漢の中の漢

営業中。昨日は友人とひょうたんで語らう。
元々それほど関係性無く、今だって親しく行きあう訳でもない。
ただ不定期に、お互い頑張ってるなと確認するだけ。

 

互いのディテールは知らないし、

言いたいなら聞くだけ。

こんなだけど多分、私達は友達。

 

引き合う引力はささやかなのですが、互いの中に同じ欠片を感じて切れることなく続いている。それが気持ちよい。

 

計算したところで、やりたいこと、楽しいことしか続かないから、他人から見てどんなにめんどくさい事でも、それを選び取る友人。それが1つじゃなくて3つ4つある友人。真っ赤にしか見えないブルーオーシャン分野ばかり手を出している友人(果敢すぎる

 

私もどうしてなのか、知りたくなりました。

 

何度か繰り返す内に、自分でも葛藤はあった模様。

自分の中の法則性を観察して、そろそろ一応の結論が出たので文章化しようかなと笑っていました。

 

いよいよ、他人に見える形分かる形にするらしい。

それを見て、ついてこれる人や事柄を引き寄せ、他を振り落としに掛かるのかしらと妄想。

 

もう若くないから、気力、体力、集中力と、有限を感じる日々。そろそろ時間を惜しみ集中させる対象を絞りたいという意味かと。絞れる余裕はあるか、無いかではなくて、やりたいならやる。その辺りが友人らしい明快さ。

 

誰もに言えることで、出来る出来ないではない、やりたいならやる、以上終わりの潔さ。

 

漢らしい女性の友人。

今日はガガ様に会いに行ってるはず。

 

フェス好きで、私が西川貴教好きと知って、来年のイナズマロックフェスに一緒に行こうと言ってくれたので、慣れない場所に一人行くのが億劫だったわたくし、来年は初フェス体験できそうです。

 

 

スピードと馬力ある人に『掴まる』と、思いがけず結構遠くまで行けるの術(笑