シンプル・イズ・ベスト

なろう系で、前世の知識で転生先で疫病を抑えて聖女ともてはやされるとか、そういうのを読みながら、ふと職業倫理について思いをはせました。

怪我や病気で苦しんでいる一般庶民を見ながら、「私には見捨てられない!」とか「私の命を掛けて助ける!」とか、熱く固く決意をする場面は感動的。

人はそれを見て、「よく言った!」と納得し、高揚します。

物語が主人公の活躍で助かると分かり切った流れに突入。安心して楽しめる流れを見ると、水戸黄門や暴れん坊将軍を見た後のような、気楽な気分になれる訳です。それが麻薬のような快感。現実はそう甘くないから、夢を見るというか…

(現実的には、あなた一人で出来る事なんて限られてるじゃろうに…と思わなくもないが、そこはフィクションをフィクションとして楽しめる能力スキル発動で 笑)

この「やる気表明」的な部分に、『職業的な矜持』と『私はそういう人でありたいという決意』が込められていると感じます。これを『職業倫理』と思うのですが、自らがその責を負う事に対する宣言のようなものだなと思います。

 

私の前職はデザイナーでしたが、メーカー勤務の頃は施工絡みの図面を引くし、部材の手配をするし、施工の手配をするし、現場管理も経験。私が数ミリ間違った図面を引いたせいで、ネジ1つ足りないだけで、どれだけの人の時間と労力が無駄になるかを『失敗から学び』ました。下手すると、施工したものの安全性が不足したら人命にも関わることですから、自分の仕事の重要性を噛みしめるタイミングでもありました。

お客様にも同僚達にも迷惑を掛けたという後悔は、自分をひどく『責めさいなむ』し、二度と繰り返さないと思いながら、仕事の精度は上がっていった気がします。そして、積み重なったものの多寡は、問題が起きた時に自分が擦り切れても何とかするという原動力になり、火事場の馬鹿力を引き出すように思います。

 

その時の自分は、自分以外の誰かのために、何とか被害最小で納めたくて頑張るイメージ。自分のミスだけでなく、同僚のミス救済、お客様側の事情による変更だったり、事情は様々あれど、一緒に働く仲間、身内と認識できたら、その人のために火事場に飛び込み頑張ろうと思えたものです。暑苦しい使命感に浸っていました(苦笑

組織で働いていた時は、そういうのありました。
周りがそれぞれ似たような体験をしながら、「この仕事をする限りはこれが最低限守るべきもの」という共通認識を持ち、だから集団が同じカラーで動けたというか。

ひとり個人商店になって、事業内容がシンプルになったのと、自分の社会経験値が上がってもいるし、完成品の売買ですから1件が完了するまでの時間が短いもので、火事場の馬鹿力が必要な場面が無い。これは、とても喜ばしい事。

 

こうなってみたら分かったのが、火事場に飛び込む勇気溢れた(?)あの頃は、~すべきで自分を縛ってもいた訳で、他者のために~すべき事も多く、ストレスと表裏一体だったなとも思います。「やらずにはいられない」「自然と体が動く」という感じでも無かったなと。

 

ひとり個人商店になって、私の趣味や見立てで選んだ商品を売るセレクトショップという建てつけの事業をやっていると、「私の」「やりたい」「お客様にすすめたい」「~したい」ばかりで、自分を縛る事は「違和感あるものは取り扱わない」「嫌だと思う事はやらない」、自分に嘘をつかない系。だから自分を裏切ることはないから自然と出来るし、ぐらついても最後には立ち戻れる。

お客様の感想や判断はその方の自由と思うので、売り込むような会話はしない。判断材料の商品知識はお伝えする。これも嘘をつかない系。

 

組織に所属していた時と比べたら、シンプルな倫理観。

だからこそ守れる。

職業独特の特殊性もない普遍的内容。

開業当初は、何だか頭でっかちにコンセプトとか理念とか書いてみたものですが、10年経ってみたらとってもシンプルになってしまった自分に気づき、ほくそ笑んでます。

 


まん防から緊急事態宣言へ移行しちゃうのかな、またか、こんなの続いてたらうちみたいな小規模店はどうなっちゃうんだろうかな~と不安になりつつも、やっぱり今が幸せだなと思う冬の日。