夢のうつつに浮かんだ言葉

以前から、自分の神様は他の誰でもない、自分である、と考えているわたくし。

「自分の神様」を信心している一人新興宗教の教祖であり、信者です。

別に、自分が人生の全てをコントロールできると勘違いしている訳ではなくて、自分を幸せにするために私は生きているという事を、言葉遊びしているだけ。

 

先日、You Tubeの関連動画で自動再生された西田昌司議員と百田尚樹氏の人生論を語る対談動画の中に「矛盾をどう引き受けるか人生」という言葉が出て来まして、妙に心に引っ掛かりました。

 

努力が必ず報われるとは限りません。
若い自分は、うまくいったのは○○をしたからだ、と思い込んでは次もやってみる。次は失敗した。何故だろう?と落ち込み悩み考える。

 

この繰り返しをしてきた気がするのですよね。

 

うまく行った先には相手が存在していて、自分だけでは何一つ完結出来ない世界なんだと知るにつけ、全ては必然というよりも偶然であり、だから一期一会に感謝して、今無事に生きていることを有り難く感じられるようになりました。

 

例え悪いと感じる出来事が起こっても、起こるべくして起こったのだろうから、これもまた、うまく行っているはず。

でも人間だもの、そんな風に思い切れない部分もあって、何が悪いのだろう?と悩み始める→今ここ(苦笑)(月末の支払い時期になると、毎回これやってる気がします)

 

私が自分にある落ち度を認め、改めるだけでは解決しないのが人生。何故なら私一人で生きている訳ではないのだもの(と、さっき認めていたじゃないか)

 

悪いのは私ではないなら、誰か他にいるのだろうか?こんな人生って意味はあるのかな…とループ突入しながら、うとうとし始めた時「無かった事にするには、お前があると思わない事だよ」と私の神様からの声が浮かんできまして、ああそうかと寝落ち。

翌朝。

確かに、若い頃の悩み事は、悩もうと思っても悩めない事柄になってしまっています。同じことか。

 

あると思えばある、無いと思えば無い。

 

もちろん、理解したからと言って、すぐ出来るでもないので、いまだループ内に留まっているのですが、近いうちに、早々に、抜け出そうと思いました。抜け出そう。まずその意思を持とう。

 

だって、死ぬまで生きるしかないのだから(ああ、まだかなりループ内

 

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ところで。
翌朝起きて、大事な言葉が降りてきたと思うのに、肝心の言葉があやふや。
見た夢が思い出せないのと一緒。
思い出せて良かった、、、(笑