環便り(ブログ)

シン・ウルトラマン

映画「シン・ウルトラマン」(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

何人かのお客様から「シンウルトラマン、良かったから見に行け」と言われるもので、休店日に見に行ってきました。以下、ネタバレ多発。要注意。

館内は、若い人だけでなく、ウルトラQやウルトラマンをテレビで見ていた白髪頭が半分いたような印象。私もそっち系か。

シュッとしたプロポーション、余計なシワもなく、美しいウルトラマンでした。(中の人、スーツアクター氏、よくもこんなに美しい体形の方がいたものだなと後になってため息)

 

空想と浪漫。

そして、友情。

 

見終わって、どこに友情があったのかいまだに分からない。

 

小さい頃は、正義の「味方」ウルトラマンは、人間の味方、人間の仲間、人間と同じ存在に見ていた訳ですが、映画の中のウルトラマンは「外星人」

ザラブ、メフィラス、ゾーフィと、他の外星人達は地球人と「対等に」「友好を結ぶ」なんて頭にもない言動。もっと下に見ているし、無くなろうがどうでもいいぐらい無価値な存在として見ている風情。

 

ウルトラマンは、本来そういう外星人側の存在のはずなのに、他者のために自分の命を投げ出す人間・神永の行為を目にして「興味がわき」「もっと知りたくなり」神永と融合して禍特対のメンバーとして過ごす。

 

融合しなければ神永は死んでしまうので、生かすために手っ取り早く融合したと思われる。地球人を知るために都合が良かっただろうし。

 

 


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5月も終わり

気付けば前回更新から2週間過ぎておりました。他のSNSと違って、ここに書くのは長い文章でまとまった考えにしたいなと思っているので、問題意識や気付きが無いと、ついつい放置気味に。

 

感情が動くようなことは日々起こるのですが、笑えることは笑い終わるとスッキリしてしまい、後に残らず。

 

もやもやすることは、その感情に囚われてもいいことが無いという経験則から、スルー。忘れてやり過ごせる程度の事は後に残らず。

 

つまり、良くても悪くても、後に残らないレベル感=平和なのでしょう。三段論法だと、平和だと日記が書けない、ってなりますよね(合ってる?

 

昨日、いつも会えば話し込んで時を忘れる方が久し振りに顔を出してくれました。最低でも月に1度は顔を出してくれる方なので、この数か月見ていないなと気に掛かっていたのです。

 

店に入ってきて、○○ですと私に声を掛けてきたのですが、激ヤセした姿でピンと来ず、「え?どなたですか?」と聞き返してしまうほど。

 

声がかすれていて、声を聞いてもピンと来ない。
マスクを外してもらっても、痩せすぎてピンと来ない(笑

「病院の食事が美味しくなくて痩せた」と言われ、「私もそれ食べて痩せたい」と笑い合えるほど元気だったのでホッとしました。急に入院となったせいで、いろいろ大変だった模様。

 

入院中の話をしてくれたのですが、いつもの如く「気になったのそこ!?」的謎な状況と人間模様に大笑い。

かれこれ4か月は合っていなかったと聞いて、そんなに経っていたのかと驚きました(ひと笑いしたら埋まっちゃいましたけどね

後で一人になってから、あの方が元気で戻ってきてくれて、本当に良かったと噛み締めました。そして、顔を出して事情を説明してくれたことから、あの方にとっても、私がそういう存在であることが、うれしく感じました。

余計なものは持たず、最低限で暮らしているつもりですが、店を続けるうちに、店と紐づいたたくさんの人やコトを抱えて過ごしているんだなと再確認です。私の平和な日常を形作る人やモノが、ひとつでも欠けたら色褪せるのを再確認です。

今日は平和だけど、ブログ更新できました(笑

 

(そういえば水星逆行中、5月はやり直しや振り返り月間)

 

 

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癖(へき)

考えをまとめる時、本を読む時、白い紙を手元に置いて、思い浮かんだままメモ書きします。

 

些細なことでも何でもいいから、書き出すことでワーキングメモリーから外せるというメリットがあり、文字として可視化した情報は、後でグルーピングしたり、加工も簡単。俯瞰すれば、自分が何に気を取られていたのかよく分かります。

 

今は、手近にあるコピー用紙やチラシの裏紙に書き留めることが多いです。元々はノートに書き留めていたのですが、同時進行であれこれ考えたり複数冊読んでいる時は、書く順番が気になってしまうわたくし。

同じ内容は同じページ内に収めたい。

同じ内容は連続したページ内に収めたい。

分類と連続性が大事みたいなんですよね。
自分の癖(へき)が時に煩わしい(苦笑

画像のノートは開業したての頃取り扱っていたpaperblanksのノート。

エンボス&箔押し、紙は上質で書き味がよく、罫線の幅も色もわたくし好み。そう言えばページが残っているからメモに使おうと引っ張り出してきたのですが、やっぱり例の癖(へき)が邪魔になって、好きなように書き散らかすことが出来ないのです。

多分このぐらいページ取っとけばいいかな、という予測が出来ないのが問題。あ~、何かやっぱりノートよりペラ紙たくさん使う方が自分には合っている気がするなと思ったところで、「そうじゃなくて」「1件1冊で複数冊に書けばいいじゃないの」と思い浮かび、我ながら納得。

幸い隣は西村文具(買いに行け

 

全部1つにまとめたい癖(へき)じゃなくて良かったなと思いながら、どうしても考える時には紙に手書きが外せない自分の癖(へき)に苦笑。今のところ、これの代替案が見つかりません。

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ミントの緑

吉祥寺サトウズティーからお裾分けのミントの葉っぱ。
初夏をイメージする明るい緑色。

私の中では「新緑」をイメージする緑色に見えます。

『四色型色覚』という単語を見かけ、ググってみたところ、多くの人は三色型色覚で、視神経が赤、青、緑を感知して、掛け合わせで複雑な色合いを認識。四色型はその掛け合わせが4つある方で、常人の100倍(1億色)を見分けるとか。

 

赤の突然変異と赤、青、緑の正常神経とで4色掛け合わせ。女性に多く、男性家族に赤緑色覚異常がある家系に四色型色覚の女性が生まれる確率高めだとか。

 

そんな方が見たら、この緑をどう表現するのかな。

 

この世の中は、三色型色覚者が作り上げた単語や表現がほとんどだから、四色型色覚者の方には「見えているものをちょうどよく表現する言葉が見当たらない」こともあるのだろうかと、妄想がはかどってしかたありません(笑

 

参考事例で上がっていた画像では、三色型色覚者には1色に見える花が、四色型色覚者には中央部と外縁部とでは違う色味に見えるそうで、同じ花が全く別物に見える画像に驚きました。見えたまま素直に絵に表現して、先生から「よく見て描きなさい」なんて言われて、言い返せない性格だったらモヤっとしちゃいそうだなと、妄想がはかどって…(ry

子供の頃は人には無い特別な能力に憧れがあったものですが、三色型色覚と四色型色覚を切り替え出来るなら、憧れるに値するなと大人の私は思ったりして。

わたくしよ、凡庸を嘆くこと無かれ。
その他大勢には大勢なりに、意識せずに自動的に受け取っている幸せも多いはず。なーんて思って見たミントの緑。

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五月の連休は

今年の五月の連休は、去年と比べて人が出歩いている気がします。それに、そぞろ歩きではなくて、目的地があって向かっている人の気配が強かった印象。

昨年の5月は「コロナだし出掛けるってもねー」という感じで、行くところもないが飽きてきたから散歩中という風情の人がまだまだ多かったので、随分な変化だなと感じております。

 

 外出帰りに立ち寄ってくれた知人が「世の中はもうコロナ前に戻ったと思った」と言ったのを聞いて、他人の目にはそう見えるなら、私にはまだ見えていなくてもそうなんだろうなと、もうすぐそうなるんだろうなと思いました。

本当に、このまま、コロナなんて忘れられるほどになればいいのに…


そうだ、世の中の流れが戻る方向に動いているのなら、当店もコロナ以前に戻った動きをしよう、と思ったわたくし。コロナで週休二日制にしていたのですが、また隔週二日に戻そうとしております。

 

ひとって、サボるのは簡単。

学ばずともすぐに出来るくせに、勤勉さを取り戻すのは難しいものですね、、、

この火曜日、家でゴロゴロしてたいな~という欲望を抑えて、人類滅亡している店内で19時までお店番がそこはかとなく辛い(苦笑

暇なので、「水星逆行」の過ごし方を妄想して過ごしました。


星占いをやっているお客様から「水星逆行がやってくるよ(5/10~6/3」とお知らせがありました。水星逆行は、情報の遅延や錯綜、移動の混乱など人にとっては困ることがよく起こるのですが、過去に積み残した課題をやり直すタイミングとも言われるそうです。

どうせなら、積み残し課題を総ざらいして・・・と思っていたところ「お前の好きなことは何だった?」と神様から言葉が降りてきました。

 

便宜上、神様と呼んでいますが、直感というかなんというか。

1年前の好きなこと、

3年前の好きなこと、

5年前の、10年前の、と遡ってみたら、

どの時代も共通して好きなもの、価値観が見えてきました。

 

この10年、メインに据えるほどではないと思っていた価値観だったので、
「忘れてた!」
「忘れてたことにびっくりだった!」というのが正直なところ。

思い出したからには、また始めたらいい。

「そうそう、好きだったわ」と思い出したら、その事を考えるのが楽しくて仕方ありません。
水星逆行の時期は、実行実現する道筋を考えてみるひと時にしようと思います。

 

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みなさんも、「お前の好きなことは何だった?」の振り返りしてみると、思わぬ再会、再開が見えてくるかもしれません。水星逆行はもうすぐ始まりますからね。その頃に、ちょっとやってみると面白い結果になるかもしれませんよ。

 

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ワクチン接種会場にて

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だって、でも

昨晩飲み過ぎました(反省)

 

やる、やらないを迷っている事があります。

その事の締め切り第一弾が間近になり、もう決めないといけないタイミング。

今年中に絶対やるしかない事柄。
なのに、やると決めたら終わる話を悩むのは、やりたくはないから。

 

やるしかないが、

やってもうまくいくか分からない。


やらずにいたら確実に下降線。

なら、やるしかない。

どう考えてもやるしかないのだけど、

やらずに済むならやりたくないので、

思い悩んでグズグズ飲み過ぎてしまいました。

 

わかりきった話でも、感情が捨てきれず、人は悩むもの。

 

で、本心はまだやりたくない(苦笑

また「だって」「でも」と言いそうになっているわたくし。

 

こういう時は、どんどん動かして、後戻りできないところへ早くたどり着くのが一番。機械的に先方に電話し、機械的に最短日にアポイント取って…「虫のように生きる」という言葉が下りてきたことがあるのですが、今また思い出しました。余計な事を考えず、直線的に取り組む。そんなニュアンス。

 

今回は、感情が邪魔をして、動くタイミングが随分遅れてしまったなと反省。まだ、結果がどうなるか分からないのでモヤモヤは続くのですが、動き始めたからには必ず答えが出るので、グズグズはこれで終わり。


モヤモヤがスタート。
ああ、ひとつ終わると次が出て来る(ククク…

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粉唐辛子

先日、友人と食事がてら、随分足が遠のいていた新大久保界隈。改札出て右側へ歩きながら「この線路沿いの道が着工した頃から来てない」と思い出を語り合う。多分10年ぐらい来てなかったふたり。

コロナもあって、韓流スキーも少なめ。

どこもかしこも思ったより人が少な目で歩きやすい。

昼時のレストランはどこも空いているので、目に留まったお店に入ってご飯。店員さんも少ない相手の接客だから、ゆったりめで、こちらものんびり。

 

江古田辺りは住宅街で、住んでいる住民相手のお商売。まん防が明けたところで、いつもと変わり映えしない人通りだと思っていましたが、繁華街も似たような調子みたいです。

 

繁華街へ出掛けて楽しむ人が多いと、住宅地の商店街からは客が居なくなると「昔は」思っていました。

 

「今は」繁華街や観光地がにぎわうのは、世の中のマインドセットが外向きか、楽しんでいるか、幸せか、それが見える窓に思えます。繁華街がにぎわう時は、地元の商店街も人の往来が活発で、にぎわうものです。だから、新大久保界隈が空いているのは、まだ自粛モードなのか、それとも気持ちに遊ぶほどの余裕が無いのか…

お料理美味しいね、と笑い合いながら、客単価の低いランチタイムでお客が10名未満の1回転で厨房とフロアで従業員4名ぐらい?そんなで持つのかいな?でも10年以上前からある店だもんな~と採算をお見積り。どちら様も厳しい経営状態が透けて見える。

私なりに、人々が心から開放的になるにはまだ時間がかかるなと受け止め。

 

遊びに来たのにつまんないこと考えるのよそうと気を取り直し、本日のメインイベントは韓国と中華の食材屋で爆買い。韓国食材屋では味噌などジャン系の重たい調味料を、中華食材では乾物や雑穀米に混ぜたい穀物を。荷物が重くて宅配便で送りたくなるほど買いまくりました。


今回、購入した中で、一番買って良かったと思ったものが「粉唐辛子」

甘味も感じる辛さで、旨味も感じます。

粉になっているのでタレに混ぜて肉に塗り込んだり、扱いも便利。

味噌汁にちょっと入れると、コクが出る気もします。

韓国料理は珍しくもないほど食べているのに、自分で粉唐辛子を使ってみようという発想にならなかったのが悔やまれるほど粉唐辛子は便利で美味しい。

 

 

粉唐辛子の赤い色。

体に入れると少し体温上がるような、元気が出る気がします。

しばらくは試して試して、研究。
買った分量が無くなってまた買いに行く頃には、新大久保の人出が元に戻り、江古田もそこそこにぎわうといいな…なんて。

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いつもと違う選択を

頂き物のスミレの花。グラスに投げ入れ。

花瓶が無くても、花は飾れる。

 

コロナにウクライナで、また社会不安で世の中が停滞延長かと諦めモードに落ちかけたのですが、まてよ、と。

私は何かと時事問題が自分の事業や生活に及ぼす影響を考えがち。でもそれはそれ、要因のひとつでしかない。取引先の方達と雑談、どちら様も売上低迷、どうすればいいか不明(ラップ調

私達も消費者のはずなのに、その心をもってしても見えない。

こうなんじゃないかと語られる内容が、私にはそうも思えなかったりすると、互いに幻を見ているよう。

 

予想屋は予想すれば当たる/外れる。

当たる予想は予知。

外れるからこそ予想。

アナログに、人間ひとりが目にする耳にする情報量だけでは、計り切れない世の中になっているに違い無いのです。みんなで「分からん、見えん」とぼやき合うこの実情、それで説明がつくではありませんか。

 

ビッグデータを持つものが残るとなると、弱小個人商店はどうするべきか…出来る事しか出来ない規模なので、新しいとか、他と違ったことを探すのも違う気がします。

もうひとつ思い浮かんだのが、「私と同じ情報を見ていない人はたくさんいるんだ」という事実。

私が世の少数派の場合、その情報内容で判断はアウトではないかと。

このまま繰り返す日々では足りないが増えるだけに思え、普段自分が足を向けないものなら何でもいいから見に行こうと思い立ち、そうと決めたら行けそうな友達に連絡し、催事が不発でも友達とキャッキャウフフで損しないように手当してお出かけ。


選んだのは、単価のお高い、しかも値段の根拠が分かりにくい「古美術」の展示会。目利きではないので皆目分からないながら、目が留まるものはいくつかあり、値札を見てはギョッとし(苦笑)すっかり場違いな冷やかし客でした。

出店者の風体の怪しさと、来場者の身なりの普通さも意外で。

もっとお金持ちっぽい人が来るのかと思ったら、どっちもどっちで身なりからは趣味嗜好が見えにくい感じの方が多く、出店側にはカジュアル通り越して擦り切れ過ぎて気になる方もいて(笑)業界標準がよく分からないなというのが感想です。

誰かと連れ立って来場している人が半分は居たような。

店の人に、自分のコレクションや好きを一生懸命語り続ける女性が小一時間居座っているのを観察し、単価の高いものだから、一人に掛かる接客の手間は相当なのかもなと思ったり。買う人1人捕まえるまでに100人の冷やかしをいなす感じなんだろうかなあと思ったり(余計なお世話

喫茶店へ移動する間に見かけた人々は、穏やかな笑顔で行き交い、本日の日本も平和。不幸せな人は見たところいない感じ。コロナもウクライナもどこ行った?ぐらいなんですが、メディアでは相変わらず不安を煽る系の発信が多いのでギャップを感じてしまう。

友達の近況を聞きながら、この話は、自分とは異なる生活圏、異なる業界から見える世の中の欠片だなと思いました。友達だからこそ、隠さず話してくれる内容もあり、貴重な欠片。

 

その後店を開け、パートへ行って、ルーチン。

寝しなに、いつもと違う選択をして出かけてみたが、良かったなと感想。

変わりたいなら、コロナの2年間とは違った選択を心掛けて過ごすべしと浮かんだので、しばらくその方向で。

 

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平和とは何か

ウクライナ侵攻。

ロシア軍の一般人への虐殺が告発されており、毎度のことながら、人間は人間に対して、どうしてここまで残虐になれるのかと恐ろしく思っております。

力のある側が、力を持たない側を一方的に拷問し、強姦し、殺戮する。殺し方がまた惨い。第二次世界大戦の終戦間近、ロシアが日本の民間人に対して行った事となんら変わらぬ単語が並ぶ。私がその事を知ったのは、社会人になって30代の頃。あまりに惨い言葉が並ぶ資料に吐き気を覚えながら、知る必要を感じて読んだ記憶。

 

戦争なら何をやっても、やられても仕方ないのか?と思ったものです。極限状態だと、普段とは違う精神状態になり得る。その時に他者を思いやり助け合える精神を持ち続けられるのか、自分一人逃げたくなるのではないか、他者を陥れてでも自分は助かりたいと思うのではないか。人間の品性や徳は脆い一方で、どうせ死ぬなら惨めに死ぬより一矢報いたいと強くもなるだろう、そんなことをひとしきり考えたことがあります。

TVを持たないもので、webニュースやYoutube動画で情報を得ておりますが、文字面だけで十分、私は削れてしまう。だから画像検索もしないし、現地映像も見られません。コロナ不況で経済的な不安が冷めやらず、精神疲労状態が続いておりますから、普段より、不安や恐怖に対する耐性が落ちまくっている自覚があります。

 

SNSのタイムラインで、ロシアが早く負けて停戦すればいいと願っているつぶやきを多数目にしますが、私にはこの戦争は、停戦となれば終わるとは思えずにおります。クリミア侵攻の後も、ずっとウクライナとロシアは境界を接して不穏な状態が続いてきたのだし、戦争は「止めます」と宣言したところで、守る気が無い人が一人でもいたら、その条約や法律には何の意味があるのやら?

私の火曜の夜のお楽しみ、地政学・奥山真司氏の動画で興味深い話題が出ておりました。

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美彩新作「チョウチンアンコウ」

過日サンシャイン水族館で深海魚展を見た感動のまま、美彩さんに彫ってもらった「チョウチンアンコウ」デビルっぽい色合い、口の大きさ、知っている人でこんな顔のおじさんいたなとほくそ笑むわたくし。

でも、いわゆるチョウチンアンコウは雌、女の子。

 

 

チョウチンアンコウは、小さい頃から何かで見かけて覚えた魚。絵本のイラストでは、頭に光る提灯を提げ、暗闇を灯してみんなを助ける心優しいお魚ちゃんでした。

このチョウチンアンコウのせいで、深海魚は全部、頭の先に光る提灯が生えているものだと誤解していた時期もあります。

頭の突起というか触手:棘が進化したものだとか

触手の先のひらひら:動きで餌になる生き物を連想させる疑似餌本体

触手の先の発光器:体内に住んでいる発光バクテリアの光りを活用。構造は光ファイバーみたいになっている(自然の企画開発力、凄い…

 

どれも必要から、改善のために変化(進化)した結果と思うと、そこに至るまで、生きにくい深海で、何匹のチョウチンアンコウが失敗して死に続けたことであろうか(遠い目

大人になっても深海魚への興味は尽きず、ある日チョウチンアンコウの『不思議な結婚』を知りました。

 

個体数も少ないし、いつでも、どこでも、何度でも、出会いがあるとは限らない深海。

 

チョウチンアンコウの雄は、雌のフェロモンをたどり広い海底を移動、出会ったら逃がさない。腹部にかみつき、徐々に雌の体に同化し、最後は生殖器のみ残し、体ごと雌に取り込まれ、雌から栄養をもらって寄生しているような状態に。雄は生きているだけで餌を食べる競合者だし、種だけあればオッケーということなんでしょうか。

「そんな扱いでも、オレはええんやで」と雄が受け入れたのか(諦めたのか)
擬人化して想像すると、なかなか切ないな、雄。

ちなみに、サイズ情報。

雌が体長40~50㎝に対して、雄は5㎝程度。
雌にすれば、嚙みつかれても大事なし。

吸収同化が進めば、大きなイボがお腹に出来た感覚ぐらいでしょうか。

 

 

母数が少ないところに、雌に取り込まれずウロウロしている個体が少ないのか、雄の個体は記録が少ないとのこと。

 

深海魚は、網に掛かっても水揚げまでに網や他の魚と擦れて、本来の姿が分からなくなってしまうものも多いそうです(水圧に耐えるためにほぼ水のような体=ぶよぶよ柔らかい組織のせい)5㎝ぐらいなら網の目から漏れちゃいそうですしね。

 

私は、この不思議な結婚の話を思い出すたびに、最近の若いカップルを連想しております。韓流のおかげか、男子もお化粧したり、中性的なきれいな子が増えました。店内で、可愛い女子と静かに語らう様子をみると、話している内容が「女子同士の」「結論のない他愛なさ」不実は働かず、乱暴な言動、嫌な事は言わない。穏やかに思いやり合い、女子からすれば、一緒に居ると「まるで自分と一緒にいるように」「気疲れしない」関係性なのだろうな…で、チョウチンアンコウの結婚を思い起こしてしまうのです(黒笑

私の若い頃は「白馬に乗った王子様」を待つ乙女もいましたが、王子様には、美しさの他に、頼れる、守ってくれる、強い、あたりのキーワードが含まれていた気がします。今時の若い子達は、どんな恋愛観なのか、機会があれば聞いてみたくなっております。


話戻ってチョウチンアンコウ。
雄が雌に吸収同化される以外に、もっと餌の多い深さや浅瀬に生きる方向性を何故目指さなかったのか、そっちも気になります。陸で生きる私の感覚で見たら、なんでこんなに生きにくい世界を選んだのだろうか。深海魚が話せたら、いつか聞いてみたいテーマ。

※チョウチンアンコウをお迎えしたい方は【こちら

 

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SNSで成功?

『ホーキング、未来を語る』
まだ1章目の相対論についてを読んでいるのですが、進まない。有難いのは、図版が分かりやすいこと。文章だけだと、今一つ意味が分からないので、知っているつもりできちんと理解出来ていなかったんだなと思いながら読んでおります。

天才が思い悩んで解き明かした難しい内容だから、凡人が理解するには時間が掛かる。もっと簡単に、と思わないでもないが、甥や姪が「何?何で?」攻撃が凄かった時期、子供に分かるように簡単に表現するのにも限度があるなと思い知ったので、頑張って読み解き中。

 

それにしても、私はどうやって子供の理解力から大人の理解力へと変化できたのやら。あまたあるすべての知識を全部読んだり学んだりでアップグレードした訳ではないのは確か。

思うと、何かがある量を越えた辺りで「知識」と「経験」同士がリンクして「分かるようになった」気がします。昔の流行り言葉で「シナジー効果」なんてありましたが、アレです。知識在庫が多いから繋がるというのでもないから、これは個々人の資質にでいろいろかなと。

 

みんなが同じ方向へ育つ必要はないから、いろいろでいいですよね。

同じものを見て、同じ事を考えているなんてのはあり得ないなと思うわたくし。あなたとわたしは別な人だもの。親子といえども違って当たり前。


そう言えば、私がサラリーマンしていた頃、ビジネスマンは『朝日新聞と日経ビジネスとビジネス新書』から情報を得ていた人が多く、誰と話しても「あ、あれね」「知ってる知ってる」という感じがありました。みんなが「最低限それぐらいは読んどく」みたいな印象。


情報源が一緒だから、何かを検討しても似たような結論に納まり終わる。それでも、その時は「これしかない」「これが一番最適化」と思って決めているので、思った通りに行かないと自信喪失。おかしいな、何が足りなかったのだろうか、何が悪かったのだろうかと振り返りをしても、そもそもの前提が新聞や雑誌に書かれた一つ二つの事例で全体を俯瞰したかのような書き方の記事。事実なのかもしれないが、真理ではないのだと気が付かない。なので「謎が深まる」という…

先日「今の若い職人さんは大変」「SNSでブレイクした方がいるって」「みんなSNSを使えば」という話を振られて、心の中で頭を抱えました。

SNSだけで成功している訳ではないと思いますよ。
そもそも、ちゃんとした品物を作る腕が無いと。

 

 

SNSやっている人ってどのくらいいると思ってるんでしょう。

商品サービスを売りたい人は素人玄人どっちもみんな使っています。

自分や作品を見て欲しいだけの人は「採算度外視」で凄いものを作ってSNSで注目を集めまくってます。同じ土俵に乗ってないものもおしなべて比較されてしまうSNS。却って厳しい競争世界かもしれません。

 

そして、SNSをやっている取引先も同業者も、やったところでSNS経由の注文が売り上げの100%なんてことは滅多にないですって。やってみたら分かりますって。そんで、やってみている人はその事実に気づいていますって(自虐

じゃあ、何でそれでもSNSをやっているのかといえば、ひとつでも多く集客ルートを持ち、各々からの集客数を1%でも増やせた方が結果的には食べていける確率が上がるから、なんだと思います。

職人さんは、モノを作る時間を削って、SNSにも時間を割かなくてはいけなくなるから、昔よりも大変になっている人もいます。得意な方はいいんですけどね。得意な方でも、反響が思った通りに上がらないと、心折れる×2になるかもしれないし、なかなか複雑みたいですよ。SNSは気軽にコメントつけられますから、こうしたらいいのに、こういうのを作ればいいのにと善意と思い付きのアドバイスが寄せられまくり、鬱陶しい気分になったりすることも多くなったという方もいましたよ。

世の中そんなに簡単には出来てないのに、ニュースや読み物になっている記事って苦労したところがそれらしく書かれているだけで、ある日転機が訪れ、成功して終わりますから誤解する人もいるのでしょうね。

そんな話を持ち出す方は、きっと同じ苦労をしたことが無い方。
だけど世間知らずとは思わないのがわたくし。
代わりに、この方なりの別なご苦労を背負われてきたはず。

こういう時は別な話題に切り替えると楽しい時間が過ごせるんですよ(笑

私が分からないながらも物理の本を読むのは、物理の法則は「誰がやっても再現性がある法則」について発表しているからかもしれないなと思ったり…誰もがやればやっただけ成果が上がって、成りたい自分やありたい未来にたどり着けたらいいのにな~と本当に思います。

いまだコロナ不況にもがいている一人として、切に思います。

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何を迷っているのやら

今日は強風、風が強いだけで人類滅亡率が高まる当店。
そんな訳で、家を出るのも気が乗らず。

夕方から雨が降るとラジオがいうので、じゃあ今日は歩いて出勤する?と思った辺りで、何を迷っているのやら?と自分の迷い方が可笑しいなと思い浮かびました。

自転車で行きたいなら自転車で出勤すればいい。
今、そうしたいなら、選べばいい、決めたらいい。

雨で自転車を乗り捨てて帰った方がいいなら、その時は歩きで帰ってきたらいい。

でも、自転車を置いて帰ると、翌朝の出勤は歩きになる。

歩いて移動するのは嫌いなのかといえば、そんなことはない。

自転車だと荷物が運べるけれど、今日明日、運ばなくてはいけない荷物は無い。自転車の必要性はない。

 

自転車で出勤することと、歩きで出勤することと、どっちが好き?

 

自転車で帰宅することと、歩きで帰宅することと、どっちが好き?

帰りは早く帰りつきたいから自転車が好き。

じゃあ、自転車で出勤して、雨が降ったところで、自転車で帰ってこれそうなら自転車で帰る、それでいいじゃないか。


何でどっちかひとつしか選べないような考え方してるのかな。どっちも叶うかもしれないじゃないか。

 

確実に叶うことだけ選んでたら、決まったものしか手に出来ない。

少なくとも行きの片道は確実に自転車に乗れるのに、後で降る雨を思って、往復とも自転車を止めるのってどうよ。

これはあれだ、徒歩で行けば徒歩で帰る、そのタイミングが今日のいつになるのか、明日のいつになるのか、それだけの違いじゃないか。

そもそもが、そのメリット/デメリットという考え方が間違ってるかもしれない。

春の暖かい雨だったら、濡れて歩くのも楽しいかもしれない。

 

なーんてことを考えながら、自転車で出勤してきました。

遠い先のことは分からないから考えるのは無駄。だけど近い先のことだと、何だか予測しても本当に起こりそうな感じが増すので判断を誤る傾向が自分にはあるなと発見。

失敗するかもしれないから、やらない、に似ている(笑
○○したところで、期待した通りの何かが得られないかもしれないから、○○しない。

つまり、期待が邪魔するのだろうな。
自分にとって都合のいいことを期待しながら、「でも」絶対そうならない可能性を同時に予測している難儀なシステム。叶う訳もない気がします。

 

それが可笑しくて、変な迷い癖を止めたいなと思った次第。

自転車で出勤しましたよ。

もちろん、雨の程度によっては、自転車で帰宅する予定です。

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よそはよそ、うちはうち

窓辺の手ぬぐいを春の花に変えました。
白地が並ぶと少し寂しい印象に感じる自分に気づきました。

 

デジタルコンテンツに囲まれて、余白までも色の洪水的ビジュアルばかり目にする生活で、白の面積がある割合超えると、密度の低さを感じて寂しいと変換しちゃうようなのです。

人の心理で、白紙を目の前にすると埋めたくなると本で読んだことがあります。密度の高いビジュアルを見ると、満たされている気になるのかもしれませんね。

でも私は余白を余白として楽しめる感性も大事にしたかった方なので、白があるから春の花の色が引き立つという発想に自分を引き戻し。

 

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最近、姪の進学祝いについて妹と雑談した時のこと。

 

妹のところへ、実家サイドから現金にしてと要望が入っていると聞いて、「いくら包む?」かを相談したのです。何故か足並みを揃えたがる伯母ふたり(笑

私の昭和な感覚だと、高校進学は今の日本では人並みイベント。

まだまだ親の庇護下で過ごす学生生活ですから、ひと月のお小遣いかちょっと色が付く程度でいいと思うのです。

そういう発想なので、¥5000が妥当と思うのですが、私達姉妹は普段から実家に帰る機会が少なくて、小さい頃から行きあうたびにお小遣いやお年玉をあげる事も少ないもので、「まあ、1万円かな」「うむ」

 

妹が「しかし、¥5000ってお前、しょっぱいね 笑」と言うので「よそはよそ、うちはうち 笑」とひと語り。

私達の母も「よそはよそ、うちはうち」とよく言っておりました。私達兄弟は、他人のお宅はこうなのに~と羨む事は少ない方でしたが、不満が残る時には不貞腐れる訳で、そういう時によく言われたものです。

結果として、無いものねだりをしても幸せになれないことを学びました。他人が喜ぶ事柄が自分の感性と違うと、全く喜べないどころか迷惑でしかない事も学びました。人にねだるよりも、自分で手に入れた方が喜びが大きい事も学びました。

価値基準、判断基準は、自分オリジナルで持ってこそ、幸せかどうか、満足かどうか、評価が出来るということ。

 

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今日いらっしゃったお客様が、SNSで見た方の発言や画像を信じて自分も試してみるも、思ったほどの変化が現れず、真似し続けていいのかどうか、迷いが出ていると雑談。

誰かに合う方法でも自分に合うと限らず。
この方は、SNSのどなたかのような変化が欲しいので、同じではない事で不安や迷いが出るのでしょう。

変化が見られるか、変化の具合はどうか、自分の体なのだからじっくり観察すれば分かるはず。なのに見たいものが他者の変化だとしたら、それは見ていても自分が見えて来ないと思うのです。

 

それに、人は環境や食事や、運動や、体質など、全く同じ条件にしてこそ比較できるはず。1つだけ取り入れても違いを感じるのは当たり前。その1つをやれば全部同じになるというのは願望であり、論理的ではないかも…

「よそはよそ、うちはうち」

でも都合のいいことは、同じがいいと思うのが人の心。

でも私は一人、あなたも一人、唯一無二の存在なので、よそはよそ、うちはうち。

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確定申告の季節

税務署に用があって江古田に来たついでのお客様が増える季節。

開店準備中に税務署への道をお尋ねの方が、せっかくだし中を見たいと言うので商品見ながら雑談が始まり、おばちゃん同士なので盛り上がる。

どなた様も、確定申告は年に1回の苦行となっている模様(笑

日々の入出金を管理されていない方は「そんなの覚えちゃいないわよ」と萎える。細かく管理されている方も、集計が面倒でと萎える。

私はずっと独身のサラリーマン、扶養も無しで、年末調整でメクラ判押し→終了の歳月が長かったせいで、自営業1年目の確定申告はおっかなびっくり。

簿記3級の学校に通ったことがあるので仕訳は何とか分かるものの、その後のもろもろに自信が無かったので青色申告会に入って様子見しました。感想としては、特別細かくチェックされるでもなく、何か…結構簡単なんだなと分かったので、翌年から自分でやっています。

 

もちろん、都度都度分からない事が出てきますので、その時には周りの経営者先輩に聞いたり、商工会議所なら記帳相談(無料)を利用。ストレートに税務署に教えてくださいと行った事もあります。仕訳さえ間違えていなければ、最後に分からないところは大した事ではないので解決も早かった記憶。

 

年に1回の事だから、まあ覚えないですよね。

確定申告は事務作業としての煩わしさだけが身に迫りますが、このめんどくささを手放したければ、全ての出入金を自分以外の誰かに把握してもらい、仕訳てもらえばいいのですよね。税理士さんとか、マイナンバーに様々紐づけて国に管理してもらうとか??

簡単な話ですが、把握してもらう相手にはその報酬を渡さなくちゃいけないです。ただで大変な仕事を請け負ってくれる人は何かよっぽどの事情を抱える人じゃないといないと思います。それとは別で、他人は絶対失敗する、自分の個人情報を悪用する、そんな信用できない他人に大事なお金の流れを把握されるの嫌な人は、どんなに面倒だろうと、自分で頑張って申告するしかないのです(黒笑

昨年度の申告の時に、持続化給付金100万円が課税対象だったせいで、所得税も住民税もギョッとする値上がりっぷりで息が止まるかと思いました。

今でも覚えているのですが、維新の足立議員が「持続化給付金は非課税対象か」という質問をしていたことがわざわざSNSで回ってきて「課税対象です」「非課税じゃなくて課税対象なんですね?」と念押ししているような動画で、あの質問の意味はこれだったのかー!と息が止まりかけながら思いました。

非課税ならバラまいて終わり。好きにお使いなさい。
課税なら、100万のうち一部は所得税として回収するし、所得をベースに計算して国民健康保険料も割り増して請求するから、満額使っちゃうと後で困るよ~というお話だったと、やっと実感できたという(ため息

慌てて税務署や区役所に分納や減免の相談に出掛けまして、その結果、分納は結構簡単に手続きをしてくれると分かりました。

練馬区の場合、減免に応じてくれたのは国民健康保険料だけ。
住民税は生活保護者でなければ減免はあり得ないそうです。

 

元気で、何事も無い時は気にもならない話ですが、働けなくても納税義務があるお金がある事、いくらぐらい掛かるのかなど、若いうちから把握しておいた方がいいですよね(ため息)把握したところで、働きたくてもコロナで働けないなんて事も起こるので、知ったところでどうもならないかもしれませんけどね(大きなため息)

そんな確定申告の時期、でも当店の店頭は平和。
おばちゃん同士の会話は共感しあう事でお互いの健闘をねぎらう感じで笑いしか出ませんから。


確定申告真っ最中で疲れた方、

確定申告出し終わってスッキリされた方、

どちらも気持ちの共有、共感できますので雑談にいらっしゃいませ。

 

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深海魚展@サンシャイン水族館

昨日、思い立ってサンシャイン水族館『深海魚展』へ出掛けました。もちろん店の営業は臨時休業。

 

子供の頃から深海や深海魚に興味があったわたくし。

暗黒の、水圧猛烈の、およそ生き物には優しくない環境で生きる…自分がそこで生きると思うと怖いのに、何故かひかれる深海の世界なのです。

 

図鑑や動画でたくさん見ているのですが、実物を見ながら情報の上書きをしたくなったところに、終了日が3/6とあって、今しかない!と出掛けた訳です(土日の水族館は入場制限(時間指定チケット)ありで、若干不自由なのです)

 

深海魚、想像通り姿は地味でした(笑

 

生きていれば発行体が光ったり、エスカ(疑似餌部位)が動いたりで少しは可愛げがあったかもしれません(笑

 

地上の水族館では生きたまま展示は難しいもので、はく製や標本、冷凍標本が並んでいましたの。

 

このサイズ、体つきで、深海200~1000m、果ては6000mでも生きているのかと思ってみたら、生き抜くヒントはどの辺り?なんて妄想が尽きませんでした。

 

実物を見て、まずサイズ感が分かったのが良かったです。体に対して口の大きさとか、標本だと透けて見える骨の太さとか、想像してたのと違ったところがたくさんあって、やっぱり見に行って良かったです(臨時休業の甲斐がありました!

 

そして、水族館はカップル多めだった~

今もデートの定番スポットみたいです。

ヒーリングミュージックみたいなBGMが流れ、薄暗くて魚の泳ぎは地上の重力と無縁に見えるし、ただ眺めているだけで無心になれる。一人で行っても楽しい場所と再確認でした。

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摩利と慎吾⑩

別な言葉で言われて、自分が感じていたのはそうだよな、と納得できたお話。

Sさんと読後感想を交換。
Sさんも、セリフやト書きが多くて、なかなか読み進められなかったとのこと(笑
スッと心に入って来ない感覚があったそうで、何で?どうして?がつきまとったとか(同志よw

 

「これが描かれた頃は割と悲劇的な話やハッピーエンド以外の終わり方が、ドラマチックで刺激的だなと評価された頃じゃない?」

 

「女性でもないのに、社会の枠組み的に結婚しなければならないってレールが強すぎじゃない?主人公2人とも男性なのに、結婚しない、子供がいない選択肢が存在しない感じが不自然だし、周りがどう思うか、周りにどう思われるかが凄い縛りになってる感じがした」

 

「女性側も結婚と出産が幸せのルート認識強い、それしかないみたいに見える」

 

「恋愛と結婚が別物みたいよね。好きじゃなくても結婚するのは明治~昭和初期の時代価値として分かるんだけど・・・」

Sさん、あれやこれやと語った後、斜め袈裟懸けな発言。

「作者が偏ってるんだと思う」

「この作者の考える幸せの種類が少なすぎると感じた」


過去の価値観を現在の価値観で見てはいけないというのは分かるが、端々で何で?どうして?が湧いて来る。気付かないほどの小さな歪みが積み重ねられ、後に行くほどその歪みが見えるようになり、ある程度の大きさになった辺りで「なんか違う気がするけど、う~ん・・・」


木原敏江先生の価値観と設定時代とがいい具合に混ざっていて気付きにくいが、作者が感じている世間や他人感が透けてるんじゃないかというもの。そしてその像が、我々の見ている世間や他人と違うんだろうなと思ったそうです。

 

だから理解が出来ない。

でも理解しようとして読もうとするから疲れる。

分からないものは、ある。

YouTubeで「ベストの解があるというのは幻である」という動画がおすすめに上がってきまして、やだ引き寄せたみたいです。

こねくり回して何とか理解したい、解釈しようとする傾向のある私と違って、Sさんてストレートで気持ちいいなと思いました。前に「何で私と仲良くしてくれるの?」と聞かれたことがありますが、Sさんのストレートさが、私には真似できなくて、かつ眩しいからなんですよ(笑

ちなみに、Sさんは慎吾と同じ牡羊座。

私は摩利と同じ射手座。
2人が人間的にひかれ合うのは仕方なかったという辺りは、実体験でよく分かる。そこだけがよく分かる。

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追記:
今の方が、生き方は自由になったんだろうと思う。

幸せの種類が増えてるよね。

一生独身でも幸せに暮らしている人はいるし、それでいいと社会が認めてる。

子供がいなくても幸せな夫婦はいるし、それでいいと社会が認めている。

人の数だけ幸せの形も違うと、認められる社会になったんだよね。
そのぐらい、この70年ぐらいで日本の自由度が上がったということだよね。

みたいなことをSさんと話しました。

そして、その自由を知ってしまった後だと、時代背景と言われても理解と納得は別物で、なんか違うだろう?って思っちゃっている自分にも気付きました。人の心は、変化したら戻れないものなのかもしれませんね。異世界もので、転生した社会が中世程度のレベルというのがよくあるけれど、私が転生したら中世程度の階級社会で不自由だと、生きていけないかもな~と妄想。なろう系はファンタジーだからファンタジーとして楽しむで終わるのがいいということか(笑

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ウクライナ侵攻

ウクライナへのロシア侵攻、当事国、周辺国、関係国、思惑や落としどころはどこなのだろうか、私の知る情報では皆目見当もつかず。

 

申し訳ないが上がる火の手が見えない程度離れた国の出来事なので、落ち着いて日本の参考にと静観、注視。

 

9条は万能ではない現実を訴える数が増えた事は嬉しいなと思う。

 

私は国防はまず自衛力がメインであるべきと思っている派。

 

NATOもアメリカも、同盟国ではないから参戦することもなく、ウクライナは援軍なしに防衛中。

 

同盟国だとしても『出来る範囲での協力』な訳で、どの国も諸共に玉砕するまで一緒に戦う気はないと思うべき。

 

中国、北朝鮮、ロシア、微妙な韓国と囲まれてるのにのんびりし過ぎてるんじゃないかなと自国に不安を感じる一方、これまでの日本の運の良さを思う。

 

物事は変化するもの。いつまでも続く訳がないので、これを機に、国民一人一人が国防や安全保障について、深く考え議論し合えたらいいなと思っております。

 

戦争に正義なし。

ロシアが悪い、ウクライナが狡かった、アメリカが煽った、悪者を立てて話をする方がいますが、どちら様も、見る側を固定すればあちらが悪く見えるもの。しかし、世の中はそんな単純に二元的には語れないものだと思います。私やあなたの心だって複雑怪奇でしょう?それが絡み合っての世界事情ですからね。

 

今の私達は、遠くから見ていられるからこそ、見る側を固定せずに事実を見て考えられたらいいなと思っております。

 

それにしても、戦争反対です。

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万華鏡をのぞきながら

ポケットに入る万華鏡。覗くと周りの景色の色が模様に変換されるテレイドスコープ。今日みたいにきれいに晴れた日の散歩のお供におすすめ。(通販は【こちら

 

老眼が進むと焦点合わなくて、模様がぼやけるようになるんですよ(ふふ、ふふふ

 

私はまだ大丈夫なのですが、たまにお客様がのぞて「やだ、見えない~」で爆笑になるのです。

 

名付けて「老眼リトマス」

 

でもこの「やだ~」で笑えるのがおばちゃんのいいところだなと思います。

 

「老眼鏡掛けて見たら見えるんじゃない?」「あそっかー」みたいなお客様同士のやり取りを眺めてにやにや笑えるのも小さなお店の特権です。

 

衰えを悲しむだけだと、人生はどんどんつまらなくなっていくだけですものね。

最後は何とかなるか、どうにもならないと受け入れるか…人生は残酷にもシンプルだと思います。

 

若いとうまく行く結末以外は望みたくなくて、頑張りがきくという利点もあれば、悪あがきして疲れ果てる欠点にもなる。悪いことではありません。疲れるまでやってみないと分からない事は人生には多い。パパッとやってババンと結果が出る、それもいい結果が出る、そんなお手軽な事は少ないですからね。

 

体の疲れを感じている方は、たくさん寝て、もう少し頑張ればいいと思います。心の疲れを感じている方は、たくさんやった証拠だから、そろそろ運を天に任せてもいい頃合いかもしれません。迷っていると自分の本心が分からなくなる時がありますが、私は、心と対話をするために、万華鏡をひと時覗いてみたりします。


迷っている、というか。
コロナでまん防の間は何をどうしようとも、動かぬ岩が目の前にあるという感覚。岩を相手にして立ち止まっても仕方ないと分かっているのに、次がまだ思いつかないんですよねぇ。『果報は寝て待て』と言いますから、寝転がりながら万華鏡をのぞいてぼんやり。

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まだ何かできるかも

今年も文旦を取り寄せました。
私は黄色い皮色の柑橘が好き。
味も好きですが、この黄色い色合いが好き。見ていると元気が出ます。

本日ご来店のお客様が「わたし77になったの。でもね、そうするとあと残りどのくらい生きていられるかなと思ったら、90までだとしても10年ちょっとしかないの。まだ何か出来ることないかな、何か形にしたいなと思ったの」

この方、事業をされている方で、既に仕事で形を成しているのを知っていたので「仕事を続けることではダメなんですか?」と聞いたところ、ちょっと考えて「仕事もいいんだけど、そうじゃなくて、何かしたいなって思うの」というのです。

後になったらその気持ち、分かる気がしました。仕事はずっとやって来たから、習熟が進んで惰性でも出来るようになっているから、目新しさが全くないということなんでしょう。


「それに、仕事ね、まだ仕事やってるの?って言われたりもするのよ」と言うので、「どなたが?」と聞き返すとお知り合いの方に言われたとか。まだやってるの?という言葉に、引っ掛かりを感じている様子。

私の予想では、ご家族が「いい年なんだからそろそろゆっくり過ごしたら?」と労わりの気持ちで言い出したのかと思っていましたが、お知り合いと聞いて透けてきたのは、お知り合いは、働かないで暮らせている「自分の現状に満足」しているから、まだ働くの?といったのかも知れません。

お知り合いの価値観が、仕事は苦行で楽しめないというものだと、何故続けるのか分からない方かもしれない。「そんな事」を続けて何かいい事があるのか?と暗に言われて、「そんな事(事業、仕事」を大事に思って長年頑張って来たご本人にしたら、引っ掛かるのは当然。

パート仕事では、65歳になると週の労働時間を減らされる職場もあります。65歳になると定年退職になる職場もあります。65歳で正社員雇用してくれる会社はほんとに少ないと思います。本人が働きたいという意思があり、体力的にも能力的にも衰えがなくても、雇用側のルールで労働時間が減り、収入も減ります。高齢者活用と言われますが、それが現実です。70越えたら、雇いたいという会社は更に減るでしょう。

そんな話をお伝えしながら、「誰もが働き続けられるものではないのだからこそ、今出来ていることは素晴らしいし、辞めたくなるまで続ければいいですよね」「それに、やる気が萎えてないなら、これやりたい、やろうと気持ちが決まれば、一直線向かって突っ走れそうに見えますよ」と談笑。

他人の言葉は呪いでも何でもない。

自分が何も出来ない老人だと決めつけるのは自分。

この方ならきっと90越える頃までに、やりたいと思ったことを楽しんでるんじゃなかろうか。

私も、そんな老人になりたいものです。

 

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シン・ウルトラマン

映画「シン・ウルトラマン」(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

何人かのお客様から「シンウルトラマン、良かったから見に行け」と言われるもので、休店日に見に行ってきました。以下、ネタバレ多発。要注意。

館内は、若い人だけでなく、ウルトラQやウルトラマンをテレビで見ていた白髪頭が半分いたような印象。私もそっち系か。

シュッとしたプロポーション、余計なシワもなく、美しいウルトラマンでした。(中の人、スーツアクター氏、よくもこんなに美しい体形の方がいたものだなと後になってため息)

 

空想と浪漫。

そして、友情。

 

見終わって、どこに友情があったのかいまだに分からない。

 

小さい頃は、正義の「味方」ウルトラマンは、人間の味方、人間の仲間、人間と同じ存在に見ていた訳ですが、映画の中のウルトラマンは「外星人」

ザラブ、メフィラス、ゾーフィと、他の外星人達は地球人と「対等に」「友好を結ぶ」なんて頭にもない言動。もっと下に見ているし、無くなろうがどうでもいいぐらい無価値な存在として見ている風情。

 

ウルトラマンは、本来そういう外星人側の存在のはずなのに、他者のために自分の命を投げ出す人間・神永の行為を目にして「興味がわき」「もっと知りたくなり」神永と融合して禍特対のメンバーとして過ごす。

 

融合しなければ神永は死んでしまうので、生かすために手っ取り早く融合したと思われる。地球人を知るために都合が良かっただろうし。

 

 


映画の尺の都合で、ディテール設定をいちいち表現も出来ないからなんでしょうけど、漫画的な表現というか、概念的だったり象徴的な表現の読み取り解釈力がすごく試された気もします。

 

ウルトラマンと融合してからの神永が、常に本を速読し続けている様子が出てきますが、あれは時間の経過や、ウルトラマンが歴史や文化など地球人の情報を総ざらいしているのを表現しているのですよね。

 

その合間に交わされるメンバーとの会話も、たくさん繰り返されたと想像するのが正しいだろうし、ウルトラマン神永と地球人達との交流は、人間には短い時間だろうが、ウルトラマンには理解を深めるには十分な時間経過だったとも解釈できます。

 

でもその先に友情があったのかと言われたら、私にはやっぱり分からない。

ヒーローは悪者と戦い、勝つ。

その結果として、弱者が救われる。

私それほど熱中してウルトラマン見ていなかったせいか、どこか画一的なヒーロー群の1キャラとして見ておりました。

 

でもウルトラQもウルトラマンも、社会問題をテーマにしていたので、そんなに水戸黄門的な勧善懲悪ではないし、複雑な気持ちになるような話もあった記憶が映画で蘇りました。

 

映画なの中では何故か日本にしか出現しない禍威獣。どうにかしろと押し込んでくる他国や、米軍からの武器提供に依存する国防。代償に莫大な軍事費を支払う日本政府。外星人の思惑を読み取れず騙される政治。読み取ったところで阻止する能力を持たない地球のレベル。

何だか、現実社会とあまり変わりがないような問題が折りこまれていて、ウクライナ侵攻や近隣の核保有国があまり友好的ではない国々という現実と相まって、不穏で不安しかない。

ちっとも守るべき美しき世界に見えないのですよ。だからどうして、ウルトラマンが「自分の命を使い切ってもいい」と思ったのか、よく分かりませんでした。

 

でも、一方で、ザラブやメフィラスに対しては、「悪を断罪せよ(許しまじ」と感じたし、ゾーフィに至っては「なに勝手なこと言っちゃってんの」と呆気にとられました。

管理者としてのゾーフィ。

地球人は未熟過ぎ。成長のきざしが見えない。精神レベルが低すぎ、そこから抜け出る進化も期待出来ない。今までだいぶ様子見したけど、そろそろ見限って一掃しよう。


元々住んでいた私達の権利は?

勝手に管理してたって後出しジャンケンで言われても、何してくれてたんだっけ?ふぁ?ですよ。他の命に対する倫理観がおかしいじゃないか、光の国の人々は。

 

 

ゾーフィは本当はゾフィなんでしょう?

お兄ちゃん、どうしてそんなに変わってしまったの?的驚きがあって、何とか星人の擬態なんじゃなかろうかと頭の中、考察が目まぐるしかったです(笑

 

ザラブやゾーフィには、人間は、私にとってのゴキブリのような存在に写っていたかもしれません。生きている価値の無い存在。

 

ウルトラマンが、地球人に可能性を感じたとしたら、ザラブを退け、メフィラスを退ける過程で、使命や仕事に一生懸命な現場の人々の存在を見たからだろうか。

 

 

子供を救うため、躊躇なくかばい死に掛けた人間・神永を見て「興味を持った」ウルトラマン。興味の素が、神永一人ではなく、他の地球人にもあると観察したウルトラマン。

一人では非力でも、協力し合って大きな仕事を成し遂げる。外星人は個体の能力が高いから、他者と協力しなければ発展できない地球人は不完全体に見えたはず。ウルトラマンにはそこに可能性を見たのかもしれません。

 

ウルトラマン自身、毛色が違った個体だったのだろうな。ゾーフィの当たり前の結論に納得できなかった。地球人に興味を持つ好奇心。

でもそれだけじゃウルトラマンが自分の命を代償に地球人にチャンスを、神永に命を与える理由としては弱いと感じるわたくし。ずっと謎に感じて考えているのです。

 

 

ウルトラマンは人間とは違う価値観で生きているから、理解のしようが無いとは思いたくない。

 

 

私の妄想では、融合している神永の感情や意識もウルトラマンは共有していたに違いない、と至りました。神永の感情や人間愛は、ザラブやメフィラス、ゾーフィとのやり取りの中でも波立って押し寄せていたに違いないと思うのです。

 

私の妄想の結論は、この友情は、浅見分析官とのバディ関係ではなく、人間・神永との間のことなんじゃなかろうかと思っております。

自分の命を投げ出しても救いたくなるのは大事な人。

 

興味のきっかけ、人間・神永と融合し観察。面白い、何故だ、なんて観察を楽しみつつ、地球文明文化の情報をインプット、彼と彼を取り巻く人間関係を観察。いいところも悪いところも観察。

ウルトラマンにとって本来地球は数多のひとつでしかない。神永には唯一の大切なもの。一度死に掛けた神永は、失ったかもしれないいろんなものをより強く愛おしく感じ、守りたいと感じたことだろう。

 

外星人に対抗できない無力感が全世界を駆け巡った時も、神永の心は諦めるなと訴え続けていたのではないかと思うのです。

都度感じる人間・神永の意識を観察するうちに、好感を持ち、種族を越えたシンパシーが出来たということなんじゃないかと妄想しております。

映画を見た時は、まだ自分の中の補完妄想も無かったものだから、「え?ウルトラマン死んじゃうの!?」「そんな価値、ウルトラマンにとっての地球人には無くない?」ともやもやしながらも、訳もなく涙が流れて困りました。悲しくはないのに、ただ泣けてくるのです。

 

 

Twitterで見かけたこの投稿。私みたいに理由の分からない涙があふれた人がいるんだと思ったら、言語化しにくい感情を揺さぶってきたこの映画は私が欲していた何かを持っている作品だったのだろうと改めて思います。

 

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個人的萌えシーン、ナンバーワン。

ウルトラマン神永になってから、情動乏しくなるのですが、ラストに向かって、かすかに微笑みを見せるようになるウルトラマン神永が、凄くイケメンに見えて困りました。

 

そもそもウルトラマン達外星人には表情筋が無い(笑)種族的に感情表現が無いのかもしれないのに、微笑むようになっていく変化が、ウルトラマンを近く感じて、キュンキュン(笑

 

エンドロールで流れた米津玄師「M87」
「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ」という歌詞にまたまた滂沱の涙。私の妄想の元ネタはこの歌詞。人間・神永の望みがウルトラマンを動かしたと思いたいのです。

 


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5月も終わり

気付けば前回更新から2週間過ぎておりました。他のSNSと違って、ここに書くのは長い文章でまとまった考えにしたいなと思っているので、問題意識や気付きが無いと、ついつい放置気味に。

 

感情が動くようなことは日々起こるのですが、笑えることは笑い終わるとスッキリしてしまい、後に残らず。

 

もやもやすることは、その感情に囚われてもいいことが無いという経験則から、スルー。忘れてやり過ごせる程度の事は後に残らず。

 

つまり、良くても悪くても、後に残らないレベル感=平和なのでしょう。三段論法だと、平和だと日記が書けない、ってなりますよね(合ってる?

 

昨日、いつも会えば話し込んで時を忘れる方が久し振りに顔を出してくれました。最低でも月に1度は顔を出してくれる方なので、この数か月見ていないなと気に掛かっていたのです。

 

店に入ってきて、○○ですと私に声を掛けてきたのですが、激ヤセした姿でピンと来ず、「え?どなたですか?」と聞き返してしまうほど。

 

声がかすれていて、声を聞いてもピンと来ない。
マスクを外してもらっても、痩せすぎてピンと来ない(笑

「病院の食事が美味しくなくて痩せた」と言われ、「私もそれ食べて痩せたい」と笑い合えるほど元気だったのでホッとしました。急に入院となったせいで、いろいろ大変だった模様。

 

入院中の話をしてくれたのですが、いつもの如く「気になったのそこ!?」的謎な状況と人間模様に大笑い。

かれこれ4か月は合っていなかったと聞いて、そんなに経っていたのかと驚きました(ひと笑いしたら埋まっちゃいましたけどね

後で一人になってから、あの方が元気で戻ってきてくれて、本当に良かったと噛み締めました。そして、顔を出して事情を説明してくれたことから、あの方にとっても、私がそういう存在であることが、うれしく感じました。

余計なものは持たず、最低限で暮らしているつもりですが、店を続けるうちに、店と紐づいたたくさんの人やコトを抱えて過ごしているんだなと再確認です。私の平和な日常を形作る人やモノが、ひとつでも欠けたら色褪せるのを再確認です。

今日は平和だけど、ブログ更新できました(笑

 

(そういえば水星逆行中、5月はやり直しや振り返り月間)

 

 

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癖(へき)

考えをまとめる時、本を読む時、白い紙を手元に置いて、思い浮かんだままメモ書きします。

 

些細なことでも何でもいいから、書き出すことでワーキングメモリーから外せるというメリットがあり、文字として可視化した情報は、後でグルーピングしたり、加工も簡単。俯瞰すれば、自分が何に気を取られていたのかよく分かります。

 

今は、手近にあるコピー用紙やチラシの裏紙に書き留めることが多いです。元々はノートに書き留めていたのですが、同時進行であれこれ考えたり複数冊読んでいる時は、書く順番が気になってしまうわたくし。

同じ内容は同じページ内に収めたい。

同じ内容は連続したページ内に収めたい。

分類と連続性が大事みたいなんですよね。
自分の癖(へき)が時に煩わしい(苦笑

画像のノートは開業したての頃取り扱っていたpaperblanksのノート。

エンボス&箔押し、紙は上質で書き味がよく、罫線の幅も色もわたくし好み。そう言えばページが残っているからメモに使おうと引っ張り出してきたのですが、やっぱり例の癖(へき)が邪魔になって、好きなように書き散らかすことが出来ないのです。

多分このぐらいページ取っとけばいいかな、という予測が出来ないのが問題。あ~、何かやっぱりノートよりペラ紙たくさん使う方が自分には合っている気がするなと思ったところで、「そうじゃなくて」「1件1冊で複数冊に書けばいいじゃないの」と思い浮かび、我ながら納得。

幸い隣は西村文具(買いに行け

 

全部1つにまとめたい癖(へき)じゃなくて良かったなと思いながら、どうしても考える時には紙に手書きが外せない自分の癖(へき)に苦笑。今のところ、これの代替案が見つかりません。

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ミントの緑

吉祥寺サトウズティーからお裾分けのミントの葉っぱ。
初夏をイメージする明るい緑色。

私の中では「新緑」をイメージする緑色に見えます。

『四色型色覚』という単語を見かけ、ググってみたところ、多くの人は三色型色覚で、視神経が赤、青、緑を感知して、掛け合わせで複雑な色合いを認識。四色型はその掛け合わせが4つある方で、常人の100倍(1億色)を見分けるとか。

 

赤の突然変異と赤、青、緑の正常神経とで4色掛け合わせ。女性に多く、男性家族に赤緑色覚異常がある家系に四色型色覚の女性が生まれる確率高めだとか。

 

そんな方が見たら、この緑をどう表現するのかな。

 

この世の中は、三色型色覚者が作り上げた単語や表現がほとんどだから、四色型色覚者の方には「見えているものをちょうどよく表現する言葉が見当たらない」こともあるのだろうかと、妄想がはかどってしかたありません(笑

 

参考事例で上がっていた画像では、三色型色覚者には1色に見える花が、四色型色覚者には中央部と外縁部とでは違う色味に見えるそうで、同じ花が全く別物に見える画像に驚きました。見えたまま素直に絵に表現して、先生から「よく見て描きなさい」なんて言われて、言い返せない性格だったらモヤっとしちゃいそうだなと、妄想がはかどって…(ry

子供の頃は人には無い特別な能力に憧れがあったものですが、三色型色覚と四色型色覚を切り替え出来るなら、憧れるに値するなと大人の私は思ったりして。

わたくしよ、凡庸を嘆くこと無かれ。
その他大勢には大勢なりに、意識せずに自動的に受け取っている幸せも多いはず。なーんて思って見たミントの緑。

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五月の連休は

今年の五月の連休は、去年と比べて人が出歩いている気がします。それに、そぞろ歩きではなくて、目的地があって向かっている人の気配が強かった印象。

昨年の5月は「コロナだし出掛けるってもねー」という感じで、行くところもないが飽きてきたから散歩中という風情の人がまだまだ多かったので、随分な変化だなと感じております。

 

 外出帰りに立ち寄ってくれた知人が「世の中はもうコロナ前に戻ったと思った」と言ったのを聞いて、他人の目にはそう見えるなら、私にはまだ見えていなくてもそうなんだろうなと、もうすぐそうなるんだろうなと思いました。

本当に、このまま、コロナなんて忘れられるほどになればいいのに…


そうだ、世の中の流れが戻る方向に動いているのなら、当店もコロナ以前に戻った動きをしよう、と思ったわたくし。コロナで週休二日制にしていたのですが、また隔週二日に戻そうとしております。

 

ひとって、サボるのは簡単。

学ばずともすぐに出来るくせに、勤勉さを取り戻すのは難しいものですね、、、

この火曜日、家でゴロゴロしてたいな~という欲望を抑えて、人類滅亡している店内で19時までお店番がそこはかとなく辛い(苦笑

暇なので、「水星逆行」の過ごし方を妄想して過ごしました。


星占いをやっているお客様から「水星逆行がやってくるよ(5/10~6/3」とお知らせがありました。水星逆行は、情報の遅延や錯綜、移動の混乱など人にとっては困ることがよく起こるのですが、過去に積み残した課題をやり直すタイミングとも言われるそうです。

どうせなら、積み残し課題を総ざらいして・・・と思っていたところ「お前の好きなことは何だった?」と神様から言葉が降りてきました。

 

便宜上、神様と呼んでいますが、直感というかなんというか。

1年前の好きなこと、

3年前の好きなこと、

5年前の、10年前の、と遡ってみたら、

どの時代も共通して好きなもの、価値観が見えてきました。

 

この10年、メインに据えるほどではないと思っていた価値観だったので、
「忘れてた!」
「忘れてたことにびっくりだった!」というのが正直なところ。

思い出したからには、また始めたらいい。

「そうそう、好きだったわ」と思い出したら、その事を考えるのが楽しくて仕方ありません。
水星逆行の時期は、実行実現する道筋を考えてみるひと時にしようと思います。

 

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みなさんも、「お前の好きなことは何だった?」の振り返りしてみると、思わぬ再会、再開が見えてくるかもしれません。水星逆行はもうすぐ始まりますからね。その頃に、ちょっとやってみると面白い結果になるかもしれませんよ。

 

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ワクチン接種会場にて

休店日に合わせて、ワクチン三回目。
今日は風の強い日で、八重桜の花びらが巻き上げられ、ドラマチックな景色が見られました。眼福。

 

 

昨日ある事を決めてから、この休店日にあれこれ動く必要がなくなり、ワクチンの副反応が出てもひたすらごろごろしていてよくなったもので、何だか開放感。自分に都合がよい風になると、これで良かったのだと確信するあたり、思考バイアスが大きい私。

 

会場近くで植え込みのつつじが見事に満開だったので、足を止めて観察。
以前読んだ、花粉図鑑を思い浮かべる。

つつじの花粉は、おしべ先端2ヶ所から、豚の鼻みたいに粉を吹いて散布(画像2枚目、見えるでしょうか?

ひとつの花の中に、まだ花粉がついてないおしべもあるのをみて、時間差という作戦を使う植物なんだなと面白く思う。

花ひとつで楽しめるわたくし、安上がり。

 

会場に到着して、以前と同じように、建物の入口で警備の方が手指消毒を声掛け。

入口入ると係の方が必要書類が揃っているのか確認。

種類を確認するだけでなく、身分証と書類があっているのか、書類を受け取り目視確認。

次に会場入口前の廊下で、書類と身分証の確認。

熱がないか、体調悪くないかなど確認される。
問診表に書き込んできた内容を改めて口頭で聞かれる。

自分の番になり、手指消毒して後、受付。

予約情報と書類の確認。

 

本日同じ内容を確認、3人目。

この辺りでうざさを感じてきた。

お年寄りが「何度も同じこと言うな、分かっとる、結論が知りたいんだ!」と怒鳴っているイメージが点滅(苦笑


次、医者の問診。

ここは、受ける側の不安と疑問を解消する目的が強い気がします。私は不安もないし疑問もないのでさくさく次へ。

接種はあっという間に終了し、終了の受付。

接種ロットなどのシールを書類に貼り、副反応が酷い時や不安な時の問合せ窓口のご案内と、ショック症状確認のために15分?待機。

会場を出る際に、書類を確認され「お名前はお間違いありませんか?」
またかよ、というイラつきと共に、ある事がよぎり、ちょっとズッコケそうになりました。

 

内部統制のマニュアルを作成する仕事をしたことがあります。

ニューマンエラーありきで、確認のタイミングと確認方法を検討し、関連部署に実施してもらう。

 

人数が多ければ多いだけ、誰かと誰かが関わるたび、書類やデータやモノが移動するたび、リスクはあらゆる場面で生じます。それを潰すために作られた新ルールは、日常的にたくさん起こる場面で追加されるからこそ、たくさんの人がイライラ。

 

1のミスが引き起こす影響の質が、重大さなら1つを潰す必要がある。

軽微でもたくさん起こり得るなら回数を潰さないと。

 

最後の最後に、会場を出るところで「お手持ちの書類のお名前は間違いありませんか?」と声を掛けられた時に浮かんだのが「間違うとしたら、係の人に手渡した時、その係が人を間違えて渡す時」「係は一対一の対応で、一対多はしないオペレーションないので渡し間違うことは無い」無いけれど、もしもの可能性があるので確認を入れるのだろうな…

 

その可能性って、どんな事態を想定しているんだろう…

すごく非現実的で笑えるようなシチュエーションなんじゃなかろうか…

うわ~、その内容知りたいかも…


とさっきまでイラついていたくせに妄想始まったら途端にわくわくしている自分。

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接種後6時間経過しましたが、何の副反応もなし。
今回はこのままで終わるといいな。

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だって、でも

昨晩飲み過ぎました(反省)

 

やる、やらないを迷っている事があります。

その事の締め切り第一弾が間近になり、もう決めないといけないタイミング。

今年中に絶対やるしかない事柄。
なのに、やると決めたら終わる話を悩むのは、やりたくはないから。

 

やるしかないが、

やってもうまくいくか分からない。


やらずにいたら確実に下降線。

なら、やるしかない。

どう考えてもやるしかないのだけど、

やらずに済むならやりたくないので、

思い悩んでグズグズ飲み過ぎてしまいました。

 

わかりきった話でも、感情が捨てきれず、人は悩むもの。

 

で、本心はまだやりたくない(苦笑

また「だって」「でも」と言いそうになっているわたくし。

 

こういう時は、どんどん動かして、後戻りできないところへ早くたどり着くのが一番。機械的に先方に電話し、機械的に最短日にアポイント取って…「虫のように生きる」という言葉が下りてきたことがあるのですが、今また思い出しました。余計な事を考えず、直線的に取り組む。そんなニュアンス。

 

今回は、感情が邪魔をして、動くタイミングが随分遅れてしまったなと反省。まだ、結果がどうなるか分からないのでモヤモヤは続くのですが、動き始めたからには必ず答えが出るので、グズグズはこれで終わり。


モヤモヤがスタート。
ああ、ひとつ終わると次が出て来る(ククク…

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粉唐辛子

先日、友人と食事がてら、随分足が遠のいていた新大久保界隈。改札出て右側へ歩きながら「この線路沿いの道が着工した頃から来てない」と思い出を語り合う。多分10年ぐらい来てなかったふたり。

コロナもあって、韓流スキーも少なめ。

どこもかしこも思ったより人が少な目で歩きやすい。

昼時のレストランはどこも空いているので、目に留まったお店に入ってご飯。店員さんも少ない相手の接客だから、ゆったりめで、こちらものんびり。

 

江古田辺りは住宅街で、住んでいる住民相手のお商売。まん防が明けたところで、いつもと変わり映えしない人通りだと思っていましたが、繁華街も似たような調子みたいです。

 

繁華街へ出掛けて楽しむ人が多いと、住宅地の商店街からは客が居なくなると「昔は」思っていました。

 

「今は」繁華街や観光地がにぎわうのは、世の中のマインドセットが外向きか、楽しんでいるか、幸せか、それが見える窓に思えます。繁華街がにぎわう時は、地元の商店街も人の往来が活発で、にぎわうものです。だから、新大久保界隈が空いているのは、まだ自粛モードなのか、それとも気持ちに遊ぶほどの余裕が無いのか…

お料理美味しいね、と笑い合いながら、客単価の低いランチタイムでお客が10名未満の1回転で厨房とフロアで従業員4名ぐらい?そんなで持つのかいな?でも10年以上前からある店だもんな~と採算をお見積り。どちら様も厳しい経営状態が透けて見える。

私なりに、人々が心から開放的になるにはまだ時間がかかるなと受け止め。

 

遊びに来たのにつまんないこと考えるのよそうと気を取り直し、本日のメインイベントは韓国と中華の食材屋で爆買い。韓国食材屋では味噌などジャン系の重たい調味料を、中華食材では乾物や雑穀米に混ぜたい穀物を。荷物が重くて宅配便で送りたくなるほど買いまくりました。


今回、購入した中で、一番買って良かったと思ったものが「粉唐辛子」

甘味も感じる辛さで、旨味も感じます。

粉になっているのでタレに混ぜて肉に塗り込んだり、扱いも便利。

味噌汁にちょっと入れると、コクが出る気もします。

韓国料理は珍しくもないほど食べているのに、自分で粉唐辛子を使ってみようという発想にならなかったのが悔やまれるほど粉唐辛子は便利で美味しい。

 

 

粉唐辛子の赤い色。

体に入れると少し体温上がるような、元気が出る気がします。

しばらくは試して試して、研究。
買った分量が無くなってまた買いに行く頃には、新大久保の人出が元に戻り、江古田もそこそこにぎわうといいな…なんて。

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いつもと違う選択を

頂き物のスミレの花。グラスに投げ入れ。

花瓶が無くても、花は飾れる。

 

コロナにウクライナで、また社会不安で世の中が停滞延長かと諦めモードに落ちかけたのですが、まてよ、と。

私は何かと時事問題が自分の事業や生活に及ぼす影響を考えがち。でもそれはそれ、要因のひとつでしかない。取引先の方達と雑談、どちら様も売上低迷、どうすればいいか不明(ラップ調

私達も消費者のはずなのに、その心をもってしても見えない。

こうなんじゃないかと語られる内容が、私にはそうも思えなかったりすると、互いに幻を見ているよう。

 

予想屋は予想すれば当たる/外れる。

当たる予想は予知。

外れるからこそ予想。

アナログに、人間ひとりが目にする耳にする情報量だけでは、計り切れない世の中になっているに違い無いのです。みんなで「分からん、見えん」とぼやき合うこの実情、それで説明がつくではありませんか。

 

ビッグデータを持つものが残るとなると、弱小個人商店はどうするべきか…出来る事しか出来ない規模なので、新しいとか、他と違ったことを探すのも違う気がします。

もうひとつ思い浮かんだのが、「私と同じ情報を見ていない人はたくさんいるんだ」という事実。

私が世の少数派の場合、その情報内容で判断はアウトではないかと。

このまま繰り返す日々では足りないが増えるだけに思え、普段自分が足を向けないものなら何でもいいから見に行こうと思い立ち、そうと決めたら行けそうな友達に連絡し、催事が不発でも友達とキャッキャウフフで損しないように手当してお出かけ。


選んだのは、単価のお高い、しかも値段の根拠が分かりにくい「古美術」の展示会。目利きではないので皆目分からないながら、目が留まるものはいくつかあり、値札を見てはギョッとし(苦笑)すっかり場違いな冷やかし客でした。

出店者の風体の怪しさと、来場者の身なりの普通さも意外で。

もっとお金持ちっぽい人が来るのかと思ったら、どっちもどっちで身なりからは趣味嗜好が見えにくい感じの方が多く、出店側にはカジュアル通り越して擦り切れ過ぎて気になる方もいて(笑)業界標準がよく分からないなというのが感想です。

誰かと連れ立って来場している人が半分は居たような。

店の人に、自分のコレクションや好きを一生懸命語り続ける女性が小一時間居座っているのを観察し、単価の高いものだから、一人に掛かる接客の手間は相当なのかもなと思ったり。買う人1人捕まえるまでに100人の冷やかしをいなす感じなんだろうかなあと思ったり(余計なお世話

喫茶店へ移動する間に見かけた人々は、穏やかな笑顔で行き交い、本日の日本も平和。不幸せな人は見たところいない感じ。コロナもウクライナもどこ行った?ぐらいなんですが、メディアでは相変わらず不安を煽る系の発信が多いのでギャップを感じてしまう。

友達の近況を聞きながら、この話は、自分とは異なる生活圏、異なる業界から見える世の中の欠片だなと思いました。友達だからこそ、隠さず話してくれる内容もあり、貴重な欠片。

 

その後店を開け、パートへ行って、ルーチン。

寝しなに、いつもと違う選択をして出かけてみたが、良かったなと感想。

変わりたいなら、コロナの2年間とは違った選択を心掛けて過ごすべしと浮かんだので、しばらくその方向で。

 

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平和とは何か

ウクライナ侵攻。

ロシア軍の一般人への虐殺が告発されており、毎度のことながら、人間は人間に対して、どうしてここまで残虐になれるのかと恐ろしく思っております。

力のある側が、力を持たない側を一方的に拷問し、強姦し、殺戮する。殺し方がまた惨い。第二次世界大戦の終戦間近、ロシアが日本の民間人に対して行った事となんら変わらぬ単語が並ぶ。私がその事を知ったのは、社会人になって30代の頃。あまりに惨い言葉が並ぶ資料に吐き気を覚えながら、知る必要を感じて読んだ記憶。

 

戦争なら何をやっても、やられても仕方ないのか?と思ったものです。極限状態だと、普段とは違う精神状態になり得る。その時に他者を思いやり助け合える精神を持ち続けられるのか、自分一人逃げたくなるのではないか、他者を陥れてでも自分は助かりたいと思うのではないか。人間の品性や徳は脆い一方で、どうせ死ぬなら惨めに死ぬより一矢報いたいと強くもなるだろう、そんなことをひとしきり考えたことがあります。

TVを持たないもので、webニュースやYoutube動画で情報を得ておりますが、文字面だけで十分、私は削れてしまう。だから画像検索もしないし、現地映像も見られません。コロナ不況で経済的な不安が冷めやらず、精神疲労状態が続いておりますから、普段より、不安や恐怖に対する耐性が落ちまくっている自覚があります。

 

SNSのタイムラインで、ロシアが早く負けて停戦すればいいと願っているつぶやきを多数目にしますが、私にはこの戦争は、停戦となれば終わるとは思えずにおります。クリミア侵攻の後も、ずっとウクライナとロシアは境界を接して不穏な状態が続いてきたのだし、戦争は「止めます」と宣言したところで、守る気が無い人が一人でもいたら、その条約や法律には何の意味があるのやら?

私の火曜の夜のお楽しみ、地政学・奥山真司氏の動画で興味深い話題が出ておりました。

32:00~45:00辺り
・日本の教育では「平和は尊い」「守るべきもの」というだけで、何が平和か、平和とはどんな状況かを教育で教えていない。

・日本は、戦争が何故起ころうが、中身がどうだろうが、禁止1点張り。無いものにしたい。どこかの国と戦うなんて議論さえしない。できない。

・そんな教育を受けてきた世代は、戦わなければいけない状況とはどんな状況なのか、理解できない(やられっぱなしでも、やり返しても、その結果が後でどんな事態に帰結していくのか、思いつけない、思考ゲームが出来ないという意味かと)

 →私は生まれた時は終戦後だし、高度経済成長にバブルもあったから戦争は遠い昔世代。国と国のやり取りは善意や正義だけじゃないと理解、実感できたのは40代になってから。。。


・みんなが合意する平和は無い。それぞれが求めている平和な状況は立場によって異なる。

→ウクライナにとっての平和とロシアにとっての平和が同じではないのは想像に易し。

 

奥山氏は、ある秩序が保たれて守られている状態を平和と定義しておりましたが、なるほどなと思いました。良くも悪くも、秩序が保たれていれば、混乱は生じにくい。

 

私は、平和と言えば「争いのない世界」を連想するけれども、ある権力によって押さえつけられても実現する代物だな、なんても思ったり。「戦争のない世界」を連想して武器を無くせばいいと思っても、無ければ単純に力が強い方が勝つので、弱いものが駆逐される弱肉強食が浮かび、武器を無くすだけじゃ足りないんだなと思ったり。でもじゃあと、悪行を縛るための法律を作るとなると、守る気が無い人には意味がないとなり、罰が必要となればどんどん個人を管理監督する社会に近づいていき、ある権力によって強力に統制されていく方向性に近づいてしまい、それは望んじゃいのになと思い直す。


平和って、私の周りにはありふれてたはずなのにな。

結構平和は難しいし、よく知らなかったんだな。

 

まだうまく言語化出来ないと感じたので、自分なりにもうしばらく考えます。

和田社長が「悪魔の辞典という本で、平和とは戦争と戦争の間のばかしあいと書いてあった」と言っていたのが妙に心に残っています。

 

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