はじまりのコップ

副題「左藤吹きガラス工房奮闘記」

 

私は漆が好きなだけで、他のうつわの知識はみなさんと同程度だと思っております。

でもお店の人ですから、勉強はしなくちゃなと思いつつ、素材の本、作り方の本、使い方事例の本、などなど、たまに本を借りて読みます。

ただ、もうおばちゃんだから、固有名詞や数値を覚えたりするのは苦手なので、大雑把につかむと満足して、何だか一向に深まって行かないのが難点。

いくつになっても勉強出来るといいますが、基礎的な情報は暗記も必要で、それは若いうちがいいかなと思うのです。覚える根気と体力があるうちに、今すぐは何に役にたつのか分からないことでも、知る+覚えることで、後に生きる応用力の元になると思うのです。

学校通ってる年頃の子に、こんな話をすると、そんな先の事が想像できないし、努力しても暗記が苦手だったりすると、気持ちが凹んでるだろうから、「自分には要らない」って言いわれそうです。

でも、無駄じゃないから、やってご覧、と言いたい(笑

学校なんて、時間が来たら卒業したり退学したり、ずっとそこには居られない場所。私が言う勉強は、その先も生きていく時間のためにするもの。

学歴なんて、詐称出来る程度のものなんだと思ったことがあります。

どこの学校を出ていたって、相手の信頼や愛情を得るものは、本人の発する言動由来。人が人を好きになるのは、いい学校を出た人だからではないもの(なんて分かりやすい例えなんだろう☆


最近、たまに見かける若い子が、ウツで苦しんでいると知りました。店主だって50年も生きてきた中で、何度か人生の山谷を体験しておりますから、その中でウツになって事もあります。最中は、自分では身動き出来ない生きづらさで、誰か助けて欲しいのに、抜け出すのは自分でしか出来ないから、救いが見えなくてひたすらしんどい毎日でした。

あの頃、自分以外の何かがウツを治してくれると信じて、医者へ行き薬を飲んだし、ストレスやトラウマが影響しているんじゃないかと思っては、カウンセリングを受けてみたし、スピリチュアル系の何かを試したり、占いしてもらったり。答えが見つからずに逆戻りしてみたり、忙しかったものです。

 

ある日、ある時、叔母が来れたメールに「いくつになっても、悩みは無くならない。いまだに同じようなことで思い悩むよ。でも、それが生きてる証拠」みたいな事が書かれていたのを見たら、そこから薄皮をはぐように自分を取り戻せました。

確かに、子どもの頃の悩みで無くなったものもあれば、似た悩みに出会うこともある。いくつになっても、ゼロにならないものなんだなと思いました。そして、私以外の全ての人が、同じように繰り返す悩みを抱えて、日々生きており、私一人が悩んでいる訳ではないとようやく「分かり」ました。

つまり、「答えが無い」ものもあることを「本当に分かり」ました。
今見つからないだけで、いつか見つかる答えもあると、希望にも気づきました。

他人に答えを求めても、私のことは私以外には分からないものなと思い、外へ答えを求めるのは止めました。もう、どんなヘビーな問題に出会っても、気持ちを落ち着けて、対処出来るようになり、出来ないことを無理にやろうと粘ることもしなくなったら、つまづき感や不全感が減りました。

 

話戻って、「はじまりのコップ」


左藤玲朗さんの作るうつわが素敵だなと思って、写真が見られたらそれでいいやと思って借りた本なのですが、今の工房に至るまでの紆余曲折の中に、私の人生の紆余曲折を見出して共感の連続で、図書館に貸出延長を頼んだほど眺め続けた本。

自分のやりたい仕事を見つけて、仕事を作ること。

自分の方向性を模索すること。オリジナリティの考え方。
仕事のクオリティを自分で作っていく過程、思ったこと。
事業としての計算。

お客様からの反応をどう受け止めるか。

心通わせられる取引先との出会いと取引の継続。

それら全部、でも頭から外して無心に楽しんでいる製作時間。

 

左藤玲朗さんも、多分、日々同じ「ような」ことを悩んでいるんだろうなと思いました。「同じ分野」「同じような」悩みはつきない。そういえば、叔母さんが似たようなメールをくれたよな、と思い出して…(刺激を受ける本を読んでいると、頭の中、いろんなことが行ったり来たり、忙しいです。

会ったこともない左藤玲朗さんのことが、とても身近に感じられた本でした。
いつか、お会いしてみたいものです。