縁は横か上、そして必然

地方へIターンした元同僚が上京するというので、会える人で集まり食事会@神楽坂。

近況報告とも言えないような雑談の中で、世間狭い話が飛び出しました。

東京から遠く離れたIターン先。
たまたま参加した小さな集まりで、たまたま小耳に挟んだ単語から元上司の知人と気づき、恐る恐る話し掛けてみたところやっぱりそうで、つい話が盛り上がり、元上司に今度会いたいという伝言もらった、という話。ちなみにその方、アメリカの西海岸方面在住の方で、普通にしてたらIターン先では行き合わない行動圏の方だったとかで、ご縁の不思議と世間の狭さを感じた、という話でした。


そして、共通の知人がいたとして、一時盛り上がるとしても、その後が続くかはまた別で。

私の印象ですが、出会うにしても、互いのレベルや空気感が近いからその後が生まれ、不思議なご縁で出会ったと言ってみたりする訳で、ベクトルの違いや差があると、必然でご縁がつながらない。そこに不思議なんて無いような気がしております。

「こんな人と知り合いです」と言う側は、相手を上か横に見ている方が多い気がいたします。わざわざ言うぐらいだもの、そこには相手に対する尊敬や崇拝や好意があると思うんですよね。逆に、下に見ている人とは、付き合っていい方か様子を見るので、時間を掛けて知り合っていく感じで、一気に距離を縮める軽率さは少な目な印象。


元上司は猛烈な仕事人で、発想と思考力、行動力が素晴らしく、とにかくT社の海外営業部門の界隈では有名人でした。長く仕事をしているせいで、T社内でペーペーだった担当が偉くなっていくのを見ながら、彼らの仕事をこなしては信頼を得ていったのが元上司。下請けのくせに、物申すこともある人。下請けの立場というより、T社なら未来を思えばこうするべきじゃないのか?という発想で仕事をし続けた人だと思います。それが、衝突しながらも最後収まった時に、担当氏やその上司達に感謝され、元上司の意見が採用されようが不採用だろうが、元上司の真剣に触れたT社の方は感謝をする、そんな感じで人脈が広がっていった有名人。

その元上司を知っていると言う人は、きっと元上司と良い仕事の思い出を持っている人で、その元上司につながる目の前の元同僚にも、その欠片があるはずと信じて、気安く話を始めてくれたのではないかなと思うのです。

 

とはいえ、大人同士ですから、剥げやすいメッキはすぐ分かる。話すうちに、思い出話を楽しんで終わりにするか、相手は考えながら話していた事でしょう。そういう時、目の前の相手が付き合うに値するか、やっぱり最後はそこになるかなと思うのです。


礼儀や気遣いのある話し方、態度、表情。言葉使いに話の組み立て。年齢差もあれば、心地よさの感覚も違いますから、相手に寄せるだけの経験値。共通の知人というきっかけを越えるだけの魅力が、そこにあったという事なんだろうなと思う訳です。


最近まで、世間が狭いという言い方がしっくり来るなと思って使っておりましたが、会うべくして会うようになっているのかもなと変化しております。元同僚は、会わずにいた間に、とても良い時間を過ごしていたのではないかなと思い、いいな、羨ましいやと思った次第。

 

私そう言えば、元上司の参加する集まりには必ず出たい派だな(笑
まだあそこが心の中のトップなんだなと思って、にやり(大好きな元上司