環便り(ブログ)

好きな感覚を思い出せた

自分が好き「だった」感覚を思い出す出来事がありました。かなりご無沙汰していた感覚。

思い出した瞬間、今まで自分に足りなかったものに気付いてしまい、今のままで個人商店をやっていると、足りないままかもなと少し心が揺れてしまいました。


HPに寄せられる問合せに、どうやら法人の担当者から、本来ならメーカーへ問合せすべき内容のお問合せがありました。

聞く相手を間違えている点。

質問内容があまりに素人な点。


デザイン事務所と書いてある割に、自分で考えたり調べたりする事もなく、その手間を省くために質問してきているようで、これは手抜きだよねと嫌悪感。

私自身デザイン業界で仕事をしていましたが、扱う素材や作り方、使用工具など工程を理解していないと、企画も図面も作れなかったし、見積もりだって作れなかったけどな~と思いました。

問合せといえば、無料で対応してもらえる。

なんて素敵なカモフラージュ(黒笑

 

でもな、
この人は、もしかしたらOJTも満足に受けられない社内でもがく新米デザイナー、かもしれない。私の場合は、周りの先輩上司のおかげで、ひとつひとつ出来ることが増え、上手になっていったのだから、私が社会への恩返しのタイミングと思えないかと変換。

 

この人は、もしかしたら転職したてで、畑違いにチャレンジ中のお父さん、養う家族のために必死な人、かもしれない。私も転職経験者だから、勝手が分かるまでは周りも大変だけど本人が一番大変だもの、と思えないかと変換。

 

この人は、私と同じように、毎日一生懸命生きている人、かもしれない。

 

そう思い直して、真面目に返信してみました。

この店を始めて分かったのですが、嫌だな、不快だな、不満だな、理解できないな、等々、ネガティブな感情が湧いた時は、その感情に流されてしまうと受容力が落ちる。いらないと切り捨てる。後には何も残らないどころか、マイナス気分が残る事が多いです。

 

この「何も残らない」というところがポイント。

 

イライラする自分を認め、イライラしてるな~と感じつつ、無視したい、やりこめたいと思う気持ちと逆方向の事をやるのです。

もちろん、聖人ではないので、毎度心の摩擦は起こります。でもゼロにしかならないやり方→切り捨てることをしないので、結果として「何かが残りやすい」

 

メールへの返信は期待していなかったのですが、返信をもらいました。そこには自分の不躾さを詫びつつ、提供した情報と対応に感謝が綴られており、「相手に何かを残せた気」「相手から何かをもらえた気」がしました。

 

これはまさに承認欲求。

まだマズローの4段階目から抜けられないみたいです(トホホ)

 

コロナで一人でいる時間が増えたせいで、嫌だと思うほどのやり取り、交流を、コロナ時期に出来ていません。他者との交流不足もあるかなと。摩擦は刺激でもありますから。

 

一人になりたくてひとり個人商店をやっている訳ではないのだと改めて思いました。人が集まり交流できる場所として雑貨屋という形態をとり、そのハブとして私はいろんな方の話を聞いて、それを誰かに伝えていたのになと思い出しました。今、出来ていないなと自覚。

コロナで来店数が落ちたまま、寂れ埋もれている感覚に焦りを覚えていること、見ぬ振りをしていたことを見ちゃった感覚。ヒト、モノ、情報が集まる場所は、活気があって身を置くと元気がもらえるもの。当店の場の力が、コロナで落ちまくっているなと感じます。これこそ、見ぬ振りをしていたことを見ちゃった感覚。

一人で成長できる枠と、他者がいてこそ磨かれる枠と、人生にはどちらも必要、大事。


一人でいる時は、一歩一歩地面を歩む感じ。

どんどん遠くへ歩いていく感じ。
線を歩む感じ。

 

他者に磨かれる時は、相手との相乗効果で、街のような面の広がりを味わう感じ。


面の広がる感覚を、今年はもっと味わいたいなという欲が芽生えました。

 

もっと頑張ろう。

今月は、場づくり空気づくりを心掛けて、お店番楽しもうと思います。

 

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極細の牛の涎

商いは牛の涎と言いますが、続く分には細く長くで構わないけれど、コロナも4年目に入り、極細感が出てきて(/ω\)イヤン 

 

今日は月末支払いのために銀行巡りして出勤したんですがUFJのATMの行列が半端なくて、仮店舗で台数減ってるから仕方ないけれど、牛の涎並みの行列に心折れ掛けました(トホホ

 

行列がいくつも折り返す中で、コロナ怖い方だと思うのですが、前の方との間隔を2mは確保したい方がいました。

 

後ろも左右も1mもあいてない状態で、ちょっと異様な光景。その方は頑張って自分がコントロールできる前の距離は確保し続けました。

 

この方は、周りを見渡しながら並んでいたので、自分が前だけ距離を確保しても、周りが協力してくれないと望む形にならないことを認識はしていたと思います。私は、意図は分かるが無駄な突っ張りしているなと思って眺めていました。

 

わたしはつい妄想。

その方の空しさや怒り、悲しさを妄想せずにはいられませんでした。

 

あの方には生き辛い世の中なんだろうなあ…

 

誰しも事情を抱えて生きていて、時に少数派になってしまうこともある。

 

その時に少数派を受容し優先したり、別の選択肢を用意したり出来るのにあのATMの行列にはその余裕が無かったなと思いました。レーン設計にも無ければ、並ぶ人々にも無かったなあ、と。

 

時間とお金に余裕があれば、誰しも基本優しい。今はその余裕がだいぶ減ったな~とコロナ禍を思いました。

 

本日のわたくしは、月末支払いで削られまくりで、余裕ぶっ飛んでますけど、心の中では、細く長くでいいから、他者への思いやりを持ち続けていきたいなと思っております(牛の涎的な人生訓

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幽霊になった夢

夜のパート仕事を再開しました。往復の通勤時間を含めて5時間ほどの立ち仕事。自分の店では、1時間もすれば座ることが出来るので、心中どきどきの復帰初日でした。

気が張ってる間は動けるもので、翌日が心配だったのですが、耐えられる範疇で、ホッとしました。パート仲間の顔を見ると、何だかホッとするところもあって、ここはここで私の居場所になったんだなと思ったりもして。

このまま、時間を薬に、動きに慣れていけば、遠くへ仕入れ旅行に出たりもまた出来るようになるなと確信が持てたので、喜んでおります。

 

昨晩は記録的な大寒波来襲で、江古田も夕方急に冷たい強風が吹き出し、気温もどんどん下がってきて、ドキドキしながら帰宅。

 

パートのせいで筋肉痛や凝りが出ているので、休店日は目覚ましオフで好きなだけ眠って体の修復をしようと、いつもよりも長く眠った本日。夢を見ました。

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パート先で働いている自分。場所は学校のような、部屋がいくつもある場所で、見たことがない人がたくさんいる。今日はいつもと違うなと思いながら、やる事は分かっているのでテキパキ働いていたところ、休憩時間になる。あれ?私のシフトは休憩なんて無いんだけどなと思いながら、誘われるまま移動すると、薄暗いモダンなバーのような部屋。みんながっつりしたご飯を頼んで食べており、私も店員の勧めるものを頼み、前払いしながら「2600円か~、高いな~」と思いながら、仕事に戻ろうかなとそわそわ。

店員が持って来る料理は、1皿と思いきや、次々と大量で、食べ切れないから持ち帰るようにしてくれと頼む。両手が塞がる荷物で、ロッカーに置いてこないと仕事に戻れないなと思ったら、場所が自宅に。家に置きに帰ってしまったようで、仕方ないからパート先へ電話連絡しようと思ったところ、電話が無い。

 

仕方ない、また職場へ戻ろう。着くころには終業時間になりそうだな、どうしてこうなったんだろうといながら、気付くと公園。子供も大人も、何故か私のすぐそばに立ったり、近すぎる距離感。嫌だな、何だろうこの人達はと避けながら、声を掛けても無視されるので、これは意地悪されているんだなと思って腹が立つ。

 

すっかりパート先へ戻る目的を忘れ、こんな場所にいてはいけないと家に戻り、水を飲もうとしたら見知らぬ女性がお風呂掃除をしているではないか。私に気付いた女性が「どなた?ここは私の家ですよ」というのを聞いて「私の家です」と言い返した時に女性の表情が段々と変化するのを見て「あ、私は幽霊だったんだ」と気付き、この女性には見えているが、公園の人達は見えて無かったんだろうなと悟りました。

急に怖くなって「お母さん!お母さん!」と叫びながらどこへ行けばいいのか不安になったところで目が覚めた。

 

夢の理不尽。

 

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それにしても。

ギックリ腰の痛みがあった頃は、痛みで眠れず、うとうとするとズキッときて目覚めるの繰り返しで、寝不足で疲れ切っていたもので、長く眠れる、二度寝出来る楽しさ、心地よさが味わえることがうれしくて、やっと治ってきたなとしみじみ。

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さらば夜の自由時間

仏手柑いただきました。奇妙な形で、中身は白い綿のみで、可食部分ナッシングな不思議な実。インド原産で仏様に手を合わせたような形から、縁起物だとか。

皮を少し傷つけると、凄く爽やかないい香り。渋みとえぐみで食べるには適さないようですが、柚子皮のように使うといいのかもしれません。

 

種は一体どこにどんな形で出来るのか、そこが気になりググッてみたのですが、「接ぎ木や挿し木で増やす」とあり種の話題はナッシング。謎が深まるばかりなり。

 

インドの仏手柑の木はどうやって生まれて、増えたのだろうか。次々生まれる疑問。こうやって図書館のカンファレンスに相談して本を読むのがまた楽しいのがわたくし。

 

そう言えば、「種なし葡萄」「種なしスイカ」と違い「種なしみかん」とは言わないですよね?温州みかんは元々種が出来にくい品種なので、わざわざ種なしという必要が無かった、という豆知識をゲット。知識欲は、枝葉が茂ると楽しさも倍増の法則。

みかんな図鑑「どうしてみかんには種がないの?」

 

ギックリ腰で夜のパート仕事を1ヵ月ほど休んでみて、夜の自由時間が増えることで、自分の余暇の質が向上したと実感。

 

料理をしたり、本を読んだり、動画を見たり、自分の興味関心をつぎ込む時間が増えたら、今まで枯渇を感じていた興味関心が「そう言えば」と次々とわいて来るではありませんか。ただ、ただ、楽しい訳です。

生活のために、今はダブルワークをするべきという選択は間違っていないと自分では納得しています。パート先の同僚に会うのも楽しみではあるというのに、何だか久し振りに感じているこの楽しさがパート再開で減ってしまいそうで、薄ら暗い予感がよぎって仕方ないという…

 

「大丈夫、大丈夫。思い出せたから、パート再開したところで同じ穴には落ちないよ、きっと」と自分をなだめる長風呂タイム。

この自由も、飽きれば色褪せて見える時間。
今楽しくても、また移ろうのが私の心。

分かってる、大丈夫。いろいろ大丈夫(と唱える

 

明日から、夜のパート仕事に復帰します。

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都バス 乗り隊歩き隊 鏡開き号「練馬 江古田」特集

東京都交通局が発行している小冊子『都バス 乗り隊歩き隊』

都バスを利用して楽しめる沿線散策を紹介する内容です。

 

鏡開き号は「練馬 江古田」特集

当店も掲載されております。

 

都営地下鉄各駅、都バス営業所・支所、定期券発売所、荒川電車営業所、日暮里・舎人ライナー日暮里駅等で配布中。

 

それにしても、都バスは創業99年目!

そんな昔から東京には公共交通機関があったとは知りませんでした。

 

表紙の人形は、当店取り扱いの「のごみ人形 鯉乗り童子」

 

中はご覧の通り、風情のあるイラストと手書き文字で構成されていて、絵本みたいに素敵です。

 

当店への路線は新宿西口~王子駅前発着の『王78』、羽沢停留所で下車+地図見ながら徒歩5分。

 

アンケートの景品は当店イチオシのマイクロファイバークロス。メガネもスマホ(液晶)もひと拭きでスッキリ汚れ落ちで、この5年ほど当店で一番数が動いている人気の実用商品。

 

アンケートハガキで応募とあるので、ぜひ冊子見かけたら持ち帰り、応募してみてくださいね。

 

配布場所が遠いという方、東京都交通局ではWEBでも冊子データを公開中。紙の風情付きで見て欲しいところですが、そうもいかない方はリンクから閲覧どうぞ。

 

https://kotsu.metro.tokyo.jp/pickup_information/magazine/noritai/

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仕事始め

今日はパート先にギックリ腰の症状について近況報告の日。

時間が薬となったか、痛みがだいぶ引いた分、少し長く立ったり歩いたりが出来るようになったので、今日からどのぐらい立っていられるのか、その後の痛み具合はどんな感じか、今日から試すことに。

4時間立っていられないと仕事になりません。

何なら歩き続けられないと仕事にならないので、動作継続時間が大事になってきます。

昼の仕事で疲れ切ると、夜持たないし、継続時間が早く伸びてくれたらなと切に思うようになりました。

それと、そろそろこの状態も3週間になるので、セカンドオピニオンもらいに別な整形外科へ行くことにしました。

 

 

気持ちは早く復帰したいけれど、まだもう少し、パート復帰に時間が要りそうです。

パート先も、無理しないでねとしか言いようがない訳で、その言葉を聞くたび、同じシフトのメンバーに申し訳なく感じてしまうわたくし。早く、早く、早く、と思いはするが、体と向き合うしかない。

 

開店後、すぐ通販発送準備。

休んでいる間に重なってしまった注文を発送するので、数はそこそこあるため、黙々と作業。

 

途中、えこだの山賊さんから音虫さん(江古田店の雇われ店長さん)が亡くなった話を聞いて、しんみり。見知っているだけの相手ですが、やはり亡くなったと知れば寂しさを感じます。同じ時期に江古田で過ごしていた商店仲間ですからね。

1時間半は立ち続けていられました。わたくし的には快挙!

座ったら、特大のズキンズキンがやって来ましたが、まあ追々慣れていくでしょう。

 

発送業務が終わったら、帳簿や台帳の年度更新。
例えば、棚卸の数字を仕入台帳や帳簿に反映。

例えば、書式をより使い易くするために、フォーマットの修正。


淡々と、作業。


寒いせいか、休みが終わったせいか、商店街を通る人も人類滅亡。当店も余波で当然人類滅亡。でも初日を回すにはちょうど良かったかも知れません。

 

明日から本気出す(これもいつもの事です(笑

 

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日が暮れると寒さが半端ないです。
冬本番は年明けてから。

風邪を引かないように、暖かくしなくちゃ。と商品のイヤーマフに手が掛かるわたくし。

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正月休み

明けましておめでとうございます。


12月下旬にギックリ腰スタート。

クリスマス前に1週間ほど臨時休業(お商売的にかなり痛かった★

 

これまでで一番ひどい状態で、きっかけと思しき「クキッ」と来た小さな衝撃を思い出すだに、何でアレがこうなったんだろうかと不思議で仕方ありません。

 

痛みや痺れで立つ事がままならないまま年を越しました。徐々に、痛みが引いてきましたが、何しろ治りが遅いもので、今だ立てない歩けないまま。痛くない向きや位置がいまだに見つけられず、座るのも寝るのも痛むので、呼吸は浅いし、全身凝るし、大変。唯一ホッとできるのがお風呂。お湯に浸かっている間は痛みから解放されるので、長湯する毎日。

 

「この先の人生、このまま立てない、歩けない体で生きていくしかないのかな?」とドキドキと不安になると共に、かかりつけ病院の見立てに不安も感じて、世の中が正月休み明けたら速攻、セカンドオピニオン頼みに整形外科へ駆け込もうと思っております。

国民年金なので、死ぬまで働いて日銭を稼がないと食べていけないもので、「ずっと自分の店を維持していきたいのは山々だけど、そうもいかなくなるから廃業していくんだもんな、高齢になったら働き口があるのかな~」と個人商店仲間と話すことがありましたが、その前に、健康で体がちゃんと動かせないと、若くても詰むと感じ、寒い思いが押し寄せる…

 

不自由になってみて、持っていたものの価値や、得ていたものの多さに驚いております。女一人、何も無い、と思っていたのに、力を貸そうとしてくれる人の熱に当てられっぱなし。有形無形、私に掛けられる関心や思いがこんなにも増えたのかと、驚きつつ感謝感激。私も、自分と関わる方が困ったら、手出し口出しできるようでありたいなと思いました。

 

それにしても、いまだに受け取り下手な自分。

困っている最中ほど、「大丈夫だから」と言ってしまう。気持ちは何とかしなければと思っているので、何とかしようと行動もするつもり。ただ、本当に一人で出来るのか、感情が波立って読めないくせに「大丈夫」と言ってしまう。こういう時、家族(同居人)がいれば、余計な事を考えず、お願いするんだろうなと思う。一人暮らしが長くなると、誰しもこの問題を抱えているだろうな…


体は痛みますが、人の情の温かさを実感しながら年を越せたし、新年に希望も持てていることが幸せ。

 

早く、治るといいな。

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ここ最近の雑感 12月

誕生日プレゼントにもらった足元パネルヒーターのおかげで、天国!10年間、冬は寒いもの、末端がかじかむのが普通と思ってお店番をしてきたのですが、天国!

万年人類滅亡している当店、寒い季節の人類滅亡は、精神的にくるものがあります。心も体も凍える毎日が数か月続く、それが今回からはゼロ、ナッシング!天国!

他に浮かれる事柄もないので、一生懸命探して浮かれているところです。

12月は、書き入れ時と言われますが、今年はコロナが始まって一番低温、低水域な印象。巷はコロナの影響と景気不安定で鈍さがまだまだそこかしこ。

月初にご来店のお客様に、忘年会やクリスマスの集まりの有無をヒアリングしてみたところ、「決まっていない、多分無い」の回答が9割方。残り1割は既に少人数で集まり、終わったという。年末のドタバタの前に、集まろうという算段だったとか。

コロナになってから、年を追うごとに、イベント熱が冷めているなと感じます(自分も正にそうです)

 

とは言え、都心へ出れば、人通りも多いし、催事も増えたし、楽しんでいる人はたくさんいますから、自分が今どんな空気感のコミュニティに所属しているかで、見える世界が違うのだろうなと思っています。そして、人は簡単には動かないものだなと、変わらないものなんだなと、感じているところです。

お商売に関しては、巷の空気感を気に掛けて一喜一憂ですが、自分の生活は変わりなく、淡々と過ごしてきたなと思います。食べて、寝て。食べて、寝て。病気もせず、実に平和。

柚子の出回る12月は、柚子皮をみじん切りにして、果汁と大量の塩で漬け、発酵柚子塩作り。私の料理に欠かせない、自作塩味調味料のひとつ。

 

最初の年に、お試しでと少し作り、これがあまりに美味しかったので、翌年から1年分として、大量に仕込むようになりました。刻む作業で毎年クタクタになるのですが、その労力を掛ける価値がある美味しさなのです。

友達が安い店に行き当たると20個ぐらい買ってきて届けてくれる感じ。お友達の厚意があってこそ、毎年漬けられる、ありがたや。

 

パートから深夜帰宅し、ワイヤレスイヤホンでYoutubeの音声を聞きながら、黙々と刻むこと2時間。段々、瞑想状態になり、あれこれ考える思考も止まり、静けさの中に浸る時間。

 

ふと「立ち尽くすもの」という言葉が浮かんで来ました。「ヴァニタスの手記」に出てくる、禍名のようでもあり、真名のようでもあり、私の神様がたまにくれる人生のヒントなのかもしれないと思い、今も心に留め置き中。

この仕込みの一番楽しいところは、果汁を絞る工程。

漫画「おおきく振りかぶって」の作中、監督のモモカンがオレンジを素手で握りつぶしてジュースを作る場面があるのですが、カッコイイ場面として記憶しているわたくし。皮なしの柚子を半分に切って、モモカンごっこ、素手でジュース絞り。

20個分絞り終わる頃には握力が入らなくなるぐらい疲労。

そして、まな板だけでなく、部屋中が柚子の爽やかな香り。

もう今年も終わり、という気分醸成。

 

 

まだ半月残っているけれど、あっという間に終わるんだろう。早いな。

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ただ乗りごめん

大手通販サイトの配達荷物の受取りスポットになりませんか、と営業氏がご来店。

 

プライムサービスで送料無料のあの会社。わたくしも利用しております。便利ですが、配達の融通はクロネコさんや佐川さんに負ける印象。

 

期日指定しようとすると追加料金が発生するので、通常配送の利用者向けの受取りスポットなのでしょう。

 

開業当初は、こういうのやれば店の認知が上がるし、社会貢献になるし、もしかしてついでにお買い物してもらえるかも?という発想で、やってみようと思う方でした。

大手通販サイトとそのお客様、加えて当店の3者がメリットを享受できるので、三方よし=損は無しという判断をしがちでした。

 

三方よしの考え方で「社会を良くしよう」という気持ちは理解しておりますが、個別具体的に突き付けられると、今ではお断り一択です。

 

営業氏、こちらの意志を確認する前に、「これだけのスペースがあれば十分ですよ」と言いまして、それを聞いて「この人、どこにどれだけ積めばいいと思ってるんだろうか?」と心の中でもやもや。

 

想像してみてください。
その会社ロゴが入った段ボールが、店の片隅に積まれていることで、果たして店の雰囲気が良くなるでしょうか。向上間違いなしなら受け入れ検討してみてもいいけれど…見える場所に積むしかない時点で通路が狭くなるのは検討以前のお話。

今でも当店の通路は狭いと思っているのに、これ以上は勘弁。

 

それに、経験的に、当店の商品が目当てではない方は、荷物の受け取りついでに買い物となる確率はゼロだと思うのです。当店の商品がどこでも買えるコンビニ的商材だとそれもありかと思いますが、今の当店の商材だと、まずゼロと思います。

 

建て前はそんなところだけれど、「本音」は、『頑張って箱借りてやってる小規模事業者に、大手が乗っかって経費と労力削減ってどうなのさ』と黒い大人の心が叫ぶもので、直感的に、脊髄反射的にお断りしちまいましたとさ(狭い心ですみませぬー

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ここ最近の雑感 11月

またもやブログ更新が疎かに。
書きたくなるほど心揺れる何かが起こらなかった=平穏無事ということかもしれません。

先日、念願の元上司を囲む会、開催。

江古田から出ない日々で、都心の様子がよく分からないもので、久し振りの大手町がオシャンティー過ぎて、自分が場違いなのではないかとドキドキ。クリスマスのイルミネーションが始まっていたから、商店街とのギャップが凄い訳です。

 

そこに持って来て、レストランがまたちょっとお高めの点心専門レストラン「ヤウメイ」こういう空間は場慣れしていた時期もあったのですが、商店街のおばちゃんが長いと、昔過ぎて気後れしちゃう。

 

気後れする原因のひとつが、当日着ていったセットアップ。

最近完成したお手製で、作ったからにはお披露目したい…

気後れしちゃうという割には、冒険するわたくし(笑

 

しばらくは緊張もしたのですが、美味しいものを食べるうちに昔の軽口が出る程度にくだける事が出来て、楽しくお別れ出来ました。

普段、江古田の街の知り合いと行きあって笑い合っているのですが、いつもと違う空気感の中に身を置いて、普段とは異なる話題選びで、久し振りの顔と会うのは、刺激の質が違うのが一番刺激になりました。同じ環境で同じような出来事を見ている人同士だと、安心感はあるが新鮮味が少ないのが実際ですから。

コロナ以前と同じような過ごし方をしてみることで、そちらの方向へ進んで「よい」「楽しい」「面白い」「新鮮」「発見」と自分にとっての有益を積み増して、段々コロナが過去になるのだなあと思いました。これは、ひとりひとりが経験して積み増さないと全体がそっちへ行かないように思うので、出来る人から出来るだけ、積み増し活動を楽しんでやっていくでいいかなと。

世の中は、悪くなるのは一気だけど、戻すのは何と時間の掛かることか。

でもちゃんと、上向く兆しは見えてきております。

消費者物価指数のコアコアが2.5%達成!(総務省統計局HP
今までプラスどころかマイナスだったものが、ようやくプラスに転じたことに、驚きを感じております。

今は過渡期だから、お財布にお金が無いのに物の値段が上がって苦しい感じですが、いずれバランスして落ち着くと信じております。その頃には、景気も上向き、働けば儲かる世の中再び、と願っております。

 

ハンス・ロスリング氏の「FACTFULNESS」を最近読んで。

様々な負の思い込みを打ち砕き、明るい未来があると思える、人に希望を与える良書。

世界はゼロサムゲームだったのは中世の頃の発想で、決まったパイを取り合う世の中は終わっているとデータと共に解説していました。

 

食べていけるだけ稼いで難なく暮らせたら十分という発想の方もいるのですが、長い事、働いても給料上がらない実情を見すぎて、それが真実に見えてしまうのだろうと思うのです。その方達が、お金だけではないという価値観を持ちながら、お金がちゃんと稼げたら、もっと明るい世の中になっていくように思えて、私もあと少し、この低空飛行のお商売を、何とか維持して頑張ろうかなと思ったりして。

11月は、自分の誕生日が近づくほどに、理由もなく、深く落ち込みがちな時期なので、事業頑張るより自分メンテナンス頑張る月。

それもそろそろ下旬。
今年もちゃんとやり過ごせますように。

 

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ここ最近の雑感 10月

前回の投稿から随分間が開いていて、毎日SNSに何かしら投稿していると、小分けにしてあれこれ放出しているので、ブログにまとまった話を書くに至らないものだなと思っているところ。

 

まとまらないまま、散文記録。

何年後かの私が、あの頃の気持ちを思い出すための備忘録。

 

9月に咲いた金木犀が、先週また咲いて香っていた。二度咲きしている木はまちまちで、体力ある木なのだろう。来年の分を今使っちゃってる状態をイメージ。木はある条件が重なり整えば自動的に咲くように出来ているので、今咲きたくなくても咲かざるを得ないと思うと気の毒。

危険を感じたら、自分の足で素早く逃げられる動物で良かった。

 

先月に引き続き、再会のイベントが目白押し。疲れるが、楽しい。その中のひとつ、元上司を囲む会で珍事発生。参加者が、自宅引っ越しの日を忘れていたと言い出し、日にちを変更。

グループLINEのやり取りで、互いが元気なのは確認できたから、自分抜きで食事会をしてくれと言われたことが意外にもショック。私もそう思っていた時期があったなと思い出す。

SNSは嘘が通る。

 

会って表情や身なりや、佇まいを見て、やっと相手の今が見えてくるもの。それに、直接会わずにいる時間が長いと、疎遠になるものです。SNSを見て知っているつもりになっているのは自分の思い込みでもありますから、相手にすれば疎遠まっしぐらかも知れないと思う。

今回はリアルで会うことに落ち着いたので良かった。会えるうちは会おう。

 

虎の子屋さんとハロウィン企画。

こころ卓球に凹み玉をもらい、今年も目玉オーナメントを作成。手に入った凹み玉が少ないもので、今回はあちこちのお店に配ることが出来ないなとなり、撮影用の背景幕に仕立てることに。

 

出来上がってみたら、子供が楽しめるハロウィンという雰囲気が吹っ飛び、何だかおどろおどろしい目玉の壁出現。これで大丈夫かと思っていたら、小さい子供を二人連れた若いパパが、子供達と楽しそうに眺めて何か会話していたので、これはこれで良かったかなと思う。

商店街は、店側も利用客も高齢者が多いのですが、本来目指しているのは「子供達が安全に楽しめる街」少なくともうちの商店街はそう。いい街なんだけど、コロナ不景気がまだまだ深刻で、人類滅亡通りは改善されず。


とはいえ、withコロナに向かいう流れが太くなりつつある予感もするので、明るい未来を信じて、今はジャンプする前、力をためる時。

 

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漢の中の漢

営業中。昨日は友人とひょうたんで語らう。
元々それほど関係性無く、今だって親しく行きあう訳でもない。
ただ不定期に、お互い頑張ってるなと確認するだけ。

 

互いのディテールは知らないし、

言いたいなら聞くだけ。

こんなだけど多分、私達は友達。

 

引き合う引力はささやかなのですが、互いの中に同じ欠片を感じて切れることなく続いている。それが気持ちよい。

 

計算したところで、やりたいこと、楽しいことしか続かないから、他人から見てどんなにめんどくさい事でも、それを選び取る友人。それが1つじゃなくて3つ4つある友人。真っ赤にしか見えないブルーオーシャン分野ばかり手を出している友人(果敢すぎる

 

私もどうしてなのか、知りたくなりました。

 

何度か繰り返す内に、自分でも葛藤はあった模様。

自分の中の法則性を観察して、そろそろ一応の結論が出たので文章化しようかなと笑っていました。

 

いよいよ、他人に見える形分かる形にするらしい。

それを見て、ついてこれる人や事柄を引き寄せ、他を振り落としに掛かるのかしらと妄想。

 

もう若くないから、気力、体力、集中力と、有限を感じる日々。そろそろ時間を惜しみ集中させる対象を絞りたいという意味かと。絞れる余裕はあるか、無いかではなくて、やりたいならやる。その辺りが友人らしい明快さ。

 

誰もに言えることで、出来る出来ないではない、やりたいならやる、以上終わりの潔さ。

 

漢らしい女性の友人。

今日はガガ様に会いに行ってるはず。

 

フェス好きで、私が西川貴教好きと知って、来年のイナズマロックフェスに一緒に行こうと言ってくれたので、慣れない場所に一人行くのが億劫だったわたくし、来年は初フェス体験できそうです。

 

 

スピードと馬力ある人に『掴まる』と、思いがけず結構遠くまで行けるの術(笑

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一汁一菜でよいという提案/土井善晴

YouTubeで岡田斗司夫さんが「Amazonのこの本のレビューを見たら、世のお母さんや主婦の方が、涙しながらありがとうと叫んでいて、見るとびっくりしますよ(意訳」と言っていたのが読みたくなったきっかけです。

お客様と話していると、少なくない方が、三度の食事の準備を『空しい労働』と感じているのは事実かと思います。作る時間に対して、食べる時間はあっという間。美味しかった、ごちそう様のひと言もなく終わる食事が繰り返されると、報われない気持ちが降り積もる訳です。


私の若い頃は、仕事に追われて時間が無い無いと思っていたから、麺類が多かったと思います。麺類は1品で済むし、出来合いの出汁やソースがあるから自分が一から作るよりも美味しいし。

30代半ばに断食道場へ行って、玄米ご飯がこんなに美味しいのかと気付いてから、和食を麺類1品のように手軽にするために、どう時間の使い方を工夫すればいいのか、数年かけて改善していった感じです。

和食は、①ご飯を炊く②お味噌汁③おかず、最低①と②の二つは作りたい。③は種類を楽しみたければその分手間が増える。玄米を炊くとなると吸水時間が長い、出汁を取るための事前の吸水も必要。実際手を動かしている時間は短くとも、全体の監理時間は長時間化します。麺類1品なみの簡単さは物理的には無理ですが、気分的に近づけるために、手順や時間の使い方を工夫するしかありませんでした。

やってみると、なかなかに大変で、私の場合は数年かけてルーチン化できるようになりました。野菜は毎日1~2種類買い足し、野菜のおかずは1日1種類作り足す。おかずは常に2~3種作り置きがあり、1種は3~4日で食べ切る。1回分は3口程度の量。

美味しそうと思っても、安いなと思っても、その日買うのは全部ではなく、1番美味しそうなものに絞る。料理はやる気に任せてガーッと作ったりすると、食べ切れずに捨てる羽目になる上に、料理だけで自由時間が終わるのはつまらないので、料理に使う時間を加減する。

先日茄子を沢山もらった時は、茄子の味噌汁、茄子のみそ炒め、生姜を効かせた茄子の浅漬け、翌日以降の茄子の糠漬け、と茄子尽くしの献立になりました。私は自分の事情と都合で作るから、それで良かったけれど、家族持ちだったら「茄子ばっかり」と不満をこぼされたかもしれません。

 

世の主婦は、旬や鮮度、栄養バランスや品数、美味しさ、手早さ、家計費の管理と、いろいろこなした結果を食べさせているのですが、目の前のご飯にしか目がいかない人は「茄子ばっかり」と言うのでしょうよ(苦笑

家庭料理にプロの料理人が外食先で作るような何かを求め過ぎてやしませんか?和食もハレとケがあるのに、おうちご飯のケがハレとの差がなくなりすぎてるんじゃないですか?それを当たり前と思い込んだり、応えなくてはと頑張り過ぎてはいませんか?

『家庭料理ってそんな特別なものじゃないでしょ』

『毎日ごちそう食べてたら飽きる』

『家庭料理はおいしくなくていい』

『時には失敗したっていい』

生業で料理する人と違うんだから、線引きしていい。失敗したらしたで、「今日は今一つやね、この間のは美味しかったのにね」と味の違いを感じて家族でやり取りする、共有共感、感じて考えるのが、家庭の大事なところ、いいところじゃなかろうかと。

家庭料理は、美味しい事を楽しむ以外の意味合いが強い。体調管理や気遣い。心遣い。

年寄りは歯が悪いとなれば柔らかく煮たり、子供の口の大きさに合わせて食べやすいように小さく切ったり。そう言えば、小さい頃はカレーはバーモントの甘口だったのが、いつの間にかS&Bの中辛や辛口に変わっていったのを思い出します。

 

子供はちゃんと見て感じて考える存在と認めているし、子供を信頼しなさいと言っているように読めます。親の職場の姿は見せられないけれど、家の中の姿は見せられる。言動すべてを子供は糧にしており、一人立ちして暮らしていけるようには、いいところも悪いところも見せるのも必要。一緒に笑い、上手に出来ればほめるし、行儀を教え、ダメなことは叱る。

 

なるほど、Amazonレビューで湧いている主婦達は、料理の手を抜いていいと言われて喜んでいるのではなくて、『自分が見失い掛けていた望ましい家庭団らんの姿』を思い出してホッとしたと言っているような気もいたします。

 

自分が個人商店を経営しているから一番反応した文章。

 

メディアのせいでプロとはこだわりを持ち、努力し、客の期待に応えるなど、『こうあるべき/そうでなければ』という仮想を客側が信じ込み、店側が意識高いですねと客を持ち上げ、変なハードルが高くなる。金を払う側がえらいと変な権利を主張するのを受け入れる。客側の思う理想と現実との乖離の悪循環。客の無理難題に応えることが正解ではない。本来は、店と客は対等で、客と商品・サービスと調理場と経営の間に浮かぶスープが、こぼれないようにバランスが取れている状態が健全。

 

うちは小売店ですが、同じ事。
家庭では家族それぞれが欠かす事の出来ない存在で、お互いの意思疎通が出来てバランス取れた状態が大事。

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美彩新作「ハシビロコウ諭吉」

読書百遍意自ら通ず。
江戸時代の寺子屋では論語を繰り返し音読したとか。

何度も読むうちに、最初は皆目分からなかったものが、徐々に理解できるようになるというものです。江戸時代以前から、この勉強方法は有用とされ、使われてきた手法ではなかろうかと想像(まだ調べてないから妄想の域

わたくし、自分がこの手法を使う方なので、有用だと思っています。

まずはただ流して読む。

つまづくところは、2回目以降にちゃんと読むつもりで、ひたすら流し読みます。全体の流れが分かってから2回目を読むと、前後や結論が見えているので、推察が進んで理解が早まったり深まったりする経験値を積んできました。

 

冒頭を読んで、これは頭に入って来ないなとなったら、流し読みへ移行。下手すると眺めるだけでページをめくり続けるだけでもいいです。2回目から本気出して読むのです。2回目でじっくり読んで、文字面の理解は出来ても内容が分からない時は、知らない要素が多いということで、その事の基礎知識不足だなと思えば、そこだけググッて浅い情報をちょっと集めたりもします。


勉強は、どれもこれも、時間を掛けないと深まらないもの。手元のひとつで全部分かることもないし、子供の頃は、この掛けなくてはいけない時間が永遠に思えて辛いのですよね(笑)

この没頭感、初っ端からトップスピードには乗らないもので、ある一定時間を使わないとダメの法則があります。だから、飲み込み悪いなと思う時は、流し読みで全体の流れを把握して2回目から本気出す方法で、嫌になって手放す時間を先延ばししているとも言えます(笑


美彩新作「ハシビロコウ諭吉」
美彩のハシビロコウファンの方から、また彫って見せて欲しいとリクエストがあり「ジッと動かない」をキーワードに彫ってもらいました。諭吉の目元、楽しそう。きっと楽しい本を読んでいるのだと思います。好きな本だと自ずと繰り返し読みますよね。

 

好きな本に熱中している時、確かに私も動かない(笑)

諭吉は何を読んでいるのかな・・・

諭吉をお迎えしたい方は【こちらからどうぞ

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青銅鏡

私の学生時代の本屋は立ち読み出来ました。買いたい本ははっきりしているのだけど、背表紙を見ながら気になった本を手に取って、惹きこまれてそっちを買って帰る、なんて道草読書が楽しめた時代。

今は街から本屋が消え、図書館も小竹図書館みたいに単館での所蔵が少ないと、WEB予約で区内の他図書館からの取り寄せになるとなると、道草読書が気軽に出来なくなっております。

その代わり、WEB上は有象無象情報散乱、ググれば思いがけない資料に行き当たるようになりました(検索能力、大事

 

本日見つけた「W-Wallet 鏡(かがみ)」「古代の青銅鏡づくり

 

神社にお参りするたび目にする「ご神鏡」がふと頭に浮かんで、そういえば昔は鏡をどのように作っていたのか気に掛かりました。

 

ご神鏡って鏡の姿をしているけれど、どうも周囲の景色の映り込みが見えず、反射率少なそうですよね。鏡と言ってもものの輪郭が分かる程度なのかなと見るたび確認したくなっていたこともあって、昔の鏡の精度も気になったので、作り方を知りたくなったという訳です。


水鏡→石を磨いた平滑面(鏡面→金属を磨いた平滑面(鏡面→ガラスに銀鍍金(めっき)


姿を映す道具は、身の周りにあるものそのものから、加工して平滑面を作る方法から、化学反応を利用する方法へ進化。

 

画期的だったろうと思われるのが、反射率の高い素材を平滑に面加工する鏡の登場だったのかなと思います。「古代の青銅鏡づくり」の画像を見て、ここまで映ったら感動したろうし、特別感があったろうなと妄想。

最近のお客様との雑談で、私のユニフォームSOUSOUのTシャツは背中側に柄が入っているものが多く、「好きな柄を着ているのに、着ている時は自分では見られないのが難点」と笑ったことがありました。

ひとには、自分の姿を見たい欲求が、どこかにあると感じています。自分の存在を確認したり、他者との違いを確認したり、それが原初的な欲求なのではないかなと考えております。

 

鏡が無かった時代は自分の姿がはっきり見えない上に全体を見ることも出来なかったと予想され、自分の象徴は手足だったかもしれないと妄想。社会的に、狩猟や農耕での仕事量が自己肯定の基盤になっていたのではないかと推測。姿かたちよりも、行動と実績が自己肯定感に繋がっていたと仮定したら、働き者に価値が置かれ、量をこなせる人がもてはやされたのではないかなと。

 

鏡に話を戻すと、水で映すには限度があり、金属を磨いた鏡を見た時の驚きと感動は凄かったろうなと思います。

 

学生時代の教科書で青銅鏡を見ても、出土品の錆びた姿ままだし、凄さが今一つ分かりませんでした。大人になって、妄想力が育ち、仕事でモノづくりの知識が増えたら、バーッ!と見えるものが変わった印象。青銅は錆びる前はこんな色、鏡面ならこの程度は映ると思えたら、水鏡からの差の大きさが凄すぎて、当時の人々の驚きの大きさが想像できない・・・そりゃお宝扱いも自然な帰結ですよね。自分の姿を見ることが出来る道具は、貴重だったことでしょう。

 

親兄弟の姿を見て想像していた自分と、違った様子に混乱した方もいたろうな。好ましく感じた人はホッとしたろうか(ナルキッソス

装飾品の進化も、鏡の登場で進んだのではなかろうか。

自分と他者の違いが明確に確認できるようになったら、差を見て悩む人も増えたろうな・・・そういうの書きつけた資料出土してないのかな?

 

妄想がはかどって仕方ない(笑

 

 

こんな調子で、生きている間に何をどのくらい知る事が出来るのだろうか、ほんと時間が足りないわと思った今日この頃。

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朝起きて、着る服で悩むのは人生の無駄

店のユニフォームにしているSOUSOU傾衣。

毎年1枚買い足し。

今年の柄はWEB限定柄だそうで賑やか。

 

開業当初、どこで買ったの?と話し掛けられる事が多かったです。

 

後日、当店でも取扱いたいと問合せしようと思った時、友人がSOUSOU社長氏と幼馴染だとかで間に入ってくれました(世間狭い

 

当時、まだ都内直営店も無かった頃でしたが、社内方針として直販オンリーと決めたばかりで、社長の縁故で何かするのはやりたくない、と気持ちよく断られまして、

 

友人は申し訳なさそうですが、こっちは「そういう社長氏、いいな~」と思って余計好きになり、今もユニフォームです。

 

若い頃、それなりに自己顕示欲もあり、いろんな服をとっかえひっかえ頑張りましたが、実はメンドクサイとも思っておりました。

 

男性はスーツを着ているだけできちんとして見えていいな、女性は髪形に化粧、服にアクセと手間が多いや・・・と会社に遅刻しながらモヤモヤしたものです。

 

遅刻と外出準備は別因果なんですが、当時はそう思っていた訳です(身勝手

 

海外出張が多かった時期は、1週間、2週間、北は黒竜江省から南は広州まで、温度差すごいエリアを縦断するもので、持って行く服は悩みまくりでした。

 

だから、店を始める時に、ユニフォーム制でいくのは絶対事項。
『朝起きて、着る服で悩むのは人生の無駄』と真剣に思っております。

 

自分の体形や雰囲気に合うなら、形は固定でいい。

SOUSOUが、私の場合はスーツ。

そうやって行き当ったSOUSOUです。

来年はどんな柄が出るのかなと、1年1度のお楽しみ。

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選挙結果に無力感を感じるなかれ

Twitterのタイムラインで見かけた、多分若い方のつぶやきを見て、Twitterで連投。

 

年代別の人口数の違いの大きさを見て、選挙しても年寄りの意見に勝てる気がしない(意訳)というの、間違ってると思うの。同じ年だからって、全く同じ方向性向いている訳じゃない。私の友人知人だって、私より右も左も電波系もいて政治見解が分かれるの常だもん。50代の私は70代のおかんと多分真逆だし

 

1つの条件で全部を判断しても意味がないと、気付けばいいな。私達そんなに単純な事情で生きてないじゃない。

 

自分が応援した側が負けて、違う方向性が多数派だということに疑問を持つとしたら、一度逆側の理屈も勉強してみると、自分の幅が増えるかも。見えて無いところに手堅い政策実績があったりね

 

そもそも投票率も低い。全員入れたらどうなるのかなと私も思う。

 

今だって選挙が大事と思う人は台風大雨だろうが投票には行く。この入れるも自由、入れないも自由、罰せられることが無いし権利剥奪も無い。行かずに政治が悪いと文句たれても、暮らしていけるぐらいの経済、治安はいい方ってことかも

 

選挙は意見違う敵側を根絶やしにするためのものではない。あっちもこっちも日本人で同胞。民主主義は誰かが割を食い不満が残る制度。方向性が違う一人一人が選挙を通じて意思表示することで出た結果が自分は不満でも、誰かが満足した結果なんだから、日本の未来には必要(合致してたらもっと幸せだけど

 

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意味も価値も、私の中に~トップガン・マーヴェリック

ウミウシみたいなペーパーウェイト。オイルライフさんが何かの時にお福分けしてくれたお品。

 

たくさんある中から「好きなのを選んでいいよ」と言われて選んだきれい色。色合いやテクスチャーが気に入って、かれこれ5年はレジ台の片隅に飾っているかと。明るい海を想起させる色。

 

仕入れの時は仕事目線になり、素材や作りを見たり、用途に対するデザインを考えてり理屈っぽくなりがちですが、こういう時は直感で「好き」を選べるし、好きを確信できた時に喜びを感じます。

 

自分の感性に馴染む感覚は、スピード感と共に自分の中にストンと落ちて来る感覚。

 

7月頭、映画「トップガンマーヴェリック」を見たのですが、ここ10年間で一番気分が高揚し、楽しかったわたくし。

 

深く思い悩むような内容はなく、人によってはどんなご都合主義な内容だよとむかつくかもしれません。そのぐらい単純ストレートな物語の流れ方。

 

私の解釈では、あの映画は「死に際の走馬灯」の一場面を切り取ったような、枝葉を捨てた幹だけのような映画。人生の岐路で、何を選択したのか、何を成し得たのかを確認するような感じ。だから単純でご都合主義な設定でもいいの、いいの。

 

マーベリックは頭では分かっていても、思わず体が動いて助けてしまう系。なろう系なら、車道に飛び出した子供を助けようとして、トラックにひかれて転生決定ですよ。でもそういうところ、日本人的感性だと好ましい。

 

計算できない人だなと思いつつ、自分の愛や信念のために、高速でまっしぐら行動するマーベリックに、羨ましさを感じました。

あんな風に、愛と勇気、信念を持って自分の命を燃やす。

 

現実にはそう格好いい事は出来ないだろうけど、死ぬ時には「まあまあ頑張ったな、後悔は無い」と思える程度にはなりたいなと。自分の人生にもっと「我武者羅」に「なってみたい」「そうありたい」熱意みたいなものを思い出せた映画。

 

まだ出来る、まだいける!と西川貴教的なテンションで高揚した気分で帰宅です。

 

ちなみに、岡田斗司夫氏が「映画に中身は必要か」という動画をあげていましたが、わたくしのように、見る側があれこれ後付け出来る余地がある映画は中身が無くても価値があると私は思いますよ(ふふふ

 

ウミウシ・ペーパーウェイトを好ましく思い、身近に置き続ける感覚もまた、私の中のマーヴェリックが反応しているようなものだなと思います。ちゃんと暮らしの端々に、わたしはあるなと思ったりして。

 

『意味も価値も、私の中にしかないのかもな』と、謎かけのようなことを思いながら、お店番。

 

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マーベリックは、大人としてはだらしないところもあって、アイスマンと比べたらダメおやじ系なのかもしれない。でも、大勢の人から認められ大将でもあったアイスマンはマーベリックを信頼し、友として大切に思う。アイスマンの言葉の中に、マーベリックをいたわり、勇気づけ、お前も幸せになれよと、大好き大好きと言っているように聞こえて、死期が近いとうかがわせる設定なもので、あそこで1回泣いちゃった(笑

マーベリックは愛すべき人なのに、不器用で損をしてきたのがうかがえます。

いい大人が社会性低いってほめられたことではありませんよね。

仕事仲間は苦々しく思っていた人も多かったことでしょう(笑

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自分の死に方

昨日の安倍晋三元首相の訃報、悪い予感はしていたので、やっぱりかと悲しくなりました。

昨夜のパート先でも、やはり安倍晋三氏の訃報に衝撃を感じている方、喪失感を感じている方がいて、手を動かしながら少し雑談。どちら様も、誰かに殺されるという事態に驚愕し、亡くなった命を惜しみ悲しんでおりました。メディア露出で顔を知っている程度ですが、やはり生きている人が亡くなるのは悲しい事、という受け止め方で、好き嫌いではない話をしておりました。

 

左界隈からのアンチも多かった方ですが、私は経済政策、外交活動、国防の考え方を好ましく思っていた方なので、こんなことで亡くなるなんて、と悲しかったです。もう一度、総理になる可能性もあった方だけに、凄く残念です。(でも二度の消費税増税は愚策だと思ってる。あれは財務省とそれ以前の政権の遺物だったとしても撤回できなかったのは大黒星と思います)

 

人材不足と揶揄される政界、アンチも多ければシンパも多い安倍晋三氏のような政治家は、人を惹きつける力の強さはピカイチで、その点だけでも稀有な存在感だったと思います。

知人が「亡くなったら美化してる報道多いけど騙されるな」とSNSで投稿していて、急にその方への興味が色褪せ、がっかり感。嫌いなのは自由ですが、亡くなった方にムチ打つような言い草に、その方の品位を見た気分で…

 

私が苦々しく思う政治家が亡くなった時は、これを反面教師として、沈黙を保とうと決意です。


もやもやと考えることは、

自分の身に置き換えて、

『他人の思惑で命の終わりを決められることへの拒否感』

 

三島由紀夫が、

『もし死ぬなら、朝の清々しいひと時、森を散歩中に誰とも分からぬ凶弾に打たれて苦しまず即死したい(かなり意訳』とエッセイで書いていたのを中学の頃に読んだ記憶。

 

私もこの店を始める前、サラリーマンの頃は、そういう死に方は変な執着もなくていいなと思っていたのですが、今は全くそう思えなくなりました。

 

どんな人生だろうが、野垂れ死にしようが、自分で決めて、生きて終わりたい。

 

そんなことを考えながら、本日は静かにお店番。

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ぶらり途中下車の旅の反響

6月25日放映の「ぶらり途中下車の旅 旅人:橋本じゅん」で当店が紹介されました。

有楽町線特集で、小竹向原駅からうろうろ歩いて、気付いたら西武池袋線の江古田まで来ちゃった、という流れだったので、散策番組ならではの脱線の賜物だった模様。

放映直前に、視聴者からの問合せ向けに、番組HPに当店の連絡先や最寄り駅からの徒歩時間の掲載を、となり「小竹向原駅からだと真っ直ぐ歩けば徒歩で20分ぐらいですかね」と言われ、「歩いたことないから分かりません。だってうち西武池袋線(プププ」「ですよね(プププ)Googleで距離測って時間出しときます」「西武池袋線江古田駅と新桜台駅も併記でお願いします」なんてやり取り。制作会社の方も笑ってました(笑

 

旅人さんの来店時、どなたか全く知らされずの状態。

マスクもあるから顔が見えず、誰が誰やら。


途中で制作会社の方が「橋本さん」と呼ぶもので、あれ?もしかして橋本じゅんさんなんじゃ・・・となり、そうと分かった時の衝撃。わたくし、劇団☆新感線の舞台映画ゲキ×シネを見に行くのが好きで、橋本じゅんさんをその舞台で知り、悪そうな迫力や笑いを散りばめたキレッキレな演技が印象に残っていたので、内心ワーキャー!してました。

 

さて放映後の反響なのですが、午前中の番組なので、午後には問合せの電話がやってきて、久し振りにコロナ前の忙しさを思い出しました。

多かったのは、通販の申し込み。
ザ・テレフォンショッピング。


HPからお願いしますと言えば「パソコン使えないからお願い」という世代の方が多かったです。東京の番組なので、地方では放映されていませんと制作会社の方から聞いていたのに、電話で聞く住所は関東以西の方が多くて、予想外でした。

「コロナの前はときどき東京にも遊びに行っていたのよ」「いつかまた行く事になったら寄りたいわ」なんて話してくれる方が多く、まだコロナが怖いと分かるし、まだまだ戻らなさそう・・・そこはちょっと寂しく感じました(戻りますように

 

そちらへ行きたいのだけれど、という問合せも多かったです。

もちろん「西武池袋線の江古田が最寄り」「有楽町線じゃなかったの?」のお約束のやり取り(笑

そんなこんなも1週間で納まり、今週は平常運転。静か。

 

TVを見る人は減ったと聞いておりますが、それでも反響を見れば、普段なら当店の存在に気付かない方に届いた訳で、やっぱり拡散力は凄いなと感心。そして、日々地道にSNSを更新していますが、その反響のかすかさと比較して、ちょっと気落ちしかけました(乾いた笑

 

「おたくはよくTVに出てるよね」と地元の方に言われましたが、年に1~2回あるかないかなので、よくと言われるほどでもなし。何かコネクションがあるからなの?と聞かれることもありますが、それもナッシングです。

江古田を取材場所にやってくる番組があるだけで、当店を目指してやって来る訳ではありませんから、街の魅力なのかなと思っております。江古田在住だと、特別感が全くないのですが、昭和の下町風情はTV的に絵になる、そんなところかもなと思ってみております。

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シン・ウルトラマン

映画「シン・ウルトラマン」(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

何人かのお客様から「シンウルトラマン、良かったから見に行け」と言われるもので、休店日に見に行ってきました。以下、ネタバレ多発。要注意。

館内は、若い人だけでなく、ウルトラQやウルトラマンをテレビで見ていた白髪頭が半分いたような印象。私もそっち系か。

シュッとしたプロポーション、余計なシワもなく、美しいウルトラマンでした。(中の人、スーツアクター氏、よくもこんなに美しい体形の方がいたものだなと後になってため息)

 

空想と浪漫。

そして、友情。

 

見終わって、どこに友情があったのかいまだに分からない。

 

小さい頃は、正義の「味方」ウルトラマンは、人間の味方、人間の仲間、人間と同じ存在に見ていた訳ですが、映画の中のウルトラマンは「外星人」

ザラブ、メフィラス、ゾーフィと、他の外星人達は地球人と「対等に」「友好を結ぶ」なんて頭にもない言動。もっと下に見ているし、無くなろうがどうでもいいぐらい無価値な存在として見ている風情。

 

ウルトラマンは、本来そういう外星人側の存在のはずなのに、他者のために自分の命を投げ出す人間・神永の行為を目にして「興味がわき」「もっと知りたくなり」神永と融合して禍特対のメンバーとして過ごす。

 

融合しなければ神永は死んでしまうので、生かすために手っ取り早く融合したと思われる。地球人を知るために都合が良かっただろうし。

 

 


映画の尺の都合で、ディテール設定をいちいち表現も出来ないからなんでしょうけど、漫画的な表現というか、概念的だったり象徴的な表現の読み取り解釈力がすごく試された気もします。

 

ウルトラマンと融合してからの神永が、常に本を速読し続けている様子が出てきますが、あれは時間の経過や、ウルトラマンが歴史や文化など地球人の情報を総ざらいしているのを表現しているのですよね。

 

その合間に交わされるメンバーとの会話も、たくさん繰り返されたと想像するのが正しいだろうし、ウルトラマン神永と地球人達との交流は、人間には短い時間だろうが、ウルトラマンには理解を深めるには十分な時間経過だったとも解釈できます。

 

でもその先に友情があったのかと言われたら、私にはやっぱり分からない。

ヒーローは悪者と戦い、勝つ。

その結果として、弱者が救われる。

私それほど熱中してウルトラマン見ていなかったせいか、どこか画一的なヒーロー群の1キャラとして見ておりました。

 

でもウルトラQもウルトラマンも、社会問題をテーマにしていたので、そんなに水戸黄門的な勧善懲悪ではないし、複雑な気持ちになるような話もあった記憶が映画で蘇りました。

 

映画なの中では何故か日本にしか出現しない禍威獣。どうにかしろと押し込んでくる他国や、米軍からの武器提供に依存する国防。代償に莫大な軍事費を支払う日本政府。外星人の思惑を読み取れず騙される政治。読み取ったところで阻止する能力を持たない地球のレベル。

何だか、現実社会とあまり変わりがないような問題が折りこまれていて、ウクライナ侵攻や近隣の核保有国があまり友好的ではない国々という現実と相まって、不穏で不安しかない。

ちっとも守るべき美しき世界に見えないのですよ。だからどうして、ウルトラマンが「自分の命を使い切ってもいい」と思ったのか、よく分かりませんでした。

 

でも、一方で、ザラブやメフィラスに対しては、「悪を断罪せよ(許しまじ」と感じたし、ゾーフィに至っては「なに勝手なこと言っちゃってんの」と呆気にとられました。

管理者としてのゾーフィ。

地球人は未熟過ぎ。成長のきざしが見えない。精神レベルが低すぎ、そこから抜け出る進化も期待出来ない。今までだいぶ様子見したけど、そろそろ見限って一掃しよう。


元々住んでいた私達の権利は?

勝手に管理してたって後出しジャンケンで言われても、何してくれてたんだっけ?ふぁ?ですよ。他の命に対する倫理観がおかしいじゃないか、光の国の人々は。

 

 

ゾーフィは本当はゾフィなんでしょう?

お兄ちゃん、どうしてそんなに変わってしまったの?的驚きがあって、何とか星人の擬態なんじゃなかろうかと頭の中、考察が目まぐるしかったです(笑

 

ザラブやゾーフィには、人間は、私にとってのゴキブリのような存在に写っていたかもしれません。生きている価値の無い存在。

 

ウルトラマンが、地球人に可能性を感じたとしたら、ザラブを退け、メフィラスを退ける過程で、使命や仕事に一生懸命な現場の人々の存在を見たからだろうか。

 

 

子供を救うため、躊躇なくかばい死に掛けた人間・神永を見て「興味を持った」ウルトラマン。興味の素が、神永一人ではなく、他の地球人にもあると観察したウルトラマン。

一人では非力でも、協力し合って大きな仕事を成し遂げる。外星人は個体の能力が高いから、他者と協力しなければ発展できない地球人は不完全体に見えたはず。ウルトラマンにはそこに可能性を見たのかもしれません。

 

ウルトラマン自身、毛色が違った個体だったのだろうな。ゾーフィの当たり前の結論に納得できなかった。地球人に興味を持つ好奇心。

でもそれだけじゃウルトラマンが自分の命を代償に地球人にチャンスを、神永に命を与える理由としては弱いと感じるわたくし。ずっと謎に感じて考えているのです。

 

 

ウルトラマンは人間とは違う価値観で生きているから、理解のしようが無いとは思いたくない。

 

 

私の妄想では、融合している神永の感情や意識もウルトラマンは共有していたに違いない、と至りました。神永の感情や人間愛は、ザラブやメフィラス、ゾーフィとのやり取りの中でも波立って押し寄せていたに違いないと思うのです。

 

私の妄想の結論は、この友情は、浅見分析官とのバディ関係ではなく、人間・神永との間のことなんじゃなかろうかと思っております。

自分の命を投げ出しても救いたくなるのは大事な人。

 

興味のきっかけ、人間・神永と融合し観察。面白い、何故だ、なんて観察を楽しみつつ、地球文明文化の情報をインプット、彼と彼を取り巻く人間関係を観察。いいところも悪いところも観察。

ウルトラマンにとって本来地球は数多のひとつでしかない。神永には唯一の大切なもの。一度死に掛けた神永は、失ったかもしれないいろんなものをより強く愛おしく感じ、守りたいと感じたことだろう。

 

外星人に対抗できない無力感が全世界を駆け巡った時も、神永の心は諦めるなと訴え続けていたのではないかと思うのです。

都度感じる人間・神永の意識を観察するうちに、好感を持ち、種族を越えたシンパシーが出来たということなんじゃないかと妄想しております。

映画を見た時は、まだ自分の中の補完妄想も無かったものだから、「え?ウルトラマン死んじゃうの!?」「そんな価値、ウルトラマンにとっての地球人には無くない?」ともやもやしながらも、訳もなく涙が流れて困りました。悲しくはないのに、ただ泣けてくるのです。

 

 

Twitterで見かけたこの投稿。私みたいに理由の分からない涙があふれた人がいるんだと思ったら、言語化しにくい感情を揺さぶってきたこの映画は私が欲していた何かを持っている作品だったのだろうと改めて思います。

 

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個人的萌えシーン、ナンバーワン。

ウルトラマン神永になってから、情動乏しくなるのですが、ラストに向かって、かすかに微笑みを見せるようになるウルトラマン神永が、凄くイケメンに見えて困りました。

 

そもそもウルトラマン達外星人には表情筋が無い(笑)種族的に感情表現が無いのかもしれないのに、微笑むようになっていく変化が、ウルトラマンを近く感じて、キュンキュン(笑

 

エンドロールで流れた米津玄師「M87」
「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ」という歌詞にまたまた滂沱の涙。私の妄想の元ネタはこの歌詞。人間・神永の望みがウルトラマンを動かしたと思いたいのです。

 


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5月も終わり

気付けば前回更新から2週間過ぎておりました。他のSNSと違って、ここに書くのは長い文章でまとまった考えにしたいなと思っているので、問題意識や気付きが無いと、ついつい放置気味に。

 

感情が動くようなことは日々起こるのですが、笑えることは笑い終わるとスッキリしてしまい、後に残らず。

 

もやもやすることは、その感情に囚われてもいいことが無いという経験則から、スルー。忘れてやり過ごせる程度の事は後に残らず。

 

つまり、良くても悪くても、後に残らないレベル感=平和なのでしょう。三段論法だと、平和だと日記が書けない、ってなりますよね(合ってる?

 

昨日、いつも会えば話し込んで時を忘れる方が久し振りに顔を出してくれました。最低でも月に1度は顔を出してくれる方なので、この数か月見ていないなと気に掛かっていたのです。

 

店に入ってきて、○○ですと私に声を掛けてきたのですが、激ヤセした姿でピンと来ず、「え?どなたですか?」と聞き返してしまうほど。

 

声がかすれていて、声を聞いてもピンと来ない。
マスクを外してもらっても、痩せすぎてピンと来ない(笑

「病院の食事が美味しくなくて痩せた」と言われ、「私もそれ食べて痩せたい」と笑い合えるほど元気だったのでホッとしました。急に入院となったせいで、いろいろ大変だった模様。

 

入院中の話をしてくれたのですが、いつもの如く「気になったのそこ!?」的謎な状況と人間模様に大笑い。

かれこれ4か月は合っていなかったと聞いて、そんなに経っていたのかと驚きました(ひと笑いしたら埋まっちゃいましたけどね

後で一人になってから、あの方が元気で戻ってきてくれて、本当に良かったと噛み締めました。そして、顔を出して事情を説明してくれたことから、あの方にとっても、私がそういう存在であることが、うれしく感じました。

余計なものは持たず、最低限で暮らしているつもりですが、店を続けるうちに、店と紐づいたたくさんの人やコトを抱えて過ごしているんだなと再確認です。私の平和な日常を形作る人やモノが、ひとつでも欠けたら色褪せるのを再確認です。

今日は平和だけど、ブログ更新できました(笑

 

(そういえば水星逆行中、5月はやり直しや振り返り月間)

 

 

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癖(へき)

考えをまとめる時、本を読む時、白い紙を手元に置いて、思い浮かんだままメモ書きします。

 

些細なことでも何でもいいから、書き出すことでワーキングメモリーから外せるというメリットがあり、文字として可視化した情報は、後でグルーピングしたり、加工も簡単。俯瞰すれば、自分が何に気を取られていたのかよく分かります。

 

今は、手近にあるコピー用紙やチラシの裏紙に書き留めることが多いです。元々はノートに書き留めていたのですが、同時進行であれこれ考えたり複数冊読んでいる時は、書く順番が気になってしまうわたくし。

同じ内容は同じページ内に収めたい。

同じ内容は連続したページ内に収めたい。

分類と連続性が大事みたいなんですよね。
自分の癖(へき)が時に煩わしい(苦笑

画像のノートは開業したての頃取り扱っていたpaperblanksのノート。

エンボス&箔押し、紙は上質で書き味がよく、罫線の幅も色もわたくし好み。そう言えばページが残っているからメモに使おうと引っ張り出してきたのですが、やっぱり例の癖(へき)が邪魔になって、好きなように書き散らかすことが出来ないのです。

多分このぐらいページ取っとけばいいかな、という予測が出来ないのが問題。あ~、何かやっぱりノートよりペラ紙たくさん使う方が自分には合っている気がするなと思ったところで、「そうじゃなくて」「1件1冊で複数冊に書けばいいじゃないの」と思い浮かび、我ながら納得。

幸い隣は西村文具(買いに行け

 

全部1つにまとめたい癖(へき)じゃなくて良かったなと思いながら、どうしても考える時には紙に手書きが外せない自分の癖(へき)に苦笑。今のところ、これの代替案が見つかりません。

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ミントの緑

吉祥寺サトウズティーからお裾分けのミントの葉っぱ。
初夏をイメージする明るい緑色。

私の中では「新緑」をイメージする緑色に見えます。

『四色型色覚』という単語を見かけ、ググってみたところ、多くの人は三色型色覚で、視神経が赤、青、緑を感知して、掛け合わせで複雑な色合いを認識。四色型はその掛け合わせが4つある方で、常人の100倍(1億色)を見分けるとか。

 

赤の突然変異と赤、青、緑の正常神経とで4色掛け合わせ。女性に多く、男性家族に赤緑色覚異常がある家系に四色型色覚の女性が生まれる確率高めだとか。

 

そんな方が見たら、この緑をどう表現するのかな。

 

この世の中は、三色型色覚者が作り上げた単語や表現がほとんどだから、四色型色覚者の方には「見えているものをちょうどよく表現する言葉が見当たらない」こともあるのだろうかと、妄想がはかどってしかたありません(笑

 

参考事例で上がっていた画像では、三色型色覚者には1色に見える花が、四色型色覚者には中央部と外縁部とでは違う色味に見えるそうで、同じ花が全く別物に見える画像に驚きました。見えたまま素直に絵に表現して、先生から「よく見て描きなさい」なんて言われて、言い返せない性格だったらモヤっとしちゃいそうだなと、妄想がはかどって…(ry

子供の頃は人には無い特別な能力に憧れがあったものですが、三色型色覚と四色型色覚を切り替え出来るなら、憧れるに値するなと大人の私は思ったりして。

わたくしよ、凡庸を嘆くこと無かれ。
その他大勢には大勢なりに、意識せずに自動的に受け取っている幸せも多いはず。なーんて思って見たミントの緑。

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五月の連休は

今年の五月の連休は、去年と比べて人が出歩いている気がします。それに、そぞろ歩きではなくて、目的地があって向かっている人の気配が強かった印象。

昨年の5月は「コロナだし出掛けるってもねー」という感じで、行くところもないが飽きてきたから散歩中という風情の人がまだまだ多かったので、随分な変化だなと感じております。

 

 外出帰りに立ち寄ってくれた知人が「世の中はもうコロナ前に戻ったと思った」と言ったのを聞いて、他人の目にはそう見えるなら、私にはまだ見えていなくてもそうなんだろうなと、もうすぐそうなるんだろうなと思いました。

本当に、このまま、コロナなんて忘れられるほどになればいいのに…


そうだ、世の中の流れが戻る方向に動いているのなら、当店もコロナ以前に戻った動きをしよう、と思ったわたくし。コロナで週休二日制にしていたのですが、また隔週二日に戻そうとしております。

 

ひとって、サボるのは簡単。

学ばずともすぐに出来るくせに、勤勉さを取り戻すのは難しいものですね、、、

この火曜日、家でゴロゴロしてたいな~という欲望を抑えて、人類滅亡している店内で19時までお店番がそこはかとなく辛い(苦笑

暇なので、「水星逆行」の過ごし方を妄想して過ごしました。


星占いをやっているお客様から「水星逆行がやってくるよ(5/10~6/3」とお知らせがありました。水星逆行は、情報の遅延や錯綜、移動の混乱など人にとっては困ることがよく起こるのですが、過去に積み残した課題をやり直すタイミングとも言われるそうです。

どうせなら、積み残し課題を総ざらいして・・・と思っていたところ「お前の好きなことは何だった?」と神様から言葉が降りてきました。

 

便宜上、神様と呼んでいますが、直感というかなんというか。

1年前の好きなこと、

3年前の好きなこと、

5年前の、10年前の、と遡ってみたら、

どの時代も共通して好きなもの、価値観が見えてきました。

 

この10年、メインに据えるほどではないと思っていた価値観だったので、
「忘れてた!」
「忘れてたことにびっくりだった!」というのが正直なところ。

思い出したからには、また始めたらいい。

「そうそう、好きだったわ」と思い出したら、その事を考えるのが楽しくて仕方ありません。
水星逆行の時期は、実行実現する道筋を考えてみるひと時にしようと思います。

 

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みなさんも、「お前の好きなことは何だった?」の振り返りしてみると、思わぬ再会、再開が見えてくるかもしれません。水星逆行はもうすぐ始まりますからね。その頃に、ちょっとやってみると面白い結果になるかもしれませんよ。

 

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ワクチン接種会場にて

休店日に合わせて、ワクチン三回目。
今日は風の強い日で、八重桜の花びらが巻き上げられ、ドラマチックな景色が見られました。眼福。

 

 

昨日ある事を決めてから、この休店日にあれこれ動く必要がなくなり、ワクチンの副反応が出てもひたすらごろごろしていてよくなったもので、何だか開放感。自分に都合がよい風になると、これで良かったのだと確信するあたり、思考バイアスが大きい私。

 

会場近くで植え込みのつつじが見事に満開だったので、足を止めて観察。
以前読んだ、花粉図鑑を思い浮かべる。

つつじの花粉は、おしべ先端2ヶ所から、豚の鼻みたいに粉を吹いて散布(画像2枚目、見えるでしょうか?

ひとつの花の中に、まだ花粉がついてないおしべもあるのをみて、時間差という作戦を使う植物なんだなと面白く思う。

花ひとつで楽しめるわたくし、安上がり。

 

会場に到着して、以前と同じように、建物の入口で警備の方が手指消毒を声掛け。

入口入ると係の方が必要書類が揃っているのか確認。

種類を確認するだけでなく、身分証と書類があっているのか、書類を受け取り目視確認。

次に会場入口前の廊下で、書類と身分証の確認。

熱がないか、体調悪くないかなど確認される。
問診表に書き込んできた内容を改めて口頭で聞かれる。

自分の番になり、手指消毒して後、受付。

予約情報と書類の確認。

 

本日同じ内容を確認、3人目。

この辺りでうざさを感じてきた。

お年寄りが「何度も同じこと言うな、分かっとる、結論が知りたいんだ!」と怒鳴っているイメージが点滅(苦笑


次、医者の問診。

ここは、受ける側の不安と疑問を解消する目的が強い気がします。私は不安もないし疑問もないのでさくさく次へ。

接種はあっという間に終了し、終了の受付。

接種ロットなどのシールを書類に貼り、副反応が酷い時や不安な時の問合せ窓口のご案内と、ショック症状確認のために15分?待機。

会場を出る際に、書類を確認され「お名前はお間違いありませんか?」
またかよ、というイラつきと共に、ある事がよぎり、ちょっとズッコケそうになりました。

 

内部統制のマニュアルを作成する仕事をしたことがあります。

ニューマンエラーありきで、確認のタイミングと確認方法を検討し、関連部署に実施してもらう。

 

人数が多ければ多いだけ、誰かと誰かが関わるたび、書類やデータやモノが移動するたび、リスクはあらゆる場面で生じます。それを潰すために作られた新ルールは、日常的にたくさん起こる場面で追加されるからこそ、たくさんの人がイライラ。

 

1のミスが引き起こす影響が重大なら、1つを潰す必要がある。

軽微でもたくさん起こり得るなら回数を潰さないと。

 

最後の最後に、会場を出るところで「お手持ちの書類のお名前は間違いありませんか?」と声を掛けられた時に浮かんだのが「間違うとしたら、係の人に手渡した時、その係が人を間違えて渡す時」「係は一対一の対応で、一対多はしないオペレーションないので渡し間違うことは無い」無いけれど、もしもの可能性があるので確認を入れるのだろうな…

 

その可能性って、どんな事態を想定しているんだろう…

すごく非現実的で笑えるようなシチュエーションなんじゃなかろうか…

うわ~、その内容知りたいかも…


とさっきまでイラついていたくせに妄想始まったら途端にわくわくしている自分。

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接種後6時間経過しましたが、何の副反応もなし。
今回はこのままで終わるといいな。

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だって、でも

昨晩飲み過ぎました(反省)

 

やる、やらないを迷っている事があります。

その事の締め切り第一弾が間近になり、もう決めないといけないタイミング。

今年中に絶対やるしかない事柄。
なのに、やると決めたら終わる話を悩むのは、やりたくはないから。

 

やるしかないが、

やってもうまくいくか分からない。


やらずにいたら確実に下降線。

なら、やるしかない。

どう考えてもやるしかないのだけど、

やらずに済むならやりたくないので、

思い悩んでグズグズ飲み過ぎてしまいました。

 

わかりきった話でも、感情が捨てきれず、人は悩むもの。

 

で、本心はまだやりたくない(苦笑

また「だって」「でも」と言いそうになっているわたくし。

 

こういう時は、どんどん動かして、後戻りできないところへ早くたどり着くのが一番。機械的に先方に電話し、機械的に最短日にアポイント取って…「虫のように生きる」という言葉が下りてきたことがあるのですが、今また思い出しました。余計な事を考えず、直線的に取り組む。そんなニュアンス。

 

今回は、感情が邪魔をして、動くタイミングが随分遅れてしまったなと反省。まだ、結果がどうなるか分からないのでモヤモヤは続くのですが、動き始めたからには必ず答えが出るので、グズグズはこれで終わり。


モヤモヤがスタート。
ああ、ひとつ終わると次が出て来る(ククク…

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粉唐辛子

先日、友人と食事がてら、随分足が遠のいていた新大久保界隈。改札出て右側へ歩きながら「この線路沿いの道が着工した頃から来てない」と思い出を語り合う。多分10年ぐらい来てなかったふたり。

コロナもあって、韓流スキーも少なめ。

どこもかしこも思ったより人が少な目で歩きやすい。

昼時のレストランはどこも空いているので、目に留まったお店に入ってご飯。店員さんも少ない相手の接客だから、ゆったりめで、こちらものんびり。

 

江古田辺りは住宅街で、住んでいる住民相手のお商売。まん防が明けたところで、いつもと変わり映えしない人通りだと思っていましたが、繁華街も似たような調子みたいです。

 

繁華街へ出掛けて楽しむ人が多いと、住宅地の商店街からは客が居なくなると「昔は」思っていました。

 

「今は」繁華街や観光地がにぎわうのは、世の中のマインドセットが外向きか、楽しんでいるか、幸せか、それが見える窓に思えます。繁華街がにぎわう時は、地元の商店街も人の往来が活発で、にぎわうものです。だから、新大久保界隈が空いているのは、まだ自粛モードなのか、それとも気持ちに遊ぶほどの余裕が無いのか…

お料理美味しいね、と笑い合いながら、客単価の低いランチタイムでお客が10名未満の1回転で厨房とフロアで従業員4名ぐらい?そんなで持つのかいな?でも10年以上前からある店だもんな~と採算をお見積り。どちら様も厳しい経営状態が透けて見える。

私なりに、人々が心から開放的になるにはまだ時間がかかるなと受け止め。

 

遊びに来たのにつまんないこと考えるのよそうと気を取り直し、本日のメインイベントは韓国と中華の食材屋で爆買い。韓国食材屋では味噌などジャン系の重たい調味料を、中華食材では乾物や雑穀米に混ぜたい穀物を。荷物が重くて宅配便で送りたくなるほど買いまくりました。


今回、購入した中で、一番買って良かったと思ったものが「粉唐辛子」

甘味も感じる辛さで、旨味も感じます。

粉になっているのでタレに混ぜて肉に塗り込んだり、扱いも便利。

味噌汁にちょっと入れると、コクが出る気もします。

韓国料理は珍しくもないほど食べているのに、自分で粉唐辛子を使ってみようという発想にならなかったのが悔やまれるほど粉唐辛子は便利で美味しい。

 

 

粉唐辛子の赤い色。

体に入れると少し体温上がるような、元気が出る気がします。

しばらくは試して試して、研究。
買った分量が無くなってまた買いに行く頃には、新大久保の人出が元に戻り、江古田もそこそこにぎわうといいな…なんて。

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いつもと違う選択を

頂き物のスミレの花。グラスに投げ入れ。

花瓶が無くても、花は飾れる。

 

コロナにウクライナで、また社会不安で世の中が停滞延長かと諦めモードに落ちかけたのですが、まてよ、と。

私は何かと時事問題が自分の事業や生活に及ぼす影響を考えがち。でもそれはそれ、要因のひとつでしかない。取引先の方達と雑談、どちら様も売上低迷、どうすればいいか不明(ラップ調

私達も消費者のはずなのに、その心をもってしても見えない。

こうなんじゃないかと語られる内容が、私にはそうも思えなかったりすると、互いに幻を見ているよう。

 

予想屋は予想すれば当たる/外れる。

当たる予想は予知。

外れるからこそ予想。

アナログに、人間ひとりが目にする耳にする情報量だけでは、計り切れない世の中になっているに違い無いのです。みんなで「分からん、見えん」とぼやき合うこの実情、それで説明がつくではありませんか。

 

ビッグデータを持つものが残るとなると、弱小個人商店はどうするべきか…出来る事しか出来ない規模なので、新しいとか、他と違ったことを探すのも違う気がします。

もうひとつ思い浮かんだのが、「私と同じ情報を見ていない人はたくさんいるんだ」という事実。

私が世の少数派の場合、その情報内容で判断はアウトではないかと。

このまま繰り返す日々では足りないが増えるだけに思え、普段自分が足を向けないものなら何でもいいから見に行こうと思い立ち、そうと決めたら行けそうな友達に連絡し、催事が不発でも友達とキャッキャウフフで損しないように手当してお出かけ。


選んだのは、単価のお高い、しかも値段の根拠が分かりにくい「古美術」の展示会。目利きではないので皆目分からないながら、目が留まるものはいくつかあり、値札を見てはギョッとし(苦笑)すっかり場違いな冷やかし客でした。

出店者の風体の怪しさと、来場者の身なりの普通さも意外で。

もっとお金持ちっぽい人が来るのかと思ったら、どっちもどっちで身なりからは趣味嗜好が見えにくい感じの方が多く、出店側にはカジュアル通り越して擦り切れ過ぎて気になる方もいて(笑)業界標準がよく分からないなというのが感想です。

誰かと連れ立って来場している人が半分は居たような。

店の人に、自分のコレクションや好きを一生懸命語り続ける女性が小一時間居座っているのを観察し、単価の高いものだから、一人に掛かる接客の手間は相当なのかもなと思ったり。買う人1人捕まえるまでに100人の冷やかしをいなす感じなんだろうかなあと思ったり(余計なお世話

喫茶店へ移動する間に見かけた人々は、穏やかな笑顔で行き交い、本日の日本も平和。不幸せな人は見たところいない感じ。コロナもウクライナもどこ行った?ぐらいなんですが、メディアでは相変わらず不安を煽る系の発信が多いのでギャップを感じてしまう。

友達の近況を聞きながら、この話は、自分とは異なる生活圏、異なる業界から見える世の中の欠片だなと思いました。友達だからこそ、隠さず話してくれる内容もあり、貴重な欠片。

 

その後店を開け、パートへ行って、ルーチン。

寝しなに、いつもと違う選択をして出かけてみたが、良かったなと感想。

変わりたいなら、コロナの2年間とは違った選択を心掛けて過ごすべしと浮かんだので、しばらくその方向で。

 

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平和とは何か

ウクライナ侵攻。

ロシア軍の一般人への虐殺が告発されており、毎度のことながら、人間は人間に対して、どうしてここまで残虐になれるのかと恐ろしく思っております。

力のある側が、力を持たない側を一方的に拷問し、強姦し、殺戮する。殺し方がまた惨い。第二次世界大戦の終戦間近、ロシアが日本の民間人に対して行った事となんら変わらぬ単語が並ぶ。私がその事を知ったのは、社会人になって30代の頃。あまりに惨い言葉が並ぶ資料に吐き気を覚えながら、知る必要を感じて読んだ記憶。

 

戦争なら何をやっても、やられても仕方ないのか?と思ったものです。極限状態だと、普段とは違う精神状態になり得る。その時に他者を思いやり助け合える精神を持ち続けられるのか、自分一人逃げたくなるのではないか、他者を陥れてでも自分は助かりたいと思うのではないか。人間の品性や徳は脆い一方で、どうせ死ぬなら惨めに死ぬより一矢報いたいと強くもなるだろう、そんなことをひとしきり考えたことがあります。

TVを持たないもので、webニュースやYoutube動画で情報を得ておりますが、文字面だけで十分、私は削れてしまう。だから画像検索もしないし、現地映像も見られません。コロナ不況で経済的な不安が冷めやらず、精神疲労状態が続いておりますから、普段より、不安や恐怖に対する耐性が落ちまくっている自覚があります。

 

SNSのタイムラインで、ロシアが早く負けて停戦すればいいと願っているつぶやきを多数目にしますが、私にはこの戦争は、停戦となれば終わるとは思えずにおります。クリミア侵攻の後も、ずっとウクライナとロシアは境界を接して不穏な状態が続いてきたのだし、戦争は「止めます」と宣言したところで、守る気が無い人が一人でもいたら、その条約や法律には何の意味があるのやら?

私の火曜の夜のお楽しみ、地政学・奥山真司氏の動画で興味深い話題が出ておりました。

32:00~45:00辺り
・日本の教育では「平和は尊い」「守るべきもの」というだけで、何が平和か、平和とはどんな状況かを教育で教えていない。

・日本は、戦争が何故起ころうが、中身がどうだろうが、禁止1点張り。無いものにしたい。どこかの国と戦うなんて議論さえしない。できない。

・そんな教育を受けてきた世代は、戦わなければいけない状況とはどんな状況なのか、理解できない(やられっぱなしでも、やり返しても、その結果が後でどんな事態に帰結していくのか、思いつけない、思考ゲームが出来ないという意味かと)

 →私は生まれた時は終戦後だし、高度経済成長にバブルもあったから戦争は遠い昔世代。国と国のやり取りは善意や正義だけじゃないと理解、実感できたのは40代になってから。。。


・みんなが合意する平和は無い。それぞれが求めている平和な状況は立場によって異なる。

→ウクライナにとっての平和とロシアにとっての平和が同じではないのは想像に易し。

 

奥山氏は、ある秩序が保たれて守られている状態を平和と定義しておりましたが、なるほどなと思いました。良くも悪くも、秩序が保たれていれば、混乱は生じにくい。

 

私は、平和と言えば「争いのない世界」を連想するけれども、ある権力によって押さえつけられても実現する代物だな、なんても思ったり。「戦争のない世界」を連想して武器を無くせばいいと思っても、無ければ単純に力が強い方が勝つので、弱いものが駆逐される弱肉強食が浮かび、武器を無くすだけじゃ足りないんだなと思ったり。でもじゃあと、悪行を縛るための法律を作るとなると、守る気が無い人には意味がないとなり、罰が必要となればどんどん個人を管理監督する社会に近づいていき、ある権力によって強力に統制されていく方向性に近づいてしまい、それは望んじゃいのになと思い直す。


平和って、私の周りにはありふれてたはずなのにな。

結構平和は難しいし、よく知らなかったんだな。

 

まだうまく言語化出来ないと感じたので、自分なりにもうしばらく考えます。

和田社長が「悪魔の辞典という本で、平和とは戦争と戦争の間のばかしあいと書いてあった」と言っていたのが妙に心に残っています。

 

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美彩新作「チョウチンアンコウ」

過日サンシャイン水族館で深海魚展を見た感動のまま、美彩さんに彫ってもらった「チョウチンアンコウ」デビルっぽい色合い、口の大きさ、知っている人でこんな顔のおじさんいたなとほくそ笑むわたくし。

でも、いわゆるチョウチンアンコウは雌、女の子。

 

 

チョウチンアンコウは、小さい頃から何かで見かけて覚えた魚。絵本のイラストでは、頭に光る提灯を提げ、暗闇を灯してみんなを助ける心優しいお魚ちゃんでした。

このチョウチンアンコウのせいで、深海魚は全部、頭の先に光る提灯が生えているものだと誤解していた時期もあります。

頭の突起というか触手:棘が進化したものだとか

触手の先のひらひら:動きで餌になる生き物を連想させる疑似餌本体

触手の先の発光器:体内に住んでいる発光バクテリアの光りを活用。構造は光ファイバーみたいになっている(自然の企画開発力、凄い…

 

どれも必要から、改善のために変化(進化)した結果と思うと、そこに至るまで、生きにくい深海で、何匹のチョウチンアンコウが失敗して死に続けたことであろうか(遠い目

大人になっても深海魚への興味は尽きず、ある日チョウチンアンコウの『不思議な結婚』を知りました。

 

個体数も少ないし、いつでも、どこでも、何度でも、出会いがあるとは限らない深海。

 

チョウチンアンコウの雄は、雌のフェロモンをたどり広い海底を移動、出会ったら逃がさない。腹部にかみつき、徐々に雌の体に同化し、最後は生殖器のみ残し、体ごと雌に取り込まれ、雌から栄養をもらって寄生しているような状態に。雄は生きているだけで餌を食べる競合者だし、種だけあればオッケーということなんでしょうか。

「そんな扱いでも、オレはええんやで」と雄が受け入れたのか(諦めたのか)
擬人化して想像すると、なかなか切ないな、雄。

ちなみに、サイズ情報。

雌が体長40~50㎝に対して、雄は5㎝程度。
雌にすれば、嚙みつかれても大事なし。

吸収同化が進めば、大きなイボがお腹に出来た感覚ぐらいでしょうか。

 

 

母数が少ないところに、雌に取り込まれずウロウロしている個体が少ないのか、雄の個体は記録が少ないとのこと。

 

深海魚は、網に掛かっても水揚げまでに網や他の魚と擦れて、本来の姿が分からなくなってしまうものも多いそうです(水圧に耐えるためにほぼ水のような体=ぶよぶよ柔らかい組織のせい)5㎝ぐらいなら網の目から漏れちゃいそうですしね。

 

私は、この不思議な結婚の話を思い出すたびに、最近の若いカップルを連想しております。韓流のおかげか、男子もお化粧したり、中性的なきれいな子が増えました。店内で、可愛い女子と静かに語らう様子をみると、話している内容が「女子同士の」「結論のない他愛なさ」不実は働かず、乱暴な言動、嫌な事は言わない。穏やかに思いやり合い、女子からすれば、一緒に居ると「まるで自分と一緒にいるように」「気疲れしない」関係性なのだろうな…で、チョウチンアンコウの結婚を思い起こしてしまうのです(黒笑

私の若い頃は「白馬に乗った王子様」を待つ乙女もいましたが、王子様には、美しさの他に、頼れる、守ってくれる、強い、あたりのキーワードが含まれていた気がします。今時の若い子達は、どんな恋愛観なのか、機会があれば聞いてみたくなっております。


話戻ってチョウチンアンコウ。
雄が雌に吸収同化される以外に、もっと餌の多い深さや浅瀬に生きる方向性を何故目指さなかったのか、そっちも気になります。陸で生きる私の感覚で見たら、なんでこんなに生きにくい世界を選んだのだろうか。深海魚が話せたら、いつか聞いてみたいテーマ。

※チョウチンアンコウをお迎えしたい方は【こちら

 

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SNSで成功?

『ホーキング、未来を語る』
まだ1章目の相対論についてを読んでいるのですが、進まない。有難いのは、図版が分かりやすいこと。文章だけだと、今一つ意味が分からないので、知っているつもりできちんと理解出来ていなかったんだなと思いながら読んでおります。

天才が思い悩んで解き明かした難しい内容だから、凡人が理解するには時間が掛かる。もっと簡単に、と思わないでもないが、甥や姪が「何?何で?」攻撃が凄かった時期、子供に分かるように簡単に表現するのにも限度があるなと思い知ったので、頑張って読み解き中。

 

それにしても、私はどうやって子供の理解力から大人の理解力へと変化できたのやら。あまたあるすべての知識を全部読んだり学んだりでアップグレードした訳ではないのは確か。

思うと、何かがある量を越えた辺りで「知識」と「経験」同士がリンクして「分かるようになった」気がします。昔の流行り言葉で「シナジー効果」なんてありましたが、アレです。知識在庫が多いから繋がるというのでもないから、これは個々人の資質にでいろいろかなと。

 

みんなが同じ方向へ育つ必要はないから、いろいろでいいですよね。

同じものを見て、同じ事を考えているなんてのはあり得ないなと思うわたくし。あなたとわたしは別な人だもの。親子といえども違って当たり前。


そう言えば、私がサラリーマンしていた頃、ビジネスマンは『朝日新聞と日経ビジネスとビジネス新書』から情報を得ていた人が多く、誰と話しても「あ、あれね」「知ってる知ってる」という感じがありました。みんなが「最低限それぐらいは読んどく」みたいな印象。


情報源が一緒だから、何かを検討しても似たような結論に納まり終わる。それでも、その時は「これしかない」「これが一番最適化」と思って決めているので、思った通りに行かないと自信喪失。おかしいな、何が足りなかったのだろうか、何が悪かったのだろうかと振り返りをしても、そもそもの前提が新聞や雑誌に書かれた一つ二つの事例で全体を俯瞰したかのような書き方の記事。事実なのかもしれないが、真理ではないのだと気が付かない。なので「謎が深まる」という…

先日「今の若い職人さんは大変」「SNSでブレイクした方がいるって」「みんなSNSを使えば」という話を振られて、心の中で頭を抱えました。

SNSだけで成功している訳ではないと思いますよ。
そもそも、ちゃんとした品物を作る腕が無いと。

 

 

SNSやっている人ってどのくらいいると思ってるんでしょう。

商品サービスを売りたい人は素人玄人どっちもみんな使っています。

自分や作品を見て欲しいだけの人は「採算度外視」で凄いものを作ってSNSで注目を集めまくってます。同じ土俵に乗ってないものもおしなべて比較されてしまうSNS。却って厳しい競争世界かもしれません。

 

そして、SNSをやっている取引先も同業者も、やったところでSNS経由の注文が売り上げの100%なんてことは滅多にないですって。やってみたら分かりますって。そんで、やってみている人はその事実に気づいていますって(自虐

じゃあ、何でそれでもSNSをやっているのかといえば、ひとつでも多く集客ルートを持ち、各々からの集客数を1%でも増やせた方が結果的には食べていける確率が上がるから、なんだと思います。

職人さんは、モノを作る時間を削って、SNSにも時間を割かなくてはいけなくなるから、昔よりも大変になっている人もいます。得意な方はいいんですけどね。得意な方でも、反響が思った通りに上がらないと、心折れる×2になるかもしれないし、なかなか複雑みたいですよ。SNSは気軽にコメントつけられますから、こうしたらいいのに、こういうのを作ればいいのにと善意と思い付きのアドバイスが寄せられまくり、鬱陶しい気分になったりすることも多くなったという方もいましたよ。

世の中そんなに簡単には出来てないのに、ニュースや読み物になっている記事って苦労したところがそれらしく書かれているだけで、ある日転機が訪れ、成功して終わりますから誤解する人もいるのでしょうね。

そんな話を持ち出す方は、きっと同じ苦労をしたことが無い方。
だけど世間知らずとは思わないのがわたくし。
代わりに、この方なりの別なご苦労を背負われてきたはず。

こういう時は別な話題に切り替えると楽しい時間が過ごせるんですよ(笑

私が分からないながらも物理の本を読むのは、物理の法則は「誰がやっても再現性がある法則」について発表しているからかもしれないなと思ったり…誰もがやればやっただけ成果が上がって、成りたい自分やありたい未来にたどり着けたらいいのにな~と本当に思います。

いまだコロナ不況にもがいている一人として、切に思います。

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何を迷っているのやら

今日は強風、風が強いだけで人類滅亡率が高まる当店。
そんな訳で、家を出るのも気が乗らず。

夕方から雨が降るとラジオがいうので、じゃあ今日は歩いて出勤する?と思った辺りで、何を迷っているのやら?と自分の迷い方が可笑しいなと思い浮かびました。

自転車で行きたいなら自転車で出勤すればいい。
今、そうしたいなら、選べばいい、決めたらいい。

雨で自転車を乗り捨てて帰った方がいいなら、その時は歩きで帰ってきたらいい。

でも、自転車を置いて帰ると、翌朝の出勤は歩きになる。

歩いて移動するのは嫌いなのかといえば、そんなことはない。

自転車だと荷物が運べるけれど、今日明日、運ばなくてはいけない荷物は無い。自転車の必要性はない。

 

自転車で出勤することと、歩きで出勤することと、どっちが好き?

 

自転車で帰宅することと、歩きで帰宅することと、どっちが好き?

帰りは早く帰りつきたいから自転車が好き。

じゃあ、自転車で出勤して、雨が降ったところで、自転車で帰ってこれそうなら自転車で帰る、それでいいじゃないか。


何でどっちかひとつしか選べないような考え方してるのかな。どっちも叶うかもしれないじゃないか。

 

確実に叶うことだけ選んでたら、決まったものしか手に出来ない。

少なくとも行きの片道は確実に自転車に乗れるのに、後で降る雨を思って、往復とも自転車を止めるのってどうよ。

これはあれだ、徒歩で行けば徒歩で帰る、そのタイミングが今日のいつになるのか、明日のいつになるのか、それだけの違いじゃないか。

そもそもが、そのメリット/デメリットという考え方が間違ってるかもしれない。

春の暖かい雨だったら、濡れて歩くのも楽しいかもしれない。

 

なーんてことを考えながら、自転車で出勤してきました。

遠い先のことは分からないから考えるのは無駄。だけど近い先のことだと、何だか予測しても本当に起こりそうな感じが増すので判断を誤る傾向が自分にはあるなと発見。

失敗するかもしれないから、やらない、に似ている(笑
○○したところで、期待した通りの何かが得られないかもしれないから、○○しない。

つまり、期待が邪魔するのだろうな。
自分にとって都合のいいことを期待しながら、「でも」絶対そうならない可能性を同時に予測している難儀なシステム。叶う訳もない気がします。

 

それが可笑しくて、変な迷い癖を止めたいなと思った次第。

自転車で出勤しましたよ。

もちろん、雨の程度によっては、自転車で帰宅する予定です。

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よそはよそ、うちはうち

窓辺の手ぬぐいを春の花に変えました。
白地が並ぶと少し寂しい印象に感じる自分に気づきました。

 

デジタルコンテンツに囲まれて、余白までも色の洪水的ビジュアルばかり目にする生活で、白の面積がある割合超えると、密度の低さを感じて寂しいと変換しちゃうようなのです。

人の心理で、白紙を目の前にすると埋めたくなると本で読んだことがあります。密度の高いビジュアルを見ると、満たされている気になるのかもしれませんね。

でも私は余白を余白として楽しめる感性も大事にしたかった方なので、白があるから春の花の色が引き立つという発想に自分を引き戻し。

 

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最近、姪の進学祝いについて妹と雑談した時のこと。

 

妹のところへ、実家サイドから現金にしてと要望が入っていると聞いて、「いくら包む?」かを相談したのです。何故か足並みを揃えたがる伯母ふたり(笑

私の昭和な感覚だと、高校進学は今の日本では人並みイベント。

まだまだ親の庇護下で過ごす学生生活ですから、ひと月のお小遣いかちょっと色が付く程度でいいと思うのです。

そういう発想なので、¥5000が妥当と思うのですが、私達姉妹は普段から実家に帰る機会が少なくて、小さい頃から行きあうたびにお小遣いやお年玉をあげる事も少ないもので、「まあ、1万円かな」「うむ」

 

妹が「しかし、¥5000ってお前、しょっぱいね 笑」と言うので「よそはよそ、うちはうち 笑」とひと語り。

私達の母も「よそはよそ、うちはうち」とよく言っておりました。私達兄弟は、他人のお宅はこうなのに~と羨む事は少ない方でしたが、不満が残る時には不貞腐れる訳で、そういう時によく言われたものです。

結果として、無いものねだりをしても幸せになれないことを学びました。他人が喜ぶ事柄が自分の感性と違うと、全く喜べないどころか迷惑でしかない事も学びました。人にねだるよりも、自分で手に入れた方が喜びが大きい事も学びました。

価値基準、判断基準は、自分オリジナルで持ってこそ、幸せかどうか、満足かどうか、評価が出来るということ。

 

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今日いらっしゃったお客様が、SNSで見た方の発言や画像を信じて自分も試してみるも、思ったほどの変化が現れず、真似し続けていいのかどうか、迷いが出ていると雑談。

誰かに合う方法でも自分に合うと限らず。
この方は、SNSのどなたかのような変化が欲しいので、同じではない事で不安や迷いが出るのでしょう。

変化が見られるか、変化の具合はどうか、自分の体なのだからじっくり観察すれば分かるはず。なのに見たいものが他者の変化だとしたら、それは見ていても自分が見えて来ないと思うのです。

 

それに、人は環境や食事や、運動や、体質など、全く同じ条件にしてこそ比較できるはず。1つだけ取り入れても違いを感じるのは当たり前。その1つをやれば全部同じになるというのは願望であり、論理的ではないかも…

「よそはよそ、うちはうち」

でも都合のいいことは、同じがいいと思うのが人の心。

でも私は一人、あなたも一人、唯一無二の存在なので、よそはよそ、うちはうち。

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確定申告の季節

税務署に用があって江古田に来たついでのお客様が増える季節。

開店準備中に税務署への道をお尋ねの方が、せっかくだし中を見たいと言うので商品見ながら雑談が始まり、おばちゃん同士なので盛り上がる。

どなた様も、確定申告は年に1回の苦行となっている模様(笑

日々の入出金を管理されていない方は「そんなの覚えちゃいないわよ」と萎える。細かく管理されている方も、集計が面倒でと萎える。

私はずっと独身のサラリーマン、扶養も無しで、年末調整でメクラ判押し→終了の歳月が長かったせいで、自営業1年目の確定申告はおっかなびっくり。

簿記3級の学校に通ったことがあるので仕訳は何とか分かるものの、その後のもろもろに自信が無かったので青色申告会に入って様子見しました。感想としては、特別細かくチェックされるでもなく、何か…結構簡単なんだなと分かったので、翌年から自分でやっています。

 

もちろん、都度都度分からない事が出てきますので、その時には周りの経営者先輩に聞いたり、商工会議所なら記帳相談(無料)を利用。ストレートに税務署に教えてくださいと行った事もあります。仕訳さえ間違えていなければ、最後に分からないところは大した事ではないので解決も早かった記憶。

 

年に1回の事だから、まあ覚えないですよね。

確定申告は事務作業としての煩わしさだけが身に迫りますが、このめんどくささを手放したければ、全ての出入金を自分以外の誰かに把握してもらい、仕訳てもらえばいいのですよね。税理士さんとか、マイナンバーに様々紐づけて国に管理してもらうとか??

簡単な話ですが、把握してもらう相手にはその報酬を渡さなくちゃいけないです。ただで大変な仕事を請け負ってくれる人は何かよっぽどの事情を抱える人じゃないといないと思います。それとは別で、他人は絶対失敗する、自分の個人情報を悪用する、そんな信用できない他人に大事なお金の流れを把握されるの嫌な人は、どんなに面倒だろうと、自分で頑張って申告するしかないのです(黒笑

昨年度の申告の時に、持続化給付金100万円が課税対象だったせいで、所得税も住民税もギョッとする値上がりっぷりで息が止まるかと思いました。

今でも覚えているのですが、維新の足立議員が「持続化給付金は非課税対象か」という質問をしていたことがわざわざSNSで回ってきて「課税対象です」「非課税じゃなくて課税対象なんですね?」と念押ししているような動画で、あの質問の意味はこれだったのかー!と息が止まりかけながら思いました。

非課税ならバラまいて終わり。好きにお使いなさい。
課税なら、100万のうち一部は所得税として回収するし、所得をベースに計算して国民健康保険料も割り増して請求するから、満額使っちゃうと後で困るよ~というお話だったと、やっと実感できたという(ため息

慌てて税務署や区役所に分納や減免の相談に出掛けまして、その結果、分納は結構簡単に手続きをしてくれると分かりました。

練馬区の場合、減免に応じてくれたのは国民健康保険料だけ。
住民税は生活保護者でなければ減免はあり得ないそうです。

 

元気で、何事も無い時は気にもならない話ですが、働けなくても納税義務があるお金がある事、いくらぐらい掛かるのかなど、若いうちから把握しておいた方がいいですよね(ため息)把握したところで、働きたくてもコロナで働けないなんて事も起こるので、知ったところでどうもならないかもしれませんけどね(大きなため息)

そんな確定申告の時期、でも当店の店頭は平和。
おばちゃん同士の会話は共感しあう事でお互いの健闘をねぎらう感じで笑いしか出ませんから。


確定申告真っ最中で疲れた方、

確定申告出し終わってスッキリされた方、

どちらも気持ちの共有、共感できますので雑談にいらっしゃいませ。

 

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深海魚展@サンシャイン水族館

昨日、思い立ってサンシャイン水族館『深海魚展』へ出掛けました。もちろん店の営業は臨時休業。

 

子供の頃から深海や深海魚に興味があったわたくし。

暗黒の、水圧猛烈の、およそ生き物には優しくない環境で生きる…自分がそこで生きると思うと怖いのに、何故かひかれる深海の世界なのです。

 

図鑑や動画でたくさん見ているのですが、実物を見ながら情報の上書きをしたくなったところに、終了日が3/6とあって、今しかない!と出掛けた訳です(土日の水族館は入場制限(時間指定チケット)ありで、若干不自由なのです)

 

深海魚、想像通り姿は地味でした(笑

 

生きていれば発行体が光ったり、エスカ(疑似餌部位)が動いたりで少しは可愛げがあったかもしれません(笑

 

地上の水族館では生きたまま展示は難しいもので、はく製や標本、冷凍標本が並んでいましたの。

 

このサイズ、体つきで、深海200~1000m、果ては6000mでも生きているのかと思ってみたら、生き抜くヒントはどの辺り?なんて妄想が尽きませんでした。

 

実物を見て、まずサイズ感が分かったのが良かったです。体に対して口の大きさとか、標本だと透けて見える骨の太さとか、想像してたのと違ったところがたくさんあって、やっぱり見に行って良かったです(臨時休業の甲斐がありました!

 

そして、水族館はカップル多めだった~

今もデートの定番スポットみたいです。

ヒーリングミュージックみたいなBGMが流れ、薄暗くて魚の泳ぎは地上の重力と無縁に見えるし、ただ眺めているだけで無心になれる。一人で行っても楽しい場所と再確認でした。

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摩利と慎吾⑩

別な言葉で言われて、自分が感じていたのはそうだよな、と納得できたお話。

Sさんと読後感想を交換。
Sさんも、セリフやト書きが多くて、なかなか読み進められなかったとのこと(笑
スッと心に入って来ない感覚があったそうで、何で?どうして?がつきまとったとか(同志よw

 

「これが描かれた頃は割と悲劇的な話やハッピーエンド以外の終わり方が、ドラマチックで刺激的だなと評価された頃じゃない?」

 

「女性でもないのに、社会の枠組み的に結婚しなければならないってレールが強すぎじゃない?主人公2人とも男性なのに、結婚しない、子供がいない選択肢が存在しない感じが不自然だし、周りがどう思うか、周りにどう思われるかが凄い縛りになってる感じがした」

 

「女性側も結婚と出産が幸せのルート認識強い、それしかないみたいに見える」

 

「恋愛と結婚が別物みたいよね。好きじゃなくても結婚するのは明治~昭和初期の時代価値として分かるんだけど・・・」

Sさん、あれやこれやと語った後、斜め袈裟懸けな発言。

「作者が偏ってるんだと思う」

「この作者の考える幸せの種類が少なすぎると感じた」


過去の価値観を現在の価値観で見てはいけないというのは分かるが、端々で何で?どうして?が湧いて来る。気付かないほどの小さな歪みが積み重ねられ、後に行くほどその歪みが見えるようになり、ある程度の大きさになった辺りで「なんか違う気がするけど、う~ん・・・」


木原敏江先生の価値観と設定時代とがいい具合に混ざっていて気付きにくいが、作者が感じている世間や他人感が透けてるんじゃないかというもの。そしてその像が、我々の見ている世間や他人と違うんだろうなと思ったそうです。

 

だから理解が出来ない。

でも理解しようとして読もうとするから疲れる。

分からないものは、ある。

YouTubeで「ベストの解があるというのは幻である」という動画がおすすめに上がってきまして、やだ引き寄せたみたいです。

こねくり回して何とか理解したい、解釈しようとする傾向のある私と違って、Sさんてストレートで気持ちいいなと思いました。前に「何で私と仲良くしてくれるの?」と聞かれたことがありますが、Sさんのストレートさが、私には真似できなくて、かつ眩しいからなんですよ(笑

ちなみに、Sさんは慎吾と同じ牡羊座。

私は摩利と同じ射手座。
2人が人間的にひかれ合うのは仕方なかったという辺りは、実体験でよく分かる。そこだけがよく分かる。

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追記:
今の方が、生き方は自由になったんだろうと思う。

幸せの種類が増えてるよね。

一生独身でも幸せに暮らしている人はいるし、それでいいと社会が認めてる。

子供がいなくても幸せな夫婦はいるし、それでいいと社会が認めている。

人の数だけ幸せの形も違うと、認められる社会になったんだよね。
そのぐらい、この70年ぐらいで日本の自由度が上がったということだよね。

みたいなことをSさんと話しました。

そして、その自由を知ってしまった後だと、時代背景と言われても理解と納得は別物で、なんか違うだろう?って思っちゃっている自分にも気付きました。人の心は、変化したら戻れないものなのかもしれませんね。異世界もので、転生した社会が中世程度のレベルというのがよくあるけれど、私が転生したら中世程度の階級社会で不自由だと、生きていけないかもな~と妄想。なろう系はファンタジーだからファンタジーとして楽しむで終わるのがいいということか(笑

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ウクライナ侵攻

ウクライナへのロシア侵攻、当事国、周辺国、関係国、思惑や落としどころはどこなのだろうか、私の知る情報では皆目見当もつかず。

 

申し訳ないが上がる火の手が見えない程度離れた国の出来事なので、落ち着いて日本の参考にと静観、注視。

 

9条は万能ではない現実を訴える数が増えた事は嬉しいなと思う。

 

私は国防はまず自衛力がメインであるべきと思っている派。

 

NATOもアメリカも、同盟国ではないから参戦することもなく、ウクライナは援軍なしに防衛中。

 

同盟国だとしても『出来る範囲での協力』な訳で、どの国も諸共に玉砕するまで一緒に戦う気はないと思うべき。

 

中国、北朝鮮、ロシア、微妙な韓国と囲まれてるのにのんびりし過ぎてるんじゃないかなと自国に不安を感じる一方、これまでの日本の運の良さを思う。

 

物事は変化するもの。いつまでも続く訳がないので、これを機に、国民一人一人が国防や安全保障について、深く考え議論し合えたらいいなと思っております。

 

戦争に正義なし。

ロシアが悪い、ウクライナが狡かった、アメリカが煽った、悪者を立てて話をする方がいますが、どちら様も、見る側を固定すればあちらが悪く見えるもの。しかし、世の中はそんな単純に二元的には語れないものだと思います。私やあなたの心だって複雑怪奇でしょう?それが絡み合っての世界事情ですからね。

 

今の私達は、遠くから見ていられるからこそ、見る側を固定せずに事実を見て考えられたらいいなと思っております。

 

それにしても、戦争反対です。

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万華鏡をのぞきながら

ポケットに入る万華鏡。覗くと周りの景色の色が模様に変換されるテレイドスコープ。今日みたいにきれいに晴れた日の散歩のお供におすすめ。(通販は【こちら

 

老眼が進むと焦点合わなくて、模様がぼやけるようになるんですよ(ふふ、ふふふ

 

私はまだ大丈夫なのですが、たまにお客様がのぞて「やだ、見えない~」で爆笑になるのです。

 

名付けて「老眼リトマス」

 

でもこの「やだ~」で笑えるのがおばちゃんのいいところだなと思います。

 

「老眼鏡掛けて見たら見えるんじゃない?」「あそっかー」みたいなお客様同士のやり取りを眺めてにやにや笑えるのも小さなお店の特権です。

 

衰えを悲しむだけだと、人生はどんどんつまらなくなっていくだけですものね。

最後は何とかなるか、どうにもならないと受け入れるか…人生は残酷にもシンプルだと思います。

 

若いとうまく行く結末以外は望みたくなくて、頑張りがきくという利点もあれば、悪あがきして疲れ果てる欠点にもなる。悪いことではありません。疲れるまでやってみないと分からない事は人生には多い。パパッとやってババンと結果が出る、それもいい結果が出る、そんなお手軽な事は少ないですからね。

 

体の疲れを感じている方は、たくさん寝て、もう少し頑張ればいいと思います。心の疲れを感じている方は、たくさんやった証拠だから、そろそろ運を天に任せてもいい頃合いかもしれません。迷っていると自分の本心が分からなくなる時がありますが、私は、心と対話をするために、万華鏡をひと時覗いてみたりします。


迷っている、というか。
コロナでまん防の間は何をどうしようとも、動かぬ岩が目の前にあるという感覚。岩を相手にして立ち止まっても仕方ないと分かっているのに、次がまだ思いつかないんですよねぇ。『果報は寝て待て』と言いますから、寝転がりながら万華鏡をのぞいてぼんやり。

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まだ何かできるかも

今年も文旦を取り寄せました。
私は黄色い皮色の柑橘が好き。
味も好きですが、この黄色い色合いが好き。見ていると元気が出ます。

本日ご来店のお客様が「わたし77になったの。でもね、そうするとあと残りどのくらい生きていられるかなと思ったら、90までだとしても10年ちょっとしかないの。まだ何か出来ることないかな、何か形にしたいなと思ったの」

この方、事業をされている方で、既に仕事で形を成しているのを知っていたので「仕事を続けることではダメなんですか?」と聞いたところ、ちょっと考えて「仕事もいいんだけど、そうじゃなくて、何かしたいなって思うの」というのです。

後になったらその気持ち、分かる気がしました。仕事はずっとやって来たから、習熟が進んで惰性でも出来るようになっているから、目新しさが全くないということなんでしょう。


「それに、仕事ね、まだ仕事やってるの?って言われたりもするのよ」と言うので、「どなたが?」と聞き返すとお知り合いの方に言われたとか。まだやってるの?という言葉に、引っ掛かりを感じている様子。

私の予想では、ご家族が「いい年なんだからそろそろゆっくり過ごしたら?」と労わりの気持ちで言い出したのかと思っていましたが、お知り合いと聞いて透けてきたのは、お知り合いは、働かないで暮らせている「自分の現状に満足」しているから、まだ働くの?といったのかも知れません。

お知り合いの価値観が、仕事は苦行で楽しめないというものだと、何故続けるのか分からない方かもしれない。「そんな事」を続けて何かいい事があるのか?と暗に言われて、「そんな事(事業、仕事」を大事に思って長年頑張って来たご本人にしたら、引っ掛かるのは当然。

パート仕事では、65歳になると週の労働時間を減らされる職場もあります。65歳になると定年退職になる職場もあります。65歳で正社員雇用してくれる会社はほんとに少ないと思います。本人が働きたいという意思があり、体力的にも能力的にも衰えがなくても、雇用側のルールで労働時間が減り、収入も減ります。高齢者活用と言われますが、それが現実です。70越えたら、雇いたいという会社は更に減るでしょう。

そんな話をお伝えしながら、「誰もが働き続けられるものではないのだからこそ、今出来ていることは素晴らしいし、辞めたくなるまで続ければいいですよね」「それに、やる気が萎えてないなら、これやりたい、やろうと気持ちが決まれば、一直線向かって突っ走れそうに見えますよ」と談笑。

他人の言葉は呪いでも何でもない。

自分が何も出来ない老人だと決めつけるのは自分。

この方ならきっと90越える頃までに、やりたいと思ったことを楽しんでるんじゃなかろうか。

私も、そんな老人になりたいものです。

 

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シンプル・イズ・ベスト

なろう系で、前世の知識で転生先で疫病を抑えて聖女ともてはやされるとか、そういうのを読みながら、ふと職業倫理について思いをはせました。

怪我や病気で苦しんでいる一般庶民を見ながら、「私には見捨てられない!」とか「私の命を掛けて助ける!」とか、熱く固く決意をする場面は感動的。

人はそれを見て、「よく言った!」と納得し、高揚します。

物語が主人公の活躍で助かると分かり切った流れに突入。安心して楽しめる流れを見ると、水戸黄門や暴れん坊将軍を見た後のような、気楽な気分になれる訳です。それが麻薬のような快感。現実はそう甘くないから、夢を見るというか…

(現実的には、あなた一人で出来る事なんて限られてるじゃろうに…と思わなくもないが、そこはフィクションをフィクションとして楽しめる能力スキル発動で 笑)

この「やる気表明」的な部分に、『職業的な矜持』と『私はそういう人でありたいという決意』が込められていると感じます。これを『職業倫理』と思うのですが、自らがその責を負う事に対する宣言のようなものだなと思います。

 

私の前職はデザイナーでしたが、メーカー勤務の頃は施工絡みの図面を引くし、部材の手配をするし、施工の手配をするし、現場管理も経験。私が数ミリ間違った図面を引いたせいで、ネジ1つ足りないだけで、どれだけの人の時間と労力が無駄になるかを『失敗から学び』ました。下手すると、施工したものの安全性が不足したら人命にも関わることですから、自分の仕事の重要性を噛みしめるタイミングでもありました。

お客様にも同僚達にも迷惑を掛けたという後悔は、自分をひどく『責めさいなむ』し、二度と繰り返さないと思いながら、仕事の精度は上がっていった気がします。そして、積み重なったものの多寡は、問題が起きた時に自分が擦り切れても何とかするという原動力になり、火事場の馬鹿力を引き出すように思います。

 

その時の自分は、自分以外の誰かのために、何とか被害最小で納めたくて頑張るイメージ。自分のミスだけでなく、同僚のミス救済、お客様側の事情による変更だったり、事情は様々あれど、一緒に働く仲間、身内と認識できたら、その人のために火事場に飛び込み頑張ろうと思えたものです。暑苦しい使命感に浸っていました(苦笑

組織で働いていた時は、そういうのありました。
周りがそれぞれ似たような体験をしながら、「この仕事をする限りはこれが最低限守るべきもの」という共通認識を持ち、だから集団が同じカラーで動けたというか。

ひとり個人商店になって、事業内容がシンプルになったのと、自分の社会経験値が上がってもいるし、完成品の売買ですから1件が完了するまでの時間が短いもので、火事場の馬鹿力が必要な場面が無い。これは、とても喜ばしい事。

 

こうなってみたら分かったのが、火事場に飛び込む勇気溢れた(?)あの頃は、~すべきで自分を縛ってもいた訳で、他者のために~すべき事も多く、ストレスと表裏一体だったなとも思います。「やらずにはいられない」「自然と体が動く」という感じでも無かったなと。

 

ひとり個人商店になって、私の趣味や見立てで選んだ商品を売るセレクトショップという建てつけの事業をやっていると、「私の」「やりたい」「お客様にすすめたい」「~したい」ばかりで、自分を縛る事は「違和感あるものは取り扱わない」「嫌だと思う事はやらない」、自分に嘘をつかない系。だから自分を裏切ることはないから自然と出来るし、ぐらついても最後には立ち戻れる。

お客様の感想や判断はその方の自由と思うので、売り込むような会話はしない。判断材料の商品知識はお伝えする。これも嘘をつかない系。

 

組織に所属していた時と比べたら、シンプルな倫理観。

だからこそ守れる。

職業独特の特殊性もない普遍的内容。

開業当初は、何だか頭でっかちにコンセプトとか理念とか書いてみたものですが、10年経ってみたらとってもシンプルになってしまった自分に気づき、ほくそ笑んでます。

 


まん防から緊急事態宣言へ移行しちゃうのかな、またか、こんなの続いてたらうちみたいな小規模店はどうなっちゃうんだろうかな~と不安になりつつも、やっぱり今が幸せだなと思う冬の日。


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せっかくテレビを捨てたのに

iPhoneに、毎週表示される「利用時間の集計」。

店でも自宅でも、ノートパソコンをメインに使用しているので、iPhoneはもっぱら画像撮影してそのままSNSへ投稿するか、音声通話に使っているので、1日30分ぐらいでしょうか。少ない方だと思います。

SNSもひと頃の楽しさも褪せて、自分の近況をあれこれ知らせたい欲求も低め。いいね!がつけば嬉しいけれど、いいね!稼ぎのために何かを投稿するのも違うと思います。

結局リアルで生きているわたくしにとって、SNSの先の友達は、友達ではあるのだけれど、リアルで利害関係が生じる訳ではない点で、正直軽いのだと思います。薄情とかではなく、それが誰しもの現実かなと。

 

 

ひと頃は、「見る方の入口をたくさん用意してHPアクセスを増やせないか」試していたので、このブログの他に、ヤフーブログやアメブロなど外部ブログにTwitterにFacebookに…と5~8つは運営し続けていた時期がありました。

寝る間も惜しんでパソコンに張り付く日々を数年やってみて、効果はあるが思ったほど爆発的ではないなというのが結論。今も複数SNSを活用し続けておりますが、力の入れようはだいぶ変わりました。今は抜き放題ですが、売上貢献度は大して変わりは無いかと思います(笑

昨日今日と休店日。以前なら休店日はSNS投稿の仕込み時間でしたが、そんな事も不要となり、コロナで外出も減り、「はて?私は何に時間を費やしているのだろうか?」と思ったのですが、この1年で自覚あるのが「YouTube」

最初はコロナに対する漠然とした不安を癒したいと思い、動物チャンネルを見ていたのですが、今やお気に入りのチャンネル爆増で、誰かが投稿するたびに見るのが忙しくて、見逃しもたくさん出ております。

我に返ると、誰かが進行してくれる物語を、ぼんやり眺める時間の使い方はまるでテレビ。せっかく2011年に捨てたというのに、また戻っちゃってるなと自覚しました。

2011年に捨てた時は、もう東日本大震災のニュースを見るたび胸が重くなり、精神的に疲れました。それに、目を取られると思考も止まるし作業の手も止まります。テレビには、『人生の時間を掛ける価値』がないと見切りをつけて捨てたはず。

でも、ただ流れてくるものを、受け取るだけというのは楽なんですよね。私が登録している動画は1本あたり15分程度が多く、情報量も大してないものが多いので、本を1冊読んで理解して思考して解釈するみたいな手間もない分、非常に楽。疲れない訳ですよね。

でも知識として体系的に得られるかといえば、動画は今一つなものが多い(でも楽で楽しい

たくさん視聴して自分の中に積み重なるものはさほどではないと分かっているなら、ほどほどにしとかないと時間の浪費、と分かっちゃいるんですけれどね…時間の浪費って贅沢じゃないですか。このゴージャスな遊びを「娯楽」といい麻薬的魅力な訳ですなあ(笑

リアルで友達と食事したり飲んだくれたり、語り合える時間が増えれば、これは自然と減る時間でもあるから、今はこのままで。気付いたけれどこのままで。

早くそうなればいいのに、と願いを込めて。


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硬貨がなくなる日

ヤフーニュースで『氏子「賽銭で1円いらないとは言えない」預けると赤字に…ゆうちょ銀行の大量硬貨“取扱有料化”で神社ピンチ』という東海テレビの記事が出ており、それを見たツイッター民達が面白いことを書いておりました。

 

これを引用し、

>神社が両替業やる

>神社仏閣が力をつけ

>荘園とか作り始める

というツイートを見つけて、歴史にならう流れでちょっと笑いました。

「おみくじ買う時は、遠慮なく札を出してください。おつり出します」的なのもあって、なるほどと思いました。

硬貨をたくさん持っていると負けになる、なんて妄想して笑。

思い浮かんだのが、自分のパート先のスーパー。

これからは、小銭を手元に残したくない、小銭を払いたがる人でスーパーやコンビニのレジでの待ち時間が増えるに違いないと予想。

セミセルフレジの機械って、大量に小銭いれるとエラーになる確率が高め。結果、ピーピー鳴るんです。

小銭を自宅で貯金してきたお年寄りなど、たくさんいることでしょう。そういう方達は、毎日少しずつ小銭で支払えばいいのに、困ったと感じると、早く何とかしたいという発想になる近視眼的な方は一定数いますから、重たい思いをして毎日大量に小銭を持参し、支払う気満々でやってくるに違いありません(あくまで妄想です

記事内にもありましたが、機械で小銭を選別し数えるのは結構時間が掛かるもの。機械だから人よりは時短で数えているのであって、時間が掛かるといえども正確さと手間はそれでも省かれているはず。

 

多分ですけど、1円玉だけ数える機械なら早いんだろうなと思います。他の種類も混ぜこぜで、それぞれを選別して数えるのが時間が掛かる原因なのではないかと予想。記事内の、ゆうちょ銀行側のお困り事も理解できます。

機械で小銭数えるのは時間が掛かる→自分も小銭で払いたいとしても、他人の小銭で待ち時間が長くなるとイラつく人もいるはず(身勝手な人はどこにでも一定数いますから(黒笑

「待たせるな!」と切れる人も出るだろうし、「一度にたくさん入れないで」と言われても何度でも小銭大量投下する人が出て、阿鼻叫喚が繰り広げられそうで怖い。

そう慌てて小銭消費しなくてもいいのだと、皆さんの心が落ち着くまで、店頭でドタバタが繰り広げられるのであろうなと予想。

硬貨がダメということで、紙幣化も妄想されます。
そのうち、硬貨は漫画の中でしか見かけない設定になっちゃうかもしれませんね。

 

うちの商店街だと、西村文具かフクミ青果が小銭が集まる店なので、その2店がいずれ荘園経営の未来、かも(いいな~この発想好き)Twitterでは、荘園経営の先に多角経営が進んで、コングロマリット化するようなネタも盛り上がっていて、なかなか夢のある展開も見られます(大喜利状態


こういう「かもしれない予測」は楽しいですね~

当店が、人類滅亡店で話し相手がいないのが悔やまれる!

大喜利的に誰かと語り合いたい「ネタ」なのに(あはは

 

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ずる休み

目覚ましを止めた瞬間、今日は休みたいと思いました。

特別疲れていた訳でもなし。

最近はお酒も休んでおり目覚めのスッキリ感が戻ってきていました。

だけど今日は、布団から出たくないと思ってしまった。

どうしようかなと考える間も無く、沈み込むように寝入り、目覚めたら世の中は真っ暗な時間。

 

コロナ前なら、店を休む=稼ぎがゼロですから、罪悪感や不安感が心の片隅にあったものですが、コロナの世の中は、自分の努力の及ばない要因がありすぎて、私が至らないからだと後悔や懺悔する気がすっかり失せました。

棚卸を終え、確定申告の準備にあれこれ集計していると、昨年度の業績の悪さが数字となって見えてきます。数字上は、体感より良かったものの、1年よく持ったなと思うレベル。パートで補填しつつ、慎ましやかに徹し、浪費を抑えて頑張ったからだなと自分をほめてあげたいぐらい。

母が昔、慣れない経営の難しさに打ちひしがれた時に、「なんでもないよ」のおまじないを教えてくれた事があります。

ついてない自分に焦点をあててかわいそがり過ぎても、前に進めない、いい方へと変化できない。こういう事も生きてりゃ起きる、でもずっと続かない、過ぎてしまえばどうでもない。こんな事はよくある。誰にでもよくある。自分だけが特別じゃない。「なんでもないよ」のおまじない。

 

今のわたくしは、淡々と出来ることを繰り返す行動と、その事で心が疑問を持って暴れないようにする修行の日々をイメージして暮らしております。とはいえ、いつまで続けるのかなと思うところもあるのです。

また「まん延防止」が出そうだなというニュース。


世の中の人々は、2年経ってもコロナとの共存方法に自信が持ててないのかと思いました。私は、ワクチン接種は人様のお世話になりましたが、手洗いや消毒とマスクを忘れずにおります。それ以上、個人に出来ることなんて無いと理解していますし、その結果罹患せず今に至っているので、これを続けるだけと思っております。

飲食店を閉めて、人流を止めてどのぐらいの効果があったのか…

総括も出ずのまま、また制限を課していくのか…

社会が止まれというから、自分は頑張りたいのだけれど、それが出来ないというストーリーが望ましいと思っている人が多いのだろうかと陰謀論が浮かんでしまうわたくし。

引きニートのような暮らしが、存外心地よい、このままでいたい。何ならこのまま働きたくない。労働は楽しいより辛いことが多い。そういう人が、コロナ前の生活に戻りたくないと駄々をこねて、まん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

頑張ってあれこれやってきたけど、やっぱり自分なんて頭打ち。この先も賽の河原のような努力の日々をまた始めるなんて嫌だ、頑張ったところで成功の見通しが立たないままだという現実を見たくない。そんな人達がまん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

稼がなくても給付金入ってきた方が得、うっしっしな人が大声でまん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

先日、こまやさんが尊敬する人間国宝の作品を見て、自分とのギャップに打ちひしがれたとメールをくれました。こまやさんは、自分に足りないところを見極める目と、未熟な自分を認める強い心をお持ちの方。今出来ていなくとも、先々出来るようになりたいから頑張るといいながら、今出来ていない自分がやっぱり悔しくて、短くぼやきを綴って来た文面が、私には尊いものに見えました。

 

私もこまやさんのように、成るのが難しかろうが自分がそうなりたいという気持ちを大事に生きていきたいです。

だけど、その他大勢の数に負けてしまう現実もある。

まん延防止再びって、あなた達この先何回それやるの?いつ止めるの?政府が止めると決めたら止められるの?自分が決めないと止められないよ?でいつ決めるの?この先はどうなれば満足なの?と漠然とした他者への不満が溢れてしまった模様。

その事に落ち込み、ずる休みして眠り続けちゃった模様。
仕方ない、溢れる気持ちをどうにかしないといけない時もある。

いっぱい寝て、機嫌を直したし、多分、木曜から機嫌直してまた同じ繰り返しに戻れるはず(だといいな

私は、ずっとこのコロナの制限がある世の中に不満を持って生きているんだなと改めて自覚。行きたい所へ自由に移動したい。公共のための制限は期限付きでお願いしたい。大人だけど我慢には限界がある。

私の場合、自由を楽しむことが相当生きるモチベーションになっていたんだなと思います。大学を県外に決めて家を出て一人暮らしを始めた時。結婚せずに一人で生きていく事を認めた時。勤めていた会社を辞めた時、自分の店を始めた時。結局、自分が我慢したくない、自分のやりたいことをやりたい、それだけが自分を動かしてきた気がします。


真っ暗な部屋の中で目覚め、もう体は起きたいのだけど、気持ちがいいガーゼケットの肌触りが手放しがたく(店で扱っているKONOITOのガーゼケットは本当に最高の肌触りなのです

起きて、おめざのコーヒーをゆっくり飲みながら、たくさん寝た後だし「体が楽」を体感。

いつまでも若いつもりで50半ば、江戸時代なら自然死しておかしくないお年頃。
パートを続けている時点で、労働時間を付加した生活だし。


開業した40代の自分もやる事多くてへとへとしていたけど、50代になったらもっとへとへとしてもおかしくないんだったと思えば、憧れの週休二日制を導入のタイミングかなと。すでに、コロナの2年間で、テスト運用=休んで売上がどのぐらい減るか、それでやっていけるのかは見えた訳だし。

開業当初、ベンチマークで見ていたお店が、週休二日にしますと告知したのを見て、どうやったらひとり個人商店でこのやる事がとめどなく溢れる状態で週休二日できるんだろうかと思ったものですが、その方の経営年数を思うと10年目ぐらいでした。そろそろ経験値の貯金もたまって、手抜きできる何かも増えた頃合いだったのもあるんだろうかと今なら思い浮かびます。ちょうど私も10年目。

実店舗を週休二日にしたところで、店を開けないだけで仕事は家でやったり仕入れに出掛けるのは今までと変わりはないとは思いますが、新規開拓に力を入れてやっていくなど、過ごし方の中身を考えてみたらどうかなと浮かびました。今年はやった方がいいなと浮かんだことをやればいいと決めたので、早速浮かんで来たことを形にしていこうと思います(ずる休みの功名

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寝正月

元日営業の前に、お雑煮づくり。
豆板醬少し入れて辛い味噌仕立て。豚ひき肉に生姜刻んで餅巾着に入れて、がっつりした味の創作雑煮。これひとつで主菜副菜オールインワン。手抜きだけど、美味しい組合せなのでおすすめしたい感じ。

実家のお雑煮は醤油の鶏出汁に人参とごぼうとネギに焼いた餅。実家は他にも食べるものが山ほど出るごちそう三昧なので、お雑煮はあっさり味。家族が多いから、これは食べたか?こっちも美味しいぞと忙しく、食べ過ぎるのが実家のお正月。懐かしいこと。

私がお正月を一人で過ごすようになったのは、店を始めてからのこと。つまり40越えても実家に帰省するお正月がいつもだったから、最初は侘しく感じたものです。開業して3年ぐらいは、特別に何か用意する気力もないほど年末営業で疲れていたし、スーパーは常に開いているしで、普段と変わらぬ食事内容。

今は取引先とも信頼関係があり、個人商店仲間も増え、お客様の中にも個人的な付き合いをする方が増え。年末にお歳暮やお裾分けで食材が溢れるようになり、一人でいるけれど食べるのが忙しくなりました。一人暮らしですから物音的には静かですが、幸せを噛みしめるひと時となっております。

 

今年は、元日営業のあと、2日と3日は寝正月。
昨年は長く眠れない、寝不足感が続いたのですが、今は反転、眠れる時期到来。寝て寝て、体の修復に当てるお正月。起きたくなれば起きる、その他は眠り続ける24時間制を無視した2.5日。ああ、贅沢な時間割。

たくさん寝ると、起きている時間が減りますから、食べる回数も減ります。
人間の体は消化優先で、体の修復が後回しになるそうです。
たくさん寝て起きた今、体の凝りやこわばりが取れ、何となく調子がいい。

人の体は自己修復機能がついているから、薬よりも寝るのが大事と「中国推拿のRe・楽・room」のA子さんが言いますが、本当にその通り。

頭の中も、寝ている間は思考を手放すので、つまらない事を繰り返し思い煩う事も止める分、暗い考えが払しょくされます。

リセット完了。明日から営業開始ですが、いつも通りに動けそうです。

昨年の振り返りと今年の抱負はこれから考えます。

私の心次第だから、急ぐ必要もない。

 

確定申告に向けて集計を始めているところですが、数字をみると、昨年はやはり厳しい年でした。ああこれではまだまだパートを辞められないな~とぼんやり。職場と仕事に慣れているので、苦ではないけれど、本業一本に戻りたいのは山々。ダブルワークする宛てがあるだけマシとも思う。

コロナの影響を思うと、今年1年でほぼ戻ると思いたいところですが、経済・景気の戻りは更に数年掛かりだろうと見ております。時間経過と共に手薄になっていくのが支援策ですが、景気の戻りとは関係なく、1年単位で薄めていくような事をするのなら、潰れる中小企業が増えるだろうな。うちは末端の弱小個人商店だから、そこらへん、注目しております。


電子帳簿保存法、インボイス制度と、まだ理解が進んでいない事案もあるので、そっちも勉強しないとなあ…

たくさん寝て起きた今の感覚で、自分の心を探ると、大局的には暗いものは見当たらないので、今年はおおむね良い年になるのではなかろうかと占っております。

あると思えばある、成ると思えば成れる。

決めた事は最後までやり切る。
基本形を誤らずに、暮らしと仕事を楽しむ。

いつも通りで過ごせたらいいなと、それだけは決め事で。

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年末のゆったり時間

のごみ人形の獅子舞。

当店の店内のものは売るための商品の他に、一番長い時間店内にいるわたくしが、目にして心落ち着けるものや、気分が上向くようなものもありまして、この獅子舞もそのひとつ。

行列ができるような店でもないし、店内は常に人類滅亡しているのが基本形の当店。年末といっても、スーパーやドラッグストアのような忙しさもなく、心静かにお店番。

閑な時間には、父とLINEで雑談。
店内の清掃中に、少し離れたゴミ箱へナイスコントロールでゴミを投げ入れられた時に、そう言えば、父はゴミ箱へ投げては外す名人だったなと思い出したので、LINE。

外しては母に「止めて」と言われた、なんて往復を楽しんでいたら「ところで、お前は暇だね」と返って来て、「おとうったら、なんて事を言うの!」「5分で何万も売り上げることもあるんだから~」と苦し紛れの返信。「だから、芸能人よか、うんと効率的なんじゃ」と父に説明したら「なるほどー」笑いが止まりませんでした。

父と弟は津軽民謡を生業にしていますが、日々鍛錬し続け、日々新しい節や音を考え続けて舞台に立ちます。積み重ねてやっと仕事になるところがあります。才能があっても、体に染み込ませる時間と、改善と革新を見出す時間が足りないと、演奏家としては役に立ちません。積み重ねた時間を思えば、手にする収入はあまりにも少ない気もするのが、民謡業界(笑)

うちの家族は、やりたい事を仕事にする気が強いのだと思います。

出来ることをやる、お金になることをやる、そういう価値観よりも『好き』で『楽しめる』ことが大事みたいです。

コロナであやふやな先行きですが、何とか年を越せそうでホッとしております。

今日顔を出してくれた林たけおさんと「支払いは国民健康保険料が残ってて、支払い期限が1月4日なんだけど少し足りてないもので、元日営業の売上で何とか払えるといいなって思ってる」「あはは、ほんと右から左だねぇ」わっはっは。

コスモナイトさんと「元日営業、何時からやるの?」みたいな雑談。

板倉表具さんから「ラッピングに使う?」ときんきらきんの紙をもらったり。

合間にお客様と短い会話。

良いお年を!と交わす挨拶。

 

終わり良ければ総て良し。

のんびりした江古田時間を味わいつつ、今年最後の営業日、終了です。

来年も、この店内で「人類滅亡してます」って笑って過ごしたいなと思います。

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お茶屋と海苔の話

試食を休止していても海苔好きはどこかから聞きつけて、紫彩だけを買いにやってくるという…うちはお茶屋じゃないのに海苔が良く売れる店(笑


先ほど、またもやリピーターさんがお買い上げで店頭在庫が3になりました。発注済みなので、明後日には入荷する予定。たくさん買い込みたい方は、日曜の夕方以降いらっしゃいませ(業務連絡)

それにしても、なんでお茶屋さんで海苔を売っているかご存知ですか?


私が聞いた話だと、その昔、お茶の産地と海苔の産地がだだかぶりしていて、流通経路が一緒だったと言うのがきっかけ。

お茶の収穫時期と海苔の収穫時期はちょうどずれていて、問屋としても売るものが減る時期に別なものを売れるという実利あり。

そして、お茶と海苔の保存方法、取り扱いのポイントは似ていて、問屋としても手間がなく仕事が出来る。

問屋が勝手よく扱える商品となれば小売店側も乗っかるので、結果、お茶屋が海苔を扱う店が多くなった、というお話。豆知識。

江古田の市場通り商店街のお茶の丸美屋さんでも海苔並んでます(笑

あ、そういえば、当店も紅茶と海苔を扱っているじゃないか(お茶と海苔(やだ、今さっき気付きましたw

雑談のネタにでもしていただけたらと思います。

【紫彩の通販はこちら】

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呪と祝

私が厭うもののひとつ。

開店準備中に、「見たいから中にいれて」という方。

「開店準備中なので困ります」とお伝えしたところ「ダメなの?」と不満声。ダメなものはダメなのです。

 

通路を塞いでいるA看板や日除け幕を外に出したいし、お迎えのお香を焚きたい。通れないところをすり抜けて事故が起きたら困ります。

 

作業途中で見せたくないものが表に出ていることもあるので、それを片付けたい、など、嫌だと思う理由は時々で違えど、こちらには理屈があるのです。

通路を塞いでいた備品を外に出している最中も「まだダメかしら?」と聞いて来る女性。せっかち。私の中の天邪鬼が反応して、嫌な気分プラスオン。

 

「でも、この方も訳ありで急いでいる方なのかな」と思い、途中で中に入れたところ、お目当てがあったようで品物を即決。

そして「これをお願いします」「急がないからゆっくりでいいわよ」と言い放ったのです。入れなきゃよかったって思っちゃった~(笑、黒い心

 

祝うと呪うは字が似てる。どちらにも口が入っていて、口の下に「ひざまづく人」の象形。

 

発する言葉の先には心根が透けるから「ゆっくりでいい」と言われようが急ぎましたとも(;´д`)

 

「ありがとうございました」といいながら、私の言葉にも呪が含まれていたかもしれませんね…オホホ

 

そんなこと位で?と思う方がいるかも知れませんね。

でも、嫌と感じているのは当事者だけ。あなたはそんなことぐらいと思うことでも、その人にとっては最高に嫌なことなのです。

 

だからうかつに「そんなことぐらいで」と言う勿れ。

触らぬ神に祟りなしで「そうか、そうなんだね」と受け止めることをお勧めいたします。共感は必要ないので「嫌だったんだね」と聞いてあげるだけでいい。なんなら、聞いてるふりして聞き流してもいいですよ(笑

 

それだけで人は、呪から解かれて、救われるものですから。

救われた相手は、いつかあなたの呪を解いてくれるお役を受けてくれるはず。

 

相身互、あいみたがい、って言うじゃありませんか。

 

さあ、今日も、気分変えていってみよう。

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誕生日の贈り物

私は、自分の記念日全般に、愛着や執着がありません。だから忘れているものも多いです。覚えていても、そう言えばあったな、ぐらい。

 

誕生日が最たるもので、年に一度の特別な日のイメージが持てません。子供の頃は、母がケーキを用意したし、プレゼントも買ってもらった記憶はあるのですが、ありがとうと言いながら、そういう日のそういうお役目的な振舞いを意識していた節があります。

 

概念としての誕生日の大切さは理解できるし、他者が誕生日を大事に思う気持ちを尊重は出来るのですが、我が事になると、途端にスンっと温度が下がるのです(笑

今年の誕生日も、いつもと変わらず店に出勤し、夜はパート先へ出勤し、深夜に帰宅して夜食を食べたらお風呂に入って寝る予定でおりました。

私にとっては、この穏やかな繰り返しの中でくつろぐ事が質的にも量的にも重要なのです。お年頃かも知れません。

 

すっかり暗くなった頃、弟から「おめでとう」とメールが届き、妹からも電話があり。電話を切る頃にお馴染みさんがお裾分けをしにご来店。「誕生日だからじゃないんだけど、タイミング良かった」それと入れ替わるように、近所のお店のオーナーさんがご来店。

ニコ動の弾幕のように重ねてやって来るではありませんか(笑

 

今年2月、コロナ自粛真っ盛りの頃に開業したお店さん。
古書店の「snowdrop」さん

BOOKOFF的古本とは異なる、古書のセレクトショップ。

売るための古本屋じゃなくて、喜びや楽しみを買いにいく古書店。出会いと発見の場。


確か通りすがりの個人商店仲間から聞いて、たまたま一緒に聞いたコスモナイトさんと「江古田にいい店が増えるの最高」と喜んだ覚えがあります。お互いひとり個人商店、近所と言っても店を閉めて行き来するほど時間に余裕が無いもの同士なので、今回ゆっくり話をする機会になりました。


開業1年目は基盤構築のタイミングなので、基本が大変。
コロナと重なって大変というより、コロナが無くても大変という方が私の常識。

私も東日本大震災の年に開業して今に至りますが、今まで10年ずっと大変な世の中でした。

だから『開業したい時が開業時』だと思う派。

 


開業前の計画や予定と現実とのギャップを埋めたり、変えたり、ルーチン化して慣れていく行程。工数が一人分しかありませんから、大車輪の勢いで心を回すと、体は独楽ねずみのように休みなく動くことになり、疲れます。必死さと楽しさで気持ちが切れない間は持つので、そこをうまく越えられると「軌道に乗った」といえるかと思います。個人商店、ひとりで切り盛りするのは楽だけど、やっぱりとってもしんどいものです。

1年生の方と10年選手になった私と、そこいらへん、共感する内容は同じで、つまり「10年先も、これが続くのよね~」「お金儲けはなかなかうまくならない」「でも好きな事やってるから贅沢な時間を味わってる幸せ」辺りで盛り上がりました。

 

閉店して帰宅の道々、神様が10年前の自分を見せてくれたような気がして「よく頑張ってきたな」「今十分幸せだな」と噛み締めました。あの当時も幸せだと思っていたけれど、今は何倍も幸せだと感じられます。

 

神様の言葉は、次元が異なる存在の声だから、どんなに聞き耳を立てても聞こえないもの。

人の耳に聞こえる形を取ろうとすると、他者を使って人伝に届くものなのです(と信じています

今年の誕生日もまた神様から言葉をもらいました。
来年の誕生日もまた言葉をもらえることを楽しみに、力まず自然体で頑張ろうと思います。

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美彩新作「高砂寅」

金の寅、銀の寅。能の高砂はよく分からなくても時代劇の結婚式のシーンで謡われる『高砂や~この浦舟に帆を上げて~』はご存知の方が多いのではないでしょうか?

高砂の松と住吉の松は相生の松。同じ根から分かれて生えた二本の松は、良いご縁、離れがたい運命の縁を結ぶ象徴。そして松の変わらず青々とした姿は健康、長寿の象徴。

 

相生の、高砂の松ならぬ、高砂の寅。末永くお幸せにの気持ちを込めて、相生の寅。

※お迎えしたい方は【こちら

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たった1人のジルベール

先日見に行った映画、『きのう何食べた?』で思い出したのですが…

 

映画の登場人物「ジルベール」、30代ゲイ。
パートナーの小日向氏を常に理不尽に振り回すのですが、小日向氏はそのわがままを迷惑と思うどころか、それさえも他人に渡したくないので自分が引き受けることを喜びとしているような凸凹コンビ。

テレビドラマの小日向さんは、自分のパートナーをシロさんに「ジルベールのような美少年」「僕にとってのジルベール」と説明。

 

私はジルベールと聞けば『風と木の詩』が浮かぶので、すっごい期待したら、出てきたジルベールは身なりに構わず感じ悪いわがまま放題。万人には理解不能のジルベールだからこそ、なるほど「僕にとってのジルベール」

 

風木のジルベールは、誰もが見とれてしまう、神秘的で美しい美少年。万人が認める美少年。象徴。

中二心が最初に出会った美少年ですから、ジルベールという響きは美少年の「概念」を表す名前でした(遠い目

それが、何十年も経って、いつの間にやら全体の「美少年の概念」として浸透していることに驚きです。

 

それで思い出したのですが、日本の片田舎の高校生が日本の片田舎の大学生となり、大都会東京で就職して、世界にも目が向くようになった頃、衝撃的な事実に行き当たりました。世の中には、美しさとは無縁なおじさんジルベールが結構、たくさん、普通にいると知ってしまったわたくし(大笑(きっかけは映画俳優や歌手だったかと思います。

 

花は、その名を聞いて思い浮かぶ姿は美しいものばかり。
胡蝶蘭と聞けば、その美しい姿を思い浮かべられるのに、人の名前は、ジルベールと聞いてももはや千差万別(概念の階層が違うから仕方ない)

 

でも「たった1人のジルベール」を知っていた頃は、ジルベールは美しく魅力的な存在でした。

 

そういえば、「お母さん」「おばちゃん」みたいな一般名称で呼んでいても、その人にとっては「たった1人のジルベール」みたいな存在ってのもあるな~…と思い浮かぶ。

誰もが誰かの「たった1人のジルベール」なのかも知れませんね。

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美彩新作「虎に翼」

今年も美彩さんの干支祭りがスタート。

 

今回は、お題に日本のことわざ「虎に翼」で彫ってもらいました。

このことわざは、虎のように強いものや勢いのあるものに、更に威力が加わるという意味だとか。

 

思えばかれこれ2年近く、コロナで何も出来ず、引きこもりのような生活でした。生きていれば我慢のしどきもあるものですが、あまり長いと心が枯れていく気がします。

 

そろそろ、どなた様もコロナに気を付ける行動や意識が刷り込み完了で、自然に心がけて暮らすようになっております。

 

東京は緊急事態宣言も解除され、感染者数も減っておりますから、そろそろ怖がり過ぎるのも止めて少し外へ出てみようかなという頃合い。

 

来年は、もっと出掛けたり、人と会ったりできる年になるといいなと思います。

 

コロナで引きこもって何も出来なかった分も上乗せて、来年の寅の年は無敵、無双しちゃってください。

 

成りたいように成れますように!と願いを込めて。

 

※お迎えしたい方は【こちら

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禍福は糾える縄の如し

先日見た星読み動画。

『これまでのシステムの破壊があるかもしれないが、壊れるということは変わる何かを見つけたり、もっと違うものに変化していくことでもあるから、痛みを伴うとしても、その先へ進め』的な解説をしていました。

 

悪そうな結果は、必ずしも全員の身の上に起こる訳ではないと思うことにしております。いいことだけ、信じるようにして気持ちを落とさないようにしているのです(ご都合主義

まさか、今回はわたくしの身の上に起こるとは…
やらかした結果が思いの外大きな事態となり、10年来お付き合いしてきた取引先の一つとお別れすることになりました。

 

分かった当初は、実感が伴わず夢のような感じでした。

相手の都合もあればこちらの言い分もあるで、そうは言ってもとひとしきり心が泡立った後、波が引くように「この先はどうしようか」と切り替え早かったのはよいところ。

 

10年の間に蓄積した満足感が崩れたら、サービスと価格が妥当なのか、競合他社だってこの10年で改善と変化がある訳で、目を向けたら見えてくる景色がある訳です。

 

逆に、義理立てして悪く評価しないようにしてきたけれど、ここが不都合で毎度毎度その不都合をこちらが我慢して飲み込んできた、時間のロスが大きかった、と湧いて来る来る(苦笑

 

星読みのアレは、このことだったのかなと勝手に紐づけて納得中。

 

スピっぽい言い方ですが「執着せず手放す」を今回は上手に出来たなと思います。

 

今回は替えがきくものでしたが、もしも唯一無二だったらどうしたかな?と思ったのですが、生死に関わらなければあまり問題にはならないなと思いました。壊れた関係は残念ですが、次行ってみよー

 

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摩利と慎吾⑨

まだ繰り返し読んでおります。最近は、通して読むのをようやく止められた。好きな場面を抜き出して、味わっております。

摩利が少年から青年へ、大人の男性へと、顔つきや表情、体つきもだんだんと変化していくのが見て取れて、木原先生の画力は凄いです。

 

 そして、今一番共感しているのが、夢殿が紫乃の葬式後に摩利と会って語った「所詮俺は俺だ、他の生き方など出来ないからな」というセリフ。

 

まりしんの登場人物だけでなく、わたくしを含め現実に生きる誰もが、自分の生き方しかできないせいで問題や悩みにぶつかる…

 

うまく立ち回れないことで落ち込んだりするけれど、上手下手の範疇の事なら上手になっていけばいいだけ。やり方や方向性が分かっていても、気に沿わず出来ないとしてら、それは譲れない自分の現れで、そこを曲げたら自分の深いところが痛むだけ。

 
勝間和代さんが『ひとは失敗からしか学べない』と言っておりましたが、その通りだと思います。自分の血肉になっていくのは、痛い思いをして考えた時が一番のように思います。

最近、お馴染みのお客様が貸してくれた漫画「ミステリと言う勿れ」の中で「自分にとっての困難を越えるために、努力したり失敗して試行錯誤したり、本来時間がうんと掛かるものが、小説や漫画では時間が経過した表現で省略し、過程を省く。その過程をどうしたらいいのか、みんなその超え方を知りたいのにね(意訳」とありました。

ああそうか、摩利と慎吾は、若い2人が若さゆえの唯一無二の困難に行き当たり、自分一人で完結しない問題だから尾を引くし、一度決めたつもりでも揺り戻っては悩みを、じっくり読ませてくれた作品だったのだな、と思い至りました。

随分長く摩利に同調していたら疲れてしまい、最近は時折「うじうじと全くもう、、、」と呆れるところまで変化したわたくしの気持ちですが、そのぐらい、漫画にしては過程を省かず見せてくれたのだと思います(他人の悩みは結局他人事とも言える。同情も期限付きというか。

誰もが割り切れぬ思いに胸を焦がす中から立ち直り、光明を見つけて、何とか生き長らえていくのが人生。誰にも解決は出来ず、心を決めるのは自分しかいないのだと、摩利と慎吾は見せてくれたのだと思います。

ちょっと今のご時世だと時間掛かり過ぎてこんな作品は受けないかもしれないなとふと思ったり…私はいい時代に生まれ育ったなと思います(多分今ならポリコレでアウトな内容もあるし…

 

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最近ググって見つけた木原敏江ファンサイト「あーらDOZIさま!

読者からの質問に木原先生が答えていて、私も気になっていた『摩利とヴォーフォール公の関係』について書かれているのを見つけ、にやりとしてしまいました。

結婚して跡継ぎを作れとせっついている恩音は、仕事のパートナーの公が、息子を男遊びの相手にし続ける公の事をどう思っていたかとか、ささめと再会して乱行を止めたはずの摩利が、公と関係を続けるのてどうなの?という問いに木原先生は「う~ん?うん?」とごにょごにょしてるのが面白かったです。

ここは木原先生も新たなキャラを作っても話の流れ的に難しく、夢殿は日本で活動してもらわないといけないしで、公しかいなかったんでしょうね。公の男色趣味を満足させるためではなく、摩利の男しか愛せないところを、結婚しなくちゃいけなくても女をそこまで愛せないところを描きたくて、公との肉体関係は時々に挟みたくなっちゃったんでしょうな。すると、ご乱行期を抜けたなら、誰にでも抱かれることはあり得ないし、いきなり新キャラ登場でそのキャラと摩利の関係性を描くとしてもそこまで新キャラは後ひく関係では困るとなれば、描くほどでもないし、見渡すと公がいた、ってところでしょうか。

恩音だってマレーネ一筋と言いながら女遊びはずっとだったろうし。まりしんの世界では、心と体は別物設定も生きている(笑)体の関係は相手を満足させるギブアンドテイクの意図や、仲間同士だよねの確認だったり、愛以外の意味もある設定ということで、私の中では折り合い済み。

 

これで、一旦摩利と慎吾の感想は頭から外れそうです。良かった。
2か月ほど心を独占し続けた物語ですが、ようやく少し離して見る事が出来そうです。苦しかった。素晴らしかった。

 

 

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摩利と慎吾⑧~慎吾と一二三

慎吾は一二三と結婚し二男をもうける。

 

ドリナの時とは打って変わって、穏やかな感情の動きの先の結婚。

 

身近に最後までいてくれた女性との結婚(職場結婚ともいうのかな

 

私の20代の頃も、職場にいる時点で家柄もある一定レベル、身元は保証されていて、仕事をしながら人と成りを知り合う中で結婚していくのは、手堅い恋愛結婚のスタイルでした。

 

男の人って、結局そうなのよね…と思ってしまった(苦笑

 

私の友人知人は、同じ職場/仕事先で知り合った、そういうの多かったです。知り合うには時間も必要だし、いろんな面を見るためにもいろんな場面が必要。職場ではルーチンとトラブルとイベントが繰り返しですから、まあ当然っちゃー当然ですけどね。

 

最近、文庫本だと文字が小さいので、A5判型の完全版を改めて購入したのですが、巻末の木原先生のインタビューに、「慎吾が普通のお嬢様と恋に落ちる訳がない、それなら摩利の方が全てにおいて優れているし魅力的だから(意訳」という内容を見つけ、確かになぁと納得。

 

ドリナという革命活動家は、生い立ちや立場が特殊。今まで知り合った少女や女性達とは毛色が違い過ぎる。はだしで野道を歩いてくる姿を見て一目惚れしたなら、その普通ではない格好を恥じるでもなく、堂々とした目力に心の強さを感じ取ったのかと。非言語コミュニケーションが得意な日本人の特性を思わずにいられません(笑

 

慎吾は若くして両親を亡くし、今まで親が健在だったから知らなかった世間の荒波もざぶざぶ被る。後ろ盾のない学生の身分が、食べていくだけでも大変で、医者になる夢は叶うあてもない現実。摩利の父の援助を受けるにしても、それを返すことが尋常ではない大変さと自覚しており、どんなに掛かっても鷹塔家に報いようと思っている。やるからには一時も無駄にせず全力でやる、そんな覚悟を持って生きていこうとしている慎吾。覚悟が違うと、見るもの、精神性が変わる。

 

一二三の、何にも期待できなくなった生い立ち。

みなしごが、生きていくため、食べるために子供ながらに働きづくめ。搾取する大人、虐待。誰も助けてくれないし、守ってもくれない幼少期。どんなに孤独で不安な時間だったことか。

 

慎吾は代々御殿医の家系で良家、お金持ち。しつけが厳しくても、愛情に恵まれた育ち。それが両親の死後、人生の底辺を垣間見て、世間の厳しさを知る。その底辺で育った一二三が、それでも捻じ曲がることなく、自分に居場所をくれた一座へ、献身と愛情で接する様子がとても好ましく見えるのは当然。

 

慎吾は、両親の死後、ある意味自分のためだけに生きることは出来なくなった人だな。支えてくれる人々に感謝し、その人達のために頑張ることで報いる人生。なりたい姿、やりたい事が慎吾の中では一致しているから、そう苦しい選択ではないはず。

 

一二三は、慎吾の摩利への思いも知りながら、自分の我はおくびにも出さず、付き従おうとしてくれる。一二三の健気さは知っている。子供の頃から無いのが当たり前で、全部手に入った事がない人生だから、欠片でも手に入れば無上の喜びを噛み締められる。奪う事はしない一二三。何も望まず生きてきた彼女が、差し出せるものは自分の身一つ、それを差し出して、静かに付き従おうとしてくれている。

 

物言わずとも、その情の深さは身に滲みて感じた事だろう。

ああそうか、摩利が目指した空気や水のような包み込むような愛は、一二三が一番体現していたのかもしれない。

お坊ちゃまで世間を知らなかった慎吾が、世間を学んで、受け入れ、大人になっていく物語。慎吾の成長は、ちゃんと出会う人達と心をつなぎながらの拡大成長に思える。地に根を張るイメージ。医者を選んだ慎吾、人を助ける仕事は天職だったろうな。

 

慎吾の横には一二三で良かったなと素直に思える。
ささめと違って、一二三に対しては良かったと思えるわたくし。

おひさま慎吾が傍に残す人達は、おしなべて慎吾が愛を注いでくれたし、それを糧に幸せな時を過ごしたと確信できる。愛ある家庭だったと確信できる。慎吾は本当にいい男になっていったと確信できる。

慎吾は、亡くなる時に一二三の事も思ったけれど、後は頼むと安心しつつ、先立つことを詫びたろうと思う。結婚してからは、ずっと一二三を信頼していたと心から思う。

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摩利の仕事は駆け引きの世界で、どこか安定感がなくて、地に根を張るイメージとはかけ離れている。摩利の目指す成長は、地に根を張るよりも空中を飛翔する印象が強い。それが摩利の成長の仕方だから、いいも悪いもないけど、射手座の摩利は広い世界を股に掛け、遠くへ移動し続ける星の生まれだものな。精神的にもそういうところがあり、遠くや高み、広さ、大きさを目指して足を止めることがない星の生まれ。摩利は小さい場所に納まるような星ではなかったから、こちらも天職を得たと言えそう。

 

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摩利と慎吾⑦~摩利とささめについて

私は、木原先生の描く女の子が今一つ好きになれない派。

 

そして、摩利とささめの関係性はどうにも分からない派。

 

『本人達がそれでいいならいいけどさー』的な乱暴な気分が晴れません(苦笑


最終話で明かされる、摩利の子を産んだのはささめちゃん。ささめとの再会で摩利が少し緩んだのは確かだけど、どう見ても強い感情が動いたでもなさそうで、読んでもどこか疑問符が残ったまま。

 

2人の心のつながり方がよく分からない。

 

借り腹的な関係と思うと、ぶっちゃけ摩利は誰でも良かったのだし。

 

好きになった相手と子作り出来ればいいとは思うが、誰の事も慎吾以上に好きになれない。

私も経験があるのだけど、気に入っても比較してしまい、気に入っていると感じている感情さえ、本当なのか曖昧に感じる、分からなくなる。そんな相手を選ぶ決め手がなんて思い浮かばない。

 

大事な取引なら身売りもする覚悟はあると言い切るし、そう言って公に抱かれる摩利だから、義務、仕事と割り切って、子作りの道具にする代償に妻に迎え、仕事にかまけて遠い距離感を保って過ごすだろう。


じゃあささめはそれで良かったのかな?と言えば、子供が持てて良かったと言っているのだし、それで良かったのだろうなと思うしかない。

 

恋していると、自分が傷つくようなことでも、何でもしてあげたくなるものだし、ささめはそれで悲しい別れがやって来たとしても、子供が残るという計算もあったと思う。

そう言えば、摩利は美女夜では気が乗らないから、美女夜から何度も告白されてもなびかなかったんだった。誰でもいい訳ではなかった。

 

恋人だけにはなってくれない慎吾に対して、血を流し続ける自分の心を抱えているからこそ、美女夜みたいに本気で好きになられると、自分からは何一つ愛を返せないので苦しませるしかないと分かるせいか。

 

全部分かっているから、いいのよ、と言われても、ずっとその気持ちのまま変わらずいられる保証もないのが女心だし。関係者が重なっている同士だと、もめて別れた日にはどんな影響がでるかも面倒だし。ささめはその点、何があろうが余計な口出しもせず、ただ傍に控えているだけだろうなと予想がつく。

 

ささめ。

子供は鷹塔家に認知され跡取りとなったが、妻の座(入籍)は辞退したとある。「私のようなものが」と枕詞をみると、出自の不釣り合いやバツイチを良しとしなかったのだろうなと予想はつく。これは時代的な価値観もあるだろうから、私が理解出来ずとも致し方ないところ。ただの少女漫画なら結婚して温かい家庭を築きました的に丸めることもできたけれど、人生はままならないのが木原ワールド。そして現実でも、そんなものかと50代になると思います。

もうひとつ、摩利は、結婚は、最愛の人と結ばれてこそだとささめは思っていたかもしれない。離婚経験者だもの、断った理由のひとつはそれもあるかもな。

普通に考えたら、知人とはいえ短期間の交流で、再会したからと特別な関係になるほどの仲でもなく、誤解しようがなかったか。却って、摩利が自分を構う理由が他にあるのかもなと、察したぐらいかもしれない。ささめはそこまで鈍くもバカでもない。

 

ささめちゃんは、まだ学園わちゃわちゃものだった頃の登場人物で、みなしごの住み込み女中が、摩利への片思いを胸に、人に押し付けられた結婚を受け入れ、渡欧。旦那様の文太郎さんの別れ際ひとつ見ても、妻として大事にされていた様子が見て取れない。一二三と似たような生い立ちながら、ささめの人生は、とにかく「幸せエネルギーが少ない」のです。

一二三の周りには、目を掛けてくれる一座のみんながいて、笑顔溢れる日々もあった。慎吾と出会ってから、慎吾の周りの人々のお目こぼしで好機を得ることもあり、慎吾に近づこうと努力する姿が好ましければ、周りがまた支えてくれる好循環。

 

夢殿が、密航をとがめられた一二三の身元を引き受けたのはちょっと意外でしたが、片思いの同病相憐れむで、夢殿の摩利熱の強さをも思わせるエピソード。美女夜も摩利も、一二三の慎吾への思いを知り、思いやる素振りだし。

ささめの欧州暮らし。

文太郎との関係性は、愛妻というより下女のような妻ささめ。察した人は多かろう。

 

でも恨むでもなく、卑しいところもなく、善良なささめに厚意を示す人はいたはずで、そういう人達とのつながりの結果が、ジプシーの子供ルペルを引き取り面倒を見ることにもつながっていると思う。どうでもいい関係性なら、孤児院へやって終わるだろうから。

 

ささめは、ずっと一人で生きてきた女の子。

 

一二三よりひとりな女の子ですな…そう思うと憐憫の情がわいてくる。

 

だから余計と摩利がどう思っていたのか分からなくて気分が悪い。

 

分かったとしても、気分が悪いと予想。

 

1番は慎吾、女は愛せない、特別には出来ない。

子供は義務もあり作ったから、父として構えるかどうか怪しい。子育てはささめに頼ることで、ささめこそ一人老いて寂しくならないようにと思う。自分は世間一般のような愛ある家庭は作れない男、作る気にならないし。仕事は楽しい、仕事にかまける中でいろんな出会いで暇つぶし、たまには愛人も作る。でもどんなやりがいのある仕事だろうが、魅力的な人に出会おうが、やっぱり一番は慎吾。ささめがいたら子供は愛を受けて育ち、自分みたいなダメ親のことを許してくれるかもしれないし、ああ慎吾の代わりなんて見つかりはしない、慎吾、慎吾。


私の中で、摩利は身勝手で嫌な奴だ疑惑が濃厚になっていく訳ですよ。

篝かがりの時に表れた摩利の他者への冷たさ、あれが摩利の本質。慎吾にそう見られたくないからきれいな摩利でいたけど、隠すのが上手なだけで、中身の闇は年を取るほどに深くなっていったろうと私は妄想。慎吾に認められたい心が、黒い心と白い心のバランスをぐぐっと白寄りへと偏らせ。

 

ささめは摩利の人生の中で、何割リソースさく相手だったか。

 

ほとんど空気みたいな存在に思えちゃう。おや、慎吾に対して摩利がなりたいと思っていた「水や空気と同じ意味をもつ存在」にキーワードを思い出すが、そうなのか?そんないいものか?

 

ささめは、摩利が捨てた万年筆をこっそり拾ってお守りのように持ち続けていた訳ですが、渡欧するまで/渡欧した後も、大して摩利のことを知らないままなので、ファンタジー的に憧れて好きだったのかなと思います。

 

摩利は再会後、ささめを引き取ることにした訳ですが、ささめにしたら人生で一番望んだ摩利の側にいられることになって、いきなり満願成就だったかも。ささめに、美女夜や姫花のように自分の幸せを求めて恋に素直になれと言っても無理な話で、誘惑も媚びることも出来なさそう。

ささめは人に尽くすしか好意を表し様がない人。
篝かがりが、人を傷つけることでしか好意を表せなかったのと同じ。

そう思うと、誰しもその人なりで偏っているものなんだな…

帰りの遅い摩利をただ待って、部屋の灯をともし続けおかえりなさいと笑顔で迎える。おやここでもまた、「水や空気と同じ意味をもつ存在」にキーワードが近い。

これ以上望むより、手に入ったポジションを維持することでもう十分と思ったろうか。叶い過ぎると怖いくなる人もいる。ささめは、対等な関係性がこれまでの人生でなかったろうから、相手に期待せずとも、自分はこう思う/自分はこうして欲しいと言う事もなかろう。いつも相手の気持ちを察して、自分の心は置き去りの女の子。

 

摩利も、摩利の魅力や利用価値を思って迫って来る有象無象に疲れるだろうから、ささめみたいな裏のない人の好意や忠誠は信じられたろうし、傍に置いて邪魔ではなかったろう。

 

周りには「事情を知ったからには幼馴染としてほっておけない」と言っている。慎吾は変わってしまったけど、ささめはまだ変わらずに懐かしいままだったから、壊れる前に保護したのかもなと浮かぶ。

 

子供が生まれて、恩音と摩利が喜んだ描写があったし、妻の座を辞退ということは、嫁として迎えるという選択肢を鷹塔家が提示したと察するに、鷹塔家でのささめは、それなりに大事にされ、自由も得たのだと思う。ルペルがささめと一緒に鷹塔家に引き取られ育てられたことから見てもそう思う。(混血児の摩利としてはルペルをこだわりなく引き取り育てるささめ属性も安心材料だったのかもな)

 

でも、摩利がささめを愛するというのは、やっぱり想像がつかない。

恩音とマレーネの夫婦愛のようなものに摩利は憧れがあったはず。

でも慎吾以外の誰も、マレーネポジションに入れられないのだから、ささめがばあやのポジションで摩利のお世話をする関係性しか浮かばない。

 

でもそれでいいと2人が思わなければ、関係は続かないとすれば、

これは「利害一致」の関係ではあるのだろう。

摩利に幸せになって欲しいと願うファン心理からすると、利害の一致なんて寂しい。

 

私は一体、何に腹を立ててこんなにモヤモヤしているのだろうか…

じゃあ、摩利が誰とくっつけば少しはマシだったと思えるか。
じゃあ、どんな風な納まり方なら摩利は幸せだったと思えるのだろうか。

分かってる、私の幸せの尺度で見るからモヤモヤするのだ。

ささめも、摩利も、2人はそれで問題なく、問題があっても飲み込んで一緒にいられたのならそれでいい、終わり。

 

ああ、モヤモヤする(笑

 

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摩利が商人として活躍していくにつれ、摩利は慎吾と離れている時間が増えて、慎吾に対して取り繕わなくてはいけない時間が減り、根っこの暗さや黒さ、摩利の人間性のもげてる部分が出てきているだけかも。他人に対して興味が薄く冷酷。

 

人間関係の軽重は大人になれば自然と区別するようになる。

摩利の場合は重と軽の線引きが極端。0.01と0.99ぐらいな比率でがっさり引く線の、軽はほんとに悲しいぐらい存在が軽い。ささめは、軽の側だと思うんだけど、人畜無害という希少枠で特別扱いだったのかな(ああ分からない(考えても無駄(ため息と苦笑

 

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摩利と慎吾⑥~慎吾について

摩利に対しての慎吾は、真反対の属性と思って読んでいましたが、今読むとそうでも無かったなと思います。互いに好きだからこそ、見習ったり影響し合っていくのが友達だから、同じ方向を向いている印象で、そう真逆でもない。

 

摩利の方は慎吾に対して、自分に無いものに惹かれ憧れていたんだろうと思うので、つい右と左、真逆、みたいな対立軸を想定しちゃうあたり、子供の頃のわたくしは白黒思考で単純だったなと思います。

 

『総特集 木原敏江 エレガンスの女王』にて、「大人になってもこうありたいと思うが、苦労している人からすると、このまっとうさがカンに障るようだ」と慎吾について語っている木原先生。

 

私はカンに障るというより、性善説でいられる幸せな家庭環境だったんだろうなと思っておりました。

 

子供は、大人が思うほど子供でもないのです。だから、摩利は特別聡い子のように描かれていますが、慎吾だって普通に聡い子だろうし、陰や黒さを見せない辺りが慎吾の強さかなと。ただ、摩利ほど機転が利かないから、抜ける、詰めが甘い。

 

慎吾は羨ましいぐらい真っ直ぐだけど、それは彼の美意識の現れ。大人になっていく過程で周りの人との人間関係が複雑になっていくと、自分だけ真っ直ぐでいる事が周りとの調和をかき乱す事にもなり得る。正せる範囲のこと、どうにもならないことの線引きはしているように思えるので、バランスの良い子に見えます。

登場人物は、誰もが慎吾の真っ直ぐなところや、正直なところ、温かさに好意的。私も子供の頃にいじめられた事があるので、心が弱っている時に、慎吾みたいな人にこだわりなく接してもらえたら、救いを得るはず。

慎吾の場合、ただの同調ではないところもいい。悩んでいる時、悲しんでいる時、怒っている時、でもその感情を越えたところにあるものを見ているところがあって、そこが慎吾の賢いところ。

例えば、織笛がみちことのすれ違いに怒り悲しみ、もうどうでもいいと荒れた時に、慎吾はみちこに会いに行き織笛にとりなそうとする場面。織笛の本心はみちこが好き。だから怒りに任せて癇癪を起して別れてしまうのは結局織笛のためにならないから行動する。織笛の本心を見ているから、みちこは誠実ではないから振って当然だと同調するでもない。

 

慎吾から自分へ向けられる信頼感や好意は、自分が慎吾へ向けたものの鏡。だから慎吾から嫌われるような事はしない、慎吾には誰にも秘密の心を打ち明ける。慎吾の魅力は人間性。人間愛の深さ。

 

慎吾の語る、摩利との理想の姿。

『外は雨、部屋は暖か、別に話をするでなく、でも心は満ち足りている。

こんな風に摩利と過ごすのって大好きなのだ、摩利は?』

『(それは多分、信頼と合いに結ばれた最高のかたちだ)
(おれがそこまで行けたらな)』

 

私もそういうの、いいなと思う。

そして、なかなか手に入らない関係性だとも思う。

摩利も慎吾も、理想家で、素敵な理想を持てたおかげで人間ドラマが深まったとも感じます。

 

慎吾の恋も、今読み返すと、

若者らしい一目惚れ、若者らしい本能の恋。

ドリナの人柄も分からぬまま恋に落ちる。

好き、会いたい、触れたい。

 

正直、ドリナの魅力はいまもよく分かりません。

実は他の女性キャラにもあまり思い入れが出来ずにいます。

 

なので、ささめと再会して摩利が「暗黒の迷路からの出口はここにあった」「久々に晴れ晴れととてもよい気分で」という下りが唐突に感じて、ちょっとまだ咀嚼しきれずにいます。救いを求めていた頃の再会だから、その時はこれなのかも?とちょっと浮上した気になっても、また落ちるというのが現実だから、そう思えばありな場面なのか…(やっぱりよく分かりません

 

中でもドリナは、歴史的にも安定感のない地域で生まれ育った外国人で、周辺諸国との政情不安のまっただなかの内乱状態の中で革命をめざす活動家で、慎吾と合うところがあるのだろうかと思えるほど違う世界に住む女性。最初から、添い遂げるイメージがわかない恋。でも好きになっちゃうのは仕方ない。

 

ドリナに一目惚れした辺り、慎吾のバカ!摩利がかわいそう!と叫んでいた読者は多かったはず(笑

どなたかがあとがきに書いていましたが、摩利と自分が結ばれたいと願うファンよりも、摩利に幸せになって欲しいと願うファンが多かったと思います。

 

一目惚れ。

身に覚えがあると、理屈で好きになる訳ではない事がストンと腹落ち。

だから余計と、その女のどこがいいんだ!と思う訳ですが、理屈じゃないんだとも分かっているので非常に複雑な気分になれる。

 

慎吾の幸せのためなら送り出そうとする摩利。

ドリナと自分の描く未来が交わる事は無い、見て見ぬ振りで恋に没頭してきたが、現実を見つめて残る慎吾。ドリナはもっと現実を見ていたから、泣くけれど揺るぎなく、自分の未来を選び旅立つ。


遅い恋だったからこそ、分別も理性も多少働く。

しかも自分は人生の大目標を掲げて海外留学中。

慎吾は恋のために全部捨てきれなかったかと。

摩利、摩利、そんな内戦してるところへ慎吾を送り出すなんて何考えてんの!と50代の分別が引っ掛かる場面ですが、相手の自由を尊重し我を押さえる摩利を愛するべき場面。

 

「摩利の声が聞こえたのだ」と涙する慎吾が「どんなにドリナが好きでもおれは日本人だ、それ以外にはなれぬ」というセリフ。どの登場人物も、自分以外にはなれず、誰かのような生きやすい生き方が出来ず、辛かろうが自分の人生を生きていく。摩利と慎吾のテーマのひとつだなと思いしみじみ。

 

摩利が帰国をのばしてメーリンク家再興の手伝いをすると聞いて、摩利がこのまま日本へ、慎吾の元へは戻る気が無いのではないかと予感する慎吾。帰国前日、慎吾から摩利へキスをする場面で、慎吾がいかに摩利を大事に思っているのかが感じられ、ある事を思い出しておりました。

小さい頃によく妄想していたのですが、もしも今、事故や事件で家族や飼い猫が死ぬとしたら、私が身代わりになってでも守りたいと思い、感極まって泣いたりもしておりました。大事で大事で、愛している感情が高まり、溢れる思いを言葉が出ない時は、その分抱きしめて、その抱擁に思いを込めてジッとしていたくなるものです。

残念ながら、訳も聞かずに抱きしめられてくれるのは飼い猫ぐらいだったので、親兄弟への抱擁は叶ったことがありませんでしたが、甥や姪が小さい頃は、思う存分抱きしめてジッとしていたわたくし。何があっても離したくは無いし、守ってやりたい。ああいう時の、何とも言語化できない思いを、慎吾に見出しておりました。

 

日本人の慎吾にとって、キスは誰にでもする行為ではないからこそ、大事な人への愛情表現として慎吾は摩利にキスを贈る。万感込めた愛のキス。

若い時には、摩利と添えないのに何故ここでキス?と思っていたのですが、今ならよく分かります。

 

「これきり日本に帰って来なかったら絶交だからな」と言い渡す慎吾。きっと悪い予感がどんどん強くなってしまって、死に別れならいざ知らず、生き別れたら最後、摩利が会いたいと思ってやって来なければ、2度と会う事は無い関係を自覚して、もの凄い不安を抱えての帰国だったかと。

今までは、互いが歩み寄る余地がある「学生生活」だった。

学生から社会人へと身分が変われば、それぞれの道が分かれる頃合い。
ずっと一緒に(変わらずに)居ることは出来ないと知ってはいたが、こんな状態で、互いへの信頼や安心感を失ったままで終わりたくはない。でも帰国すれば道は自ずと分かれてしまう。

 

慎吾は自分がいかに摩利を好きか、大事か、分かっているし、摩利が自分を誰よりも好きでいてくれることも分かっている。だから、このままでは嫌だと強く思ったはず。でも、こちらがそう思っていても、摩利にその気がなければ終わる。関係のはかなさを思い知らされて、そんなことはないと思いたくても信じきれず、不安が尽きない。でも自分の言動に一切後悔はない。でも不安。

 

慎吾の心情は、複雑でしたでしょうな。

これまで、摩利とのことに関しては、疑いもなく信じ切ってきただけに、信じきれないでいる自分を知って、摩利の傷の深さを再認識したというか。立ち直るまで待っててくれと言った摩利が、ずっと傷ついたままでいることを感じていたから、もうダメかもしれないと思っていたのではないだろうか。

 

摩利はこういう時、はっきり答えが出ていても、表にはその答えを出さない、隠す。そういうグレーのままで置いておくのは、摩利の気遣いで優しさだなと思う。

 

今のように、航空路線が網の目のように広がっていたり、格安LCCも無い時代。行き来することの大変さよ。

SNSも無し、物理的に離れ離れの時に相手とつながることは、今よりも途方もない事だったから。(あの時代の不自由さは、人間の存在価値や人間関係の濃密さを作り出していたような気もしてきます)

 

2人の再会は、関東大震災後。

摩利は、ずっと帰国せずに遠ざかっていた自分を悔い、後追い自殺も考えながらの帰国。そして再会。またもや、神様の刺激というのは生き死にに関すること。摩利も慎吾も、互いの姿を見て、やっぱりこの人こそ自分の運命の人だと再認識。恋とか愛とか、そういうレベルを超えたところでの互いの存在価値を認識。ただ生きていてくれさえすればいいという共感に至る。

(その時はちょっと浮上した気になっても、また落ちるというのが現実だから、摩利はその後もふとした時にしんなり落ちてた(番外編))

余談ですが、作中、摩利はずっと慎吾を思っては虚ろになって叶わぬ恋に没頭していたけれど、今になってみたら、どうしてそこまで好き好きエネルギーが継続できるのか、忘れきれないのか、自分のことばっか考えているから恋が成就できない悲しさに囚われてるんだろうか、摩利の方がよく分からないな、めんどくさい奴かも?と最近思い始めています(苦笑

 

今に生きていれば、傷の痛みもいずれ薄まるだろうと思うもので(私はそうだった)仕事に社交と次々と出会いがある中で、恋愛対象ではなくとも、尊敬できる人や少しはひかれる相手はいたはず(その事例が番外編か)自分の思いに囚われている間は他が見えないものだけれど、徐々に慎吾以外にも目が向くようになり『摩利はもう2度と崩れることはなかった』ところへ至ったんだろうと時間の経過を思います。

 

ファンブログで、最後、摩利も慎吾も互いを思って死んでいくので、恋は実らずとも全うされた思いがあったのは事実で、幸せだったのではないかと書いている方がいました。死ぬ場面は必要だったかという話もありますが、この場面を描いたあたり、木原先生が2人の幸せを願っていたことの証と受け止めております。

 

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追記:

恩音が、隼人と自分の付き合いの中で、隼人がどう思っていようが、結局は自分の心がどう思っているかだけ(意訳)と言っていましたが、その境地に至るのが難しいから、みんな人間関係に苦しむ。自分が掛けたものと同じだけ返って来ないからといって、相手を恨んで差し引きゼロに出来る関係ならそれまで。恨んでも、やっぱり大事だと捨てきれず辛い思いをするほど、そこには自分にとっての価値が潜んでいるのだろうし、辛いことだな。

 

NARUTOのうちはイタチのイザナミの術のごとく、悩んでいる時は無限ループ。その苦しさから逃れるためには、同じルートでは抜け出せないといつか悟り、思い込みだったり執着だったり、自分を縛る自分から解放された時に、ループから抜けられる。摩利は本当にイザナミから抜け出られたのか。私は時間の薬で薄めながら、でも一番欲しいと思う「次」が見つからないままだったろうから、イザナミは最後まで残っていたかもなと思います。摩利は、隠すのがうまいという推察が捨てきれない。

読者は、最後に慎吾が呼んだのは摩利と知っているから少しだけ救われたけど、摩利はそんなの知らず亡くなる訳で、恩音の言葉通り、摩利が最後まで引きずった慎吾への思いが、摩利の人生の真実になりましたとさ、おしまいっていうのが、どうもわたくしには切ないだけで、救いが足りません。


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そう言えば、摩利が崩れていた頃は、女性との浮名ばかり。

「抱いてあげるけど、好きにはならない」

使い捨てられる女性達が気の毒。まあ、心そっちのけで、外見に惹かれてほいほい迫ってくるような人達に、真心を差し出すような摩利でもないから、仕方ないとも思う。

 

男性相手は夢殿だけ。夢殿を特別に思う部分は確かにあったかと思う。崩れることはなくなって、夢殿との体を許す関係は終わったと思う。夢殿とは長く続けてよい関係と思っていなかった節もあり、持堂院の先輩と後輩の関係に戻したのだろうな。


摩利のご乱行を責める美女夜に「摩利には必要なんだ」と慎吾。自傷行為のようなご乱行、繰り返して気が晴れる訳もない。だけどやらずにはいられない。そのぐらい荒れる気持ちを、ドリナと別れた慎吾も内に秘めていたのかも。ただ慎吾は、愛のない性行為で憂さ晴らしという発想がないタイプだし、黄色人種差別のある欧州でそういう関係を結ぶ相手がいなかったから、そっちへ走らなかったのかと。

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摩利と慎吾⑤~閑話休題

ひと頃の熱病のような没頭感から抜けましたが、いまだに摩利と慎吾ばかり考えております。

最近、いろんな方の読後感想やファンブログを読んでは、いろんな見方があるものだと感心しております。

 

ただ、やはりオンタイムの連載を見ていた方と、あとの時代に生まれ育った方とでは、前提が違っているからだと思うのですが、場面やセリフの受け取り方が「違うそうじゃない」ぐらい違う方もいて、高校の古典の授業を思い出しました。

 

当時の世相、社会のしくみ、文化風俗、人々の常識や流行に情感など、総合的な知識を得ても身のうちに落ち着かないと、意味は現代語訳できるけれども深いところで味わえない。だから、何がいいのか分からない訳です。


古典は、学生の頃の私には点数は取れるが意味が分からない授業の一つでした。あれに似ています。

 

例えば、「日本人とのハーフなら、どう見たって半端な外見だろうに誰もが見とれる美男子設定についていけない」フィクションの中のリアルの割合って、時代ごとに違うんですよね。書き手は、読者達の嗜好や知識レベルに合わせて創作していくのだし、掲載誌の色もあるし。面倒なリアルをすっ飛ばして味わえるのは、当時からのファンの役得だなと認識。

 

古典つながりで、

 

木原先生の作品には時々古典が散りばめられるのですが、オンタイム読者の頃は私が古典に興味が持てなかったせいもあり、意味が分かるぐらいで素通りしていたのに、今はストーリーと相まって、妙に胸に迫って来る…

 

「水に降る雪 白うは言わじ 消え消ゆるとも」

 

 

「恋や恋 我なか空に なすな恋」

 

まずはその歌の意味と、それを引用している登場人物の「込めた思い」「秘めた思い」を思うと、スルメのようにじわじわ来る訳です。初めて、古典の面白さや味わい深さを感じました。

 

たくさんの歌を覚え、引用することで、みなまで言わずともすべてを察して包み込むような、そんな人付き合いもいいなと思えました。

 

おや、そのためには、引用をそれと理解してくれる相手も必要か…(相手の心配をしている場合ではない。自分が成り立ってないのだから、まずは底上げしていきたいなと思いました。

 

少し、古典や歌集を読んでみたくなっております。

 

 

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総特集 木原敏江 エレガンスの女王

木原敏江先生をまだまだ追っかけ中。

『総特集 木原敏江 エレガンスの女王』図書館にありました。中身を見たら、ぜひログりたくなり、近々発注予定。

 

1968年/20歳から現在までの53年間、いまだ現役の漫画家と思ったら、木原先生個人の情報が知りたくなってきました。なんと、ちょうどいい本が出版されていたこと。

文中にありましたが「こんな本を出してもらえて、作家冥利、嬉しい(意訳」と書かれておりまして、確かになと思いました。

 

長く仕事を続けてきた方が誰しも評価されて、まとめを世に出してもらえる訳もなく…一つの世界、ブランドを構築できた証ですよね。

 

余談ですが、誰しもが経験や実績をまとめて、本や冊子、写真集など可視化できる総覧的なものにしてもらえたらいいのに、と思いました。

 

「今までの人生で、何か成しえたのだろうかと思っていたけれど、やれたこと、出来たことがこんなにあるじゃないか。頑張ったよな、えらかったぞ自分」と思えるだろうし、定年退職などの節目も、もっと誇らしげに迎えられるんじゃなかろうかと妄想。

ロングインタビューと、同世代のお仲間である萩尾望都氏と青池保子氏との対談、年表類、それに美麗なカラーイラスト集といった構成。


生まれ育ち、漫画家になった経緯、作品ごとの思い出など、人柄にふれるに十分な内容で、大満足(あとでポチろう…

私は、仕事の悩みの大半は職場の人間関係だったなと思っていますが、職業漫画家としての苦労も編集相手の人間関係とお約束で。馬の合う方、合わない方、編集方針に従わないといけないだろうし。編集がOK出したものを描いたら描いたで、読者人気投票の数字で評価されるシステムは時に作家の力量とは別の力学で数字が動くから、理不尽。商業誌で描くということは世間的には成功の姿だけど、いい事ばかりでも無かったんだなと、しみじみ。

苦労なく、順風満帆であんな深みと余韻のある話が作れるものか、と思うのです。私ごときでも、何かしら辛い思いを経験して、そこから立ち上がるたびに何かを考え、何かを得て加えて、加えて、成長してきたところがありますから。どなた様もその方なりの最高の試練を越えて今あるということ。

こういう、ただの読者では目にすることがなかった苦悩や、何を試してみたの、段々どういう思いに変わっていったとか、他人の人生は苦労話ほど参考になる気がします。


萩尾氏/青池氏との対談は、同時代に同じ様な経験をしながら現役仲間だから、苦労話が過去の笑い話になっているところもあって、三人とも非常に楽しそう。その空気感が心地よい対談。

 

お三方、それぞれ自分の描きたいこと、自分のスタイルに向き合っていて、互いを尊敬しているのが伝わってきて、打てば響くような語り合いが非常に羨ましく感じました。同じ言語を話しているというか、一を聞いて十答える的な、打てば響く感じが良いのです。

発表された作品を読めば、頑張ってるなとか、ちょっと調子悪そうだとか、不思議と互いの様子が感じ取れたものだ、と言い合っていて、仕事について理解してくれる親友がいるだけで凄い事なのに、それぞれが大御所、大ブランドだもの、羨ましいの桁が上がる上がる。

結局、何をなりわいにしようが、相手との共通言語、共通話題を持つためには、自分の人生経験や知識を深めていくしかなくて、時間はかかるし時に疲れることもあるが、こつこつ積み重ねる以外出来ない、というのが感想。お三方は、それを続けて今に至ったから、大御所となれたのだろうかなと。

 

 

分かってた。

近道はないって、分かってた(ため息

デビュー当時からの絵面の変遷、時々の美意識が絵になっていると思うと、変化の幅が凄い。一番好きな絵面は、やはり摩利と慎吾、封印雅歌のあたりの絵。実は、90年前後のあたり、ちょうど大学に進学した辺り、ぐっと絵が変わった気がして、好きなものが勝手に変わる事が嫌になった記憶。私は子供でした。その変化が成長と思えず「私の見たいものを量産する機械」を求めていたのと一緒。

今回、夢の碑も購入してまとめてその変化を眺めてみて、イラストや扉絵だけでなく、その物語もちゃんと読むと、納得の変化だなと思うようになりました。文中にありましたが「木綿や麻のパリッと硬い感じの布が描けない、絹になっちゃう(意訳」というの、よく分かります。線の表情は絶対ありますもの。だから、変わったと言えば変わったが、変わらないところが分かったという感じでしょうか。

 

 まだ読んでない作品も、おいおい集めて味わおうと思います。


 

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摩利と慎吾④~夢殿と摩利について

夢殿先輩と摩利の関係もずっと気になっている。

 

摩利の死を知る頃、夢殿は若気の至りと思えるようになっていたのか、それとも摩利を惜しんで悲しんだろうか。

 

中学高校の頃は、もう肉体関係もあるなら夢殿でいいじゃん!ぐらい思っていました(笑)

 

漫画の世界では、登場人物が多いと、丸めて終わらせるためか、ほだされて流されてみんな誰かとくっついて幸せになるという都合のよいオチが多かったし(笑)

いまは、「終わり良ければ全て良し」なんて、誰かが折れて譲らないと起こり得ないことが現実には多いと分かるので、ファンタジーかと。心が乗らないようになりました。

 

この頃の木原敏江先生は「人生は思い通りにならない」を描き続けることをライフワークにでもなったのかというぐらい、切ない話が増えた記憶。

 

摩利にとっての夢殿は、そこに納まれば「楽に」幸せになれる相手。

摩利は男が好きだが、自分が女になりたいとはこれっぽっちも思ってない。慎吾がひたすら特別な存在として強調されるのですが、当時の読者の中には、「慎吾のどこがそれほどいいのか?」という疑問が出ていたな…(慎吾の良さは、50代になった私には理性的に分かる

正直、その辺り、私もそういう関係性の人に出会った事がないし、周りでもそういう関係性で離れがたくなっている人達を見た事がないので、言語化しにくい。発達障害が年々分類が細分化されて、ADHDだの名称が増えたように、好きの種類に分類名がつけられるような世の中になれば、私もスッキリできるのになあと思います(誰か分類定義して名称つけてくださいw

 

夢殿は、摩利を男として好きでいてくれるし、友達や先輩後輩、競争相手、いろんな役割をこなしてくれる男性。滅多に出会えないいい男。それぞれ妻が出来ても、夢殿は摩利を手放さないだろうし、摩利が心地よく感じる距離感で付き合い続けられたと思う。

 

夢殿のことは、最初から怖い人だなと思っていたんじゃなかろうか。

 

誰もが摩利の事を注目するが、それは上辺の美しさや、上辺の精神性を見てのこと。

夢殿は摩利の内面を見ている人だから、摩利もそれに気付いて見透かされる怖さを感じていたと思う。自分の本質が陰で、外に出しているところがきれいな分、内にこもった闇の深さ。人に、特に慎吾に知られたくない。自分が劣っていると思っている部分だもの、見られたくないのは当たり前。

 

夢殿は、その闇も含めて摩利の魅力と思ったし、摩利の複雑さが面白かったのか。こいつ、この先どうなるんだろうかと、興味がわいたのだろうか。放っておけない程度に知り合ってしまったから、どんどん危なっかしい精神バランスに陥る摩利に、段々と手を差し伸べないではいられなくなってきたんだろうか。

 

夢殿は蠍座設定だから、闇は闇なだけで、悪と断じるような単純な世界観は持ち合わせてない人。本当に、摩利にとっては、滅多に出会えないいい男。

 

子供の頃から春日家の跡取りとして周囲からの期待も理解していたろうし、その事自体は家族としての責任を果たすような感じで受け入れて育ってきたのではないかと推察。結婚は政略結婚、相手も決まっている、跡も継ぐ。自由はないが、見極めてながら、通せる我は全部通してプラス思考の人生といったところか。

 

私が鬱の時に、救ってくれた一人も蠍座の方でした。

仕事先で知り合った方で、職場での会話以外の付き合いは無し。

つまり深い関係性は全く無かったと思うのですが、一番鬱の動揺を抱えていた頃に、何度も短い電話をくれたのです。

 

「おはよう、今日の調子はいかが?食べた?寝てばっかじゃだめよ」

鬱の真っ最中は、やる気が起きないし一人でいたい、世界が内向き。

電話さえも邪魔に感じていたのですが、蠍座の彼女は電話をくれたのです。

 

後日、何故あの時に電話をくれたのか聞くと、「私も鬱で辛かった経験があるから、一人にしちゃいけないと思った」と言われました。私が全てを拒絶するのは目に見えていたので、彼女は電話を掛けることで、つなぎとめようとしてくれました。私が切った接点をつなぎなおしてはまた切られ。蠍座の愛は独占とよく言われますが、そういう強い感じは上っ面の話で、人の心の闇にしみわたるような優しい愛だと私は思っています。

 

摩利が、夢殿先輩はどこかしら父様に似ていると認識する辺り、摩利が欲しい形の愛をくれる人だと分かってきたのではないかなと。夢殿との幸せに落ち着く選択肢は、読者が摩利の幸せのために、あって欲しい選択肢。おや、気付き始めたか?と少しホッとした場面です。既読で、後々そんなことは無いと見えていても、次善の選択肢があったのは、物語的に救いに見えたものです。

 

そういえば、先日妹と選択肢について雑談した時に、彼女が「ショボい選択肢がたくさんあっても選んだ結果に満足できると思う?」「それしか選択肢が無くても、その一つがこれしかないと思えるなら、満足して選ぶかもね」みたいな話をしてくれて、選ぶ自由と幸せには因果関係が無いという結論が、わたくし的に心に刺さっており、反芻ネタ。

 

慎吾は、欧州での出来事に至るまで、夢殿の摩利への思いの深さに思い及ばなかったのではないかなと思う。夢殿の本気を感じて、ちょっとホッとしたんじゃないかなとも思う。だから傷心の摩利に夢殿が構うのは、嫌だと思わなかったんじゃなかろうか。普通、近しい人の肉欲絡みなんて知りたくないものだけど、夢殿から告げられて止めるでもなかった様子。それとも、自分が口を出す資格は無いと思ったか…

 

夢殿も、日本ではない欧州の地だからこそ、家や世間体を気にせず振舞えた分、摩利への気持ちはストレート。期限付きの自由。国に戻れば政略結婚。

 

紫乃が亡くなった時、麿が「友達はたくさんいてもみんな夢殿さんには役不足、対等に語り合えるのは紫乃さんぐらいだった(意訳」と言っていたぐらい夢殿の内面は、目指すところが若者らしさを越えていたから、同年代も計り知れないところがあったかと。

 

同年代より大人な精神性、交わり満足できる相手が少ないということ。摩利は、夢殿から見たら紫乃並みの人を見る目がありながら、恋愛対象としても優秀。そこらの令嬢より飛び抜けて特別な存在。雅やかな公家の血筋、誇り高い心。誰もが望める相手ではないし、人によっては混血児だから価値を見出せない存在だけれど、夢殿にしたら、美しい外見と内面を持つ希少な存在。そりゃ、執着もするか。

 

元々の立身出世欲もあり、かつ、摩利の理想が恩音のような清濁併せ吞み底知れない大きさの大人と知れば、そこを目指さぬ法は無し。異母兄弟に跡取りを譲ることも出来るし、もっと自由で緩く生きる方法も知っているが、自分から跡取りの責と権利を捨てる気もない。自分にとっての損得勘定しっかりめな人が夢殿。でもギリギリになると、損しても摩利との関係が大事と動く辺りが真心。

 

慎吾がドリナとの恋に落ちてみて、初めて摩利の我慢し続けてきた恋情の深さと自制の強さに気付けたと思うし、自分の存在が摩利にとっていかに残酷なものか分かったはず。それでも男色としては受け入れられないんだと明確になった。でも摩利は唯一無二、誰にも渡したくはない。はて複雑。摩利にとっての慎吾の存在も言語化しにくいが、慎吾の愛や好きも私には言語化しにくい。

 

摩利の絶望の深さが、そのまま欧州に留まることを決めさせ、慎吾とも夢殿とも別れ。
関東大震災の報を受け、死なれるより生きて会える方が「まだマシ」と思えたから帰国を決めた摩利。

 

慎吾にも、同じ様に自分が死にかけて「やっぱり摩利に会いたい!」と自覚した転機があった。

あの時慎吾は両親を事故で亡くしたばかりで、いつもそこにいるのが当然だと思っていた親友だって、死んでしまったらもう会えないと想像し、喪失の恐怖。さっきまで胸を塞いでいた悩みが、答えが出てなくともどうでもよくなるほどの衝撃。本能的に、やっぱり摩利が大事だと悟った瞬間。

 

青太や篝しかり、死んで花実が咲くものか。

死に触れるたびに『ただ生きていてくれるだけでいい』と思うようになる。期待したり、押し付けたりしなくていいと分かる。

 

私は、妹が肺がんで死ぬかもしれないと思った時、まさにこれを体験しております。妹だけでなく、友人知人、誰しも、ただ生きていてくれさえすればいいと思えました。遠くでもいいから、生きていてくれたらと願うようになりました。そう思えるようになったら、人間関係がうんと楽になった気がします。

 

私は楽になれたけど、でも摩利の場合は、会っちゃうとまた手に入らない現実と向き合うことになる。でも死んでいなくなるより「マシ」を知ってしまったから、苦しいけれど慎吾の傍にいる時間を作る。

 

摩利は可哀そうだなと思う反面、慎吾が摩利と一緒にいたいと思い続けるからこそ、摩利もいつまでも恋情抱えて執着していられると思うので、そういう相手に出会えて、どこか羨ましくもあり、慎吾のせいでと責めたくなる気持ちもあり。

 

「その後、摩利は崩れることなく」とあったので、夢殿とは時々プラトニックなやり取りはあったとしても、ほぼ先輩後輩で過ごしたのではないかと想像。

紫乃が亡くなってからは、紫乃には及ばないながらも、心中を吐露する相手になったのではないかと妄想。もちろん言えないこともある。でも、ひと時傍にいて、じっと聞いてくれる相手はありがたい。損得なしで聞いてくれる相手、ちゃんと心を理解しようと聞いてくれる相手。さすが摩利だと認めた相手。

夢殿さんは、紫乃がいた頃は、あまり語らずとも胸中を察してくれる紫乃が受け止めてくれたから、だいぶ助かったことだろう。その紫乃の抱える異母姉への恋情を、慎吾だけが知っていたということになっているが、みなまで言わずとも、夢殿は察していたろうと思う。

 

何で家に帰らず、ふらふらと遊び歩いて見せるのか。誰のことも本気で好きにならず、かといって女が嫌いではない紫乃。家業を嫌うどころか、舞には真剣、美しく舞う紫乃。帰らぬ訳、一人に決めない訳、分かりやすい。

 

摩利の死後、「ああ最後まで、”きれいな摩利”で逝ってしまったな」と静かに悲しんだと思う。 

夢殿さんは、その頃には、抱える責任が学生の頃とは比べ物にならない政治家、戦後処理もある。

悲しみだけに没頭できない大人は、それはそれで悲しいんですけどね、多分そんな感じだろうなと思います。

 

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追記:
日本を拠点に生きる夢殿さんは、慎吾を通じて何とか摩利とつながっていたいと言っていたのに、二人とも一度に亡くなってしまった。夢殿さんは、摩利との思い出を語り合える相手ごと、摩利を失ってしまったのだなと思ったら、切なさが倍増しぐらいに感じられ…

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摩利と慎吾③~摩利について

摩利の忍耐が愛おしい。

私は物語の大半を、摩利に感情移入していました。その解釈を備忘録として書き連ねていますが、我ながらの妄想力に感心すると共に、このように読者の妄想が膨らむような余白と余韻を持つ素敵作品ということで。

 

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鷹塔家はお公家様、伯爵家。母はドイツ貴族、駆け落ち同然で来日、摩利を生んで間もなく早逝。

 

摩利は一人息子。小さい頃から、混血と差別され悔しい思いをし続けてきた摩利。悪意ある人の存在にさらされて育った摩利。

 

父は仕事にかまけて欧州にいったきり。

手元に置いて育てる事も出来たと思うが、欧州で育てたくない訳があるとしたら、摩利に日本人として育って欲しかったから?自分の帰る場所にいて、待っていて欲しい?

「遠ければ遠いほどお前の姿はこんなにも鮮やかだ」なんてセリフがありますが、同居していなければ嫌な姿も見えないし、手紙が届けば悪い事は一切書かず「頑張ってます、父様も体に気をつけて」と気づかうばかりで、摩利はそれはそれは物分かりのよい出来た息子。

もうこの辺りで、摩利は恩音が望む息子像になろうと努力してきたんだろうなと予感がし始めるわたくし。

それを摩利に話すのはどういう意図かよく分からないが、恩音は愛人の話を摩利にする。摩利がサビーネに話す時、父の愛人達との話はどこかロマンチックないいもの、たしなみ的な言い方で、父も新しい鷹塔夫人を迎えて幸せになってくれても良いと思うとさえサビーネに言っている。

 

でも摩利は新しい母親なんて望んではいないし、恩音もそれが分かるから再婚もせず浮名を流す。本気ではないから次々と愛人が出来る。それを摩利も知っている(どういう親子関係なんだ、、、

 

父恩音は、負い目があるから摩利を縛らない。

惜しげもなく摩利にお金を使って贈り物をするが、恩音は自分以外は差し出せても、自分の時間、人生は摩利には差し出せない人。

 

摩利は、自分にかまけてくれる人、自分に時間を使って、体を使ってかまけてくれる人、自分だけを見てくれる人に飢えを感じるのは親子関係の不幸のせいかも、なんて思う。親戚が補うこともなく、かろうじて、が印南家の人々だったのかなと。


恩音と慎吾の父は、もしも互いに何かあったら、残された妻や子の面倒は任せろと誓い合っている。恩音は慎吾の父に、恋心を感じた事があったと摩利に告白していたが、私から見たら摩利の恋情とは全く違って、慎吾父の男気に惚れていたんだろうなと思う。

余談ですが、摩利と慎吾を読んでいて、恋だの愛だの、中身は人それぞれだし思いの種類も多岐に渡るものであり、「好き」と聞いて一つの意味だけを思い浮かべられないものだなと、つくづく思いました。

 

育児放棄の自覚もある父親は「摩利に何かあったら、私は死んだも同然になるでしょうな」なんで思ったりするくせに、庇護が必要な子供の時間さえ摩利の傍にいてやらず、自分の人生を生きている。「仕事は捨てられない。あの子も男なら分かってくれるでしょう」

その父親に摩利が感じるファザーコンプレックスは、私にはいびつに見える。

 

傍にいて守って愛してくれる相手は、ばあやと印南家の人々。 

摩利の人を観察する習い性は、自分の痛みに敏感だから。繊細で本当は弱い。周りの大人や子供をよく見て、痛い思いをしないようにと身構えてきた結果のように思える。摩利は父が望む妻の思い出と息子に、なろうとしてなってきた子なんだろうなと私は思います。

 

摩利が歪まずに育ったのは、慎吾の存在も大きいが、摩利は隠すのが上手になっただけだと思うのです。

 

摩利は、本来意思が明確で、強情だし頑固。

お金持ちで、ものに不自由はない育ちだけれど、金や物では満たされない心に気付いているので精神性を非常に大事にする。

 

摩利が、こうありたいと思う姿は、自分のなりたい姿よりも、自分がこうあれば好きな人達は安心で喜ぶといいうところが基準になってたんじゃなかろうか。そこから自由になって、篝かがりのように自分の欲に素直になれたら、どれだけ生きやすかったろう…でもそれが出来ないのが摩利だから摩利なのですな(ため息

 

摩利が、欧州留学の際に、このまま慎吾の傍にいたら自分が持たないと、帰国せず残ることを決めますが、そうして慎吾から離れてみたところで、ずっと反芻を繰り返して、心のうちはどんどん摩耗し続けたはず。

 

ユンタームアリー他、番外編を読めば、欧州にいる間の摩利は、やっぱり誰にも満たされる事が無くて、ふとした時に慎吾を思って反芻を繰り返している様子。

 

ああいう苦しさは、本当に苦しいと思う。

私も、20代前半までは、片思いすることもあったので、振り向いてもらえない切なさが溢れる苦しさを経験しています。

 

30代に、自分のキャパを越えている仕事と感じつつ、やるしかないと奮闘していた時も、仕事の心配に囚われ続ける苦しさを経験しています。40代では店の資金繰りで何度も反芻タイム(苦笑)

 

反芻している事柄に占拠された心は、しんどくて血を流しているような気分。段々と死んでいく心を感じながら、そこから離れることも出来ない。心は自分とは切り離せない。ずっとついてくる。

「これが、いつまで続くのかな、苦しい」と思ったし、ある時には鬱を患ったほどですが、でも私は死のうと思ったことがありません。それよりも、自分を取り戻したかった。

苦しんでいる思いは、私のものというより余計な荷物扱いだったんでしょう。余計な荷物なら、身から離せるのも道理。おかげで鬱から立ち直ったし、いま雑貨屋のおばちゃんを楽しんでいられます。

摩利が狂いそうな反芻を抱えながらも生き続ける訳を妄想。

もしも摩利が自殺でもしたら、慎吾は泣くだろうし自分のせいだと自分を責めるだろう。そうやって、死ぬまで慎吾の心に残る方法もあるけれど、そんな風に思って欲しくないので、死なないだけなんじゃないかと思うのです。それに、摩利は本来リアリストなので、自分が知らないところで慎吾が悲しんでも、おれが見れないなら意味がないやと思うはず(そんな気がします

 

でも、時々死んでやろうかなと思ったろうな…
空想の中でぐらい、慎吾に仕返ししたい欲を解放してたはず(笑)

恨み言は外へは絶対出さない、出したら自分の品性が落ちるから。

だから心の中で密かに妄想しては浸る。きっと摩利はそういうタイプ。

 

小さい頃から混血というだけで差別され続けてきた子供。
子供なら、感情に任せて仕返ししたり、他人に当たりたくなる。

でも小さい頃からそんな事はせず「あいつらと同じになるから絶対嫌だ」と思うようになる風だと、大体が年相応を越えて老成していくかと。

 

どんなに大人の考え方ができるようになろうが、大人の身の振り方を覚えようが、楽に受け流しているように見せることがうまくなるぐらいで、本当に解決したいことはやっぱり残ったまま。

 

結局死ぬまで摩利は反芻と共に生きることになるのですが、「一途に思い続けて、おばあさんの言った”本物になった”」なんて美談には思えないのがわたくし。本物になりたくて、もがき続けた物語なんだろうなと思っております。ハッピーエンドなんだと解釈できなくもないのですが、摩利の心は満足してはいないのは確かですから、ハッピーエンドとは言い難い。

 

人生って、でもそうそう都合よい事は起きないし、思い通りになる事なんてささやかで、よく考えたら生きていくのって辛い。

 

年を取ってみたら、よくある事だとやり過ごせるものも増えるけれど、本質は生きていくだけで大変。だけど、少しでも生きてて良かった、楽しいなと思えるのは、概ね、美しいものと、人や動物との温かい交流で一瞬辛さを忘れるから。またすぐ辛くなるんだけど、またすぐ温かさを感じられたらまた少しの間忘れて生き延びる、の繰り返し。

わたくしの場合は、それが自分の店で出会うお客様とのやり取りが大半を占めております。会社勤めの頃とは比べ物にならないぐらい幸せな日々。試行錯誤の末に、やっと自分で作り上げた店はとても金食い虫で、貯金を使い果たした頃、ようやく生きるよすが、お客様との心温まる交流を私に届けてくれるようになりました(長い道のりだった(遠い目…

 

幸せの本質は、この一瞬だけ辛さを忘れることなのかもしれないなと50半ばになって思います。摩利の幸いは、慎吾一人の存在には間に合わなくても、摩利に好意を寄せる相手がたくさんいた事。そして、夢殿さんみたいなもたまにはいた事。

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追記:
摩利が満足できたとしたら、死ぬまで「二度と崩れることは無かった」と慎吾からも「そう見えるように振舞えた事」かな。

欧州で一人でいる時の様子は、ユンタームアリー他の番外編で分かる通り、心弱っている。自失することは無いが、ずっと弱っていて、他者の目にもあの方はどこを見ているのかしら?的な心ここにあらずを見透かされるぐらいの状態。

 

でも、帰国し、慎吾や寮友達に会う時は、摩利らしい摩利。

 

自分はこういう人間だと自分が思う姿と

他者が自分をイメージして、評価する姿と

摩利はとても一致しているように思う。

それは摩利がそう見えるように、寄せていっているから。

摩利の中には、見てもらえない摩利が最後までいたと思う。

摩利が慎吾に見て欲しい姿、他者からのイメージに寄せてる「理想の摩利」で、摩利の本当とはギャップがあるように感じている。

篝かがりの甘えん坊でわがままなところ、意地悪なところ、摩利にもあるはずだけれど、心許せる相手である慎吾にも、汚れは見せない摩利。

 

摩利は理想が高いし、いつも上を目指す。

人より優れた人間でいたいと思っている。

 

自分がそうありたい姿でいられたかどうか、

内面は整えるのに大わらわでも、

慎吾から見たら「おれの思う摩利」のままでいられたら

それが成果、努力も報われる、摩利の満足はそこかなと。

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秋分の日のゼロ

今日は、不思議な事がありました。

当店の電子機器類をつないでいるコンセントはスイッチ付き。省エネコンセント。出勤したら、エアコンをつけ、コンセントのスイッチをオンにするのがルーチン。

 

レジスターの本体電源はOFFなので、コンセントのスイッチがオンになったところで動かないはず、だったのですが、ご覧のようなジャーナルが印字されてにょろり。

 

日付と時間がリセットされ、
ゼロがたくさん並んでおります。

 

テナント大家さんがやらかして、何度か停電したことがある当店。その時に、電話機の日付がリセットされたことがありますが、今回は電話は無事なので、停電ではなさそうな…

 

何しろ、本体電源がOFFのまま、勝手に印字されて出てきたことが不思議。ゼロがたくさん並んでいるのも不思議。

神様が「ゼロから始める気持ちでやりなさい」と預言をくださったのかも、とスピっぽく解釈。分からない事は、考えるのを早々に諦める事で心の平穏を保つのです(笑

 

そういえば、本日は秋分の日。

まさに節目の日。
ここから次の季節が始まる気に満ちている日。

やっぱり神様からの言葉なのかも…なんて思っちゃう辺り、停滞感が強くてミラクルを求めているなと自覚あり。

 

気は心ですからね。

きっといい事がたくさん起こるような変化がやってくるはずと思う事にしました。

 

そして、皆様にも、お裾分け。

このゼロが、より良い変化やスタートをもたらしてくれますように。

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アンジェリク

木原敏江氏の漫画で、摩利と慎吾よりも中二心に刺さった漫画「アンジェリク」も読み返してみました。

ルイ14世時代のフランスが舞台で、宝塚の舞台にもなったアンジェリク。


時代背景も知らないままに読んだ中学の頃、華やかなドレスや縦ロールの巻き髪、羽根飾りなど華やかさにくぎ付けでした。

朝の連ドラみたいに、テンポよく事態が動き、事件が起きて、恋はすれ違う。宮廷ならではの陰謀に翻弄されたり、運命のいたずらもありで、山谷起伏が息をつかせない連続だった記憶。

 

40年振りに読み返したら、何だか当時感じたようなわくわく感が皆無で、この世界感からはとっくに卒業していた模様。神の目線で起こる悲喜を淡々と眺めている自分。ただ、その事が、自分的にはいいことに思えて、寂しくはありませんでした。

 

絵面は、褪せることなく、超絶華やかで美麗でした。

 

中二的にお気に入りだった設定は、借金のかたにジョフレの嫁になると思わせておいて、実はジョフレは7年前からアンジェリクを見そめて、折々成長を見守りながら機を待っていた、というところ。

 

王家よりも古い家柄、名門ながら、権威主義なところがなく、公正でリベラルな思想の持ち主のジョフレ。内乱で怪我をし、足が不自由で顔に傷があるとしても、それが気にならないほど優雅な立ち居振舞い、存在感。

 

男子なのに傷ものって言い方もアレですが、その傷に負けてない。未来をみつめて広い見識を深め、経済的にも政治的にもしっかりした考え。

王子様みたいな人から認められ、選ばれるなんて、承認欲求満たされたい夢見る少女にはよく刺さる設定(笑

選ばれたアンジェリクは明るく素直で裏表が無い。体は健康で行動は闊達。守りたい人が居て、そのためには自己犠牲もいとわない情の深さと優しさ、譲れないものを守ろうとする強さもあります。

 

といって、やってる事は年相応の子供っぽさで感情的なところもあり、取り巻く男性はことごとく振り回されてえらい目に合っているように見えます。

そも、アンジェリクを取り巻く男性は、皆さん愛の盲目で、大人の損得勘定が働かなくなるバグを、無くしたくないと大事に抱えているかのようでした。アンジェリクを守ろうと自分がピンチに陥り、フィリップに至っては自ら死地に向かい死亡(ひどいw

 

 

今のわたくしは、そんな犠牲を良しとしない感性が強くて、感情移入出来なくなっておりました。原作小説が扱う時代の価値観をすっとばしたら内容が誤認されるとは理解しています。それよりも、今の自分が誰かを巻き込んで犠牲にしてまで幸せになりたくはないと思うようになったことが分かりまして、その方向性は間違っていないと感じるので、感動できなくても仕方ないかなーと思った次第。

 

婚約者のジョフレが死刑になり、二コラにかくまわれるうちにほだされ結婚し、ルイ14世の命令で今度は初恋の王子様的存在フィリップと結婚。

 

総受けという用語は、当時は無かったと思うのですが、まさに絵に描いたような総受けっぷりがまた、承認欲求満たされたい夢見る少女にはよく刺さる設定(笑

 

話の流れとしては、ルイ14世が愛人として召し上げるために、言う事をきくフィリップの嫁にした訳ですが、フィリップの恋心も分かっている読者的には、フィリップの初恋成就/アンジェリクの初恋成就でおめでたいイベントとしてデレるところ。

 

この原作者は、ファンサービスも旺盛だったんだろうなとつくづく思いました。

テンプレートとしての「フィリップ」的キャラクターは、当時耽美系キャラとしてはもてはやされたもので、どこか世間離れしたところがある美貌の天才で、生い立ちは不幸で影のあるところがまたかわいそうで「私なら優しくしてあげられるのに~」とみんなで入れ込んでいたものです。

 

破滅的な予感しかしない美形には、頼ってくれたらちゃんと受け止める気満々の保護者的キャラがより添うもので、「ボーフォール公」というイケおじが愛人関係を結ぶことを条件に、フィリップを気づかい、時に導きながら静かに愛着していく立ち位置も当時人気だったテンプレート。

 

 中学生のわたくしは、こんな風に守って甘やかして大事にしてくれる「権威あるお金持ち」な存在にも憧れていたな・・・夢が夢杉で恥ずかしいぐらいです(笑

 

大人になってみたら、甘やかされて守られていたら、失敗も恐れずに新しい事を試していける訳でもなく、逆に怠け者になってしまう自分の性さがに気付きました。

 

今回読み返して好きになった場面は、愛するフィリップに死なれたボーフォール公と、愛するアンジェリクが旅立ってしまったニコラが、思い出話をしているシーン。

 

正直、ボーフォール公と二コラの記憶が交わるところは皆無だから、互いが自分の思い出に浸っているだけかもしれないのですが、それでも、救われる関係ってこんな感じだよなと思うのです。

 

ただ話を聞いてあげるだけで、結論も解決もないけれど、救われる人って案外多いです。それは当店でのやり取りの中で実感しておりますから。

 

私はこれからの10年は、こういう相手として存在していくお役目を少しだけ強化していけたらなと思って眺めたラストシーンです。

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摩利と慎吾②~青春を思い出す

40年振りの再読。頭の中で反芻している間はあっちこっちに飛んでまとまりのない思いが千々に乱れておりましたが、徐々に文字にしてみて、ようやく胸苦しさが少し和らいできた気がします。

 

メモを眺めていると、あらかたは、

「唯一無二、永遠、不変が欲しい」と

30代半ばまで常に不足感があった自分を思い出して苦しんでいるのです。

 

今では、あれは「中二病だったな」「無駄に自分探ししてたな」と思っているし、穏やかに満ち足りた気分で暮らしているのですが、『本当にそう思っているの?苦しいから見ないふりしてただけじゃないの?お前は自分を騙す天才だもの』と黒い自分の声が聞こえてきちゃう(苦笑

わたくし、なりたい自分になるために努力するのですが、それが憧れを下敷きにした他人の姿だったりするもので、若い頃は理想と現実のギャップにやられて、常に苦しんでおりました。

 

満足はしていない。

だけど他にどうなるものでもない。

自分はこうしか生きられない。

納得はしている。

 

でも、途轍もなく苦しい。

いつまで続くのかな、これ。

いま、途轍もなく苦しい。

 

納得は、別に満足している訳ではない、と思い出してしまったのです。

満足は、自分にとっていい事欲しい事を成し終えた証。

納得は、悪い事を受容すること。

不満が残っても受容できたら、過去に出来る。

 

そして、叶わなかった思いが山と積み重なって、わたくしや人々を形成している。

 

今の自分は嫌いではない、むしろ好き。

だからこれでいいと分かっているのですが、明日死ぬかもしれないその時に「これで良かった」と本心から言える時間を過ごしてきたかな?生まれてきて何か成し得たかな?みたいな思いがわくと、急に自信がなくなる…


そろそろ54歳になるし、今ちょうど、次の10年はどう生きたいか、どういう自分になりたいのかを考えているところでもあったので、18歳の青春時代から50代で死ぬまでの摩利と慎吾の葛藤を読むことで、自分もそろそろ彼らの逝去した年頃だなと思ったら、今のままで進んでも大丈夫か?と思ったようです。

気持ちは若く保てても、肉体的な老いはいかんともしがたく、老眼しかり、若い頃のように何でもできるとは言い難くなってきた現実を噛み締めてしまったというか。なんというか。

 

読了直後は、大河ドラマを通しで見たような情報量に圧倒されておりましたが、思えば摩利と慎吾の人生は、激動の時代らしく波乱万丈で、社会情勢も不安定、自分達の心情も不安定、今の私の価値観で思うところの幸せとはかけ離れていたような気がします。なのに彼らの生き様が、羨ましく映ってしまうぐらい、物語が魅力的だったということか…

摩利は、慎吾は、死ぬ瞬間、満足なんてしていなかったと思う。
でも、ああその時が来たなと納得していたはず。

 

「でも、私は満足したいな~!本当は納得じゃなくて、満足したい!」「摩利と慎吾にも、大満足で命を終えて欲しかったな~!」「でも摩利の満足と慎吾の満足は絶対に重ならないから、切ないなー!!切ないよー!!!」

 

わたくしの本心は、人生で満足したいようです。

それを素直に言えるようになれたようです。

 

若い頃は、摩利と慎吾をオンタイムで読んでいた頃は、自分の思いや考えを素直に吐露できず、そのくせ全てを分かって欲しいと強く願う子でした。登場人物で言えば、篝かがりのようなところがあった。

そんなの無理ゲーだから、満足をくれない他人は傍にいても寂しい訳です。みんなの輪の中にいても、好きな人と二人きりでいても、一人で勝手に孤独になっていっためんどくさい子でした。凄く拗らせていました(恥ずかしい、、、

 

だいたい、他人と一緒にいて楽しい事が少なかったのもトラウマ。

原因は、私が他人を信頼できないせいだったと今なら分かります。

こちらがまず開くということが出来なかった、臆病な子でした。

 

私より素直な同世代は、開いた心で出来るかやりたいかを要求してくるのですが、嫌と思っていても言えないせいで、相手が満足して私が好かれるほどに、私の中に不満が溜まるシステム。

 

自分の思いをちゃんと伝えられないのも悪いというのに、相手ばかりに背負わせて、友達って煩わしいなと思いながらどこかにいるソウルメイトを夢想し、些細なことで「やっぱりこの人は違う」「誰も分かってくれない」といきなり疎遠になれる身勝手。

 

そう思えば、いま一番続いている友達は大学時代の友達で、彼女とは最初凄く仲が悪かった。お互いいけ好かないと思っていたはずが、気付いたら30年来の親友。彼女が私のように、自分の理想との違いを見つけては失望して関係を切るタイプだったら、今の関係は無かったし、私は今も孤独だったことでしょう。他にも今まで出会ったあらゆる友人知人のおかげで、私はゆっくり人を信頼できるようになれたと思います。

 

もうあんな馬鹿なやり方で人と関わる事は止められた。

あの頃からだいぶマシになれたな、自分。

 

私の人生も、多分満足よりも納得で終わる事かと思います。

これまでの人生で叶わなかったあれこれ、不満が解消されるべくもないから、満足には至らないでしょう。

 

今回の再読で、

『でも、「他者との関わり方」における納得感が残れば、結果は上々じゃなかろうか』と思えるところまで私を引っ張ってくれた『摩利と慎吾』

私にとって、大事な作品。

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摩利と慎吾①~懐かしい作品

萩尾望都氏の自叙伝を読んでから、思い出したように思春期の頃にハマっていた漫画を読み返したくなり、ポチッたひとつが、木原敏江氏の『摩利と慎吾』

 

50代になった今読むと、思春期の頃とは違った物語に読めるのが不思議。当時のわたくしは、男に生まれたかったといつもどこかで思っておりました。同い年の女子達の感性についていけず、どこにも所属できずに困っていたなと思い出します。いっそ男子だったら、気楽だったかなと思っておりました。

 

とは言え、男に生まれても、汗臭くてガキ臭いのは嫌だった。私は子供なりに美的なものが好きで、美しさに憧れがありました。絵描きに憧れた事もありましたが、自分の適性を考えて、大学はデザイン分野に進学し、サラリーマン時代はデザイナー職でした。

 

そう思ってみると、私の道はひとつの方向へと続いてきたようにも見えますね。小さい頃からの夢を叶えたと言えるのかな…なんか不思議な気分です。

 

 話し戻して、自分が男子だったら、こんな風に美しい姿で、ため息をつかれたい…今思えば、ベースには女子のお姫様願望があったなんてところがおかしい感じ。

 

だから、ちょうどその頃、世に出始めた『少年愛』ジャンルにもの凄く惹かれました。

 

どこから聞きつけたか思い出せないのだけど、JUNEは創刊号から買って読んでおりまして、友達と嬉し恥ずかしな感じで語り合ったものです。JUNEのおかげでクラスにいた同志を見つけ、どこにも所属できない私に友達が出来たのは画期的(少年愛バンザイ

 

とはいえ、当時の出版側の思う少年愛と、私が思う少年愛の間には深い溝があり、なんかこう、大方が隠し隠れて耐えるとか、悲恋、死に別れ、などなど、暗い設定が多かったのです。そのたび、自分が好きな空気感の作品を探して、記事に引用される小説や映画も頑張って探して見たものです。

今みたいに、ググればあっという間にアクセスできる世の中ではありませんでしたから、本当にコツコツと自分のお小遣いの範囲で手に入れては、何度でも読み返しながら、登場人物に感情移入したわたくし。

余談ですが、母親に「風と木の歌」を見つかった時は、随分心配されました「どうしてこういうのが好きなの?」と問い詰められた記憶があります(笑)あの当時は、どう説明したらいいのか言葉がうまく出なくて、聞かれた私も凄く困りました。

正直、風木は少年愛ジャンルの王道的扱いだったから読んだけれど、主人公ジルベール生い立ちが変。ジルベールの気持ちがどこにあるのか、通して細かいひだが見えず全然理解できませんで、その内分かるんだろうかと話の展開を見守るために買っていたようなところがありました。

 

先日読んだ萩尾望都氏の自叙伝で、竹宮氏に「何でジルベールは男の人に身を任せるの?」と聞いたら「その子はそういうのが好きなのよ、そういう設定」的な返しがありました。少年愛ジャンルの魅力が今一つ分からない萩尾氏は、頭の中が疑問符でいっぱいになったそうです。


「やっぱり、あのジルベールの唐突感はそこに意味があると思っちゃいけなかったんだな」とのめり込めなかった自分の正解を見つけた気分になって40年振りにスッキリしました(ちょいちょい、ないわーと思う場面があるので、風木は読み返す事は無いでしょう

 

 

 

摩利と慎吾は人気漫画家・木原敏江先生の作品ですから、毎月の掲載誌発売日が待ち遠しかった記憶。

 

長編だから、途中で木原氏の絵面が円熟していくのがまた魅力で、どんどん美麗になっていくまつ毛と薔薇と主人公に目を奪われ、好きなコマは切り抜いてファイルしていた記憶。

 

二人の男の子が、成長の過程で互いに惹かれ合う「学園恋愛もの」という位置づけで読んでいたのですが、最後の方はちゃんと読んでいなかったので、今回全巻通しで読んで、やっと自分の中では話がつながりました。

 

繋がったせいで、中学生高校生の頃に思っていた内容と違った物語に見えたし、当時は分からなかった機微が50代の心なら分かる部分も多く、より物語の深さや重さが自分に迫ってきました。

木原氏がこれを描いていた年齢は29~36歳頃とあり、その年齢でこの群像劇を描いた才能に圧倒されました。

 

今読むと、短いセリフやト書きの言葉が刺さる。
一コマたりとも読み飛ばせる隙間埋め的なコマが無い。


意味や気持ちが込められている密度が高くて驚きでした。

 

後になって「あのコマが!」「あのセリフが!」とつながり、まさに人生のように続いて繋がっているのです。

 

ひとしきり、いろんなことを試してスタイルを作り上げてきた世代の漫画家さんの凄さを味わえます。

 

今の方達が凄い作品を描く元は、この世代の先輩作家達の凄さを見て、影響を受けてこそだと思います。

 

ひと作品通しで読めば、木原敏江というスーパースター的漫画家の成長が見れる点も魅力だなと思いました。手足がひょろりと長い漫画の絵面なのに、ちゃんとデッサン整ってるから今見ても美しい★

明治~昭和戦後までの話ですが、連載当時の昭和の雰囲気もコマに反映されているところもあり、オンタイムの昭和世代だからこそ理解できる部分を再発見したり、未来の人達が古典として読んだ時には味わえないであろう時代感が私には分かる!ということを、自慢したくもなりました。

 

摩利と慎吾の愛の形は、何と呼べばいいのだろうか、50半ばの私になってさえ、言い表す名詞が見つかりませんで、探して探して、読み終えた後に凄く苦しくなっております。

 

胸の奥深くで分かっているのに、言葉にならないのはもどかしいものです。言葉にしてはいけないという事なのかなと、神の領域なのかもなんて、ちょっとスピリチュアルなこと思ったりするぐらい。


少しでも言語化しなければ、この苦しさが晴れそうにないので、少しでも心の整理をつけるべく、感想文を書こうかと思います。


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一度きりの大泉の話

萩尾望都と竹宮恵子、どちらも私が熱中した漫画家でした。
数年前に、竹宮氏の自叙伝を読み、萩尾氏も自叙伝を出すと聞いて、読んでみたいなと思っていたら、読んだ方から「ちょっと意外な内容で、かなり重たい気分になった」と聞いて、恐る恐る読み始めました。


ページ数ありますが、オンタイムで作品を読んできた読者である私には、時代背景や空気感がリアルに思い出され、懐かしさもあり、引き込まれていきます。

 

「意外な内容」というのは、同時代に描いていた二人が、一時大泉で同居までしていた二人が、どうやって没交渉になったかその経緯でした。

コロナ下の時間、なろう系を読み込んでる私には、悪役令嬢の断罪ざまぁ的な「イベント」を傍観した気分もあり、前評判ほど暗さも感じず、ただこれを書いて萩尾氏がスッキリできたはずもないのは分かる。

 

文中にもありましたが、本人同士がそれ以降弁明しあうことなく、萩尾氏に至っては接点を持たないように掲載誌を選んだりもしています。没交渉のまま今に至るため、萩尾氏的は「どうしてかは分からない」でも、周りの人が感じていたことや、周りの人が竹宮氏増山氏を見ていて知り得たことが、その方の解釈を伴い萩尾氏に伝わる事もあり、多分そういうことかなと解釈つけて、自分の中では始末をつけて、分からないのは分からないままなんだけど、自分の作家人生を歩んできたよ、的な。

 

分からないながら、萩尾氏は本能で傷つき、きっと自分が悪いからなんだろうとまず自分を責めます。相手があることだし、自分だけ悪いなんてありえないと思いますが、若い心は自分を追い込みがち。ストレスからくる心身不調、自分ではどうしようもない状態、私も燃え尽き症候群や鬱の経験がありますから、辛かったろうなと思い入れてしまいました。

私は小学校の時に、自分では何も出来ない事がもどかしく、世の中に絶望感しかなくて、老成した子供だったから周りの友達が幼過ぎて馴染めず、学校がつまらない。それなのに、あと何年も学校に通うのかと思ったらまた絶望が深まり、この苦しみからいつになったら解放されるのだろうかと、永遠に続くかのような辛さを感じたことがあります。若い時間は過ぎるのが遅い。1年が10年にも相当する感覚を私は知っているので、萩尾氏が50年抱え続けた思いの重さに、辛かったろうなと思い入れてしまうのです。

ひとつ思い浮かんだのは、世代の『奥ゆかしさ』

相手が悪くとも、心の中では罵詈雑言だとしても、外には相手を責める態度は出さないことが大事だった。萩尾氏は私よりも年上世代だから、余計と第三者にその気持ちを告げることが憚られた世代かなと。だからこそ、この内容、萩尾氏は思い切ったなと思って読みました。

萩尾氏が、理不尽な爆弾に被弾し、そこから立ち直るというより、解決も出来ない内容だから抱えたままで蓋をして、時間が薬で衝撃を薄めて忘れていく訳です。重しのようにぶら下がる過去の出来事に、納得もないから昇華もないまま。自分の人生がそんなものに引きずらる事への怒りもあったと思うんですが、文中からは伺えず。でも、折々かすめて辛かったろうなと思います。

 

その気持ちは、でもどこかに出ていたはずで、当時を知る友人でありマネージャーの城章子氏の文中で、岸裕子氏が「絵柄が変わったから。登場人物の目が怒ってたの」と記憶していたとありました。私は、そこまで明確ではありませんが、違和感として「変わった」と感じていまして、あれはそういうことだったのかも!とゾクゾク・・・

ある時から萩尾先生の作品は、中に入りたくても入れない膜が張られてる感じがしておりました。光る軌道を駆けていくような速度感もあって、膜の中には入れない、でも美しいから見ていたい、でも速いから置いて行かれそう、待って、待ってと才能のほとばしりが眩しくて怖いほどになったのが、ちょうどあの頃だったなとゾクゾク。

 

竹宮氏の自叙伝には、増山氏の存在がいかに大きかったか書かれていましたが、そういう存在に出会えた偶然が羨ましいなと思って読みました。高め合える同志、いいなと思いましたが、その陰で萩尾氏が二人の身勝手な思いに被弾していたとはと思うと複雑。

 

あの被弾イベントがなかったら、萩尾氏の作風はどんな変化をたどったのだろうか…考えても仕方ない話。スピリチュアル脳に「あれも今のあなたには必要な出来事だったんだよ」と言われたら、私なら「邪魔な荷物なだけで要らない!欲しいなんて言ってない!」と沸騰しちゃうと思うから、もうそれは考えないことにします。

 

私は『自分が頑張っても出来ない事を軽々とこなす才能』『かなわない才能』に出会った時の憧れや嫉妬や恐怖も体験済み。自分が竹宮氏ならと妄想しちゃうのですが、没交渉を貫いて、着々と萩尾望都の世界を構築し続けるのを見ては、突き刺さるような、焼けつくような気持ちを抱え続けたのではないかなと思うのです。そういう相手にこそ、認められたいと思うはず。

でも没交渉=無視され続けてきた訳でしょう?

それも自分と増山氏の一時の激情で凸ったことがきっかけで、本人達も覚めた頃には、あれ?ちょっと間違ったかもと思った後悔がやってきても、相手の萩尾氏が言い返して来たり、ギャースカもめる方ならまだしも、静かに身を引いてしまったものだから、取り付く島を見失う。

竹宮氏の自叙伝は、きれいでした。美意識の高さに見合うように、頑張ってきた方だと思いますから、萩尾氏とのもの別れの経緯は、汚点扱いだと思うし、萩尾氏がどう反応するのかは時間が経つほどに怖くて仕方なかったろうなと思います。果たして、読んだだろうか。知り得る方法はありませんが、もし読んだとして「やっぱりな」って、思ったろうと妄想しております。

私からしたら素晴らしい才能達、出会った偶然は奇跡。

それぞれ偉業を成し遂げているけれど、傷が残っていることが運命のいたずら的皮肉に見えて、生きていくってどうしてこう棘が落ちてるものなんだろうかと思い、自分が蓋をして忘れてきた「理解できなかった人や感情」がよみがえってしまい、読後気分が落ちております。

 

まあでも、あんな凄い方でさえ何かしら抱えていたことを知り得たことは、生きることへの勇気をもらえた気にもなります。伯母から「いくつになっても悩みは生まれるし尽きないし悩む」と私をなだめたことがありまして、誰にも当てはまるもんだなと思えたら、大人だからこうあるべきという自分縛りが解け始めたのですが、またここでもその真理を垣間見た気分。人はその人が抱えられるだけの悩みを抱え、その悩みでその人を磨く。

 

もっと楽に生きられたらいいのに、そうならないようになってるみたい。とも思う。

 

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文中に木原敏江先生の名前を見た時に「摩利と慎吾」を思い出し、あの作品の終盤、私にとってはあまりに苦しい終わり方だったので、あの苦しさを思い出して叫びそうになったのに一番驚いてます(引きずってたらしい

 

あんなに一緒に育って成長してきた主人公達。いつしか摩利は慎吾に恋こがれ、慎吾は熱い友情は感じるも恋ではない。擦り合わない、すれ違い、大人になる過程で別々になり、戦争でどっちも死んじゃう。同時刻に死んだ二人の魂がそこで笑顔の再会(だったっけ?)

 

私は摩利の立場で読んでいたから、報われない恋を引きずり、好きな相手に好きな人が出来て追いかけていってしまうのを見守れるもんか!と思ったし、摩利の恋は叶っていないし、幸せな終わりに思えず、残っていたみたいです。あの当時、私も若いなりに片思いもしていたし。摩利の恋が性愛含みで余計複雑だったから、リアルの成就は難しい設定だからこそ、漫画の中ぐらいでは叶えてあげて欲しかったみたいです。

で、ひとしきり苦しい思いを思い出してみて、あのまま苦しい恋を抱えて、誰とも真実より添えず生きる時間は、摩利には地獄だったかもしれないなと思いました。死んで楽になれたのかもなと。

 

そして、死後の世界では、慎吾の魂と混じり合い一つになってしまえば、もう慎吾から選ばれなかった自分は無くなる。慎吾に愛されたいも無くなる。一つになれば自分しかいなくなるもの。だからいいんだ、なんてスピリチュアルっぽいことを考えたら、少し胸の苦しさが取れました。

 

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その言葉、誰得

私が開業した頃は、店員にあれこれと説明されるのがうざい、放っといて欲しいという風潮がありました。百貨店のような丁寧な接客が売りの店でさえ、張り付いてくる店員がストレスフルだのと評判悪かったものです。

店員を面倒な言葉を交わさずに買い物が出来る店が望まれているということで、「読ませて接客ゼロ、店と客がwin-win、POPを書け!ブログを書け!」的なビジネス本がたくさん出ていた記憶。派生で、手書きが温かみあがるとなれば、筆文字POPの書き方みたいなものまであった気がします。

(POPの書き方セミナー、筆文字メニューの書き方セミナーと、どんなことでもお金儲けの種に出来る人々に逞しさを感じたものです。あの頃、ああいったセミナーで稼いでいた方は、今もやってらっしゃるかしら…笑)

 

私もまだアラフォーで、感覚的にはそっち側だったから自分の店もそうあるべき、と思って見ておりました。

 

ところが、開業してみたら、江古田の皆さんは真逆で、よく知らないと良さも分からないとばかりに、お客様の方からあれこれと聞いてくるので会話するのが当たり前で、開業前のアレは何だったんだ、ぐらいのギャップ感。

 

「ごめんください~」→昭和な挨拶、久し振りに聞いたかも、死語かと思ってた、、、

「ちょっと見せてくださいね~」もう、嬉しくて「はいどうぞ!いらっしゃいませ!」

 

これが、中高年だけでなく20代30代もぱらぱらと使う方がいて、凄く救われたものです。

 

想像してみてください。

黙ってやってきて、黙って店内ぐるぐる歩き回り、黙って品物を触ったり、感情も見えないまま黙って帰っていく人…そんな方と空間を共有している間の私の緊張感(苦笑)そういうのを予想していたら、いい意味で裏切られ「見せてください」って笑顔でやって来られると、こちらも精一杯接客して差し上げたくなるじゃありませんか。

江古田で開業して、本当に良かったと思ったものです。

 

ところで、「見せてください」と似た言葉で「見るだけだけどいいですか?」と言いながら入ってくる方がたまにやって来ます。聞くたびに、微妙な心持ちになる嫌な言葉。

 

「買う気は無いが見たいので見せて」と私には聞こえるもので「そんなの嫌です、絶対ダメです」と言いたい(笑
だがしかし、言いたくても言える関係性ではないので「いいですよ」と肯定するしかないのです。

 

私の妄想では、「見せてください」はいい表現だなと思ったので真似してみたが、間違って本音だだもれな言葉使いとなり「見るだけ」が生まれたのではないかと思っております。残念ながら、お店側からすれば「この人と接する価値はあるのか?」と身構えさせる言葉使い。小売店はモノを売って儲けないと食べていけないお商売なのに、それを否定されるようなその言葉、呪いの言葉のようじゃないですか。

 

「見せてください」の方だって、本音では買う気が無い可能性大なんです。
買わないかもしれないという余白を残しながら、こちらへの興味を伝えているから、高度な言葉使いだと思います。

だって買うかどうか見て見ないと分からない、だから見るだけって何が悪いのと言われそうですが、

本音はいつでも、どこでも、何度でも、垂れ流していると人間関係の摩擦となります。だから大人は人を選んで本音と建て前を使い分けるのです。

 

飲食店の友達に「食べる気ない人はまず来ないから羨ましい」と言えば、

美容室や整体の友達に「予約商売ってサービス受けたい人しか来ないからいいな」と言えば、

「来て欲しい人や来て欲しい数が来る訳でもないんだから、おんなじだよ」と笑われます。


お商売に限らず、小売店にとっての「見るだけ」に相当する言葉使いでモヤッとする場面はあると思います。

みんながどこかで誰かに「言わなくてもいい言葉」を投げたり、投げられたりして、ちょっとずつ不愉快を貯めてるのはよろしくないと思います(爆発、キケンw

自分の言葉使いに少し気を付けること。

それで周りの人が気分よくひと時過ごせるなら、そこを頑張ってもいいと思います。

 

若い時は出会いも多いし、周りの人間関係が学校、仕事、趣味、などなど、チャンネル豊富なうちは、相手から刺激を受けたり、試行錯誤もするから自然と変化・改善されていく気がします。問題は、中高年。人間関係が固定化されて、新しいインプットが減ると、変化のきっかけが減りますからね。私も、50代半ばに差し掛かりましたから、気をつけないとなと思う今日この頃。

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ただ生きるだけでいいのかもな

植物展を見た後に、多肉植物が他の動植物にどんな影響を与える存在なのか、気になって調べております(まだ調べ中

植物展では、虫に蜜を与える代わりに虫を使って受粉する植物や、何かに寄生して光合成もせずに生きる植物の紹介がありました。

同じ空間、同じ環境で生きるもの同士は、本人が意識する/しないはあっても、何かしら関わり合う相手の存在が必要なのではないかと思うのです。

 

食物連鎖が存在するからには、生きとし生けるものは、誰かのためにある命。だから「自分ひとりでは生きていけないし、生かされている」という仏教的な考え方に馴染んでおります。

 

そもそも、多肉植物はどうしてこんな姿なのだろうかとググってみて、石のように見えるのは「石に擬態」しているのだと書いているサイトを見つけ、なるほどな~!とヒントをもらいました。

 

そのサイト「結晶美術館
画像がいいだけではなく、中の人の文章が楽しいので、暇な時に眺めまわして欲しい素敵サイトです。

 

この方、多肉植物をスライスして食べてみたとあり「食物としての利用」の可能性まで気付いてしまったわたくし。そっちの線も含めて、図書館のリファレンスに依頼中(他力本願

 

ところで、

リファレンスの結果が待ち遠しいなと思う間に、

「あれ?私もしかすると思い違いしているかもな」と浮かんだことがあります。

 

生き物は互いに影響し合って生きている前提でリファレンス依頼をした訳ですが、

生き物はそれぞれの種の保存、遺伝子を残すために生きているだけで、

他の植物や動物との関わりは花粉媒介などメリットがあるから関わるだけで、

自分だけがいかに命を繋いでいくか、それしかないのではなかろうかと思いついてしまったのです。

 

(私の設問設定がおかしいせいで、関連図書が見つからない可能性もありますね‥)

 

人間は、家族、友人、隣近所、同僚、社会と、自分の所属する集団との関わりの中で生きているから、誰かに好かれる、誰かの役に立つ、誰かに必要とされることが生きる必要条件のように感じていますが、十分条件でしかないのでは?と思いついてしまったのです。

 

ただ生まれるだけ、生きるだけ、生き延びるだけで、命の目的は達成なんじゃなかろうかと思いついてしまったのです。

スピリチュアル系の「ありのままでいい」は何だか欺瞞を含む言葉に思えていたわたくし。

だって、そのままで良くないから他人と衝突もする訳で、どこかしら譲ったり変えたりで社会生活を生きて来た経験から、何だか言葉足らずな表現に、現実をどうにも変えられないで困っている人が飛びついているように見えて、こういう言葉が返って人を遠回りさせるように感じていたのですが、私の解釈が間違っていたのかもなとも思いました。

 

 

生まれた意味、生きる意味。

無いものを探しても見つからない、自分探しは無いものがあると思うからいつまでも終わらない。ループから抜けた私だからこそ、ただ生きるだけいいという思い付きが、真理に思えて仕方ない。

 

最近、国としての枠が崩壊しかけているアフガニスタンのニュースを見てゾッとしています。タリバンの下では常に殺される予感と隣り合わせ。死にたくないから飛行機につかまって何とか出国したいと落下する様子を撮影した動画を見て、悲しくて涙が出ました。どんなに悲惨な環境や情勢になろうとも、その土地に居る人はそこから出られないなら、そこで生きていくしかない。

 

アメリカの撤退はアメリカの都合を思えば正しいと思います。アフガニスタンも、いつまでも自浄できずに賄賂や汚職がまかり通るような状態が続いてきたのだから、よそのうちの問題にアメリカはもう付き合いきれないと手を離した結果、自立できないアフガニスタンはあっという間にタリバンに制圧されてしまう。先日はISISの自爆テロの報道もあり、これから現地でどんな非道な事がイスラム原理主義の正義の下に行われるのか、暗澹たる気分になります。

 

多肉植物も、乾燥地帯で身動きできず進化して今に至る。

死に絶える前に、水が低きへ流れるがごとく、生き延びる方向を見つけてそちらへと進んでいけたらいいのだけれどと祈るばかり。

 

コロナが心配だろうが、日本は基本的に平和で安心して過ごせる国。

なんていい国に生まれたんだろうかと自分のラッキー具合を思います。

 

10年前、東日本大震災を契機に自分の生き方を変えたわたくし。

あれから10年目、コロナ下の世の中と多肉植物の生き方とアフガニスタンの崩壊をみながら次の生き方に思いを巡らしております。簡単に答えに行きつけずグルグルしておりますが、目的を設定せず、ただ生きるだけでもいいのかもなと、自分のこれまでの人生で培った地力を信じて生きてみるでもいいのかもなと思い始めております。

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龍とそばかすの姫

※ネタバレガンガンです。

 

散文的な感想。 

 

丸めた表現やファンタジーでミラクルな展開で、夏休みの中高生向けの映画っぽい。

 

同じ監督の作品『おおかみこどもの雨と雪』を見た時も、細かい描写というより、象徴や比喩を見つけ、推して計る感じだった。大筋は描くがディテールや解釈はぞれぞれに考えさせるような、その人の心の中にあるものが反応する、余白のある表現を心掛けている方なのかなと思う。

 

1から10まで説明して欲しい人には無理な映画かもな。

5なり8なりで、分からない部分があるとしても、相手の全部は分からないものだし、自分の全部を知って欲しくても伝えられるものでもないと分かっていれば、そんなもんかと思えるんじゃなかろうか。少し優しい目で見ないと理解が追い付かない映画かもしれない。

伝えたい内容は分かるのに、好き嫌いがはっきり分かれそうだと思った。

 

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主人公、「え~!?」「わ~!」「あ~!」って感嘆符だらけの声の演技が多い序盤、何だか必要以上にわーわーうるさい気がしてイライラしっ放し。

でも、母親を亡くしたいきさつや、父との関係性、学校での立ち位置と、現状把握が終わる頃、自分の思春期を思い出した。

 

自信はないがプライドが高い。

他者の評価が気になる。

思い込みが激しく、妄想と現実がないまぜ。

繊細で些細なことで傷つく。臆病。

自分を憐れむ。他者に厳しい。

純粋で優しい。

愛し愛される相手を夢見る。

自由になりたい、いま不自由だと苦しく思う。

誰もが凄いと思うような何者かになりたいと夢見がち。

ほんとうは○○したいのに出来ない自分に対する劣等感(明日から本気出す

 

いろいろ浮かんできて、理解不能な不安定な存在が思春期だったなと思い出す。

自分を的確に客観視する言葉を持たず、言いようのない気持ちを抱えて時々叫びたくなったり、叫ぶ代わりに泣いてみたり。支離滅裂。

ああ、そうだったなと思い出せたら、友達とのやり取りでは常に感嘆符だらけの声がすとんと来たし、声を発しない父親とのやり取りやひとりの時間との

対比も明確になってきて、演出の味を感じる。

 

「U」の世界観も面白く感じた。私の世代は、固定電話から携帯電話、携帯の小型化、スマホへと、進化の過程を短いスパンで見てきているから、いつかやってくる未来として現実味を感じる。もし実現したら、私もUに登録したい(笑

いまあるSNSの問題点がコンパクトに表現されていて、それが前提となり、多くを語らずともUで見かける出来事や主人公の身に起こる出来事が腑に落ちる一方、もう一人の主人公の竜の謎が深まる感じで、うまい作りだなと感心。

竜の正体が分かった時に、予想を外してたもので、そういうことか!とハッとした。
現実世界に対して、Uは仮想空間だからファンタジーの世界。虐待の暴力が、アバターの背中の痣模様に変換されて増える、苦しむ様子とか、ああそういう事だったのかと分かったらどこか痛む感覚を覚え、切なくなった。

 

現実世界とUという仮想空間、ファンタジーの世界との行ったり来たりで話が進むのだが、徐々に現実世界側もファンタジー的な展開になっていって、竜の正体を見つけて、竜に自分を信じてもらうために身バレして、ちょっとの映像資料から場所特定し、深夜バスで高校生の女子ひとりで東京へ行かせる大人達に、それで竜に再会して竜の虐待父と対決、帰宅し自分の父親と歩み寄る…ちょっと都合がよすぎる。

 

リアリティ崩壊な妄想過多展開に違和感。

大人の脳内補正で「きっとこういう事」と飲み込む。

だって、きっと最後は幸せに終わらせたいのは見えてるし、端折ってるんだと明らかなので、未回収で気持ち悪いと言いたいが最低限「こうなればいいのに」という方向へ持っていってくれたからヨシとする。

 

深夜バスで一人で上京というのは、変だけど、私的にはネット上の誰かに呼びかけ、誰かが動いてみんなで繋がって助けられたね、という解決だと、自分で一歩が踏み出せず変われずこもってしまっている主人公が、本当に変われないからダメな方法だと思うので、不自然だろうがあれがベストだと思った。

 

失敗を恐れず、何も得られないかもしれなくてもいいから、まず行動することでしか得られないものは多い。机上の空論は役に立たない。汚れたり、疲れたり、しんどい経験の先に見つけたものの手応えの大きさが自信になる、身につく。

 

だいたい、事実は小説より奇なりな人生は普通の人でも結構ある話で、個人商店やってて人の身の上話をたくさん聞く立場になったら、その事に驚いたし、普通の人が一番面白いと思うようになった。だから、不自然だと思ったが、私の中では、起こりうる可能性のある現実でもあり、ベストに思えた。

 

すずにフォーカスするだけではなく、竜のターン、弟君のターン、黙って見守る父親のターン、と個々にフォーカスした表現したバージョンも見てみたい。弟君がさらっとした脇役だったけど、小さい子ながら虐待父への思いや亡くなった母への思いや兄を助けたい思いや弱い自分に対する思いもあったと思う。思えば、すずも複雑だけど、竜兄弟も複雑。すずはそれでも愛されて守られているが、竜兄弟は逆、虐待生活。対比は対比としてもっと表現しても良かったなと思う。

 

ああそうか、すずは、自分が愛されて守られている事を知っているのに孤独だったんだろうな。竜に自分と同じ可哀そうな部分を見つけちゃったんだろうな。どんどん妄想膨らむ(笑

 

音楽は、歌は、凄く上手で聞き入ってしまった。

また素敵な歌手を見つけられてうれしい。

中村佳穂さんの声の色の美しさは誰かに似ていると思ったら、宇多田ヒカルさんのデビュー当時を思い出した。他にない艶感、伸びやかさ、当時同年代の誰とも似ていない、誰よりも引き込まれた色だった。あの時の引き付けられた感じと、中村佳穂さんに対する感動は似ている。

 

歌詞もストーリーの解説に凄く役立つ。

私は残念ながら音楽が流れている時は言葉も音として捉えちゃうので意味が入って来ないという特殊スキルの持ち主。歌詞はテキストとして眺めてやっと理解。「歌よ導いて、どんなことが起きてもいい」今足踏みしている自分の状態は、例え悪くなろうが違う自分違う世界が見たい、維持よりマシって思うほど今が苦しいってことか。 

 

後で、HPを見て、ヒロちゃんが幾多りらさんだったと知り、キャラそのもの、上手だったな~と納得。歌唱力の高さ、間の取り方の天才的なうまさ、それがそのまま声の演技にも出てたなと思う。ルカちゃんの玉城ティナさんも素敵だった。優しい声。安心感ある。

 

私はあの中で一番友達になりたいのはカミシン。

私は迷路のような思春期だったから、自分のやりたい事がはっきりしていて直線的に向かう明るさが羨ましかったから。

 

しのぶくんは学校のアイドルだけど、若いのに老成しすぎてるな。小学校の頃からおかんのように見守り続けてきたけど、そろそろ本気出す的なかもされると、執着心強そうな男に見えて、二次創作的なこと考えて笑った。

 

まあ、みんな幸せになる方向へ。

観客の側も、いろいろあるだろうけど、問題乗り越えて、みんなで乗り越えて、幸せの方向へ。

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植物 地球を支える仲間たち

上野・国立博物館でやっている特別展「植物 地球を支える仲間たち

何の気なしに見ているだけで4時間近く経っていて、びっくりしました。そのぐらい楽しめました。

夏休みの子供を意識したような展示紹介は分かりやすく、一方で、解説が非常に簡略的なもので、何で?どゆこと?がとめどなくわいてきたもので、後日図書館で関連図書探そうと思い、疑問メモを取りながらの見学。

知りたいという欲求、知識欲、とても心地よい刺激。

 

最近は、撮影可の展示が多いので、メモ代わりに撮影できるのはとても便利。

 

入場数を制限しているので、どの展示も人垣が薄いからじっくり見る事が出来、同行した友人と、気付いた事を話し合ったり、楽しかったもので、トイレ休憩したいと足を止めた時に時計を見て、入場から3時間過ぎているのを知り驚愕です。

 

それほど楽しくて、時を忘れていた訳です。

 

日本では見られない植物ばかりなので、産地はどこか、その立地からどんな気候かを思い出して解説を読んだり、妄想したり(笑

繁殖戦略や進化や分化の流れ辺りを知るのは大人も楽しめるはず。

食虫植物はいろんな属が進化の試行錯誤で食虫という方向性へたどり着いてるとか、近い属でもないみたいだから、どうして同じ結果を目指すに至ったのか、過程を研究している方もいるのだろうな…何しろ果てしない分野だな~と思い始めた頃、展示の終盤に研究者の紹介コーナーがあって、密かに感動して涙ぐんでしまいました。

不思議だな、知りたいなと思った事柄、着眼点がみなさん独創的。
社会的な有用性は分からないものもありますが、でも経済的に有用かどうかは学問としては意味を成さないんだと思います。生命の不思議、進化の不思議、知りたい、解き明かしたい、分からないままで生活は出来ますが、分からない事が分かった時に、そこに光が当たってその更に先が見えてくる、そんなイメージが浮かんできました。

 
学問て、専門だけ、専門バカでいられることは現実的ではないと分かります。

関連する事象の網羅性が必要で、総合的な知識がなければ、専門性の深掘りもできない。どれだけやっても終わりが見えない、学問の深い沼を感じてしまう(苦笑)

 

成果が目に見える形になるまでの時間を予測しようがないような研究も多いだろうなと思うのです。植物相手だと、1年に1回、数年に1回しか実験の結果が明らかにならないものもありそうですしね。

 

私にとっては、モチベーションを維持するのが難しい仕事に見えるのですが、こういう仕事が大好きで、こんな事が分かったら面白いし凄いよね!と続ける誰かの存在に多様性を感じ、だから人類は発展してきたんだろうなと思ったり。

 

私は大学の時に都市計画について勉強していましたが、結果が出るまでに自分の人生だけでは足りないかもしれないと思ったら、やった成果がすぐ見える仕事をしたいなと思ってメーカーに就職しインテリア関係の設計を選びました。

 

私と同じ感覚の人ばかりだと、判明しない謎がずーっと謎のままの気がします。

 

私には出来ないことをやってくれている研究職のみなさんが、とても有難い存在のように思いました。

そして、それぞれの方がいやいやでは続けきれない研究をしている辺りに、夢と希望を感じます。

研究職をもっと応援するべきじゃないかなと素直に思った次第。

 

 

地球を支える仲間たち、というタイトルが、植物と研究者の二重の意味に思えました。

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開く方へGO

きれいに晴れた夏空の日、上野・国立博物館でやっている特別展「植物 地球を支える仲間たち」を見てきました。

 

こういう青い空を見ていると、吸い込まれて空へ飛んでいけそうな気分になります。どうも、心がここではないどこかへ行きたがっている今日この頃。

 

こういう予兆は人生の中で何度かやってきたもので、箱を借りてお商売している私には結構危険な予兆。このまま自分が欲する何かがここで見当たらないと確信してしまったら最後、今まではその時の全てを力の限り切り離して、退職したり、転職したり、引っ越したりという恐ろしく労力とエネルギーを使うライフイベントを引き起こしてきたんです。

心が次の未来へ引っ張られて、古くなった場所にもういられない、居ても立っても居られない精神状態になっていくという厄介な人生の癖(へき)を抱えている自覚あり。

 

弱小個人商店を構えるに当たり、『場所に縛られることが障害にならないか』が最後まで踏ん切りつかない悩みのひとつでした。

 

これまで就いた仕事は、国内・海外とも出張が多い仕事で、長距離を移動する感覚がとても好きでした。空間的に広がっていく方向性、ミクロよりマクロな方向性が好きでした。でも結局どれも嫌になって辞めちゃった訳で、次は違うやり方で幸せになろうと決めて自営業始めたんだろう?と自問自答。今回は手元に残したまま、新しい何かを手に入れるように、人生の悪癖をひとつ減じることを頑張ってみようと思ったり。

 

待ち合わせの池袋改札。

「いつもと違う角度から眺めてみたら、面白いな…」なんて、飽きず眺めてしまう。

 

コロナのある生活になって、不要不急の外出をしなくなり、友達と会う事も減り、ひとり暮らしの自宅でボッチで静かに過ごし続けるうちに、繰り返す同じ景色、メリハリのない時間のせいで、ちょっと普段と違う場所に身を置くだけで楽しいと感じる一方、

 

特段の感動もしない、心が動きにくくなっている自分に気付きます。

 

改札横の花屋の店先で見た事のない花色を見つけたものの、「ふ~ん…」って感じなんです。

コロナのある生活も1年半、当店にご来店のお客様にも変化を感じておりまして、生気がない目つきの方が増えた気がします。ぼんやりと、静かにゆっくり動いて、出ていく。

 

私自身が心が動きにくい、購買意欲が無いのだから、似たような方も多いかと自分では納得。だからこそ、その状態はやはり心的にはあまり良ろしくない状態ではないかと思い、どうしたらいいのかなと思い悩む日々、、、

自分が救われたいのは一番なんだけど、自分に関わる誰かも同じ様に救われて欲しい。個人商店10年やってみて、私の場合自分だけ良くてもダメで、周りの他人が良くないと幸せ度は実感しにくいし、度数も上がらないと判明しているので、範囲が広い悩みごとは複雑怪奇で答えが出ないので延々と悩むことになります。

でも、そうだな、今日の接客中に、ちょっとヒントが下りてきました。

『好きな事、楽しい事の話をする/聞いてあげる』

皆さん既に心の中に幸せな記憶は持っているので、それを引っ張り出せばいいのだけど、ひとりで引っ張り切れないなら、誰かが必要。私がお客様の誰かになればいい。私もついでに話して聞いてもらえばいい。

コロナで休業協力したり、時短営業したり、7月8月は暑さや強雨も手伝って臨時休業の方向へと、場を閉じる方向へ傾き続けていたと思います。

 

閉じるではなく、開く方向へ、やる事は同じように見えるとしても、マインドセットを変えてみようと思いました。それがちょっと嬉しい発見。

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風に秋の気配

出勤したら、ご近所の「えごたの山賊」さんと店の前ですれ違い近況報告。山賊さんは介護中で、まあハードな毎日なので、労う言葉しか出ない・・・言っても仕方がないもので、丸めて、大人もいろいろあるよね~という雑談。

 

子供の頃は、「大人はいいな、学校行かなくていいし、自由に決めて、自由に出来て」と思って羨ましかったものです。

 

大人になってみたら「子供は勉強だけしてればいいし、働かなくていいから楽で羨ましいよ」と思うこともあり、なってみたら、大人も楽じゃないというのが本音。

 

両方経験してみたから、子供だろうが大人だろうが、『今が楽しく幸せじゃない事が1番の不幸』に感じます。

 

みんな100%を求めている訳ではないんですけどね。ちょっとずつ不足感が積み重なって、足して100になる頃に、グッと落ちるのかもしれないな~とふと思い浮かびました。

 

どなた様も、100になる前に、少しでもきっかけ見つけて浮上できるといいな~なんて、風に秋の気配見つけておセンチ。

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シェフレラの実

隣の西村文具の駐輪場の片隅にうち捨てられているシェフレラに実がなっておりました。花が咲くまで20年以上必要ということで、初めて実を見た気がして、思わず撮影。

プラスチックの鉢をぶち破り根があふれ、丈もどんどん伸びて小山のようになっているこの株。剪定もしていないから、やたら葉が重なり茂り、西村さんは処分したいと思っているそうなのですが、こんだけ元気がいいと植物たりとも命を奪うのがしのびなく、放置し続けている模様。

「環さん、欲しかったらあげますよ」なんて言われて、「大きすぎるから結構です」と断った記憶。西村さんて、冗談好きなんです。

 

花言葉は「真面目」「実直」

西村文具にぴったりあっているように思います。

 

風水では安らぎや幸運を招くとされる植物ですから、こんなに育っているということは、西村文具は安泰ではなかろうか(笑

 

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変化朝顔展示会@日比谷公園

図書館で偶然見かけた「変化朝顔図鑑」で興味がわき、今年絶対行こうと狙っていた展示会。

生きている間に、自分のやりたいこと、夢はどんどん叶えていくつもりで生きてきたはずなのですが、コロナ以降、出掛ける事や人に会う事を遠慮し続けているわたくし。コロナに遠慮し過ぎてわたしという人間が枯れ果てる前に、ちょっと充電しに出掛けました。

有楽町の景色、久し振り。

 

緑あふれる公園を歩くのも久し振り。

 

展示会場は小さくて、飾り気もなしで、え?これだけ?と思ったのですが、眺め始めたら実にたくさんの種類が展示されているではありませんか。花色だけ似ているようでも、花に切れ込みが入っているもの、少しフリルになっているもの、葉の形、斑模様の入り方、反り返りの有無、大きさ等、並んでいる鉢のひとつひとつ、違いが分かると見応えを感じて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

生の植物の感触は、画像では味わえない何かがありまして、図鑑で見たあれだなと頭で分かっているのに新鮮な感動。

 

今は日本には元々なかった植物もたくさん流通しているので、ペチュニアっぽいな、なんて類推しちゃうのですが、朝顔「しか」ない江戸時代にこれだけの色数や模様などを目にした人々は、珍しいと感じたろうし、美しいなと思ったろうし、今の私が感じる以上の感動と驚きを感じていたんだろうなと妄想。

会場にいた方達の会話が、多分隣り合わせたもの同士が会話し始めている様子なのですが、好きなもの同士の用語や見どころを語り合っていて、聞いていて半分イミフながらも、その立て板に水なしゃべりややり取りが心地よく、こちらまで楽しい気分。お庭を見せて欲しいなと思うような会話でした。

種の販売もしていたのですが、朝顔の名前を見れば、どんな変化なのか分かるようになっているので、分かっている人は種の袋の表書きを見て「これこれ、これが欲しかった」と買っていくのですが、呪文のように漢字が並んでいるので、私にはさっぱりでした(笑

すぐに枯らす茶色い手のわたくしなので、欲しい種類が無かったので自分へのお土産は諦めました。また、来年、眺めにくればいいなと思って移動。

まだ午前中なので、いつもの問屋さんへ行く前に、銀座のギャラリーで虫をテーマにした「INSECT虫展」鑑賞。Twitterで流れてきた画像がとても美しかったのでメモってありまして、ちょうど会場したばかりなのか、私以外いなかったからスタッフの方に丁寧に解説してもらえたおかげで、裏話なども分かって面白かったです。

以前は当たり前だった「普通の自由」を浴びるように満喫したい、

好きな所へ好きな時にふらっと出掛けたい、

そんな自分の欲望を少しだけ満足させることが出来て、いい休日でした。

 

早く、日常が戻って、マスクのない世の中になって欲しいです(切実

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惰性とさよなら

星占いで、今年の7月中旬頃まで断捨離のタイミングとありました。

昨年は「モノの断捨離」を進めたわたくし。10年来、何か不便だけどまあいいかと過ごしてきたことを改善することが出来まして、まあまあ満足していたので、更に断捨離となると「習慣」の類しか思い浮かびませんで、休業協力中にあれこれ考えてみました。

例えば、飲酒。

味を楽しむという点で好きだし、酔っぱらうのも楽しいが、若い頃に比べると、飲んだ後に体調が悪くなることも増えました。

 

習慣なので、長らく続けてきたからには、その間にたくさんのいい記憶と紐づけがされているので、スパッと止めるところに気持ちが至らないのですが、減らしていくことは今も出来ているので、方向性として無理はなさそうだな…と、そんな感じで自分のお金と時間の使い方を振り返ってみました。

 

楽しさが勝るものは、残す。

惰性なら減らす、無くす。

必要性を感じており、実行頻度が高く、行動自体簡単なので苦痛ナッシング、相応の時間を割いているけれど、その結果が精神の充足感へあまり寄与していないものを洗い出してみたところ、『ニュースなど時事情報の検索と閲覧』が引っ掛かりました。

 

前から薄々感じていたことで、筆者の論説を体系立てて読んで考察できる読書で得られる情報と異なり、時事ネタは有象無象が氾濫しているので、1つのニュースについて10読んで全体像がつかめる時もあれば、50読んでも輪郭しか見えない時もある。


事実以外に憶測飛ばしも多いし、もうそういうのを読み漁って考察するのが楽しいと感じていた時はそれで良かったけれども、コロナ絡みの情報に触れるうちに、自分の現実との乖離を感じて、知る意味がよく分からなくなってきているなと思いました。

 

コロナが怖い病気というのは事実なのでしょう。

よく分からないうちは闇雲に恐れるのも正しいと思いましたが、周り見渡しても感染した人が居ないのが私の世界、現実。

私自身も初期の頃のように何かに触れるたびにアルコール消毒していたのが、外から帰宅したり、飲む食べるタイミングでの消毒のみになりました。マスクは誰かと対面する時以外、徒歩移動の時は外しておりますし、それで罹患せず済んでおります。

 

数が増えたろうがわたくしの現実を表すものではなく、何だかそんな情報を日々検索しては暗い気持ちになっていることが無駄に思えているのに、流通している情報数が多いから、日々目にしちゃうんですよね。それを、意識的にカットしてみました。

当たり前ですがフリータイム増加。

空いた時間は、生産性がなかろうが、やりたいことに使って満足。

最初は、いつものインターフェイス、いつもの顔、いつもの音声が無いことで、少し手持ち無沙汰も感じましたが、慣れてしまった今思うのが、

 

誰かの考えや分析、思いを一方的に聞くのは、疲れるんですよね。

会話なら、エネルギー交換できるから長時間話していてもいいのです。

楽しめますから充足感あります。

でも、文字情報、音声情報、動画、一方通行の情報は、疲れる。

 

今回の断捨離の本質は、疲れることを止める、だったのかもしれません。

自分なりの正解を得られた気がして、満足しております。

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えこだぬき、増殖中

この季節の江古田のお楽しみ『えこだぬき祭り』始まってます。

 

たぬきは、他を抜く、立身出世や商売繁盛に掛かる縁起物。

 

えこだぬきは、妖精やもののけ、付喪神のような存在だと思ってください(設定)

 

ひとつひとつ、形や大きさ、顔も違います。

 

この子がいいなとピンときたら、ぜひ連れ帰ってください。

 

この子と一緒にいるといいことがありそう、なんて気は心、望むことを引き寄せる人の習性を使って、ぜひラッキーを引き寄せて。

 

内緒ですが、えこだぬきのトップブリーダーは、近所のデザイン事務所「虎の子屋」さん。

 

たくさんの方に幸あれと、えこだぬき量産に向けて河原に小石を拾いにいったり、涙ぐましい裏方仕事…

 

近所の小学生達がえこだぬき探しで商店街を走り回るようになると、おばちゃんも楽しんで、宝探しモードでえこだぬきを物陰に隠し置くのです(笑

 

探しものが見つかると、うれしいじゃあーりませんか(決して意地悪ではない(たぶん

皆様も、ぜひ商店街のお店の軒先や店内を、気をつけて見てみてくださいね。

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雑感

梅雨の雨はどこへ行ったんでしょうか(暑い

 

夜のパート仕事、帰宅時間が深夜になるせいで睡眠時間と睡眠の質が今一つ不満足な日々。5月の緊急事態宣言への協力休業は、ちょうどいい休み時のはずだったんですが、パートは継続していたから、夜中働いて明け方寝付くリズムは変わらず。

 

好きなだけ眠り続けてもいいと思っても、明るい時間帯はすぐ目が覚めてしまい、深く長く眠れずに困りました。あれ?これはもしかして、年寄りが眠れないとボヤくあれか?と思ったりして。

 

眠りの質が落ちると、疲れもとれないし、気持ちが後ろ向きになりがち。5月の私は、美味しいものもよりも、娯楽よりも、趣味よりも、深く静かに眠りたい欲が強かった。コロナ前は、マズローでいうと「自己実現欲求」辺りにいたはずが、生理的欲求の満足まで落ちてしまった(笑

 

そんなだから、休店日に出掛ける意欲が減退。

この外へ向かない状態は、私の場合危険なかおり。
鬱っぽくなっていくと、自力で立ち直りにくくなるレベルというのがあって、間もなくそうなりそうな嫌な予感。

 

神様はそんな私に助け船。
新屋山神社参拝の日帰り遠足の話が舞い込み、「行くことで潮目が変わりますように」と気乗りしないまま出掛けることに。誘ってくれた方には申し訳ないが、車中でようやく「ああ、来て良かったな」と気持ちが上向きました(笑


山の木々を見たり、

葉擦れの音を聞いたり、

下界より冷たい空気を吸ったり、

鳥の鳴き声、蝶の飛ぶ姿、川の水が流れる様子、全部変哲ないけれど美しくて良かった。

戻ってきて、緊急事態宣言の条件緩和で6月から営業再開が決まり、最初の1週間は立ち仕事のリズムを取り戻せず、足腰がくたびれて大変でした。

 

江古田の商店街やスーパーで買い物をしている人達の様子を見ると、手指消毒せずに行って帰る人の増えたこと。緊急事態宣言の要請に乗っかっていられるかとばかりに、お酒を出す店も増えました。みんな、体感では、もう制限解除に向かって行動が変わってきている。

正直、東日本大震災の頃と比べて、何やっても誰かが反対しては停滞させる、何かといえば政府や行政を責める、ぐだぐだでまとまりのない状態に失望したりもしましたが、誰もがその不快感を感じていたはずで、問題意識は持っただろうから、喉元過ぎても熱さを忘れなければ、日本の社会システムは改善できるのではないかと思って、少し期待も出来る。

営業再開して10日経っても店頭売り上げが10万に満たない厳しさ。

単純に3倍して月商予測すると、生きていけない(苦笑

来店数の減少、客単価の減少、

シュリンクしまくっている現状、

どうしたらいいものやら。

 

対策を導くほどの情報も手にしていないもので、こういう時はジッと待つ。

座禅的な修行の心で日々を過ごす。それしか出来ない。

今一番心掛けていることが、コロナの理不尽や世の中の不条理に当てられて、変な人生訓を持たないようにすること。どうにもならないことだからと諦めたり思考停止する癖をつけないようにすること。変な思い癖を捨てること。捨てること。捨てること。

捨てても捨てても浮かぶしつこさ(苦笑
中々、しぶとい。

 

このぐらい、人は繰り返すし、新しくならないものなのかも。

前の暮らし方が好きだった人は、緩めばまた戻るだろうし、そういうこと。

やはり、待って人々の世の中の変化を見てから考えるしかないので、今は座禅、瞑想。

 

直近の休店日、すぐ引きこもりたがる心を叱咤激励で大泉まで「シドニアの騎士あいつむぐほし」を見に行きました。

 

たった3人しかいない、それも40代50代男性が2名、

その3人で思わず涙したり高揚したり、共感できたと思う。

言葉を交わさずとも、何となく場の空気でそう感じられた訳ですが、

 

こんなこじんまりした規模から、繋がりを楽しむことを始め直しているような気分で、

今の私と私の店は「そういうサイクル」「そういうタイミング」なんだと自己暗示。

小さい細い繋がりでも、暖かくて楽しかったじゃないか、みたいな。

もっかい、積み重ねろってことなんだろう、みたいな。

 

元には戻らないだろうと自分では思っている。

なら一から始めるしかないのも分かっているのだけど、10年積み重ねてきたつもりだったから、また一からってところに始める前から疲れているんだろうと思う。

映画、良かったです。
コロナのように、理不尽で不条理なガウナと戦う人間達の話ですから、そこら辺からも感情移入してしまったかな。

 

長道もつむぎも、設定上は不老不死体。

でも本人達は体が丈夫、修復早いぐらいのイメージで生きているようにも見える。

二人の望む幸せな生活が結構アナログなのが私には安心ネタ。

おとぎ話のように、繰り返す優しい日々だといい。

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私はこうして世界を理解できるようになった

『FACTFULNESS』著者のハンス・ロスリング氏の自叙伝。

『FACTFULNESS』を図書館予約しようとしたら、凄い予約件数だったもので、こちらを先に読んでみました。

癌を患っていて、自分の人生の時間の都合もあって予定を早めてこれを書いたとあって、ちょっとしんみり気分で読み始めました。病気を無くしたいと頑張る方も、病に倒れる。人生の不条理…

『FACTFULNESS』は整理された内容で、ある目的を順序だてて伝えるための文章になっているだろうと予想されるのですが、

こちらは自叙伝なので、ロスリング氏の人生を時系列的に追いかけることになり、訳文ということもあるから、外国人らしい表現方法なのか、最初は冗長感があって読むのが辛かった~(笑

『FACTFULNESS』は話題図書らしい、ぐらいでロスリング氏の著作を読んでみようという動機だったもので、大人になったロスリング氏の思考について興味はあったが、ロスリング氏の生まれや育ちに興味が無かったから、最初は冗長に感じても仕方ない(笑

 

大学生の辺りから段々と、ロスリング氏の人柄が好きになってきます。
自分の興味や疑問に対して素直だし、簡単に投げ出さないし、ひとつ分かると次を知りたくなる探究心。理性的で、感情と切り分けて考えるべき時にはそうする。

モザンビークでの医療従事で直面する様々な出来事は強烈。
人々の価値観も異なるし、求められる医療とロスリング氏が提供したい医療レベルとの格差もあったろうし、困惑することも多かったろう。

 

スウェーデンでは非常識と思われるやり方でも、ここで出来る最善の方法ならやるべきという判断に至ったり、こんなに簡単に人が死んでしまう土地では、出来るだけたくさんの患者を生かすよう救う事が優先ではないかといった、相対的価値観で医療のあり方を考え始める辺りで何ともやるせない気持ちになりながら、ロスリング氏に共感しました。

ロスリング氏だってその考えを受け入れる事に葛藤したはずで、そこは事細かに描かれていないから見えにくいのだけれど、普通に考えたら違う価値観を受け入れることの難しさは想像に難くない。自分の常識が通用しない事に傷ついたろうし、そんな現実が当たり前の人々を思って切なくなったことだろう。何とかしたいと思えばこそ、自分の無力さに落ち込んだろうなと思うと、淡々とした文章に涙しました。

 

共著者のファニー・ヘルエスタム氏があとがきを書いているのですが、そこには本文ではあまり見えてこなかったロスリング氏の怒り、悲しみ、みたいな感情もちょっとうかがい知れまして、やっぱりロスリング氏は何度も何度も、恐ろしいほど打ちのめされたし、その際の彼の痛み方が激痛だったと確信が持て、「この不条理を何とかしなくては」と対決しようとする動機にもなったのだろうなと思います。

大学で教えていた頃のエピソード。

途上国、貧困国の医療はきっと○○という思い込みからスタートすると、間違ったルートで間違った答えにたどり着く。個々人の感情が勝ると、数字という事実からも目を背けるようになる。怖いことだけれど、日常茶飯事。特に、私ぐらいの年になると、社会生活の範囲や出会う人に変化が乏しくなりがちで、そうすると新しい事実を知り自分をアップデートする頻度が緩慢になるのでほんと日常茶飯事。

 

ダボス会議、エボラ出血熱のエピソード。

どんな未来を創造したいか、ビジョンの持ち方が大事だなと感じました。事実に基づいて現状把握が出来ないといけないし、そのためには不確定な情報や伝聞に触れるよりは、定量的だったり定性的な情報に触れて考える事が大事(SNS発の情報に振り回されている場合ではない…

 

エボラの現場では、大国の援助は現地が望む援助と不一致な場合もあり、現地の希望へ変更することが難しい、出来ない事も多い。大国といわず、他者が差し伸べる手は、案外そんなものなのかもしれないですね。

私だって思惑があって行動しているから、相手の思惑と対立することもあるだろうし、そういう時に譲歩したり、譲歩を勝ち取るためにも、お互いが思惑を挟む余地のない情報を元に落としどころを話し合うことから調和が始まるはず。

例えば思惑を1割捨てる、または5割捨てることで、

将来何倍ものメリットが得られると分かったら、その場の思惑を捨てられるだろうか。
(そういう視点で目先の損やリスクを取ることをあまりした事がない)

3年後、5年後、10年後、当初思っていた違った結果が好ましいものだと分かったら、思惑を捨てられるだろうか。

 

そもそも、3年後、5年後の変化の速度が加速している世界だから、情報のアップデートが劣ると予測も分析も出来やしない。今の自分は、劣化した情報を元にして思い悩んでいやしないか、そんなことを思いながら読んでいたのですが、

 

私ごときでもそこへ思い至るような世の中にはなってきているのです。

そこへ思いが至りました。

 

あとは、隠蔽、フェイク、切り取りをなくし、

公表される情報があれば、誰もがちゃんと考えて判断できると信じたい。


エピローグ、エチオピアで開催された会議の場で、現地のリーダーから「あなたの見ている未来、ビジョンはまだまだ甘い」的な事を言われて狼狽する場面が書かれていました。

ズレてるよあんた、という話ではなくて、
現地現場の困っている人々は、一番切実ゆえに変化の速度を加速させたいと願い行動しているんだと受け取れば、未来は明るいし、外からの援助に頼り切るより、自分達で考え行動して成果をあげていくことは望ましいと思えました。

ロスリング氏でさえ、完璧ではなく、それを知っていればこそ精進も出来ると、このエピソードはロスリング氏が「倦まず弛まず歩みを止めず頑張りましょう」と伝えてくれているようで、読後の余韻が心地よいエピソードでした。

『FACTFULNESS』も読んでみたいと思います。

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天手力雄命~取っ払う神様

コロナがここまで長引くとは…

専門家の意見にばらつきがあるし、政府や行政のやり方にも疑問を感じるとなって、私は何を信じていいのか、本当に分からなくなり、世の中が虚しく見えて仕方ないなと落ち込んでいた3月頃。

実家に帰るなんて、何か夢のまた夢。

それは、社会的な空気感と実家家族から感じる空気感もある。実家は実家で、関わる周囲の人達がいるから、コロナに関しては神経質。

 

そしてそれがまたわたくしには息苦しく、悲しかった。

 

一人旅なら、どこかへ息抜きに出掛けられるだろうかと思ったけれど、何も浮かばない自分。自分が思った以上に空虚になってしまっていることに気付き、これは危ないと思いました。

大体、こういう時には神社参拝するわたくし。

神前で手を合わせることは、うそ偽りのない言葉で自分と語るひと時。

 

今まで参拝したことがある神様を思い浮かべるも、ピンとこないので、呼んでくれる神様を探してググってみたところ、

 

目に飛び込んできたのが『天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)』

天岩戸神話に出て来る神様。

 

弟神の須佐之男命(すさのおのみこと)の気のままに繰り返される乱暴狼藉に頭を抱えた天照大御神(あまてらすおおみかみ)、止めても聞かぬ弟神。自分の治める国が乱れていく。惨状広がる様子を見て、天照大御神は、何だかもう、全部嫌になっちゃったんでしょうね。やってられるか!と切れて、天岩戸に引きこもりたくなる気持ちも理解できるというもの。

 

コロナという乱暴者に、抗うすべなく翻弄されて疲れ果てているわたくしと、天照大御神が重なる思いです(苦笑

さて神話では、神々が相談し、何とか岩戸からお出ましいただく作戦を決行。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)が、一節にはストリップのような舞で外野を熱狂させ、その音を聞きつけて天照大御神が外をのぞこうとした時に、岩戸に手を掛け持ち上げて、遠くの山へ投げ飛ばしたのが天手力雄命。

力持ちの神様と言われますが、あちらとこちらを隔てる障壁をとっぱらう神様とも言われます。

ああ、私はこの神様に会いに行く!と決めたのですが、戸隠神社にお祀りされていると知り、移動手段や宿泊先を決め、予約しようという段になり、「コロナだし、普段通りじゃないかもしれないな」と思い浮かび、社務所に電話。3月時点でまだ雪深く、閉鎖されている場所と知りました。

 

危うく行ってみたものの、何も出来ずにとんぼ返りするところでした。

きっと、神様が「今はまだ時期じゃないから!」と止めてくださったんだろうなと思います。

 

その後、ひょんなことから、老眼鏡を作ろうと行った先の近くにある『湯島天神』に天手力雄命がお祀りされていると知り、参拝。

この時も、神様が「ここに会いに来なさい」と流れを作ってくださったのだろうなと思い、訳もなく「大丈夫だ」と安心感をもらって帰宅。

一番心を曇らせるものは、自分の心の中で自分が生み出す闇だもの。
取っ払ってくださりまして、ありがとうございました。

 

私が天手力雄命からいただいた安心感を、皆様にもお裾分けしたく、
コロナ禍の今、不安を投げ飛ばして欲しいという願いを込めて、美彩さんに彫ってもらいました。

力持ちの神様なのでちょっといかついですが、その力強さで折れそうな心を支え、困難に立ち向かう心の強さを分けてくれるはず。

不安という壁を取っ払ってくれるはず。

明るい未来や希望の光を、届けてくれるはずです。

※お迎えしたい方は【こちら】

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数学的思考トレーニング

簡単に答えが出ない迷いごとは、悩み方が間違っているような気がして読んでみた本。私が感情過多で悩んでいる事に気付けたし、感情に振り回されると正しい選択肢さえ見出せないと思いました。

 

中学、高校と「数学を勉強するとこういう時に便利」という事例を先生が導入で話してくれましたが、こういう時にはこの数式使えば「計算が出来る」という内容だったと思います。

 

受験数学は計算のパターンを覚えるだけだったし、社会に出たら電卓使い放題で、公式だって忘れ放題です(数学の必要性薄れる

 

20代の私は「学校で習ったものは社会に出て役に立った試しが無い」とまで言い放っていました(恥 なに、偉そうに、、、

 

この本によると、数学は数を扱うけれど、数以前の『思考方法の訓練』なんだとか。

『はじめに』と『おわりに』がとても印象的な本です。

「正解探し」をやめませんか?

正解なんてそもそも存在しない。

 

日々変化する社会、価値観も変化。

新型コロナが騒がれ始めて以来、この前までの当たり前の暮らし方が変わってしまったのを目の当たりにすると、自他の環境や条件が刻々と変わるなら

 

●「自ら深く、正しく、考える力」が必要で、

「今や正解は探すものではなく、自分で作るもの」

 

「こうすると、こうなるな」的な、「多分きっとそう」的な答えを導き出せたら、人は具体的な行動イメージがわいて、次へ進めるものですよね。この時に、自分と似たことを経験した人の成功体験を参考にして、自分もそうやればうまく行くはずだと思いくなるんですが、それなら全員その問題をクリアしているはずで、その問題は問題として存在していないはず。問題が残り続けて、今回は自分の身に降りかかってきたならば、他者を真似て解決できるなら良し、それで解決できないなら、そこからは、自分なりの解決方法を模索しなければいけないということ。

 

分からない問題の答えを探すのは、しんどいものです。考えている最中はモヤモヤするし、これは自分で解ける問題かさえも分からない気分になっていると、余計としんどいです。だから、答えを導き出す過程、思考の仕方を訓練するのが数学の役割。

 

●数学的思考とは、

まず定義する、問いを立てる質問力、動機だったり自分の求める結果を明確にする。

そして分析する。分析とは物事を把握すること(分解と比較)

それを体系化する。体系化とは、○○はこんな内容だよねと概念化(構造化とモデル化)

 

ぼんやり思い悩んでいる状態→問題は絡み合っていて、答えを出しかねる状態。

悩みや迷いの元を、分解して単純化する。

仮定だから、不可分の領域と思っていることさえも、試しにいくらでも分解してみたらいい。

 

もしも、仮に、と妄想する力って大事だな~と改めて思います。

思い込んでると、分解できるものが分解できないひと塊に思えて仕方ないですからね。

問題Aには、3つの解決方法があるが、それぞれを『例えば金銭的メリットが多い』のはどれか評価してみよう。

『心情、感情的にはどれが好ましいか』で評価してみよう。

 

多分、迷いが長い人は、この時点で損得なのか、心の満足なのか、自分の価値基準の優先をつけず悩んでいる気がします。

私の場合、「愛、信頼、楽しさ」この3点に反する事は長く続かないと経験則があって、損得は心の満足より下位の価値観と線引きが済んでいるので、判断のブレが少ないです。人生経験が少ない若い方でも、自分なりの経験値で、価値観の序列はつけられるはずですから、試しに一度「価値観リスト」を作成したり、「価値観の序列」をつけてみることを私はおすすめしたいです。折々で、内容や序列が変わっていくはずですが、その内自分が確立されていくほどに、変化は減っていくはずで、そうなると迷わなくていい問題は瞬殺できるようになっていくかも(かもしれない程度ですが、、、

 

●人生を変えたければ、定義を変える

真っ最中悩んでいる人には、これが出来なくて辛いはずです。

 

事例で出ていたのが、会社に搾取されていると思うのか、会社という基盤を利用して学んだり楽をしたり会社を搾取するために働くと考えるのか。無理~と打ち消したくなっちゃうのは感情が勝っている証拠だと思います。

 

いいこともあるはずと探す行為、結婚した後でこんな人だと思ってなかったと失望しながら、でもこんなところもあるなと相手を理解していくような、共有してきた時間分は、知っている事実があるんだし、きっと見つかるはずだと思います。

 

●問題を分解し、評価分析できたら、自分が解決できる事とできない事に分ける。

解決できない事は、どうするのか「決める」あとはやるだけ!

 

決めるところまでは納得感が必要だと思うけど、その後はその通りやってもうまくいくのかは分かりません。ここから先は勇気。

 

起業する時、テナント契約した時にスイッチが入り、そこからはジェットコースター。止まらない、やるしかない、と今に至ります。走り出す直前が一番ギアが重いけど、動き出すと、見えてくる景色がいろいろ教えてくれるので、次を決めやすくなる、決断が早くなる(というか、早くするしかなくなる)ので、そのサイクルに入った人は「人生が加速する」「引き寄せ力が強くなる」なんて感じるのかもしれません。

 

●勝ちたいと思った時は、比べることから逃げないで。

比較は差をはっきりさせる行為。

 

定性的な比較で評価しにくい時は、定量的な比較に変換するといい。

→「今の気分」という定性的なものを「10点満点で今のは5点」みたいな感じで評価するのもよくやっていますよね。

事例として、華がある人の「華」とは何かを定義。

華=自信×実績=努力の量、と著者は定義していましたが、私なりに/あなたなりにでこの定義は変わってもOKということです。

世界的な普遍で不変を目指す必要はないのです。私の人生、あなたの人生上で現実味のある定義をしていくことで、生きていけばいいという事かなと思いました。 

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休業延長中

起業10年目だし、コロナ自粛も1年越えて疲れたし、未経験から始めた個人商店の経営をよく頑張りましたねと、自分へのご褒美で月はひと月休むことにいたしました。

きっかけは緊急事態宣言ですが、根のところはそんな感じ。

 

当店、営業し続ける気満々だったので、緊急事態宣言発令直後、古物商が休業協力対象と知り、慌てて都庁の窓口に電話。

 

免許登録はしているが、実態は新品仕入れ商売であり、古物商ではないということを伝え、免許を持っているが休業協力しなくてもいいと確認が取れたので、ホッとしたのですが、ある事がきっかけで転びました。

 

Youtubeで見かけた動画で、大企業の中には、『休業した方が経費が掛からない』ので休んだ方が赤字がマシという会社がある、という内容を聞いたのです。そういう考え方もあるのか、と思って心に引っ掛かりました。

赤字は致命傷としか思えなかったので、『マシな赤字』という発想が今までありませんでしたから。

 

そこへ振り込まれた一時支援金、30万円。

お恥ずかしながら、2月と3月の売上が2019年度比で50%以下になり申請していた支援金が入金されたのです。

 

緊急事態宣言が出るようだと流れた途端、通販へのオーダーがピタッと止まっておりました。

市場は敏感で、何かあれば買い控えます。

 

店頭は、行くところがないからか、

入ってくる人数は日々増え続け、
店内が密になればなるほど人が集まる。

皆さん三密はどこへやらです。

(経験値で、ここまで罹患せずに来た事実が、自分の予防対策にお墨付きを与えますから、その結果が今の人々の行動になっている訳で、緩んでると指摘する向きもありますが、こうやって社会が最適化していくんだろうなと思ったりもするのですが・・・)

 

皆さん商品をながめて楽しんでくださいますが、

挙句が「じゃ、行こうか」と出て行く人ばかりで、

2月と3月に続いて4月もか、ってな感じでした。

 

心がきゅうきゅうして苦しかった4月。

気持ちが凄く疲れていると自覚がありました。
でも有給休暇なんて無いのが個人商店、自営業。

このままだと、心がカサついて、

いつもの接客なんて出来ない自覚があったもので、
入金された30万円と、買掛、売掛、固定費に経費、生活費…
電卓叩きながら、『いま休んで大丈夫な理由を探し』

仕入れをゼロにすれば、ひと月休んで持ち出す赤字はそれなりに出るが、すぐ潰れるほどではないと算出。『マシな赤字』という発想を初めて取り入れました。


ああ、コロナなんて掛かる時は掛かる、天に身を任せて普通にやっていけばいいと思っていたけれど、やっぱり一連のコロナ騒動はストレスだし、社会不安は確実に積み重なって、疲れ切ったな自分、という自覚。
思い切って休むことにした訳です。

最初、1週間も休めば気持ちが持ち直すかなと思っていたんですが、休み下手で、結局ほぼ毎日何かしらちょこっと雑務しに店に出勤する生活で、気が付くと作業が途中というのが気掛かりになるわで、全然気落ちが休まらない、、、、

2週間たって、少し休むのに慣れてきた気もするのですが、毎日誰かから用事があって仕事の電話が来るし、通販もパラパラ入れば発送業務もしないといけない。会う約束も入る。今日も紅茶屋さんの軒先販売にお付き合いしたり、納品受け取りで出勤で、何だかんだ日暮れまで店内で過ごす(ふぅ、、、

今一番やりたい事は、引きこもり(苦笑
じゃなきゃ、どっかホテルに長期滞在→誰かに環境整えてもらいながら、非日常を味わいたい。

こんな事を考えているようじゃ、まだ浮上しきてれいないなと思うので、本当は5/16から営業再開しようと思っていたのですが、『いっそ』の思いで、10年目の自分へのご褒美兼ねて、休業延長することにしました。

開業前に、2年間の失業期間を過ごしたわたくし。

長引かせないように、しないとなー(棒読みw

ほんと休むの下手。

ここからしばし、楽しいことだけやろう。

 

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みどりの日

遠出もあれだし、でもせっかくのお休みだから、普段は出歩けない昼間の時間帯を楽しみたくて、大泉学園のもんじゃ焼き「わらべ」へ。何度かわらべの交流会に参加していたので、オーナーの加藤氏とは面識もあり、気軽。のんびり食べたくて行ってきました。

私はお好み焼きはまだマシなんですが、粉もの全般、焼きが下手な自覚あり。

だから必ず同行者が焼いてくれます。

焼き上手のお友達に恵まれているわたくし。

 

わらべのもんじゃは味付けが美味しいんですよ。

出汁がきいていて、塩味が優しいので具材の味がはっきりしていて、種類違うものを頼めば違う味として楽しめる。

加藤さんが以前言っていたんですが、自分が経営を始めた時に、未経験者だから調理も自身は無い分、食材はいいものを出そうと決めたとか。先日26周年を迎えたばかりですから、もう未経験も何も無かろうと思いますが、今も食材はいいものを、という方針は変えず、おかげで美味しいお店。

わらべは、食事のテーマパーク、エンターテイメントのように「楽しい」を提供する場でありたいとも言っていたのですが、メニューひとつ見ても、目が迷うぐらいの賑やかさで、加えて、加藤さん本人とのやり取りが楽しいもので、地元の人気店だと思います。

加藤さんと他愛ない会話をするだけで、何かパワーもらった気分。

私はすぐ落ち込むし、ヨワヨワ、クヨクヨしがちなので、湿気飛ばししてもらえた気がしております。

今回一緒に行った友達も経営経験者なので、この自粛下の難しさに理解共感してくれるから、こちらもいいガス抜きが出来ました。


もんじゃの後は、大橋氏の個展鑑賞。

大橋さんは、焼き菓子屋の「大橋屋」で看板出していた頃に知り合い、開業時期が近いので今でもお付き合いがあるのですが、元々画家で、人生の寄り道で焼き菓子屋をやっていたところもあったから、寄り道を止めてお菓子屋→デッサン教室に商い替えをした時は、晴れやかな気持ちで残念がりました。

大橋さんのご実家は和菓子屋だとかで、門前の小僧習わぬ経を読むではないけれど、シンプルで美しい焼き菓子、美味しい焼き菓子を作っていたし、当店のお客様でもファンが多かった。特に子供が大橋屋の味が好きで、ひとつあげるともっと頂戴が凄かったですよ(笑

個展の時は、大橋屋の頃のお菓子をお茶請けに出してくれるので、それも楽しみのひとつ。今回も、あの味を再びで、ほっこりいたしました。

大橋さんの空間は、大橋さんの美意識が全体に及んでいるので、小さな植物ひとつとっても、意味がありそう。

 

この「意味がありそう」と感じる感性が、このところ弱っていたなと発見。

 

忙しく過ごしていると、ディテールが見えなくなってくるわたくし。

ディテールが見えなくなると、違いが分からなくなる。

違いが分からないことから、繰り返しに見えてくる。

段々、繰り返すことに意味があるのか、不毛に感じてくる。
意味の喪失が進むと、世界の色が褪せてきて、鬱っぽくなる流れ。

 

自らも世界の色のひとつ。

世界の色が褪せて見える時は、

翻ると自分の色がくすんでいる時なので、

自分メンテナンスに注力した方がいいタイミング(あとで久松湯へ行こうw

 

大橋さんの今回の作品タイトルは「浮上」。

淡いグラデーションの重なり、陰影で重なりを認識するも、その陰に透明感を感じる不思議な色合いで、水の中に水が沈み込んでいくような、そんなイメージが浮かぶ作品でした。静かにじっと眺めていると、ゲシュタルト崩壊し始めて、自重から解放される感覚が味わえる、不思議な作品でしたよ。

5/8まで開催。
大橋デッサン教室


みどりの日なので、つい道々咲いている花に目が留まる。

 

おしべがキレイなブラシ状で、見たことない。
でもはなのかたちはあやめ?と思いつつググったら、ジャーマンアイリスという種類だとか。

 

あやめ、菖蒲、杜若の区別がいつも曖昧で、

この季節になるたび、復習しています。

そしてまた忘れて曖昧になる、その繰り返し。

 

この場合の繰り返しは、私にとって大事な意味を持つ繰り返し。

今年も花が咲いたから出来る検索であり、

1年生き抜いた結果、今生きていることを確かめるような繰り返しですからね。

5/12営業再開に向けて、明日から仕事絡みの手入れもしていかなくちゃ・・・

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憲法記念日に寄せて

Twitterで連投した文章を転載。

 

タイムシフトで聞く早朝ラジオ。
憲法記念日とあって憲法改正の是非アンケートが話題に。

改正賛成が反対を上回ったそうで、コロナでどこへも行かないイベント無い生活の中で、普段関心の無かった事柄へ意識が向いた結果かも。

法治国家だからそ、憲法や法律に縛られていると意識出来れば、改善したくなるはず。

 

九条守れとか、正直ついていけない。

守った結果、今の中国の尖閣詣出は無くならないし、北朝鮮は国益のために核兵器を開発する。

 

昔から国同士は、自国の国益のためには他国の不利益になろうがお構い無し。歴史を学べば、守るべきは九条ではなく、国や国民だと思う。まずは国民投票法改正に期待。

 

どちらの国も、時代にそぐわないとなれば改憲を繰り返していると知った時、何で日本は不都合あるのに変えられないのか疑問でした。変えさせないと頑張る勢力は、戦争のない世界とか理想を追うのはいいが、現実見たら夢だけじゃ守れないのではないか?特に政治家が現実見ないで理想ぶってるの信用出来ぬ。

 

九条は置いといても、非常事態条項とスパイ防止法など国防絡みは変えて欲しいかな。夫婦別姓や同性婚何とかしたい人達だって変えて欲しいところあるはずだし。政治家や政党が政局絡みで騒ぐのどうでもいいから、

 

そろそろ国民投票でひとつひとつ問えるようになれたらいいなと思います。

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占いは解釈次第

昨年秋頃からでしょうか。

ある占い師の方のYoutubeチャンネルを見ています。

私が占いを気にする時というのは、人生の調子が悪い時。

コロナ禍の今、占いで救われるなら、思い切り救われたいじゃないですか(笑


この占い師さん、星詠み解釈の仕方が、曖昧模糊とした夢のある表現とは逆な方。

 

社会事象を例えに使う辺り、実社会で働いている人は、どんな情報に囲まれ、どんな場面で悩んだり、どうなりたがるかをよく分かってるなと思わせます。

 

わたくしより年若い方ですが、他者との関わりに関しては非常に練れたところも見えて、占星術界のカリスマ「石井ゆかり」さんや「しいたけ」氏と比べても、遜色ない才能だなと見ておりました。

それが、アメリカ大統領選でトランプ氏を応援するあまりに、Q的陰謀論を語り始め、時には感極まって涙さえ見せる動画を見たら、違和感が生じ、見るのを止めようかなと思いました。

でも、最近一番ピンとくるのは、彼女の言葉。

そこで、彼女のフィルターを排除して、彼女が言いたい本質を読み解く努力スタート。

 

例えば先日の動画では、

『働かなくてもお金を手に入れる方法が日本にはたくさんあって、面倒だけど検索して見つけて申請して、そのお金をゲットしている人がたくさんいる。最近、相談者の中にそういう人が結構いて、星の配置から分かる、古きを壊し新しきを築く的な生き方を既に始めている人がいる事実。みんなそうやって今までの価値観やルールに縛られず生きていく準備が出来てるよ』的な内容を語っておりました。

そういうことをみんなでやったら社会破綻しそうです。
その先に「みんなでやって明るい未来」が見えません。

Q的陰謀論を信じてしまう彼女ですから、既得権益を守る古い体制があり、その体制が利益を独占している、と信じている節があります。その独占を解放して、みんなで幸せになろうと言いたいのかもしれません。


(なんか、占い師さんを日常観察し続けるうちに、彼女の信念、価値観や世代的な物事の捉え方、思い込みなど、マインドセットが見えてきて、愛すべき人間性が見えてきて、自分と違うところが多くても、友達として出会ったら仲良くなりたいタイプだな~と眺めております)

自分なりのフィルターで排除してみると、彼女の言いたい事というのは、

1)非常事態の連続で、いつもや古い仕組みが通用しなくなる可能性がある
2)どんな可能性があるのか、今までの価値観ベースで物事を見ていると気づけないから、自分の視点も変えていかないと

概ね2点なんだろうな、と。

なんだ、当たり前じゃないか、と思うような内容なんですが、その先は自分の中にある要素と結び付けてみると、私にとってはこういう意味かも、ととらえるのが占いかなと思います。

で、何か分かった気になるのが占いの言葉の力で、『その本質は暗示みたいなもの』かなと私は思うのです。

実際、物事を判断して決める、行動するのは自分でしかない。

占いはフィクション、ファンタジーとして受け止めておりますよ。

でも、中で「そうなるといいな」と思える内容があれば、
そっちへ意識を向けて、行動のベクトルを変えていけたら、より早くたどり着ける、みたいな気がします。

 

ところで、昨年秋頃からずっと意識を向けているんですけど、なかなかコロナ開けませんなぁ、、、意識の向け具合が足りないんでしょうかね(苦笑

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3回目の緊急事態宣言ですなぁ

このところ参考にしている川松真一朗議員の動画。

6:00辺り
ゆり子氏の消灯発言は資料(国と都が協議して決めた基本的対処方針)の読み間違いでは?とのこと。確かにそうかもしれません。結構な騒ぎになった気がしますが、ゆり子氏、言い直しするなら早めがいいかと思う。

 

13:50辺り

元の大学病院がコロナ受け入れない方針だと、そこから人員が回ってくる系列病院は同じ様に受け入れない。人員が系列を移動しながら勤務しているならそのせいで蔓延しちゃうと困ると理解も出来るが、

 

私としては、こんな大変だからこそ、大規模が受け入れ拒否への否定感は残る。

23:16辺り

 

川松議員は、これまでアップロードしてきた他の動画内で、人流を止めるのは昨年最初の緊急事態宣言時点の方策再びで、あれから積み上げてきた知見や経験を活かすどころか、今回の緊急事態宣言は後退してると言うのですが、共感します。

ゆり子氏の「キーワードは『抑える』」というフリップ芸よりも、「消毒+マスクを今一度徹底せよ」と伝える方が先だという川松議員の意見に賛成。

この2点さえ徹底出来てない人が増えてるのも現実で、スーパー入口で消毒スルーする人が増えた印象。昨年はみんな戦々恐々で、近いの何だのでもめたりしていたくせに、随分お気楽な方も増えたなという実感。

38:45辺り

休業協力金は、

4/12~24までの蔓延措置への協力に「加えて」

4/25~5/11緊急事態宣言に協力した店に対して出る。

セット販売みたいだな(苦笑

4/12~24まん防の時に協力してなかった店には、つまりお金が出ないということで、じゃあ休んでも仕方ないから、緊急事態宣言下でも営業した方がいいとなり、罰金払ってでも営業する判断の店が増えそうです。

 

飲食店は協力金が出るからいいじゃないかと、出ない業界との分断、経営者や事業体へは出るが、それが従業員個人にはおりてこないという分断、いろいろ分断が起きている中で、飲食店同士の分断まで発生しそうですな。


動画中に、対策をちゃんと取っている百貨店や映画館への休業要請の是非も取り上げられていた(池袋のクランドシネマサンシャイン社長との電話インタビュー

正直、もう疲れます。気持ちが萎えます。


感染者の数が増えたと放送されるだけで、誰かと会うのを控えようとなり、ギフト需要で持っている当店みたいな雑貨屋は、がくがくと売上を減らす日々が続いておりまして、個人の努力の枠を超えている気分です。

 

でも、悪者探しや失政だと声を上げるのは、もはや私にはガス抜きにもならない。暗い事考え続けるのは虚無に捕らわれそうだし、心にも体にもダメージ蓄積。よくない、よくない。

 

 

特効薬はないし、ワクチンもまだなら、出来ることは手洗い、消毒、マスクぐらいしかない。昼も夜も同じ。確実にやった経験の積み上げと継続しかないのは代わりないのです。

 

私は95歳まで生きる予定なので、この1~2年は全体から見たらちょっとじゃん、と自分に言い聞かせたり、

 

大人なんだから自制的に行動できるやろ、と叱咤したり、

 

経営=デスマーチで耐えるの慣れてるよね~と笑ってみたり。

でもたまに弱くなって、いさじ氏のやらないか(変な曲)が頭を駆け巡る日もある(揺れます

 

 


妹に、しんどいとメールしたら


>「好きでやってるんだ」や「これしか出来んし」を確認するしかないよな。

>「じゃあ、介護職になれや。無資格でもやれるゼ」ってなっちゃうもんね。

 

彼女は福祉関係のお仕事で、介護職をバカにしているのではありません。そうやって介護職に飛び込んで、簡単じゃないから折れてしまう人がたくさんいる事も見ているから、事例にあげたのであって、誤解なきよう。

自分の本心は「好きだからやりたい」「楽しいから辞めたくない」ならそっちへ進めよと言っている。その通りだと思う。辛い気持ちに焦点当てすぎて疲れてるだけだと目を覚ませ、自分。

 

その内「あの時は大変だったわ~」と笑える日の来ることを祈り、『商いは牛の涎』実演、実行あるのみなのだ(他に出来ることないので機嫌よくお店番するしかないのだ

 

美彩の木彫人形「商いは牛の涎」

 

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10年目のリセット

開業してから10年目の年。
開業当初は、10年も続けられたら、周年記念のイベントを大々的にやりたいなと考えていたのに、コロナでそれどころではない日々。

 

忘れていたのですが、10年目ということは、ひとめぐりしてゼロからのスタートのタイミング。

 

これは開業前にインタビューした先輩経営者のみなさんが言っていた言葉。

 

「バブルの頃までは、1年もてば大丈夫と言われていたが、今は3年5年経っても軌道にのれるか怪しい」全くその通り。いまだに運転資金と称した借金が増えこそすれ、減らず(苦笑 

「だから最低でも1年は無収入でも食べていけるようじゃないと続けるの苦しいよ」1年どころか3年分必要だと言った方もいました。嘘ではなかったと今は思います。

「借金も財産のうち。返せない人に貸す人はいないからね」

 

今ならその意味も分かります。借金が怖いのは今も変わらずですけど、自分の返済できるラインが経験値で明確化出来ているので、その範囲内なら怖がらず借りるようになりました。つまり、その辺りが見える程度に経営が安定してきたということで、思ったより規模が小さくてびっくりもしますが、10年近く頑張った結果として受け止めています。

そして、忘れていたんだけど、

「10年でお客様は入れ替わる」

 

コロナのせいで、今まで定期的に来てくださっていた高齢者が劇的に減り、その他の年代も来店頻度も落ちており、今までのお客様が離れてしまったような気がして、一時落ち込みました。

そんな折に、個人商店をやっている友達が「10年も経てば街も人が入れ替わる」「年寄りはいつか(人生を)卒業する」というのを聞いて、10年で入れ替わる説を思い出しました。

 

コロナの影響がなくても、起こっていただろう可能性。

そこに気が付けたから気持ちが軽くなりまして、何が悪いんだろうとぐるぐる思い悩むことを止めて、またイチから営業がんばる方が現実的なので、やる事はこれまでと同じ、実直にやるだけだしなと、気持ちの切り替えが出来ました。

 

江古田も、新しく開業するお店が増えてきております。

江古田ゆうゆうロードでも、開店に向けて工事中のテナントがいくつかありますし、江古田全体でみたら、練馬総合病院の通りなんか賑やかで、飲み屋が複数店開業しています。夜の飲食店への制限がこんなに続いているけれど、出店する強者が結構いることに驚きます。

私だって東日本大震災の年で、日本の経済は先が見えないと言われていた時でも、『じゃあいつならいいの?』『明日どうなるか分からない事は震災が見せてくれた』と起業したことを思い出すと、私も強者だったな(笑

 

強者らしく、一からやり直せるなら、前にやった失敗を糧に、もうちょっと上手にやっていかなくちゃな。と思います。

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緊急事態宣言、再び?

動画内で、宇治原氏が「大人は規制されずともやるべきではないのか」という言葉に最初引っ掛かったわたくし。

わたくしは、規制されてない事や罰則が無いことは、『個人の自由』だから100%達成できなくて当たり前だと思っています。

宇「緊急事態宣言は(自分の自由や権利を制限される事なので)出さないでくれというべきなのではないか」

宇「大人はそのことに気付いてないのではないか」

宇「規制してくださいって言うのは、出来ませんって言ってるようなもんで、恥ずかしいことではないのか」

聞き進めるうちに、私が『個人の自由』と思っていたのは、『自由の濫用』ではなかったかと、モヤモヤし始めました。

  

コロナのような国民全体の非常事態の折に、「義務ならやるけど、でも要請でしょ?基本私の自由やし、やるかどうかは分からない~」というのは、確かにおかしいなと感じました。

『事柄のレベル感』が狂っているというか・・・

自分がやりたい事をやりたい時にやりたいように好きなだけ、誰しもそんな欲は持っていると思います。でもその自由とは、社会生活者であれば、他者へ迷惑を掛けない範囲で認められるもの。

 

 

続いて、
宇「Aという対策が効果あったのか/なかったのか、守って無い人がいるせいで正しく評価できない、判定出来ない」

コロナで経営の危機を抱えている私のような個人商店は、政府や行政が役立たずと非難したくなる気持ちが時間を経るごとに強くなるけれども、確かに計測できるほど統制とれた行動が、1年越えた今は出来ていないと誰もが認める事だと思います。

 

「私と違って、出来ていない人が居る」という方が多いはず。


宇「守れない人がいる前提で対策を立てろという人がいるかもしれないけれども、出来ないって言うの恥ずかしい事じゃないの?それ分かんないの?」

統制=不自由=悪と考える思想の方からすると、恥ずかしくないの?と言われたら反発感じるかもしれませんね。

 

自分は出来ているが、出来ていない他者が居るという認識でいるから、その他者を規制したい、罰したい、という感覚の発露だろうけれども、

 

緊急事態宣言など、これは該当地域全体に掛かる規制で、出来ていない誰か「だけ」を限定的に規制するものではないんですよね。(規制してくれという事で、自分が不利益こうむるの図)

そして、出来てない誰かを自分と『切り離し』て見る考え方をする限り、一丸的取り組みは出来ないので、みんなで○○していこうよ、という気風を作って行く方がいいのではないか?という問いかけでもあり、

近頃SNSを見ていると感じる分断が何故起こるのかが、非常に些細なことをきっかけに、「私はあなたとは違う」「あなたはいらない」「私は正しい」あちこちでプチプチと自他の切り離しが起こっているせいかもな~と思ったり。

この話題はみんなで話し合ってみたいなと思うような話題でした。

 

 


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レベル上げ

山本一郎氏の動画

 

結構すとんと分かる話で、

過去に自分が存在価値を仕事に見出したくて頑張っては、

報われなさを感じては転職したことを振り返ると、

 

自分ではもの凄く頑張ったし、

やれていたと思っていても、

経営者や管理職側からすると

足切りしたい部類だったかもしれないなと思ったりして。

 

自分が経営者になったら、

その立場でものを見れるようになりまして、

とほほな自分にもちゃんと目が向くようになり、

ダメな自分を受け入れ済み。

過程は葛藤もありますが、越えました(笑

 

思い出すと、

同僚や先輩社員が「こいつ使えねー」と思いながらも、

辞めさせる権限はないから、

教えて少しでも使えるようにしないと、

自分が苦しいし、評価にも関わるし。

 

そのうち、人間関係も出来て来れば無碍に出来ず、

可愛がればついてくるし、徐々に信頼もして、仲間として受け入れる。

そんな感じで、

私は出会ったすべての方に、レベル上げしてもらったんだなと

今なら分かります。

 

自分の頑張りは最低限必要だったが、

他者が私のレベル上げの労苦を担ってくれるか、

それがポイントだったなと、

改めて発見した!気分です。

みんな、皆様、ありがとう。
トホホな私を構ってくれて、ありがとう。

 

 

 

人はひとりでは生きていけないって言葉が、

若い頃はよく分かりませんでした。

その通りだなと心底思うようになったのは、個人商店を開業してからです。

 

自分の努力でどうにでもなると、

人生はコントロールできると信じていたので、

うまくいかないのは自分の努力不足と自分を追い込むことが得意でした。

生き辛かったな~(遠い目

スピリチュアル的に、
現世は魂の修行場という言い方をするけれど、

他者と関わり磨いてもらう、

磨かれる時に削れたり痛い、痛む、

そこを越えないと珠になれない。

 

裏返しで、自分だけでは磨けないということ。

 

だから、レベル上げしてくれる他者と出会えないと、

または、磨いてくれる相手をそれと認めないで拒絶すると、

頑張っても報われないやさぐれを抱えて

不信や不満や不安の空気の中でもがく羽目になる、

それが私の転職の顛末にも重なる気がします。

 

動画中の田端氏が、どんな人か存じ上げませんが、

いらん奴は切れ、と言えるほどに

なれた時に見える世界は、

今の私とは違うけれども、

 

田端氏の世界でも、
同じ様に出会いと切磋が

繰り返されているはずで、

 

階層が違うと見えないだけで、

みんな同じなんだとも思いました。

 

最近、コロナのせいかと思っていましたが、

とにかくやる気が起きず、虚無感もあり、
何だかずっと停滞感があり、心が灰色でお悩み中。

 

自分の変化が無い、何を読んでも、何を見ても、

新しさを感じることが少なく、

自分を磨いてくれる他者と

コロナのせいで行きあえない

出会えていないせいなのかもなと、

自己完結的ですがストンと納得。

 

 

 

私が誰かを磨く側になるタイミングなのかといえば、

まだそうじゃないのは分かる。

 

もっと自分のレベル上げしたいです。

 

 

コロナが早くただの風邪となりますように。

何とか宣言も蔓延防止も無用になりますように。

もっと普通に行き来したり、食事へ行ったり、会えるようになりますように。

 


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変化朝顔図鑑

小竹図書館のおすすめの棚にあった朝顔の図鑑。

 

『変化朝顔』という分野があることを始めて知りました。メンデルの法則が役に立つ時が来た、的な内容で、楽しい図鑑。

 

朝顔は、奈良時代の遣唐使で日本に入ってきた植物で、当時は下剤として使われていたそうです。

それが18世紀の江戸時代、岡山で変化朝顔「松山朝顔(黒白江南花)」が見つかり、京都や江戸で広まったという記録があるとか。

その後19世紀初、第一次ブームが起こり、江戸末期に第二次ブーム、明治中期に第三次ブーム。

遺伝子の存在や遺伝の仕組みもよく分かっていない頃に、様々な掛け合わせで様々な形状や色の変化を生み出した愛好家の熱意が凄い(観察と経験から、法則性を導き出す

変化朝顔は不稔(種がならない)ので、その変化が生まれる親木の種を採種して、保存。
その種は、戦争で失われ、ごく数人が保存していた種が国立遺伝学研究所に集められ、現在では政府の保存対象生物に指定され、九州大学で保存されているそうです。

 

育ててみたいなと思ったら、タキイやサカタといった種苗会社から一部種類は販売されているとのこと(そこで手に入らない種類は、変化朝顔研究会九州大学へのお問合せ

本来、遺伝子は変化しにくい仕組みも持っているそうですが、岡山で見つかった「松山朝顔」が変化しにくくする要素が抑制された種だった可能性が地文にあり、松山種が出なければ、こんな多彩な変化もなかったかもしれないと思うと、神のなせる技的偶然の面白さを感じます。

 

図鑑で見られる数々の花。
最早、朝顔とは思えない姿、しかし美しい。

朝顔の見方がすっかり変わりました。

 

花びらが無いもの、花びらも葉っぱも細長く縮れるように変化したもの、模様の入り方と、とにかくバリエーションが凄い数。

 

漢字だらけで中国語みたいですが、『青斑入縮緬立田葉石化紫覆輪筒白総鳥甲車咲牡丹』名前を見ればどんな変化か分かるそうです。

 

下記、変化朝顔研究会の恒例の展示会が日比谷公園で開催されるそうなので、今年は見に行きたいなと思いました。
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大輪朝顔 & 変化朝顔共催展示会
2021年7月28日(水)~8月3日(火)(午前8時~11時半頃)
開催場所:日比谷公園テニスコート場となり陳列場

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手ぬぐいでお酒を包む

最近お客様にお伝えした『お酒の瓶2本包み』

使用している手ぬぐいは短めなので、最後はゴムで束ねてリボンで隠す。

 

1本包む時は長さに余裕あるから、端を結んで形整えてみてください。

手ぬぐいというと、この頃はインテリアに和のアクセントとばかりに、飾って楽しむ方が多いですが、こんな風に包む道具でもあります。

 

当店、ラッピングにもおすすめな、カラフルな注染手ぬぐいを取扱っております。のぞいてみてくださいね。 【こちら】


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食べ過ぎ問題

自炊派ですが、コロナで外食が半減どころか皆無となり、自炊に拍車がかかった結果、コロナ太りで5キロ増。

食べ過ぎなんだろうなと思うのですが、食べ過ぎにもいろいろあって、間食や特定の食材が増えたなら対処しやすいかと思いますが、そう極端に何かが増えたり偏った気がしないので、

 

やっぱり普段の食事量が多いんだろうなと、前から疑惑を持っていたことが日の本に晒される感じ。

 


最近、自分の食事の内容が、本当にこれでいいのか、ちょっと気になり調べてみました。なにしろ、おばちゃんの知識は、断片的な聞きかじり、世間話で構成されているもので、時々真偽を調べてみたり、アップデートが必要。

 

出来れば、バラエティ的な情報サイトではなく、公的発信を頑張って読んでみる(ククク…

PFCバランスという用語が目に入りました。

たんぱく質(Protein)・脂質(Fat)・炭水化物(Carbohydrate)のバランス。

たんぱく質:13~20%、脂質:20~30%、炭水化物:50~65%を国は推奨しています。

 

 

私の食事は、炭水化物が30%、たんぱく質が40%、脂質30%のイメージ(当社分析、肌感覚
体調がいいかと言われたら悪くはないがよくも無い。

冬だったから冷えも出ていたし、疲れも取れにくい。

ダイエットしていたつもりで、体重増加。

一回、基本に戻ってみようかと思い、まずはPFCバランスを変えました。これも3ヵ月は続けて様子見してみたいと思っています。

 

参考にしたのが、柏原ゆきよさんのYouTubeチャンネル。著作も読みましたが、米を6:おかず4という緩さで、ルールも和食+自炊派にならそう無理のない方法なので、試してみる気になりました。

何しろ、今までやってきたのは、食事量自体を減らす/何かを増やして何かを減らす単品食い/炭水化物を減らす/タンパク質を増やすなど、どれもダイエットにはならず、生活習慣化出来ていないので、一周して、また米や炭水化物に光を当ててみようかなと考えたのです。

 

米と言えば炭水化物と思っていましたが、たんぱく質も含む食材だし、お味噌汁とセットで食べた時のアミノ酸スコア100%なんですね。改めて、分かっていたようで、何も知らずに食べていたんだなと反省です。

 

元々が具沢山のお味噌汁派なので、ご飯の量を増やして、その分肉魚を減らすので簡単。

 

食材が減るせいで、食費が減る(お財布に激優しい

 

米って、野菜や肉魚と比べて、

食料品としてはかなり値段が安い。

だから凄く食費が安く済むのです。


ちなみに、かれこれ1か月続けてみましたが、今まで食べたいと思っていたあれこれが、不思議とどうでもよくなりました(笑)雑穀も加えて炊くようになったのですが、これが意外と美味しいので、はまっております。

 

誰か、この食事法をやっている方で、参考になる方がいないだろうかと出来心でググったら、お米ちゃんという方のYouTubeチャンネルに遭遇。彼女は運動しながらです(私も歩くことは続けていますが、そろそろ負荷を上げないと。。。

 

ここで、衝撃。
私の食べている総量は、やっぱり多い。

彼女の1.5倍は食べているなと、ガックリ(苦笑
そういえば、普通の量がどのぐらいなのかも、アウトオブ眼中だったな~と。
でも、安易に減らす方向へは今回はいかない予定なので、しばし継続で。


もしもこれで体調が継続的に良いと自覚出来たら、まずは成功という感じで、ゆるゆるやってみます。

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昭和世代は要注意~「スイッチ的な存在」

昭和世代の常識が通じない事を自覚する出来事で、我ながら可笑しくて笑う。

最近、父に贈ると喜ぶだろうなと思う品物を見つけました。

TVの音を聞こえやすい音に変換する「ミライスピーカー

以前から、本人談で聞こえにくいと聞いていたし、家族も音量が大きいとこぼしていたのを思い出したのです。

 

妹に相談すると、予算的にもOKだし、いいと思うんだけど、実家に聞いてから買った方がいいと言われ、弟に相談したところ、「使ってみたいと言っていたし、喜ぶと思うよ」

 

後押しもらっていざ発注する場面で、何度やってもクレジット決済がエラーになるではありませんか。これが、私の神様がそう仕向けてくれたのかと思うほど、後で効いてきます。

仕方ないから、電話での注文をしようと電話したところ、代引き以外の注文は受付けていないと言われ、それじゃあ請求先と送付先を別にすることが出来ないからダメだなとなり、やっぱりweb注文で、と電話を切ろうとした時に、せっかくだから商品について2、3質問してみたくなりました。

実は、ググりついでに購入者のクチコミを目にした時に、返品した人のクチコミもあり、素人文章なので詳細が見えないものの、引っ掛かりを感じていたので確認をとりたくなったのです。

「音が思ったほど聞こえなかった」というクチコミに関して、メーカー側としてはどんな環境での使用を推奨しているのか、聞いてみました。ハード面とソフト面、どちらでもいいのでメーカーの想定している理想像を聞きたいですと伝えたところ、私が思ってもみなかった事を知る事が出来たのです。

 

人体の不思議で、人それぞれの聞こえ方だから、全員が聞こえやすくなる訳ではない、という前提は想像通り。

スピーカーから出る音はモノラルなので、普段ステレオで、音質もきれいな最近のテレビに慣れている方だと、スピーカーから出る音質に違和感を感じ、聞いていられないという方がいらっしゃいました、という事例紹介は想定外。

モノラル?
イヤホンジャックに挿して使うスピーカーなのですが、勝手に、ステレオで音が出てくると『思い込んで』おりました。だって最近のイヤホンジャックにイヤホン挿したらステレオで聞こえるものがほとんどなので、てっきりそんな点が問題になるとは予想外。

それを聞いたら思いが至ったのが、イヤホンジャックに挿すと、TV本体のスピーカー音は消えてしまうってこと。

メーカー担当者の方が、今のTVは設定を変えれば、スピーカーを繋げたまま、TV本体のスピーカーからも音が出せるものもあるので、設置するTVの仕様を事前に確認してみてくださいと親切なアドバイスをしてくださいました。

次は実家の弟に電話し、事情を話すと「出来ないと思うよ」とあっさり言うではありませんか。

TVの本体についている差し込み口が、ビデオ端子とイヤホンジャックぐらいしかないし、切り替えるスイッチ的な存在も見当たらないから、と返ってきまして、「スイッチ的な存在」で納得しかけた昭和世代ふたり(笑


でも、実家のTVは言うほど古い訳ではないのを知っていたわたくし。諦めきれない。

 

弟が詳しくないし、マニュアルを取り出して来る気配がないので、メーカーHPでマニュアルや取説PDFを閲覧してみようと思いました。

そして弟が型番を知らせるために送ってきた画像の手ブレが凄くてひとしきり笑う。

 

3度目の正直でようやく可読。


メーカーHP上では型番ヒットしなかったので、カスタマーサポートへ電話し、30分待って2分で解決。30分よく待ちました。つながりにくさに負けてしまうと、二度とつながる事が無くなる予感がし、何より店頭が人類滅亡で暇だったので、ぼやっと待てたおかげ様。

余談ですが、緊急事態宣言の影響は解除されても消えませんで、元に戻すというより、コロナを気にするライフスタイルに変化し終わり、様式が変わっちゃったんだろうなと、空しい気分でやさぐれてしまうぐらい、人類滅亡。人と会わない様式美、ギフト需要も減り、うちは、存在意義を見失ってしまいそうです(ぼやき

 

もとい、リモコン側で設定変更すればよいと分かり、弟にメール。

 

これで問題は、父の耳の聞こえ方次第となったので、迷いなくweb発注。エラーもなく、するっと決済できて、多分本日実家に配達され、弟が設定してくれるはず。

聞こえやすくなったよと、よい感想が聞けるといいな・・・と妹と結果報告待ちをしているところです。

 

 

結論:平成、令和は、昭和的な『スイッチ的な存在』をとっくに超越してました。次も、多分そうと思い込まずに調べられたらと思います。

 

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ダミアン浜田陛下

知る人ぞ知る、聖飢魔IIの創始者、ダミアン浜田陛下。「蝋人形の館」など、名曲を残しております。聖飢魔IIの世界観は、陛下が構築したものと言われております。でも、聖飢魔IIには陛下の姿はありませんで、私にとっては幻のような存在でした。

当時私もハードな音楽が好きだったので「この曲、凄い!聖飢魔II、最高!」と聞き入っていた記憶。

昨年、You Tubeのおすすめで、「Damian Hamada's Creatures」というバンドのPVが上がってきまして、懐かしい匂いを感じて再生し、そこで陛下と再会。

後になって知ったのですが、聖飢魔IIがオーディション合格した時、陛下は就職が決まっていたそうです。

当時の空気感からすると、つまらないサラリーマンになるよりは、チャレンジ、諦めない、みたいな空気感もあった気がするのですが、バンドで成功という、ある意味若者が夢見るような未来を選ばず、高校教師を選んだ辺り、とても堅実な方なのかもしれません。

もしかすると、陛下にとって音楽は、好きだからいつでも出来る事に分類されていたのかもなと思いました。(素晴らしい才能の方は、自分の特別さに無頓着な傾向があるの法則)

57歳で早期退職後、自由になった時間で曲作りを楽しみ、気付けばヘヴィメタルバンド「Damian Hamada's Creatures」を結成し、13曲発表。PVを見ると、演奏はしない、ギターを”なでているだけ”で凄い存在感(笑(本当に、弾かずになでておりますからw

ご本人は、自分をメタル界の秋元康と例えておりまして、なかなかおもしろい言い方だなと思いました。

教職35年間は、ミュージシャンのキャリアではないし、

そもそも陛下は演奏技量で勝負しようとして音楽やってた訳ではない。

自分の頭の中の音を、誰もが聞ける楽曲として作り上げることが陛下の才能。

「Damian Hamada's Creatures」の演奏担当は、どの方も相当に腕の良い方なのに、それぞれが「難しかった」と感想を述べているのが興味深く映りました。ご自身では演奏しないけれども、「こう出来る?」と要求が高かったそうです。腕の良い方達なので、楽しんでチャレンジしたということなのだと思います。

そして出来上がった楽曲は、私にとっては神曲。

(悪魔なので、神はおかしいか。)

 

 


 57歳で教職を早期退職し、リスタートで音楽活動を再開し、世代を越えて人を惹きつける音楽を作る陛下は、生涯現役を求められる今時、理想的な未来に見えます。何歳だって始められる、そういう希望も与えてくれたと思います。

 

教職しかやったことがないから、他のことは分からないし、出来ないと思う方には、ずっと出来ないでしょう。

 

職業には、付随する雑多な人間関係と雑事がてんこ盛りついてくるので、職種が異なろうとも、全うしてきた方なら『総合力』『応用力』がついておりますから、専門的知見以外なら、大概何とかなるものです。

「何とかなるさ、何とかしよう」と思う気持ちの強さも、経験のうちかなと思うのです。

 

最近、高卒後に社会人を選んだ甥に、祝辞メールを書きました。

その中に「今すぐ叶わないなら、その夢は取っておいて、後で叶えたらいい」と書いたのですが、わたくし自身が18~20歳の頃の夢を40代後半で叶えたくちで、陛下の事もあって、ますます真理じゃなかろうかと思っているところ。

後になって叶えた方が、もしかして、今までの人生経験をたっぷり使って対処出来るから、より高度なことを楽しんでやれるかもしれませんしね。

 

あと、自分が出来ない事をわきまえて、素直に他者に託せるようになることも、良いことかも。

 

年を重ね、経験が増えると、だんだん、良いものを見極める力がついてくるし、良いものと判断するレベルも上がって来る訳ですよ。自分で出来ないがやりたい時は、他者の力量が素晴らしければ、頼んでお願いしたくなるのも自然なことかと思います。

 

今回の経典制作にまつわるエピソードは、年を取ってからも創造的であるためのヒントに思えます。web記事をググると結構出てきますから、ご興味ある方は漁ってみてください。

 

人生100年という声も聞く日本です。

年寄りをこれ以上働かせる気か!とお怒りの方もいらっしゃいますが、わたくしは生涯現役でいたい。いくつになても自分で稼いで、自由に生きて行きたいです。

年を取ったら労働市場的に終わる的な考え方はしたくないし、人生経験を活かして、その年その時だから出来ることを成し遂げられるようにありたいです。

 

そのためにも、健康大事。
心と身体の健康、大事。

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先日の健康診断で、中性脂肪は標準に落ちたのに、

悪玉コレステロールが高すぎて、再検査の文字。

はわわ~ってなっているところ(苦笑

※美彩さんに彫ってもらった陛下像は【こちら レッツ偶像崇拝

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夜更けツイート2021-03-12

TV持ってないし、その番組を直接見てもいないので、詳細は分からないながら、日本テレビの番組で、アイヌと掛けて「あ、犬」という謎かけが炎上したとTwitterで見かけました。

 

私も差別反対の立場ですが、差別する意図があってやったことなのか、そこらへんが見えないために、違和感感じたことを書きました。

 

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某不適切発言。私はネタとして、出来が小学生の発想的だなという浅さは感じたものの、それが長年侮蔑的に言われ続けてきた言葉とは知らない。生まれ青森だけど知らなかったし、聞いたことが無かったな。それはさて置き、自分が知らなかった事にまで、差別的発言をした責任あると責められる世の中辛いな。

 

いつから日本はそういう片方の言い分だけ、聞かなくてはいけない風潮を良しとするようになったのか。日本には喧嘩両成敗という言葉があるように「知らなかっただけで、そんなつもりなかった」「分かった、でも気をつけて欲しい」「分かった」こういう相互理解が普通だった気がするんだけどな。

※喧嘩両成敗ってこの場合引いてくる言葉として適当ではないなと後で思いました。

 

知らない事って、普通にたくさんあるよ。私53歳だけど犬という言葉は「使い方で」侮蔑的な意味あいが生じるのは分かるけど、単なる犬という単語に、常に侮蔑や差別的な意味合いを込めるような常識は持ち合わせてないから、何か偏りを感じてしまう。そこに思いが至らない方が悪いという意見に違和感あり。

 

差別がないからこそ、差別を嗅ぎ分ける嗅覚が鈍いんだと思います。リベラル的な活動は、時に先鋭的になって、却って差別を鮮明にしている逆効果を感じてしまう。言われて嫌な思いをしたら、人って傷つきたくないから、防衛的な壁作る気がします。関わらないようにしようとかね。それ、余計浮かない?

 

こう先が読めない世の中だと、自分のことで手一杯、他人が勝手に傷つくことに、いちいち構ってられないという心持ちの人だって増えてることでしょう。人は自分の利益になる行動には耳目を傾ける余裕は最後まで持つが、自分を攻撃したり否定するものは拒む傾向強いのが普通(少なくとも私はそう思う。

 

 

他人の痛みはその人のものだもの、私には想像するしかなく、想像力の力量次第で100%だったり10%だったり、人によって様々だろう。犬を差別している表現と言う人は、誰も彼もに100%であれかしと言ってるようなもんだなと感じ、それって、現実的じゃないと思うんですよ。何しろ別人格、別価値観。

 

でもね、原理主義的な物言いはそりゃぁ原理原則、差別はいかんよ!という結果にしかたどり着かない物言いだから、反論しにくい。でも、原理主義って、私に言わせるとイチゼロのデジタルな問いかけで、生身の現実はそうクリアに割り切れない事の方が多数だろう?って思う事も正直なところ。

 

何か、除菌を一生懸命しなければいけない生活が続いた影響で無謬を求める流行でも来ているんだろうか?なんて(苦笑)今の世の中はさ、大人だけじゃない、子供だって、白がいいけど白だけじゃ無い世の中を知ってる、感じてる。片方から見たら白でも、見る向きを変えたら真っ黒もあると知っている。

 

黒が沢山あるより、白が多い世の中がいいと思ってるけど、白が増えたら黒が減る訳でも無いって発想も、大人の世界では必要だよなーと最近強く感じる(横道それた

 

気軽な発想のネタに、深刻な自分の思いを突きつけても、レベル差あるのが当然で、軽重ありすぎる相手と絶対的なバランス取ろうとするのが無理筋だと思う。だから違和感感じてる。

 

それ酷いと訴えるのはありと思う。自由だし権利もあろう。

 

 

同じく、相手がそんなつもりじゃないから、あなたの言うことに該当しておらず、ゆえに受け入れられません、謝りません、という自由も、頼む、日本人よ、残してくれよ、それが真の自由じゃないのか?と、似たようなリベラル凸見るたび感じる今日このごろ。昭和育ちのつぶやきでした。


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新生活を江古田で始める方へ

確定申告にかまけていたら、3月も1週間過ぎてた、、、

 

3月は、本当なら卒業、就職、新生活スタートを謳い文句に、お祝い系の品物を多く仕入れる月のはず。

 

でも、コロナのせいで、集まって何かするのも皆さん控えているようで、つまりはお祝いを渡すようなことも激減していて、その内に~、何かの機会に~と何もせずに終わる予感ひしひし…

 

この時期に人生の節目を迎えた方、ちょっとお祝いが控えめになって、割を食った気分にもなるでしょうけれど、

 

そんな中でもモノや言葉で伝えようとしてくれた相手がいる事実を数えて、祝福されている自分を、前向きに受け止めてくれたらなと思います。

 

何ならうちに顔を出せばいいのです。

「大学入学でこの辺りに引っ越してきました」「入社式近いんです」なんて教えてくれたら、そりゃもう盛大に『おめでとうございます~』連呼で、我流「お祝いの儀式」をいたしますから、お立ち寄りくださいね。

 

そういう訳で、お祝いギフト品は程々なんですが、家で過ごす時間が長くなっているからこその、「あれがあったらな」という小間物がいくつか増えております。

 

一部、問屋さんが決算処分価格で放出した袋ものもありまして、箱に入れて軒先に出していますので、ちょっと覗いていいのがアレば迷わず即決でどうぞ。

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私の体が米を欲しているのです

先日、健康診断を受けたら、コロナ下で5キロ増と判明。

昨年夏頃は、前年比で10キロ減だったはずなのに、はずなのに、、、

 

開業以来ず~っと万年ダイエットしているのですが、元々運動習慣がない、お店番はほぼ体を動かさないもので、太る一方だったのが、消費税増税を期に、夜のパート仕事を始めたところ、ガクッと5キロ落ちました。

パートを始めた経緯については過去ブログ参照「親の苦労、子知らず」

その内コロナで社会的に不安定になり、店の収入も不安定、おかげでパートは今も続けております。

徒歩通勤で片道20分、行くだけで運動にはなるので、時給をもらいながらジムに通っている気分だったりして(なんでも前向きに捉えるテクの向上が凄いぞ私

 

地味に毎月体重が減り、10キロ減を確認した時にはうれしかったものです。

あと、10キロ痩せれば20代の体重になる!と次の目標が視野に入ってきたはずだったのに、、、

振り返ると、
食べる量が単純に増えてきたのかもしれない。

家飲みしたくなる日が増えた気がする。

何も無いようで、ストレス感じてるんだろうな。

 

パート仕事から帰ってから、夜中に食べるからかもな。

小腹が減っていると寝付けないしな。

食事と食事の感覚を12時間以上あける食事法が合わないのかもな。

でも食事間隔あけると、胃腸の疲れが減る気がするんだけどな。

コロナで出かけない時間で常備菜の数が増えたから、その分で味噌汁作るの減ってるかもな。

作り過ぎてるかもな。

 

夏頃から変化した何かを、一旦元に戻してみます。

それと、やっぱり米が好きなんですよね。
糖質制限のつもりではないが、世の中の流行りで炭水化物を減らした方がよいという説が多いけれども、やっぱり自分の心が落ち着く米は、減らすと満足出来ないなと感じています。

米は、炭水化物だけじゃなくて、タンパク質もビタミンもミネラルも入ってるし、人それぞれの消化吸収力だし、自分の体の状態がいいのか悪いのか、心の満足感がいいのか悪いのか、観察しながらトライ・アンド・エラーで行こうと思います。

私は95歳まで生きる予定なので、まさ先が長いから、1年2年は短期目標として考えられるから、短期で成果が出なくても続ける意欲があるのがいいところ。若い時は、1週間で成果でないと捨てるような短気だったのが、ウソのよう。これが、人生の長さをリアルに認識したものの強みなのかもしれませんね。

次の6ヶ月、また頑張って見ようかなと思います。

目指せ、5キロ減。

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美彩新作「妙見様」

秩父神社に祀られている、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)=妙見様を彫ってもらいました。
(元はインドの神様が日本に来て妙見菩薩となり、明治の神仏分離令で神社で仏は祀ることが出来なくなったので、天之御中主神を当てた、そんな事情があるようです。)
妙見様は、北極星や北斗七星を神格化した神様で、秩父神社では「おんな」神として祀られておりますが、日本の神社仏閣を見てみれば、性別も定まらない神様で、「世界の始まりにして中心」の存在。
玄武(北方を司る神で亀の姿、水の神様)に乗り、静かに佇む妙見様。
不変、不動、そして絶対の存在と思うと、心弱っている時など、ちょっとおすがりしたくなります。
人生は元より先のことなんて分からないけれども、生きていくしかない道。
コロナで先行き不透明な道を歩いていると、いつ明けるとも分からない気分になり、気も弱ります。
そんな、道を見失って困っている人に、「進むべきはこちらですよ」と優しく語りかける、そんな妙見様。
※お迎えしたい方は【こちら
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アップデートは大事

誰もが、自分の信じたいものを信じて生きていると思います。

信じられるものが多ければ、そこは安心になり、心地良いになり、危険だ逃げろなど、短距離判断出来ますから、生きることが楽になりますよね。

 

生きる過程で、見聞きしたり、実体験したりで、年を取るほどに信じるものが増えていくのが普通かと思います。

同じ様に、信じられないものが増えていくものですが、こっちの方は否定的なニュアンスが入るので、人に「私ね、信じられないものがたくさんあるの!」と大っぴらには言わないですよね(笑

でも、信じるものと同じように、信じられないものもどんどん増やして生きているのが人間だと、私は思っています。

ところで、

私の肌感覚なのですが、コロナのおかげで、社会も個人も「今までの当たり前」が大変化中だと感じております。

コロナが何者かよく分からないまま、恐怖を伴い伝播し社会混乱を引き起こしてきたもので、明確な答えが無いまま有象無象の情報が溢れた状態が見て取れ、いつか来た道、東日本大震災の頃を思い出させました。

 

あの当時は、みんなが一致団結して利己より他己を重んじ、自制的に、善良全開で他者とつながろう、助け合おうとしていた記憶。単に、私がそうありたかったから「世の中をそういう目で見ていた」だけかもしれませんけどね。

(最近、断言してもいいのか、自分の事でさえ幻想だったんじゃないかと疑う始末)

 

何が本当か、判断する材料が信じるに足るのか不明な中、それぞれが自己判断で信じるものを探さざるを得ない。私も、未だにコロナ対策は何が正しいのか探して見ているし、私の知る情報が国民全員の共通認識になっていない気がいたします。専門家の意見も、テレビなどメディアの言うこともバラついているし。

客商売だからこそ、店という箱で定点観測しているから分かる、人々の得ている情報や、そこから実施している対策の種類や、程度、方法、実は凄くバラツキがある。それなのに、外国と比較したら2桁ぐらい少ない患者数で済んでいる日本、凄いな~と素直に驚きます。

(バラついているものの共通項が効くのか、バラツキ全てが効くのか、どっち!?もう、分かりませんw!)

 

誰もが、自分の信じたいものを信じて生きている。
今も昔も変わらないのに、昔ほど情報内容が均一ではないせいで、それぞれの見聞きしたものが違いすぎる結果、信じるものにも大差が生じているように感じます。

 

先日、知人が私の言葉に激昂し「そんな事言われるの心外!私を馬鹿にしないで!(意訳)」と言われました。

善良で、心優しく、自然を愛する、素直な心の相手を前に、私は汚れてしまった気分で、こっちはこっちで落ち込んでしまいました。

私が知っている情報だと、その方の信じているものは、私にとって疑問が残るものだった。でも、話しぶりを聞いていると、私の知っている情報を相手は知らない。そして、私が知っている情報を伝えたところで、相手が受け止めるか不明。そのくらいその活動に賛意を示し、良きものと信じている感じ・・・

 

今は便利な世の中で、ググると賛成/反対のどちらの意見もすぐに読めます。両方知ってから、自分がどうするのか判断出来る便利な世の中になりました。私は、両論検索したり、書籍を読んだり、一次資料を当たってから、判断することにしております。

 

だけど、私と同じものを知ったところで、同じ結論にたどり着かない事は当たり前にあるはず。

でもそれでいいとも思います。

私と同じ考えの人ばかりだと、救われない人もたくさん出そう。

各々が違う方向性でより良き未来を追求すればこそ、全体が良くなって行くと思うのです。

それに、自分もそうですが、

日々変化し続けていると思うと、

知っている情報も更新が必要。

 

一回納得してしまうと、これはこういうもの、と整理をつけて、そのまま閉まってしまいますが、その情報最新ですか?とスマホのOSアップデートのたびに、自分のことも振り返って思うようになりました。

 

だけど、興味って、薄れて次へ移るものなんですよね。

すると、あるところで止まった情報を、抱えることになるのが普通ってこと。

こうなると、自分ひとりで全部の情報を追いかけるのは無理ですから、たくさんの方との対話でもたらされる、知らなかった情報が助けになります。

 

コロナで人と会ったり、長く対話する時間が激減中。

家族や友達と気軽に会って、情報更新たっぷりしたいな~(自粛に飽きてきております

 

 

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鬼滅の刃・再~4DXは揺れ過ぎる

としまえんのユナイテッドのタダ券をもらいました。

お商売していると、そういう約得もございます。

無論、ただお商売しているからもらえる訳ではございませんよ。手前に、奉仕系の与える何かがあればこそ、お返しがもらえるというGive and Take、です(世の中それほど甘くない★


もらったチケットは無期限。

映像に合わせて五感でも楽しめる4DXも見られるとあって、SFとか、アクション系の映画で見たいものが出来たら使おうかと思っていたのですが、なんの予告を見ても心が動かないもので、もう一度、鬼滅の刃を見に行こうかということになり、友達と復習の旅。

 

実は、それほど鬼滅ファンでもございません。

でも、原作を読んで感じるのが、昭和育ちの私の思う家族観やメンタリティを、肯定してもらっている気がする作品で好きです。

 

当店のお客様70代女性が「新刊買っちゃたー!」と見せびらかしに来た方がいらっしゃいましたが、若い世代も、男女の別なく、鬼滅を読んで、好きだと言っていた方が多かったのを見ても、

時代が変わっても、本質的に守りたいものや大事なもの、人間への愛は変わらないよと言い切ってもえる、安心をもらえる作品のように思います。

  

そして、西洋的な価値観では計れない、日本的な価値観。私だけでなくファンの皆様も、水が沁み込む様に、子供達が自己犠牲をいとわず、悪を殲滅するために人知れず戦い、死んでいく心が理解出来たはず。

 

(この民族的な価値観が、今も共有されている感覚、私は面白いなと思っております)


ところで。

改めて見ると、主人公達って、どの子も発達障害気味で笑いました。

最近、発達障害の自己診断テストをしてみたところ、わたくしだいぶ当てはまるなと発見。皆さんもググってみたら分かりますが、「そういうこと、あるある」の羅列です。

ただ、そのせいで周囲とうまくやって行けず、本人的にも苦しいと感じていると、発達障害の〇〇と名称がついていく。昔は、名前もなかったし、多動性障害の友達が学級に普通にいたなと思います。名前をつけて区別して、集団から弾いてしまっているような、昨今の方針は社会全体でそういう人を支えていこうという目的と乖離しているんじゃなかろうかと思ったり、、、横道へそれました。

私が感じたように、鬼滅キャラの発達障害的なところを

細かく分析しているブログがありましたのでご紹介

【映画や小説を分析する~「鬼滅の刃」障害や死の受容】

 

痒いところに手が届くような分析で、読むとスッキリ(笑

映画を見ている間、そんな余計なことを考えながら、画面には集中して感動再びだったのですが、

1つだけ教訓

「4DXは揺れすぎて集中できない」

風が吹いたり、水しぶきが顔に掛かったり、画面に合わせてリアルな演出とありますが、自分の想像力で場面を補足する方が、うんと自然でリアル。画面では左から風がそよいでいるシーンで、機械の位置のせいで右から風がきたら、違和感出ちゃう、そんな感じです。

 

戦闘シーンで座席がグラグラに揺れている最中、お尻の座りが悪くてズレたりで「集中できんやないけー!」と心の中で絶叫しちゃいました。

4DXは作品を選ぶというよりは、まだ動作が画面とギャップがありすぎるので、五感のズレがめちゃ気持ち悪い訳です。4DX未体験の方、でも一度は体験してみたらいいと思います。新鮮さはありますからね★

 

 

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恐れの裏にある幸せを知る

窓辺の手ぬぐいを節分に変えました。

 

クリスマス~お正月~節分~桃の節句~端午の節句と、手ぬぐいを飾る方にとって、年末から春に掛けてが、一番楽しい季節かと思います。

 

近所のスーパーで、節分用の豆が出ており、とぼけ顔の鬼のお面が付いているのを見ると、怖い鬼の権威が随分落ちた気がいたします(笑

 

節分の鬼は、

疫病や、人の心の中の闇や悪(煩悩)の象徴。

どの時代の人々も共に、どうにもならないものとして恐れたものなんでしょうね。

 

見えないもの、分からないものを恐れる気持ちは、根源的で、どの時代でも恐ろしさの共通項だったはずなのに、昭和後期ぐらいから、段々「非科学的」なものへの恐れを、軽んじるようになってきたような気がいたします。

 

鬼の面がとぼけ顔なので、鬼なんて居ないと忘れてしまいがちですが、コロナひとつとっても、まだよく分からない病気は多いし、身勝手なエゴで犯罪や紛争を起こす輩はいる。誠実に生きても、誰かの瑕疵で私達の命は簡単に失われることもある。

 

健康でささやかな喜びを糧に生きる日常は、とても有難いものなんだと思い直すきっかけの日として、節分を過ごせたらなと思います。

 

とりあえず、豆は「魔滅、魔を滅する」に通じるそうですから、年の分、食べようと思います。

 

節分の豆 年と共に食べる量が多くなり(自由律俳句※

※手ぬぐいの通販ページは【こちら】

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好きな感覚を思い出せた

自分が好き「だった」感覚を思い出す出来事がありました。かなりご無沙汰していた感覚。

思い出した瞬間、今まで自分に足りなかったものに気付いてしまい、今のままで個人商店をやっていると、足りないままかもなと少し心が揺れてしまいました。


HPに寄せられる問合せに、どうやら法人の担当者から、本来ならメーカーへ問合せすべき内容のお問合せがありました。

聞く相手を間違えている点。

質問内容があまりに素人な点。


デザイン事務所と書いてある割に、自分で考えたり調べたりする事もなく、その手間を省くために質問してきているようで、これは手抜きだよねと嫌悪感。

私自身デザイン業界で仕事をしていましたが、扱う素材や作り方、使用工具など工程を理解していないと、企画も図面も作れなかったし、見積もりだって作れなかったけどな~と思いました。

問合せといえば、無料で対応してもらえる。

なんて素敵なカモフラージュ(黒笑

 

でもな、
この人は、もしかしたらOJTも満足に受けられない社内でもがく新米デザイナー、かもしれない。私の場合は、周りの先輩上司のおかげで、ひとつひとつ出来ることが増え、上手になっていったのだから、私が社会への恩返しのタイミングと思えないかと変換。

 

この人は、もしかしたら転職したてで、畑違いにチャレンジ中のお父さん、養う家族のために必死な人、かもしれない。私も転職経験者だから、勝手が分かるまでは周りも大変だけど本人が一番大変だもの、と思えないかと変換。

 

この人は、私と同じように、毎日一生懸命生きている人、かもしれない。

 

そう思い直して、真面目に返信してみました。

この店を始めて分かったのですが、嫌だな、不快だな、不満だな、理解できないな、等々、ネガティブな感情が湧いた時は、その感情に流されてしまうと受容力が落ちる。いらないと切り捨てる。後には何も残らないどころか、マイナス気分が残る事が多いです。

 

この「何も残らない」というところがポイント。

 

イライラする自分を認め、イライラしてるな~と感じつつ、無視したい、やりこめたいと思う気持ちと逆方向の事をやるのです。

もちろん、聖人ではないので、毎度心の摩擦は起こります。でもゼロにしかならないやり方→切り捨てることをしないので、結果として「何かが残りやすい」

 

メールへの返信は期待していなかったのですが、返信をもらいました。そこには自分の不躾さを詫びつつ、提供した情報と対応に感謝が綴られており、「相手に何かを残せた気」「相手から何かをもらえた気」がしました。

 

これはまさに承認欲求。

まだマズローの4段階目から抜けられないみたいです(トホホ)

 

コロナで一人でいる時間が増えたせいで、嫌だと思うほどのやり取り、交流を、コロナ時期に出来ていません。他者との交流不足もあるかなと。摩擦は刺激でもありますから。

 

一人になりたくてひとり個人商店をやっている訳ではないのだと改めて思いました。人が集まり交流できる場所として雑貨屋という形態をとり、そのハブとして私はいろんな方の話を聞いて、それを誰かに伝えていたのになと思い出しました。今、出来ていないなと自覚。

コロナで来店数が落ちたまま、寂れ埋もれている感覚に焦りを覚えていること、見ぬ振りをしていたことを見ちゃった感覚。ヒト、モノ、情報が集まる場所は、活気があって身を置くと元気がもらえるもの。当店の場の力が、コロナで落ちまくっているなと感じます。これこそ、見ぬ振りをしていたことを見ちゃった感覚。

一人で成長できる枠と、他者がいてこそ磨かれる枠と、人生にはどちらも必要、大事。


一人でいる時は、一歩一歩地面を歩む感じ。

どんどん遠くへ歩いていく感じ。
線を歩む感じ。

 

他者に磨かれる時は、相手との相乗効果で、街のような面の広がりを味わう感じ。


面の広がる感覚を、今年はもっと味わいたいなという欲が芽生えました。

 

もっと頑張ろう。

今月は、場づくり空気づくりを心掛けて、お店番楽しもうと思います。

 

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極細の牛の涎

商いは牛の涎と言いますが、続く分には細く長くで構わないけれど、コロナも4年目に入り、極細感が出てきて(/ω\)イヤン 

 

今日は月末支払いのために銀行巡りして出勤したんですがUFJのATMの行列が半端なくて、仮店舗で台数減ってるから仕方ないけれど、牛の涎並みの行列に心折れ掛けました(トホホ

 

行列がいくつも折り返す中で、コロナ怖い方だと思うのですが、前の方との間隔を2mは確保したい方がいました。

 

後ろも左右も1mもあいてない状態で、ちょっと異様な光景。その方は頑張って自分がコントロールできる前の距離は確保し続けました。

 

この方は、周りを見渡しながら並んでいたので、自分が前だけ距離を確保しても、周りが協力してくれないと望む形にならないことを認識はしていたと思います。私は、意図は分かるが無駄な突っ張りしているなと思って眺めていました。

 

わたしはつい妄想。

その方の空しさや怒り、悲しさを妄想せずにはいられませんでした。

 

あの方には生き辛い世の中なんだろうなあ…

 

誰しも事情を抱えて生きていて、時に少数派になってしまうこともある。

 

その時に少数派を受容し優先したり、別の選択肢を用意したり出来るのにあのATMの行列にはその余裕が無かったなと思いました。レーン設計にも無ければ、並ぶ人々にも無かったなあ、と。

 

時間とお金に余裕があれば、誰しも基本優しい。今はその余裕がだいぶ減ったな~とコロナ禍を思いました。

 

本日のわたくしは、月末支払いで削られまくりで、余裕ぶっ飛んでますけど、心の中では、細く長くでいいから、他者への思いやりを持ち続けていきたいなと思っております(牛の涎的な人生訓

美彩の木彫、木目込み人形「牛の涎」をお迎えしたい方は【こちら

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幽霊になった夢

夜のパート仕事を再開しました。往復の通勤時間を含めて5時間ほどの立ち仕事。自分の店では、1時間もすれば座ることが出来るので、心中どきどきの復帰初日でした。

気が張ってる間は動けるもので、翌日が心配だったのですが、耐えられる範疇で、ホッとしました。パート仲間の顔を見ると、何だかホッとするところもあって、ここはここで私の居場所になったんだなと思ったりもして。

このまま、時間を薬に、動きに慣れていけば、遠くへ仕入れ旅行に出たりもまた出来るようになるなと確信が持てたので、喜んでおります。

 

昨晩は記録的な大寒波来襲で、江古田も夕方急に冷たい強風が吹き出し、気温もどんどん下がってきて、ドキドキしながら帰宅。

 

パートのせいで筋肉痛や凝りが出ているので、休店日は目覚ましオフで好きなだけ眠って体の修復をしようと、いつもよりも長く眠った本日。夢を見ました。

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パート先で働いている自分。場所は学校のような、部屋がいくつもある場所で、見たことがない人がたくさんいる。今日はいつもと違うなと思いながら、やる事は分かっているのでテキパキ働いていたところ、休憩時間になる。あれ?私のシフトは休憩なんて無いんだけどなと思いながら、誘われるまま移動すると、薄暗いモダンなバーのような部屋。みんながっつりしたご飯を頼んで食べており、私も店員の勧めるものを頼み、前払いしながら「2600円か~、高いな~」と思いながら、仕事に戻ろうかなとそわそわ。

店員が持って来る料理は、1皿と思いきや、次々と大量で、食べ切れないから持ち帰るようにしてくれと頼む。両手が塞がる荷物で、ロッカーに置いてこないと仕事に戻れないなと思ったら、場所が自宅に。家に置きに帰ってしまったようで、仕方ないからパート先へ電話連絡しようと思ったところ、電話が無い。

 

仕方ない、また職場へ戻ろう。着くころには終業時間になりそうだな、どうしてこうなったんだろうといながら、気付くと公園。子供も大人も、何故か私のすぐそばに立ったり、近すぎる距離感。嫌だな、何だろうこの人達はと避けながら、声を掛けても無視されるので、これは意地悪されているんだなと思って腹が立つ。

 

すっかりパート先へ戻る目的を忘れ、こんな場所にいてはいけないと家に戻り、水を飲もうとしたら見知らぬ女性がお風呂掃除をしているではないか。私に気付いた女性が「どなた?ここは私の家ですよ」というのを聞いて「私の家です」と言い返した時に女性の表情が段々と変化するのを見て「あ、私は幽霊だったんだ」と気付き、この女性には見えているが、公園の人達は見えて無かったんだろうなと悟りました。

急に怖くなって「お母さん!お母さん!」と叫びながらどこへ行けばいいのか不安になったところで目が覚めた。

 

夢の理不尽。

 

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それにしても。

ギックリ腰の痛みがあった頃は、痛みで眠れず、うとうとするとズキッときて目覚めるの繰り返しで、寝不足で疲れ切っていたもので、長く眠れる、二度寝出来る楽しさ、心地よさが味わえることがうれしくて、やっと治ってきたなとしみじみ。

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さらば夜の自由時間

仏手柑いただきました。奇妙な形で、中身は白い綿のみで、可食部分ナッシングな不思議な実。インド原産で仏様に手を合わせたような形から、縁起物だとか。

皮を少し傷つけると、凄く爽やかないい香り。渋みとえぐみで食べるには適さないようですが、柚子皮のように使うといいのかもしれません。

 

種は一体どこにどんな形で出来るのか、そこが気になりググッてみたのですが、「接ぎ木や挿し木で増やす」とあり種の話題はナッシング。謎が深まるばかりなり。

 

インドの仏手柑の木はどうやって生まれて、増えたのだろうか。次々生まれる疑問。こうやって図書館のカンファレンスに相談して本を読むのがまた楽しいのがわたくし。

 

そう言えば、「種なし葡萄」「種なしスイカ」と違い「種なしみかん」とは言わないですよね?温州みかんは元々種が出来にくい品種なので、わざわざ種なしという必要が無かった、という豆知識をゲット。知識欲は、枝葉が茂ると楽しさも倍増の法則。

みかんな図鑑「どうしてみかんには種がないの?」

 

ギックリ腰で夜のパート仕事を1ヵ月ほど休んでみて、夜の自由時間が増えることで、自分の余暇の質が向上したと実感。

 

料理をしたり、本を読んだり、動画を見たり、自分の興味関心をつぎ込む時間が増えたら、今まで枯渇を感じていた興味関心が「そう言えば」と次々とわいて来るではありませんか。ただ、ただ、楽しい訳です。

生活のために、今はダブルワークをするべきという選択は間違っていないと自分では納得しています。パート先の同僚に会うのも楽しみではあるというのに、何だか久し振りに感じているこの楽しさがパート再開で減ってしまいそうで、薄ら暗い予感がよぎって仕方ないという…

 

「大丈夫、大丈夫。思い出せたから、パート再開したところで同じ穴には落ちないよ、きっと」と自分をなだめる長風呂タイム。

この自由も、飽きれば色褪せて見える時間。
今楽しくても、また移ろうのが私の心。

分かってる、大丈夫。いろいろ大丈夫(と唱える

 

明日から、夜のパート仕事に復帰します。

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都バス 乗り隊歩き隊 鏡開き号「練馬 江古田」特集

東京都交通局が発行している小冊子『都バス 乗り隊歩き隊』

都バスを利用して楽しめる沿線散策を紹介する内容です。

 

鏡開き号は「練馬 江古田」特集

当店も掲載されております。

 

都営地下鉄各駅、都バス営業所・支所、定期券発売所、荒川電車営業所、日暮里・舎人ライナー日暮里駅等で配布中。

 

それにしても、都バスは創業99年目!

そんな昔から東京には公共交通機関があったとは知りませんでした。

 

表紙の人形は、当店取り扱いの「のごみ人形 鯉乗り童子」

 

中はご覧の通り、風情のあるイラストと手書き文字で構成されていて、絵本みたいに素敵です。

 

当店への路線は新宿西口~王子駅前発着の『王78』、羽沢停留所で下車+地図見ながら徒歩5分。

 

アンケートの景品は当店イチオシのマイクロファイバークロス。メガネもスマホ(液晶)もひと拭きでスッキリ汚れ落ちで、この5年ほど当店で一番数が動いている人気の実用商品。

 

アンケートハガキで応募とあるので、ぜひ冊子見かけたら持ち帰り、応募してみてくださいね。

 

配布場所が遠いという方、東京都交通局ではWEBでも冊子データを公開中。紙の風情付きで見て欲しいところですが、そうもいかない方はリンクから閲覧どうぞ。

 

https://kotsu.metro.tokyo.jp/pickup_information/magazine/noritai/

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仕事始め

今日はパート先にギックリ腰の症状について近況報告の日。

時間が薬となったか、痛みがだいぶ引いた分、少し長く立ったり歩いたりが出来るようになったので、今日からどのぐらい立っていられるのか、その後の痛み具合はどんな感じか、今日から試すことに。

4時間立っていられないと仕事になりません。

何なら歩き続けられないと仕事にならないので、動作継続時間が大事になってきます。

昼の仕事で疲れ切ると、夜持たないし、継続時間が早く伸びてくれたらなと切に思うようになりました。

それと、そろそろこの状態も3週間になるので、セカンドオピニオンもらいに別な整形外科へ行くことにしました。

 

 

気持ちは早く復帰したいけれど、まだもう少し、パート復帰に時間が要りそうです。

パート先も、無理しないでねとしか言いようがない訳で、その言葉を聞くたび、同じシフトのメンバーに申し訳なく感じてしまうわたくし。早く、早く、早く、と思いはするが、体と向き合うしかない。

 

開店後、すぐ通販発送準備。

休んでいる間に重なってしまった注文を発送するので、数はそこそこあるため、黙々と作業。

 

途中、えこだの山賊さんから音虫さん(江古田店の雇われ店長さん)が亡くなった話を聞いて、しんみり。見知っているだけの相手ですが、やはり亡くなったと知れば寂しさを感じます。同じ時期に江古田で過ごしていた商店仲間ですからね。

1時間半は立ち続けていられました。わたくし的には快挙!

座ったら、特大のズキンズキンがやって来ましたが、まあ追々慣れていくでしょう。

 

発送業務が終わったら、帳簿や台帳の年度更新。
例えば、棚卸の数字を仕入台帳や帳簿に反映。

例えば、書式をより使い易くするために、フォーマットの修正。


淡々と、作業。


寒いせいか、休みが終わったせいか、商店街を通る人も人類滅亡。当店も余波で当然人類滅亡。でも初日を回すにはちょうど良かったかも知れません。

 

明日から本気出す(これもいつもの事です(笑

 

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日が暮れると寒さが半端ないです。
冬本番は年明けてから。

風邪を引かないように、暖かくしなくちゃ。と商品のイヤーマフに手が掛かるわたくし。

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正月休み

明けましておめでとうございます。


12月下旬にギックリ腰スタート。

クリスマス前に1週間ほど臨時休業(お商売的にかなり痛かった★

 

これまでで一番ひどい状態で、きっかけと思しき「クキッ」と来た小さな衝撃を思い出すだに、何でアレがこうなったんだろうかと不思議で仕方ありません。

 

痛みや痺れで立つ事がままならないまま年を越しました。徐々に、痛みが引いてきましたが、何しろ治りが遅いもので、今だ立てない歩けないまま。痛くない向きや位置がいまだに見つけられず、座るのも寝るのも痛むので、呼吸は浅いし、全身凝るし、大変。唯一ホッとできるのがお風呂。お湯に浸かっている間は痛みから解放されるので、長湯する毎日。

 

「この先の人生、このまま立てない、歩けない体で生きていくしかないのかな?」とドキドキと不安になると共に、かかりつけ病院の見立てに不安も感じて、世の中が正月休み明けたら速攻、セカンドオピニオン頼みに整形外科へ駆け込もうと思っております。

国民年金なので、死ぬまで働いて日銭を稼がないと食べていけないもので、「ずっと自分の店を維持していきたいのは山々だけど、そうもいかなくなるから廃業していくんだもんな、高齢になったら働き口があるのかな~」と個人商店仲間と話すことがありましたが、その前に、健康で体がちゃんと動かせないと、若くても詰むと感じ、寒い思いが押し寄せる…

 

不自由になってみて、持っていたものの価値や、得ていたものの多さに驚いております。女一人、何も無い、と思っていたのに、力を貸そうとしてくれる人の熱に当てられっぱなし。有形無形、私に掛けられる関心や思いがこんなにも増えたのかと、驚きつつ感謝感激。私も、自分と関わる方が困ったら、手出し口出しできるようでありたいなと思いました。

 

それにしても、いまだに受け取り下手な自分。

困っている最中ほど、「大丈夫だから」と言ってしまう。気持ちは何とかしなければと思っているので、何とかしようと行動もするつもり。ただ、本当に一人で出来るのか、感情が波立って読めないくせに「大丈夫」と言ってしまう。こういう時、家族(同居人)がいれば、余計な事を考えず、お願いするんだろうなと思う。一人暮らしが長くなると、誰しもこの問題を抱えているだろうな…


体は痛みますが、人の情の温かさを実感しながら年を越せたし、新年に希望も持てていることが幸せ。

 

早く、治るといいな。

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ここ最近の雑感 12月

誕生日プレゼントにもらった足元パネルヒーターのおかげで、天国!10年間、冬は寒いもの、末端がかじかむのが普通と思ってお店番をしてきたのですが、天国!

万年人類滅亡している当店、寒い季節の人類滅亡は、精神的にくるものがあります。心も体も凍える毎日が数か月続く、それが今回からはゼロ、ナッシング!天国!

他に浮かれる事柄もないので、一生懸命探して浮かれているところです。

12月は、書き入れ時と言われますが、今年はコロナが始まって一番低温、低水域な印象。巷はコロナの影響と景気不安定で鈍さがまだまだそこかしこ。

月初にご来店のお客様に、忘年会やクリスマスの集まりの有無をヒアリングしてみたところ、「決まっていない、多分無い」の回答が9割方。残り1割は既に少人数で集まり、終わったという。年末のドタバタの前に、集まろうという算段だったとか。

コロナになってから、年を追うごとに、イベント熱が冷めているなと感じます(自分も正にそうです)

 

とは言え、都心へ出れば、人通りも多いし、催事も増えたし、楽しんでいる人はたくさんいますから、自分が今どんな空気感のコミュニティに所属しているかで、見える世界が違うのだろうなと思っています。そして、人は簡単には動かないものだなと、変わらないものなんだなと、感じているところです。

お商売に関しては、巷の空気感を気に掛けて一喜一憂ですが、自分の生活は変わりなく、淡々と過ごしてきたなと思います。食べて、寝て。食べて、寝て。病気もせず、実に平和。

柚子の出回る12月は、柚子皮をみじん切りにして、果汁と大量の塩で漬け、発酵柚子塩作り。私の料理に欠かせない、自作塩味調味料のひとつ。

 

最初の年に、お試しでと少し作り、これがあまりに美味しかったので、翌年から1年分として、大量に仕込むようになりました。刻む作業で毎年クタクタになるのですが、その労力を掛ける価値がある美味しさなのです。

友達が安い店に行き当たると20個ぐらい買ってきて届けてくれる感じ。お友達の厚意があってこそ、毎年漬けられる、ありがたや。

 

パートから深夜帰宅し、ワイヤレスイヤホンでYoutubeの音声を聞きながら、黙々と刻むこと2時間。段々、瞑想状態になり、あれこれ考える思考も止まり、静けさの中に浸る時間。

 

ふと「立ち尽くすもの」という言葉が浮かんで来ました。「ヴァニタスの手記」に出てくる、禍名のようでもあり、真名のようでもあり、私の神様がたまにくれる人生のヒントなのかもしれないと思い、今も心に留め置き中。

この仕込みの一番楽しいところは、果汁を絞る工程。

漫画「おおきく振りかぶって」の作中、監督のモモカンがオレンジを素手で握りつぶしてジュースを作る場面があるのですが、カッコイイ場面として記憶しているわたくし。皮なしの柚子を半分に切って、モモカンごっこ、素手でジュース絞り。

20個分絞り終わる頃には握力が入らなくなるぐらい疲労。

そして、まな板だけでなく、部屋中が柚子の爽やかな香り。

もう今年も終わり、という気分醸成。

 

 

まだ半月残っているけれど、あっという間に終わるんだろう。早いな。

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ただ乗りごめん

大手通販サイトの配達荷物の受取りスポットになりませんか、と営業氏がご来店。

 

プライムサービスで送料無料のあの会社。わたくしも利用しております。便利ですが、配達の融通はクロネコさんや佐川さんに負ける印象。

 

期日指定しようとすると追加料金が発生するので、通常配送の利用者向けの受取りスポットなのでしょう。

 

開業当初は、こういうのやれば店の認知が上がるし、社会貢献になるし、もしかしてついでにお買い物してもらえるかも?という発想で、やってみようと思う方でした。

大手通販サイトとそのお客様、加えて当店の3者がメリットを享受できるので、三方よし=損は無しという判断をしがちでした。

 

三方よしの考え方で「社会を良くしよう」という気持ちは理解しておりますが、個別具体的に突き付けられると、今ではお断り一択です。

 

営業氏、こちらの意志を確認する前に、「これだけのスペースがあれば十分ですよ」と言いまして、それを聞いて「この人、どこにどれだけ積めばいいと思ってるんだろうか?」と心の中でもやもや。

 

想像してみてください。
その会社ロゴが入った段ボールが、店の片隅に積まれていることで、果たして店の雰囲気が良くなるでしょうか。向上間違いなしなら受け入れ検討してみてもいいけれど…見える場所に積むしかない時点で通路が狭くなるのは検討以前のお話。

今でも当店の通路は狭いと思っているのに、これ以上は勘弁。

 

それに、経験的に、当店の商品が目当てではない方は、荷物の受け取りついでに買い物となる確率はゼロだと思うのです。当店の商品がどこでも買えるコンビニ的商材だとそれもありかと思いますが、今の当店の商材だと、まずゼロと思います。

 

建て前はそんなところだけれど、「本音」は、『頑張って箱借りてやってる小規模事業者に、大手が乗っかって経費と労力削減ってどうなのさ』と黒い大人の心が叫ぶもので、直感的に、脊髄反射的にお断りしちまいましたとさ(狭い心ですみませぬー

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ここ最近の雑感 11月

またもやブログ更新が疎かに。
書きたくなるほど心揺れる何かが起こらなかった=平穏無事ということかもしれません。

先日、念願の元上司を囲む会、開催。

江古田から出ない日々で、都心の様子がよく分からないもので、久し振りの大手町がオシャンティー過ぎて、自分が場違いなのではないかとドキドキ。クリスマスのイルミネーションが始まっていたから、商店街とのギャップが凄い訳です。

 

そこに持って来て、レストランがまたちょっとお高めの点心専門レストラン「ヤウメイ」こういう空間は場慣れしていた時期もあったのですが、商店街のおばちゃんが長いと、昔過ぎて気後れしちゃう。

 

気後れする原因のひとつが、当日着ていったセットアップ。

最近完成したお手製で、作ったからにはお披露目したい…

気後れしちゃうという割には、冒険するわたくし(笑

 

しばらくは緊張もしたのですが、美味しいものを食べるうちに昔の軽口が出る程度にくだける事が出来て、楽しくお別れ出来ました。

普段、江古田の街の知り合いと行きあって笑い合っているのですが、いつもと違う空気感の中に身を置いて、普段とは異なる話題選びで、久し振りの顔と会うのは、刺激の質が違うのが一番刺激になりました。同じ環境で同じような出来事を見ている人同士だと、安心感はあるが新鮮味が少ないのが実際ですから。

コロナ以前と同じような過ごし方をしてみることで、そちらの方向へ進んで「よい」「楽しい」「面白い」「新鮮」「発見」と自分にとっての有益を積み増して、段々コロナが過去になるのだなあと思いました。これは、ひとりひとりが経験して積み増さないと全体がそっちへ行かないように思うので、出来る人から出来るだけ、積み増し活動を楽しんでやっていくでいいかなと。

世の中は、悪くなるのは一気だけど、戻すのは何と時間の掛かることか。

でもちゃんと、上向く兆しは見えてきております。

消費者物価指数のコアコアが2.5%達成!(総務省統計局HP
今までプラスどころかマイナスだったものが、ようやくプラスに転じたことに、驚きを感じております。

今は過渡期だから、お財布にお金が無いのに物の値段が上がって苦しい感じですが、いずれバランスして落ち着くと信じております。その頃には、景気も上向き、働けば儲かる世の中再び、と願っております。

 

ハンス・ロスリング氏の「FACTFULNESS」を最近読んで。

様々な負の思い込みを打ち砕き、明るい未来があると思える、人に希望を与える良書。

世界はゼロサムゲームだったのは中世の頃の発想で、決まったパイを取り合う世の中は終わっているとデータと共に解説していました。

 

食べていけるだけ稼いで難なく暮らせたら十分という発想の方もいるのですが、長い事、働いても給料上がらない実情を見すぎて、それが真実に見えてしまうのだろうと思うのです。その方達が、お金だけではないという価値観を持ちながら、お金がちゃんと稼げたら、もっと明るい世の中になっていくように思えて、私もあと少し、この低空飛行のお商売を、何とか維持して頑張ろうかなと思ったりして。

11月は、自分の誕生日が近づくほどに、理由もなく、深く落ち込みがちな時期なので、事業頑張るより自分メンテナンス頑張る月。

それもそろそろ下旬。
今年もちゃんとやり過ごせますように。

 

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