今日着る服に悩む

先日、としまえんに映画を見に行った時に乗った電車の、社内広告。

 

この悩み、今のわたくしには皆無なのですが、サラリーマン時代は悩む日もあったもので、懐かしく思って眺めました。

 

好き嫌いがはっきりしているので、好みが固定的で、迷う余地が少なかったわたくし。

 

なのに、朝の時間が無い日に限って、どの服もダメに感じる時がありまして、服がダメな日は、髪型も化粧もダメダメで、何をどう直したらいいのか分からないぐらい混乱しては、泥のような気分で遅刻出社したり・・・・

 

今思うと、自分の気持ちが満足してないことが原因で起こる発散行為だったのかなと思います。だから、こんな本を読んで納得しても、何度でも繰り返したろうなと思います。

 

仕事や人間関係、プライベート。

自分以外の外的要因は、波風立てず受け入れることが大人の対応だと思い込んで、本当は異議申し立てをしたいのに、反論せずに流していい人ぶっていた自分。心のどこかに不満足として降り積もる。

 

我慢が常態だと、我慢していることに鈍感になる自分。

だけど、心の中では不満が積もり続ける訳です。

で、許容量を超えそうになると、例えば「今日着る服が決まらない」なんて、子どもが駄々をこねるようなどうでもいい事で、「もう嫌だ」と本音を引き出そうとしていたんだなと、そう思っています。

今の私は、自分のやりたいことをやって生きているので、しんどいことも多いですが、満足して生きております。楽しいです。泥のような気分で過ごすことが、時にあっても、週単位なんて皆無です。そこに落ち込む前に、浮上しちゃいます。長くその状態でいると、心が疲労して、嫌になって抜けてしまうのです。

人並みの悩みは、普通にあります。

ただ、他者との関係上で、自分の気持ちを隠していい人ぶるのを止めた→全員から好かれずとも良いし、全員から好かれることは奇跡だと腑に落ちたら、楽になりました。

 

自分が受け入れたくない事柄や相手を、拒絶してもいいと、自分に許可を出せるようになったのです。嫌われるのが怖いと思っていたのが、どうでもいいと本気で思えるようになったら、楽になりました。

 

私の場合、この気づきの特効薬は、家族の愛でした。

起業に際し、家族が私を大事に思い、信頼してくれる気持ちを感じた時に、よそで何があっても、私はここに帰る場所があるんだと思えたら、どんと心の安定感が増して、楽になりました。

両親、兄弟にとても感謝しております。私も、とても愛してますよ。

 

私はたまたま、家族に恵まれましたが、ひとには、血縁ではなくとも、必ずそのお役目を引き受けてくれる誰かがいて、出会うのではなかろうか、つながっていくのではなかろうかと、最近思うようになりました。

 

というような流れがありまして、朝着る服に迷う人は、まずは一人引きこもらずに、誰かに会って、話を聞いてもらうことから始めてみることをおすすめいたします。

 

いろいろあって、そんな相手がいないと思う方、寂しく思わずに。

大丈夫。江古田に来るといいですよ。

 

私の店に来てくれてもいいし、個人商店のオーナーさんて、どの店の方も、真面目に話し掛けたら、受け止めてくれる人が多いですよ。素敵な街なんです、江古田。

 

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キャッチコピーの「変な服を買わなくなる」が物凄く気になります。つい買ってしまった変な服を披露する会を催して、笑い合いたい妄想がわいて仕方ありません、、、