注連飾り

クリスマスが終わったら、商店街も一気に年末の風情。
いよいよ年越しだなと、モードの調整中。

例年のことですが、昨日の今日でそうそう変われる訳もなく、慌ただしい気分だけが煽られて、落ち着かないこと限りなし、です。

お客様も、心慌ただしい方が多いようで、普段なら迷わないような内容で「どう思う?」と聞かれることが増えております。

例えば「お正月飾りって、毎年同じの使っちゃダメなのかしら?」という話題。この話題が出るたび、店主、儀式性が形骸化した現代を目の当たりにする思い(ちょっと寂しい話

注連飾りは結界を張る注連縄と同じ意味合いで、歳神様をお迎えするに当たり、内と外を仕切る名目で飾るもの。家の中に、良くないものを入れないようにする仕切り。

歳神さまをお迎えするための注連飾りは、「どんど焼き」など焼く習慣がありますが、あれは歳神様がお帰りになるのを、送り火で見送る意味合いがあるそうです。

過去はこうだったが、今はこうなった。
そういうのも、風俗、文化の変化ですよね。

時代ごとに、いいの悪いのと言いはやされた、
文化的な変化があるかと思います。
店主的には、それは自然なこととして受容すべきことと
思ってはおります。

わたくしは、昭和世代。
戦争を経験し、敗戦を経験し、欧米の文化を取り入れ、追い越せと頑張った世代に育てられた世代です。

わたくしに「お正月飾りって、毎年同じの使っちゃダメなのかしら?」と問いかける親ぐらいの年の方に出会うたび、これが時代の変化なのだと象徴的に感じます。

昭和世代は、日本文化を知らず、
どの年代も、この分野に弱いのです。

今の方は今のルールで、今の風俗で生活し、今どきの文化を日々形成しているということです。もう昔の風俗や文化に依拠していない部分が多々ある証拠。

文化はいきもの、歴史もいきもの。

でも、変わって欲しくないものもありまして、

それは何かとつきつめると、神という存在を崇めるよりも、目の前にいる家族や友人が幸せであれと願うその気持かなと思う訳です。

思うがままにならないけれど、自分のことよりも、周りの幸せを願う。願うことぐらいしか出来ないから、精一杯願う。

新年を迎える時に、改まった気分で、多々交換される想いが、わたくし達日本人の、優しい愛の本質ではなかろうかと思う今日この頃。

願わくば、歴史的な意味合いをなぞらえ儀式を守るご家庭が、より多く残り給えと思いますが、そうもいかないのが現実ならば、気持ちだけでもなぞらえて欲しいと思います。

注連飾りがリースとなろうとも、心が、実が伴うならば、素敵な儀式になりましょうや?(疑問形、なって欲しいなと思います

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新しい日本の文化を選択します!という方に向けて、せめて華やかな小道具をご用意するのが環のお役目。素敵なちりめん細工のリースは、毎年飾っていただけるお飾りです。

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