考察・いつか得る幸せとは

アラフィフだけど、まだ不惑に及ばず。
最近読んだ本の言葉にとらわれております。

 

大人になるということは、失敗や挫折を繰り返し味わうことで、頑張れば自分の力で何でも出来る、自分が何かをコントロール出来ているという、思い込みや勘違いを手放すこと。

思いのままにならない世の中を知り、分かり、起こる出来事に負の意味を強くつけることなく、過剰な期待を寄せることもなく、不都合な場面に際し、ああそうかと受け止めることが出来るようになること。

その先に、どうにもならない現実を受け入れられる受容性が高まり、いちいちつまづいたり、落ち込んだり、嘆いたり、虚しくなったり、悲しんだりすることが減ること。すると、不幸の感受性が落ちてくる。

自分は、もしかすると、それほど不幸でもないのかもな、と幸せな部分に気がついて、
結果、穏やかに、いろんなことが受け止められ、受け入れられるようになれる。

そういう考え方もあるなと頭では理解しつつ、でも、だから、幸せを感じられるようになるとは私には思えず、定休日をつぶしてまでモヤモヤ考えております。

「受け入れられるようになって、穏やか」なんてまとめられたら、『え、それだけなの?だったらもう、獲得してるよね』『20代とアラフィフじゃ時間的な経験の差で、既にその価値はたくさん得ているはずだし』とも思う。


今がゴールだとは、
思いたくない様子の自分に気づく。

今が幸せじゃないとは思わないんだけど、未来にある、努力の先にある幸せってのは、もっと盛り上がるような何かであって欲しいという期待を発見。そうとう、「期待」ております、わたくし。いま、目の前の幸せを、最高と思ってないのですよ、わたくし。

それに気づいたら、件の著者の言うような、思い通りになってない状態を「受け入れられるようになって、穏やか」が大人だなんて、思いたくないなと反発している自分が超自己主張。違和感があって、するりと入って来なくなり、でも気に掛かる。

私が思う幸せは、精神的豊かさ、時間的な豊かさ、物質的豊かさ、金銭的豊かさ、あらゆる豊かさを求めているという「強欲っぷり」それは、自分のことだけでは終わらず、家族始め、私に関わる人の事を思っても、あらゆる豊かさを得られますようにと、神様に願っております。

自分は、この著者のいうように、なんでもないようなことが幸せの土台なんだろうなと分かっているんだと思います。ホントはそんなに華やかでもないんだろうなと、どっかで感じているようです。


でも、それだけじゃ嫌。

件の著者がいう幸せと程遠い精神状態。


強欲な自分の心の奥底を、思いがけず気付かされて、ザワザワしているというところでしょうか。

【結論】生身の私は叶えたい欲があることが生きる活力の元なの、だから悟るのは60になるまでおあずけでいいことにします。強欲OK、没问题哦。(求めるのは自由、手に入るかは別問題。なら、おりこうにならずに「欲しいものは欲しいと、言った方が勝ち」byユーミン