橋はかかる/村崎太郎+栗原美和子

図書館で、何の気なしに手に取り、借りた一冊。

読み始めたら止まらず、一気に読んでしまった。

 

猿回しの太郎さんが、部落出身だということ、差別を受け続けてきたことを初めて知りました。

 

部落差別、あまり実感がありません。

ただ、差別されるという冷たさ、レッテルで人の価値を決めつけられる怖さや痛みは分かる気がします。

 

本人がどんなに良い人間だろうが、どんなに頑張ろうが、「部落だから」という思考停止的な理由で傷つけられる人生。何世代も傷つけられてきたということが重い。

 

私が、もしも太郎さんのうちに生まれていたら、差別を受ける側の人生。でも、私は私なのにと思うと、そんな差別は受け入れ難いと誰もが分かることでしょう。

部落という区別・差別が、今の時代でも存在する理由が分からない。自分に置き換えたら分かるだろうに。その差別を残しておいた方が得な人がどこかにいるから消えないのだろうか?それは誰なのか?何故?何故?が増えてもやもやします。

 

ハンセン病の方達との交流を通して、「口を閉ざすのではなく、その思いを話してみて下さい」とお話していると書かれていましたが、差別を無くするために有用な方法だなと私も思いました。

 

私も、この本を読んで知って、自分に置き換えて考えてみて「おかしい」と思った訳ですから、知ってもらうことは入口です。

でも、語り始めるということは、とても勇気がいることなんですよね。そのハードルの高さは、当人以外には計り知れないものかと思います。

 

聞く側も、自分に関係ないことは無関心というハードルがあります。このハードルも相当高い。

 

でも、だからこそ、話すことが大事で、話し合えるようになればもうけもの。これ、意思疎通がうまくいかないせいで悩んでいる人全般にいえることだと感じました。


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太郎さんと奥様に、幸多からんことを願います。