お恥ずかしながら、2月と3月の売上が2019年度比で50%以下になり申請していた支援金が入金されたのです。

 

緊急事態宣言が出るようだと流れた途端、通販へのオーダーがピタッと止まっておりました。

市場は敏感で、何かあれば買い控えます。

 

店頭は、行くところがないからか、

入ってくる人数は日々増え続け、
店内が密になればなるほど人が集まる。

皆さん三密はどこへやらです。

(経験値で、ここまで罹患せずに来た事実が、自分の予防対策にお墨付きを与えますから、その結果が今の人々の行動になっている訳で、緩んでると指摘する向きもありますが、こうやって社会が最適化していくんだろうなと思ったりもするのですが・・・)

 

皆さん商品をながめて楽しんでくださいますが、

挙句が「じゃ、行こうか」と出て行く人ばかりで、

2月と3月に続いて4月もか、ってな感じでした。

 

心がきゅうきゅうして苦しかった4月。

気持ちが凄く疲れていると自覚がありました。
でも有給休暇なんて無いのが個人商店、自営業。

このままだと、心がカサついて、

いつもの接客なんて出来ない自覚があったもので、
入金された30万円と、買掛、売掛、固定費に経費、生活費…
電卓叩きながら、『いま休んで大丈夫な理由を探し』

仕入れをゼロにすれば、ひと月休んで持ち出す赤字はそれなりに出るが、すぐ潰れるほどではないと算出。『マシな赤字』という発想を初めて取り入れました。


ああ、コロナなんて掛かる時は掛かる、天に身を任せて普通にやっていけばいいと思っていたけれど、やっぱり一連のコロナ騒動はストレスだし、社会不安は確実に積み重なって、疲れ切ったな自分、という自覚。
思い切って休むことにした訳です。

最初、1週間も休めば気持ちが持ち直すかなと思っていたんですが、休み下手で、結局ほぼ毎日何かしらちょこっと雑務しに店に出勤する生活で、気が付くと作業が途中というのが気掛かりになるわで、全然気落ちが休まらない、、、、

2週間たって、少し休むのに慣れてきた気もするのですが、毎日誰かから用事があって仕事の電話が来るし、通販もパラパラ入れば発送業務もしないといけない。会う約束も入る。今日も紅茶屋さんの軒先販売にお付き合いしたり、納品受け取りで出勤で、何だかんだ日暮れまで店内で過ごす(ふぅ、、、

今一番やりたい事は、引きこもり(苦笑
じゃなきゃ、どっかホテルに長期滞在→誰かに環境整えてもらいながら、非日常を味わいたい。

こんな事を考えているようじゃ、まだ浮上しきてれいないなと思うので、本当は5/16から営業再開しようと思っていたのですが、『いっそ』の思いで、10年目の自分へのご褒美兼ねて、休業延長することにしました。

開業前に、2年間の失業期間を過ごしたわたくし。

長引かせないように、しないとなー(棒読みw

ほんと休むの下手。

ここからしばし、楽しいことだけやろう。

 

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みどりの日

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