摩利と慎吾③~摩利について

摩利の忍耐が愛おしい。

私は物語の大半を、摩利に感情移入していました。その解釈を備忘録として書き連ねていますが、我ながらの妄想力に感心すると共に、このように読者の妄想が膨らむような余白と余韻を持つ素敵作品ということで。

 

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鷹塔家はお公家様、伯爵家。母はドイツ貴族、駆け落ち同然で来日、摩利を生んで間もなく早逝。

 

摩利は一人息子。小さい頃から、混血と差別され悔しい思いをし続けてきた摩利。悪意ある人の存在にさらされて育った摩利。

 

父は仕事にかまけて欧州にいったきり。

手元に置いて育てる事も出来たと思うが、欧州で育てたくない訳があるとしたら、摩利に日本人として育って欲しかったから?自分の帰る場所にいて、待っていて欲しい?

「遠ければ遠いほどお前の姿はこんなにも鮮やかだ」なんてセリフがありますが、同居していなければ嫌な姿も見えないし、手紙が届けば悪い事は一切書かず「頑張ってます、父様も体に気をつけて」と気づかうばかりで、摩利はそれはそれは物分かりのよい出来た息子。

もうこの辺りで、摩利は恩音が望む息子像になろうと努力してきたんだろうなと予感がし始めるわたくし。

それを摩利に話すのはどういう意図かよく分からないが、恩音は愛人の話を摩利にする。摩利がサビーネに話す時、父の愛人達との話はどこかロマンチックないいもの、たしなみ的な言い方で、父も新しい鷹塔夫人を迎えて幸せになってくれても良いと思うとさえサビーネに言っている。

 

でも摩利は新しい母親なんて望んではいないし、恩音もそれが分かるから再婚もせず浮名を流す。本気ではないから次々と愛人が出来る。それを摩利も知っている(どういう親子関係なんだ、、、

 

父恩音は、負い目があるから摩利を縛らない。

惜しげもなく摩利にお金を使って贈り物をするが、恩音は自分以外は差し出せても、自分の時間、人生は摩利には差し出せない人。

 

摩利は、自分にかまけてくれる人、自分に時間を使って、体を使ってかまけてくれる人、自分だけを見てくれる人に飢えを感じるのは親子関係の不幸のせいかも、なんて思う。親戚が補うこともなく、かろうじて、が印南家の人々だったのかなと。


恩音と慎吾の父は、もしも互いに何かあったら、残された妻や子の面倒は任せろと誓い合っている。恩音は慎吾の父に、恋心を感じた事があったと摩利に告白していたが、私から見たら摩利の恋情とは全く違って、慎吾父の男気に惚れていたんだろうなと思う。

余談ですが、摩利と慎吾を読んでいて、恋だの愛だの、中身は人それぞれだし思いの種類も多岐に渡るものであり、「好き」と聞いて一つの意味だけを思い浮かべられないものだなと、つくづく思いました。

 

育児放棄の自覚もある父親は「摩利に何かあったら、私は死んだも同然になるでしょうな」なんで思ったりするくせに、庇護が必要な子供の時間さえ摩利の傍にいてやらず、自分の人生を生きている。「仕事は捨てられない。あの子も男なら分かってくれるでしょう」

その父親に摩利が感じるファザーコンプレックスは、私にはいびつに見える。

 

傍にいて守って愛してくれる相手は、ばあやと印南家の人々。 

摩利の人を観察する習い性は、自分の痛みに敏感だから。繊細で本当は弱い。周りの大人や子供をよく見て、痛い思いをしないようにと身構えてきた結果のように思える。摩利は父が望む妻の思い出と息子に、なろうとしてなってきた子なんだろうなと私は思います。

 

摩利が歪まずに育ったのは、慎吾の存在も大きいが、摩利は隠すのが上手になっただけだと思うのです。

 

摩利は、本来意思が明確で、強情だし頑固。

お金持ちで、ものに不自由はない育ちだけれど、金や物では満たされない心に気付いているので精神性を非常に大事にする。

 

摩利が、こうありたいと思う姿は、自分のなりたい姿よりも、自分がこうあれば好きな人達は安心で喜ぶといいうところが基準になってたんじゃなかろうか。そこから自由になって、篝かがりのように自分の欲に素直になれたら、どれだけ生きやすかったろう…でもそれが出来ないのが摩利だから摩利なのですな(ため息

 

摩利が、欧州留学の際に、このまま慎吾の傍にいたら自分が持たないと、帰国せず残ることを決めますが、そうして慎吾から離れてみたところで、ずっと反芻を繰り返して、心のうちはどんどん摩耗し続けたはず。

 

ユンタームアリー他、番外編を読めば、欧州にいる間の摩利は、やっぱり誰にも満たされる事が無くて、ふとした時に慎吾を思って反芻を繰り返している様子。

 

ああいう苦しさは、本当に苦しいと思う。

私も、20代前半までは、片思いすることもあったので、振り向いてもらえない切なさが溢れる苦しさを経験しています。

 

30代に、自分のキャパを越えている仕事と感じつつ、やるしかないと奮闘していた時も、仕事の心配に囚われ続ける苦しさを経験しています。40代では店の資金繰りで何度も反芻タイム(苦笑)

 

反芻している事柄に占拠された心は、しんどくて血を流しているような気分。段々と死んでいく心を感じながら、そこから離れることも出来ない。心は自分とは切り離せない。ずっとついてくる。

「これが、いつまで続くのかな、苦しい」と思ったし、ある時には鬱を患ったほどですが、でも私は死のうと思ったことがありません。それよりも、自分を取り戻したかった。

苦しんでいる思いは、私のものというより余計な荷物扱いだったんでしょう。余計な荷物なら、身から離せるのも道理。おかげで鬱から立ち直ったし、いま雑貨屋のおばちゃんを楽しんでいられます。

摩利が狂いそうな反芻を抱えながらも生き続ける訳を妄想。

もしも摩利が自殺でもしたら、慎吾は泣くだろうし自分のせいだと自分を責めるだろう。そうやって、死ぬまで慎吾の心に残る方法もあるけれど、そんな風に思って欲しくないので、死なないだけなんじゃないかと思うのです。それに、摩利は本来リアリストなので、自分が知らないところで慎吾が悲しんでも、おれが見れないなら意味がないやと思うはず(そんな気がします

 

でも、時々死んでやろうかなと思ったろうな…
空想の中でぐらい、慎吾に仕返ししたい欲を解放してたはず(笑)

恨み言は外へは絶対出さない、出したら自分の品性が落ちるから。

だから心の中で密かに妄想しては浸る。きっと摩利はそういうタイプ。

 

小さい頃から混血というだけで差別され続けてきた子供。
子供なら、感情に任せて仕返ししたり、他人に当たりたくなる。

でも小さい頃からそんな事はせず「あいつらと同じになるから絶対嫌だ」と思うようになる風だと、大体が年相応を越えて老成していくかと。

 

どんなに大人の考え方ができるようになろうが、大人の身の振り方を覚えようが、楽に受け流しているように見せることがうまくなるぐらいで、本当に解決したいことはやっぱり残ったまま。

 

結局死ぬまで摩利は反芻と共に生きることになるのですが、「一途に思い続けて、おばあさんの言った”本物になった”」なんて美談には思えないのがわたくし。本物になりたくて、もがき続けた物語なんだろうなと思っております。ハッピーエンドなんだと解釈できなくもないのですが、摩利の心は満足してはいないのは確かですから、ハッピーエンドとは言い難い。

 

人生って、でもそうそう都合よい事は起きないし、思い通りになる事なんてささやかで、よく考えたら生きていくのって辛い。

 

年を取ってみたら、よくある事だとやり過ごせるものも増えるけれど、本質は生きていくだけで大変。だけど、少しでも生きてて良かった、楽しいなと思えるのは、概ね、美しいものと、人や動物との温かい交流で一瞬辛さを忘れるから。またすぐ辛くなるんだけど、またすぐ温かさを感じられたらまた少しの間忘れて生き延びる、の繰り返し。

わたくしの場合は、それが自分の店で出会うお客様とのやり取りが大半を占めております。会社勤めの頃とは比べ物にならないぐらい幸せな日々。試行錯誤の末に、やっと自分で作り上げた店はとても金食い虫で、貯金を使い果たした頃、ようやく生きるよすが、お客様との心温まる交流を私に届けてくれるようになりました(長い道のりだった(遠い目…

 

幸せの本質は、この一瞬だけ辛さを忘れることなのかもしれないなと50半ばになって思います。摩利の幸いは、慎吾一人の存在には間に合わなくても、摩利に好意を寄せる相手がたくさんいた事。そして、夢殿さんみたいなもたまにはいた事。

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追記:
摩利が満足できたとしたら、死ぬまで「二度と崩れることは無かった」と慎吾からも「そう見えるように振舞えた事」かな。

欧州で一人でいる時の様子は、ユンタームアリー他の番外編で分かる通り、心弱っている。自失することは無いが、ずっと弱っていて、他者の目にもあの方はどこを見ているのかしら?的な心ここにあらずを見透かされるぐらいの状態。

 

でも、帰国し、慎吾や寮友達に会う時は、摩利らしい摩利。

 

自分はこういう人間だと自分が思う姿と

他者が自分をイメージして、評価する姿と

摩利はとても一致しているように思う。

それは摩利がそう見えるように、寄せていっているから。

摩利の中には、見てもらえない摩利が最後までいたと思う。

摩利が慎吾に見て欲しい姿、他者からのイメージに寄せてる「理想の摩利」で、摩利の本当とはギャップがあるように感じている。

篝かがりの甘えん坊でわがままなところ、意地悪なところ、摩利にもあるはずだけれど、心許せる相手である慎吾にも、汚れは見せない摩利。

 

摩利は理想が高いし、いつも上を目指す。

人より優れた人間でいたいと思っている。

 

自分がそうありたい姿でいられたかどうか、

内面は整えるのに大わらわでも、

慎吾から見たら「おれの思う摩利」のままでいられたら

それが成果、努力も報われる、摩利の満足はそこかなと。