正しさに殺されないために

パートから帰ってから、夜更かしして読書。今の自分には、このページ数を読み終えられるか自信が無かったのですが、一気読みするほど関心のある項目ばかり。

ここ数年SNSやニュースで話題になったあれこれを題材に、裏側や別視点で見ると違って見える事柄達。

 

 

年々強まるリベラルっぽい何かの気持ち悪さに欺瞞を感じていたのですが、そんなことよりヤバい「自分の偽善性」に気付いてしまいまして、読後の思考が止まず。

 

少数の声を拡大喧伝する活動家や社会ムーブメント、リベラルっぽい皮をかぶった胡散臭い別物に見えて、眉をひそめるようになってきたわたくし。

 

世の中、人権と環境を理由にきれいごとを並べても、私のような庶民には受け入れ難い理屈もあって、何か歪みを感じていたのですが、それは声の代弁者はみな身ぎれいで、知的水準が高そうで、社会的信頼度が高そうな仕事についていて、お金も資産もある人が表に出てきているせいもあったかと。

 

本当に助けが必要な誰かは、疲れ果てて声をあげることなく絶望している見知らぬ誰かだとしたら、その人が私の目の前に現れ「助けて」とすがりついて来たら、私は逡巡するかどうかさえ怪しく、「余裕が無いので出来ません」と断るはずで、自分がいかに偽善者かと、活動家達を胡散臭いと評しながら自分はマシと思っていた自分は、彼らと何が違うのか見分けがつかないじゃないかと分かり、読後もやもやと考えております。

 

手を差し伸べるべき人が、清貧をかこつ誠実な人ばかりではなく、どうしようもなく愚かで身勝手で乱暴な犯罪者の姿をしている可能性を、すっかり排除していた自分に気づき、私は助けたいと思える人以外は目に入らない「偽善者」だったなと自覚。

犯罪者は悪いヤツだから根絶やしにしろという発想は、私が訝しく見ているリベラルっぽい活動家そのもの。自分と添わないものは消えて当然と考える事が怖い。

 

もしもその犯罪者のような助けるべき誰かを、社会からはじかれた誰かを受け入れて、結果的に生きる場を提供しているのが暴力団的な存在だとしたら、という話も面白く読んだ。首輪をつけて堅気に手出ししないように制限を加える存在と思えば、必要悪というものもあるなと受け入れそうになる。だけど暴力団は社会を良くする活動をしている訳ではないから、そこだけ見て必要とも思えない。はてどうしたらいいのやら、もやもや。

 

婚活アプリで断られ続けて結婚を諦めた男性の話も、どっちが悪いとは言えないが、じゃあどうすればいいか分からなくなる話で、もやもや。

私自身は女性側の気にするポイントも理解は出来るが、男性が感じた「見定められて、選別されて、捨てられる虚無感」も理解できる。全部そこら辺に転がってる普通の話ですから。そして、そこを越えて結婚して、暮らす過程で離婚の危機の一度や二度三度をどのご夫婦も経験しているのもよくある話。

 

結婚対象の女性とのやり取りのせいで、大いに傷つきく男性。女性は、望む条件に合う何かを選んでいるだけで、合わないと直感的に感じると、話の途中でももう無理と走り去る勢い。断られる回数が重なると、女性全般がそういう素因を含む生き物で、それと結婚て、何のためにするのか分からなくなる。

 

非常に、分かりやすい流れ。
そして、どうだったら良かったのかなと、もやもやする。

 

男性と女性を入れ替えても、よくある話。

この女性陣のような人はたくさん普通にいて、「これじゃない」と何かを思い浮かべ、それと比較しながら最良を探している。婚活においては女性側の了承がトリガーなので、女性優位で進んでも、了承得るまでは上下が出来ても仕方ない。

 

この「自分の方が優位だと思う時に、どう振舞うのか」が問題で、件の男性のように傷ついてしまうようなやり方を、本来分別のあるお年頃の適齢期を越えた女性達が取る事が嘆かわしい。

 

そんな女性が、自分の理想に近い相手を見つけたとして、果たして幸せになれるのか。似たもの同士でうまくいくなら、友達少なく周囲から煙たがられるお宅になるのかな、とか、やっぱりここが嫌と次々に嫌な所を探し出して、結局その相手も捨てるのかな、とか、不幸へのアフターストーリーを妄想してしまうわたくし。

 

多分、この本は、あなたならどうするかを問いかける系。

思考するための手前の情報を提供し、読んだ人それぞれに思考実験させてみる本。だから、今まで正しいように見えていたものが、そうでも無かったり、違ったり見えるようになると、『物事の見方の柔軟体操』になるということではないかと。

 

必ずしもスッキリと「そういうことか!」とはなりませんが、読んでよかったと思えた本。