環便り(ブログ)

ずる休み

目覚ましを止めた瞬間、今日は休みたいと思いました。

特別疲れていた訳でもなし。

最近はお酒も休んでおり目覚めのスッキリ感が戻ってきていました。

だけど今日は、布団から出たくないと思ってしまった。

どうしようかなと考える間も無く、沈み込むように寝入り、目覚めたら世の中は真っ暗な時間。

 

コロナ前なら、店を休む=稼ぎがゼロですから、罪悪感や不安感が心の片隅にあったものですが、コロナの世の中は、自分の努力の及ばない要因がありすぎて、私が至らないからだと後悔や懺悔する気がすっかり失せました。

棚卸を終え、確定申告の準備にあれこれ集計していると、昨年度の業績の悪さが数字となって見えてきます。数字上は、体感より良かったものの、1年よく持ったなと思うレベル。パートで補填しつつ、慎ましやかに徹し、浪費を抑えて頑張ったからだなと自分をほめてあげたいぐらい。

母が昔、慣れない経営の難しさに打ちひしがれた時に、「なんでもないよ」のおまじないを教えてくれた事があります。

ついてない自分に焦点をあててかわいそがり過ぎても、前に進めない、いい方へと変化できない。こういう事も生きてりゃ起きる、でもずっと続かない、過ぎてしまえばどうでもない。こんな事はよくある。誰にでもよくある。自分だけが特別じゃない。「なんでもないよ」のおまじない。

 

今のわたくしは、淡々と出来ることを繰り返す行動と、その事で心が疑問を持って暴れないようにする修行の日々をイメージして暮らしております。とはいえ、いつまで続けるのかなと思うところもあるのです。

また「まん延防止」が出そうだなというニュース。


世の中の人々は、2年経ってもコロナとの共存方法に自信が持ててないのかと思いました。私は、ワクチン接種は人様のお世話になりましたが、手洗いや消毒とマスクを忘れずにおります。それ以上、個人に出来ることなんて無いと理解していますし、その結果罹患せず今に至っているので、これを続けるだけと思っております。

飲食店を閉めて、人流を止めてどのぐらいの効果があったのか…

総括も出ずのまま、また制限を課していくのか…

社会が止まれというから、自分は頑張りたいのだけれど、それが出来ないというストーリーが望ましいと思っている人が多いのだろうかと陰謀論が浮かんでしまうわたくし。

引きニートのような暮らしが、存外心地よい、このままでいたい。何ならこのまま働きたくない。労働は楽しいより辛いことが多い。そういう人が、コロナ前の生活に戻りたくないと駄々をこねて、まん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

頑張ってあれこれやってきたけど、やっぱり自分なんて頭打ち。この先も賽の河原のような努力の日々をまた始めるなんて嫌だ、頑張ったところで成功の見通しが立たないままだという現実を見たくない。そんな人達がまん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

稼がなくても給付金入ってきた方が得、うっしっしな人が大声でまん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

先日、こまやさんが尊敬する人間国宝の作品を見て、自分とのギャップに打ちひしがれたとメールをくれました。こまやさんは、自分に足りないところを見極める目と、未熟な自分を認める強い心をお持ちの方。今出来ていなくとも、先々出来るようになりたいから頑張るといいながら、今出来ていない自分がやっぱり悔しくて、短くぼやきを綴って来た文面が、私には尊いものに見えました。

 

私もこまやさんのように、成るのが難しかろうが自分がそうなりたいという気持ちを大事に生きていきたいです。

だけど、その他大勢の数に負けてしまう現実もある。

まん延防止再びって、あなた達この先何回それやるの?いつ止めるの?政府が止めると決めたら止められるの?自分が決めないと止められないよ?でいつ決めるの?この先はどうなれば満足なの?と漠然とした他者への不満が溢れてしまった模様。

その事に落ち込み、ずる休みして眠り続けちゃった模様。
仕方ない、溢れる気持ちをどうにかしないといけない時もある。

いっぱい寝て、機嫌を直したし、多分、木曜から機嫌直してまた同じ繰り返しに戻れるはず(だといいな

私は、ずっとこのコロナの制限がある世の中に不満を持って生きているんだなと改めて自覚。行きたい所へ自由に移動したい。公共のための制限は期限付きでお願いしたい。大人だけど我慢には限界がある。

私の場合、自由を楽しむことが相当生きるモチベーションになっていたんだなと思います。大学を県外に決めて家を出て一人暮らしを始めた時。結婚せずに一人で生きていく事を認めた時。勤めていた会社を辞めた時、自分の店を始めた時。結局、自分が我慢したくない、自分のやりたいことをやりたい、それだけが自分を動かしてきた気がします。


真っ暗な部屋の中で目覚め、もう体は起きたいのだけど、気持ちがいいガーゼケットの肌触りが手放しがたく(店で扱っているKONOITOのガーゼケットは本当に最高の肌触りなのです

起きて、おめざのコーヒーをゆっくり飲みながら、たくさん寝た後だし「体が楽」を体感。

いつまでも若いつもりで50半ば、江戸時代なら自然死しておかしくないお年頃。
パートを続けている時点で、労働時間を付加した生活だし。


開業した40代の自分もやる事多くてへとへとしていたけど、50代になったらもっとへとへとしてもおかしくないんだったと思えば、憧れの週休二日制を導入のタイミングかなと。すでに、コロナの2年間で、テスト運用=休んで売上がどのぐらい減るか、それでやっていけるのかは見えた訳だし。

開業当初、ベンチマークで見ていたお店が、週休二日にしますと告知したのを見て、どうやったらひとり個人商店でこのやる事がとめどなく溢れる状態で週休二日できるんだろうかと思ったものですが、その方の経営年数を思うと10年目ぐらいでした。そろそろ経験値の貯金もたまって、手抜きできる何かも増えた頃合いだったのもあるんだろうかと今なら思い浮かびます。ちょうど私も10年目。

実店舗を週休二日にしたところで、店を開けないだけで仕事は家でやったり仕入れに出掛けるのは今までと変わりはないとは思いますが、新規開拓に力を入れてやっていくなど、過ごし方の中身を考えてみたらどうかなと浮かびました。今年はやった方がいいなと浮かんだことをやればいいと決めたので、早速浮かんで来たことを形にしていこうと思います(ずる休みの功名

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寝正月

元日営業の前に、お雑煮づくり。
豆板醬少し入れて辛い味噌仕立て。豚ひき肉に生姜刻んで餅巾着に入れて、がっつりした味の創作雑煮。これひとつで主菜副菜オールインワン。手抜きだけど、美味しい組合せなのでおすすめしたい感じ。

実家のお雑煮は醤油の鶏出汁に人参とごぼうとネギに焼いた餅。実家は他にも食べるものが山ほど出るごちそう三昧なので、お雑煮はあっさり味。家族が多いから、これは食べたか?こっちも美味しいぞと忙しく、食べ過ぎるのが実家のお正月。懐かしいこと。

私がお正月を一人で過ごすようになったのは、店を始めてからのこと。つまり40越えても実家に帰省するお正月がいつもだったから、最初は侘しく感じたものです。開業して3年ぐらいは、特別に何か用意する気力もないほど年末営業で疲れていたし、スーパーは常に開いているしで、普段と変わらぬ食事内容。

今は取引先とも信頼関係があり、個人商店仲間も増え、お客様の中にも個人的な付き合いをする方が増え。年末にお歳暮やお裾分けで食材が溢れるようになり、一人でいるけれど食べるのが忙しくなりました。一人暮らしですから物音的には静かですが、幸せを噛みしめるひと時となっております。

 

今年は、元日営業のあと、2日と3日は寝正月。
昨年は長く眠れない、寝不足感が続いたのですが、今は反転、眠れる時期到来。寝て寝て、体の修復に当てるお正月。起きたくなれば起きる、その他は眠り続ける24時間制を無視した2.5日。ああ、贅沢な時間割。

たくさん寝ると、起きている時間が減りますから、食べる回数も減ります。
人間の体は消化優先で、体の修復が後回しになるそうです。
たくさん寝て起きた今、体の凝りやこわばりが取れ、何となく調子がいい。

人の体は自己修復機能がついているから、薬よりも寝るのが大事と「中国推拿のRe・楽・room」のA子さんが言いますが、本当にその通り。

頭の中も、寝ている間は思考を手放すので、つまらない事を繰り返し思い煩う事も止める分、暗い考えが払しょくされます。

リセット完了。明日から営業開始ですが、いつも通りに動けそうです。

昨年の振り返りと今年の抱負はこれから考えます。

私の心次第だから、急ぐ必要もない。

 

確定申告に向けて集計を始めているところですが、数字をみると、昨年はやはり厳しい年でした。ああこれではまだまだパートを辞められないな~とぼんやり。職場と仕事に慣れているので、苦ではないけれど、本業一本に戻りたいのは山々。ダブルワークする宛てがあるだけマシとも思う。

コロナの影響を思うと、今年1年でほぼ戻ると思いたいところですが、経済・景気の戻りは更に数年掛かりだろうと見ております。時間経過と共に手薄になっていくのが支援策ですが、景気の戻りとは関係なく、1年単位で薄めていくような事をするのなら、潰れる中小企業が増えるだろうな。うちは末端の弱小個人商店だから、そこらへん、注目しております。


電子帳簿保存法、インボイス制度と、まだ理解が進んでいない事案もあるので、そっちも勉強しないとなあ…

たくさん寝て起きた今の感覚で、自分の心を探ると、大局的には暗いものは見当たらないので、今年はおおむね良い年になるのではなかろうかと占っております。

あると思えばある、成ると思えば成れる。

決めた事は最後までやり切る。
基本形を誤らずに、暮らしと仕事を楽しむ。

いつも通りで過ごせたらいいなと、それだけは決め事で。

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年末のゆったり時間

のごみ人形の獅子舞。

当店の店内のものは売るための商品の他に、一番長い時間店内にいるわたくしが、目にして心落ち着けるものや、気分が上向くようなものもありまして、この獅子舞もそのひとつ。

行列ができるような店でもないし、店内は常に人類滅亡しているのが基本形の当店。年末といっても、スーパーやドラッグストアのような忙しさもなく、心静かにお店番。

閑な時間には、父とLINEで雑談。
店内の清掃中に、少し離れたゴミ箱へナイスコントロールでゴミを投げ入れられた時に、そう言えば、父はゴミ箱へ投げては外す名人だったなと思い出したので、LINE。

外しては母に「止めて」と言われた、なんて往復を楽しんでいたら「ところで、お前は暇だね」と返って来て、「おとうったら、なんて事を言うの!」「5分で何万も売り上げることもあるんだから~」と苦し紛れの返信。「だから、芸能人よか、うんと効率的なんじゃ」と父に説明したら「なるほどー」笑いが止まりませんでした。

父と弟は津軽民謡を生業にしていますが、日々鍛錬し続け、日々新しい節や音を考え続けて舞台に立ちます。積み重ねてやっと仕事になるところがあります。才能があっても、体に染み込ませる時間と、改善と革新を見出す時間が足りないと、演奏家としては役に立ちません。積み重ねた時間を思えば、手にする収入はあまりにも少ない気もするのが、民謡業界(笑)

うちの家族は、やりたい事を仕事にする気が強いのだと思います。

出来ることをやる、お金になることをやる、そういう価値観よりも『好き』で『楽しめる』ことが大事みたいです。

コロナであやふやな先行きですが、何とか年を越せそうでホッとしております。

今日顔を出してくれた林たけおさんと「支払いは国民健康保険料が残ってて、支払い期限が1月4日なんだけど少し足りてないもので、元日営業の売上で何とか払えるといいなって思ってる」「あはは、ほんと右から左だねぇ」わっはっは。

コスモナイトさんと「元日営業、何時からやるの?」みたいな雑談。

板倉表具さんから「ラッピングに使う?」ときんきらきんの紙をもらったり。

合間にお客様と短い会話。

良いお年を!と交わす挨拶。

 

終わり良ければ総て良し。

のんびりした江古田時間を味わいつつ、今年最後の営業日、終了です。

来年も、この店内で「人類滅亡してます」って笑って過ごしたいなと思います。

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お茶屋と海苔の話

試食を休止していても海苔好きはどこかから聞きつけて、紫彩だけを買いにやってくるという…うちはお茶屋じゃないのに海苔が良く売れる店(笑


先ほど、またもやリピーターさんがお買い上げで店頭在庫が3になりました。発注済みなので、明後日には入荷する予定。たくさん買い込みたい方は、日曜の夕方以降いらっしゃいませ(業務連絡)

それにしても、なんでお茶屋さんで海苔を売っているかご存知ですか?


私が聞いた話だと、その昔、お茶の産地と海苔の産地がだだかぶりしていて、流通経路が一緒だったと言うのがきっかけ。

お茶の収穫時期と海苔の収穫時期はちょうどずれていて、問屋としても売るものが減る時期に別なものを売れるという実利あり。

そして、お茶と海苔の保存方法、取り扱いのポイントは似ていて、問屋としても手間がなく仕事が出来る。

問屋が勝手よく扱える商品となれば小売店側も乗っかるので、結果、お茶屋が海苔を扱う店が多くなった、というお話。豆知識。

江古田の市場通り商店街のお茶の丸美屋さんでも海苔並んでます(笑

あ、そういえば、当店も紅茶と海苔を扱っているじゃないか(お茶と海苔(やだ、今さっき気付きましたw

雑談のネタにでもしていただけたらと思います。

【紫彩の通販はこちら】

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呪と祝

私が厭うもののひとつ。

開店準備中に、「見たいから中にいれて」という方。

「開店準備中なので困ります」とお伝えしたところ「ダメなの?」と不満声。ダメなものはダメなのです。

 

通路を塞いでいるA看板や日除け幕を外に出したいし、お迎えのお香を焚きたい。通れないところをすり抜けて事故が起きたら困ります。

 

作業途中で見せたくないものが表に出ていることもあるので、それを片付けたい、など、嫌だと思う理由は時々で違えど、こちらには理屈があるのです。

通路を塞いでいた備品を外に出している最中も「まだダメかしら?」と聞いて来る女性。せっかち。私の中の天邪鬼が反応して、嫌な気分プラスオン。

 

「でも、この方も訳ありで急いでいる方なのかな」と思い、途中で中に入れたところ、お目当てがあったようで品物を即決。

そして「これをお願いします」「急がないからゆっくりでいいわよ」と言い放ったのです。入れなきゃよかったって思っちゃった~(笑、黒い心

 

祝うと呪うは字が似てる。どちらにも口が入っていて、口の下に「ひざまづく人」の象形。

 

発する言葉の先には心根が透けるから「ゆっくりでいい」と言われようが急ぎましたとも(;´д`)

 

「ありがとうございました」といいながら、私の言葉にも呪が含まれていたかもしれませんね…オホホ

 

そんなこと位で?と思う方がいるかも知れませんね。

でも、嫌と感じているのは当事者だけ。あなたはそんなことぐらいと思うことでも、その人にとっては最高に嫌なことなのです。

 

だからうかつに「そんなことぐらいで」と言う勿れ。

触らぬ神に祟りなしで「そうか、そうなんだね」と受け止めることをお勧めいたします。共感は必要ないので「嫌だったんだね」と聞いてあげるだけでいい。なんなら、聞いてるふりして聞き流してもいいですよ(笑

 

それだけで人は、呪から解かれて、救われるものですから。

救われた相手は、いつかあなたの呪を解いてくれるお役を受けてくれるはず。

 

相身互、あいみたがい、って言うじゃありませんか。

 

さあ、今日も、気分変えていってみよう。

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誕生日の贈り物

私は、自分の記念日全般に、愛着や執着がありません。だから忘れているものも多いです。覚えていても、そう言えばあったな、ぐらい。

 

誕生日が最たるもので、年に一度の特別な日のイメージが持てません。子供の頃は、母がケーキを用意したし、プレゼントも買ってもらった記憶はあるのですが、ありがとうと言いながら、そういう日のそういうお役目的な振舞いを意識していた節があります。

 

概念としての誕生日の大切さは理解できるし、他者が誕生日を大事に思う気持ちを尊重は出来るのですが、我が事になると、途端にスンっと温度が下がるのです(笑

今年の誕生日も、いつもと変わらず店に出勤し、夜はパート先へ出勤し、深夜に帰宅して夜食を食べたらお風呂に入って寝る予定でおりました。

私にとっては、この穏やかな繰り返しの中でくつろぐ事が質的にも量的にも重要なのです。お年頃かも知れません。

 

すっかり暗くなった頃、弟から「おめでとう」とメールが届き、妹からも電話があり。電話を切る頃にお馴染みさんがお裾分けをしにご来店。「誕生日だからじゃないんだけど、タイミング良かった」それと入れ替わるように、近所のお店のオーナーさんがご来店。

ニコ動の弾幕のように重ねてやって来るではありませんか(笑

 

今年2月、コロナ自粛真っ盛りの頃に開業したお店さん。
古書店の「snowdrop」さん

BOOKOFF的古本とは異なる、古書のセレクトショップ。

売るための古本屋じゃなくて、喜びや楽しみを買いにいく古書店。出会いと発見の場。


確か通りすがりの個人商店仲間から聞いて、たまたま一緒に聞いたコスモナイトさんと「江古田にいい店が増えるの最高」と喜んだ覚えがあります。お互いひとり個人商店、近所と言っても店を閉めて行き来するほど時間に余裕が無いもの同士なので、今回ゆっくり話をする機会になりました。


開業1年目は基盤構築のタイミングなので、基本が大変。
コロナと重なって大変というより、コロナが無くても大変という方が私の常識。

私も東日本大震災の年に開業して今に至りますが、今まで10年ずっと大変な世の中でした。

だから『開業したい時が開業時』だと思う派。

 


開業前の計画や予定と現実とのギャップを埋めたり、変えたり、ルーチン化して慣れていく行程。工数が一人分しかありませんから、大車輪の勢いで心を回すと、体は独楽ねずみのように休みなく動くことになり、疲れます。必死さと楽しさで気持ちが切れない間は持つので、そこをうまく越えられると「軌道に乗った」といえるかと思います。個人商店、ひとりで切り盛りするのは楽だけど、やっぱりとってもしんどいものです。

1年生の方と10年選手になった私と、そこいらへん、共感する内容は同じで、つまり「10年先も、これが続くのよね~」「お金儲けはなかなかうまくならない」「でも好きな事やってるから贅沢な時間を味わってる幸せ」辺りで盛り上がりました。

 

閉店して帰宅の道々、神様が10年前の自分を見せてくれたような気がして「よく頑張ってきたな」「今十分幸せだな」と噛み締めました。あの当時も幸せだと思っていたけれど、今は何倍も幸せだと感じられます。

 

神様の言葉は、次元が異なる存在の声だから、どんなに聞き耳を立てても聞こえないもの。

人の耳に聞こえる形を取ろうとすると、他者を使って人伝に届くものなのです(と信じています

今年の誕生日もまた神様から言葉をもらいました。
来年の誕生日もまた言葉をもらえることを楽しみに、力まず自然体で頑張ろうと思います。

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美彩新作「高砂寅」

金の寅、銀の寅。能の高砂はよく分からなくても時代劇の結婚式のシーンで謡われる『高砂や~この浦舟に帆を上げて~』はご存知の方が多いのではないでしょうか?

高砂の松と住吉の松は相生の松。同じ根から分かれて生えた二本の松は、良いご縁、離れがたい運命の縁を結ぶ象徴。そして松の変わらず青々とした姿は健康、長寿の象徴。

 

相生の、高砂の松ならぬ、高砂の寅。末永くお幸せにの気持ちを込めて、相生の寅。

※お迎えしたい方は【こちら

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たった1人のジルベール

先日見に行った映画、『きのう何食べた?』で思い出したのですが…

 

映画の登場人物「ジルベール」、30代ゲイ。
パートナーの小日向氏を常に理不尽に振り回すのですが、小日向氏はそのわがままを迷惑と思うどころか、それさえも他人に渡したくないので自分が引き受けることを喜びとしているような凸凹コンビ。

テレビドラマの小日向さんは、自分のパートナーをシロさんに「ジルベールのような美少年」「僕にとってのジルベール」と説明。

 

私はジルベールと聞けば『風と木の詩』が浮かぶので、すっごい期待したら、出てきたジルベールは身なりに構わず感じ悪いわがまま放題。万人には理解不能のジルベールだからこそ、なるほど「僕にとってのジルベール」

 

風木のジルベールは、誰もが見とれてしまう、神秘的で美しい美少年。万人が認める美少年。象徴。

中二心が最初に出会った美少年ですから、ジルベールという響きは美少年の「概念」を表す名前でした(遠い目

それが、何十年も経って、いつの間にやら全体の「美少年の概念」として浸透していることに驚きです。

 

それで思い出したのですが、日本の片田舎の高校生が日本の片田舎の大学生となり、大都会東京で就職して、世界にも目が向くようになった頃、衝撃的な事実に行き当たりました。世の中には、美しさとは無縁なおじさんジルベールが結構、たくさん、普通にいると知ってしまったわたくし(大笑(きっかけは映画俳優や歌手だったかと思います。

 

花は、その名を聞いて思い浮かぶ姿は美しいものばかり。
胡蝶蘭と聞けば、その美しい姿を思い浮かべられるのに、人の名前は、ジルベールと聞いてももはや千差万別(概念の階層が違うから仕方ない)

 

でも「たった1人のジルベール」を知っていた頃は、ジルベールは美しく魅力的な存在でした。

 

そういえば、「お母さん」「おばちゃん」みたいな一般名称で呼んでいても、その人にとっては「たった1人のジルベール」みたいな存在ってのもあるな~…と思い浮かぶ。

誰もが誰かの「たった1人のジルベール」なのかも知れませんね。

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美彩新作「虎に翼」

今年も美彩さんの干支祭りがスタート。

 

今回は、お題に日本のことわざ「虎に翼」で彫ってもらいました。

このことわざは、虎のように強いものや勢いのあるものに、更に威力が加わるという意味だとか。

 

思えばかれこれ2年近く、コロナで何も出来ず、引きこもりのような生活でした。生きていれば我慢のしどきもあるものですが、あまり長いと心が枯れていく気がします。

 

そろそろ、どなた様もコロナに気を付ける行動や意識が刷り込み完了で、自然に心がけて暮らすようになっております。

 

東京は緊急事態宣言も解除され、感染者数も減っておりますから、そろそろ怖がり過ぎるのも止めて少し外へ出てみようかなという頃合い。

 

来年は、もっと出掛けたり、人と会ったりできる年になるといいなと思います。

 

コロナで引きこもって何も出来なかった分も上乗せて、来年の寅の年は無敵、無双しちゃってください。

 

成りたいように成れますように!と願いを込めて。

 

※お迎えしたい方は【こちら

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禍福は糾える縄の如し

先日見た星読み動画。

『これまでのシステムの破壊があるかもしれないが、壊れるということは変わる何かを見つけたり、もっと違うものに変化していくことでもあるから、痛みを伴うとしても、その先へ進め』的な解説をしていました。

 

悪そうな結果は、必ずしも全員の身の上に起こる訳ではないと思うことにしております。いいことだけ、信じるようにして気持ちを落とさないようにしているのです(ご都合主義

まさか、今回はわたくしの身の上に起こるとは…
やらかした結果が思いの外大きな事態となり、10年来お付き合いしてきた取引先の一つとお別れすることになりました。

 

分かった当初は、実感が伴わず夢のような感じでした。

相手の都合もあればこちらの言い分もあるで、そうは言ってもとひとしきり心が泡立った後、波が引くように「この先はどうしようか」と切り替え早かったのはよいところ。

 

10年の間に蓄積した満足感が崩れたら、サービスと価格が妥当なのか、競合他社だってこの10年で改善と変化がある訳で、目を向けたら見えてくる景色がある訳です。

 

逆に、義理立てして悪く評価しないようにしてきたけれど、ここが不都合で毎度毎度その不都合をこちらが我慢して飲み込んできた、時間のロスが大きかった、と湧いて来る来る(苦笑

 

星読みのアレは、このことだったのかなと勝手に紐づけて納得中。

 

スピっぽい言い方ですが「執着せず手放す」を今回は上手に出来たなと思います。

 

今回は替えがきくものでしたが、もしも唯一無二だったらどうしたかな?と思ったのですが、生死に関わらなければあまり問題にはならないなと思いました。壊れた関係は残念ですが、次行ってみよー

 

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摩利と慎吾⑨

まだ繰り返し読んでおります。最近は、通して読むのをようやく止められた。好きな場面を抜き出して、味わっております。

摩利が少年から青年へ、大人の男性へと、顔つきや表情、体つきもだんだんと変化していくのが見て取れて、木原先生の画力は凄いです。

 

 そして、今一番共感しているのが、夢殿が紫乃の葬式後に摩利と会って語った「所詮俺は俺だ、他の生き方など出来ないからな」というセリフ。

 

まりしんの登場人物だけでなく、わたくしを含め現実に生きる誰もが、自分の生き方しかできないせいで問題や悩みにぶつかる…

 

うまく立ち回れないことで落ち込んだりするけれど、上手下手の範疇の事なら上手になっていけばいいだけ。やり方や方向性が分かっていても、気に沿わず出来ないとしてら、それは譲れない自分の現れで、そこを曲げたら自分の深いところが痛むだけ。

 
勝間和代さんが『ひとは失敗からしか学べない』と言っておりましたが、その通りだと思います。自分の血肉になっていくのは、痛い思いをして考えた時が一番のように思います。

最近、お馴染みのお客様が貸してくれた漫画「ミステリと言う勿れ」の中で「自分にとっての困難を越えるために、努力したり失敗して試行錯誤したり、本来時間がうんと掛かるものが、小説や漫画では時間が経過した表現で省略し、過程を省く。その過程をどうしたらいいのか、みんなその超え方を知りたいのにね(意訳」とありました。

ああそうか、摩利と慎吾は、若い2人が若さゆえの唯一無二の困難に行き当たり、自分一人で完結しない問題だから尾を引くし、一度決めたつもりでも揺り戻っては悩みを、じっくり読ませてくれた作品だったのだな、と思い至りました。

随分長く摩利に同調していたら疲れてしまい、最近は時折「うじうじと全くもう、、、」と呆れるところまで変化したわたくしの気持ちですが、そのぐらい、漫画にしては過程を省かず見せてくれたのだと思います(他人の悩みは結局他人事とも言える。同情も期限付きというか。

誰もが割り切れぬ思いに胸を焦がす中から立ち直り、光明を見つけて、何とか生き長らえていくのが人生。誰にも解決は出来ず、心を決めるのは自分しかいないのだと、摩利と慎吾は見せてくれたのだと思います。

ちょっと今のご時世だと時間掛かり過ぎてこんな作品は受けないかもしれないなとふと思ったり…私はいい時代に生まれ育ったなと思います(多分今ならポリコレでアウトな内容もあるし…

 

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最近ググって見つけた木原敏江ファンサイト「あーらDOZIさま!

読者からの質問に木原先生が答えていて、私も気になっていた『摩利とヴォーフォール公の関係』について書かれているのを見つけ、にやりとしてしまいました。

結婚して跡継ぎを作れとせっついている恩音は、仕事のパートナーの公が、息子を男遊びの相手にし続ける公の事をどう思っていたかとか、ささめと再会して乱行を止めたはずの摩利が、公と関係を続けるのてどうなの?という問いに木原先生は「う~ん?うん?」とごにょごにょしてるのが面白かったです。

ここは木原先生も新たなキャラを作っても話の流れ的に難しく、夢殿は日本で活動してもらわないといけないしで、公しかいなかったんでしょうね。公の男色趣味を満足させるためではなく、摩利の男しか愛せないところを、結婚しなくちゃいけなくても女をそこまで愛せないところを描きたくて、公との肉体関係は時々に挟みたくなっちゃったんでしょうな。すると、ご乱行期を抜けたなら、誰にでも抱かれることはあり得ないし、いきなり新キャラ登場でそのキャラと摩利の関係性を描くとしてもそこまで新キャラは後ひく関係では困るとなれば、描くほどでもないし、見渡すと公がいた、ってところでしょうか。

恩音だってマレーネ一筋と言いながら女遊びはずっとだったろうし。まりしんの世界では、心と体は別物設定も生きている(笑)体の関係は相手を満足させるギブアンドテイクの意図や、仲間同士だよねの確認だったり、愛以外の意味もある設定ということで、私の中では折り合い済み。

 

これで、一旦摩利と慎吾の感想は頭から外れそうです。良かった。
2か月ほど心を独占し続けた物語ですが、ようやく少し離して見る事が出来そうです。苦しかった。素晴らしかった。

 

 

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摩利と慎吾⑧~慎吾と一二三

慎吾は一二三と結婚し二男をもうける。

 

ドリナの時とは打って変わって、穏やかな感情の動きの先の結婚。

 

身近に最後までいてくれた女性との結婚(職場結婚ともいうのかな

 

私の20代の頃も、職場にいる時点で家柄もある一定レベル、身元は保証されていて、仕事をしながら人と成りを知り合う中で結婚していくのは、手堅い恋愛結婚のスタイルでした。

 

男の人って、結局そうなのよね…と思ってしまった(苦笑

 

私の友人知人は、同じ職場/仕事先で知り合った、そういうの多かったです。知り合うには時間も必要だし、いろんな面を見るためにもいろんな場面が必要。職場ではルーチンとトラブルとイベントが繰り返しですから、まあ当然っちゃー当然ですけどね。

 

最近、文庫本だと文字が小さいので、A5判型の完全版を改めて購入したのですが、巻末の木原先生のインタビューに、「慎吾が普通のお嬢様と恋に落ちる訳がない、それなら摩利の方が全てにおいて優れているし魅力的だから(意訳」という内容を見つけ、確かになぁと納得。

 

ドリナという革命活動家は、生い立ちや立場が特殊。今まで知り合った少女や女性達とは毛色が違い過ぎる。はだしで野道を歩いてくる姿を見て一目惚れしたなら、その普通ではない格好を恥じるでもなく、堂々とした目力に心の強さを感じ取ったのかと。非言語コミュニケーションが得意な日本人の特性を思わずにいられません(笑

 

慎吾は若くして両親を亡くし、今まで親が健在だったから知らなかった世間の荒波もざぶざぶ被る。後ろ盾のない学生の身分が、食べていくだけでも大変で、医者になる夢は叶うあてもない現実。摩利の父の援助を受けるにしても、それを返すことが尋常ではない大変さと自覚しており、どんなに掛かっても鷹塔家に報いようと思っている。やるからには一時も無駄にせず全力でやる、そんな覚悟を持って生きていこうとしている慎吾。覚悟が違うと、見るもの、精神性が変わる。

 

一二三の、何にも期待できなくなった生い立ち。

みなしごが、生きていくため、食べるために子供ながらに働きづくめ。搾取する大人、虐待。誰も助けてくれないし、守ってもくれない幼少期。どんなに孤独で不安な時間だったことか。

 

慎吾は代々御殿医の家系で良家、お金持ち。しつけが厳しくても、愛情に恵まれた育ち。それが両親の死後、人生の底辺を垣間見て、世間の厳しさを知る。その底辺で育った一二三が、それでも捻じ曲がることなく、自分に居場所をくれた一座へ、献身と愛情で接する様子がとても好ましく見えるのは当然。

 

慎吾は、両親の死後、ある意味自分のためだけに生きることは出来なくなった人だな。支えてくれる人々に感謝し、その人達のために頑張ることで報いる人生。なりたい姿、やりたい事が慎吾の中では一致しているから、そう苦しい選択ではないはず。

 

一二三は、慎吾の摩利への思いも知りながら、自分の我はおくびにも出さず、付き従おうとしてくれる。一二三の健気さは知っている。子供の頃から無いのが当たり前で、全部手に入った事がない人生だから、欠片でも手に入れば無上の喜びを噛み締められる。奪う事はしない一二三。何も望まず生きてきた彼女が、差し出せるものは自分の身一つ、それを差し出して、静かに付き従おうとしてくれている。

 

物言わずとも、その情の深さは身に滲みて感じた事だろう。

ああそうか、摩利が目指した空気や水のような包み込むような愛は、一二三が一番体現していたのかもしれない。

お坊ちゃまで世間を知らなかった慎吾が、世間を学んで、受け入れ、大人になっていく物語。慎吾の成長は、ちゃんと出会う人達と心をつなぎながらの拡大成長に思える。地に根を張るイメージ。医者を選んだ慎吾、人を助ける仕事は天職だったろうな。

 

慎吾の横には一二三で良かったなと素直に思える。
ささめと違って、一二三に対しては良かったと思えるわたくし。

おひさま慎吾が傍に残す人達は、おしなべて慎吾が愛を注いでくれたし、それを糧に幸せな時を過ごしたと確信できる。愛ある家庭だったと確信できる。慎吾は本当にいい男になっていったと確信できる。

慎吾は、亡くなる時に一二三の事も思ったけれど、後は頼むと安心しつつ、先立つことを詫びたろうと思う。結婚してからは、ずっと一二三を信頼していたと心から思う。

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摩利の仕事は駆け引きの世界で、どこか安定感がなくて、地に根を張るイメージとはかけ離れている。摩利の目指す成長は、地に根を張るよりも空中を飛翔する印象が強い。それが摩利の成長の仕方だから、いいも悪いもないけど、射手座の摩利は広い世界を股に掛け、遠くへ移動し続ける星の生まれだものな。精神的にもそういうところがあり、遠くや高み、広さ、大きさを目指して足を止めることがない星の生まれ。摩利は小さい場所に納まるような星ではなかったから、こちらも天職を得たと言えそう。

 

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摩利と慎吾⑦~摩利とささめについて

私は、木原先生の描く女の子が今一つ好きになれない派。

 

そして、摩利とささめの関係性はどうにも分からない派。

 

『本人達がそれでいいならいいけどさー』的な乱暴な気分が晴れません(苦笑


最終話で明かされる、摩利の子を産んだのはささめちゃん。ささめとの再会で摩利が少し緩んだのは確かだけど、どう見ても強い感情が動いたでもなさそうで、読んでもどこか疑問符が残ったまま。

 

2人の心のつながり方がよく分からない。

 

借り腹的な関係と思うと、ぶっちゃけ摩利は誰でも良かったのだし。

 

好きになった相手と子作り出来ればいいとは思うが、誰の事も慎吾以上に好きになれない。

私も経験があるのだけど、気に入っても比較してしまい、気に入っていると感じている感情さえ、本当なのか曖昧に感じる、分からなくなる。そんな相手を選ぶ決め手がなんて思い浮かばない。

 

大事な取引なら身売りもする覚悟はあると言い切るし、そう言って公に抱かれる摩利だから、義務、仕事と割り切って、子作りの道具にする代償に妻に迎え、仕事にかまけて遠い距離感を保って過ごすだろう。


じゃあささめはそれで良かったのかな?と言えば、子供が持てて良かったと言っているのだし、それで良かったのだろうなと思うしかない。

 

恋していると、自分が傷つくようなことでも、何でもしてあげたくなるものだし、ささめはそれで悲しい別れがやって来たとしても、子供が残るという計算もあったと思う。

そう言えば、摩利は美女夜では気が乗らないから、美女夜から何度も告白されてもなびかなかったんだった。誰でもいい訳ではなかった。

 

恋人だけにはなってくれない慎吾に対して、血を流し続ける自分の心を抱えているからこそ、美女夜みたいに本気で好きになられると、自分からは何一つ愛を返せないので苦しませるしかないと分かるせいか。

 

全部分かっているから、いいのよ、と言われても、ずっとその気持ちのまま変わらずいられる保証もないのが女心だし。関係者が重なっている同士だと、もめて別れた日にはどんな影響がでるかも面倒だし。ささめはその点、何があろうが余計な口出しもせず、ただ傍に控えているだけだろうなと予想がつく。

 

ささめ。

子供は鷹塔家に認知され跡取りとなったが、妻の座(入籍)は辞退したとある。「私のようなものが」と枕詞をみると、出自の不釣り合いやバツイチを良しとしなかったのだろうなと予想はつく。これは時代的な価値観もあるだろうから、私が理解出来ずとも致し方ないところ。ただの少女漫画なら結婚して温かい家庭を築きました的に丸めることもできたけれど、人生はままならないのが木原ワールド。そして現実でも、そんなものかと50代になると思います。

もうひとつ、摩利は、結婚は、最愛の人と結ばれてこそだとささめは思っていたかもしれない。離婚経験者だもの、断った理由のひとつはそれもあるかもな。

普通に考えたら、知人とはいえ短期間の交流で、再会したからと特別な関係になるほどの仲でもなく、誤解しようがなかったか。却って、摩利が自分を構う理由が他にあるのかもなと、察したぐらいかもしれない。ささめはそこまで鈍くもバカでもない。

 

ささめちゃんは、まだ学園わちゃわちゃものだった頃の登場人物で、みなしごの住み込み女中が、摩利への片思いを胸に、人に押し付けられた結婚を受け入れ、渡欧。旦那様の文太郎さんの別れ際ひとつ見ても、妻として大事にされていた様子が見て取れない。一二三と似たような生い立ちながら、ささめの人生は、とにかく「幸せエネルギーが少ない」のです。

一二三の周りには、目を掛けてくれる一座のみんながいて、笑顔溢れる日々もあった。慎吾と出会ってから、慎吾の周りの人々のお目こぼしで好機を得ることもあり、慎吾に近づこうと努力する姿が好ましければ、周りがまた支えてくれる好循環。

 

夢殿が、密航をとがめられた一二三の身元を引き受けたのはちょっと意外でしたが、片思いの同病相憐れむで、夢殿の摩利熱の強さをも思わせるエピソード。美女夜も摩利も、一二三の慎吾への思いを知り、思いやる素振りだし。

ささめの欧州暮らし。

文太郎との関係性は、愛妻というより下女のような妻ささめ。察した人は多かろう。

 

でも恨むでもなく、卑しいところもなく、善良なささめに厚意を示す人はいたはずで、そういう人達とのつながりの結果が、ジプシーの子供ルペルを引き取り面倒を見ることにもつながっていると思う。どうでもいい関係性なら、孤児院へやって終わるだろうから。

 

ささめは、ずっと一人で生きてきた女の子。

 

一二三よりひとりな女の子ですな…そう思うと憐憫の情がわいてくる。

 

だから余計と摩利がどう思っていたのか分からなくて気分が悪い。

 

分かったとしても、気分が悪いと予想。

 

1番は慎吾、女は愛せない、特別には出来ない。

子供は義務もあり作ったから、父として構えるかどうか怪しい。子育てはささめに頼ることで、ささめこそ一人老いて寂しくならないようにと思う。自分は世間一般のような愛ある家庭は作れない男、作る気にならないし。仕事は楽しい、仕事にかまける中でいろんな出会いで暇つぶし、たまには愛人も作る。でもどんなやりがいのある仕事だろうが、魅力的な人に出会おうが、やっぱり一番は慎吾。ささめがいたら子供は愛を受けて育ち、自分みたいなダメ親のことを許してくれるかもしれないし、ああ慎吾の代わりなんて見つかりはしない、慎吾、慎吾。


私の中で、摩利は身勝手で嫌な奴だ疑惑が濃厚になっていく訳ですよ。

篝かがりの時に表れた摩利の他者への冷たさ、あれが摩利の本質。慎吾にそう見られたくないからきれいな摩利でいたけど、隠すのが上手なだけで、中身の闇は年を取るほどに深くなっていったろうと私は妄想。慎吾に認められたい心が、黒い心と白い心のバランスをぐぐっと白寄りへと偏らせ。

 

ささめは摩利の人生の中で、何割リソースさく相手だったか。

 

ほとんど空気みたいな存在に思えちゃう。おや、慎吾に対して摩利がなりたいと思っていた「水や空気と同じ意味をもつ存在」にキーワードを思い出すが、そうなのか?そんないいものか?

 

ささめは、摩利が捨てた万年筆をこっそり拾ってお守りのように持ち続けていた訳ですが、渡欧するまで/渡欧した後も、大して摩利のことを知らないままなので、ファンタジー的に憧れて好きだったのかなと思います。

 

摩利は再会後、ささめを引き取ることにした訳ですが、ささめにしたら人生で一番望んだ摩利の側にいられることになって、いきなり満願成就だったかも。ささめに、美女夜や姫花のように自分の幸せを求めて恋に素直になれと言っても無理な話で、誘惑も媚びることも出来なさそう。

ささめは人に尽くすしか好意を表し様がない人。
篝かがりが、人を傷つけることでしか好意を表せなかったのと同じ。

そう思うと、誰しもその人なりで偏っているものなんだな…

帰りの遅い摩利をただ待って、部屋の灯をともし続けおかえりなさいと笑顔で迎える。おやここでもまた、「水や空気と同じ意味をもつ存在」にキーワードが近い。

これ以上望むより、手に入ったポジションを維持することでもう十分と思ったろうか。叶い過ぎると怖いくなる人もいる。ささめは、対等な関係性がこれまでの人生でなかったろうから、相手に期待せずとも、自分はこう思う/自分はこうして欲しいと言う事もなかろう。いつも相手の気持ちを察して、自分の心は置き去りの女の子。

 

摩利も、摩利の魅力や利用価値を思って迫って来る有象無象に疲れるだろうから、ささめみたいな裏のない人の好意や忠誠は信じられたろうし、傍に置いて邪魔ではなかったろう。

 

周りには「事情を知ったからには幼馴染としてほっておけない」と言っている。慎吾は変わってしまったけど、ささめはまだ変わらずに懐かしいままだったから、壊れる前に保護したのかもなと浮かぶ。

 

子供が生まれて、恩音と摩利が喜んだ描写があったし、妻の座を辞退ということは、嫁として迎えるという選択肢を鷹塔家が提示したと察するに、鷹塔家でのささめは、それなりに大事にされ、自由も得たのだと思う。ルペルがささめと一緒に鷹塔家に引き取られ育てられたことから見てもそう思う。(混血児の摩利としてはルペルをこだわりなく引き取り育てるささめ属性も安心材料だったのかもな)

 

でも、摩利がささめを愛するというのは、やっぱり想像がつかない。

恩音とマレーネの夫婦愛のようなものに摩利は憧れがあったはず。

でも慎吾以外の誰も、マレーネポジションに入れられないのだから、ささめがばあやのポジションで摩利のお世話をする関係性しか浮かばない。

 

でもそれでいいと2人が思わなければ、関係は続かないとすれば、

これは「利害一致」の関係ではあるのだろう。

摩利に幸せになって欲しいと願うファン心理からすると、利害の一致なんて寂しい。

 

私は一体、何に腹を立ててこんなにモヤモヤしているのだろうか…

じゃあ、摩利が誰とくっつけば少しはマシだったと思えるか。
じゃあ、どんな風な納まり方なら摩利は幸せだったと思えるのだろうか。

分かってる、私の幸せの尺度で見るからモヤモヤするのだ。

ささめも、摩利も、2人はそれで問題なく、問題があっても飲み込んで一緒にいられたのならそれでいい、終わり。

 

ああ、モヤモヤする(笑

 

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摩利が商人として活躍していくにつれ、摩利は慎吾と離れている時間が増えて、慎吾に対して取り繕わなくてはいけない時間が減り、根っこの暗さや黒さ、摩利の人間性のもげてる部分が出てきているだけかも。他人に対して興味が薄く冷酷。

 

人間関係の軽重は大人になれば自然と区別するようになる。

摩利の場合は重と軽の線引きが極端。0.01と0.99ぐらいな比率でがっさり引く線の、軽はほんとに悲しいぐらい存在が軽い。ささめは、軽の側だと思うんだけど、人畜無害という希少枠で特別扱いだったのかな(ああ分からない(考えても無駄(ため息と苦笑

 

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摩利と慎吾⑥~慎吾について

摩利に対しての慎吾は、真反対の属性と思って読んでいましたが、今読むとそうでも無かったなと思います。互いに好きだからこそ、見習ったり影響し合っていくのが友達だから、同じ方向を向いている印象で、そう真逆でもない。

 

摩利の方は慎吾に対して、自分に無いものに惹かれ憧れていたんだろうと思うので、つい右と左、真逆、みたいな対立軸を想定しちゃうあたり、子供の頃のわたくしは白黒思考で単純だったなと思います。

 

『総特集 木原敏江 エレガンスの女王』にて、「大人になってもこうありたいと思うが、苦労している人からすると、このまっとうさがカンに障るようだ」と慎吾について語っている木原先生。

 

私はカンに障るというより、性善説でいられる幸せな家庭環境だったんだろうなと思っておりました。

 

子供は、大人が思うほど子供でもないのです。だから、摩利は特別聡い子のように描かれていますが、慎吾だって普通に聡い子だろうし、陰や黒さを見せない辺りが慎吾の強さかなと。ただ、摩利ほど機転が利かないから、抜ける、詰めが甘い。

 

慎吾は羨ましいぐらい真っ直ぐだけど、それは彼の美意識の現れ。大人になっていく過程で周りの人との人間関係が複雑になっていくと、自分だけ真っ直ぐでいる事が周りとの調和をかき乱す事にもなり得る。正せる範囲のこと、どうにもならないことの線引きはしているように思えるので、バランスの良い子に見えます。

登場人物は、誰もが慎吾の真っ直ぐなところや、正直なところ、温かさに好意的。私も子供の頃にいじめられた事があるので、心が弱っている時に、慎吾みたいな人にこだわりなく接してもらえたら、救いを得るはず。

慎吾の場合、ただの同調ではないところもいい。悩んでいる時、悲しんでいる時、怒っている時、でもその感情を越えたところにあるものを見ているところがあって、そこが慎吾の賢いところ。

例えば、織笛がみちことのすれ違いに怒り悲しみ、もうどうでもいいと荒れた時に、慎吾はみちこに会いに行き織笛にとりなそうとする場面。織笛の本心はみちこが好き。だから怒りに任せて癇癪を起して別れてしまうのは結局織笛のためにならないから行動する。織笛の本心を見ているから、みちこは誠実ではないから振って当然だと同調するでもない。

 

慎吾から自分へ向けられる信頼感や好意は、自分が慎吾へ向けたものの鏡。だから慎吾から嫌われるような事はしない、慎吾には誰にも秘密の心を打ち明ける。慎吾の魅力は人間性。人間愛の深さ。

 

慎吾の語る、摩利との理想の姿。

『外は雨、部屋は暖か、別に話をするでなく、でも心は満ち足りている。

こんな風に摩利と過ごすのって大好きなのだ、摩利は?』

『(それは多分、信頼と合いに結ばれた最高のかたちだ)
(おれがそこまで行けたらな)』

 

私もそういうの、いいなと思う。

そして、なかなか手に入らない関係性だとも思う。

摩利も慎吾も、理想家で、素敵な理想を持てたおかげで人間ドラマが深まったとも感じます。

 

慎吾の恋も、今読み返すと、

若者らしい一目惚れ、若者らしい本能の恋。

ドリナの人柄も分からぬまま恋に落ちる。

好き、会いたい、触れたい。

 

正直、ドリナの魅力はいまもよく分かりません。

実は他の女性キャラにもあまり思い入れが出来ずにいます。

 

なので、ささめと再会して摩利が「暗黒の迷路からの出口はここにあった」「久々に晴れ晴れととてもよい気分で」という下りが唐突に感じて、ちょっとまだ咀嚼しきれずにいます。救いを求めていた頃の再会だから、その時はこれなのかも?とちょっと浮上した気になっても、また落ちるというのが現実だから、そう思えばありな場面なのか…(やっぱりよく分かりません

 

中でもドリナは、歴史的にも安定感のない地域で生まれ育った外国人で、周辺諸国との政情不安のまっただなかの内乱状態の中で革命をめざす活動家で、慎吾と合うところがあるのだろうかと思えるほど違う世界に住む女性。最初から、添い遂げるイメージがわかない恋。でも好きになっちゃうのは仕方ない。

 

ドリナに一目惚れした辺り、慎吾のバカ!摩利がかわいそう!と叫んでいた読者は多かったはず(笑

どなたかがあとがきに書いていましたが、摩利と自分が結ばれたいと願うファンよりも、摩利に幸せになって欲しいと願うファンが多かったと思います。

 

一目惚れ。

身に覚えがあると、理屈で好きになる訳ではない事がストンと腹落ち。

だから余計と、その女のどこがいいんだ!と思う訳ですが、理屈じゃないんだとも分かっているので非常に複雑な気分になれる。

 

慎吾の幸せのためなら送り出そうとする摩利。

ドリナと自分の描く未来が交わる事は無い、見て見ぬ振りで恋に没頭してきたが、現実を見つめて残る慎吾。ドリナはもっと現実を見ていたから、泣くけれど揺るぎなく、自分の未来を選び旅立つ。


遅い恋だったからこそ、分別も理性も多少働く。

しかも自分は人生の大目標を掲げて海外留学中。

慎吾は恋のために全部捨てきれなかったかと。

摩利、摩利、そんな内戦してるところへ慎吾を送り出すなんて何考えてんの!と50代の分別が引っ掛かる場面ですが、相手の自由を尊重し我を押さえる摩利を愛するべき場面。

 

「摩利の声が聞こえたのだ」と涙する慎吾が「どんなにドリナが好きでもおれは日本人だ、それ以外にはなれぬ」というセリフ。どの登場人物も、自分以外にはなれず、誰かのような生きやすい生き方が出来ず、辛かろうが自分の人生を生きていく。摩利と慎吾のテーマのひとつだなと思いしみじみ。

 

摩利が帰国をのばしてメーリンク家再興の手伝いをすると聞いて、摩利がこのまま日本へ、慎吾の元へは戻る気が無いのではないかと予感する慎吾。帰国前日、慎吾から摩利へキスをする場面で、慎吾がいかに摩利を大事に思っているのかが感じられ、ある事を思い出しておりました。

小さい頃によく妄想していたのですが、もしも今、事故や事件で家族や飼い猫が死ぬとしたら、私が身代わりになってでも守りたいと思い、感極まって泣いたりもしておりました。大事で大事で、愛している感情が高まり、溢れる思いを言葉が出ない時は、その分抱きしめて、その抱擁に思いを込めてジッとしていたくなるものです。

残念ながら、訳も聞かずに抱きしめられてくれるのは飼い猫ぐらいだったので、親兄弟への抱擁は叶ったことがありませんでしたが、甥や姪が小さい頃は、思う存分抱きしめてジッとしていたわたくし。何があっても離したくは無いし、守ってやりたい。ああいう時の、何とも言語化できない思いを、慎吾に見出しておりました。

 

日本人の慎吾にとって、キスは誰にでもする行為ではないからこそ、大事な人への愛情表現として慎吾は摩利にキスを贈る。万感込めた愛のキス。

若い時には、摩利と添えないのに何故ここでキス?と思っていたのですが、今ならよく分かります。

 

「これきり日本に帰って来なかったら絶交だからな」と言い渡す慎吾。きっと悪い予感がどんどん強くなってしまって、死に別れならいざ知らず、生き別れたら最後、摩利が会いたいと思ってやって来なければ、2度と会う事は無い関係を自覚して、もの凄い不安を抱えての帰国だったかと。

今までは、互いが歩み寄る余地がある「学生生活」だった。

学生から社会人へと身分が変われば、それぞれの道が分かれる頃合い。
ずっと一緒に(変わらずに)居ることは出来ないと知ってはいたが、こんな状態で、互いへの信頼や安心感を失ったままで終わりたくはない。でも帰国すれば道は自ずと分かれてしまう。

 

慎吾は自分がいかに摩利を好きか、大事か、分かっているし、摩利が自分を誰よりも好きでいてくれることも分かっている。だから、このままでは嫌だと強く思ったはず。でも、こちらがそう思っていても、摩利にその気がなければ終わる。関係のはかなさを思い知らされて、そんなことはないと思いたくても信じきれず、不安が尽きない。でも自分の言動に一切後悔はない。でも不安。

 

慎吾の心情は、複雑でしたでしょうな。

これまで、摩利とのことに関しては、疑いもなく信じ切ってきただけに、信じきれないでいる自分を知って、摩利の傷の深さを再認識したというか。立ち直るまで待っててくれと言った摩利が、ずっと傷ついたままでいることを感じていたから、もうダメかもしれないと思っていたのではないだろうか。

 

摩利はこういう時、はっきり答えが出ていても、表にはその答えを出さない、隠す。そういうグレーのままで置いておくのは、摩利の気遣いで優しさだなと思う。

 

今のように、航空路線が網の目のように広がっていたり、格安LCCも無い時代。行き来することの大変さよ。

SNSも無し、物理的に離れ離れの時に相手とつながることは、今よりも途方もない事だったから。(あの時代の不自由さは、人間の存在価値や人間関係の濃密さを作り出していたような気もしてきます)

 

2人の再会は、関東大震災後。

摩利は、ずっと帰国せずに遠ざかっていた自分を悔い、後追い自殺も考えながらの帰国。そして再会。またもや、神様の刺激というのは生き死にに関すること。摩利も慎吾も、互いの姿を見て、やっぱりこの人こそ自分の運命の人だと再認識。恋とか愛とか、そういうレベルを超えたところでの互いの存在価値を認識。ただ生きていてくれさえすればいいという共感に至る。

(その時はちょっと浮上した気になっても、また落ちるというのが現実だから、摩利はその後もふとした時にしんなり落ちてた(番外編))

余談ですが、作中、摩利はずっと慎吾を思っては虚ろになって叶わぬ恋に没頭していたけれど、今になってみたら、どうしてそこまで好き好きエネルギーが継続できるのか、忘れきれないのか、自分のことばっか考えているから恋が成就できない悲しさに囚われてるんだろうか、摩利の方がよく分からないな、めんどくさい奴かも?と最近思い始めています(苦笑

 

今に生きていれば、傷の痛みもいずれ薄まるだろうと思うもので(私はそうだった)仕事に社交と次々と出会いがある中で、恋愛対象ではなくとも、尊敬できる人や少しはひかれる相手はいたはず(その事例が番外編か)自分の思いに囚われている間は他が見えないものだけれど、徐々に慎吾以外にも目が向くようになり『摩利はもう2度と崩れることはなかった』ところへ至ったんだろうと時間の経過を思います。

 

ファンブログで、最後、摩利も慎吾も互いを思って死んでいくので、恋は実らずとも全うされた思いがあったのは事実で、幸せだったのではないかと書いている方がいました。死ぬ場面は必要だったかという話もありますが、この場面を描いたあたり、木原先生が2人の幸せを願っていたことの証と受け止めております。

 

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追記:

恩音が、隼人と自分の付き合いの中で、隼人がどう思っていようが、結局は自分の心がどう思っているかだけ(意訳)と言っていましたが、その境地に至るのが難しいから、みんな人間関係に苦しむ。自分が掛けたものと同じだけ返って来ないからといって、相手を恨んで差し引きゼロに出来る関係ならそれまで。恨んでも、やっぱり大事だと捨てきれず辛い思いをするほど、そこには自分にとっての価値が潜んでいるのだろうし、辛いことだな。

 

NARUTOのうちはイタチのイザナミの術のごとく、悩んでいる時は無限ループ。その苦しさから逃れるためには、同じルートでは抜け出せないといつか悟り、思い込みだったり執着だったり、自分を縛る自分から解放された時に、ループから抜けられる。摩利は本当にイザナミから抜け出られたのか。私は時間の薬で薄めながら、でも一番欲しいと思う「次」が見つからないままだったろうから、イザナミは最後まで残っていたかもなと思います。摩利は、隠すのがうまいという推察が捨てきれない。

読者は、最後に慎吾が呼んだのは摩利と知っているから少しだけ救われたけど、摩利はそんなの知らず亡くなる訳で、恩音の言葉通り、摩利が最後まで引きずった慎吾への思いが、摩利の人生の真実になりましたとさ、おしまいっていうのが、どうもわたくしには切ないだけで、救いが足りません。


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そう言えば、摩利が崩れていた頃は、女性との浮名ばかり。

「抱いてあげるけど、好きにはならない」

使い捨てられる女性達が気の毒。まあ、心そっちのけで、外見に惹かれてほいほい迫ってくるような人達に、真心を差し出すような摩利でもないから、仕方ないとも思う。

 

男性相手は夢殿だけ。夢殿を特別に思う部分は確かにあったかと思う。崩れることはなくなって、夢殿との体を許す関係は終わったと思う。夢殿とは長く続けてよい関係と思っていなかった節もあり、持堂院の先輩と後輩の関係に戻したのだろうな。


摩利のご乱行を責める美女夜に「摩利には必要なんだ」と慎吾。自傷行為のようなご乱行、繰り返して気が晴れる訳もない。だけどやらずにはいられない。そのぐらい荒れる気持ちを、ドリナと別れた慎吾も内に秘めていたのかも。ただ慎吾は、愛のない性行為で憂さ晴らしという発想がないタイプだし、黄色人種差別のある欧州でそういう関係を結ぶ相手がいなかったから、そっちへ走らなかったのかと。

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摩利と慎吾⑤~閑話休題

ひと頃の熱病のような没頭感から抜けましたが、いまだに摩利と慎吾ばかり考えております。

最近、いろんな方の読後感想やファンブログを読んでは、いろんな見方があるものだと感心しております。

 

ただ、やはりオンタイムの連載を見ていた方と、あとの時代に生まれ育った方とでは、前提が違っているからだと思うのですが、場面やセリフの受け取り方が「違うそうじゃない」ぐらい違う方もいて、高校の古典の授業を思い出しました。

 

当時の世相、社会のしくみ、文化風俗、人々の常識や流行に情感など、総合的な知識を得ても身のうちに落ち着かないと、意味は現代語訳できるけれども深いところで味わえない。だから、何がいいのか分からない訳です。


古典は、学生の頃の私には点数は取れるが意味が分からない授業の一つでした。あれに似ています。

 

例えば、「日本人とのハーフなら、どう見たって半端な外見だろうに誰もが見とれる美男子設定についていけない」フィクションの中のリアルの割合って、時代ごとに違うんですよね。書き手は、読者達の嗜好や知識レベルに合わせて創作していくのだし、掲載誌の色もあるし。面倒なリアルをすっ飛ばして味わえるのは、当時からのファンの役得だなと認識。

 

古典つながりで、

 

木原先生の作品には時々古典が散りばめられるのですが、オンタイム読者の頃は私が古典に興味が持てなかったせいもあり、意味が分かるぐらいで素通りしていたのに、今はストーリーと相まって、妙に胸に迫って来る…

 

「水に降る雪 白うは言わじ 消え消ゆるとも」

 

 

「恋や恋 我なか空に なすな恋」

 

まずはその歌の意味と、それを引用している登場人物の「込めた思い」「秘めた思い」を思うと、スルメのようにじわじわ来る訳です。初めて、古典の面白さや味わい深さを感じました。

 

たくさんの歌を覚え、引用することで、みなまで言わずともすべてを察して包み込むような、そんな人付き合いもいいなと思えました。

 

おや、そのためには、引用をそれと理解してくれる相手も必要か…(相手の心配をしている場合ではない。自分が成り立ってないのだから、まずは底上げしていきたいなと思いました。

 

少し、古典や歌集を読んでみたくなっております。

 

 

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総特集 木原敏江 エレガンスの女王

木原敏江先生をまだまだ追っかけ中。

『総特集 木原敏江 エレガンスの女王』図書館にありました。中身を見たら、ぜひログりたくなり、近々発注予定。

 

1968年/20歳から現在までの53年間、いまだ現役の漫画家と思ったら、木原先生個人の情報が知りたくなってきました。なんと、ちょうどいい本が出版されていたこと。

文中にありましたが「こんな本を出してもらえて、作家冥利、嬉しい(意訳」と書かれておりまして、確かになと思いました。

 

長く仕事を続けてきた方が誰しも評価されて、まとめを世に出してもらえる訳もなく…一つの世界、ブランドを構築できた証ですよね。

 

余談ですが、誰しもが経験や実績をまとめて、本や冊子、写真集など可視化できる総覧的なものにしてもらえたらいいのに、と思いました。

 

「今までの人生で、何か成しえたのだろうかと思っていたけれど、やれたこと、出来たことがこんなにあるじゃないか。頑張ったよな、えらかったぞ自分」と思えるだろうし、定年退職などの節目も、もっと誇らしげに迎えられるんじゃなかろうかと妄想。

ロングインタビューと、同世代のお仲間である萩尾望都氏と青池保子氏との対談、年表類、それに美麗なカラーイラスト集といった構成。


生まれ育ち、漫画家になった経緯、作品ごとの思い出など、人柄にふれるに十分な内容で、大満足(あとでポチろう…

私は、仕事の悩みの大半は職場の人間関係だったなと思っていますが、職業漫画家としての苦労も編集相手の人間関係とお約束で。馬の合う方、合わない方、編集方針に従わないといけないだろうし。編集がOK出したものを描いたら描いたで、読者人気投票の数字で評価されるシステムは時に作家の力量とは別の力学で数字が動くから、理不尽。商業誌で描くということは世間的には成功の姿だけど、いい事ばかりでも無かったんだなと、しみじみ。

苦労なく、順風満帆であんな深みと余韻のある話が作れるものか、と思うのです。私ごときでも、何かしら辛い思いを経験して、そこから立ち上がるたびに何かを考え、何かを得て加えて、加えて、成長してきたところがありますから。どなた様もその方なりの最高の試練を越えて今あるということ。

こういう、ただの読者では目にすることがなかった苦悩や、何を試してみたの、段々どういう思いに変わっていったとか、他人の人生は苦労話ほど参考になる気がします。


萩尾氏/青池氏との対談は、同時代に同じ様な経験をしながら現役仲間だから、苦労話が過去の笑い話になっているところもあって、三人とも非常に楽しそう。その空気感が心地よい対談。

 

お三方、それぞれ自分の描きたいこと、自分のスタイルに向き合っていて、互いを尊敬しているのが伝わってきて、打てば響くような語り合いが非常に羨ましく感じました。同じ言語を話しているというか、一を聞いて十答える的な、打てば響く感じが良いのです。

発表された作品を読めば、頑張ってるなとか、ちょっと調子悪そうだとか、不思議と互いの様子が感じ取れたものだ、と言い合っていて、仕事について理解してくれる親友がいるだけで凄い事なのに、それぞれが大御所、大ブランドだもの、羨ましいの桁が上がる上がる。

結局、何をなりわいにしようが、相手との共通言語、共通話題を持つためには、自分の人生経験や知識を深めていくしかなくて、時間はかかるし時に疲れることもあるが、こつこつ積み重ねる以外出来ない、というのが感想。お三方は、それを続けて今に至ったから、大御所となれたのだろうかなと。

 

 

分かってた。

近道はないって、分かってた(ため息

デビュー当時からの絵面の変遷、時々の美意識が絵になっていると思うと、変化の幅が凄い。一番好きな絵面は、やはり摩利と慎吾、封印雅歌のあたりの絵。実は、90年前後のあたり、ちょうど大学に進学した辺り、ぐっと絵が変わった気がして、好きなものが勝手に変わる事が嫌になった記憶。私は子供でした。その変化が成長と思えず「私の見たいものを量産する機械」を求めていたのと一緒。

今回、夢の碑も購入してまとめてその変化を眺めてみて、イラストや扉絵だけでなく、その物語もちゃんと読むと、納得の変化だなと思うようになりました。文中にありましたが「木綿や麻のパリッと硬い感じの布が描けない、絹になっちゃう(意訳」というの、よく分かります。線の表情は絶対ありますもの。だから、変わったと言えば変わったが、変わらないところが分かったという感じでしょうか。

 

 まだ読んでない作品も、おいおい集めて味わおうと思います。


 

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摩利と慎吾④~夢殿と摩利について

夢殿先輩と摩利の関係もずっと気になっている。

 

摩利の死を知る頃、夢殿は若気の至りと思えるようになっていたのか、それとも摩利を惜しんで悲しんだろうか。

 

中学高校の頃は、もう肉体関係もあるなら夢殿でいいじゃん!ぐらい思っていました(笑)

 

漫画の世界では、登場人物が多いと、丸めて終わらせるためか、ほだされて流されてみんな誰かとくっついて幸せになるという都合のよいオチが多かったし(笑)

いまは、「終わり良ければ全て良し」なんて、誰かが折れて譲らないと起こり得ないことが現実には多いと分かるので、ファンタジーかと。心が乗らないようになりました。

 

この頃の木原敏江先生は「人生は思い通りにならない」を描き続けることをライフワークにでもなったのかというぐらい、切ない話が増えた記憶。

 

摩利にとっての夢殿は、そこに納まれば「楽に」幸せになれる相手。

摩利は男が好きだが、自分が女になりたいとはこれっぽっちも思ってない。慎吾がひたすら特別な存在として強調されるのですが、当時の読者の中には、「慎吾のどこがそれほどいいのか?」という疑問が出ていたな…(慎吾の良さは、50代になった私には理性的に分かる

正直、その辺り、私もそういう関係性の人に出会った事がないし、周りでもそういう関係性で離れがたくなっている人達を見た事がないので、言語化しにくい。発達障害が年々分類が細分化されて、ADHDだの名称が増えたように、好きの種類に分類名がつけられるような世の中になれば、私もスッキリできるのになあと思います(誰か分類定義して名称つけてくださいw

 

夢殿は、摩利を男として好きでいてくれるし、友達や先輩後輩、競争相手、いろんな役割をこなしてくれる男性。滅多に出会えないいい男。それぞれ妻が出来ても、夢殿は摩利を手放さないだろうし、摩利が心地よく感じる距離感で付き合い続けられたと思う。

 

夢殿のことは、最初から怖い人だなと思っていたんじゃなかろうか。

 

誰もが摩利の事を注目するが、それは上辺の美しさや、上辺の精神性を見てのこと。

夢殿は摩利の内面を見ている人だから、摩利もそれに気付いて見透かされる怖さを感じていたと思う。自分の本質が陰で、外に出しているところがきれいな分、内にこもった闇の深さ。人に、特に慎吾に知られたくない。自分が劣っていると思っている部分だもの、見られたくないのは当たり前。

 

夢殿は、その闇も含めて摩利の魅力と思ったし、摩利の複雑さが面白かったのか。こいつ、この先どうなるんだろうかと、興味がわいたのだろうか。放っておけない程度に知り合ってしまったから、どんどん危なっかしい精神バランスに陥る摩利に、段々と手を差し伸べないではいられなくなってきたんだろうか。

 

夢殿は蠍座設定だから、闇は闇なだけで、悪と断じるような単純な世界観は持ち合わせてない人。本当に、摩利にとっては、滅多に出会えないいい男。

 

子供の頃から春日家の跡取りとして周囲からの期待も理解していたろうし、その事自体は家族としての責任を果たすような感じで受け入れて育ってきたのではないかと推察。結婚は政略結婚、相手も決まっている、跡も継ぐ。自由はないが、見極めてながら、通せる我は全部通してプラス思考の人生といったところか。

 

私が鬱の時に、救ってくれた一人も蠍座の方でした。

仕事先で知り合った方で、職場での会話以外の付き合いは無し。

つまり深い関係性は全く無かったと思うのですが、一番鬱の動揺を抱えていた頃に、何度も短い電話をくれたのです。

 

「おはよう、今日の調子はいかが?食べた?寝てばっかじゃだめよ」

鬱の真っ最中は、やる気が起きないし一人でいたい、世界が内向き。

電話さえも邪魔に感じていたのですが、蠍座の彼女は電話をくれたのです。

 

後日、何故あの時に電話をくれたのか聞くと、「私も鬱で辛かった経験があるから、一人にしちゃいけないと思った」と言われました。私が全てを拒絶するのは目に見えていたので、彼女は電話を掛けることで、つなぎとめようとしてくれました。私が切った接点をつなぎなおしてはまた切られ。蠍座の愛は独占とよく言われますが、そういう強い感じは上っ面の話で、人の心の闇にしみわたるような優しい愛だと私は思っています。

 

摩利が、夢殿先輩はどこかしら父様に似ていると認識する辺り、摩利が欲しい形の愛をくれる人だと分かってきたのではないかなと。夢殿との幸せに落ち着く選択肢は、読者が摩利の幸せのために、あって欲しい選択肢。おや、気付き始めたか?と少しホッとした場面です。既読で、後々そんなことは無いと見えていても、次善の選択肢があったのは、物語的に救いに見えたものです。

 

そういえば、先日妹と選択肢について雑談した時に、彼女が「ショボい選択肢がたくさんあっても選んだ結果に満足できると思う?」「それしか選択肢が無くても、その一つがこれしかないと思えるなら、満足して選ぶかもね」みたいな話をしてくれて、選ぶ自由と幸せには因果関係が無いという結論が、わたくし的に心に刺さっており、反芻ネタ。

 

慎吾は、欧州での出来事に至るまで、夢殿の摩利への思いの深さに思い及ばなかったのではないかなと思う。夢殿の本気を感じて、ちょっとホッとしたんじゃないかなとも思う。だから傷心の摩利に夢殿が構うのは、嫌だと思わなかったんじゃなかろうか。普通、近しい人の肉欲絡みなんて知りたくないものだけど、夢殿から告げられて止めるでもなかった様子。それとも、自分が口を出す資格は無いと思ったか…

 

夢殿も、日本ではない欧州の地だからこそ、家や世間体を気にせず振舞えた分、摩利への気持ちはストレート。期限付きの自由。国に戻れば政略結婚。

 

紫乃が亡くなった時、麿が「友達はたくさんいてもみんな夢殿さんには役不足、対等に語り合えるのは紫乃さんぐらいだった(意訳」と言っていたぐらい夢殿の内面は、目指すところが若者らしさを越えていたから、同年代も計り知れないところがあったかと。

 

同年代より大人な精神性、交わり満足できる相手が少ないということ。摩利は、夢殿から見たら紫乃並みの人を見る目がありながら、恋愛対象としても優秀。そこらの令嬢より飛び抜けて特別な存在。雅やかな公家の血筋、誇り高い心。誰もが望める相手ではないし、人によっては混血児だから価値を見出せない存在だけれど、夢殿にしたら、美しい外見と内面を持つ希少な存在。そりゃ、執着もするか。

 

元々の立身出世欲もあり、かつ、摩利の理想が恩音のような清濁併せ吞み底知れない大きさの大人と知れば、そこを目指さぬ法は無し。異母兄弟に跡取りを譲ることも出来るし、もっと自由で緩く生きる方法も知っているが、自分から跡取りの責と権利を捨てる気もない。自分にとっての損得勘定しっかりめな人が夢殿。でもギリギリになると、損しても摩利との関係が大事と動く辺りが真心。

 

慎吾がドリナとの恋に落ちてみて、初めて摩利の我慢し続けてきた恋情の深さと自制の強さに気付けたと思うし、自分の存在が摩利にとっていかに残酷なものか分かったはず。それでも男色としては受け入れられないんだと明確になった。でも摩利は唯一無二、誰にも渡したくはない。はて複雑。摩利にとっての慎吾の存在も言語化しにくいが、慎吾の愛や好きも私には言語化しにくい。

 

摩利の絶望の深さが、そのまま欧州に留まることを決めさせ、慎吾とも夢殿とも別れ。
関東大震災の報を受け、死なれるより生きて会える方が「まだマシ」と思えたから帰国を決めた摩利。

 

慎吾にも、同じ様に自分が死にかけて「やっぱり摩利に会いたい!」と自覚した転機があった。

あの時慎吾は両親を事故で亡くしたばかりで、いつもそこにいるのが当然だと思っていた親友だって、死んでしまったらもう会えないと想像し、喪失の恐怖。さっきまで胸を塞いでいた悩みが、答えが出てなくともどうでもよくなるほどの衝撃。本能的に、やっぱり摩利が大事だと悟った瞬間。

 

青太や篝しかり、死んで花実が咲くものか。

死に触れるたびに『ただ生きていてくれるだけでいい』と思うようになる。期待したり、押し付けたりしなくていいと分かる。

 

私は、妹が肺がんで死ぬかもしれないと思った時、まさにこれを体験しております。妹だけでなく、友人知人、誰しも、ただ生きていてくれさえすればいいと思えました。遠くでもいいから、生きていてくれたらと願うようになりました。そう思えるようになったら、人間関係がうんと楽になった気がします。

 

私は楽になれたけど、でも摩利の場合は、会っちゃうとまた手に入らない現実と向き合うことになる。でも死んでいなくなるより「マシ」を知ってしまったから、苦しいけれど慎吾の傍にいる時間を作る。

 

摩利は可哀そうだなと思う反面、慎吾が摩利と一緒にいたいと思い続けるからこそ、摩利もいつまでも恋情抱えて執着していられると思うので、そういう相手に出会えて、どこか羨ましくもあり、慎吾のせいでと責めたくなる気持ちもあり。

 

「その後、摩利は崩れることなく」とあったので、夢殿とは時々プラトニックなやり取りはあったとしても、ほぼ先輩後輩で過ごしたのではないかと想像。

紫乃が亡くなってからは、紫乃には及ばないながらも、心中を吐露する相手になったのではないかと妄想。もちろん言えないこともある。でも、ひと時傍にいて、じっと聞いてくれる相手はありがたい。損得なしで聞いてくれる相手、ちゃんと心を理解しようと聞いてくれる相手。さすが摩利だと認めた相手。

夢殿さんは、紫乃がいた頃は、あまり語らずとも胸中を察してくれる紫乃が受け止めてくれたから、だいぶ助かったことだろう。その紫乃の抱える異母姉への恋情を、慎吾だけが知っていたということになっているが、みなまで言わずとも、夢殿は察していたろうと思う。

 

何で家に帰らず、ふらふらと遊び歩いて見せるのか。誰のことも本気で好きにならず、かといって女が嫌いではない紫乃。家業を嫌うどころか、舞には真剣、美しく舞う紫乃。帰らぬ訳、一人に決めない訳、分かりやすい。

 

摩利の死後、「ああ最後まで、”きれいな摩利”で逝ってしまったな」と静かに悲しんだと思う。 

夢殿さんは、その頃には、抱える責任が学生の頃とは比べ物にならない政治家、戦後処理もある。

悲しみだけに没頭できない大人は、それはそれで悲しいんですけどね、多分そんな感じだろうなと思います。

 

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追記:
日本を拠点に生きる夢殿さんは、慎吾を通じて何とか摩利とつながっていたいと言っていたのに、二人とも一度に亡くなってしまった。夢殿さんは、摩利との思い出を語り合える相手ごと、摩利を失ってしまったのだなと思ったら、切なさが倍増しぐらいに感じられ…

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摩利と慎吾③~摩利について

摩利の忍耐が愛おしい。

私は物語の大半を、摩利に感情移入していました。その解釈を備忘録として書き連ねていますが、我ながらの妄想力に感心すると共に、このように読者の妄想が膨らむような余白と余韻を持つ素敵作品ということで。

 

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鷹塔家はお公家様、伯爵家。母はドイツ貴族、駆け落ち同然で来日、摩利を生んで間もなく早逝。

 

摩利は一人息子。小さい頃から、混血と差別され悔しい思いをし続けてきた摩利。悪意ある人の存在にさらされて育った摩利。

 

父は仕事にかまけて欧州にいったきり。

手元に置いて育てる事も出来たと思うが、欧州で育てたくない訳があるとしたら、摩利に日本人として育って欲しかったから?自分の帰る場所にいて、待っていて欲しい?

「遠ければ遠いほどお前の姿はこんなにも鮮やかだ」なんてセリフがありますが、同居していなければ嫌な姿も見えないし、手紙が届けば悪い事は一切書かず「頑張ってます、父様も体に気をつけて」と気づかうばかりで、摩利はそれはそれは物分かりのよい出来た息子。

もうこの辺りで、摩利は恩音が望む息子像になろうと努力してきたんだろうなと予感がし始めるわたくし。

それを摩利に話すのはどういう意図かよく分からないが、恩音は愛人の話を摩利にする。摩利がサビーネに話す時、父の愛人達との話はどこかロマンチックないいもの、たしなみ的な言い方で、父も新しい鷹塔夫人を迎えて幸せになってくれても良いと思うとさえサビーネに言っている。

 

でも摩利は新しい母親なんて望んではいないし、恩音もそれが分かるから再婚もせず浮名を流す。本気ではないから次々と愛人が出来る。それを摩利も知っている(どういう親子関係なんだ、、、

 

父恩音は、負い目があるから摩利を縛らない。

惜しげもなく摩利にお金を使って贈り物をするが、恩音は自分以外は差し出せても、自分の時間、人生は摩利には差し出せない人。

 

摩利は、自分にかまけてくれる人、自分に時間を使って、体を使ってかまけてくれる人、自分だけを見てくれる人に飢えを感じるのは親子関係の不幸のせいかも、なんて思う。親戚が補うこともなく、かろうじて、が印南家の人々だったのかなと。


恩音と慎吾の父は、もしも互いに何かあったら、残された妻や子の面倒は任せろと誓い合っている。恩音は慎吾の父に、恋心を感じた事があったと摩利に告白していたが、私から見たら摩利の恋情とは全く違って、慎吾父の男気に惚れていたんだろうなと思う。

余談ですが、摩利と慎吾を読んでいて、恋だの愛だの、中身は人それぞれだし思いの種類も多岐に渡るものであり、「好き」と聞いて一つの意味だけを思い浮かべられないものだなと、つくづく思いました。

 

育児放棄の自覚もある父親は「摩利に何かあったら、私は死んだも同然になるでしょうな」なんで思ったりするくせに、庇護が必要な子供の時間さえ摩利の傍にいてやらず、自分の人生を生きている。「仕事は捨てられない。あの子も男なら分かってくれるでしょう」

その父親に摩利が感じるファザーコンプレックスは、私にはいびつに見える。

 

傍にいて守って愛してくれる相手は、ばあやと印南家の人々。 

摩利の人を観察する習い性は、自分の痛みに敏感だから。繊細で本当は弱い。周りの大人や子供をよく見て、痛い思いをしないようにと身構えてきた結果のように思える。摩利は父が望む妻の思い出と息子に、なろうとしてなってきた子なんだろうなと私は思います。

 

摩利が歪まずに育ったのは、慎吾の存在も大きいが、摩利は隠すのが上手になっただけだと思うのです。

 

摩利は、本来意思が明確で、強情だし頑固。

お金持ちで、ものに不自由はない育ちだけれど、金や物では満たされない心に気付いているので精神性を非常に大事にする。

 

摩利が、こうありたいと思う姿は、自分のなりたい姿よりも、自分がこうあれば好きな人達は安心で喜ぶといいうところが基準になってたんじゃなかろうか。そこから自由になって、篝かがりのように自分の欲に素直になれたら、どれだけ生きやすかったろう…でもそれが出来ないのが摩利だから摩利なのですな(ため息

 

摩利が、欧州留学の際に、このまま慎吾の傍にいたら自分が持たないと、帰国せず残ることを決めますが、そうして慎吾から離れてみたところで、ずっと反芻を繰り返して、心のうちはどんどん摩耗し続けたはず。

 

ユンタームアリー他、番外編を読めば、欧州にいる間の摩利は、やっぱり誰にも満たされる事が無くて、ふとした時に慎吾を思って反芻を繰り返している様子。

 

ああいう苦しさは、本当に苦しいと思う。

私も、20代前半までは、片思いすることもあったので、振り向いてもらえない切なさが溢れる苦しさを経験しています。

 

30代に、自分のキャパを越えている仕事と感じつつ、やるしかないと奮闘していた時も、仕事の心配に囚われ続ける苦しさを経験しています。40代では店の資金繰りで何度も反芻タイム(苦笑)

 

反芻している事柄に占拠された心は、しんどくて血を流しているような気分。段々と死んでいく心を感じながら、そこから離れることも出来ない。心は自分とは切り離せない。ずっとついてくる。

「これが、いつまで続くのかな、苦しい」と思ったし、ある時には鬱を患ったほどですが、でも私は死のうと思ったことがありません。それよりも、自分を取り戻したかった。

苦しんでいる思いは、私のものというより余計な荷物扱いだったんでしょう。余計な荷物なら、身から離せるのも道理。おかげで鬱から立ち直ったし、いま雑貨屋のおばちゃんを楽しんでいられます。

摩利が狂いそうな反芻を抱えながらも生き続ける訳を妄想。

もしも摩利が自殺でもしたら、慎吾は泣くだろうし自分のせいだと自分を責めるだろう。そうやって、死ぬまで慎吾の心に残る方法もあるけれど、そんな風に思って欲しくないので、死なないだけなんじゃないかと思うのです。それに、摩利は本来リアリストなので、自分が知らないところで慎吾が悲しんでも、おれが見れないなら意味がないやと思うはず(そんな気がします

 

でも、時々死んでやろうかなと思ったろうな…
空想の中でぐらい、慎吾に仕返ししたい欲を解放してたはず(笑)

恨み言は外へは絶対出さない、出したら自分の品性が落ちるから。

だから心の中で密かに妄想しては浸る。きっと摩利はそういうタイプ。

 

小さい頃から混血というだけで差別され続けてきた子供。
子供なら、感情に任せて仕返ししたり、他人に当たりたくなる。

でも小さい頃からそんな事はせず「あいつらと同じになるから絶対嫌だ」と思うようになる風だと、大体が年相応を越えて老成していくかと。

 

どんなに大人の考え方ができるようになろうが、大人の身の振り方を覚えようが、楽に受け流しているように見せることがうまくなるぐらいで、本当に解決したいことはやっぱり残ったまま。

 

結局死ぬまで摩利は反芻と共に生きることになるのですが、「一途に思い続けて、おばあさんの言った”本物になった”」なんて美談には思えないのがわたくし。本物になりたくて、もがき続けた物語なんだろうなと思っております。ハッピーエンドなんだと解釈できなくもないのですが、摩利の心は満足してはいないのは確かですから、ハッピーエンドとは言い難い。

 

人生って、でもそうそう都合よい事は起きないし、思い通りになる事なんてささやかで、よく考えたら生きていくのって辛い。

 

年を取ってみたら、よくある事だとやり過ごせるものも増えるけれど、本質は生きていくだけで大変。だけど、少しでも生きてて良かった、楽しいなと思えるのは、概ね、美しいものと、人や動物との温かい交流で一瞬辛さを忘れるから。またすぐ辛くなるんだけど、またすぐ温かさを感じられたらまた少しの間忘れて生き延びる、の繰り返し。

わたくしの場合は、それが自分の店で出会うお客様とのやり取りが大半を占めております。会社勤めの頃とは比べ物にならないぐらい幸せな日々。試行錯誤の末に、やっと自分で作り上げた店はとても金食い虫で、貯金を使い果たした頃、ようやく生きるよすが、お客様との心温まる交流を私に届けてくれるようになりました(長い道のりだった(遠い目…

 

幸せの本質は、この一瞬だけ辛さを忘れることなのかもしれないなと50半ばになって思います。摩利の幸いは、慎吾一人の存在には間に合わなくても、摩利に好意を寄せる相手がたくさんいた事。そして、夢殿さんみたいなもたまにはいた事。

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追記:
摩利が満足できたとしたら、死ぬまで「二度と崩れることは無かった」と慎吾からも「そう見えるように振舞えた事」かな。

欧州で一人でいる時の様子は、ユンタームアリー他の番外編で分かる通り、心弱っている。自失することは無いが、ずっと弱っていて、他者の目にもあの方はどこを見ているのかしら?的な心ここにあらずを見透かされるぐらいの状態。

 

でも、帰国し、慎吾や寮友達に会う時は、摩利らしい摩利。

 

自分はこういう人間だと自分が思う姿と

他者が自分をイメージして、評価する姿と

摩利はとても一致しているように思う。

それは摩利がそう見えるように、寄せていっているから。

摩利の中には、見てもらえない摩利が最後までいたと思う。

摩利が慎吾に見て欲しい姿、他者からのイメージに寄せてる「理想の摩利」で、摩利の本当とはギャップがあるように感じている。

篝かがりの甘えん坊でわがままなところ、意地悪なところ、摩利にもあるはずだけれど、心許せる相手である慎吾にも、汚れは見せない摩利。

 

摩利は理想が高いし、いつも上を目指す。

人より優れた人間でいたいと思っている。

 

自分がそうありたい姿でいられたかどうか、

内面は整えるのに大わらわでも、

慎吾から見たら「おれの思う摩利」のままでいられたら

それが成果、努力も報われる、摩利の満足はそこかなと。

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秋分の日のゼロ

今日は、不思議な事がありました。

当店の電子機器類をつないでいるコンセントはスイッチ付き。省エネコンセント。出勤したら、エアコンをつけ、コンセントのスイッチをオンにするのがルーチン。

 

レジスターの本体電源はOFFなので、コンセントのスイッチがオンになったところで動かないはず、だったのですが、ご覧のようなジャーナルが印字されてにょろり。

 

日付と時間がリセットされ、
ゼロがたくさん並んでおります。

 

テナント大家さんがやらかして、何度か停電したことがある当店。その時に、電話機の日付がリセットされたことがありますが、今回は電話は無事なので、停電ではなさそうな…

 

何しろ、本体電源がOFFのまま、勝手に印字されて出てきたことが不思議。ゼロがたくさん並んでいるのも不思議。

神様が「ゼロから始める気持ちでやりなさい」と預言をくださったのかも、とスピっぽく解釈。分からない事は、考えるのを早々に諦める事で心の平穏を保つのです(笑

 

そういえば、本日は秋分の日。

まさに節目の日。
ここから次の季節が始まる気に満ちている日。

やっぱり神様からの言葉なのかも…なんて思っちゃう辺り、停滞感が強くてミラクルを求めているなと自覚あり。

 

気は心ですからね。

きっといい事がたくさん起こるような変化がやってくるはずと思う事にしました。

 

そして、皆様にも、お裾分け。

このゼロが、より良い変化やスタートをもたらしてくれますように。

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アンジェリク

木原敏江氏の漫画で、摩利と慎吾よりも中二心に刺さった漫画「アンジェリク」も読み返してみました。

ルイ14世時代のフランスが舞台で、宝塚の舞台にもなったアンジェリク。


時代背景も知らないままに読んだ中学の頃、華やかなドレスや縦ロールの巻き髪、羽根飾りなど華やかさにくぎ付けでした。

朝の連ドラみたいに、テンポよく事態が動き、事件が起きて、恋はすれ違う。宮廷ならではの陰謀に翻弄されたり、運命のいたずらもありで、山谷起伏が息をつかせない連続だった記憶。

 

40年振りに読み返したら、何だか当時感じたようなわくわく感が皆無で、この世界感からはとっくに卒業していた模様。神の目線で起こる悲喜を淡々と眺めている自分。ただ、その事が、自分的にはいいことに思えて、寂しくはありませんでした。

 

絵面は、褪せることなく、超絶華やかで美麗でした。

 

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ずる休み

目覚ましを止めた瞬間、今日は休みたいと思いました。

特別疲れていた訳でもなし。

最近はお酒も休んでおり目覚めのスッキリ感が戻ってきていました。

だけど今日は、布団から出たくないと思ってしまった。

どうしようかなと考える間も無く、沈み込むように寝入り、目覚めたら世の中は真っ暗な時間。

 

コロナ前なら、店を休む=稼ぎがゼロですから、罪悪感や不安感が心の片隅にあったものですが、コロナの世の中は、自分の努力の及ばない要因がありすぎて、私が至らないからだと後悔や懺悔する気がすっかり失せました。

棚卸を終え、確定申告の準備にあれこれ集計していると、昨年度の業績の悪さが数字となって見えてきます。数字上は、体感より良かったものの、1年よく持ったなと思うレベル。パートで補填しつつ、慎ましやかに徹し、浪費を抑えて頑張ったからだなと自分をほめてあげたいぐらい。

母が昔、慣れない経営の難しさに打ちひしがれた時に、「なんでもないよ」のおまじないを教えてくれた事があります。

ついてない自分に焦点をあててかわいそがり過ぎても、前に進めない、いい方へと変化できない。こういう事も生きてりゃ起きる、でもずっと続かない、過ぎてしまえばどうでもない。こんな事はよくある。誰にでもよくある。自分だけが特別じゃない。「なんでもないよ」のおまじない。

 

今のわたくしは、淡々と出来ることを繰り返す行動と、その事で心が疑問を持って暴れないようにする修行の日々をイメージして暮らしております。とはいえ、いつまで続けるのかなと思うところもあるのです。

また「まん延防止」が出そうだなというニュース。


世の中の人々は、2年経ってもコロナとの共存方法に自信が持ててないのかと思いました。私は、ワクチン接種は人様のお世話になりましたが、手洗いや消毒とマスクを忘れずにおります。それ以上、個人に出来ることなんて無いと理解していますし、その結果罹患せず今に至っているので、これを続けるだけと思っております。

飲食店を閉めて、人流を止めてどのぐらいの効果があったのか…

総括も出ずのまま、また制限を課していくのか…

社会が止まれというから、自分は頑張りたいのだけれど、それが出来ないというストーリーが望ましいと思っている人が多いのだろうかと陰謀論が浮かんでしまうわたくし。

引きニートのような暮らしが、存外心地よい、このままでいたい。何ならこのまま働きたくない。労働は楽しいより辛いことが多い。そういう人が、コロナ前の生活に戻りたくないと駄々をこねて、まん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

頑張ってあれこれやってきたけど、やっぱり自分なんて頭打ち。この先も賽の河原のような努力の日々をまた始めるなんて嫌だ、頑張ったところで成功の見通しが立たないままだという現実を見たくない。そんな人達がまん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

稼がなくても給付金入ってきた方が得、うっしっしな人が大声でまん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。

先日、こまやさんが尊敬する人間国宝の作品を見て、自分とのギャップに打ちひしがれたとメールをくれました。こまやさんは、自分に足りないところを見極める目と、未熟な自分を認める強い心をお持ちの方。今出来ていなくとも、先々出来るようになりたいから頑張るといいながら、今出来ていない自分がやっぱり悔しくて、短くぼやきを綴って来た文面が、私には尊いものに見えました。

 

私もこまやさんのように、成るのが難しかろうが自分がそうなりたいという気持ちを大事に生きていきたいです。

だけど、その他大勢の数に負けてしまう現実もある。

まん延防止再びって、あなた達この先何回それやるの?いつ止めるの?政府が止めると決めたら止められるの?自分が決めないと止められないよ?でいつ決めるの?この先はどうなれば満足なの?と漠然とした他者への不満が溢れてしまった模様。

その事に落ち込み、ずる休みして眠り続けちゃった模様。
仕方ない、溢れる気持ちをどうにかしないといけない時もある。

いっぱい寝て、機嫌を直したし、多分、木曜から機嫌直してまた同じ繰り返しに戻れるはず(だといいな

私は、ずっとこのコロナの制限がある世の中に不満を持って生きているんだなと改めて自覚。行きたい所へ自由に移動したい。公共のための制限は期限付きでお願いしたい。大人だけど我慢には限界がある。

私の場合、自由を楽しむことが相当生きるモチベーションになっていたんだなと思います。大学を県外に決めて家を出て一人暮らしを始めた時。結婚せずに一人で生きていく事を認めた時。勤めていた会社を辞めた時、自分の店を始めた時。結局、自分が我慢したくない、自分のやりたいことをやりたい、それだけが自分を動かしてきた気がします。


真っ暗な部屋の中で目覚め、もう体は起きたいのだけど、気持ちがいいガーゼケットの肌触りが手放しがたく(店で扱っているKONOITOのガーゼケットは本当に最高の肌触りなのです

起きて、おめざのコーヒーをゆっくり飲みながら、たくさん寝た後だし「体が楽」を体感。

いつまでも若いつもりで50半ば、江戸時代なら自然死しておかしくないお年頃。
パートを続けている時点で、労働時間を付加した生活だし。


開業した40代の自分もやる事多くてへとへとしていたけど、50代になったらもっとへとへとしてもおかしくないんだったと思えば、憧れの週休二日制を導入のタイミングかなと。すでに、コロナの2年間で、テスト運用=休んで売上がどのぐらい減るか、それでやっていけるのかは見えた訳だし。

開業当初、ベンチマークで見ていたお店が、週休二日にしますと告知したのを見て、どうやったらひとり個人商店でこのやる事がとめどなく溢れる状態で週休二日できるんだろうかと思ったものですが、その方の経営年数を思うと10年目ぐらいでした。そろそろ経験値の貯金もたまって、手抜きできる何かも増えた頃合いだったのもあるんだろうかと今なら思い浮かびます。ちょうど私も10年目。

実店舗を週休二日にしたところで、店を開けないだけで仕事は家でやったり仕入れに出掛けるのは今までと変わりはないとは思いますが、新規開拓に力を入れてやっていくなど、過ごし方の中身を考えてみたらどうかなと浮かびました。今年はやった方がいいなと浮かんだことをやればいいと決めたので、早速浮かんで来たことを形にしていこうと思います(ずる休みの功名

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寝正月

元日営業の前に、お雑煮づくり。
豆板醬少し入れて辛い味噌仕立て。豚ひき肉に生姜刻んで餅巾着に入れて、がっつりした味の創作雑煮。これひとつで主菜副菜オールインワン。手抜きだけど、美味しい組合せなのでおすすめしたい感じ。

実家のお雑煮は醤油の鶏出汁に人参とごぼうとネギに焼いた餅。実家は他にも食べるものが山ほど出るごちそう三昧なので、お雑煮はあっさり味。家族が多いから、これは食べたか?こっちも美味しいぞと忙しく、食べ過ぎるのが実家のお正月。懐かしいこと。

私がお正月を一人で過ごすようになったのは、店を始めてからのこと。つまり40越えても実家に帰省するお正月がいつもだったから、最初は侘しく感じたものです。開業して3年ぐらいは、特別に何か用意する気力もないほど年末営業で疲れていたし、スーパーは常に開いているしで、普段と変わらぬ食事内容。

今は取引先とも信頼関係があり、個人商店仲間も増え、お客様の中にも個人的な付き合いをする方が増え。年末にお歳暮やお裾分けで食材が溢れるようになり、一人でいるけれど食べるのが忙しくなりました。一人暮らしですから物音的には静かですが、幸せを噛みしめるひと時となっております。

 

今年は、元日営業のあと、2日と3日は寝正月。
昨年は長く眠れない、寝不足感が続いたのですが、今は反転、眠れる時期到来。寝て寝て、体の修復に当てるお正月。起きたくなれば起きる、その他は眠り続ける24時間制を無視した2.5日。ああ、贅沢な時間割。

たくさん寝ると、起きている時間が減りますから、食べる回数も減ります。
人間の体は消化優先で、体の修復が後回しになるそうです。
たくさん寝て起きた今、体の凝りやこわばりが取れ、何となく調子がいい。

人の体は自己修復機能がついているから、薬よりも寝るのが大事と「中国推拿のRe・楽・room」のA子さんが言いますが、本当にその通り。

頭の中も、寝ている間は思考を手放すので、つまらない事を繰り返し思い煩う事も止める分、暗い考えが払しょくされます。

リセット完了。明日から営業開始ですが、いつも通りに動けそうです。

昨年の振り返りと今年の抱負はこれから考えます。

私の心次第だから、急ぐ必要もない。

 

確定申告に向けて集計を始めているところですが、数字をみると、昨年はやはり厳しい年でした。ああこれではまだまだパートを辞められないな~とぼんやり。職場と仕事に慣れているので、苦ではないけれど、本業一本に戻りたいのは山々。ダブルワークする宛てがあるだけマシとも思う。

コロナの影響を思うと、今年1年でほぼ戻ると思いたいところですが、経済・景気の戻りは更に数年掛かりだろうと見ております。時間経過と共に手薄になっていくのが支援策ですが、景気の戻りとは関係なく、1年単位で薄めていくような事をするのなら、潰れる中小企業が増えるだろうな。うちは末端の弱小個人商店だから、そこらへん、注目しております。


電子帳簿保存法、インボイス制度と、まだ理解が進んでいない事案もあるので、そっちも勉強しないとなあ…

たくさん寝て起きた今の感覚で、自分の心を探ると、大局的には暗いものは見当たらないので、今年はおおむね良い年になるのではなかろうかと占っております。

あると思えばある、成ると思えば成れる。

決めた事は最後までやり切る。
基本形を誤らずに、暮らしと仕事を楽しむ。

いつも通りで過ごせたらいいなと、それだけは決め事で。

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年末のゆったり時間

のごみ人形の獅子舞。

当店の店内のものは売るための商品の他に、一番長い時間店内にいるわたくしが、目にして心落ち着けるものや、気分が上向くようなものもありまして、この獅子舞もそのひとつ。

行列ができるような店でもないし、店内は常に人類滅亡しているのが基本形の当店。年末といっても、スーパーやドラッグストアのような忙しさもなく、心静かにお店番。

閑な時間には、父とLINEで雑談。
店内の清掃中に、少し離れたゴミ箱へナイスコントロールでゴミを投げ入れられた時に、そう言えば、父はゴミ箱へ投げては外す名人だったなと思い出したので、LINE。

外しては母に「止めて」と言われた、なんて往復を楽しんでいたら「ところで、お前は暇だね」と返って来て、「おとうったら、なんて事を言うの!」「5分で何万も売り上げることもあるんだから~」と苦し紛れの返信。「だから、芸能人よか、うんと効率的なんじゃ」と父に説明したら「なるほどー」笑いが止まりませんでした。

父と弟は津軽民謡を生業にしていますが、日々鍛錬し続け、日々新しい節や音を考え続けて舞台に立ちます。積み重ねてやっと仕事になるところがあります。才能があっても、体に染み込ませる時間と、改善と革新を見出す時間が足りないと、演奏家としては役に立ちません。積み重ねた時間を思えば、手にする収入はあまりにも少ない気もするのが、民謡業界(笑)

うちの家族は、やりたい事を仕事にする気が強いのだと思います。

出来ることをやる、お金になることをやる、そういう価値観よりも『好き』で『楽しめる』ことが大事みたいです。

コロナであやふやな先行きですが、何とか年を越せそうでホッとしております。

今日顔を出してくれた林たけおさんと「支払いは国民健康保険料が残ってて、支払い期限が1月4日なんだけど少し足りてないもので、元日営業の売上で何とか払えるといいなって思ってる」「あはは、ほんと右から左だねぇ」わっはっは。

コスモナイトさんと「元日営業、何時からやるの?」みたいな雑談。

板倉表具さんから「ラッピングに使う?」ときんきらきんの紙をもらったり。

合間にお客様と短い会話。

良いお年を!と交わす挨拶。

 

終わり良ければ総て良し。

のんびりした江古田時間を味わいつつ、今年最後の営業日、終了です。

来年も、この店内で「人類滅亡してます」って笑って過ごしたいなと思います。

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お茶屋と海苔の話

試食を休止していても海苔好きはどこかから聞きつけて、紫彩だけを買いにやってくるという…うちはお茶屋じゃないのに海苔が良く売れる店(笑


先ほど、またもやリピーターさんがお買い上げで店頭在庫が3になりました。発注済みなので、明後日には入荷する予定。たくさん買い込みたい方は、日曜の夕方以降いらっしゃいませ(業務連絡)

それにしても、なんでお茶屋さんで海苔を売っているかご存知ですか?


私が聞いた話だと、その昔、お茶の産地と海苔の産地がだだかぶりしていて、流通経路が一緒だったと言うのがきっかけ。

お茶の収穫時期と海苔の収穫時期はちょうどずれていて、問屋としても売るものが減る時期に別なものを売れるという実利あり。

そして、お茶と海苔の保存方法、取り扱いのポイントは似ていて、問屋としても手間がなく仕事が出来る。

問屋が勝手よく扱える商品となれば小売店側も乗っかるので、結果、お茶屋が海苔を扱う店が多くなった、というお話。豆知識。

江古田の市場通り商店街のお茶の丸美屋さんでも海苔並んでます(笑

あ、そういえば、当店も紅茶と海苔を扱っているじゃないか(お茶と海苔(やだ、今さっき気付きましたw

雑談のネタにでもしていただけたらと思います。

【紫彩の通販はこちら】

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呪と祝

私が厭うもののひとつ。

開店準備中に、「見たいから中にいれて」という方。

「開店準備中なので困ります」とお伝えしたところ「ダメなの?」と不満声。ダメなものはダメなのです。

 

通路を塞いでいるA看板や日除け幕を外に出したいし、お迎えのお香を焚きたい。通れないところをすり抜けて事故が起きたら困ります。

 

作業途中で見せたくないものが表に出ていることもあるので、それを片付けたい、など、嫌だと思う理由は時々で違えど、こちらには理屈があるのです。

通路を塞いでいた備品を外に出している最中も「まだダメかしら?」と聞いて来る女性。せっかち。私の中の天邪鬼が反応して、嫌な気分プラスオン。

 

「でも、この方も訳ありで急いでいる方なのかな」と思い、途中で中に入れたところ、お目当てがあったようで品物を即決。

そして「これをお願いします」「急がないからゆっくりでいいわよ」と言い放ったのです。入れなきゃよかったって思っちゃった~(笑、黒い心

 

祝うと呪うは字が似てる。どちらにも口が入っていて、口の下に「ひざまづく人」の象形。

 

発する言葉の先には心根が透けるから「ゆっくりでいい」と言われようが急ぎましたとも(;´д`)

 

「ありがとうございました」といいながら、私の言葉にも呪が含まれていたかもしれませんね…オホホ

 

そんなこと位で?と思う方がいるかも知れませんね。

でも、嫌と感じているのは当事者だけ。あなたはそんなことぐらいと思うことでも、その人にとっては最高に嫌なことなのです。

 

だからうかつに「そんなことぐらいで」と言う勿れ。

触らぬ神に祟りなしで「そうか、そうなんだね」と受け止めることをお勧めいたします。共感は必要ないので「嫌だったんだね」と聞いてあげるだけでいい。なんなら、聞いてるふりして聞き流してもいいですよ(笑

 

それだけで人は、呪から解かれて、救われるものですから。

救われた相手は、いつかあなたの呪を解いてくれるお役を受けてくれるはず。

 

相身互、あいみたがい、って言うじゃありませんか。

 

さあ、今日も、気分変えていってみよう。

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誕生日の贈り物

私は、自分の記念日全般に、愛着や執着がありません。だから忘れているものも多いです。覚えていても、そう言えばあったな、ぐらい。

 

誕生日が最たるもので、年に一度の特別な日のイメージが持てません。子供の頃は、母がケーキを用意したし、プレゼントも買ってもらった記憶はあるのですが、ありがとうと言いながら、そういう日のそういうお役目的な振舞いを意識していた節があります。

 

概念としての誕生日の大切さは理解できるし、他者が誕生日を大事に思う気持ちを尊重は出来るのですが、我が事になると、途端にスンっと温度が下がるのです(笑

今年の誕生日も、いつもと変わらず店に出勤し、夜はパート先へ出勤し、深夜に帰宅して夜食を食べたらお風呂に入って寝る予定でおりました。

私にとっては、この穏やかな繰り返しの中でくつろぐ事が質的にも量的にも重要なのです。お年頃かも知れません。

 

すっかり暗くなった頃、弟から「おめでとう」とメールが届き、妹からも電話があり。電話を切る頃にお馴染みさんがお裾分けをしにご来店。「誕生日だからじゃないんだけど、タイミング良かった」それと入れ替わるように、近所のお店のオーナーさんがご来店。

ニコ動の弾幕のように重ねてやって来るではありませんか(笑

 

今年2月、コロナ自粛真っ盛りの頃に開業したお店さん。
古書店の「snowdrop」さん

BOOKOFF的古本とは異なる、古書のセレクトショップ。

売るための古本屋じゃなくて、喜びや楽しみを買いにいく古書店。出会いと発見の場。


確か通りすがりの個人商店仲間から聞いて、たまたま一緒に聞いたコスモナイトさんと「江古田にいい店が増えるの最高」と喜んだ覚えがあります。お互いひとり個人商店、近所と言っても店を閉めて行き来するほど時間に余裕が無いもの同士なので、今回ゆっくり話をする機会になりました。


開業1年目は基盤構築のタイミングなので、基本が大変。
コロナと重なって大変というより、コロナが無くても大変という方が私の常識。

私も東日本大震災の年に開業して今に至りますが、今まで10年ずっと大変な世の中でした。

だから『開業したい時が開業時』だと思う派。

 


開業前の計画や予定と現実とのギャップを埋めたり、変えたり、ルーチン化して慣れていく行程。工数が一人分しかありませんから、大車輪の勢いで心を回すと、体は独楽ねずみのように休みなく動くことになり、疲れます。必死さと楽しさで気持ちが切れない間は持つので、そこをうまく越えられると「軌道に乗った」といえるかと思います。個人商店、ひとりで切り盛りするのは楽だけど、やっぱりとってもしんどいものです。

1年生の方と10年選手になった私と、そこいらへん、共感する内容は同じで、つまり「10年先も、これが続くのよね~」「お金儲けはなかなかうまくならない」「でも好きな事やってるから贅沢な時間を味わってる幸せ」辺りで盛り上がりました。

 

閉店して帰宅の道々、神様が10年前の自分を見せてくれたような気がして「よく頑張ってきたな」「今十分幸せだな」と噛み締めました。あの当時も幸せだと思っていたけれど、今は何倍も幸せだと感じられます。

 

神様の言葉は、次元が異なる存在の声だから、どんなに聞き耳を立てても聞こえないもの。

人の耳に聞こえる形を取ろうとすると、他者を使って人伝に届くものなのです(と信じています

今年の誕生日もまた神様から言葉をもらいました。
来年の誕生日もまた言葉をもらえることを楽しみに、力まず自然体で頑張ろうと思います。

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美彩新作「高砂寅」

金の寅、銀の寅。能の高砂はよく分からなくても時代劇の結婚式のシーンで謡われる『高砂や~この浦舟に帆を上げて~』はご存知の方が多いのではないでしょうか?

高砂の松と住吉の松は相生の松。同じ根から分かれて生えた二本の松は、良いご縁、離れがたい運命の縁を結ぶ象徴。そして松の変わらず青々とした姿は健康、長寿の象徴。

 

相生の、高砂の松ならぬ、高砂の寅。末永くお幸せにの気持ちを込めて、相生の寅。

※お迎えしたい方は【こちら

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たった1人のジルベール

先日見に行った映画、『きのう何食べた?』で思い出したのですが…

 

映画の登場人物「ジルベール」、30代ゲイ。
パートナーの小日向氏を常に理不尽に振り回すのですが、小日向氏はそのわがままを迷惑と思うどころか、それさえも他人に渡したくないので自分が引き受けることを喜びとしているような凸凹コンビ。

テレビドラマの小日向さんは、自分のパートナーをシロさんに「ジルベールのような美少年」「僕にとってのジルベール」と説明。

 

私はジルベールと聞けば『風と木の詩』が浮かぶので、すっごい期待したら、出てきたジルベールは身なりに構わず感じ悪いわがまま放題。万人には理解不能のジルベールだからこそ、なるほど「僕にとってのジルベール」

 

風木のジルベールは、誰もが見とれてしまう、神秘的で美しい美少年。万人が認める美少年。象徴。

中二心が最初に出会った美少年ですから、ジルベールという響きは美少年の「概念」を表す名前でした(遠い目

それが、何十年も経って、いつの間にやら全体の「美少年の概念」として浸透していることに驚きです。

 

それで思い出したのですが、日本の片田舎の高校生が日本の片田舎の大学生となり、大都会東京で就職して、世界にも目が向くようになった頃、衝撃的な事実に行き当たりました。世の中には、美しさとは無縁なおじさんジルベールが結構、たくさん、普通にいると知ってしまったわたくし(大笑(きっかけは映画俳優や歌手だったかと思います。

 

花は、その名を聞いて思い浮かぶ姿は美しいものばかり。
胡蝶蘭と聞けば、その美しい姿を思い浮かべられるのに、人の名前は、ジルベールと聞いてももはや千差万別(概念の階層が違うから仕方ない)

 

でも「たった1人のジルベール」を知っていた頃は、ジルベールは美しく魅力的な存在でした。

 

そういえば、「お母さん」「おばちゃん」みたいな一般名称で呼んでいても、その人にとっては「たった1人のジルベール」みたいな存在ってのもあるな~…と思い浮かぶ。

誰もが誰かの「たった1人のジルベール」なのかも知れませんね。

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美彩新作「虎に翼」

今年も美彩さんの干支祭りがスタート。

 

今回は、お題に日本のことわざ「虎に翼」で彫ってもらいました。

このことわざは、虎のように強いものや勢いのあるものに、更に威力が加わるという意味だとか。

 

思えばかれこれ2年近く、コロナで何も出来ず、引きこもりのような生活でした。生きていれば我慢のしどきもあるものですが、あまり長いと心が枯れていく気がします。

 

そろそろ、どなた様もコロナに気を付ける行動や意識が刷り込み完了で、自然に心がけて暮らすようになっております。

 

東京は緊急事態宣言も解除され、感染者数も減っておりますから、そろそろ怖がり過ぎるのも止めて少し外へ出てみようかなという頃合い。

 

来年は、もっと出掛けたり、人と会ったりできる年になるといいなと思います。

 

コロナで引きこもって何も出来なかった分も上乗せて、来年の寅の年は無敵、無双しちゃってください。

 

成りたいように成れますように!と願いを込めて。

 

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禍福は糾える縄の如し

先日見た星読み動画。

『これまでのシステムの破壊があるかもしれないが、壊れるということは変わる何かを見つけたり、もっと違うものに変化していくことでもあるから、痛みを伴うとしても、その先へ進め』的な解説をしていました。

 

悪そうな結果は、必ずしも全員の身の上に起こる訳ではないと思うことにしております。いいことだけ、信じるようにして気持ちを落とさないようにしているのです(ご都合主義

まさか、今回はわたくしの身の上に起こるとは…
やらかした結果が思いの外大きな事態となり、10年来お付き合いしてきた取引先の一つとお別れすることになりました。

 

分かった当初は、実感が伴わず夢のような感じでした。

相手の都合もあればこちらの言い分もあるで、そうは言ってもとひとしきり心が泡立った後、波が引くように「この先はどうしようか」と切り替え早かったのはよいところ。

 

10年の間に蓄積した満足感が崩れたら、サービスと価格が妥当なのか、競合他社だってこの10年で改善と変化がある訳で、目を向けたら見えてくる景色がある訳です。

 

逆に、義理立てして悪く評価しないようにしてきたけれど、ここが不都合で毎度毎度その不都合をこちらが我慢して飲み込んできた、時間のロスが大きかった、と湧いて来る来る(苦笑

 

星読みのアレは、このことだったのかなと勝手に紐づけて納得中。

 

スピっぽい言い方ですが「執着せず手放す」を今回は上手に出来たなと思います。

 

今回は替えがきくものでしたが、もしも唯一無二だったらどうしたかな?と思ったのですが、生死に関わらなければあまり問題にはならないなと思いました。壊れた関係は残念ですが、次行ってみよー

 

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