パートから帰ってから、夜更かしして読書。今の自分には、このページ数を読み終えられるか自信が無かったのですが、一気読みするほど関心のある項目ばかり。
ここ数年SNSやニュースで話題になったあれこれを題材に、裏側や別視点で見ると違って見える事柄達。
年々強まるリベラルっぽい何かの気持ち悪さに欺瞞を感じていたのですが、そんなことよりヤバい「自分の偽善性」に気付いてしまいまして、読後の思考が止まず。
少数の声を拡大喧伝する活動家や社会ムーブメント、リベラルっぽい皮をかぶった胡散臭い別物に見えて、眉をひそめるようになってきたわたくし。
世の中、人権と環境を理由にきれいごとを並べても、私のような庶民には受け入れ難い理屈もあって、何か歪みを感じていたのですが、それは声の代弁者はみな身ぎれいで、知的水準が高そうで、社会的信頼度が高そうな仕事についていて、お金も資産もある人が表に出てきているせいもあったかと。
本当に助けが必要な誰かは、疲れ果てて声をあげることなく絶望している見知らぬ誰かだとしたら、その人が私の目の前に現れ「助けて」とすがりついて来たら、私は逡巡するかどうかさえ怪しく、「余裕が無いので出来ません」と断るはずで、自分がいかに偽善者かと、活動家達を胡散臭いと評しながら自分はマシと思っていた自分は、彼らと何が違うのか見分けがつかないじゃないかと分かり、読後もやもやと考えております。
手を差し伸べるべき人が、清貧をかこつ誠実な人ばかりではなく、どうしようもなく愚かで身勝手で乱暴な犯罪者の姿をしている可能性を、すっかり排除していた自分に気づき、私は助けたいと思える人以外は目に入らない「偽善者」だったなと自覚。
犯罪者は悪いヤツだから根絶やしにしろという発想は、私が訝しく見ているリベラルっぽい活動家そのもの。自分と添わないものは消えて当然と考える事が怖い。
もしもその犯罪者のような助けるべき誰かを、社会からはじかれた誰かを受け入れて、結果的に生きる場を提供しているのが暴力団的な存在だとしたら、という話も面白く読んだ。首輪をつけて堅気に手出ししないように制限を加える存在と思えば、必要悪というものもあるなと受け入れそうになる。だけど暴力団は社会を良くする活動をしている訳ではないから、そこだけ見て必要とも思えない。はてどうしたらいいのやら、もやもや。
婚活アプリで断られ続けて結婚を諦めた男性の話も、どっちが悪いとは言えないが、じゃあどうすればいいか分からなくなる話で、もやもや。
私自身は女性側の気にするポイントも理解は出来るが、男性が感じた「見定められて、選別されて、捨てられる虚無感」も理解できる。全部そこら辺に転がってる普通の話ですから。そして、そこを越えて結婚して、暮らす過程で離婚の危機の一度や二度三度をどのご夫婦も経験しているのもよくある話。
結婚対象の女性とのやり取りのせいで、大いに傷つきく男性。女性は、望む条件に合う何かを選んでいるだけで、合わないと直感的に感じると、話の途中でももう無理と走り去る勢い。断られる回数が重なると、女性全般がそういう素因を含む生き物で、それと結婚て、何のためにするのか分からなくなる。
非常に、分かりやすい流れ。
そして、どうだったら良かったのかなと、もやもやする。
男性と女性を入れ替えても、よくある話。
この女性陣のような人はたくさん普通にいて、「これじゃない」と何かを思い浮かべ、それと比較しながら最良を探している。婚活においては女性側の了承がトリガーなので、女性優位で進んでも、了承得るまでは上下が出来ても仕方ない。
この「自分の方が優位だと思う時に、どう振舞うのか」が問題で、件の男性のように傷ついてしまうようなやり方を、本来分別のあるお年頃の適齢期を越えた女性達が取る事が嘆かわしい。
そんな女性が、自分の理想に近い相手を見つけたとして、果たして幸せになれるのか。似たもの同士でうまくいくなら、友達少なく周囲から煙たがられるお宅になるのかな、とか、やっぱりここが嫌と次々に嫌な所を探し出して、結局その相手も捨てるのかな、とか、不幸へのアフターストーリーを妄想してしまうわたくし。
多分、この本は、あなたならどうするかを問いかける系。
思考するための手前の情報を提供し、読んだ人それぞれに思考実験させてみる本。だから、今まで正しいように見えていたものが、そうでも無かったり、違ったり見えるようになると、『物事の見方の柔軟体操』になるということではないかと。
必ずしもスッキリと「そういうことか!」とはなりませんが、読んでよかったと思えた本。
いつも聴いてるラジオ番組「おはよう寺ちゃん」で、作家の小田雅久仁氏の新刊の紹介兼ねたインタビューが流れたんですが、新刊よりもこっちタイトルに惹かれてしまいました。
小田雅久二氏の本は、どれも話題作として取り上げられる事が多かったそうです。前作『残月記』では、吉川英治文学新人賞とSF大賞をW受賞。本屋大賞にもノミネートされたとラジオパーソナリティの寺ちゃんが紹介しておりました。
開業してから小説(フィクション)が段々と頭に入らなくなったわたくし。以前は登場人物に感情移入しては、ひと時、現実逃避と癒しを得ていたのが今は昔。
自分のリアルの方が刺激的過ぎて(笑
だから、小田雅久二氏の事も存じ上げなかったし、書店へ通うよりもAmazonでポチる事が増えてから、本屋に平積みされている話題作も分からなくなってしまって久しい感じ。
インタビューで、小田雅久二氏が「新刊出るまでかなり間が空いたのは、前に出した後、しばらく書けなくなって」とサラッと言っていたのですが、『書けなくなる』ことを重く受け止めてしまったわたくし。小田雅久二氏本人が、その間どんな時間を過ごしたのだろうかと気に掛かりました。
その方が、また書けるようになって書いた新刊「禍」も読みたいのですが、それ以前の、書きたくて書いていただろう文章を、まず読んで見たく思ったのです。
本にも雄と雌があって、持ち主の知らぬまに子供を産んで本は増える、みたいな与太話から始まるイントロが軽快。ラジオで聞いた声や語り口調が訥々として落ち着いた感じだったので、気楽な時はこのように明るい人なのかもしれないなと同時進行で妄想。
テンポの良い文章でスラスラ読めるのに、1文に詰め合わせられた語彙は濃密。55歳にして初めて出会った単語にいくつか出会い、味わいました。
漢字、熟語は概念を圧縮したファイルのよう。頭の中で展開すると2文字が表している何かがぶわっと広がる感じ。この圧縮ファイルが展開する感覚は、英語圏の人には味わえないだろうな~と楽しくなるぐらい、熟語の嵐。
内容は、ネタバレすると面白くなくなっちゃうので書きませんが、ファンタジーです。
そして、ファンタジーと思って読み進めているのに、謎展開に疑問も持たず、次はどうなるのか、最後はこうなればいいのに、と引き込まれてしまう辺りが文章力かと。
二重三重、十重二十重に練り込まれた設定が秀逸で、ちょろりと出てくる名前が後で効いてきたり、どうでもいいような枝葉の小ネタが後で回収されたり、時間軸が変わったり、人物視点が変わったりして、5分の4過ぎても話の着地点が皆目見えてこないので、焦りを感じるぐらいでしたが、ちゃんとラストで畳みかけるようにドーンと、バーンと、帰結していきます。
全部忘れずに読むには情報量が多いので、家系図と相関図をメモりながら読むのを推奨です。
広げた風呂敷を畳む過程で、物語を通して語り役をやっている「博」が、当店の立地する江古田に住んでいた時期の話が出てくるのですが、江古田の文字を見て、テンションがうなぎ登りです。荒唐無稽なこの物語が、博によって、江古田で書かれ始めたのかもしれないと思えたら、「有り得る」と信じたい気がして。
江古田って、そういう街なんです。
不思議な人が多い印象。
これは言葉に言い表せない街の空気感。
小田雅久二氏も江古田に住んでいたことがあるのだろうか。日芸か武蔵大の出身者かも?と期待してググるも関西大学法学部政治学、違った(笑
私には、しなやかな筋肉で跳躍するバレーダンサーのような、美しさと力強さとアクロバティックな柔軟さを感じる本でした。ここをスタートとして、次は「残月記」、次に「禍」と読み進めてみたいと思います。
X(旧Twitter)のおすすめに、知人のリベラル派区議が引用した、毎日新聞の記事が上がってきました。一見するだけで違和感。
世田谷区の私立和光小学校の6年生36名が、岸田首相宛てで「何故防衛費を上げるのか」手紙を送ったというタイトル。終戦記念日ならではの話題。
クラス36人が、たまたま、自発的にこの話題で手紙を書きたくなることもあるでしょう。それを、学校の封筒でみんなで塊作って官邸へ送る、そのやり方に違和感。そもそも、学校側は、どういう情報を子供達に与えて考えさせたのでしょうか?発送前に画像を撮影して記事にする新聞社も、一体どうしてこの件にたどり着けたのか、疑問。
Xでの反応も、私が感じた気味の悪さを感じている方が多く、件の小学校は思想的に極左寄りだとか、この手の手紙は冬にも官邸宛てに送られたことが東京新聞で記事になっていたので、定期的に取り組まれていることなのだろう、など、いろんな小ネタが散りばめられ、いろいろお察し。
概ね、現在の日本を取り巻く状況から、防衛を重視しているX民が多いように見えるが、リベラル派にはやはり「いい事」「こういう繰り返しの先に、声を上げることが出来るようになるから、過程としては重要な行為」と認めている意見も見受けられ、知人の引用ツイートは謎な内容だったが、多分「よい事」として受け止めての引用だったかと。
反戦教育の形に好き嫌いはあれど、最初はいいと思っていたことが、時間が経つと情報量が増えて、考えが変わることもよくある事だと経験上分かっているので、ゼロだったところが1に増えたことは確かだなと思って記事を読みました。
私が30代でこの質問をされたとしたら、近現代史は受験用の暗記ぐらいだったので、子供と一緒になって「戦争は悪いことだよね。仲良くする方にお金と力を使うべきだよね。」と温い話で、誰もが受け入れやすい「いい事」レベルで終わったことでしょう。
40代でこの質問をされたら、「歴史を学ぶと違う見え方もあって、当時の事情も価値観もあるし、そう善悪を簡単に線引きできることではない」「歴史は戦争に勝ったものが作る」「戦争は起こさない方がいい」「戦争を相手に起こさせない事も検討実施するべき」「絶対はないが、ベストを探そう」「ベストの結果や道筋はひとつじゃない」「理想は一つのように見えて一つじゃない。国の数、人の数だけ理想はあるよ」「真っ黒に近い灰色の中で、出来るだけ白っぽく見えるように頑張れ(個人の感想です)」と、具体的に1つの答えが出ないことを言っただろうと思います。
55歳の私は、「自分で考えなさい」って終わりかな。
その代わり、情報へ行き当たる検索の観点や、調べ方について、アドバイスをたくさんすると思います。答えが複数の派閥に分かれるようなら、そのどちらもの意見を調べて読んで理解をしてみなさいと言うつもりです。大人が持ってる答えも絶対ではなく、ただの一例だと思うことに気付いて欲しいかな。
そして、調べて考えたことをじっくり聞いてあげると思います。聞きながら、補足情報を持っていたら伝えるし、反論があれば伝えるし、意見交換を深める努力をすると思います。
これ、大人に対しても同じことが言えるかなと。
姪っ子があまりに家事が出来ない子なんだと気付いたわたくし。おかしいな、この年頃の私だったら、掃除、洗濯、簡単な炊事は当たり前にやっていたので、出来ない事のレベルの低さに驚き、実家のおかんに電話したところ、実家では食後のお片付けで、洗い物を拭くぐらいしかやらせてないと聞いて驚いたし、腹が立ちました。
「大人は先に死ぬというのに、何なら明日死んでもおかしくない世の中よ。この子は、その後も生きていけるように、何でいろいろやらせて覚えさせないの⁉」とおかんに嚙みついてしまいました。私や妹に対して、自分の身の周りの事は出来るようにという方針で教育してきたおかんが、孫には甘いという、よくある話なんですが、結果的に孫達は出来ないことばかりで、自立しにくい、生活力の無い大人に育つでしょう(苦笑
子供と大人の境目は、いつでしょうかと問われたら、今の私にはよく分かりません。
第二次性徴が発現し、体が大人になっていくと共に、心も行きつ戻りつしながら、段々大人になっていくイメージがあります。子供は子供らしい考えや思いだけで構成されてはいないのは、自分がそうだったから分かるのです。
私は子供達に「1人でも生きていけるように」「身の周りの事は自分で出来ること」「何か問題に行き当っても、自分で考えて答えを出して進める」ような大人に育って欲しいなと思っているんだと分かりました。
これも、冒頭の小学校と同じく、大人の思惑なので、押し付けるとなるとNGなんだろうかな~、、、なんて。
ひろゆき氏が、この記事の引用リツイートで
>学校はわからない事の調べ方を教わる場所です。防衛費が増えた理由は、岸田首相に手紙を書かなくても、国会答弁やニュースを見ればわかります。教師が無能だから調べ方がわからなかったのかな?
と書いて、ヤフーニュースに取り上げられていましたが、そう言えばそうだなとシンプルさに感心。
姪っ子へ、「一次資料に当たれ」も追加しておこうと思いました(笑
お箸は気分で使い分けるので、竹箸と塗り箸と、5膳ほど持っているわたくし。
最近お弁当用に毎日持ち歩いているのは、赤い若狭塗のお箸。私は小さい頃から長い箸が好きで、このお箸だけ、短い女箸サイズ。母が、買ってくれたお箸。
私は、人生の節目にリセット癖があり、例えば会社を辞めて2年間貯金を取り崩して暮らしながら、悶々と自分探しに励むような、切り替えが下手でした。
母は、最初はひと月もすれば落ち着いて、次を探すだろうと思っていたようですが、3ヵ月、半年過ぎても立ち直る気配が無い娘に不安を感じたことでしょう。
私が「赤いお箸で食べたい。赤なら元気出るかもしれない。」と言ったのを真に受けて、あちこち探してくれたことを思い出します。私が望む赤い色は、西洋的な原色の赤だったのですが、漆だとそんな色にはなりません。
あの時の私は、そんなことも知らなかったので、母がその中でもイメージに近いのではないかと探してくれたこの箸を見て、『やっぱり自分が望む通りにはならない世界なんだな』と思いつつ、「ありがとう」と感謝の言葉を述べた記憶。
この若狭塗の箸は、何年も使っていると漆が透けてきて、色合いが鮮やかになってきて、ある時に『あの時欲しかった赤になった』と気づきました。
そのぐらい使っていると、箸の塗膜の艶も、ツルツル感が増して本当に美しい色柄に育ち、手にしっくり馴染む感触に。この「吸い付くような感触」「硬いのに柔らかい当たり」「優しい手触り」何とも言えない心地よさ。母が、わざわざこれを選んでくれた事に、数年単位遅れでの大感謝。私が漆好きになれたのは、母が漆の良さを知っていて、そこに価値を見出していたからなんですよね(ありがとう、お母さん
お商売上、麺を食べるなら竹箸が便利と説明はいたしますが、漆のお箸でも麺は落とさず食べられます。プラスチックと違って、そこまで滑らないので、私は自分の漆のお箸でなら、コツがつかめているので、麺類も気軽に食べられるようになりました。
和食の行儀作法で、箸先3センチほどで食べ物を掴んで食べるというのがありますが、ひと口の量を随分と小さくしなければなりません。全部食べ終わるのに時間が掛かります。その代わり、小さい塊を口に入れる習慣がつくと、よく噛みます。一度にたくさん口に入れる方が、咀嚼が疎かになり、味わいも雑になるので味が濃いものが欲しくなり、早食いになりダイエットにもよろしくないと今は思います。
食事にゆっくり時間を割ける人は、案外少ないです。
お勤めしていたら、昼休憩は時間が決まっているので、時間内に食べ終わるタイムトライアル。子育てしていたら、夜ご飯食べたらすぐお風呂入れて…と寝かしつけるまで怒涛。私なんて、一人暮らしだったのに、残業して深夜帰宅、睡眠時間を出来るだけ確保したいので、食事や入浴が雑になるのが当たり前でしたから。
最近、足の甲の靭帯が一部老化で損傷し、そのせいでイメージ通りの速度で歩けない体験をしております。足は、常に体重が掛かるので治りにくいのだとか。長く自分の足で歩きたいなら、老化と付き合い、体の動かし方をそれなりに変えていくべきと諭されました。そう言われても、すぐにこう変えたらいいとは浮かばないもの。これまで、いかに無意識にお任せで、自動で歩いていたかがよく分かりました(日々、観察中
世の中はお盆。お休み。
ある程度、ひとりの時間が持てるようなら、私の箸使いや足の老化現象みたいに、自分の「今」を把握しつつ、今のままでいいのか、どこか変えた方がいいのか、見つめ直すひと時が持てたらいいなと思います。
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老化対策。
速度を落として、時間を掛けて一つ一つをやる、そんな方向性しか見えません。
40半ば過ぎた頃から、1日にやり遂げられる量が減った感覚はあったのですが、進行しちゃって1日1つもあやしいほど(苦笑)それは頭の回転のせいと思っていたのですが、体も同様に老化していたのが分かり、ショックはショックでございます。
でも、それは当たり前、誰にでも起こること。優しく受け止めて一緒に過ごしていくしかないのです(笑
私の赤い若狭塗のお箸のように、劣化したら美しく滑りにくくなることだってあるのだからと、自分を励ましております。
プライベートでいろいろあって、不特定多数の方に発信して差し支えないネタが見当たらず、気付けば8月もお盆。
何か書いている時は、身の内に、心の中に、何かがたまっている時でもあるので、特定少数との交流に時間を割いているうちに、無くなってしまったようです。
今も状況はあまり変わっていないというのに、深刻さが無くなっていたわたくしに気付き、毎年1回2回やってくる山場を越えたんだなとホッとしました。
自分の頑張りだけではどうしようもない時に、たまたま良い方へ転がったと感じると、そこに神様や仏様の手助けを感じたくなるお年頃。季節はちょうどお盆だし、ご先祖様にも感謝したくなるというもの。
自営業やフリーランスに、験担ぎ好きな方が多いのは仕方ないのかも。
まだ売り上げはコロナ前には戻りませんが、生活習慣も変わってしまったろうし、戻ると思わずに見れば、世の中の重苦しさはだいぶ抜けた感が強いです。
物価も高いが、給料や時給が値上がり傾向は続いているし、まだ可処分所得の増加が物価上昇に遅れているとはいえ、このままデフレへ逆戻りはしないんじゃないかなと私は予想しております。
年末まで様子見て、パート辞めて、本業1本に戻すかどうか、決めたいなと思います。
6月、AirPayを導入しました。
Paypay一強な当店でしたが、使えるとなるとSuicaや○○Payを使いたいというお申し出がポツリポツリ。まだポツポツなもので、いちいちデバイス立ち上がるまで待つ待つ。起動したら操作方法忘れてて「あらちょっとごめんなさいよ」で待つ待つ。それでも大らかに決済してくれるお客様に助けられて、徐々に手早さが出てきたかも(かも知れない程度
まだ、新しいデバイスの設定や操作は、一人で出来る。
これがメンドクサイやら分からないから出来ないとなったら、辞め時と基準を心に持ちました。
先月姪っ子が遊びに来ていたんですが、英語が苦手というのを聞いて、私もアドバイスできるほど得意でもないもので、Duolingoというサイトで遊びながら勉強しております。毎日少しでも音に触れたり、綴りを書いてみたり、はるか35年ほど前の記憶をたどりながらのお勉強は、初級はまだアドバンテージあるから楽しんでやれております。1年後に、自分の英語力がどうなっているか、楽しみです。
つい先日、足の甲の靭帯が老化で弱り、そのせいで痛みが出たり可動域が狭まってきたと判明。整形外科の先生に「若い頃のスピード感をイメージしても、体が動かない年頃になってきたので、そろそろ今の自分の体の動かし方を見直してみて」と言われました。思い当たる節がいっぱいあるもので、気をつけて今の自分を観察してみようと思います。
ああ、段々と、衰えてきてはいるが、まだ楽しくやっていられる。今が一番幸せだなと思うお盆。
テルゾさんの移転作業の手伝いに行ったら、移転先へ持っていけないからと、あれこれもらい物。ボランティアのつもりで行ったのに、もらい過ぎて恐縮でした。
画像の台は鉢植え並べたら素敵そうですが、私の椅子兼踏み台にする予定。後日塗装を計画中。
自分のテナント移転の時も、何だかんだ友達が手伝ってくれまして、台車で箱詰めした商品を横持ち往復、季節は7月だったからみんな汗だくで作業してくれて、何とかお金を掛けずに移転できたのを思い出します。
確か今日明日でテナント返すと聞いていたテルゾさんに顔を出すと、まだ片付け途中。5月末でテナント返却したキャラウェイさんの様子を思い出しても、随分と作業残りが多い印象でした。
「大丈夫ですか?」と聞けば「う~ん、多分大丈夫、ありがとう」と返ってきましたが、こういう時に「いやマジ困ってて、こんな面倒で大変なこと1人じゃ無理だで、頼む手伝ってー」とスルッと言える人は少ないです。
母が、相手を思うなら、口先だけじゃなく、体動かして助けるの大事よ、と教えてくれたことがあります。先日亡くなった元上司も、火を噴いているようなヤバい現場に突っ込まれたら、何も出来る事、やることが無さそうでも、とにかくその場に張り付いていろ、と言っておりました。些末な雑事でも、必要な時にすぐ動いてあげることが、相手の救いとなり、助けとなることをよく知っていたんだと思います。
腰を痛めているので、はかどってないのかもなと思い浮かび、自分の通販発送が終わったタイミングでテルゾへ押しかけお手伝い。移転先への荷物移動が残っていたので、商店街の台車を持ち出し、行ったり来たり。
ちょうど、私がテナント移転した時の移動距離と似たり寄ったりだったので、道々、あの日の気持ちなんかを思い出しておりました。あの時移転しなかったら、私はとっくに店を畳んでいただろうし、不完全燃焼と失敗した喪失感で鬱になって引きこもってダメな中高年まっしぐらだったかも(笑)
物理的に動くと、状況も変化していくものなんですよね。今、何かを変えたい時ほど、行動量を増やさねば、と思い浮かびました。そうだった。頭で考えても、行動しないと何も起きないばかりか、ぐるぐる考えることで心が疲れてすり減るし、考え過ぎるのはいいことナッシング(と言いながら、わたくし、ぐるぐるする名人
近日、テナントの更新。
続けるのか、続けるならどんな形に変えるのか、ずっと考えておりましたが、汗だくになりながら台車を押すうちに、私の中の迷い事もひとつひとつ、こっちへ動かしてみようと決まり始めまして、テルゾさんのためというより、テルゾさんのおかげで私が助かった感じ。
テルゾさん、何でこの人ここまでするのかな?と思ったかも知れませんが、私が人生で学んだ教訓のひとつが、『助けて欲しかったら助けろ』
テルゾさんからお返しが欲しいのではなくて、私がテルゾさんへ渡した何かが、テルゾさんから誰かへ伝わって、そんな変化が繰り返されて、いつかとんでもない方向から戻ってくる、そんな「縁起」を信じているのです。
人を助けている場合じゃないんだよ!って切羽詰まった気持ちになっているなと自覚したら、『助けろ』が不思議とよく効くので試してみて欲しいです。
お手伝いしながら、今後の仕入れの方向性が1つ2つ見えたので、あとは今やっているセールで在庫をいくらか減らして、手元金が出来たら新しい仕入れを起こしてみるだけ。やる事が見えていると、進む速度も早まりそう。
そのためにも、セール期間中に店頭在庫がすっからかんになるほど、売れてくれますように。
私の趣味は、実益兼ねて、洋裁。
中学の頃に家庭科の授業でスカートを縫ってから、下手の横好きで趣味に連ねてきた洋裁。
病気して急に太って以来、ダイエットとリバウンドを繰り返し、若年性の更年期でますます巨大化して今に至る。既製服のデザインは、流行りがハマらないとどれも選べず。大きなサイズは、入るけれどもどこかが緩く、そのだぶつきが太さに変換され。太っているからみっともないのは仕方がない、と諦めるのも屈辱的。
デブなりに、おしゃれはしたいとなれば『やはり作るしかない』という発想に至って、ここ10年は、型紙の本を読んで既存型紙の寸法をカスタマイズしたり、一から型紙を起こしてみたり、段々上手になって外へ着て歩けるものが増えております。
生地は日暮里トマトで見切り品から選んで来る感じ。これは¥100/mで3m買ったから生地代は¥300なり。
思ったよりスケスケな生地なので、縫う時にスルスル逃げて少し苦労しましたが、ミリを追っかけるようなデザインでもないので、大らかにミシン掛け。
袖をラグランスリーブにして、肩のラインをボディラインに沿わせたのが今回のポイント。ギャザーでみぞおちからお腹に掛けてのラインを誤魔化し、首から肩にかけてスッキリさせることで、少しでも痩せて見えたいという願望が詰まったデザイン。
今回「三つ巻押さえ」なるものを導入。
背中側にくるリボンタイの端を三つ折りしてみたんですが、逃げる生地で作るのは難しかった・・・逃げない生地でもコツがいる道具で、まだ、掴めません。
アイロン前の撮影なのでシワやツレが気になりますが、数回洗濯してアイロンも掛ければ、縫い目もだいぶ落ち着いてくれる予定。
仕上げたらすぐ別なブラウスに仕掛かり中。
薄手の綿で、今回は身頃にフリルたくさんつけて仕上げたいなと妄想。
こんなに次々作る必要は無いのですが、ジッとしていると現在お悩み中のことをグルグル考えちゃうもので、作る行為に没頭することで現実逃避。
来月、テナントの更新があるのですが、コロナ明けで空気感が変わってきた気がする一方で、数字は変わらず。このまま本当に続けるのかどうか、正直不安になるもので、悩む訳です。地方の取引先に連休の様子を聞けば「人出は多かったが売上は伸びず」とどちら様も苦戦継続中(切ない現実です
先週テルゾさんに
「何でそんなどうでもいいこと考えるの?(意訳」
「やりたいことあるなら、やるにはどうするか考えなよ(意訳」
と言われて気分上がっていたというのに、現実問題を考えると、気持ちは行きつ戻りつするもの。
先の事でもうひとつの悩みは、これからの品揃えについて。
コロナの間、体力のない個人商店として、何とか維持継続を考えて「定番重視」で、安定的に売れる「消耗品を補充」で生き延びたところがあるのですが、コロナが終わる頃合いなので、そろそろ総入れ替えの勢いで、「刷新が必要」かなと感じております。やるなら大胆にした方がいいという判断が、浮かんで仕方がないのです。
前からコロナはいつか終わると考えてはいたのですが、それが2022年内で終わると予想していたのが外れ、そのままコロナが終わる実感も持てずに来たもので、おや、空気感が変わってきたかな?と感じ始めて慌てている、といったところでしょうか。それで、こっちの方向へ、というのがまだしっくりと心に降りて来ずに、モヤモヤしているところ。
何かに集中しながら、思考を整理・・・と思って服を縫い始めたら、結論に向かって思考するどころか、大きな判断をするのが怖くて、作業没頭で現実逃避をし続けているという。。。。本当に気が小さいな、と思いながら、時間が掛かるなら時間を掛けてぐるぐる考えるしかないな~とも思います。
この調子だと、5月末までこの調子で趣味の洋裁がはかどって仕方ない予感です(苦笑
連休最終日は雨。
結構な雨量、今日は絶対、人類滅亡。見越して持ってきた本を読了するのが目標です。
この雨はきっと「お休みよ、フォーエバー」な人々の気が集まり、風を呼び、雲を呼んだに違いない(妄想
とはいえ、春の雨は、植物には恵み。
疲れた人に、休みを促す癒しの雨。
雨音聞きながら、のんびり過ごせばいいかなと思います。
ああ、でも雨の日は売上が落ちるのつらたん(死語
思い起こすと、若い時は「そういう日もある」と考えることが出来ず、「雨が降らなければよかったのに・・・」と降らなかったら起こったであろう「いい事」に繰り返し思いを馳せたものです。
雨が降らなかったとして、いい事が起こるとも限らないのに、です。
現状が、自分にとって好ましくない、と感じているせい。
現状でなければ、好ましいと思っている、思いたい。願望。
過去に時間は巻き戻らない。
過ぎた時点の可能性をあれこれ考えるのに、時間と労力と心を使うなんてバカな事・・・
今の私は、そういう思考癖を辞められたので、降らなければ良かったのにとは思わなくなりましたが、きっと人類滅亡するだろうから売上ナッシングかも、と良くない未来を想像。
この起こるかどうか不明な未来を想像することも無駄なのに、何をやっているのやら。
最近、近所の洋服メインのセレクトショップ「テルゾ」さんと閉店後に初飲みのさし飲み。テルゾさんは5/20で今の店を閉店すると聞いていたので、一度ゆっくり話をしてみたかったと声を掛けたら「店閉めたら飲み行く?」と誘ってもらいまして、それで実現。いつでも会えそうですけど、場所があるから行き合える関係って絶対あります。商店街の店同士の関係はそれ。だから箱が無くなれば、もう会えない方が当たり前の関係。
私がテルゾさんに聞いてみたかった事は「店を辞めると決めた判断過程」
わたくし、起業する時に、こうなったら廃業すると要件や条件を決めて開業するべきと起業本で読んだので、一応いくつか決めておりました。最初の1年は儲からないもの、と読んでいたので、そんなものかと思いながらも、半年もしたら尋常ではない持ち出し額とスピードに「本当にあと半年で収益が出始めるの??」と不安になりながら、でも1年は様子見だから堪えるべきと見誤り。
持ち出しが痛手になるほど多くなると、辞めたらゼロになると思うから、辞めるのも怖くなる訳です。欲が判断を見誤らせるって本当です。その結果、私は11年目を迎えた訳ですが、あの時辞める判断をしていたら、もしかするともっと心労の無い暮らし向きだったかもしれません(ほらまた、余計なこと考えるw
テルゾさん、想像以上に「今を生きる人」でした。
「何でそんなどうでもいいこと考えるの?(意訳」
「やりたいことあるなら、やるにはどうするか考えなよ(意訳」
話を聞きながら「私、こんな風になりたい」と思えるカッコよさでした。話しにくいことにも答えてもらえて大感謝。コロナ苦境3年間を締めくくる、よい出会いになりました。
ちなみに、テルゾさんとは、また近いうちに会えるようなことになりそうで、また飲みに行けそうで、ホッとしております。
そして昨晩は、大学からの親友で情けないところも隠さず話せる相手に積もった思いを聞いてもらうタイム。問題はちっとも解決してないけれど、抱えている気持ちはだいぶ納まりました。凄いガス抜き完了。「明日からまた元気出して行きましょう!」とスイッチ入れて深夜帰宅(いつもありがとう
今年の連休の思い出は、そんな感じ(とても幸せ
コロナは終わりと実感できる連休、希望持って粛々と日々を頑張ろうと思います。
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駅前のカラオケ館に行ったのですが、結構部屋が空いていて、都心の繁華街は人出が戻っていても、江古田みたいな住宅地はまだまだだなと再確認。この戻りのタイムラグの間に潰れる小規模事業がこの先も増えるだろうなと予想。しかしそれも年内で片が付くだろうなと予想。結果は年末振り返ろう。
翻訳の日本語がとても読みやすい本でした。
映画や漫画で見る、マリー・アントワネットの髪形は、地毛ではありえないと思っていたのですが、その疑問が随分解決された本。
歴史資料を読み、当時のレシピで作り、当時のやり方で1年過ごしてみるという実践込みで書かれた本。
著者自身がやる前に、現代人の感覚で立てた予想がいい意味で裏切らるたび、それを読んだわたくしが「え!そうなの!?」と驚いたり楽しんだり、どこを開いても楽しい本でした。
最初は、やはり造形的に面白い髪形の作り方に釘付け。
私は、当時の装飾的な髪形はかつらなんだろうなと思っていたので、髪形を盛り上げるためのクッションの存在にまず驚きました。
ちなみに、男性はかつら装着だったそうです。女性達にはかつらは不人気だったと書かれていました。かつらをつけた女性というのは、どこか揶揄するニュアンスを含んで描かれる事が多かったようです。何故男女で異なるのか、不思議。
ボリュームが欲しいところに、土台として潜ませるクッション。ヘアピンを挿す時の土台にもなるもの。ボリュームの出しやすさやピンの挿しやすさは形の維持にも関わるので、クッションの充填素材は、身近なものが使われている中でも、良し悪しがあった模様。
当時の髪形は、自力で結い上げることが出来なくもないのですが、一から作るとなると相当時間を使うのが見て取れるので、腕を上げ続けて髪を一人で結うなんて、腕がプルプルと筋肉疲労で痙攣しそうです。手早く美しく仕上げてくれる髪結いは、無くてはならない仕事だったんだなと感じました。
ちょっとお出かけを・・・なんて思ったら、今の女性の何倍も労力掛けて用意しなくちゃいけない訳で、きれいな格好している人は、やはりそれなりの財力が求められる訳で、庶民の方はどうだったんだろうかと気にもなるところですが、庶民の方々も流行を追える方達は同じように髪結いしていた模様。
1780年頃、髪を縮れさせボリューム出してふわっと仕上げるのが流行ったそうで、コテを使ったカールやウェーブの作り方は、パーマ液が無い時に、は現代でも応用できるやり方だなと思い、じっくり写真に見入ってしまいました。
1750~1790年あたりの流行を紹介してあるので、変遷をみるのも楽しいはずです。
いずれの時期も、髪の美しさや衛生のために使われた「ポマード」と「髪粉」の存在が大事なアイテム。当時のレシピを元に、現在入手できる材料に置き換えたりしながら、作り方も紹介されています。頬紅とリップクリームのレシピも載ってました。
現代の化粧品の原材料は、化学物質の名前の羅列で、読めてもどんなものか理解できない印象ですが、ポマードの基材は獣脂、髪粉の基材は小麦でんぷん、と食べられるもの。著者も言及しておりますが、現代の化粧品より肌に優しいかもしれません(笑
ポマードは髪形をかっちり固めるイメージでしたが、油分を補い、しっとりさせる目的。根元から毛先へと、全体に馴染ませる感じ。そこに髪粉。細い髪にまぶすとボリュームを増すし、ドライシャンプーのような役割もあったとか。
ポマードつけて髪を櫛でとかし、髪粉をまぶして櫛でとかし。時間を置くとそれぞれが髪に馴染み、髪形を成型しやすくもなるようです。ガチガチに固めるのではなくて、櫛通りが良い状態をが完成形。
写真では、やはり粉をまぶすと髪色が白く粉っぽい色合いに見え、艶もあまり感じませんで、思い起こすと名画の女性の髪そのもの。後年、自然な髪の艶がもてはやされるようになるのは、この時代の髪粉があったからこそ、新鮮にも見えたろうし新しい美しさにも見えたのかなと思いました。
著者が1年間、ポマードと髪粉&18世紀の髪型を結って生活した結果、髪を頻繁に洗う必要は全く感じず過ごせたそうです。1週間~2週間ごとにポマードと髪粉をつけ直し、毎日櫛けずって落ちていく髪粉と一緒に汚れも落ちる、そんなイメージ。ホームレスのような臭いを消すために香水が発達したのだろうと思っていましたが、そんな臭いは元々しなかったことが判明です。
盛り盛りした髪形は、朝結って、夜ほどいて櫛けずる繰り返し。一度作った髪形は癖が残るので、翌朝作りやすかったとか。
実際やってみた方の体験談が、やはり一番興味深かったです。
それにしても、18世紀の髪形を結うにはせめて肩につくぐらいは長さが必要で、やってみるために伸ばしたくなりました(笑)長い髪の方、ぜひこの本を参考に、やって見てくださいな。
たまに来て会話弾む自炊男性、いつの間にか友達。
糠漬けや今夜のメニューなど、食べ物に関する話題で盛り上がることが多い私達。
その男性が、最近「塊り肉を料理する本」を購入。
著者のYouTubeチャンネルをいつも見ていたそうで、あの調子ならぜひ買って読んでやってみたい!と思ったとか。
その実施+検証報告を、Twitterで数日追っかけてみているうちに、なかなか美味しそうだったので私もやってみることに。
男性とも話したのですが、都会のスーパーは塊り肉が売り場に無い傾向。好きな部位を選ぶというより、そこにある塊でやってみることに。ということで、私の1回目は豚バラ。
下処理は、重量に対して、塩3%、砂糖1.5%をあらかじめ混ぜてから肉に満遍なく刷り込み、ラップして2日放置。
脱水され、熟成もあるのか、肉質ねっとりに変化。
既に話に聞いていたので、悩まず5㎜に切て焼いて試食。
豚の肉のうまみ、脂味の甘さが強くなり、水が抜けてしっかりした噛み応え。
普段豚小間率が高いわたくし。
薄切りの生肉の味わいより、塩豚5mm厚の方が断然肉の美味しさが伝わります。
極薄に切るのは難しそうですが、豚小間程度に切るのは問題もなし。包丁の切れ味と、刃に付く脂を拭きながら切るとよい感じ。
コストパフォーマンス的にも、一回の購入金額は増えたとしても、全体的には安く上がるかなと計算してみて思いました。
なんか、予想外に美味しくて扱いやすいもので、今まで薄切り肉を買っていたのを若干後悔し始めるほどです。
件の男性が美味しそうな焼きそばをSNSにあげていたので、野菜と一緒に炒めて焼きそばにしてみたところ、確かに美味しい。いつになく美味しいのです。後から調味料入れると、表面に味がついていて、バラつきも出る。焼きそばの場合、具材と麺の味のバラつきが出来の良さにつながると思うのですが、塩豚を使うと肉の塩味は均質で、麺との一体感が上がる気がしました。
塩気はきつめなんですが、1週間かけて少しずつ切り焼いて食べた結果、4日目頃から塩慣れして、しょっぱさはあまり感じなくなります。これはキッチンペーパーで包んで、毎日紙を交換しながら水分コントロールすれば、2週間は持ちそう・・・
持ちそうですが、何だかんだ使って食べ始めたら3~4日でなくなっちゃう(笑)近所のスーパーで売ってるブロック肉はあって600gぐらいだし、毎食自炊でお弁当にも使えばそんなものです。
鶏むね、豚肩と、同じようにやってみて、現在は塩2%/砂糖1.5%が私好み、というところにたどり着きました。3%だとちょっとが塩辛くて、後で醤油や味噌で味付け追加してみたら、味付けに失敗した感が拭えない塩辛さ。。。カスタマイズするのか、このやり方だと○○の時にいいなと使い道を絞るのか、工夫、工夫。
生肉のままだと、鮮度の落ちないうちに、なるべく早く使わなくちゃとどこか急ぐ感覚があったのですが、この前処理すると落ち着いて食材使えるなと思いました。
一度お試しあれ。
パートから帰ってから、夜更かしして読書。今の自分には、このページ数を読み終えられるか自信が無かったのですが、一気読みするほど関心のある項目ばかり。
ここ数年SNSやニュースで話題になったあれこれを題材に、裏側や別視点で見ると違って見える事柄達。
年々強まるリベラルっぽい何かの気持ち悪さに欺瞞を感じていたのですが、そんなことよりヤバい「自分の偽善性」に気付いてしまいまして、読後の思考が止まず。
少数の声を拡大喧伝する活動家や社会ムーブメント、リベラルっぽい皮をかぶった胡散臭い別物に見えて、眉をひそめるようになってきたわたくし。
世の中、人権と環境を理由にきれいごとを並べても、私のような庶民には受け入れ難い理屈もあって、何か歪みを感じていたのですが、それは声の代弁者はみな身ぎれいで、知的水準が高そうで、社会的信頼度が高そうな仕事についていて、お金も資産もある人が表に出てきているせいもあったかと。
本当に助けが必要な誰かは、疲れ果てて声をあげることなく絶望している見知らぬ誰かだとしたら、その人が私の目の前に現れ「助けて」とすがりついて来たら、私は逡巡するかどうかさえ怪しく、「余裕が無いので出来ません」と断るはずで、自分がいかに偽善者かと、活動家達を胡散臭いと評しながら自分はマシと思っていた自分は、彼らと何が違うのか見分けがつかないじゃないかと分かり、読後もやもやと考えております。
手を差し伸べるべき人が、清貧をかこつ誠実な人ばかりではなく、どうしようもなく愚かで身勝手で乱暴な犯罪者の姿をしている可能性を、すっかり排除していた自分に気づき、私は助けたいと思える人以外は目に入らない「偽善者」だったなと自覚。
犯罪者は悪いヤツだから根絶やしにしろという発想は、私が訝しく見ているリベラルっぽい活動家そのもの。自分と添わないものは消えて当然と考える事が怖い。
もしもその犯罪者のような助けるべき誰かを、社会からはじかれた誰かを受け入れて、結果的に生きる場を提供しているのが暴力団的な存在だとしたら、という話も面白く読んだ。首輪をつけて堅気に手出ししないように制限を加える存在と思えば、必要悪というものもあるなと受け入れそうになる。だけど暴力団は社会を良くする活動をしている訳ではないから、そこだけ見て必要とも思えない。はてどうしたらいいのやら、もやもや。
婚活アプリで断られ続けて結婚を諦めた男性の話も、どっちが悪いとは言えないが、じゃあどうすればいいか分からなくなる話で、もやもや。
私自身は女性側の気にするポイントも理解は出来るが、男性が感じた「見定められて、選別されて、捨てられる虚無感」も理解できる。全部そこら辺に転がってる普通の話ですから。そして、そこを越えて結婚して、暮らす過程で離婚の危機の一度や二度三度をどのご夫婦も経験しているのもよくある話。
結婚対象の女性とのやり取りのせいで、大いに傷つきく男性。女性は、望む条件に合う何かを選んでいるだけで、合わないと直感的に感じると、話の途中でももう無理と走り去る勢い。断られる回数が重なると、女性全般がそういう素因を含む生き物で、それと結婚て、何のためにするのか分からなくなる。
非常に、分かりやすい流れ。
そして、どうだったら良かったのかなと、もやもやする。
男性と女性を入れ替えても、よくある話。
この女性陣のような人はたくさん普通にいて、「これじゃない」と何かを思い浮かべ、それと比較しながら最良を探している。婚活においては女性側の了承がトリガーなので、女性優位で進んでも、了承得るまでは上下が出来ても仕方ない。
この「自分の方が優位だと思う時に、どう振舞うのか」が問題で、件の男性のように傷ついてしまうようなやり方を、本来分別のあるお年頃の適齢期を越えた女性達が取る事が嘆かわしい。
そんな女性が、自分の理想に近い相手を見つけたとして、果たして幸せになれるのか。似たもの同士でうまくいくなら、友達少なく周囲から煙たがられるお宅になるのかな、とか、やっぱりここが嫌と次々に嫌な所を探し出して、結局その相手も捨てるのかな、とか、不幸へのアフターストーリーを妄想してしまうわたくし。
多分、この本は、あなたならどうするかを問いかける系。
思考するための手前の情報を提供し、読んだ人それぞれに思考実験させてみる本。だから、今まで正しいように見えていたものが、そうでも無かったり、違ったり見えるようになると、『物事の見方の柔軟体操』になるということではないかと。
必ずしもスッキリと「そういうことか!」とはなりませんが、読んでよかったと思えた本。
いつも聴いてるラジオ番組「おはよう寺ちゃん」で、作家の小田雅久仁氏の新刊の紹介兼ねたインタビューが流れたんですが、新刊よりもこっちタイトルに惹かれてしまいました。
小田雅久二氏の本は、どれも話題作として取り上げられる事が多かったそうです。前作『残月記』では、吉川英治文学新人賞とSF大賞をW受賞。本屋大賞にもノミネートされたとラジオパーソナリティの寺ちゃんが紹介しておりました。
開業してから小説(フィクション)が段々と頭に入らなくなったわたくし。以前は登場人物に感情移入しては、ひと時、現実逃避と癒しを得ていたのが今は昔。
自分のリアルの方が刺激的過ぎて(笑
だから、小田雅久二氏の事も存じ上げなかったし、書店へ通うよりもAmazonでポチる事が増えてから、本屋に平積みされている話題作も分からなくなってしまって久しい感じ。
インタビューで、小田雅久二氏が「新刊出るまでかなり間が空いたのは、前に出した後、しばらく書けなくなって」とサラッと言っていたのですが、『書けなくなる』ことを重く受け止めてしまったわたくし。小田雅久二氏本人が、その間どんな時間を過ごしたのだろうかと気に掛かりました。
その方が、また書けるようになって書いた新刊「禍」も読みたいのですが、それ以前の、書きたくて書いていただろう文章を、まず読んで見たく思ったのです。
本にも雄と雌があって、持ち主の知らぬまに子供を産んで本は増える、みたいな与太話から始まるイントロが軽快。ラジオで聞いた声や語り口調が訥々として落ち着いた感じだったので、気楽な時はこのように明るい人なのかもしれないなと同時進行で妄想。
テンポの良い文章でスラスラ読めるのに、1文に詰め合わせられた語彙は濃密。55歳にして初めて出会った単語にいくつか出会い、味わいました。
漢字、熟語は概念を圧縮したファイルのよう。頭の中で展開すると2文字が表している何かがぶわっと広がる感じ。この圧縮ファイルが展開する感覚は、英語圏の人には味わえないだろうな~と楽しくなるぐらい、熟語の嵐。
内容は、ネタバレすると面白くなくなっちゃうので書きませんが、ファンタジーです。
そして、ファンタジーと思って読み進めているのに、謎展開に疑問も持たず、次はどうなるのか、最後はこうなればいいのに、と引き込まれてしまう辺りが文章力かと。
二重三重、十重二十重に練り込まれた設定が秀逸で、ちょろりと出てくる名前が後で効いてきたり、どうでもいいような枝葉の小ネタが後で回収されたり、時間軸が変わったり、人物視点が変わったりして、5分の4過ぎても話の着地点が皆目見えてこないので、焦りを感じるぐらいでしたが、ちゃんとラストで畳みかけるようにドーンと、バーンと、帰結していきます。
全部忘れずに読むには情報量が多いので、家系図と相関図をメモりながら読むのを推奨です。
広げた風呂敷を畳む過程で、物語を通して語り役をやっている「博」が、当店の立地する江古田に住んでいた時期の話が出てくるのですが、江古田の文字を見て、テンションがうなぎ登りです。荒唐無稽なこの物語が、博によって、江古田で書かれ始めたのかもしれないと思えたら、「有り得る」と信じたい気がして。
江古田って、そういう街なんです。
不思議な人が多い印象。
これは言葉に言い表せない街の空気感。
小田雅久二氏も江古田に住んでいたことがあるのだろうか。日芸か武蔵大の出身者かも?と期待してググるも関西大学法学部政治学、違った(笑
私には、しなやかな筋肉で跳躍するバレーダンサーのような、美しさと力強さとアクロバティックな柔軟さを感じる本でした。ここをスタートとして、次は「残月記」、次に「禍」と読み進めてみたいと思います。
X(旧Twitter)のおすすめに、知人のリベラル派区議が引用した、毎日新聞の記事が上がってきました。一見するだけで違和感。
世田谷区の私立和光小学校の6年生36名が、岸田首相宛てで「何故防衛費を上げるのか」手紙を送ったというタイトル。終戦記念日ならではの話題。
クラス36人が、たまたま、自発的にこの話題で手紙を書きたくなることもあるでしょう。それを、学校の封筒でみんなで塊作って官邸へ送る、そのやり方に違和感。そもそも、学校側は、どういう情報を子供達に与えて考えさせたのでしょうか?発送前に画像を撮影して記事にする新聞社も、一体どうしてこの件にたどり着けたのか、疑問。
Xでの反応も、私が感じた気味の悪さを感じている方が多く、件の小学校は思想的に極左寄りだとか、この手の手紙は冬にも官邸宛てに送られたことが東京新聞で記事になっていたので、定期的に取り組まれていることなのだろう、など、いろんな小ネタが散りばめられ、いろいろお察し。
概ね、現在の日本を取り巻く状況から、防衛を重視しているX民が多いように見えるが、リベラル派にはやはり「いい事」「こういう繰り返しの先に、声を上げることが出来るようになるから、過程としては重要な行為」と認めている意見も見受けられ、知人の引用ツイートは謎な内容だったが、多分「よい事」として受け止めての引用だったかと。
反戦教育の形に好き嫌いはあれど、最初はいいと思っていたことが、時間が経つと情報量が増えて、考えが変わることもよくある事だと経験上分かっているので、ゼロだったところが1に増えたことは確かだなと思って記事を読みました。
私が30代でこの質問をされたとしたら、近現代史は受験用の暗記ぐらいだったので、子供と一緒になって「戦争は悪いことだよね。仲良くする方にお金と力を使うべきだよね。」と温い話で、誰もが受け入れやすい「いい事」レベルで終わったことでしょう。
40代でこの質問をされたら、「歴史を学ぶと違う見え方もあって、当時の事情も価値観もあるし、そう善悪を簡単に線引きできることではない」「歴史は戦争に勝ったものが作る」「戦争は起こさない方がいい」「戦争を相手に起こさせない事も検討実施するべき」「絶対はないが、ベストを探そう」「ベストの結果や道筋はひとつじゃない」「理想は一つのように見えて一つじゃない。国の数、人の数だけ理想はあるよ」「真っ黒に近い灰色の中で、出来るだけ白っぽく見えるように頑張れ(個人の感想です)」と、具体的に1つの答えが出ないことを言っただろうと思います。
55歳の私は、「自分で考えなさい」って終わりかな。
その代わり、情報へ行き当たる検索の観点や、調べ方について、アドバイスをたくさんすると思います。答えが複数の派閥に分かれるようなら、そのどちらもの意見を調べて読んで理解をしてみなさいと言うつもりです。大人が持ってる答えも絶対ではなく、ただの一例だと思うことに気付いて欲しいかな。
そして、調べて考えたことをじっくり聞いてあげると思います。聞きながら、補足情報を持っていたら伝えるし、反論があれば伝えるし、意見交換を深める努力をすると思います。
これ、大人に対しても同じことが言えるかなと。
姪っ子があまりに家事が出来ない子なんだと気付いたわたくし。おかしいな、この年頃の私だったら、掃除、洗濯、簡単な炊事は当たり前にやっていたので、出来ない事のレベルの低さに驚き、実家のおかんに電話したところ、実家では食後のお片付けで、洗い物を拭くぐらいしかやらせてないと聞いて驚いたし、腹が立ちました。
「大人は先に死ぬというのに、何なら明日死んでもおかしくない世の中よ。この子は、その後も生きていけるように、何でいろいろやらせて覚えさせないの⁉」とおかんに嚙みついてしまいました。私や妹に対して、自分の身の周りの事は出来るようにという方針で教育してきたおかんが、孫には甘いという、よくある話なんですが、結果的に孫達は出来ないことばかりで、自立しにくい、生活力の無い大人に育つでしょう(苦笑
子供と大人の境目は、いつでしょうかと問われたら、今の私にはよく分かりません。
第二次性徴が発現し、体が大人になっていくと共に、心も行きつ戻りつしながら、段々大人になっていくイメージがあります。子供は子供らしい考えや思いだけで構成されてはいないのは、自分がそうだったから分かるのです。
私は子供達に「1人でも生きていけるように」「身の周りの事は自分で出来ること」「何か問題に行き当っても、自分で考えて答えを出して進める」ような大人に育って欲しいなと思っているんだと分かりました。
これも、冒頭の小学校と同じく、大人の思惑なので、押し付けるとなるとNGなんだろうかな~、、、なんて。
ひろゆき氏が、この記事の引用リツイートで
>学校はわからない事の調べ方を教わる場所です。防衛費が増えた理由は、岸田首相に手紙を書かなくても、国会答弁やニュースを見ればわかります。教師が無能だから調べ方がわからなかったのかな?
と書いて、ヤフーニュースに取り上げられていましたが、そう言えばそうだなとシンプルさに感心。
姪っ子へ、「一次資料に当たれ」も追加しておこうと思いました(笑
お箸は気分で使い分けるので、竹箸と塗り箸と、5膳ほど持っているわたくし。
最近お弁当用に毎日持ち歩いているのは、赤い若狭塗のお箸。私は小さい頃から長い箸が好きで、このお箸だけ、短い女箸サイズ。母が、買ってくれたお箸。
私は、人生の節目にリセット癖があり、例えば会社を辞めて2年間貯金を取り崩して暮らしながら、悶々と自分探しに励むような、切り替えが下手でした。
母は、最初はひと月もすれば落ち着いて、次を探すだろうと思っていたようですが、3ヵ月、半年過ぎても立ち直る気配が無い娘に不安を感じたことでしょう。
私が「赤いお箸で食べたい。赤なら元気出るかもしれない。」と言ったのを真に受けて、あちこち探してくれたことを思い出します。私が望む赤い色は、西洋的な原色の赤だったのですが、漆だとそんな色にはなりません。
あの時の私は、そんなことも知らなかったので、母がその中でもイメージに近いのではないかと探してくれたこの箸を見て、『やっぱり自分が望む通りにはならない世界なんだな』と思いつつ、「ありがとう」と感謝の言葉を述べた記憶。
この若狭塗の箸は、何年も使っていると漆が透けてきて、色合いが鮮やかになってきて、ある時に『あの時欲しかった赤になった』と気づきました。
そのぐらい使っていると、箸の塗膜の艶も、ツルツル感が増して本当に美しい色柄に育ち、手にしっくり馴染む感触に。この「吸い付くような感触」「硬いのに柔らかい当たり」「優しい手触り」何とも言えない心地よさ。母が、わざわざこれを選んでくれた事に、数年単位遅れでの大感謝。私が漆好きになれたのは、母が漆の良さを知っていて、そこに価値を見出していたからなんですよね(ありがとう、お母さん
お商売上、麺を食べるなら竹箸が便利と説明はいたしますが、漆のお箸でも麺は落とさず食べられます。プラスチックと違って、そこまで滑らないので、私は自分の漆のお箸でなら、コツがつかめているので、麺類も気軽に食べられるようになりました。
和食の行儀作法で、箸先3センチほどで食べ物を掴んで食べるというのがありますが、ひと口の量を随分と小さくしなければなりません。全部食べ終わるのに時間が掛かります。その代わり、小さい塊を口に入れる習慣がつくと、よく噛みます。一度にたくさん口に入れる方が、咀嚼が疎かになり、味わいも雑になるので味が濃いものが欲しくなり、早食いになりダイエットにもよろしくないと今は思います。
食事にゆっくり時間を割ける人は、案外少ないです。
お勤めしていたら、昼休憩は時間が決まっているので、時間内に食べ終わるタイムトライアル。子育てしていたら、夜ご飯食べたらすぐお風呂入れて…と寝かしつけるまで怒涛。私なんて、一人暮らしだったのに、残業して深夜帰宅、睡眠時間を出来るだけ確保したいので、食事や入浴が雑になるのが当たり前でしたから。
最近、足の甲の靭帯が一部老化で損傷し、そのせいでイメージ通りの速度で歩けない体験をしております。足は、常に体重が掛かるので治りにくいのだとか。長く自分の足で歩きたいなら、老化と付き合い、体の動かし方をそれなりに変えていくべきと諭されました。そう言われても、すぐにこう変えたらいいとは浮かばないもの。これまで、いかに無意識にお任せで、自動で歩いていたかがよく分かりました(日々、観察中
世の中はお盆。お休み。
ある程度、ひとりの時間が持てるようなら、私の箸使いや足の老化現象みたいに、自分の「今」を把握しつつ、今のままでいいのか、どこか変えた方がいいのか、見つめ直すひと時が持てたらいいなと思います。
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老化対策。
速度を落として、時間を掛けて一つ一つをやる、そんな方向性しか見えません。
40半ば過ぎた頃から、1日にやり遂げられる量が減った感覚はあったのですが、進行しちゃって1日1つもあやしいほど(苦笑)それは頭の回転のせいと思っていたのですが、体も同様に老化していたのが分かり、ショックはショックでございます。
でも、それは当たり前、誰にでも起こること。優しく受け止めて一緒に過ごしていくしかないのです(笑
私の赤い若狭塗のお箸のように、劣化したら美しく滑りにくくなることだってあるのだからと、自分を励ましております。
プライベートでいろいろあって、不特定多数の方に発信して差し支えないネタが見当たらず、気付けば8月もお盆。
何か書いている時は、身の内に、心の中に、何かがたまっている時でもあるので、特定少数との交流に時間を割いているうちに、無くなってしまったようです。
今も状況はあまり変わっていないというのに、深刻さが無くなっていたわたくしに気付き、毎年1回2回やってくる山場を越えたんだなとホッとしました。
自分の頑張りだけではどうしようもない時に、たまたま良い方へ転がったと感じると、そこに神様や仏様の手助けを感じたくなるお年頃。季節はちょうどお盆だし、ご先祖様にも感謝したくなるというもの。
自営業やフリーランスに、験担ぎ好きな方が多いのは仕方ないのかも。
まだ売り上げはコロナ前には戻りませんが、生活習慣も変わってしまったろうし、戻ると思わずに見れば、世の中の重苦しさはだいぶ抜けた感が強いです。
物価も高いが、給料や時給が値上がり傾向は続いているし、まだ可処分所得の増加が物価上昇に遅れているとはいえ、このままデフレへ逆戻りはしないんじゃないかなと私は予想しております。
年末まで様子見て、パート辞めて、本業1本に戻すかどうか、決めたいなと思います。
6月、AirPayを導入しました。
Paypay一強な当店でしたが、使えるとなるとSuicaや○○Payを使いたいというお申し出がポツリポツリ。まだポツポツなもので、いちいちデバイス立ち上がるまで待つ待つ。起動したら操作方法忘れてて「あらちょっとごめんなさいよ」で待つ待つ。それでも大らかに決済してくれるお客様に助けられて、徐々に手早さが出てきたかも(かも知れない程度
まだ、新しいデバイスの設定や操作は、一人で出来る。
これがメンドクサイやら分からないから出来ないとなったら、辞め時と基準を心に持ちました。
先月姪っ子が遊びに来ていたんですが、英語が苦手というのを聞いて、私もアドバイスできるほど得意でもないもので、Duolingoというサイトで遊びながら勉強しております。毎日少しでも音に触れたり、綴りを書いてみたり、はるか35年ほど前の記憶をたどりながらのお勉強は、初級はまだアドバンテージあるから楽しんでやれております。1年後に、自分の英語力がどうなっているか、楽しみです。
つい先日、足の甲の靭帯が老化で弱り、そのせいで痛みが出たり可動域が狭まってきたと判明。整形外科の先生に「若い頃のスピード感をイメージしても、体が動かない年頃になってきたので、そろそろ今の自分の体の動かし方を見直してみて」と言われました。思い当たる節がいっぱいあるもので、気をつけて今の自分を観察してみようと思います。
ああ、段々と、衰えてきてはいるが、まだ楽しくやっていられる。今が一番幸せだなと思うお盆。
テルゾさんの移転作業の手伝いに行ったら、移転先へ持っていけないからと、あれこれもらい物。ボランティアのつもりで行ったのに、もらい過ぎて恐縮でした。
画像の台は鉢植え並べたら素敵そうですが、私の椅子兼踏み台にする予定。後日塗装を計画中。
自分のテナント移転の時も、何だかんだ友達が手伝ってくれまして、台車で箱詰めした商品を横持ち往復、季節は7月だったからみんな汗だくで作業してくれて、何とかお金を掛けずに移転できたのを思い出します。
確か今日明日でテナント返すと聞いていたテルゾさんに顔を出すと、まだ片付け途中。5月末でテナント返却したキャラウェイさんの様子を思い出しても、随分と作業残りが多い印象でした。
「大丈夫ですか?」と聞けば「う~ん、多分大丈夫、ありがとう」と返ってきましたが、こういう時に「いやマジ困ってて、こんな面倒で大変なこと1人じゃ無理だで、頼む手伝ってー」とスルッと言える人は少ないです。
母が、相手を思うなら、口先だけじゃなく、体動かして助けるの大事よ、と教えてくれたことがあります。先日亡くなった元上司も、火を噴いているようなヤバい現場に突っ込まれたら、何も出来る事、やることが無さそうでも、とにかくその場に張り付いていろ、と言っておりました。些末な雑事でも、必要な時にすぐ動いてあげることが、相手の救いとなり、助けとなることをよく知っていたんだと思います。
腰を痛めているので、はかどってないのかもなと思い浮かび、自分の通販発送が終わったタイミングでテルゾへ押しかけお手伝い。移転先への荷物移動が残っていたので、商店街の台車を持ち出し、行ったり来たり。
ちょうど、私がテナント移転した時の移動距離と似たり寄ったりだったので、道々、あの日の気持ちなんかを思い出しておりました。あの時移転しなかったら、私はとっくに店を畳んでいただろうし、不完全燃焼と失敗した喪失感で鬱になって引きこもってダメな中高年まっしぐらだったかも(笑)
物理的に動くと、状況も変化していくものなんですよね。今、何かを変えたい時ほど、行動量を増やさねば、と思い浮かびました。そうだった。頭で考えても、行動しないと何も起きないばかりか、ぐるぐる考えることで心が疲れてすり減るし、考え過ぎるのはいいことナッシング(と言いながら、わたくし、ぐるぐるする名人
近日、テナントの更新。
続けるのか、続けるならどんな形に変えるのか、ずっと考えておりましたが、汗だくになりながら台車を押すうちに、私の中の迷い事もひとつひとつ、こっちへ動かしてみようと決まり始めまして、テルゾさんのためというより、テルゾさんのおかげで私が助かった感じ。
テルゾさん、何でこの人ここまでするのかな?と思ったかも知れませんが、私が人生で学んだ教訓のひとつが、『助けて欲しかったら助けろ』
テルゾさんからお返しが欲しいのではなくて、私がテルゾさんへ渡した何かが、テルゾさんから誰かへ伝わって、そんな変化が繰り返されて、いつかとんでもない方向から戻ってくる、そんな「縁起」を信じているのです。
人を助けている場合じゃないんだよ!って切羽詰まった気持ちになっているなと自覚したら、『助けろ』が不思議とよく効くので試してみて欲しいです。
お手伝いしながら、今後の仕入れの方向性が1つ2つ見えたので、あとは今やっているセールで在庫をいくらか減らして、手元金が出来たら新しい仕入れを起こしてみるだけ。やる事が見えていると、進む速度も早まりそう。
そのためにも、セール期間中に店頭在庫がすっからかんになるほど、売れてくれますように。
私の趣味は、実益兼ねて、洋裁。
中学の頃に家庭科の授業でスカートを縫ってから、下手の横好きで趣味に連ねてきた洋裁。
病気して急に太って以来、ダイエットとリバウンドを繰り返し、若年性の更年期でますます巨大化して今に至る。既製服のデザインは、流行りがハマらないとどれも選べず。大きなサイズは、入るけれどもどこかが緩く、そのだぶつきが太さに変換され。太っているからみっともないのは仕方がない、と諦めるのも屈辱的。
デブなりに、おしゃれはしたいとなれば『やはり作るしかない』という発想に至って、ここ10年は、型紙の本を読んで既存型紙の寸法をカスタマイズしたり、一から型紙を起こしてみたり、段々上手になって外へ着て歩けるものが増えております。
生地は日暮里トマトで見切り品から選んで来る感じ。これは¥100/mで3m買ったから生地代は¥300なり。
思ったよりスケスケな生地なので、縫う時にスルスル逃げて少し苦労しましたが、ミリを追っかけるようなデザインでもないので、大らかにミシン掛け。
袖をラグランスリーブにして、肩のラインをボディラインに沿わせたのが今回のポイント。ギャザーでみぞおちからお腹に掛けてのラインを誤魔化し、首から肩にかけてスッキリさせることで、少しでも痩せて見えたいという願望が詰まったデザイン。
今回「三つ巻押さえ」なるものを導入。
背中側にくるリボンタイの端を三つ折りしてみたんですが、逃げる生地で作るのは難しかった・・・逃げない生地でもコツがいる道具で、まだ、掴めません。
アイロン前の撮影なのでシワやツレが気になりますが、数回洗濯してアイロンも掛ければ、縫い目もだいぶ落ち着いてくれる予定。
仕上げたらすぐ別なブラウスに仕掛かり中。
薄手の綿で、今回は身頃にフリルたくさんつけて仕上げたいなと妄想。
こんなに次々作る必要は無いのですが、ジッとしていると現在お悩み中のことをグルグル考えちゃうもので、作る行為に没頭することで現実逃避。
来月、テナントの更新があるのですが、コロナ明けで空気感が変わってきた気がする一方で、数字は変わらず。このまま本当に続けるのかどうか、正直不安になるもので、悩む訳です。地方の取引先に連休の様子を聞けば「人出は多かったが売上は伸びず」とどちら様も苦戦継続中(切ない現実です
先週テルゾさんに
「何でそんなどうでもいいこと考えるの?(意訳」
「やりたいことあるなら、やるにはどうするか考えなよ(意訳」
と言われて気分上がっていたというのに、現実問題を考えると、気持ちは行きつ戻りつするもの。
先の事でもうひとつの悩みは、これからの品揃えについて。
コロナの間、体力のない個人商店として、何とか維持継続を考えて「定番重視」で、安定的に売れる「消耗品を補充」で生き延びたところがあるのですが、コロナが終わる頃合いなので、そろそろ総入れ替えの勢いで、「刷新が必要」かなと感じております。やるなら大胆にした方がいいという判断が、浮かんで仕方がないのです。
前からコロナはいつか終わると考えてはいたのですが、それが2022年内で終わると予想していたのが外れ、そのままコロナが終わる実感も持てずに来たもので、おや、空気感が変わってきたかな?と感じ始めて慌てている、といったところでしょうか。それで、こっちの方向へ、というのがまだしっくりと心に降りて来ずに、モヤモヤしているところ。
何かに集中しながら、思考を整理・・・と思って服を縫い始めたら、結論に向かって思考するどころか、大きな判断をするのが怖くて、作業没頭で現実逃避をし続けているという。。。。本当に気が小さいな、と思いながら、時間が掛かるなら時間を掛けてぐるぐる考えるしかないな~とも思います。
この調子だと、5月末までこの調子で趣味の洋裁がはかどって仕方ない予感です(苦笑
連休最終日は雨。
結構な雨量、今日は絶対、人類滅亡。見越して持ってきた本を読了するのが目標です。
この雨はきっと「お休みよ、フォーエバー」な人々の気が集まり、風を呼び、雲を呼んだに違いない(妄想
とはいえ、春の雨は、植物には恵み。
疲れた人に、休みを促す癒しの雨。
雨音聞きながら、のんびり過ごせばいいかなと思います。
ああ、でも雨の日は売上が落ちるのつらたん(死語
思い起こすと、若い時は「そういう日もある」と考えることが出来ず、「雨が降らなければよかったのに・・・」と降らなかったら起こったであろう「いい事」に繰り返し思いを馳せたものです。
雨が降らなかったとして、いい事が起こるとも限らないのに、です。
現状が、自分にとって好ましくない、と感じているせい。
現状でなければ、好ましいと思っている、思いたい。願望。
過去に時間は巻き戻らない。
過ぎた時点の可能性をあれこれ考えるのに、時間と労力と心を使うなんてバカな事・・・
今の私は、そういう思考癖を辞められたので、降らなければ良かったのにとは思わなくなりましたが、きっと人類滅亡するだろうから売上ナッシングかも、と良くない未来を想像。
この起こるかどうか不明な未来を想像することも無駄なのに、何をやっているのやら。
最近、近所の洋服メインのセレクトショップ「テルゾ」さんと閉店後に初飲みのさし飲み。テルゾさんは5/20で今の店を閉店すると聞いていたので、一度ゆっくり話をしてみたかったと声を掛けたら「店閉めたら飲み行く?」と誘ってもらいまして、それで実現。いつでも会えそうですけど、場所があるから行き合える関係って絶対あります。商店街の店同士の関係はそれ。だから箱が無くなれば、もう会えない方が当たり前の関係。
私がテルゾさんに聞いてみたかった事は「店を辞めると決めた判断過程」
わたくし、起業する時に、こうなったら廃業すると要件や条件を決めて開業するべきと起業本で読んだので、一応いくつか決めておりました。最初の1年は儲からないもの、と読んでいたので、そんなものかと思いながらも、半年もしたら尋常ではない持ち出し額とスピードに「本当にあと半年で収益が出始めるの??」と不安になりながら、でも1年は様子見だから堪えるべきと見誤り。
持ち出しが痛手になるほど多くなると、辞めたらゼロになると思うから、辞めるのも怖くなる訳です。欲が判断を見誤らせるって本当です。その結果、私は11年目を迎えた訳ですが、あの時辞める判断をしていたら、もしかするともっと心労の無い暮らし向きだったかもしれません(ほらまた、余計なこと考えるw
テルゾさん、想像以上に「今を生きる人」でした。
「何でそんなどうでもいいこと考えるの?(意訳」
「やりたいことあるなら、やるにはどうするか考えなよ(意訳」
話を聞きながら「私、こんな風になりたい」と思えるカッコよさでした。話しにくいことにも答えてもらえて大感謝。コロナ苦境3年間を締めくくる、よい出会いになりました。
ちなみに、テルゾさんとは、また近いうちに会えるようなことになりそうで、また飲みに行けそうで、ホッとしております。
そして昨晩は、大学からの親友で情けないところも隠さず話せる相手に積もった思いを聞いてもらうタイム。問題はちっとも解決してないけれど、抱えている気持ちはだいぶ納まりました。凄いガス抜き完了。「明日からまた元気出して行きましょう!」とスイッチ入れて深夜帰宅(いつもありがとう
今年の連休の思い出は、そんな感じ(とても幸せ
コロナは終わりと実感できる連休、希望持って粛々と日々を頑張ろうと思います。
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駅前のカラオケ館に行ったのですが、結構部屋が空いていて、都心の繁華街は人出が戻っていても、江古田みたいな住宅地はまだまだだなと再確認。この戻りのタイムラグの間に潰れる小規模事業がこの先も増えるだろうなと予想。しかしそれも年内で片が付くだろうなと予想。結果は年末振り返ろう。
翻訳の日本語がとても読みやすい本でした。
映画や漫画で見る、マリー・アントワネットの髪形は、地毛ではありえないと思っていたのですが、その疑問が随分解決された本。
歴史資料を読み、当時のレシピで作り、当時のやり方で1年過ごしてみるという実践込みで書かれた本。
著者自身がやる前に、現代人の感覚で立てた予想がいい意味で裏切らるたび、それを読んだわたくしが「え!そうなの!?」と驚いたり楽しんだり、どこを開いても楽しい本でした。
最初は、やはり造形的に面白い髪形の作り方に釘付け。
私は、当時の装飾的な髪形はかつらなんだろうなと思っていたので、髪形を盛り上げるためのクッションの存在にまず驚きました。
ちなみに、男性はかつら装着だったそうです。女性達にはかつらは不人気だったと書かれていました。かつらをつけた女性というのは、どこか揶揄するニュアンスを含んで描かれる事が多かったようです。何故男女で異なるのか、不思議。
ボリュームが欲しいところに、土台として潜ませるクッション。ヘアピンを挿す時の土台にもなるもの。ボリュームの出しやすさやピンの挿しやすさは形の維持にも関わるので、クッションの充填素材は、身近なものが使われている中でも、良し悪しがあった模様。
当時の髪形は、自力で結い上げることが出来なくもないのですが、一から作るとなると相当時間を使うのが見て取れるので、腕を上げ続けて髪を一人で結うなんて、腕がプルプルと筋肉疲労で痙攣しそうです。手早く美しく仕上げてくれる髪結いは、無くてはならない仕事だったんだなと感じました。
ちょっとお出かけを・・・なんて思ったら、今の女性の何倍も労力掛けて用意しなくちゃいけない訳で、きれいな格好している人は、やはりそれなりの財力が求められる訳で、庶民の方はどうだったんだろうかと気にもなるところですが、庶民の方々も流行を追える方達は同じように髪結いしていた模様。
1780年頃、髪を縮れさせボリューム出してふわっと仕上げるのが流行ったそうで、コテを使ったカールやウェーブの作り方は、パーマ液が無い時に、は現代でも応用できるやり方だなと思い、じっくり写真に見入ってしまいました。
1750~1790年あたりの流行を紹介してあるので、変遷をみるのも楽しいはずです。
いずれの時期も、髪の美しさや衛生のために使われた「ポマード」と「髪粉」の存在が大事なアイテム。当時のレシピを元に、現在入手できる材料に置き換えたりしながら、作り方も紹介されています。頬紅とリップクリームのレシピも載ってました。
現代の化粧品の原材料は、化学物質の名前の羅列で、読めてもどんなものか理解できない印象ですが、ポマードの基材は獣脂、髪粉の基材は小麦でんぷん、と食べられるもの。著者も言及しておりますが、現代の化粧品より肌に優しいかもしれません(笑
ポマードは髪形をかっちり固めるイメージでしたが、油分を補い、しっとりさせる目的。根元から毛先へと、全体に馴染ませる感じ。そこに髪粉。細い髪にまぶすとボリュームを増すし、ドライシャンプーのような役割もあったとか。
ポマードつけて髪を櫛でとかし、髪粉をまぶして櫛でとかし。時間を置くとそれぞれが髪に馴染み、髪形を成型しやすくもなるようです。ガチガチに固めるのではなくて、櫛通りが良い状態をが完成形。
写真では、やはり粉をまぶすと髪色が白く粉っぽい色合いに見え、艶もあまり感じませんで、思い起こすと名画の女性の髪そのもの。後年、自然な髪の艶がもてはやされるようになるのは、この時代の髪粉があったからこそ、新鮮にも見えたろうし新しい美しさにも見えたのかなと思いました。
著者が1年間、ポマードと髪粉&18世紀の髪型を結って生活した結果、髪を頻繁に洗う必要は全く感じず過ごせたそうです。1週間~2週間ごとにポマードと髪粉をつけ直し、毎日櫛けずって落ちていく髪粉と一緒に汚れも落ちる、そんなイメージ。ホームレスのような臭いを消すために香水が発達したのだろうと思っていましたが、そんな臭いは元々しなかったことが判明です。
盛り盛りした髪形は、朝結って、夜ほどいて櫛けずる繰り返し。一度作った髪形は癖が残るので、翌朝作りやすかったとか。
実際やってみた方の体験談が、やはり一番興味深かったです。
それにしても、18世紀の髪形を結うにはせめて肩につくぐらいは長さが必要で、やってみるために伸ばしたくなりました(笑)長い髪の方、ぜひこの本を参考に、やって見てくださいな。
たまに来て会話弾む自炊男性、いつの間にか友達。
糠漬けや今夜のメニューなど、食べ物に関する話題で盛り上がることが多い私達。
その男性が、最近「塊り肉を料理する本」を購入。
著者のYouTubeチャンネルをいつも見ていたそうで、あの調子ならぜひ買って読んでやってみたい!と思ったとか。
その実施+検証報告を、Twitterで数日追っかけてみているうちに、なかなか美味しそうだったので私もやってみることに。
男性とも話したのですが、都会のスーパーは塊り肉が売り場に無い傾向。好きな部位を選ぶというより、そこにある塊でやってみることに。ということで、私の1回目は豚バラ。
下処理は、重量に対して、塩3%、砂糖1.5%をあらかじめ混ぜてから肉に満遍なく刷り込み、ラップして2日放置。
脱水され、熟成もあるのか、肉質ねっとりに変化。
既に話に聞いていたので、悩まず5㎜に切て焼いて試食。
豚の肉のうまみ、脂味の甘さが強くなり、水が抜けてしっかりした噛み応え。
普段豚小間率が高いわたくし。
薄切りの生肉の味わいより、塩豚5mm厚の方が断然肉の美味しさが伝わります。
極薄に切るのは難しそうですが、豚小間程度に切るのは問題もなし。包丁の切れ味と、刃に付く脂を拭きながら切るとよい感じ。
コストパフォーマンス的にも、一回の購入金額は増えたとしても、全体的には安く上がるかなと計算してみて思いました。
なんか、予想外に美味しくて扱いやすいもので、今まで薄切り肉を買っていたのを若干後悔し始めるほどです。
件の男性が美味しそうな焼きそばをSNSにあげていたので、野菜と一緒に炒めて焼きそばにしてみたところ、確かに美味しい。いつになく美味しいのです。後から調味料入れると、表面に味がついていて、バラつきも出る。焼きそばの場合、具材と麺の味のバラつきが出来の良さにつながると思うのですが、塩豚を使うと肉の塩味は均質で、麺との一体感が上がる気がしました。
塩気はきつめなんですが、1週間かけて少しずつ切り焼いて食べた結果、4日目頃から塩慣れして、しょっぱさはあまり感じなくなります。これはキッチンペーパーで包んで、毎日紙を交換しながら水分コントロールすれば、2週間は持ちそう・・・
持ちそうですが、何だかんだ使って食べ始めたら3~4日でなくなっちゃう(笑)近所のスーパーで売ってるブロック肉はあって600gぐらいだし、毎食自炊でお弁当にも使えばそんなものです。
鶏むね、豚肩と、同じようにやってみて、現在は塩2%/砂糖1.5%が私好み、というところにたどり着きました。3%だとちょっとが塩辛くて、後で醤油や味噌で味付け追加してみたら、味付けに失敗した感が拭えない塩辛さ。。。カスタマイズするのか、このやり方だと○○の時にいいなと使い道を絞るのか、工夫、工夫。
生肉のままだと、鮮度の落ちないうちに、なるべく早く使わなくちゃとどこか急ぐ感覚があったのですが、この前処理すると落ち着いて食材使えるなと思いました。
一度お試しあれ。