新月への願い事

先日の定休日に珍しく【衝動買い】をしました。
トルコの食器で、立体的な絵付けが鮮やかで華やかなひと品。

 

使う宛てもなく、ただ美しくて目が留まり、心惹かれてたまらないので離れがたく、絶対買って帰ろうと心が動いた時の楽しかったこと!

家についてお皿を眺めながら、ああそうか…と浮かんだことがあります。最近の仕入れには、衝動的になるような商品が含まれていないということ。

季節柄、正月飾りや干支のものを仕入れたり、暖かい防寒用品を仕入れたり、月並みな流れを作ってばかりいたなと反省。ステレオタイプな仕入れをすることで、安心していたなと反省。

ところで、日経BPのサイトで読んだ記事に気になる言葉がありました。記事はデザインの未来について語っているのですが、

 

「デザイン変えました、ここんとこをちょっとこんな風にしてみたんですよね、カッコイイでしょ?発売しますから買ってね」と何がしかモデルチェンジし、かつ、売り手側の都合で定期的に新商品を出すサイクルが昭和~最近までのこと。

 

それを見て消費者が「おお!新しい!欲しい!」という流れは確かにあったのですが、売るために色や形を変えること=いいデザインと言える?意味がある?という問いかけがありまして、消費者側からするとメーカー都合のデザインはもう意味がないよなと感じてしまいました。

何しろ十人十色が当たり前の世の中なので、メーカー(他人)都合のデザインは余計なものでしかないと店主は思います。


カッコよく見えるためにする表面的なデザインは溢れかえっていて、素人だってPCがあればそれっぽくデザイン出来ちゃう世の中です。

 

そんな世の中で、いいデザインというのは【ビジョンがある】ことが大事と書かれておりました。誰をどんな風に幸せにするとか、その為に何をどうしようとか、【未来に対する明確なビジョンを持ち】それを具体化するためのデザイン:この場合は色や形ではなくて仕組み作りがあって、色や形のデザインがその先のひとつとして連なっているものじゃなかろうかというお話。

ビジョンと仕組みが無いデザインは芯がないのも同様。
それは環も同じことだと思いました。

工芸品だから、和雑貨だから扱うとか、職人技だからいいとか、日本製だからいいとか、そういうところだけで推しても上辺だけ。私は工芸品や和のものを扱うことで、何をどうしたかったっけ?どうなりたかったっけ?と改めて思いを確かめなくては、と気が付きました。

 

少なくとも「うわ!これは素敵!」「使えば使うほど素敵!手放せない!」という感動をお客様に与えたくて始めた店だというのは確かですから、そこが曇って来ているようなら磨き直さなくては。。。

 

 

で、タイトルの「新月への願い事」ですが、1/31が新月だったので2/2の6時までは新月タイムで、願い事をすると叶うと言われているタイミング。こうなって行きたい!と思うところを紙に書き、ついでに唱えているところです。一種の、振り返り中。