環便り(ブログ)

漢の中の漢

営業中。昨日は友人とひょうたんで語らう。
元々それほど関係性無く、今だって親しく行きあう訳でもない。
ただ不定期に、お互い頑張ってるなと確認するだけ。

 

互いのディテールは知らないし、

言いたいなら聞くだけ。

こんなだけど多分、私達は友達。

 

引き合う引力はささやかなのですが、互いの中に同じ欠片を感じて切れることなく続いている。それが気持ちよい。

 

計算したところで、やりたいこと、楽しいことしか続かないから、他人から見てどんなにめんどくさい事でも、それを選び取る友人。それが1つじゃなくて3つ4つある友人。真っ赤にしか見えないブルーオーシャン分野ばかり手を出している友人(果敢すぎる

 

私もどうしてなのか、知りたくなりました。

 

何度か繰り返す内に、自分でも葛藤はあった模様。

自分の中の法則性を観察して、そろそろ一応の結論が出たので文章化しようかなと笑っていました。

 

いよいよ、他人に見える形分かる形にするらしい。

それを見て、ついてこれる人や事柄を引き寄せ、他を振り落としに掛かるのかしらと妄想。

 

もう若くないから、気力、体力、集中力と、有限を感じる日々。そろそろ時間を惜しみ集中させる対象を絞りたいという意味かと。絞れる余裕はあるか、無いかではなくて、やりたいならやる。その辺りが友人らしい明快さ。

 

誰もに言えることで、出来る出来ないではない、やりたいならやる、以上終わりの潔さ。

 

漢らしい女性の友人。

今日はガガ様に会いに行ってるはず。

 

フェス好きで、私が西川貴教好きと知って、来年のイナズマロックフェスに一緒に行こうと言ってくれたので、慣れない場所に一人行くのが億劫だったわたくし、来年は初フェス体験できそうです。

 

 

スピードと馬力ある人に『掴まる』と、思いがけず結構遠くまで行けるの術(笑

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一汁一菜でよいという提案/土井善晴

YouTubeで岡田斗司夫さんが「Amazonのこの本のレビューを見たら、世のお母さんや主婦の方が、涙しながらありがとうと叫んでいて、見るとびっくりしますよ(意訳」と言っていたのが読みたくなったきっかけです。

お客様と話していると、少なくない方が、三度の食事の準備を『空しい労働』と感じているのは事実かと思います。作る時間に対して、食べる時間はあっという間。美味しかった、ごちそう様のひと言もなく終わる食事が繰り返されると、報われない気持ちが降り積もる訳です。


私の若い頃は、仕事に追われて時間が無い無いと思っていたから、麺類が多かったと思います。麺類は1品で済むし、出来合いの出汁やソースがあるから自分が一から作るよりも美味しいし。

30代半ばに断食道場へ行って、玄米ご飯がこんなに美味しいのかと気付いてから、和食を麺類1品のように手軽にするために、どう時間の使い方を工夫すればいいのか、数年かけて改善していった感じです。

和食は、①ご飯を炊く②お味噌汁③おかず、最低①と②の二つは作りたい。③は種類を楽しみたければその分手間が増える。玄米を炊くとなると吸水時間が長い、出汁を取るための事前の吸水も必要。実際手を動かしている時間は短くとも、全体の監理時間は長時間化します。麺類1品なみの簡単さは物理的には無理ですが、気分的に近づけるために、手順や時間の使い方を工夫するしかありませんでした。

やってみると、なかなかに大変で、私の場合は数年かけてルーチン化できるようになりました。野菜は毎日1~2種類買い足し、野菜のおかずは1日1種類作り足す。おかずは常に2~3種作り置きがあり、1種は3~4日で食べ切る。1回分は3口程度の量。

美味しそうと思っても、安いなと思っても、その日買うのは全部ではなく、1番美味しそうなものに絞る。料理はやる気に任せてガーッと作ったりすると、食べ切れずに捨てる羽目になる上に、料理だけで自由時間が終わるのはつまらないので、料理に使う時間を加減する。

先日茄子を沢山もらった時は、茄子の味噌汁、茄子のみそ炒め、生姜を効かせた茄子の浅漬け、翌日以降の茄子の糠漬け、と茄子尽くしの献立になりました。私は自分の事情と都合で作るから、それで良かったけれど、家族持ちだったら「茄子ばっかり」と不満をこぼされたかもしれません。

 

世の主婦は、旬や鮮度、栄養バランスや品数、美味しさ、手早さ、家計費の管理と、いろいろこなした結果を食べさせているのですが、目の前のご飯にしか目がいかない人は「茄子ばっかり」と言うのでしょうよ(苦笑

家庭料理にプロの料理人が外食先で作るような何かを求め過ぎてやしませんか?和食もハレとケがあるのに、おうちご飯のケがハレとの差がなくなりすぎてるんじゃないですか?それを当たり前と思い込んだり、応えなくてはと頑張り過ぎてはいませんか?

『家庭料理ってそんな特別なものじゃないでしょ』

『毎日ごちそう食べてたら飽きる』

『家庭料理はおいしくなくていい』

『時には失敗したっていい』

生業で料理する人と違うんだから、線引きしていい。失敗したらしたで、「今日は今一つやね、この間のは美味しかったのにね」と味の違いを感じて家族でやり取りする、共有共感、感じて考えるのが、家庭の大事なところ、いいところじゃなかろうかと。

家庭料理は、美味しい事を楽しむ以外の意味合いが強い。体調管理や気遣い。心遣い。

年寄りは歯が悪いとなれば柔らかく煮たり、子供の口の大きさに合わせて食べやすいように小さく切ったり。そう言えば、小さい頃はカレーはバーモントの甘口だったのが、いつの間にかS&Bの中辛や辛口に変わっていったのを思い出します。

 

子供はちゃんと見て感じて考える存在と認めているし、子供を信頼しなさいと言っているように読めます。親の職場の姿は見せられないけれど、家の中の姿は見せられる。言動すべてを子供は糧にしており、一人立ちして暮らしていけるようには、いいところも悪いところも見せるのも必要。一緒に笑い、上手に出来ればほめるし、行儀を教え、ダメなことは叱る。

 

なるほど、Amazonレビューで湧いている主婦達は、料理の手を抜いていいと言われて喜んでいるのではなくて、『自分が見失い掛けていた望ましい家庭団らんの姿』を思い出してホッとしたと言っているような気もいたします。

 

自分が個人商店を経営しているから一番反応した文章。

 

メディアのせいでプロとはこだわりを持ち、努力し、客の期待に応えるなど、『こうあるべき/そうでなければ』という仮想を客側が信じ込み、店側が意識高いですねと客を持ち上げ、変なハードルが高くなる。金を払う側がえらいと変な権利を主張するのを受け入れる。客側の思う理想と現実との乖離の悪循環。客の無理難題に応えることが正解ではない。本来は、店と客は対等で、客と商品・サービスと調理場と経営の間に浮かぶスープが、こぼれないようにバランスが取れている状態が健全。

 

うちは小売店ですが、同じ事。
家庭では家族それぞれが欠かす事の出来ない存在で、お互いの意思疎通が出来てバランス取れた状態が大事。

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美彩新作「ハシビロコウ諭吉」

読書百遍意自ら通ず。
江戸時代の寺子屋では論語を繰り返し音読したとか。

何度も読むうちに、最初は皆目分からなかったものが、徐々に理解できるようになるというものです。江戸時代以前から、この勉強方法は有用とされ、使われてきた手法ではなかろうかと想像(まだ調べてないから妄想の域

わたくし、自分がこの手法を使う方なので、有用だと思っています。

まずはただ流して読む。

つまづくところは、2回目以降にちゃんと読むつもりで、ひたすら流し読みます。全体の流れが分かってから2回目を読むと、前後や結論が見えているので、推察が進んで理解が早まったり深まったりする経験値を積んできました。

 

冒頭を読んで、これは頭に入って来ないなとなったら、流し読みへ移行。下手すると眺めるだけでページをめくり続けるだけでもいいです。2回目から本気出して読むのです。2回目でじっくり読んで、文字面の理解は出来ても内容が分からない時は、知らない要素が多いということで、その事の基礎知識不足だなと思えば、そこだけググッて浅い情報をちょっと集めたりもします。


勉強は、どれもこれも、時間を掛けないと深まらないもの。手元のひとつで全部分かることもないし、子供の頃は、この掛けなくてはいけない時間が永遠に思えて辛いのですよね(笑)

この没頭感、初っ端からトップスピードには乗らないもので、ある一定時間を使わないとダメの法則があります。だから、飲み込み悪いなと思う時は、流し読みで全体の流れを把握して2回目から本気出す方法で、嫌になって手放す時間を先延ばししているとも言えます(笑


美彩新作「ハシビロコウ諭吉」
美彩のハシビロコウファンの方から、また彫って見せて欲しいとリクエストがあり「ジッと動かない」をキーワードに彫ってもらいました。諭吉の目元、楽しそう。きっと楽しい本を読んでいるのだと思います。好きな本だと自ずと繰り返し読みますよね。

 

好きな本に熱中している時、確かに私も動かない(笑)

諭吉は何を読んでいるのかな・・・

諭吉をお迎えしたい方は【こちらからどうぞ

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青銅鏡

私の学生時代の本屋は立ち読み出来ました。買いたい本ははっきりしているのだけど、背表紙を見ながら気になった本を手に取って、惹きこまれてそっちを買って帰る、なんて道草読書が楽しめた時代。

今は街から本屋が消え、図書館も小竹図書館みたいに単館での所蔵が少ないと、WEB予約で区内の他図書館からの取り寄せになるとなると、道草読書が気軽に出来なくなっております。

その代わり、WEB上は有象無象情報散乱、ググれば思いがけない資料に行き当たるようになりました(検索能力、大事

 

本日見つけた「W-Wallet 鏡(かがみ)」「古代の青銅鏡づくり

 

神社にお参りするたび目にする「ご神鏡」がふと頭に浮かんで、そういえば昔は鏡をどのように作っていたのか気に掛かりました。

 

ご神鏡って鏡の姿をしているけれど、どうも周囲の景色の映り込みが見えず、反射率少なそうですよね。鏡と言ってもものの輪郭が分かる程度なのかなと見るたび確認したくなっていたこともあって、昔の鏡の精度も気になったので、作り方を知りたくなったという訳です。


水鏡→石を磨いた平滑面(鏡面→金属を磨いた平滑面(鏡面→ガラスに銀鍍金(めっき)


姿を映す道具は、身の周りにあるものそのものから、加工して平滑面を作る方法から、化学反応を利用する方法へ進化。

 

画期的だったろうと思われるのが、反射率の高い素材を平滑に面加工する鏡の登場だったのかなと思います。「古代の青銅鏡づくり」の画像を見て、ここまで映ったら感動したろうし、特別感があったろうなと妄想。

最近のお客様との雑談で、私のユニフォームSOUSOUのTシャツは背中側に柄が入っているものが多く、「好きな柄を着ているのに、着ている時は自分では見られないのが難点」と笑ったことがありました。

ひとには、自分の姿を見たい欲求が、どこかにあると感じています。自分の存在を確認したり、他者との違いを確認したり、それが原初的な欲求なのではないかなと考えております。

 

鏡が無かった時代は自分の姿がはっきり見えない上に全体を見ることも出来なかったと予想され、自分の象徴は手足だったかもしれないと妄想。社会的に、狩猟や農耕での仕事量が自己肯定の基盤になっていたのではないかと推測。姿かたちよりも、行動と実績が自己肯定感に繋がっていたと仮定したら、働き者に価値が置かれ、量をこなせる人がもてはやされたのではないかなと。

 

鏡に話を戻すと、水で映すには限度があり、金属を磨いた鏡を見た時の驚きと感動は凄かったろうなと思います。

 

学生時代の教科書で青銅鏡を見ても、出土品の錆びた姿ままだし、凄さが今一つ分かりませんでした。大人になって、妄想力が育ち、仕事でモノづくりの知識が増えたら、バーッ!と見えるものが変わった印象。青銅は錆びる前はこんな色、鏡面ならこの程度は映ると思えたら、水鏡からの差の大きさが凄すぎて、当時の人々の驚きの大きさが想像できない・・・そりゃお宝扱いも自然な帰結ですよね。自分の姿を見ることが出来る道具は、貴重だったことでしょう。

 

親兄弟の姿を見て想像していた自分と、違った様子に混乱した方もいたろうな。好ましく感じた人はホッとしたろうか(ナルキッソス

装飾品の進化も、鏡の登場で進んだのではなかろうか。

自分と他者の違いが明確に確認できるようになったら、差を見て悩む人も増えたろうな・・・そういうの書きつけた資料出土してないのかな?

 

妄想がはかどって仕方ない(笑

 

 

こんな調子で、生きている間に何をどのくらい知る事が出来るのだろうか、ほんと時間が足りないわと思った今日この頃。

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朝起きて、着る服で悩むのは人生の無駄

店のユニフォームにしているSOUSOU傾衣。

毎年1枚買い足し。

今年の柄はWEB限定柄だそうで賑やか。

 

開業当初、どこで買ったの?と話し掛けられる事が多かったです。

 

後日、当店でも取扱いたいと問合せしようと思った時、友人がSOUSOU社長氏と幼馴染だとかで間に入ってくれました(世間狭い

 

当時、まだ都内直営店も無かった頃でしたが、社内方針として直販オンリーと決めたばかりで、社長の縁故で何かするのはやりたくない、と気持ちよく断られまして、

 

友人は申し訳なさそうですが、こっちは「そういう社長氏、いいな~」と思って余計好きになり、今もユニフォームです。

 

若い頃、それなりに自己顕示欲もあり、いろんな服をとっかえひっかえ頑張りましたが、実はメンドクサイとも思っておりました。

 

男性はスーツを着ているだけできちんとして見えていいな、女性は髪形に化粧、服にアクセと手間が多いや・・・と会社に遅刻しながらモヤモヤしたものです。

 

遅刻と外出準備は別因果なんですが、当時はそう思っていた訳です(身勝手

 

海外出張が多かった時期は、1週間、2週間、北は黒竜江省から南は広州まで、温度差すごいエリアを縦断するもので、持って行く服は悩みまくりでした。

 

だから、店を始める時に、ユニフォーム制でいくのは絶対事項。
『朝起きて、着る服で悩むのは人生の無駄』と真剣に思っております。

 

自分の体形や雰囲気に合うなら、形は固定でいい。

SOUSOUが、私の場合はスーツ。

そうやって行き当ったSOUSOUです。

来年はどんな柄が出るのかなと、1年1度のお楽しみ。

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選挙結果に無力感を感じるなかれ

Twitterのタイムラインで見かけた、多分若い方のつぶやきを見て、Twitterで連投。

 

年代別の人口数の違いの大きさを見て、選挙しても年寄りの意見に勝てる気がしない(意訳)というの、間違ってると思うの。同じ年だからって、全く同じ方向性向いている訳じゃない。私の友人知人だって、私より右も左も電波系もいて政治見解が分かれるの常だもん。50代の私は70代のおかんと多分真逆だし

 

1つの条件で全部を判断しても意味がないと、気付けばいいな。私達そんなに単純な事情で生きてないじゃない。

 

自分が応援した側が負けて、違う方向性が多数派だということに疑問を持つとしたら、一度逆側の理屈も勉強してみると、自分の幅が増えるかも。見えて無いところに手堅い政策実績があったりね

 

そもそも投票率も低い。全員入れたらどうなるのかなと私も思う。

 

今だって選挙が大事と思う人は台風大雨だろうが投票には行く。この入れるも自由、入れないも自由、罰せられることが無いし権利剥奪も無い。行かずに政治が悪いと文句たれても、暮らしていけるぐらいの経済、治安はいい方ってことかも

 

選挙は意見違う敵側を根絶やしにするためのものではない。あっちもこっちも日本人で同胞。民主主義は誰かが割を食い不満が残る制度。方向性が違う一人一人が選挙を通じて意思表示することで出た結果が自分は不満でも、誰かが満足した結果なんだから、日本の未来には必要(合致してたらもっと幸せだけど

 

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意味も価値も、私の中に~トップガン・マーヴェリック

ウミウシみたいなペーパーウェイト。
オイルライフさんが何かの時にお福分けしてくれたお品。たくさんある中から「好きなのを選んでいいよ」と言われて選んだきれい色。
色合いやテクスチャーが気に入って、かれこれ5年はレジ台の片隅に飾っているかと。明るい海を想起させる色。
仕入れの時は仕事目線になり、素材や作りを見たり、用途に対するデザインを考えてり理屈っぽくなりがちですが、こういう時は直感で「好き」を選べるし、好きを確信できた時に喜びを感じます。

自分の感性に馴染む感覚は、スピード感と共に自分の中にストンと落ちて来る感覚。
 
7月頭、映画「トップガンマーヴェリック」を見たのですが、ここ10年間で一番気分が高揚し、楽しかったわたくし。
深く思い悩むような内容はなく、人によってはどんなご都合主義な内容だよとむかつくかもしれません。そのぐらい単純ストレートな物語の流れ方。
私の解釈では、あの映画は「死に際の走馬灯」の一場面を切り取ったような、枝葉を捨てた幹だけのような映画。人生の岐路で、何を選択したのか、何を成し得たのかを確認するような感じ。だから単純でご都合主義な設定でもいいの、いいの。

マーベリックは頭では分かっていても、思わず体が動いて助けてしまう系。なろう系なら、車道に飛び出した子供を助けようとして、トラックにひかれて転生決定ですよ。でもそういうところ、日本人的感性だと好ましい。

計算できない人だなと思いつつ、自分の
愛や信念のために、高速でまっしぐら行動するマーベリックに、羨ましさを感じました。
あんな風に、愛と勇気、信念を持って自分の命を燃やす。
現実にはそう格好いい事は出来ないだろうけど、死ぬ時には「まあまあ頑張ったな、後悔は無い」と思える程度にはなりたいなと。自分の人生にもっと「我武者羅」に「なってみたい」「そうありたい」熱意みたいなものを思い出せた映画。

まだ出来る、まだいける!と西川貴教的なテンションで高揚した気分で帰宅です。

ちなみに、岡田斗司夫氏が「映画に中身は必要か」という動画をあげていましたが、わたくしのように、見る側があれこれ後付け出来る余地がある映画は中身が無くても価値があると私は思いますよ(ふふふ

ウミウシ・ペーパーウェイトを好ましく思い、身近に置き続ける感覚もまた、私の中のマーヴェリックが反応しているようなものだなと思います。ちゃんと暮らしの端々に、わたしはあるなと思ったりして。
『意味も価値も、私の中にしかないのかもな』と、謎かけのようなことを思いながら、お店番。
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マーベリックは、大人としてはだらしないところもあって、アイスマンと比べたらダメおやじ系なのかもしれない。でも、大勢の人から認められ大将でもあったアイスマンはマーベリックを信頼し、友として大切に思う。アイスマンの言葉の中に、マーベリックをいたわり、勇気づけ、お前も幸せになれよと、大好き大好きと言っているように聞こえて、死期が近いとうかがわせる設定なもので、あそこで1回泣いちゃった(笑
マーベリックは愛すべき人なのに、不器用で損をしてきたのがうかがえます。
いい大人が社会性低いってほめられたことではありませんよね。
仕事仲間は苦々しく思っていた人も多かったことでしょう(笑
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自分の死に方

昨日の安倍晋三元首相の訃報、悪い予感はしていたので、やっぱりかと悲しくなりました。

昨夜のパート先でも、やはり安倍晋三氏の訃報に衝撃を感じている方、喪失感を感じている方がいて、手を動かしながら少し雑談。どちら様も、誰かに殺されるという事態に驚愕し、亡くなった命を惜しみ悲しんでおりました。メディア露出で顔を知っている程度ですが、やはり生きている人が亡くなるのは悲しい事、という受け止め方で、好き嫌いではない話をしておりました。

 

左界隈からのアンチも多かった方ですが、私は経済政策、外交活動、国防の考え方を好ましく思っていた方なので、こんなことで亡くなるなんて、と悲しかったです。もう一度、総理になる可能性もあった方だけに、凄く残念です。(でも二度の消費税増税は愚策だと思ってる。あれは財務省とそれ以前の政権の遺物だったとしても撤回できなかったのは大黒星と思います)

 

人材不足と揶揄される政界、アンチも多ければシンパも多い安倍晋三氏のような政治家は、人を惹きつける力の強さはピカイチで、その点だけでも稀有な存在感だったと思います。

知人が「亡くなったら美化してる報道多いけど騙されるな」とSNSで投稿していて、急にその方への興味が色褪せ、がっかり感。嫌いなのは自由ですが、亡くなった方にムチ打つような言い草に、その方の品位を見た気分で…

 

私が苦々しく思う政治家が亡くなった時は、これを反面教師として、沈黙を保とうと決意です。


もやもやと考えることは、

自分の身に置き換えて、

『他人の思惑で命の終わりを決められることへの拒否感』

 

三島由紀夫が、

『もし死ぬなら、朝の清々しいひと時、森を散歩中に誰とも分からぬ凶弾に打たれて苦しまず即死したい(かなり意訳』とエッセイで書いていたのを中学の頃に読んだ記憶。

 

私もこの店を始める前、サラリーマンの頃は、そういう死に方は変な執着もなくていいなと思っていたのですが、今は全くそう思えなくなりました。

 

どんな人生だろうが、野垂れ死にしようが、自分で決めて、生きて終わりたい。

 

そんなことを考えながら、本日は静かにお店番。

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ぶらり途中下車の旅の反響

6月25日放映の「ぶらり途中下車の旅 旅人:橋本じゅん」で当店が紹介されました。

有楽町線特集で、小竹向原駅からうろうろ歩いて、気付いたら西武池袋線の江古田まで来ちゃった、という流れだったので、散策番組ならではの脱線の賜物だった模様。

放映直前に、視聴者からの問合せ向けに、番組HPに当店の連絡先や最寄り駅からの徒歩時間の掲載を、となり「小竹向原駅からだと真っ直ぐ歩けば徒歩で20分ぐらいですかね」と言われ、「歩いたことないから分かりません。だってうち西武池袋線(プププ」「ですよね(プププ)Googleで距離測って時間出しときます」「西武池袋線江古田駅と新桜台駅も併記でお願いします」なんてやり取り。制作会社の方も笑ってました(笑

 

旅人さんの来店時、どなたか全く知らされずの状態。

マスクもあるから顔が見えず、誰が誰やら。


途中で制作会社の方が「橋本さん」と呼ぶもので、あれ?もしかして橋本じゅんさんなんじゃ・・・となり、そうと分かった時の衝撃。わたくし、劇団☆新感線の舞台映画ゲキ×シネを見に行くのが好きで、橋本じゅんさんをその舞台で知り、悪そうな迫力や笑いを散りばめたキレッキレな演技が印象に残っていたので、内心ワーキャー!してました。

 

さて放映後の反響なのですが、午前中の番組なので、午後には問合せの電話がやってきて、久し振りにコロナ前の忙しさを思い出しました。

多かったのは、通販の申し込み。
ザ・テレフォンショッピング。


HPからお願いしますと言えば「パソコン使えないからお願い」という世代の方が多かったです。東京の番組なので、地方では放映されていませんと制作会社の方から聞いていたのに、電話で聞く住所は関東以西の方が多くて、予想外でした。

「コロナの前はときどき東京にも遊びに行っていたのよ」「いつかまた行く事になったら寄りたいわ」なんて話してくれる方が多く、まだコロナが怖いと分かるし、まだまだ戻らなさそう・・・そこはちょっと寂しく感じました(戻りますように

 

そちらへ行きたいのだけれど、という問合せも多かったです。

もちろん「西武池袋線の江古田が最寄り」「有楽町線じゃなかったの?」のお約束のやり取り(笑

そんなこんなも1週間で納まり、今週は平常運転。静か。

 

TVを見る人は減ったと聞いておりますが、それでも反響を見れば、普段なら当店の存在に気付かない方に届いた訳で、やっぱり拡散力は凄いなと感心。そして、日々地道にSNSを更新していますが、その反響のかすかさと比較して、ちょっと気落ちしかけました(乾いた笑

 

「おたくはよくTVに出てるよね」と地元の方に言われましたが、年に1~2回あるかないかなので、よくと言われるほどでもなし。何かコネクションがあるからなの?と聞かれることもありますが、それもナッシングです。

江古田を取材場所にやってくる番組があるだけで、当店を目指してやって来る訳ではありませんから、街の魅力なのかなと思っております。江古田在住だと、特別感が全くないのですが、昭和の下町風情はTV的に絵になる、そんなところかもなと思ってみております。

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シン・ウルトラマン

映画「シン・ウルトラマン」(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

何人かのお客様から「シンウルトラマン、良かったから見に行け」と言われるもので、休店日に見に行ってきました。以下、ネタバレ多発。要注意。

館内は、若い人だけでなく、ウルトラQやウルトラマンをテレビで見ていた白髪頭が半分いたような印象。私もそっち系か。

シュッとしたプロポーション、余計なシワもなく、美しいウルトラマンでした。(中の人、スーツアクター氏、よくもこんなに美しい体形の方がいたものだなと後になってため息)

 

空想と浪漫。

そして、友情。

 

見終わって、どこに友情があったのかいまだに分からない。

 

小さい頃は、正義の「味方」ウルトラマンは、人間の味方、人間の仲間、人間と同じ存在に見ていた訳ですが、映画の中のウルトラマンは「外星人」

ザラブ、メフィラス、ゾーフィと、他の外星人達は地球人と「対等に」「友好を結ぶ」なんて頭にもない言動。もっと下に見ているし、無くなろうがどうでもいいぐらい無価値な存在として見ている風情。

 

ウルトラマンは、本来そういう外星人側の存在のはずなのに、他者のために自分の命を投げ出す人間・神永の行為を目にして「興味がわき」「もっと知りたくなり」神永と融合して禍特対のメンバーとして過ごす。

 

融合しなければ神永は死んでしまうので、生かすために手っ取り早く融合したと思われる。地球人を知るために都合が良かっただろうし。

 

 


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5月も終わり

気付けば前回更新から2週間過ぎておりました。他のSNSと違って、ここに書くのは長い文章でまとまった考えにしたいなと思っているので、問題意識や気付きが無いと、ついつい放置気味に。

 

感情が動くようなことは日々起こるのですが、笑えることは笑い終わるとスッキリしてしまい、後に残らず。

 

もやもやすることは、その感情に囚われてもいいことが無いという経験則から、スルー。忘れてやり過ごせる程度の事は後に残らず。

 

つまり、良くても悪くても、後に残らないレベル感=平和なのでしょう。三段論法だと、平和だと日記が書けない、ってなりますよね(合ってる?

 

昨日、いつも会えば話し込んで時を忘れる方が久し振りに顔を出してくれました。最低でも月に1度は顔を出してくれる方なので、この数か月見ていないなと気に掛かっていたのです。

 

店に入ってきて、○○ですと私に声を掛けてきたのですが、激ヤセした姿でピンと来ず、「え?どなたですか?」と聞き返してしまうほど。

 

声がかすれていて、声を聞いてもピンと来ない。
マスクを外してもらっても、痩せすぎてピンと来ない(笑

「病院の食事が美味しくなくて痩せた」と言われ、「私もそれ食べて痩せたい」と笑い合えるほど元気だったのでホッとしました。急に入院となったせいで、いろいろ大変だった模様。

 

入院中の話をしてくれたのですが、いつもの如く「気になったのそこ!?」的謎な状況と人間模様に大笑い。

かれこれ4か月は合っていなかったと聞いて、そんなに経っていたのかと驚きました(ひと笑いしたら埋まっちゃいましたけどね

後で一人になってから、あの方が元気で戻ってきてくれて、本当に良かったと噛み締めました。そして、顔を出して事情を説明してくれたことから、あの方にとっても、私がそういう存在であることが、うれしく感じました。

余計なものは持たず、最低限で暮らしているつもりですが、店を続けるうちに、店と紐づいたたくさんの人やコトを抱えて過ごしているんだなと再確認です。私の平和な日常を形作る人やモノが、ひとつでも欠けたら色褪せるのを再確認です。

今日は平和だけど、ブログ更新できました(笑

 

(そういえば水星逆行中、5月はやり直しや振り返り月間)

 

 

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癖(へき)

考えをまとめる時、本を読む時、白い紙を手元に置いて、思い浮かんだままメモ書きします。

 

些細なことでも何でもいいから、書き出すことでワーキングメモリーから外せるというメリットがあり、文字として可視化した情報は、後でグルーピングしたり、加工も簡単。俯瞰すれば、自分が何に気を取られていたのかよく分かります。

 

今は、手近にあるコピー用紙やチラシの裏紙に書き留めることが多いです。元々はノートに書き留めていたのですが、同時進行であれこれ考えたり複数冊読んでいる時は、書く順番が気になってしまうわたくし。

同じ内容は同じページ内に収めたい。

同じ内容は連続したページ内に収めたい。

分類と連続性が大事みたいなんですよね。
自分の癖(へき)が時に煩わしい(苦笑

画像のノートは開業したての頃取り扱っていたpaperblanksのノート。

エンボス&箔押し、紙は上質で書き味がよく、罫線の幅も色もわたくし好み。そう言えばページが残っているからメモに使おうと引っ張り出してきたのですが、やっぱり例の癖(へき)が邪魔になって、好きなように書き散らかすことが出来ないのです。

多分このぐらいページ取っとけばいいかな、という予測が出来ないのが問題。あ~、何かやっぱりノートよりペラ紙たくさん使う方が自分には合っている気がするなと思ったところで、「そうじゃなくて」「1件1冊で複数冊に書けばいいじゃないの」と思い浮かび、我ながら納得。

幸い隣は西村文具(買いに行け

 

全部1つにまとめたい癖(へき)じゃなくて良かったなと思いながら、どうしても考える時には紙に手書きが外せない自分の癖(へき)に苦笑。今のところ、これの代替案が見つかりません。

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ミントの緑

吉祥寺サトウズティーからお裾分けのミントの葉っぱ。
初夏をイメージする明るい緑色。

私の中では「新緑」をイメージする緑色に見えます。

『四色型色覚』という単語を見かけ、ググってみたところ、多くの人は三色型色覚で、視神経が赤、青、緑を感知して、掛け合わせで複雑な色合いを認識。四色型はその掛け合わせが4つある方で、常人の100倍(1億色)を見分けるとか。

 

赤の突然変異と赤、青、緑の正常神経とで4色掛け合わせ。女性に多く、男性家族に赤緑色覚異常がある家系に四色型色覚の女性が生まれる確率高めだとか。

 

そんな方が見たら、この緑をどう表現するのかな。

 

この世の中は、三色型色覚者が作り上げた単語や表現がほとんどだから、四色型色覚者の方には「見えているものをちょうどよく表現する言葉が見当たらない」こともあるのだろうかと、妄想がはかどってしかたありません(笑

 

参考事例で上がっていた画像では、三色型色覚者には1色に見える花が、四色型色覚者には中央部と外縁部とでは違う色味に見えるそうで、同じ花が全く別物に見える画像に驚きました。見えたまま素直に絵に表現して、先生から「よく見て描きなさい」なんて言われて、言い返せない性格だったらモヤっとしちゃいそうだなと、妄想がはかどって…(ry

子供の頃は人には無い特別な能力に憧れがあったものですが、三色型色覚と四色型色覚を切り替え出来るなら、憧れるに値するなと大人の私は思ったりして。

わたくしよ、凡庸を嘆くこと無かれ。
その他大勢には大勢なりに、意識せずに自動的に受け取っている幸せも多いはず。なーんて思って見たミントの緑。

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五月の連休は

今年の五月の連休は、去年と比べて人が出歩いている気がします。それに、そぞろ歩きではなくて、目的地があって向かっている人の気配が強かった印象。

昨年の5月は「コロナだし出掛けるってもねー」という感じで、行くところもないが飽きてきたから散歩中という風情の人がまだまだ多かったので、随分な変化だなと感じております。

 

 外出帰りに立ち寄ってくれた知人が「世の中はもうコロナ前に戻ったと思った」と言ったのを聞いて、他人の目にはそう見えるなら、私にはまだ見えていなくてもそうなんだろうなと、もうすぐそうなるんだろうなと思いました。

本当に、このまま、コロナなんて忘れられるほどになればいいのに…


そうだ、世の中の流れが戻る方向に動いているのなら、当店もコロナ以前に戻った動きをしよう、と思ったわたくし。コロナで週休二日制にしていたのですが、また隔週二日に戻そうとしております。

 

ひとって、サボるのは簡単。

学ばずともすぐに出来るくせに、勤勉さを取り戻すのは難しいものですね、、、

この火曜日、家でゴロゴロしてたいな~という欲望を抑えて、人類滅亡している店内で19時までお店番がそこはかとなく辛い(苦笑

暇なので、「水星逆行」の過ごし方を妄想して過ごしました。


星占いをやっているお客様から「水星逆行がやってくるよ(5/10~6/3」とお知らせがありました。水星逆行は、情報の遅延や錯綜、移動の混乱など人にとっては困ることがよく起こるのですが、過去に積み残した課題をやり直すタイミングとも言われるそうです。

どうせなら、積み残し課題を総ざらいして・・・と思っていたところ「お前の好きなことは何だった?」と神様から言葉が降りてきました。

 

便宜上、神様と呼んでいますが、直感というかなんというか。

1年前の好きなこと、

3年前の好きなこと、

5年前の、10年前の、と遡ってみたら、

どの時代も共通して好きなもの、価値観が見えてきました。

 

この10年、メインに据えるほどではないと思っていた価値観だったので、
「忘れてた!」
「忘れてたことにびっくりだった!」というのが正直なところ。

思い出したからには、また始めたらいい。

「そうそう、好きだったわ」と思い出したら、その事を考えるのが楽しくて仕方ありません。
水星逆行の時期は、実行実現する道筋を考えてみるひと時にしようと思います。

 

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みなさんも、「お前の好きなことは何だった?」の振り返りしてみると、思わぬ再会、再開が見えてくるかもしれません。水星逆行はもうすぐ始まりますからね。その頃に、ちょっとやってみると面白い結果になるかもしれませんよ。

 

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ワクチン接種会場にて

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だって、でも

昨晩飲み過ぎました(反省)

 

やる、やらないを迷っている事があります。

その事の締め切り第一弾が間近になり、もう決めないといけないタイミング。

今年中に絶対やるしかない事柄。
なのに、やると決めたら終わる話を悩むのは、やりたくはないから。

 

やるしかないが、

やってもうまくいくか分からない。


やらずにいたら確実に下降線。

なら、やるしかない。

どう考えてもやるしかないのだけど、

やらずに済むならやりたくないので、

思い悩んでグズグズ飲み過ぎてしまいました。

 

わかりきった話でも、感情が捨てきれず、人は悩むもの。

 

で、本心はまだやりたくない(苦笑

また「だって」「でも」と言いそうになっているわたくし。

 

こういう時は、どんどん動かして、後戻りできないところへ早くたどり着くのが一番。機械的に先方に電話し、機械的に最短日にアポイント取って…「虫のように生きる」という言葉が下りてきたことがあるのですが、今また思い出しました。余計な事を考えず、直線的に取り組む。そんなニュアンス。

 

今回は、感情が邪魔をして、動くタイミングが随分遅れてしまったなと反省。まだ、結果がどうなるか分からないのでモヤモヤは続くのですが、動き始めたからには必ず答えが出るので、グズグズはこれで終わり。


モヤモヤがスタート。
ああ、ひとつ終わると次が出て来る(ククク…

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粉唐辛子

先日、友人と食事がてら、随分足が遠のいていた新大久保界隈。改札出て右側へ歩きながら「この線路沿いの道が着工した頃から来てない」と思い出を語り合う。多分10年ぐらい来てなかったふたり。

コロナもあって、韓流スキーも少なめ。

どこもかしこも思ったより人が少な目で歩きやすい。

昼時のレストランはどこも空いているので、目に留まったお店に入ってご飯。店員さんも少ない相手の接客だから、ゆったりめで、こちらものんびり。

 

江古田辺りは住宅街で、住んでいる住民相手のお商売。まん防が明けたところで、いつもと変わり映えしない人通りだと思っていましたが、繁華街も似たような調子みたいです。

 

繁華街へ出掛けて楽しむ人が多いと、住宅地の商店街からは客が居なくなると「昔は」思っていました。

 

「今は」繁華街や観光地がにぎわうのは、世の中のマインドセットが外向きか、楽しんでいるか、幸せか、それが見える窓に思えます。繁華街がにぎわう時は、地元の商店街も人の往来が活発で、にぎわうものです。だから、新大久保界隈が空いているのは、まだ自粛モードなのか、それとも気持ちに遊ぶほどの余裕が無いのか…

お料理美味しいね、と笑い合いながら、客単価の低いランチタイムでお客が10名未満の1回転で厨房とフロアで従業員4名ぐらい?そんなで持つのかいな?でも10年以上前からある店だもんな~と採算をお見積り。どちら様も厳しい経営状態が透けて見える。

私なりに、人々が心から開放的になるにはまだ時間がかかるなと受け止め。

 

遊びに来たのにつまんないこと考えるのよそうと気を取り直し、本日のメインイベントは韓国と中華の食材屋で爆買い。韓国食材屋では味噌などジャン系の重たい調味料を、中華食材では乾物や雑穀米に混ぜたい穀物を。荷物が重くて宅配便で送りたくなるほど買いまくりました。


今回、購入した中で、一番買って良かったと思ったものが「粉唐辛子」

甘味も感じる辛さで、旨味も感じます。

粉になっているのでタレに混ぜて肉に塗り込んだり、扱いも便利。

味噌汁にちょっと入れると、コクが出る気もします。

韓国料理は珍しくもないほど食べているのに、自分で粉唐辛子を使ってみようという発想にならなかったのが悔やまれるほど粉唐辛子は便利で美味しい。

 

 

粉唐辛子の赤い色。

体に入れると少し体温上がるような、元気が出る気がします。

しばらくは試して試して、研究。
買った分量が無くなってまた買いに行く頃には、新大久保の人出が元に戻り、江古田もそこそこにぎわうといいな…なんて。

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いつもと違う選択を

頂き物のスミレの花。グラスに投げ入れ。

花瓶が無くても、花は飾れる。

 

コロナにウクライナで、また社会不安で世の中が停滞延長かと諦めモードに落ちかけたのですが、まてよ、と。

私は何かと時事問題が自分の事業や生活に及ぼす影響を考えがち。でもそれはそれ、要因のひとつでしかない。取引先の方達と雑談、どちら様も売上低迷、どうすればいいか不明(ラップ調

私達も消費者のはずなのに、その心をもってしても見えない。

こうなんじゃないかと語られる内容が、私にはそうも思えなかったりすると、互いに幻を見ているよう。

 

予想屋は予想すれば当たる/外れる。

当たる予想は予知。

外れるからこそ予想。

アナログに、人間ひとりが目にする耳にする情報量だけでは、計り切れない世の中になっているに違い無いのです。みんなで「分からん、見えん」とぼやき合うこの実情、それで説明がつくではありませんか。

 

ビッグデータを持つものが残るとなると、弱小個人商店はどうするべきか…出来る事しか出来ない規模なので、新しいとか、他と違ったことを探すのも違う気がします。

もうひとつ思い浮かんだのが、「私と同じ情報を見ていない人はたくさんいるんだ」という事実。

私が世の少数派の場合、その情報内容で判断はアウトではないかと。

このまま繰り返す日々では足りないが増えるだけに思え、普段自分が足を向けないものなら何でもいいから見に行こうと思い立ち、そうと決めたら行けそうな友達に連絡し、催事が不発でも友達とキャッキャウフフで損しないように手当してお出かけ。


選んだのは、単価のお高い、しかも値段の根拠が分かりにくい「古美術」の展示会。目利きではないので皆目分からないながら、目が留まるものはいくつかあり、値札を見てはギョッとし(苦笑)すっかり場違いな冷やかし客でした。

出店者の風体の怪しさと、来場者の身なりの普通さも意外で。

もっとお金持ちっぽい人が来るのかと思ったら、どっちもどっちで身なりからは趣味嗜好が見えにくい感じの方が多く、出店側にはカジュアル通り越して擦り切れ過ぎて気になる方もいて(笑)業界標準がよく分からないなというのが感想です。

誰かと連れ立って来場している人が半分は居たような。

店の人に、自分のコレクションや好きを一生懸命語り続ける女性が小一時間居座っているのを観察し、単価の高いものだから、一人に掛かる接客の手間は相当なのかもなと思ったり。買う人1人捕まえるまでに100人の冷やかしをいなす感じなんだろうかなあと思ったり(余計なお世話

喫茶店へ移動する間に見かけた人々は、穏やかな笑顔で行き交い、本日の日本も平和。不幸せな人は見たところいない感じ。コロナもウクライナもどこ行った?ぐらいなんですが、メディアでは相変わらず不安を煽る系の発信が多いのでギャップを感じてしまう。

友達の近況を聞きながら、この話は、自分とは異なる生活圏、異なる業界から見える世の中の欠片だなと思いました。友達だからこそ、隠さず話してくれる内容もあり、貴重な欠片。

 

その後店を開け、パートへ行って、ルーチン。

寝しなに、いつもと違う選択をして出かけてみたが、良かったなと感想。

変わりたいなら、コロナの2年間とは違った選択を心掛けて過ごすべしと浮かんだので、しばらくその方向で。

 

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平和とは何か

ウクライナ侵攻。

ロシア軍の一般人への虐殺が告発されており、毎度のことながら、人間は人間に対して、どうしてここまで残虐になれるのかと恐ろしく思っております。

力のある側が、力を持たない側を一方的に拷問し、強姦し、殺戮する。殺し方がまた惨い。第二次世界大戦の終戦間近、ロシアが日本の民間人に対して行った事となんら変わらぬ単語が並ぶ。私がその事を知ったのは、社会人になって30代の頃。あまりに惨い言葉が並ぶ資料に吐き気を覚えながら、知る必要を感じて読んだ記憶。

 

戦争なら何をやっても、やられても仕方ないのか?と思ったものです。極限状態だと、普段とは違う精神状態になり得る。その時に他者を思いやり助け合える精神を持ち続けられるのか、自分一人逃げたくなるのではないか、他者を陥れてでも自分は助かりたいと思うのではないか。人間の品性や徳は脆い一方で、どうせ死ぬなら惨めに死ぬより一矢報いたいと強くもなるだろう、そんなことをひとしきり考えたことがあります。

TVを持たないもので、webニュースやYoutube動画で情報を得ておりますが、文字面だけで十分、私は削れてしまう。だから画像検索もしないし、現地映像も見られません。コロナ不況で経済的な不安が冷めやらず、精神疲労状態が続いておりますから、普段より、不安や恐怖に対する耐性が落ちまくっている自覚があります。

 

SNSのタイムラインで、ロシアが早く負けて停戦すればいいと願っているつぶやきを多数目にしますが、私にはこの戦争は、停戦となれば終わるとは思えずにおります。クリミア侵攻の後も、ずっとウクライナとロシアは境界を接して不穏な状態が続いてきたのだし、戦争は「止めます」と宣言したところで、守る気が無い人が一人でもいたら、その条約や法律には何の意味があるのやら?

私の火曜の夜のお楽しみ、地政学・奥山真司氏の動画で興味深い話題が出ておりました。

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美彩新作「チョウチンアンコウ」

過日サンシャイン水族館で深海魚展を見た感動のまま、美彩さんに彫ってもらった「チョウチンアンコウ」デビルっぽい色合い、口の大きさ、知っている人でこんな顔のおじさんいたなとほくそ笑むわたくし。

でも、いわゆるチョウチンアンコウは雌、女の子。

 

 

チョウチンアンコウは、小さい頃から何かで見かけて覚えた魚。絵本のイラストでは、頭に光る提灯を提げ、暗闇を灯してみんなを助ける心優しいお魚ちゃんでした。

このチョウチンアンコウのせいで、深海魚は全部、頭の先に光る提灯が生えているものだと誤解していた時期もあります。

頭の突起というか触手:棘が進化したものだとか

触手の先のひらひら:動きで餌になる生き物を連想させる疑似餌本体

触手の先の発光器:体内に住んでいる発光バクテリアの光りを活用。構造は光ファイバーみたいになっている(自然の企画開発力、凄い…

 

どれも必要から、改善のために変化(進化)した結果と思うと、そこに至るまで、生きにくい深海で、何匹のチョウチンアンコウが失敗して死に続けたことであろうか(遠い目

大人になっても深海魚への興味は尽きず、ある日チョウチンアンコウの『不思議な結婚』を知りました。

 

個体数も少ないし、いつでも、どこでも、何度でも、出会いがあるとは限らない深海。

 

チョウチンアンコウの雄は、雌のフェロモンをたどり広い海底を移動、出会ったら逃がさない。腹部にかみつき、徐々に雌の体に同化し、最後は生殖器のみ残し、体ごと雌に取り込まれ、雌から栄養をもらって寄生しているような状態に。雄は生きているだけで餌を食べる競合者だし、種だけあればオッケーということなんでしょうか。

「そんな扱いでも、オレはええんやで」と雄が受け入れたのか(諦めたのか)
擬人化して想像すると、なかなか切ないな、雄。

ちなみに、サイズ情報。

雌が体長40~50㎝に対して、雄は5㎝程度。
雌にすれば、嚙みつかれても大事なし。

吸収同化が進めば、大きなイボがお腹に出来た感覚ぐらいでしょうか。

 

 

母数が少ないところに、雌に取り込まれずウロウロしている個体が少ないのか、雄の個体は記録が少ないとのこと。

 

深海魚は、網に掛かっても水揚げまでに網や他の魚と擦れて、本来の姿が分からなくなってしまうものも多いそうです(水圧に耐えるためにほぼ水のような体=ぶよぶよ柔らかい組織のせい)5㎝ぐらいなら網の目から漏れちゃいそうですしね。

 

私は、この不思議な結婚の話を思い出すたびに、最近の若いカップルを連想しております。韓流のおかげか、男子もお化粧したり、中性的なきれいな子が増えました。店内で、可愛い女子と静かに語らう様子をみると、話している内容が「女子同士の」「結論のない他愛なさ」不実は働かず、乱暴な言動、嫌な事は言わない。穏やかに思いやり合い、女子からすれば、一緒に居ると「まるで自分と一緒にいるように」「気疲れしない」関係性なのだろうな…で、チョウチンアンコウの結婚を思い起こしてしまうのです(黒笑

私の若い頃は「白馬に乗った王子様」を待つ乙女もいましたが、王子様には、美しさの他に、頼れる、守ってくれる、強い、あたりのキーワードが含まれていた気がします。今時の若い子達は、どんな恋愛観なのか、機会があれば聞いてみたくなっております。


話戻ってチョウチンアンコウ。
雄が雌に吸収同化される以外に、もっと餌の多い深さや浅瀬に生きる方向性を何故目指さなかったのか、そっちも気になります。陸で生きる私の感覚で見たら、なんでこんなに生きにくい世界を選んだのだろうか。深海魚が話せたら、いつか聞いてみたいテーマ。

※チョウチンアンコウをお迎えしたい方は【こちら

 

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漢の中の漢

営業中。昨日は友人とひょうたんで語らう。
元々それほど関係性無く、今だって親しく行きあう訳でもない。
ただ不定期に、お互い頑張ってるなと確認するだけ。

 

互いのディテールは知らないし、

言いたいなら聞くだけ。

こんなだけど多分、私達は友達。

 

引き合う引力はささやかなのですが、互いの中に同じ欠片を感じて切れることなく続いている。それが気持ちよい。

 

計算したところで、やりたいこと、楽しいことしか続かないから、他人から見てどんなにめんどくさい事でも、それを選び取る友人。それが1つじゃなくて3つ4つある友人。真っ赤にしか見えないブルーオーシャン分野ばかり手を出している友人(果敢すぎる

 

私もどうしてなのか、知りたくなりました。

 

何度か繰り返す内に、自分でも葛藤はあった模様。

自分の中の法則性を観察して、そろそろ一応の結論が出たので文章化しようかなと笑っていました。

 

いよいよ、他人に見える形分かる形にするらしい。

それを見て、ついてこれる人や事柄を引き寄せ、他を振り落としに掛かるのかしらと妄想。

 

もう若くないから、気力、体力、集中力と、有限を感じる日々。そろそろ時間を惜しみ集中させる対象を絞りたいという意味かと。絞れる余裕はあるか、無いかではなくて、やりたいならやる。その辺りが友人らしい明快さ。

 

誰もに言えることで、出来る出来ないではない、やりたいならやる、以上終わりの潔さ。

 

漢らしい女性の友人。

今日はガガ様に会いに行ってるはず。

 

フェス好きで、私が西川貴教好きと知って、来年のイナズマロックフェスに一緒に行こうと言ってくれたので、慣れない場所に一人行くのが億劫だったわたくし、来年は初フェス体験できそうです。

 

 

スピードと馬力ある人に『掴まる』と、思いがけず結構遠くまで行けるの術(笑

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一汁一菜でよいという提案/土井善晴

YouTubeで岡田斗司夫さんが「Amazonのこの本のレビューを見たら、世のお母さんや主婦の方が、涙しながらありがとうと叫んでいて、見るとびっくりしますよ(意訳」と言っていたのが読みたくなったきっかけです。

お客様と話していると、少なくない方が、三度の食事の準備を『空しい労働』と感じているのは事実かと思います。作る時間に対して、食べる時間はあっという間。美味しかった、ごちそう様のひと言もなく終わる食事が繰り返されると、報われない気持ちが降り積もる訳です。


私の若い頃は、仕事に追われて時間が無い無いと思っていたから、麺類が多かったと思います。麺類は1品で済むし、出来合いの出汁やソースがあるから自分が一から作るよりも美味しいし。

30代半ばに断食道場へ行って、玄米ご飯がこんなに美味しいのかと気付いてから、和食を麺類1品のように手軽にするために、どう時間の使い方を工夫すればいいのか、数年かけて改善していった感じです。

和食は、①ご飯を炊く②お味噌汁③おかず、最低①と②の二つは作りたい。③は種類を楽しみたければその分手間が増える。玄米を炊くとなると吸水時間が長い、出汁を取るための事前の吸水も必要。実際手を動かしている時間は短くとも、全体の監理時間は長時間化します。麺類1品なみの簡単さは物理的には無理ですが、気分的に近づけるために、手順や時間の使い方を工夫するしかありませんでした。

やってみると、なかなかに大変で、私の場合は数年かけてルーチン化できるようになりました。野菜は毎日1~2種類買い足し、野菜のおかずは1日1種類作り足す。おかずは常に2~3種作り置きがあり、1種は3~4日で食べ切る。1回分は3口程度の量。

美味しそうと思っても、安いなと思っても、その日買うのは全部ではなく、1番美味しそうなものに絞る。料理はやる気に任せてガーッと作ったりすると、食べ切れずに捨てる羽目になる上に、料理だけで自由時間が終わるのはつまらないので、料理に使う時間を加減する。

先日茄子を沢山もらった時は、茄子の味噌汁、茄子のみそ炒め、生姜を効かせた茄子の浅漬け、翌日以降の茄子の糠漬け、と茄子尽くしの献立になりました。私は自分の事情と都合で作るから、それで良かったけれど、家族持ちだったら「茄子ばっかり」と不満をこぼされたかもしれません。

 

世の主婦は、旬や鮮度、栄養バランスや品数、美味しさ、手早さ、家計費の管理と、いろいろこなした結果を食べさせているのですが、目の前のご飯にしか目がいかない人は「茄子ばっかり」と言うのでしょうよ(苦笑

家庭料理にプロの料理人が外食先で作るような何かを求め過ぎてやしませんか?和食もハレとケがあるのに、おうちご飯のケがハレとの差がなくなりすぎてるんじゃないですか?それを当たり前と思い込んだり、応えなくてはと頑張り過ぎてはいませんか?

『家庭料理ってそんな特別なものじゃないでしょ』

『毎日ごちそう食べてたら飽きる』

『家庭料理はおいしくなくていい』

『時には失敗したっていい』

生業で料理する人と違うんだから、線引きしていい。失敗したらしたで、「今日は今一つやね、この間のは美味しかったのにね」と味の違いを感じて家族でやり取りする、共有共感、感じて考えるのが、家庭の大事なところ、いいところじゃなかろうかと。

家庭料理は、美味しい事を楽しむ以外の意味合いが強い。体調管理や気遣い。心遣い。

年寄りは歯が悪いとなれば柔らかく煮たり、子供の口の大きさに合わせて食べやすいように小さく切ったり。そう言えば、小さい頃はカレーはバーモントの甘口だったのが、いつの間にかS&Bの中辛や辛口に変わっていったのを思い出します。

 

子供はちゃんと見て感じて考える存在と認めているし、子供を信頼しなさいと言っているように読めます。親の職場の姿は見せられないけれど、家の中の姿は見せられる。言動すべてを子供は糧にしており、一人立ちして暮らしていけるようには、いいところも悪いところも見せるのも必要。一緒に笑い、上手に出来ればほめるし、行儀を教え、ダメなことは叱る。

 

なるほど、Amazonレビューで湧いている主婦達は、料理の手を抜いていいと言われて喜んでいるのではなくて、『自分が見失い掛けていた望ましい家庭団らんの姿』を思い出してホッとしたと言っているような気もいたします。

 

自分が個人商店を経営しているから一番反応した文章。

 

メディアのせいでプロとはこだわりを持ち、努力し、客の期待に応えるなど、『こうあるべき/そうでなければ』という仮想を客側が信じ込み、店側が意識高いですねと客を持ち上げ、変なハードルが高くなる。金を払う側がえらいと変な権利を主張するのを受け入れる。客側の思う理想と現実との乖離の悪循環。客の無理難題に応えることが正解ではない。本来は、店と客は対等で、客と商品・サービスと調理場と経営の間に浮かぶスープが、こぼれないようにバランスが取れている状態が健全。

 

うちは小売店ですが、同じ事。
家庭では家族それぞれが欠かす事の出来ない存在で、お互いの意思疎通が出来てバランス取れた状態が大事。

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美彩新作「ハシビロコウ諭吉」

読書百遍意自ら通ず。
江戸時代の寺子屋では論語を繰り返し音読したとか。

何度も読むうちに、最初は皆目分からなかったものが、徐々に理解できるようになるというものです。江戸時代以前から、この勉強方法は有用とされ、使われてきた手法ではなかろうかと想像(まだ調べてないから妄想の域

わたくし、自分がこの手法を使う方なので、有用だと思っています。

まずはただ流して読む。

つまづくところは、2回目以降にちゃんと読むつもりで、ひたすら流し読みます。全体の流れが分かってから2回目を読むと、前後や結論が見えているので、推察が進んで理解が早まったり深まったりする経験値を積んできました。

 

冒頭を読んで、これは頭に入って来ないなとなったら、流し読みへ移行。下手すると眺めるだけでページをめくり続けるだけでもいいです。2回目から本気出して読むのです。2回目でじっくり読んで、文字面の理解は出来ても内容が分からない時は、知らない要素が多いということで、その事の基礎知識不足だなと思えば、そこだけググッて浅い情報をちょっと集めたりもします。


勉強は、どれもこれも、時間を掛けないと深まらないもの。手元のひとつで全部分かることもないし、子供の頃は、この掛けなくてはいけない時間が永遠に思えて辛いのですよね(笑)

この没頭感、初っ端からトップスピードには乗らないもので、ある一定時間を使わないとダメの法則があります。だから、飲み込み悪いなと思う時は、流し読みで全体の流れを把握して2回目から本気出す方法で、嫌になって手放す時間を先延ばししているとも言えます(笑


美彩新作「ハシビロコウ諭吉」
美彩のハシビロコウファンの方から、また彫って見せて欲しいとリクエストがあり「ジッと動かない」をキーワードに彫ってもらいました。諭吉の目元、楽しそう。きっと楽しい本を読んでいるのだと思います。好きな本だと自ずと繰り返し読みますよね。

 

好きな本に熱中している時、確かに私も動かない(笑)

諭吉は何を読んでいるのかな・・・

諭吉をお迎えしたい方は【こちらからどうぞ

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青銅鏡

私の学生時代の本屋は立ち読み出来ました。買いたい本ははっきりしているのだけど、背表紙を見ながら気になった本を手に取って、惹きこまれてそっちを買って帰る、なんて道草読書が楽しめた時代。

今は街から本屋が消え、図書館も小竹図書館みたいに単館での所蔵が少ないと、WEB予約で区内の他図書館からの取り寄せになるとなると、道草読書が気軽に出来なくなっております。

その代わり、WEB上は有象無象情報散乱、ググれば思いがけない資料に行き当たるようになりました(検索能力、大事

 

本日見つけた「W-Wallet 鏡(かがみ)」「古代の青銅鏡づくり

 

神社にお参りするたび目にする「ご神鏡」がふと頭に浮かんで、そういえば昔は鏡をどのように作っていたのか気に掛かりました。

 

ご神鏡って鏡の姿をしているけれど、どうも周囲の景色の映り込みが見えず、反射率少なそうですよね。鏡と言ってもものの輪郭が分かる程度なのかなと見るたび確認したくなっていたこともあって、昔の鏡の精度も気になったので、作り方を知りたくなったという訳です。


水鏡→石を磨いた平滑面(鏡面→金属を磨いた平滑面(鏡面→ガラスに銀鍍金(めっき)


姿を映す道具は、身の周りにあるものそのものから、加工して平滑面を作る方法から、化学反応を利用する方法へ進化。

 

画期的だったろうと思われるのが、反射率の高い素材を平滑に面加工する鏡の登場だったのかなと思います。「古代の青銅鏡づくり」の画像を見て、ここまで映ったら感動したろうし、特別感があったろうなと妄想。

最近のお客様との雑談で、私のユニフォームSOUSOUのTシャツは背中側に柄が入っているものが多く、「好きな柄を着ているのに、着ている時は自分では見られないのが難点」と笑ったことがありました。

ひとには、自分の姿を見たい欲求が、どこかにあると感じています。自分の存在を確認したり、他者との違いを確認したり、それが原初的な欲求なのではないかなと考えております。

 

鏡が無かった時代は自分の姿がはっきり見えない上に全体を見ることも出来なかったと予想され、自分の象徴は手足だったかもしれないと妄想。社会的に、狩猟や農耕での仕事量が自己肯定の基盤になっていたのではないかと推測。姿かたちよりも、行動と実績が自己肯定感に繋がっていたと仮定したら、働き者に価値が置かれ、量をこなせる人がもてはやされたのではないかなと。

 

鏡に話を戻すと、水で映すには限度があり、金属を磨いた鏡を見た時の驚きと感動は凄かったろうなと思います。

 

学生時代の教科書で青銅鏡を見ても、出土品の錆びた姿ままだし、凄さが今一つ分かりませんでした。大人になって、妄想力が育ち、仕事でモノづくりの知識が増えたら、バーッ!と見えるものが変わった印象。青銅は錆びる前はこんな色、鏡面ならこの程度は映ると思えたら、水鏡からの差の大きさが凄すぎて、当時の人々の驚きの大きさが想像できない・・・そりゃお宝扱いも自然な帰結ですよね。自分の姿を見ることが出来る道具は、貴重だったことでしょう。

 

親兄弟の姿を見て想像していた自分と、違った様子に混乱した方もいたろうな。好ましく感じた人はホッとしたろうか(ナルキッソス

装飾品の進化も、鏡の登場で進んだのではなかろうか。

自分と他者の違いが明確に確認できるようになったら、差を見て悩む人も増えたろうな・・・そういうの書きつけた資料出土してないのかな?

 

妄想がはかどって仕方ない(笑

 

 

こんな調子で、生きている間に何をどのくらい知る事が出来るのだろうか、ほんと時間が足りないわと思った今日この頃。

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朝起きて、着る服で悩むのは人生の無駄

店のユニフォームにしているSOUSOU傾衣。

毎年1枚買い足し。

今年の柄はWEB限定柄だそうで賑やか。

 

開業当初、どこで買ったの?と話し掛けられる事が多かったです。

 

後日、当店でも取扱いたいと問合せしようと思った時、友人がSOUSOU社長氏と幼馴染だとかで間に入ってくれました(世間狭い

 

当時、まだ都内直営店も無かった頃でしたが、社内方針として直販オンリーと決めたばかりで、社長の縁故で何かするのはやりたくない、と気持ちよく断られまして、

 

友人は申し訳なさそうですが、こっちは「そういう社長氏、いいな~」と思って余計好きになり、今もユニフォームです。

 

若い頃、それなりに自己顕示欲もあり、いろんな服をとっかえひっかえ頑張りましたが、実はメンドクサイとも思っておりました。

 

男性はスーツを着ているだけできちんとして見えていいな、女性は髪形に化粧、服にアクセと手間が多いや・・・と会社に遅刻しながらモヤモヤしたものです。

 

遅刻と外出準備は別因果なんですが、当時はそう思っていた訳です(身勝手

 

海外出張が多かった時期は、1週間、2週間、北は黒竜江省から南は広州まで、温度差すごいエリアを縦断するもので、持って行く服は悩みまくりでした。

 

だから、店を始める時に、ユニフォーム制でいくのは絶対事項。
『朝起きて、着る服で悩むのは人生の無駄』と真剣に思っております。

 

自分の体形や雰囲気に合うなら、形は固定でいい。

SOUSOUが、私の場合はスーツ。

そうやって行き当ったSOUSOUです。

来年はどんな柄が出るのかなと、1年1度のお楽しみ。

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選挙結果に無力感を感じるなかれ

Twitterのタイムラインで見かけた、多分若い方のつぶやきを見て、Twitterで連投。

 

年代別の人口数の違いの大きさを見て、選挙しても年寄りの意見に勝てる気がしない(意訳)というの、間違ってると思うの。同じ年だからって、全く同じ方向性向いている訳じゃない。私の友人知人だって、私より右も左も電波系もいて政治見解が分かれるの常だもん。50代の私は70代のおかんと多分真逆だし

 

1つの条件で全部を判断しても意味がないと、気付けばいいな。私達そんなに単純な事情で生きてないじゃない。

 

自分が応援した側が負けて、違う方向性が多数派だということに疑問を持つとしたら、一度逆側の理屈も勉強してみると、自分の幅が増えるかも。見えて無いところに手堅い政策実績があったりね

 

そもそも投票率も低い。全員入れたらどうなるのかなと私も思う。

 

今だって選挙が大事と思う人は台風大雨だろうが投票には行く。この入れるも自由、入れないも自由、罰せられることが無いし権利剥奪も無い。行かずに政治が悪いと文句たれても、暮らしていけるぐらいの経済、治安はいい方ってことかも

 

選挙は意見違う敵側を根絶やしにするためのものではない。あっちもこっちも日本人で同胞。民主主義は誰かが割を食い不満が残る制度。方向性が違う一人一人が選挙を通じて意思表示することで出た結果が自分は不満でも、誰かが満足した結果なんだから、日本の未来には必要(合致してたらもっと幸せだけど

 

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意味も価値も、私の中に~トップガン・マーヴェリック

ウミウシみたいなペーパーウェイト。
オイルライフさんが何かの時にお福分けしてくれたお品。たくさんある中から「好きなのを選んでいいよ」と言われて選んだきれい色。
色合いやテクスチャーが気に入って、かれこれ5年はレジ台の片隅に飾っているかと。明るい海を想起させる色。
仕入れの時は仕事目線になり、素材や作りを見たり、用途に対するデザインを考えてり理屈っぽくなりがちですが、こういう時は直感で「好き」を選べるし、好きを確信できた時に喜びを感じます。

自分の感性に馴染む感覚は、スピード感と共に自分の中にストンと落ちて来る感覚。
 
7月頭、映画「トップガンマーヴェリック」を見たのですが、ここ10年間で一番気分が高揚し、楽しかったわたくし。
深く思い悩むような内容はなく、人によってはどんなご都合主義な内容だよとむかつくかもしれません。そのぐらい単純ストレートな物語の流れ方。
私の解釈では、あの映画は「死に際の走馬灯」の一場面を切り取ったような、枝葉を捨てた幹だけのような映画。人生の岐路で、何を選択したのか、何を成し得たのかを確認するような感じ。だから単純でご都合主義な設定でもいいの、いいの。

マーベリックは頭では分かっていても、思わず体が動いて助けてしまう系。なろう系なら、車道に飛び出した子供を助けようとして、トラックにひかれて転生決定ですよ。でもそういうところ、日本人的感性だと好ましい。

計算できない人だなと思いつつ、自分の
愛や信念のために、高速でまっしぐら行動するマーベリックに、羨ましさを感じました。
あんな風に、愛と勇気、信念を持って自分の命を燃やす。
現実にはそう格好いい事は出来ないだろうけど、死ぬ時には「まあまあ頑張ったな、後悔は無い」と思える程度にはなりたいなと。自分の人生にもっと「我武者羅」に「なってみたい」「そうありたい」熱意みたいなものを思い出せた映画。

まだ出来る、まだいける!と西川貴教的なテンションで高揚した気分で帰宅です。

ちなみに、岡田斗司夫氏が「映画に中身は必要か」という動画をあげていましたが、わたくしのように、見る側があれこれ後付け出来る余地がある映画は中身が無くても価値があると私は思いますよ(ふふふ

ウミウシ・ペーパーウェイトを好ましく思い、身近に置き続ける感覚もまた、私の中のマーヴェリックが反応しているようなものだなと思います。ちゃんと暮らしの端々に、わたしはあるなと思ったりして。
『意味も価値も、私の中にしかないのかもな』と、謎かけのようなことを思いながら、お店番。
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マーベリックは、大人としてはだらしないところもあって、アイスマンと比べたらダメおやじ系なのかもしれない。でも、大勢の人から認められ大将でもあったアイスマンはマーベリックを信頼し、友として大切に思う。アイスマンの言葉の中に、マーベリックをいたわり、勇気づけ、お前も幸せになれよと、大好き大好きと言っているように聞こえて、死期が近いとうかがわせる設定なもので、あそこで1回泣いちゃった(笑
マーベリックは愛すべき人なのに、不器用で損をしてきたのがうかがえます。
いい大人が社会性低いってほめられたことではありませんよね。
仕事仲間は苦々しく思っていた人も多かったことでしょう(笑
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自分の死に方

昨日の安倍晋三元首相の訃報、悪い予感はしていたので、やっぱりかと悲しくなりました。

昨夜のパート先でも、やはり安倍晋三氏の訃報に衝撃を感じている方、喪失感を感じている方がいて、手を動かしながら少し雑談。どちら様も、誰かに殺されるという事態に驚愕し、亡くなった命を惜しみ悲しんでおりました。メディア露出で顔を知っている程度ですが、やはり生きている人が亡くなるのは悲しい事、という受け止め方で、好き嫌いではない話をしておりました。

 

左界隈からのアンチも多かった方ですが、私は経済政策、外交活動、国防の考え方を好ましく思っていた方なので、こんなことで亡くなるなんて、と悲しかったです。もう一度、総理になる可能性もあった方だけに、凄く残念です。(でも二度の消費税増税は愚策だと思ってる。あれは財務省とそれ以前の政権の遺物だったとしても撤回できなかったのは大黒星と思います)

 

人材不足と揶揄される政界、アンチも多ければシンパも多い安倍晋三氏のような政治家は、人を惹きつける力の強さはピカイチで、その点だけでも稀有な存在感だったと思います。

知人が「亡くなったら美化してる報道多いけど騙されるな」とSNSで投稿していて、急にその方への興味が色褪せ、がっかり感。嫌いなのは自由ですが、亡くなった方にムチ打つような言い草に、その方の品位を見た気分で…

 

私が苦々しく思う政治家が亡くなった時は、これを反面教師として、沈黙を保とうと決意です。


もやもやと考えることは、

自分の身に置き換えて、

『他人の思惑で命の終わりを決められることへの拒否感』

 

三島由紀夫が、

『もし死ぬなら、朝の清々しいひと時、森を散歩中に誰とも分からぬ凶弾に打たれて苦しまず即死したい(かなり意訳』とエッセイで書いていたのを中学の頃に読んだ記憶。

 

私もこの店を始める前、サラリーマンの頃は、そういう死に方は変な執着もなくていいなと思っていたのですが、今は全くそう思えなくなりました。

 

どんな人生だろうが、野垂れ死にしようが、自分で決めて、生きて終わりたい。

 

そんなことを考えながら、本日は静かにお店番。

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ぶらり途中下車の旅の反響

6月25日放映の「ぶらり途中下車の旅 旅人:橋本じゅん」で当店が紹介されました。

有楽町線特集で、小竹向原駅からうろうろ歩いて、気付いたら西武池袋線の江古田まで来ちゃった、という流れだったので、散策番組ならではの脱線の賜物だった模様。

放映直前に、視聴者からの問合せ向けに、番組HPに当店の連絡先や最寄り駅からの徒歩時間の掲載を、となり「小竹向原駅からだと真っ直ぐ歩けば徒歩で20分ぐらいですかね」と言われ、「歩いたことないから分かりません。だってうち西武池袋線(プププ」「ですよね(プププ)Googleで距離測って時間出しときます」「西武池袋線江古田駅と新桜台駅も併記でお願いします」なんてやり取り。制作会社の方も笑ってました(笑

 

旅人さんの来店時、どなたか全く知らされずの状態。

マスクもあるから顔が見えず、誰が誰やら。


途中で制作会社の方が「橋本さん」と呼ぶもので、あれ?もしかして橋本じゅんさんなんじゃ・・・となり、そうと分かった時の衝撃。わたくし、劇団☆新感線の舞台映画ゲキ×シネを見に行くのが好きで、橋本じゅんさんをその舞台で知り、悪そうな迫力や笑いを散りばめたキレッキレな演技が印象に残っていたので、内心ワーキャー!してました。

 

さて放映後の反響なのですが、午前中の番組なので、午後には問合せの電話がやってきて、久し振りにコロナ前の忙しさを思い出しました。

多かったのは、通販の申し込み。
ザ・テレフォンショッピング。


HPからお願いしますと言えば「パソコン使えないからお願い」という世代の方が多かったです。東京の番組なので、地方では放映されていませんと制作会社の方から聞いていたのに、電話で聞く住所は関東以西の方が多くて、予想外でした。

「コロナの前はときどき東京にも遊びに行っていたのよ」「いつかまた行く事になったら寄りたいわ」なんて話してくれる方が多く、まだコロナが怖いと分かるし、まだまだ戻らなさそう・・・そこはちょっと寂しく感じました(戻りますように

 

そちらへ行きたいのだけれど、という問合せも多かったです。

もちろん「西武池袋線の江古田が最寄り」「有楽町線じゃなかったの?」のお約束のやり取り(笑

そんなこんなも1週間で納まり、今週は平常運転。静か。

 

TVを見る人は減ったと聞いておりますが、それでも反響を見れば、普段なら当店の存在に気付かない方に届いた訳で、やっぱり拡散力は凄いなと感心。そして、日々地道にSNSを更新していますが、その反響のかすかさと比較して、ちょっと気落ちしかけました(乾いた笑

 

「おたくはよくTVに出てるよね」と地元の方に言われましたが、年に1~2回あるかないかなので、よくと言われるほどでもなし。何かコネクションがあるからなの?と聞かれることもありますが、それもナッシングです。

江古田を取材場所にやってくる番組があるだけで、当店を目指してやって来る訳ではありませんから、街の魅力なのかなと思っております。江古田在住だと、特別感が全くないのですが、昭和の下町風情はTV的に絵になる、そんなところかもなと思ってみております。

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シン・ウルトラマン

映画「シン・ウルトラマン」(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

何人かのお客様から「シンウルトラマン、良かったから見に行け」と言われるもので、休店日に見に行ってきました。以下、ネタバレ多発。要注意。

館内は、若い人だけでなく、ウルトラQやウルトラマンをテレビで見ていた白髪頭が半分いたような印象。私もそっち系か。

シュッとしたプロポーション、余計なシワもなく、美しいウルトラマンでした。(中の人、スーツアクター氏、よくもこんなに美しい体形の方がいたものだなと後になってため息)

 

空想と浪漫。

そして、友情。

 

見終わって、どこに友情があったのかいまだに分からない。

 

小さい頃は、正義の「味方」ウルトラマンは、人間の味方、人間の仲間、人間と同じ存在に見ていた訳ですが、映画の中のウルトラマンは「外星人」

ザラブ、メフィラス、ゾーフィと、他の外星人達は地球人と「対等に」「友好を結ぶ」なんて頭にもない言動。もっと下に見ているし、無くなろうがどうでもいいぐらい無価値な存在として見ている風情。

 

ウルトラマンは、本来そういう外星人側の存在のはずなのに、他者のために自分の命を投げ出す人間・神永の行為を目にして「興味がわき」「もっと知りたくなり」神永と融合して禍特対のメンバーとして過ごす。

 

融合しなければ神永は死んでしまうので、生かすために手っ取り早く融合したと思われる。地球人を知るために都合が良かっただろうし。

 

 


映画の尺の都合で、ディテール設定をいちいち表現も出来ないからなんでしょうけど、漫画的な表現というか、概念的だったり象徴的な表現の読み取り解釈力がすごく試された気もします。

 

ウルトラマンと融合してからの神永が、常に本を速読し続けている様子が出てきますが、あれは時間の経過や、ウルトラマンが歴史や文化など地球人の情報を総ざらいしているのを表現しているのですよね。

 

その合間に交わされるメンバーとの会話も、たくさん繰り返されたと想像するのが正しいだろうし、ウルトラマン神永と地球人達との交流は、人間には短い時間だろうが、ウルトラマンには理解を深めるには十分な時間経過だったとも解釈できます。

 

でもその先に友情があったのかと言われたら、私にはやっぱり分からない。

ヒーローは悪者と戦い、勝つ。

その結果として、弱者が救われる。

私それほど熱中してウルトラマン見ていなかったせいか、どこか画一的なヒーロー群の1キャラとして見ておりました。

 

でもウルトラQもウルトラマンも、社会問題をテーマにしていたので、そんなに水戸黄門的な勧善懲悪ではないし、複雑な気持ちになるような話もあった記憶が映画で蘇りました。

 

映画なの中では何故か日本にしか出現しない禍威獣。どうにかしろと押し込んでくる他国や、米軍からの武器提供に依存する国防。代償に莫大な軍事費を支払う日本政府。外星人の思惑を読み取れず騙される政治。読み取ったところで阻止する能力を持たない地球のレベル。

何だか、現実社会とあまり変わりがないような問題が折りこまれていて、ウクライナ侵攻や近隣の核保有国があまり友好的ではない国々という現実と相まって、不穏で不安しかない。

ちっとも守るべき美しき世界に見えないのですよ。だからどうして、ウルトラマンが「自分の命を使い切ってもいい」と思ったのか、よく分かりませんでした。

 

でも、一方で、ザラブやメフィラスに対しては、「悪を断罪せよ(許しまじ」と感じたし、ゾーフィに至っては「なに勝手なこと言っちゃってんの」と呆気にとられました。

管理者としてのゾーフィ。

地球人は未熟過ぎ。成長のきざしが見えない。精神レベルが低すぎ、そこから抜け出る進化も期待出来ない。今までだいぶ様子見したけど、そろそろ見限って一掃しよう。


元々住んでいた私達の権利は?

勝手に管理してたって後出しジャンケンで言われても、何してくれてたんだっけ?ふぁ?ですよ。他の命に対する倫理観がおかしいじゃないか、光の国の人々は。

 

 

ゾーフィは本当はゾフィなんでしょう?

お兄ちゃん、どうしてそんなに変わってしまったの?的驚きがあって、何とか星人の擬態なんじゃなかろうかと頭の中、考察が目まぐるしかったです(笑

 

ザラブやゾーフィには、人間は、私にとってのゴキブリのような存在に写っていたかもしれません。生きている価値の無い存在。

 

ウルトラマンが、地球人に可能性を感じたとしたら、ザラブを退け、メフィラスを退ける過程で、使命や仕事に一生懸命な現場の人々の存在を見たからだろうか。

 

 

子供を救うため、躊躇なくかばい死に掛けた人間・神永を見て「興味を持った」ウルトラマン。興味の素が、神永一人ではなく、他の地球人にもあると観察したウルトラマン。

一人では非力でも、協力し合って大きな仕事を成し遂げる。外星人は個体の能力が高いから、他者と協力しなければ発展できない地球人は不完全体に見えたはず。ウルトラマンにはそこに可能性を見たのかもしれません。

 

ウルトラマン自身、毛色が違った個体だったのだろうな。ゾーフィの当たり前の結論に納得できなかった。地球人に興味を持つ好奇心。

でもそれだけじゃウルトラマンが自分の命を代償に地球人にチャンスを、神永に命を与える理由としては弱いと感じるわたくし。ずっと謎に感じて考えているのです。

 

 

ウルトラマンは人間とは違う価値観で生きているから、理解のしようが無いとは思いたくない。

 

 

私の妄想では、融合している神永の感情や意識もウルトラマンは共有していたに違いない、と至りました。神永の感情や人間愛は、ザラブやメフィラス、ゾーフィとのやり取りの中でも波立って押し寄せていたに違いないと思うのです。

 

私の妄想の結論は、この友情は、浅見分析官とのバディ関係ではなく、人間・神永との間のことなんじゃなかろうかと思っております。

自分の命を投げ出しても救いたくなるのは大事な人。

 

興味のきっかけ、人間・神永と融合し観察。面白い、何故だ、なんて観察を楽しみつつ、地球文明文化の情報をインプット、彼と彼を取り巻く人間関係を観察。いいところも悪いところも観察。

ウルトラマンにとって本来地球は数多のひとつでしかない。神永には唯一の大切なもの。一度死に掛けた神永は、失ったかもしれないいろんなものをより強く愛おしく感じ、守りたいと感じたことだろう。

 

外星人に対抗できない無力感が全世界を駆け巡った時も、神永の心は諦めるなと訴え続けていたのではないかと思うのです。

都度感じる人間・神永の意識を観察するうちに、好感を持ち、種族を越えたシンパシーが出来たということなんじゃないかと妄想しております。

映画を見た時は、まだ自分の中の補完妄想も無かったものだから、「え?ウルトラマン死んじゃうの!?」「そんな価値、ウルトラマンにとっての地球人には無くない?」ともやもやしながらも、訳もなく涙が流れて困りました。悲しくはないのに、ただ泣けてくるのです。

 

 

Twitterで見かけたこの投稿。私みたいに理由の分からない涙があふれた人がいるんだと思ったら、言語化しにくい感情を揺さぶってきたこの映画は私が欲していた何かを持っている作品だったのだろうと改めて思います。

 

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個人的萌えシーン、ナンバーワン。

ウルトラマン神永になってから、情動乏しくなるのですが、ラストに向かって、かすかに微笑みを見せるようになるウルトラマン神永が、凄くイケメンに見えて困りました。

 

そもそもウルトラマン達外星人には表情筋が無い(笑)種族的に感情表現が無いのかもしれないのに、微笑むようになっていく変化が、ウルトラマンを近く感じて、キュンキュン(笑

 

エンドロールで流れた米津玄師「M87」
「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ」という歌詞にまたまた滂沱の涙。私の妄想の元ネタはこの歌詞。人間・神永の望みがウルトラマンを動かしたと思いたいのです。

 


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