摩利と慎吾⑥~慎吾について

摩利に対しての慎吾は、真反対の属性と思って読んでいましたが、今読むとそうでも無かったなと思います。互いに好きだからこそ、見習ったり影響し合っていくのが友達だから、同じ方向を向いている印象で、そう真逆でもない。

 

摩利の方は慎吾に対して、自分に無いものに惹かれ憧れていたんだろうと思うので、つい右と左、真逆、みたいな対立軸を想定しちゃうあたり、子供の頃のわたくしは白黒思考で単純だったなと思います。

 

『総特集 木原敏江 エレガンスの女王』にて、「大人になってもこうありたいと思うが、苦労している人からすると、このまっとうさがカンに障るようだ」と慎吾について語っている木原先生。

 

私はカンに障るというより、性善説でいられる幸せな家庭環境だったんだろうなと思っておりました。

 

子供は、大人が思うほど子供でもないのです。だから、摩利は特別聡い子のように描かれていますが、慎吾だって普通に聡い子だろうし、陰や黒さを見せない辺りが慎吾の強さかなと。ただ、摩利ほど機転が利かないから、抜ける、詰めが甘い。

 

慎吾は羨ましいぐらい真っ直ぐだけど、それは彼の美意識の現れ。大人になっていく過程で周りの人との人間関係が複雑になっていくと、自分だけ真っ直ぐでいる事が周りとの調和をかき乱す事にもなり得る。正せる範囲のこと、どうにもならないことの線引きはしているように思えるので、バランスの良い子に見えます。

登場人物は、誰もが慎吾の真っ直ぐなところや、正直なところ、温かさに好意的。私も子供の頃にいじめられた事があるので、心が弱っている時に、慎吾みたいな人にこだわりなく接してもらえたら、救いを得るはず。

慎吾の場合、ただの同調ではないところもいい。悩んでいる時、悲しんでいる時、怒っている時、でもその感情を越えたところにあるものを見ているところがあって、そこが慎吾の賢いところ。

例えば、織笛がみちことのすれ違いに怒り悲しみ、もうどうでもいいと荒れた時に、慎吾はみちこに会いに行き織笛にとりなそうとする場面。織笛の本心はみちこが好き。だから怒りに任せて癇癪を起して別れてしまうのは結局織笛のためにならないから行動する。織笛の本心を見ているから、みちこは誠実ではないから振って当然だと同調するでもない。

 

慎吾から自分へ向けられる信頼感や好意は、自分が慎吾へ向けたものの鏡。だから慎吾から嫌われるような事はしない、慎吾には誰にも秘密の心を打ち明ける。慎吾の魅力は人間性。人間愛の深さ。

 

慎吾の語る、摩利との理想の姿。

『外は雨、部屋は暖か、別に話をするでなく、でも心は満ち足りている。

こんな風に摩利と過ごすのって大好きなのだ、摩利は?』

『(それは多分、信頼と合いに結ばれた最高のかたちだ)
(おれがそこまで行けたらな)』

 

私もそういうの、いいなと思う。

そして、なかなか手に入らない関係性だとも思う。

摩利も慎吾も、理想家で、素敵な理想を持てたおかげで人間ドラマが深まったとも感じます。

 

慎吾の恋も、今読み返すと、

若者らしい一目惚れ、若者らしい本能の恋。

ドリナの人柄も分からぬまま恋に落ちる。

好き、会いたい、触れたい。

 

正直、ドリナの魅力はいまもよく分かりません。

実は他の女性キャラにもあまり思い入れが出来ずにいます。

 

なので、ささめと再会して摩利が「暗黒の迷路からの出口はここにあった」「久々に晴れ晴れととてもよい気分で」という下りが唐突に感じて、ちょっとまだ咀嚼しきれずにいます。救いを求めていた頃の再会だから、その時はこれなのかも?とちょっと浮上した気になっても、また落ちるというのが現実だから、そう思えばありな場面なのか…(やっぱりよく分かりません

 

中でもドリナは、歴史的にも安定感のない地域で生まれ育った外国人で、周辺諸国との政情不安のまっただなかの内乱状態の中で革命をめざす活動家で、慎吾と合うところがあるのだろうかと思えるほど違う世界に住む女性。最初から、添い遂げるイメージがわかない恋。でも好きになっちゃうのは仕方ない。

 

ドリナに一目惚れした辺り、慎吾のバカ!摩利がかわいそう!と叫んでいた読者は多かったはず(笑

どなたかがあとがきに書いていましたが、摩利と自分が結ばれたいと願うファンよりも、摩利に幸せになって欲しいと願うファンが多かったと思います。

 

一目惚れ。

身に覚えがあると、理屈で好きになる訳ではない事がストンと腹落ち。

だから余計と、その女のどこがいいんだ!と思う訳ですが、理屈じゃないんだとも分かっているので非常に複雑な気分になれる。

 

慎吾の幸せのためなら送り出そうとする摩利。

ドリナと自分の描く未来が交わる事は無い、見て見ぬ振りで恋に没頭してきたが、現実を見つめて残る慎吾。ドリナはもっと現実を見ていたから、泣くけれど揺るぎなく、自分の未来を選び旅立つ。


遅い恋だったからこそ、分別も理性も多少働く。

しかも自分は人生の大目標を掲げて海外留学中。

慎吾は恋のために全部捨てきれなかったかと。

摩利、摩利、そんな内戦してるところへ慎吾を送り出すなんて何考えてんの!と50代の分別が引っ掛かる場面ですが、相手の自由を尊重し我を押さえる摩利を愛するべき場面。

 

「摩利の声が聞こえたのだ」と涙する慎吾が「どんなにドリナが好きでもおれは日本人だ、それ以外にはなれぬ」というセリフ。どの登場人物も、自分以外にはなれず、誰かのような生きやすい生き方が出来ず、辛かろうが自分の人生を生きていく。摩利と慎吾のテーマのひとつだなと思いしみじみ。

 

摩利が帰国をのばしてメーリンク家再興の手伝いをすると聞いて、摩利がこのまま日本へ、慎吾の元へは戻る気が無いのではないかと予感する慎吾。帰国前日、慎吾から摩利へキスをする場面で、慎吾がいかに摩利を大事に思っているのかが感じられ、ある事を思い出しておりました。

小さい頃によく妄想していたのですが、もしも今、事故や事件で家族や飼い猫が死ぬとしたら、私が身代わりになってでも守りたいと思い、感極まって泣いたりもしておりました。大事で大事で、愛している感情が高まり、溢れる思いを言葉が出ない時は、その分抱きしめて、その抱擁に思いを込めてジッとしていたくなるものです。

残念ながら、訳も聞かずに抱きしめられてくれるのは飼い猫ぐらいだったので、親兄弟への抱擁は叶ったことがありませんでしたが、甥や姪が小さい頃は、思う存分抱きしめてジッとしていたわたくし。何があっても離したくは無いし、守ってやりたい。ああいう時の、何とも言語化できない思いを、慎吾に見出しておりました。

 

日本人の慎吾にとって、キスは誰にでもする行為ではないからこそ、大事な人への愛情表現として慎吾は摩利にキスを贈る。万感込めた愛のキス。

若い時には、摩利と添えないのに何故ここでキス?と思っていたのですが、今ならよく分かります。

 

「これきり日本に帰って来なかったら絶交だからな」と言い渡す慎吾。きっと悪い予感がどんどん強くなってしまって、死に別れならいざ知らず、生き別れたら最後、摩利が会いたいと思ってやって来なければ、2度と会う事は無い関係を自覚して、もの凄い不安を抱えての帰国だったかと。

今までは、互いが歩み寄る余地がある「学生生活」だった。

学生から社会人へと身分が変われば、それぞれの道が分かれる頃合い。
ずっと一緒に(変わらずに)居ることは出来ないと知ってはいたが、こんな状態で、互いへの信頼や安心感を失ったままで終わりたくはない。でも帰国すれば道は自ずと分かれてしまう。

 

慎吾は自分がいかに摩利を好きか、大事か、分かっているし、摩利が自分を誰よりも好きでいてくれることも分かっている。だから、このままでは嫌だと強く思ったはず。でも、こちらがそう思っていても、摩利にその気がなければ終わる。関係のはかなさを思い知らされて、そんなことはないと思いたくても信じきれず、不安が尽きない。でも自分の言動に一切後悔はない。でも不安。

 

慎吾の心情は、複雑でしたでしょうな。

これまで、摩利とのことに関しては、疑いもなく信じ切ってきただけに、信じきれないでいる自分を知って、摩利の傷の深さを再認識したというか。立ち直るまで待っててくれと言った摩利が、ずっと傷ついたままでいることを感じていたから、もうダメかもしれないと思っていたのではないだろうか。

 

摩利はこういう時、はっきり答えが出ていても、表にはその答えを出さない、隠す。そういうグレーのままで置いておくのは、摩利の気遣いで優しさだなと思う。

 

今のように、航空路線が網の目のように広がっていたり、格安LCCも無い時代。行き来することの大変さよ。

SNSも無し、物理的に離れ離れの時に相手とつながることは、今よりも途方もない事だったから。(あの時代の不自由さは、人間の存在価値や人間関係の濃密さを作り出していたような気もしてきます)

 

2人の再会は、関東大震災後。

摩利は、ずっと帰国せずに遠ざかっていた自分を悔い、後追い自殺も考えながらの帰国。そして再会。またもや、神様の刺激というのは生き死にに関すること。摩利も慎吾も、互いの姿を見て、やっぱりこの人こそ自分の運命の人だと再認識。恋とか愛とか、そういうレベルを超えたところでの互いの存在価値を認識。ただ生きていてくれさえすればいいという共感に至る。

(その時はちょっと浮上した気になっても、また落ちるというのが現実だから、摩利はその後もふとした時にしんなり落ちてた(番外編))

余談ですが、作中、摩利はずっと慎吾を思っては虚ろになって叶わぬ恋に没頭していたけれど、今になってみたら、どうしてそこまで好き好きエネルギーが継続できるのか、忘れきれないのか、自分のことばっか考えているから恋が成就できない悲しさに囚われてるんだろうか、摩利の方がよく分からないな、めんどくさい奴かも?と最近思い始めています(苦笑

 

今に生きていれば、傷の痛みもいずれ薄まるだろうと思うもので(私はそうだった)仕事に社交と次々と出会いがある中で、恋愛対象ではなくとも、尊敬できる人や少しはひかれる相手はいたはず(その事例が番外編か)自分の思いに囚われている間は他が見えないものだけれど、徐々に慎吾以外にも目が向くようになり『摩利はもう2度と崩れることはなかった』ところへ至ったんだろうと時間の経過を思います。

 

ファンブログで、最後、摩利も慎吾も互いを思って死んでいくので、恋は実らずとも全うされた思いがあったのは事実で、幸せだったのではないかと書いている方がいました。死ぬ場面は必要だったかという話もありますが、この場面を描いたあたり、木原先生が2人の幸せを願っていたことの証と受け止めております。

 

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追記:

恩音が、隼人と自分の付き合いの中で、隼人がどう思っていようが、結局は自分の心がどう思っているかだけ(意訳)と言っていましたが、その境地に至るのが難しいから、みんな人間関係に苦しむ。自分が掛けたものと同じだけ返って来ないからといって、相手を恨んで差し引きゼロに出来る関係ならそれまで。恨んでも、やっぱり大事だと捨てきれず辛い思いをするほど、そこには自分にとっての価値が潜んでいるのだろうし、辛いことだな。

 

NARUTOのうちはイタチのイザナミの術のごとく、悩んでいる時は無限ループ。その苦しさから逃れるためには、同じルートでは抜け出せないといつか悟り、思い込みだったり執着だったり、自分を縛る自分から解放された時に、ループから抜けられる。摩利は本当にイザナミから抜け出られたのか。私は時間の薬で薄めながら、でも一番欲しいと思う「次」が見つからないままだったろうから、イザナミは最後まで残っていたかもなと思います。摩利は、隠すのがうまいという推察が捨てきれない。

読者は、最後に慎吾が呼んだのは摩利と知っているから少しだけ救われたけど、摩利はそんなの知らず亡くなる訳で、恩音の言葉通り、摩利が最後まで引きずった慎吾への思いが、摩利の人生の真実になりましたとさ、おしまいっていうのが、どうもわたくしには切ないだけで、救いが足りません。


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そう言えば、摩利が崩れていた頃は、女性との浮名ばかり。

「抱いてあげるけど、好きにはならない」

使い捨てられる女性達が気の毒。まあ、心そっちのけで、外見に惹かれてほいほい迫ってくるような人達に、真心を差し出すような摩利でもないから、仕方ないとも思う。

 

男性相手は夢殿だけ。夢殿を特別に思う部分は確かにあったかと思う。崩れることはなくなって、夢殿との体を許す関係は終わったと思う。夢殿とは長く続けてよい関係と思っていなかった節もあり、持堂院の先輩と後輩の関係に戻したのだろうな。


摩利のご乱行を責める美女夜に「摩利には必要なんだ」と慎吾。自傷行為のようなご乱行、繰り返して気が晴れる訳もない。だけどやらずにはいられない。そのぐらい荒れる気持ちを、ドリナと別れた慎吾も内に秘めていたのかも。ただ慎吾は、愛のない性行為で憂さ晴らしという発想がないタイプだし、黄色人種差別のある欧州でそういう関係を結ぶ相手がいなかったから、そっちへ走らなかったのかと。