好きな感覚を思い出せた

自分が好き「だった」感覚を思い出す出来事がありました。かなりご無沙汰していた感覚。

思い出した瞬間、今まで自分に足りなかったものに気付いてしまい、今のままで個人商店をやっていると、足りないままかもなと少し心が揺れてしまいました。


HPに寄せられる問合せに、どうやら法人の担当者から、本来ならメーカーへ問合せすべき内容のお問合せがありました。

聞く相手を間違えている点。

質問内容があまりに素人な点。


デザイン事務所と書いてある割に、自分で考えたり調べたりする事もなく、その手間を省くために質問してきているようで、これは手抜きだよねと嫌悪感。

私自身デザイン業界で仕事をしていましたが、扱う素材や作り方、使用工具など工程を理解していないと、企画も図面も作れなかったし、見積もりだって作れなかったけどな~と思いました。

問合せといえば、無料で対応してもらえる。

なんて素敵なカモフラージュ(黒笑

 

でもな、
この人は、もしかしたらOJTも満足に受けられない社内でもがく新米デザイナー、かもしれない。私の場合は、周りの先輩上司のおかげで、ひとつひとつ出来ることが増え、上手になっていったのだから、私が社会への恩返しのタイミングと思えないかと変換。

 

この人は、もしかしたら転職したてで、畑違いにチャレンジ中のお父さん、養う家族のために必死な人、かもしれない。私も転職経験者だから、勝手が分かるまでは周りも大変だけど本人が一番大変だもの、と思えないかと変換。

 

この人は、私と同じように、毎日一生懸命生きている人、かもしれない。

 

そう思い直して、真面目に返信してみました。

この店を始めて分かったのですが、嫌だな、不快だな、不満だな、理解できないな、等々、ネガティブな感情が湧いた時は、その感情に流されてしまうと受容力が落ちる。いらないと切り捨てる。後には何も残らないどころか、マイナス気分が残る事が多いです。

 

この「何も残らない」というところがポイント。

 

イライラする自分を認め、イライラしてるな~と感じつつ、無視したい、やりこめたいと思う気持ちと逆方向の事をやるのです。

もちろん、聖人ではないので、毎度心の摩擦は起こります。でもゼロにしかならないやり方→切り捨てることをしないので、結果として「何かが残りやすい」

 

メールへの返信は期待していなかったのですが、返信をもらいました。そこには自分の不躾さを詫びつつ、提供した情報と対応に感謝が綴られており、「相手に何かを残せた気」「相手から何かをもらえた気」がしました。

 

これはまさに承認欲求。

まだマズローの4段階目から抜けられないみたいです(トホホ)

 

コロナで一人でいる時間が増えたせいで、嫌だと思うほどのやり取り、交流を、コロナ時期に出来ていません。他者との交流不足もあるかなと。摩擦は刺激でもありますから。

 

一人になりたくてひとり個人商店をやっている訳ではないのだと改めて思いました。人が集まり交流できる場所として雑貨屋という形態をとり、そのハブとして私はいろんな方の話を聞いて、それを誰かに伝えていたのになと思い出しました。今、出来ていないなと自覚。

コロナで来店数が落ちたまま、寂れ埋もれている感覚に焦りを覚えていること、見ぬ振りをしていたことを見ちゃった感覚。ヒト、モノ、情報が集まる場所は、活気があって身を置くと元気がもらえるもの。当店の場の力が、コロナで落ちまくっているなと感じます。これこそ、見ぬ振りをしていたことを見ちゃった感覚。

一人で成長できる枠と、他者がいてこそ磨かれる枠と、人生にはどちらも必要、大事。


一人でいる時は、一歩一歩地面を歩む感じ。

どんどん遠くへ歩いていく感じ。
線を歩む感じ。

 

他者に磨かれる時は、相手との相乗効果で、街のような面の広がりを味わう感じ。


面の広がる感覚を、今年はもっと味わいたいなという欲が芽生えました。

 

もっと頑張ろう。

今月は、場づくり空気づくりを心掛けて、お店番楽しもうと思います。